六十一話 クリスマスと映画
秋花女子短大は昭和四十四年度は十二月二十四日(水)から冬休みが始まり、一月五日(月)から講義が始まる。そして一月中に講義と試験が終わる。
二月七日(土)に入学試験があるが、関係のない在学生は、追再試や補講がなければ二月から三月にかけて春休みとなる。そこで大阪に実家がある佳奈さんから、春休みに大阪万博を観に来ないかと誘われていた。
「三月二十日頃から一週間ぐらい来なさいよ。その間、家に泊まって」と佳奈さんが言ってくれた。
「その一週間、毎日万博を観に行くの?」と芽以さんが聞いた。
「毎日行ったら入場料が馬鹿にならないわよ。行くのはせいぜい一日か多くても二日ね。ほかの日は私と一緒に京阪神を回って遊びましょうよ」と佳奈さん。
宿泊がただだとしても、交通費や外食代がけっこうかかりそうだ。俺は家庭教師を頑張って続けており、それなりに貯金も溜まってきたが、春休みに全額がなくなりそうな予感がする。
家庭教師をしている眞鍋英子さんの英語の成績は上がっていて、二学期の英語の試験も「けっこうできました」と言っていた。
英子さんの母親にもいたく感謝され、
「冬休み中も家庭教師をお願いします。ボーナスを弾みますから」と頼まれた。英子さんはげんなりした顔をしていたけど。
そこで十二月二十七日(土)、二十八日(日)、一月四日(日)の三回家庭教師に行くことになった。俺としても冬休みはゆっくり休みたいが、大阪旅行の資金を稼がないといけないので、頑張って英子さんを指導しよう。
ちなみに『人魚姫』の英文和訳はとっくに終わったので、今読ませているのは三年生の教科書に載っている『Goodbye, Mr. Chips(チップス先生さようなら)』だ。・・・来年の教科書に載っているかどうかは確認していないが。
十二月に入ってから少しずつ英訳させていたら、ある日、
「二十日から『チップス先生さようなら』の映画が封切りされるって。先生、家庭教師の一環として、一緒に映画を観に行かない?」と英子さんが言ってきた。
「映画を観る?それじゃ英文読解の勉強にならないんじゃないの?」と反論したが、
「洋画なんだから実際の英会話が聞けるのよ。それも英語の勉強にならない?」と言い返してきた。
俺はその言葉を聞いて、英研の合宿の際に天野部長が言っていたことを思い出した。
「確かに英会話の勉強にはなるかもしれないけど、映画を観たいならお友だちと行ってきたら?」
「家庭教師の勉強をする代わりの英会話学習なのよ」
「でも、映画を観るとなるとお金がかかるし・・・」
「じゃあ、私がお母さんに談判して、先生の分も出してもらうわ!」そう言って英子さんは母親に話をしに行った。
いろいろ言い合ったらしいが、結局十二月二十八日(日)の家庭教師は俺が英子さんを映画館に引率することになった。その日の家庭教師代は出してくれるらしいが、ボーナスは映画代になった。とほほ。
十二月二十三日の講義が終わると、俺は下宿に戻って荷物をまとめ、家に帰った。祥子さんは英研の人と、杏子さんは上谷先輩との約束があるそうで、下宿に残るということだった。
「私は二十七日に家庭教師があるのでまた戻って来ますが、二人はいつまでいますか?」と聞いた。
「美知子さんはいつ帰るの?二十八日の夕方?」
「そのつもりです」
「その日に一緒に帰ろうか?」と祥子さんが言い、杏子さんもうなずいた。
「それから元日か二日に新年のごあいさつに伺います」下宿に同居させてもらっているから、二人の両親にもあいさつをしなくてはならない。
「水上家の新年会は一月三日にするから、それにも参加してね」と杏子さんに頼まれた。
「その日なら大丈夫です。よろしくお願いします」
そう言い残して下宿を出る。もちろんドレスを忘れずに持って帰る。帰りに百貨店で手土産用の懐中汁粉を買った。
