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第十夜 前編


「ヤ、ヤシュバルさまッ!!」


 刃物のぶつかり合う音の間に、私の叫び声が響く。


 一定の感覚で襲いかかるオートの波状攻撃。雷のリングとなって陛下を中心に大きく広がり、避けなければ輪切りになる。これが一本ならいいのだけれど、ランダムに三本から十本、三百六十度から襲いかかってくる。


 避けなければサイコロステーキまっしぐらだ。


 なんだこのクソな音ゲー、と私だったら切れ散らかして居るところだけれど、ヤシュバルさまは器用に避けられた。


 避けられることは避けられる。けれど私の目にもわかる、ヤシュバルさまは防戦一方だ。私を腕に抱えているからかと思ったけれど、そうでもないらしい。

 陛下が近づいてきて、一撃を繰り出し、それを受け防いでも、反撃はしない。


「……」


 なので徐々に少しずつ、ヤシュバルさまに傷が出来る。頬、腕、足、肩。あちこちと。陛下の剣、あるいは雷の刃が、体を傷つけていく。


「ヤシュバルさま……ッ!!」


 どうして反撃しないのか。

 受けるばかりで、防ぐばかりで、剣を振り上げようとなさらないヤシュバルさまに、私は叫ぶ。


「……アグドニグルの者として、私が陛下に剣を向けることなど、あってはならない」

「…………だったら、だったら……!!」


 このまま殺されてもいいのか、と私は聞けなかった。そうだ、とこの方が頷く気がした。いや、頷くだろう。それが、私の知っているヤシュバルさまだ。


 ……ならなんで、ここに来たのか!


 それは簡単だ。ここに陛下がいるとは思わなかったから。陛下が関与されているとは考えもしなかったから。


「……っ」


 私はなじるべきだった。

 それなら、今、私を強く抱きしめる腕の力はなんなんだ。今もずっと、陛下の剣から私を守り、そのために自分の体の傷が増えていらっしゃるじゃないか。


 陛下と戦えないのなら。今ここで、私を見捨てるべきじゃないのか。


 いや、それは、あまりにも、あまりにも、卑怯だと、私は自分をなじる。


 優しい心で、私を助けに来てくださった方なのだ。

 私を案じて、救いに来てくださった尊い方なのだ。


 そのヤシュバルさまが私を見捨てられないのであれば、私が自分で飛び出して、ヤシュバルさまをアグドニグルの忠実な臣下に戻してさしあげるべきなのだ。そうすべきだとわかっていて、私がやるしかないと、気付いて、だというのに。


「……」


 ぎゅっと、ヤシュバルさまの服を掴む私の手が、どうしても離れない。


(助けてくれるの?)

(ほんとうに?)

(私のことを、守ってくれるの?)


 心に浮かぶ、ぽつんと、ほわり、と、ふんわりとした、思い。


 いや、だめだ。

 だめ、だめ。そんなの、だめ。


 振り切って、振り払って、身の程を。わきまえて。自分がどれほど、無価値で邪魔な存在か、思い出して。混乱。


「見苦しいわ!」

「ッ、シュヘラ!!」


 陛下の剣が私に狙いを定めた。防ごうとするヤシュバルさまの剣を弾き、私を抱く反対の腕を切り落とし、私の頭を掴んで引きずり出した。


「そなたも、姫も。何も選ばず、何も捨てず。何も変えず、得ようとすらしておらぬ」


 首を落とされる、と、わかった。目が合った。青い目。


 私は目を閉じなかった。

 けれど、視界が真っ黒になる。

 

 黒。


 真っ黒い服が、目の前に。


「……なんで、そこまでしてくれるの?」


 私を庇って、背に何本もの雷の矢を受けて、血を吐き、私を抱きしめるようにして、膝を突いて倒れた。


 陛下の攻撃は少しも私に、かすりもしなかった。


 無言。


 私の問いに答えることもなく、ただヤシュバルさまは私を抱きしめて、庇い続ける。


「そなたはその男に一言、言えばよかったのだ。自分を助けてくれ、と。私を討て、と。そのように縋れば、その男は“守護者ヤシュバル”たる義務として、そなたを選べたであろうに」

