4、それは忠誠心の皮を被った
口に出して、私は恐ろしくなった。
これまで陛下が目の前でレンツェの王族の首を斬ってきたのを見ているのに、感じなかった恐怖心。人が人を殺す、その残酷さと悲しみを今になってやっと感じた。
それはきっと、これから起こるだろう殺人を、優しいレイヴン卿はきっと望んでいないのに、そうしなければならないからだ。
「……レイヴン卿は、マルリカ王女の護衛騎士は……とても、優しい方です。その方が、もう使えないはずの抜け道にマルリカを案内しようとしているのは……そこで、護衛騎士として、レンツェの王族を、敵国の手から守り抜く最後の忠義を果たそうとしているのだと、思います」
思い至って、私はぽろぽろと涙が出てきた。
アグドニグルの、ヤシュバルさまや、皇帝陛下から……騎士がたった一人で戦えない王女を守りながら逃げ延びるなんて、できっこない。
私でさえわかることだ。離宮の抜け道の存在は知らずとも、きっと王宮の隠し通路のことは調べられていて、だから国王や他の王族が一網打尽にされた。
それを理解しているレイヴン卿が、それでも仕えるマルリカを絶望させないようにとついた優しい嘘を想って、私は両目を擦る。
レイヴン卿は、騎士として……マルリカが王族の手に落ち、苦しめ殺されることがないように……抜け道の中でマルリカを殺すつもりなのだ。
……だから、あんな顔を。
私に『一緒に来ますか』と、誘ってくれたレイヴン卿はどこか寂しそうな顔をされていた。私が頷かなかったことにほっとしていたのは、足手まといが増えなかった安堵からではなく、抜け道の先が行き止まりであることを知っている私が……レイヴン卿の考えを理解できる私が、死を選ばずにいられる『拠り所』があると、理解したからだ。
「……レンツェの姫、あまり、目を擦るのは止めなさい」
「……ご、ごめんな、さい……」
あとからあとから出てくる涙に、私が「みっともない」と慌てて見苦しくないように下を向くと、ヤシュバルさまがため息をつく。
「そうではなく……腫れてしまうだろう。私は、婦人が持つような柔らかな素材の布は……持っていない」
手袋を外し、指で涙を拭ってくださった。ごつごつとした手。私のものとは違う大きな手と長い指が、痛くないようにとそっと頬に触れる。
「……その騎士は、君に優しくしてくれたのだな」
「はい。レイヴン卿は、私を王族として扱ってくれていたんです」
「そうか」
ヤシュバルさまは私を見つめて、一度ゆっくりと頷かれた。
私は皇帝陛下の方へ体を向けて、頭を下げる。
「皇帝陛下、どうか……二人を、助けてください。陛下は、お約束してくださいました。国民を全て奴隷とすると。レンツェの王が亡くなり、この国はもはや陛下のものでございます。優秀な騎士を、失うことは……陛下にとっても損失だと思います」
「……」
イブラヒムさんが何か怒鳴っていた。私の訴えを、厚かましいと、そう言ったのがわかったけれど、私は……お願いすることしかできない。
レイヴン卿に主君殺しをさせちゃいけない。それには、アグドニグルの殺意が二人に向かないとそう、しないといけない。
「陛下は、有能な人が……お好きなんですよね?レイヴン卿は、とてもお強いです。生まれは平民だと聞きましたが……努力して、王女の護衛騎士にまでなった方は……きっと、陛下にお仕えできれば、その素晴らしい力を、陛下の為に、発揮してくださると思います」
「実力のある騎士は多くおる。敵国の、かように王族への忠誠心厚き者など……不要ではあるなぁ」
「……陛下……!どうか……」
お願いします、と私は必死に頭を下げた。
「レンツェの姫よ、そなた残酷なことを申しておるぞ。その護衛騎士とやらは、騎士として王族への最後の奉公をしようとしておる。見事、潔い事。あっぱれと、その末期を見守ってやるのが慈悲というものではないか?」
抜け道とやらに人をやり、見張っていれば勝手に二人は死ぬ。
袋小路。追いかけて捕らえて殺すことは容易いが、その騎士の最後の忠義を果たさせてやるべきだろうと、そうおっしゃる皇帝陛下。
生きていても、マルリカは王族として再び贅沢な暮らしが出来るわけではない。それはあの姉にとっては死より辛い事だろう。
……だけど。
「……」
私はそれ以上何も言わず、ただ頭を下げ続けた。
どうすれば陛下の心を動かせるのかも、上手く浮かんで来ない。ただお願いすることしかできない自分の無能さは、きっと陛下も好まれないだろうけど、できることがこれしかない。
「うーん、そうだなぁ。まぁ、仕方ないなぁ。可愛いそなたの、必死な頼みだ。なぁ?こうも幼い子供にお願いされて、無下にはできぬ、なぁ?」
ややあって、陛下がそうおっしゃってくださった。
ぱっ、と顔を上げると、優しく微笑んでいる皇帝陛下が私に近付き、私の頭を撫でる。
「良い良い。そなた、その騎士によくして貰っていたのだな。恩人を救いたいという思いは美徳である。出来る限り、そなたの望むようにしよう」
「陛下……!」
ありがとうございます!と、私は何度もお礼を言う。そのたびに陛下は「良い良い」と笑ってくださった。
ほっとして、私は体の力を抜く。
安心した。
皇帝陛下が、お約束してくださった。
もう大丈夫。
よかった。
安心して、私の体の力が抜ける。
「慌ただしかったな。少し休むが良い」
皇帝陛下の優しい声がぼんやり聞こえ、うっつらと、目を開けて周囲を見渡す。
……ヤシュバルさまが、どこか、辛そうな顔をされていたのは、きっと見間違いだろう。
世の中そんなに甘くない。




