【番外】大空を飛び交う!汝その名はカキフライ!!!!!!!
「いい加減にしろ異世界」
青い空、白い雲。皇帝クシャナ陛下の治める偉大なるローアンは朱金城。その豪華絢爛な宮中にて、唯一女児が主人にと建てられた白い梅の宮。朝の日の光を浴びてぼんやりする頭の中で、シュヘラザード姫は自分の目の前に広がる光景に「まだ夢でも見ているのか」と突っ込みを入れたくなった。
*
前世の世界でも聖書に蝗の群れについての災いの記述はあった。キリスト教の信者ではなかったので私も多少知っている程度だが、蝗は悪魔の使者だのなんだのと、人類にとって百害あって一利なしの天敵だと言われていた。まぁ、ジャパニーズは食したが。
「そ、それと同列に……扱っていいんですか!?」
「私も当初は驚いたがなぁ。まぁ、うん。郷に入っては郷に従えというし」
郷に従うどころがご自身が郷だと言わんばかりの陛下が何を仰っているのかわからないが。私はローアンの空を飛び交い、一時は陽の光をさえぎる程の大量の群れとなった奴らを思い出し、顔を顰めた。
「何年かに一度ある大量発生だな。まぁ、我が国の、それも私の頭上を埋め尽くすなど結果の見えていることだが、ははは、これも神々の嫌がらせというやつよ」
「嫌がらせ……?」
「普通は害しかないからな」
「まぁ、確かに」
まぁ、確かに。と私は心の中でも頷く。
朝に大量発生した奴ら、具体的には……どういう物理法則か知らないが、大量の牡蠣の群れ。何を言っているのかわからないが、私自身もよくわからない。
牡蠣だ。
あの牡蠣である。
別に羽がついているとかそういうわけではない。あの殻をまとった海産物。それが空を我が物顔で飛び交い、そしてボドボドと力尽きたものは落下し、ローアンの家屋に傷をつけたり、通行人を狙撃する。さながら制空権を取られ、容赦無しに縦横無尽に攻め落とされる悪夢のような仕様だが、ここはアグドニグル、ローアン、皇帝陛下をはじめとし、屈強な獣人族を従える金獅子ジャフ・ジャハン第一王子に、国を凍らせるほどの力を持つヤシュバル殿下、他にも軍事国家の名に相応しい有能な方々のいらっしゃる大国だ。
しかも牡蠣たちにとって運悪く、本日は英雄狂……じゃなかった英雄卿と名高いコルヴィナス卿がいらっしゃった。大量の牡蠣たちの多くは、弾丸の役目も果たせず焼かれて消し炭になり、捕獲された新鮮な生ガキが……今こうして、私の前に置かれている。
「ということで、頼むぞ、私の可愛い姫」
「え、えぇえ……」
まだビチビチと、牡蠣らしからぬ動きをして生命力を自己主張してくるブツ。
これ私の知ってる牡蠣か????私の知ってる牡蠣は「ギュウウウゥウ!!」とか鳴かない。
「以前エビフライを作ったであろう?あの時からこの日を待ち望んでいてな。いつか絶対に、カキフライにしてやろう、と」
するの私ですけれどね。
え、陛下、神々のお怒りらしいブツで楽しいカキフライパーティーを??
どこの神々が陛下に喧嘩を売ろうとしているのかわからないが、まんじゅうこわいの逸話でも聞かされたのではないかと私は同情してしまう。いや、まぁ、私の心にはメリッサしか信仰の対象はないが。
*
さて、カキフライ。
一般のご家庭でも出ることはあるが、一人暮らしではまず作らない料理ベスト10に入るのではないかと思われる、美味しいが作るのはちょっと……という素敵なお料理だ。
発祥は当然、我らがなんでも揚げるぞオリエンタルジャパン。
たぶん明治時代くらいに、洋食の祖たる煉瓦亭で出されたのではなかったか。牡蠣のクリーミーさに油で揚がったパン粉のサクサク感が最高の一品だ。
独特の風味は他のどんな料理とも類似するものがなく、私が前世で読んだ漫画ではカキフライが弾丸のように胃袋を狙い撃ちしてくるという表現をしたものもあった。
そもそも日本人にとって牡蠣はとてもなじみ深く、五月や十一月にもとることができるので一年中牡蠣を楽しむ。江戸時代には本朝食鑑にて牡蠣料理についても多く記されており、海鮮大好き江戸っ子は、牡蠣を素焼き、吸い物、串焼き、杉焼き、まぁ、色んな方法で召し上がられ、明治時代には東京湾は日本屈指の牡蠣の養殖生産量を誇っていた。しかし江戸っ子は牡蠣の風味や素の味を楽しむのに対し、西の方にいくとまさかの、牡蠣を味噌で煮込む。これはキノコタケノコ論争なみに争いのネタにしからないので触れずに置くが。
「……断末魔の悲鳴さえ上がらなければ……普通の牡蠣?」
「牡蠣は牡蠣でございましょう?」
「あ、はい。そうですよね……」
こっちの牡蠣はこれがデフォルト。
雨々さんに不思議そうな顔をされ、私は頷いた。