「……」


 コツコツと軍靴を鳴らして陛下が近づいて来た。


「そしてヤシュバル、貴様はシュヘラザードがそのように乞えずとも、私に剣を向け、歯向かえばよかったのだ。で、あれば、本来。そなたの方が私より強い。かような目に遭うことも、シュヘラザードを泣かせることもなかった」


 呆れる声。

 

「そなたはなぜそうなのか。足掻く姿、もがき生きようとしていれさえすれば、結果がどうなろうと構わない。私にプリンを献上しようとしたその時でさえ、駄目なら別段構わなかった。鞭打たれた時も、足を焼かれたその時すら、恐怖を感じず、怒りもしない。自分が理不尽な目に遭うことを当然として、それを嘆く方が「みっともない」と思っている」

「……」

「その気質、その悪癖。それは悲劇の王女エレンディラのものではなかろうな。そなた自身の、魂に、記憶に、何もかもにこびりついておるものだ。名を頂き、姿を変え、それでもぬぐえぬ前世の糞だ」


 他人に優しくされることに懐疑的。その価値が自分自身にはなく、価値があるのは、そうと思える他人の「思いやり」のある徳所以のものと、そう考える思考。


「全く以て、バカげている。くだらない。そのような思考の持ち主が、そのような、他人が自分を想う心を信用しない愚か者が、周囲に毒を撒き散らす。そなたが自分を無価値と思おうが死にたがろうが、そなたを守りたいと、生かしたいと、願いを叶えてやりたいと思う“他人”が、そなたのために身を削る。全く以て、損害だ。有益、無益のどちらでもなく、そなたは害悪である。で、あれば、まどろみの内に、死ぬがよい」


 死刑宣告。


 あの時、レンツェの王宮での問答の再現。あの時私は陛下の答えを保留にした。そのやり直し。


 死んだ方がいいのか。


 私は陛下の青い目に映る自分の姿を眺めながら、納得した。


 レンツェの国民のこと、より、私は今陛下が仰った、私の身近な人達が、私によって不幸になると、そのことの方が気になった。


 そうか。

 死んだ方が、いいのか。


「おや、おや、おや」


 私が諦めて目を閉じようとした途端、場違いな程のんびりとした声が、どこかからか聞こえてくる。


「これはこれは。異界のお嬢さん、とんだ目に遭いましたなぁ」

「……え?え?」


 ぱちり、と瞬き。

 コツコツと杖の音。


 戸惑う私の後方から、杖をついたおじいさん、ヨナおじいさんがやってきた。

 傍らには白い服の、白梅さん。


 白梅さんは少し離れた場所で、片膝を突いて畏まるようにしてしゃがむ。


 ヨナおじいさんは私と陛下の方へ近づき、細い目をニコニコとさせてゆっくりと頭をさげた。


「……ヨナ、か」

「はい、殿下。ヨナーリスでございます」


 恭しくヨナおじいさんは陛下の片手を取り、手の甲に口づけた。

 あまりに自然なやりとりで、先ほどまでのぴりぴりとした殺気や敵意が嘘のよう。


「なぜヨナがここにおる?そなたは今、」

「殿下が大人げなく、お若い方々をいぢめていらっしゃるので、お節介に参りました」


 すごいぞヨナおじいさん。

 陛下の話を遮って、ご自分の話をする。


「いぢめ……。ではない。かようなままではならぬゆえの叱責である」

「はぁ。ならぬ、と申しますのは?」

「その娘も、男も、何も選ばず何も得ようとしておらぬ。守る者、守られる者の思いも理解しようとしておらぬ。周囲にとって害悪。覚悟も決意も勇気も自覚も何もなく、生きていれば当人も苦しみ不幸であるだけ。ここで死なせることが慈悲であろう」

「それの何が問題なのです?」


 きょとん、と、ヨナおじいさんは小首を傾げた。心底理解不能、何を世迷い事をおっしゃっているのかと、そのように、陛下の言動の何もかもが、酒に酔った人間の戯言のように聞こえる、と言わんばかりの態度。


