11、がっつり硬めのカラメルプリン
黄色、に近い妙な色合いの奇妙な物体。と、そのように周囲が警戒する『プリン』を前に、アグドニグル皇帝クシャナ・アニス・ジャニスは喜々と匙をつきさした。
既に毒見は息子のヤシュバルが行っていて、これは安全極まりないものである、という安心感からのその態度、というわけでもない。
(あの娘が毒など盛るものか)
口の中に広がるのは濃いカラメルのほろ苦い甘さ、それに生クリームと牛乳の絶妙なバランスで生じるクリーミーな味わい。
うんうん、これだこれ、とクシャナは懐かしさで胸がいっぱいになった。
「……へ、陛下。そのように……あまりに軽率に口に運ばれますのは如何なものかと」
「無粋な男よな。イブラヒム、ほれ、その方も食してみよ」
クシャナが許可すると、賢者イブラヒムの席が用意され即座にアグドニグルの給仕がプリンを運んで来る。献上されたプリンは三つ。そのうちの一つをヤシュバルが毒見し、一つをクシャナが食べている。もう一つは明日の朝の楽しみにしようとしていたが、頭の固い男がこのプリンを食べたらどうなるのか見て見たいという悪戯心もあった。
何しろあの娘がいる以上、今後何度でもプリンを食べることができる。出し惜しみをする必要もない。
「……わ、私はこのような……レンツェの食べ物など」
「レンツェの物ではない。それはその方もよく理解しておろう」
「……」
賢者イブラヒム。本来アグドニグルの“学問の塔”に籠っている筈の男がなぜこの戦争に駆り出されたのかと言えば、単純に通訳だ。といって、並の人間のように一々口で翻訳するのではない。賢者の特殊能力。その場に存在しているだけで、賢者の修めている言語であればその場の人間は皆「共通言語を話している」ようにお互いの言葉が通じるようになる。
実際クシャナはアグドニグルの公用語を話しているが、レンツェの姫の言葉を理解できた。言語とは為政者にとって武器であり文化の証明と象徴で、“賢者”の素質を持つ者が各国で奪い合いになるのもこの特殊能力が一つの理由だろう。
まぁ、それは今はいいとして。
「……な……なんだ、これは……」
目の前に用意されたプリンを見て、イブラヒムが眼鏡をかけ直す。
どう食していいのか、賢者が最適解を出すのをクシャナは黙ってみていた。プリンはスプーンですくって食べるもの、だが、賢者はナイフとフォークで切り分けようとする。
硬いプリンであるのでそれは可能だが、切られたプリンをフォークに載せ、イブラヒムは目を見開いた。
「……これは……報告には、材料は卵と牛の乳それに砂糖が主だと……しかしなぜ……このような塊に?……卵は確かに、火に通すと硬くなるが……だが、このような……つるつるとした……この弾力は……」
この場にあの娘がいれば作り方を説明しただろう。が、クシャナはプリンの作り方など知らない。そういうものがあるのは知っていて、この世界で再現できなかった物は多くある。
「……っ」
恐る恐る、イブラヒムがプリンを口にした。目を閉じて、そんなに恐れるものでもないだろうに、まるで火の玉を飲み込むかのような警戒心。しかし、次の瞬間パッ、と目を見開いた。
「……!……っ……」
ころころと変わる表情。クシャナの方を見て、自身もスプーンを手に取り、今度は何度も何度も、口に運ぶ。
七割食べてしまったところで、イブラヒムが我に返った。
「……こ、これは……な、なぜ…残りがこんなに、少なく……」
「自分で食べたからな」
クシャナはゆっくりゆっくりとプリンを味わっているのでまだ半分以上ある。
「……陛下」
「ならぬぞ。あの娘は今宵多くの事あり休息が必要だ。よもやその方、幼子を叩き起こして料理をさせる気ではあるまいな」
「……陛下はこれほどのものだと、ご存知で?いや、そもそも、なぜ……まともに養育されていなかったあの姫が、このようなものを知っていたのか……」
クシャナは答えなかった。
ここではない別の世界。魔法とは違う、高度に発達した“科学”が文明を作り上げる異世界での、まるでおぼろげな記憶。
必死必死に生きていて、誰よりも幸福になりたかった。乾いていた。世にある、多くの人が当り前に与えられた何もかもを、与えられることなく生きて来た故だろうか。地位を、名誉を、他人からの承認と称賛を何よりも欲して、ただがむしゃらに生きていた。
走り続けて、走り続けて、少し、疲れた。
『いらっしゃいませ、あぁ、××さん。こんにちは、今日は何になさいますか?』
そんな時に、ふと、何の気まぐれで入った下町の食堂。
そこにいた、まだ幼さの残る年若い娘が自分に向けてくれた笑顔と、そしてそこで出される数々の料理。
多忙で、週に一度通うくらいであったけれど、いつも食後にはプリンを頼んだ。
(レンツェの姫が、プリンと言い出した時には驚いた。食べられるのならと機会を与えたが、まさか)
あの時の驚きは、周囲には伝わらなかっただろう。
どんな命乞いをするのかと、そう待っていた。本気で幼い子供の命を奪おうとは思っていなかったが、しかし、まさか「プリン」という単語が出るとは、思いも依らないこと。
今の己はアグドニグルの皇帝陛下クシャナである。遥か遠き、前世の記憶は霞、自分が自分であることに疑いはない。けれど、懐かしい味と思いは触れれば色鮮やかに蘇るもの。
千日、あの娘は尽きることなく料理を作れるだろうか?
皇帝として宣言したからには、一日でも「不可」となる料理があれば、宣言の通りにするつもり。そこに「オマケ」「恩情」を与えるつもりはクシャナにはない。
「ヤシュバルが何を考えているのかはわからぬが。当分は私も国で大人しくするとしよう」
千日続いてくれという希望は、レンツェの民だけのものにはならない。
この宣言を聞いた周辺諸国も、必死に「千日続いてくれ」と願うのだろう。
天下布武を掲げるアグドニグルの皇帝が千日、本国に留まるのなら、どれほど安心できるか。
この間に各国が何をするのか、それを想像するのも楽しいと、クシャナはプリンの最後の一口をゆっくりと飲み込んだ。




