六十三話 神隠しの妖怪(美知子の妖怪捕物帳・什伍)
俺は新年のあいさつを済ませたので早々に帰りたかったが、祥子さんの父親に「こちらに来なさい」と言われては帰るわけにいかなかった。下宿の件でお世話になっているしね。
俺は祥子さんの隣に移動すると、同席している男性二人に頭を下げた。
「私は祥子さんの後輩で、藤野美知子と申します。初めまして。あけましておめでとうございます」
「ああ、おめでとう」とそっけない表情で返すソース顔の男性。
「おめでとうございます」としょうゆ顔の男性はにこやかに返事をしてくれた。
「美知子さんは祥子の下宿に同居して、料理などの家事を手伝ってもらっているんだ」と俺を説明する祥子さんの父親。二人の男性は俺のことをお手伝いさんか何かだと思ったことだろう。誤解とは言えないが。
「この方たちはおじさまのお仕事に関係しておられる方ですか?」
「ああ。手前にいるのが四菱通商の加納君、もうひとりが東田商事の丹羽君だ」
どちらも誰もが知る一流会社だ。祥子さんのお父さんは輸入業者をしていると聞いたが、仕事上の関係があったのだろう。
「お二人ともご立派な方ですね。ひょっとして祥子さんのお婿さん候補ですか?」と言ったら、ほかの人に見えないように祥子さんが俺の足をつねった。
「はっはっは。そういうわけではないのだがね。・・・この美知子さんも実に家庭的な女性で、嫁にするといいと思うよ」と父親が俺のことをほめた。
社交辞令だと思うが、しっかり否定しておこう。齋藤さんや佐藤さんだったら、チャンスと思って自分を売り込もうとするかな?
「とんでもないです、おじさま。私が男性だったら迷わず祥子さんを選びますわ」
そう言ったらまた祥子さんに足をつねられた。微笑みながら。・・・そろそろ足がしびれ始めてきたので、やめてほしいのだが。
「とにかく二人とも飲みたまえ。美知子さんも飲むかい?」
「いいえ、私は弱いので」と俺が答えるのと同時に、祥子さんがソース顔の加納さんのおちょこにお酒を注いだ。
二人の男性は祥子さんにお任せすることにして(その方が二人も喜ぶだろう)、俺はとっくりを持って父親の隣に移動した。
「おじさま、おひとつどうぞ」
「すまんな」と言っておちょこを出す父親。
「そうそう。美知子さんが来るときいていたから、これを用意しておいたんだ」と言って父親は懐からポチ袋を出した。
「いいえ、いけません。いつもお世話になっているのは私の方でから」と固辞したが、無理矢理手渡された。
しかたがない。三澤先生からももらってしまったから、受け取らないわけにはいかない。そう思って俺はお礼を言った。
「美知子さんは短大で英語研究会に入っておられて、英語がぺらぺらですのよ」と祥子さんが二人の男性に言った。それは明らかに嘘なんですが。
「ほう、それは頼もしいですね」と俺に笑顔を向けるしょうゆ顔の丹羽さん。
「将来、外国の支社に栄転されたら、美知子さんみたいな方が一緒だと心強いですわよ」と、同じく英語研究会の部員である祥子さんが言った。
これは二人の注意を俺に向けさせようという魂胆か?しかし強硬に否定するのも場を読まない行為なので、「そんなことありませんわ」とやんわりと否定するのに留めておいた。どうせこの二人は俺になんか興味を示さないだろう。
「美知子さんは先月大学で落語を披露したそうだぞ。落語研究会にも入っていたかな?」と父親が言い、「落語?」と二人が怪訝な顔つきで俺を見た。父親は俺をほめようと思っているのか、笑い者にしたいのか、よくわからん。
「あれはつき合いでしかたなく。・・・落語なんてほんとはできません」と否定しておく。
「人前で披露できるのなら大したものですよ。今度、うちの会社の懇親会に来てもらおうかな」と丹羽さん。芸人扱いされてきたな。
「呼んでいただけたら、私の従妹の杏子と一緒に落語をしてくれますよ」と祥子さん。
「杏子?」聞き返す加納さん。
「私より美人でおしとやかな従妹です。ただ、なぜか落語や漫才が好きで、美知子さんと一緒に時々披露してくれますのよ」
「ほう、それは興味深い」と加納さんが言った。落語より「美人の杏子さん」に魅かれての反応だと思う。