「人は木を切り、獣の住処を奪い、肉を食べねば生きていけない不完全な存在。生きる事は他を蹂躙し、奪い、身勝手に得る、見苦しいものでございましょう」

「……今はそういう話をしているのではない」

「何の違いが?何の差がございましょう。罪を自覚し磔刑になることだけが、人に残された選択肢だという話をされたいのでは?」

「……ヨナ!」


 怒号。

 びりびりと、私は陛下の本気の怒鳴り声に体を強張らせた。


「もがき、苦しみ、他人を巻き込み、血反吐を吐き散らしながら進むのが人間でございますよ」


 怒鳴られた張本人だというのに、それでもヨナおじいさんの声音は優しい。


「人の世とは、荒波のようなもの。嵐の中で、人は迷い溺れ、流され沈みゆくもの。貴方の光は一直線を指し照らす灯台の光。その光だけを見つめ進めることが出来たのなら、迷わずに生きられるのでしょう。ですが、人とは、そうはならない。そうは、なれないものなのです。このお若いお二人が、殿下の望む通りの変化、あるいは成長ができなかったとして、死を賜るほどのことでございましょうか?」


 そこまで言って、ヨナおじいさんはくるり、と私の方に振り返った。気を失ったヤシュバルさまを私から引きはがそうとして、その腕がぴくりとも動かないことに微笑をもらす。


「これだけの想いがあるというのに、まったく、これだからお若い方は」

「あ、あの?」

「いえいえ、なんでもありません。さて、異界のお嬢さん。貴方を大切に思っておられる方々は、自分たちが、貴方によって多少……損害を被るとして、貴方に「それなら死んでくれ」と、願うと思いますか?」

「それは、ないです」

「おや」


 私が迷いながらも、はっきり答えると、ヨナおじいさんは少し意外そうな顔をされた。


「さようでございますか」

「はい。カイ・ラシュも、マチルダさんも、スィヤヴシュさんも、シーランも……雨々さんとイブラヒムさんはちょっとわかんないですけど……でも、皆、良い人だから、そんな風には、思わない、です」

「人の善意、善性を信じておられるのですね」

「大切にして頂いていると思います」

「だというのに、彼らの想いを踏みにじれる。なるほど、これは、殿下がお怒りになられるわけだ」

「だろー、そいつら二人、死んだ方がいいだろー」

「殿下は黙っていてください」


 ぴしゃり、とヨナおじいさんが陛下の突っ込みを切り捨てた。


「さて……ふむ。こちらの青年より、まだお嬢さんのほうがいくらかマシだと思うのですが……今この場で、この青年が貴方と死んでもいいですか?」

「よくないです」

「では何か、差し出しなさい」


 ヨナおじいさんは膝を突き、私に目線を合わせる。


「何でも良いのですよ。殿下に、いえ、貴方の陛下に差し上げられる何か。陛下を納得させられるもの。それらを、貴方なりにお考えください」

「……私が、価値があると思えるもの、ですか?」

「そういえば貴方は、陛下に千のお料理を献上される、とそのようなお約束をされたのでしたね」


 その話をヨナおじいさんにしただろうか?

 けれど、知っていらっしゃるらしい。


「……」


 私は黙って思案する。


 ……自分がどうして「こう」なのか。私だって、わかっていないわけじゃない。

 もう終わったことだからと、さらりと流し続けられればいい前世のことを、今でもずっと引きずってしまっているのは、どうしようもないけれど、でも、中々に難しいことだ。


 ……その点も、陛下は、同じ転生者であるから「今の自分は何者なのか」と、暴きたかったのかもしれない。


「……キッチンを」


 私はゆっくり立ち上がり、とん、と、片足で地面を叩く。


 真っ白い何もなかった筈の空間が、がらりと変化する。


 銀の世界。

 大きな銀色の、巨大な箱が左右に置かれ、中央には銀の長い作業台。

 使い古された、けれど手入れの行き届いたガステーブルの火口は六つ。

 

 一歩、歩くごとに、視界が高くなった。キッチンの業務用冷蔵庫の前に立つ頃には、背は随分と伸びて、見慣れた高さになった。


 私は肩までの黒髪を腕につけていた髪ゴムでまとめ、黒いキャップを被る。


「グワッ」


 調理台の上には金のガチョウ。


 目が合うと「わかってるんだろうな。うまくやってくれよ」というようにウィンクされた。


 ……下町の、小さな食堂のアルバイトが、手伝いで学べる技術じゃない。


 けれど私は躊躇わず「まかせて」と頷いた。



 