アグドニグル、というか、この辺りでのこの牡蠣の立ち位置だが、あまり食材認定はされていない。何しろ蝗のようなものなのだ。食べられる要素はあるが、あえて食べたくはない、というレベル。しかも空から落ちてくるし、鳴くし、何なら殻で噛みついても来る。一般人からすると軍人さんたちが処理してくれるものという認識。少量が出没した際は自分たちで処理するが、食べるという選択肢はあまりない。放置しておくと腐って臭いのでさらに厄介だという。
それを「え、食べないの?」と困惑していた陛下が長年いらっしゃったのかと思うと……私が存在したばっかりに………アグドニグルの食の歴史に、また妙なものを残すことになるのか……。
「まぁ、それはいいとして。気持ちを切り替えて、カキフライですよ」
「はい。以前の永美婦来なるもののように衣をつけて油で揚げるのですね。シェラ姫を熱した油に近づけないようにと第四皇子殿下より仰せつかっておりますので、揚げるのは私が行いますよ」
「油で揚げるサマを見るところが好きなんですが」
「万が一シェラ姫の肌に油が僅かでも跳ねようものならこの場にいる者の腕か目がなくなりますが」
「は、はい……」
でもリクエストは陛下からなのだが……まぁ陛下も私が揚げることが重要ではなく、美味しいカキフライがきちんと提供されることが重要なのだ。
カキフライを美味しく上げるポイントは大きく分けて3つ。
①とにかくしっかりと水分を取る。キッチンペーパーを惜しまない。
②バッター液の配合を間違えない。
③パン粉を付けるときはギュッギュと押し付けない。ふわっとサクっと、纏わせる。衣なだけに。
以上!
この要点さえ押さえていればご家庭でもおいしいカキフライを揚げることができるだろう。油の温度とか、一気にたくさん入れると油の温度が下がるので少しずつ揚げるとか、まぁあるにはあるが、ご家庭で召し上がる分であれば問題ない筈だ。
前世の食堂でもよく揚げた。
プリンをこよなく愛してくださったOLさんも日替わり定食がカキフライだとカキフライだけ増量し、タルタルソースとウスターソース、それに辛子の三種類を付けて堪能されていた。細身のとてもきれいなお姉さんだったが、よくあんなに大量のカキフライがおさまったものだ……。
*
まずたっぷりと、ウスターソースを模したソースをかけてサクっとカキフライを一口、口にする。その瞬間広がるのは、牡蠣特融の海の気配。しかし異世界の牡蠣だけあって、感じるのは磯の香りというより、空を舞う鳥のような力強さなのだが、これはこれでアリだな、とクシャナは認めた。
氷をたっぷり入れて、レモンを絞った冷酒を煽り、うんうん、と頷く。
シェラ姫お手製のタルタルソースは酢漬けの胡瓜が入っているものや、紅生姜を刻んだものなどもある。こちらもたっぷり、カキフライにつけて食べ、クシャナは今日を何かしらの記念日にできないものかと真剣に判じた。
辛子をちょっとつけて食べるのもまた良い。辛子をウスターソースと混ぜても良い。なんだこの素晴らしい数々は。やっぱり記念日にするか?と、食べるか文官を呼ぶかどちらかを選ばねばならず、クシャナは悩んだ末、前者を取った。
「うんうん、美味い。さすが私の可愛い姫。完璧なカキフライである」
「陛下に喜んでいただけて何よりです」
山盛りのカキフライを献上したシェラ姫は自身もカキフライを食べようと箸を持つ。小さな姫の口には大きいので、クシャナが切って皿に置いてやると、少し驚かれた。
「うん?どうした」
「いえ」
そういえば前世で、クシャナはよく行った食堂があった。とても素直で明るい気風の良い娘がいる店で、彼女の笑顔を見るのも楽しみの一つだった。その看板娘と一度、席を共にしたことがある。日替わり定食でカキフライの日で、クシャナの前世の女社長が山盛りのカキフライを食べている横で、まかない料理を食べていた。狭い食堂であったので従業員が客の隣で食事をするのをとやかくいう者はいない。
他の常連客もその娘を可愛がり、自分の食べている魚の煮つけや茶わん蒸しを娘に「美味いからよぉ」と寄越したがった。娘は『私が作ったんですから知ってますよ~』と笑い、その顔が愛らしかった。
確か一度だけ、その娘に『美味しい物を一緒に分けて食べる楽しさをしませんか』と、クシャナの前世は声をかけ、カキフライを切って渡した記憶がある。
確かそれは、店ではない場所で、川辺で、その娘がじっと思い詰めた顔をして水面を眺めているのを見かけた翌日だった気がする。
まぁ、それは今は遠い、遥か遠い異郷のこと。
サクサクサクとクシャナはひたすらカキフライを堪能することに専念しつつ、にこにこと自分を眺めるシェラ姫に時々笑いかけた。
神々「どうすればあの女は絶望するのか」