しかし加納さんはほんとうに落語に興味があるようで、どんな演目が得意かと追求してきた。
しかたなく俺は先月の卒業記念公演に触れ、落語が得意なのは上谷部長で、自分は初心者であること、杏子さんも初心者に毛が生えた程度であることを説明した。本気で招かれたら困るからね。
落語に関する話題が終わったら今度は経済や貿易に関する話に変わり、俺はよくわからないながらも逃げ出すことができず、微笑みながら同席し続けた。
一時間ぐらい我慢しただろうか?祥子さんがしびれを切らしたのか、
「お父様、美知子さんと学業のことで相談があるので、一時席を外してよろしいでしょうか?」と言った。
「わかった。美知子さんもつき合わせて悪かったね」
「それでは中座します。どうぞごゆっくり」と祥子さんが二人の男性に頭を下げて立ち上がったので、俺も「失礼します」と言って後を追った。
そのまま祥子さんの部屋に移動する。
「つき合わせて悪かったわね」と謝る祥子さん。
「あのお二人は祥子さんのお婿さん候補ではないんですね?」
「父もそこまで考えてはいないんだけど、将来が有望な青年と知り合ったら時々家に招いてくるの。今すぐではないにしても、嫁ぎ先に困らないようにと漠然と思っているのかも」
祥子さんなら黙っていても売り手市場になると思うが、「お婿さんを取って跡取りにするんじゃないんですか?」と聞いた。
「それはあまりこだわっていないみたい。どうなるかわからないけどね」
祥子さんの相談事というのは実は方便で、その後はただ雑談をしていた。俺が就職活動のことを話すと、「父にもいい就職先がないか聞いておくわ」と言ってくれた。ただし、英語がぺらぺらだなどと誇張はしないでほしいと念を押した。
そろそろさっきの客間に戻ろうと思って祥子さんと一緒に部屋に出ると、廊下でトイレに行っていたらしい加納さんに出くわした。
会釈をして先に行かせようとしたら、「あ、君。・・・藤野さんだったね。ちょっといいかな?」と呼び止められた。
祥子さんじゃなくて俺に用事?といぶかしんだが、無視するわけにもいかず、
「はい。ご用でしょうか?」と答えた。
祥子さんはそんな俺を置いて先に客間に戻って行った。
「君の下宿の連絡先を教えてもらえないかな?」と仏頂面で言う加納さん。
何で俺?と一瞬思ったが、さっき祥子さんの父親から俺が祥子さんと同居していることを聞いていたので、祥子さん狙いだな、とすぐにピンときた。
「下宿には電話はありません。住所は、祥子さんと同居しているので、勝手にお教えすることができません。祥子さんにお聞きください、申し訳ありません」と謝った。
加納さんは「それは残念」とあっさり引き下がり、「君は短大生なの?」と当たり障りのないことを聞かれながら一緒に客間に戻った。
客間では祥子さんの母親も同席していた。祥子さんが席を外していた間、代わりに相手をしていたのだろう。
俺は全員に、「それでは私はこの辺で失礼いたします」とあいさつして帰らせてもらった。
帰宅後のんびりしていると、夕方六時前に電話がかかってきた。俺が受話器を取ると、祥子さんの声がした。
「もしもし、美知子さん?明日、会えないかしら?」
「明日は特に用事はありませんが」
「駅前の喫茶店に来てくれない?」
「いいですけど。・・・何かありますか?」
「実は今日私の家に来ていた加納さんと丹羽さんが、美知子さんに相談したいことがあるって言うの」
「私に相談ですか?どのような相談ですか?」
「美知子さんが帰った後、話題がなかったので、美知子さんが妖怪ハンターとしていくつも謎を解いているって話しちゃったの。そしたらいたく興味を示されて、自分たちにも不思議な経験があるので、その謎を解いてほしいって頼まれちゃったの」
「妖怪ハンターと正式に標榜しているわけじゃないんですけどね」
「断るに断れなくて、ごめんなさいね」
「自分たちって言われたんですね?お二人は友人どうしなのでしょうか?」確か違う会社に勤めていたな。
「そうなの。お二人は幼馴染で、しかもこの市の出身らしいの」
「なるほど。・・・祥子さんも来られますか?」
「もちろん。迷惑をかけるかもしれないからね」
「わかりました。それでは駅前で待ち合わせしましょう」俺は待ち合わせ時刻を決めて電話を切った。