 血抜きをし、お湯を使って脱羽したガチョウは、多少の骨の構造の違いを除けば、鴨や鶏と同じ八つ落としで処理できる。


「と、その前に、産毛の処理をしないとですね」


 ちょいっと、私はガスバーナーで表面に残った産毛を焼く。


「手慣れていらっしゃいますね」

「こうした処理は新人の仕事のうちなので。野菜を剥くのも早いですよ」


 まず脚の関節を落とし、手羽先部分も切っていく。骨があたるが、軟骨部分に包丁をあてるとそれほど力も必要ない。むしろ、力がいるということは、間違った部分に刃が当たっているということになる。


「兎のような小型の動物や、鳥類の解体なら手だけでもある程度可能なんです。まぁ、個人的にはハサミくらいは欲しいですけど」


 ペティナイフで太もも部分の皮を寄せ、皮だけ切って、関節を外し、肉の形に添って剥がしていけばすんなりと外れる。


 背骨に包丁を入れ、皮を切り、手羽元と一緒に切り取った。


 そこからは無言の作業。


 ヨナおじいさんは何も言わず、カウンター向こうの席で陛下と一緒に座った。


(私が初めて、丸鶏の解体をしたのは……十六歳の時だったっけ)


 就職したフランス料理店。

 朝は五時。夜は二時まで。


 殴られて失明しかけて、店を辞めるまでの約四年。


「…………何もかも、なかったことにしたかったんですけどねぇ」


 シュヘラザードが作るのは可愛いお菓子や、家庭で作れるような日本洋食料理。

 祝福の力で、前世で「読んだ」知識は、分量や料理の詳細をありありと、思い出すことが出来ても、使用する範囲はあくまで「ちょっと料理が好きな人間が知ってる」程度。


 なかったことに。

 

 何もかも、そんな「時間」はなかったと。

 ずっと、小さな食堂で、優しい親戚と一緒に楽しく料理を作っていただけの半生で。


「手伝おう」

「……あれ?ヤシュバルさま」

「何をすればいいか、指示を」


 低温のオリーブオイルの中でガチョウ肉を調理し、思考に沈む私の耳にヤシュバルさまの声がかかった。


「……何か?」

「いえ、いつもより……視界が高いなぁ、と」

「確かにそうだな。だが、私からすればあまり変わらないのだが」


 これでも160センチ近くはあったので、チビっこのシュヘラザードと一緒にされると、私としては不服である。


「まず全身きちんと滅菌して、コックコートに着替えるかなんかして頂きたいです。その銀色の扉の向こうがスタッフルームになってますから、私の記憶の再現通りなら、クリーニング済みの制服があるはずです」


 というか、先ほどヤシュバルさまは死にかけていらっしゃらなかったか。

 それがこうもあっさり、ピンピンしておられる。


「お怪我をされていませんでしたか?」

「空間が変わったからか、一度「なかったこと」にされたらしい」

「便利だな!!」


 確かに血みどろで厨房を汚されるのはあまり望ましくない。ので、その辺の私の願望が叶ったのか。


 さすが軍人さんというか、ヤシュバルさまの御着替えはとても早かった。待ってる間に私はホワイトボードにメニューと作業工程を……まぁ、日本語で書いてもアレなので、図を描く。


「まず三つの料理を作ります。ガチョウ肉のコンフィはあとは低温調理をするだけなので、ヤシュバルさまは腸詰肉の燻製をお願いします。私は白インゲンと豚肉の煮込み料理の仕込みをしますので」

「君の負担が多くないか?」

「私の調理技術は高いですが、人に指示を出す地位にはいませんでしたし、その能力もありません。ので、同時進行で複数の料理を調理するこの状況で、ヤシュバルさまに指示を出すことが負担です」


 おぉっといけね。

 地獄の職場のキッチンに舞い戻ったからか、口調からシェラ姫の可愛げがロスト!!


 こんな口をきくから殴られるんだよ~、と、前世の私の冷静な部分がツッコミを入れた。





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2023年11月1日アーススタールナ様より「千夜千食物語2巻」発売となります
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[良い点] ヨナおじいさんんんん
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