翌日、昼食を済ませると俺は駅前に行った。寒いので駅舎の中で待っているとまもなく祥子さんと加納さん、丹羽さんが入って来た。
「美知子さん、悪いわね。それでは喫茶店でお話を伺いましょう」と祥子さんが言い、以前にも行ったことがある喫茶店に入った。
男女で向かい合って席に着き、俺と男性二人はホットを、祥子さんはミルクティーを注文した。
「私のことをどうお聞きになったか知りませんが、お役に立てるかどうかはわかりません」とまず逃げ道を作っておく。
「それでもかまわない」と加納さん。そして丹羽さんと顔を見つめ合うと、
「では、僕から説明しよう」と、丹羽さんが話し始めた。
「僕たち二人は幼稚園からのつき合いで、幼い頃からよく一緒に遊んでいた。そのことがあったのは小学一年生の春休み前だったと思う」
「昭和何年ですか?」
「昭和二十四年だよ」と加納さんが口をはさんだ。約二十一年前だ。丹羽さんの話が続く。
「その時僕らは路上で遊んでいたけど、僕らの近くをひとりの女性が通り過ぎたんだ。その女性の顔だちと年格好は、目の前にいる黒田祥子さんによく似ていた。・・・とてもきれいな人だったので、二人で何となく後を追った」
祥子さんみたいな美人なら、子どもでも興味を引かれることだろう。
「そこは住宅街で、住宅の周りはどこもブロック塀で囲まれていた。その女性が通りの角を曲がったので、僕たちが早足で追いかけて角を曲がったら、その女性はいなかった。忽然と姿を消してしまったんだ」
「その近くの住宅の入口か木戸にでも入ったんじゃないですか?」と私は聞いた。
「それがそこには古い大きな倉庫のような建物しかなかったんだ。壁と屋根はトタン板で覆われ、入口は同じくトタン板で覆われた大きな観音開きの扉で、長い鉄の棒の閂が外からかけられていた。その倉庫に入る時間はあったけど、建物の中から扉の外側にある閂はかけられない」
「ほかには入口はなかったのですか?」
「塀との間に、子どもの僕らでもやっと通れるか通れないかの隙間しかなく、しかも雑草が生えていたので、その女性が建物の周りを回って奥に入っていったとは考えられなかった」
「その倉庫はまだあるのですか?」と聞いたら、加納さんと丹羽さんが同時に首を横に振った。
「中学に入学した後でそのことを思い出して現場に行ってみたけど、既に取り壊されたのかその倉庫はなく、住宅が建ち並ぶだけだった。場所を間違えたのかと思って近くを回ってみたけど、やはりその倉庫らしき建物はなかった」
「なるほど。街中で起こってますが、まるで神隠しですね」神隠しは隠し神という妖怪の仕業との俗信がある。そして似たようなことが前にもあったことを思い出した。
「その年なら私はまだ生まれていません」と祥子さん。
「年齢的には私の母かもしれませんが、その話を昨日聞いた時、母は自分ではないと言っていたわ」
祥子さんの母親も美人だ。いや、美人の母親に祥子さんが似ているのだ。祥子さんの母親が嘘をついたと疑う根拠は今のところない。
「何かわかったのかい、妖怪ハンターさん?」と加納さんがからかうように聞いた。
「心当たりはあります」と俺が答えると、三人ともおもしろいほど驚いていた。
「今の話だけで真相がわかったの?」と聞く祥子さん。
「心当たりがあるだけです。扉の閂が閉まっていたことも気になりますが、その建物がなくなった今では確認することができません」
「じゃあ、結局わからないって結論なのかい?」と丹羽さんが聞いた。
「現時点ではわかったとは言えませんが、心当たりを調べてみます。それで何かわかったら、来週以降に報告するということでよろしいでしょうか?」
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科一年生。
黒田祥子 美知子の同居人。秋花女子大学二年生。
加納大二郎 黒田家の客。四菱通商の若い社員。
丹羽彰人 黒田家の客。東田商事の若い社員。
齋藤美樹 美知子の元クラスメイト。家事手伝い。
佐藤孝子 美知子の元クラスメイト。家事手伝い。
水上杏子 美知子の同居人。秋花女子大学二年生。祥子の従妹。
上谷葉子 秋花女子大学四年生。落研部長。