翌日の午後四時頃になると俺はドレスを着始めた。卒業記念公演の時にも借りていた杏子さんのショールは返したので、マフラー、コート、毛糸の手袋と帽子を寒さ対策で身に着ける。
しばらくすると、玄関が開いて声がした。
「古田家からお迎えに参りました。藤野家のお嬢様、ご準備はできましたでしょうか?」
昨年と同様、古田さんちの運転手さんが迎えに来てくれたのだ。俺は返事をして急いで玄関に向かった。
「お待たせしました。今日もよろしくお願いします」
一緒に玄関を出て、黒塗りの車の後部座席に乗せてもらう。寒いけど、雪は降っていない。
古田さんの家の前に着くと、運転手さんが先に降りて後部座席のドアを開けてくれた。ほんとうにお嬢様になった気分だ。
「ありがとうございました」とお礼を言ったが、運転手さんはそのまま古田家のドアホンを鳴らしながら、玄関ドアを開けてくれた。
「いらっしゃい、生徒会長」と古田さんが玄関まで出迎えてくれた。
古田さんも去年と同様に紫色のサテン生地でできたふりふりのドレスを着ていた。応接間に招き入れられてコートなどを脱ぎ、隣の食堂に入ると、既に大野さんたちが来ていてあいさつをしてくれた。
「お待たせしました、みなさん」そう言いながらテーブルの上に並べられた料理を気づかれないように見回す。料理の入ったお重と皿に盛られたクッキーもあり、これらは矢田さんと葉山さんが持って来たものだろう。
着物を着た古田さんの母親が入って来てあいさつしてくれる。
「今年もお招きいただきありがとうございました。よろしくお願いします」と俺もあいさつを返す。そして手土産として持って来た「懐中汁粉」を差し出した。
「つまらないものですが、どうぞ」
「あらまあ、お気を遣わせて悪いわね」と言って受け取る古田さんの母親。
「さあ、みなさん、たいしたものは用意できませんでしたが、どうぞ召し上がって」
「ありがとうございます。いただきます」と言って俺たちはジュースを乾杯してから料理を取り分けた。
「生徒会長さんは、・・・あら、ごめんなさい、今年の生徒会長は和歌子だったわね。藤野さんは秋花女子短大に入学されたんでしたわね?」
「はい、そうです」
「どんなご様子かしら?」と聞かれたので、俺は授業科目や試験、レポートの提出頻度など、主に勉強の内容を答えた。
「部活はされているの?」と大野さんが聞いた。
「ええ、英語研究会というところ。黒田祥子先輩も部員なのよ」と言うと、祥子さんを崇拝している古田さんが食いついてきた。
「どういうクラブなの?」
そこで俺は部員数、英研の雰囲気、夏休みの合宿や大学祭での英語劇の説明をした。
「とても楽しそう。勉強にもなるし・・・」
「古田さんも大学を受験するんでしょ?」と聞くと、
「ええ、私と美里は四年制の大学を受験するつもり。秋花女子大学も志望校のひとつよ」と古田さんが答えた。
「私と芳野は、家から通える短大を考えているの」と矢田さんが言った。
「みんな受験勉強が大変ね。でも、あと一踏ん張りだから頑張ってね」
「はい!」と四人は答えた。
その後も雑談をしながらおいしく料理をいただきながら雑談した。俺は家政学科の坂田さんや、女子大の祥子さんたち、徳方大学に入学した柴崎さんの大学生活などを知る限り説明した。
「今年はザ・タイガースに気を取られている余裕はないわね?」と俺が聞くと、
「はい、七月にザ・タイガースの映画『ハーイ!ロンドン』をみんなで観に行きましたが(「五十年前のJK」アフターストーリーズ六十一話参照)、その後はいろいろ忙しくて」と古田さんが答えた。
「そうね。わかるわ」
「でも、去年よりは人気が落ちてきたような気がしました」と大野さんが言った。
「グループサウンズも全盛期が過ぎたのかもね。でも、ジュリーは人気があるから、いずれソロ歌手として再デビューするでしょうね」
「さすがは藤野先輩。未来が予測できるんですね?」と葉山さんに感心された。
「ま、まあ、そうね。・・・芸能界全体の流れを見れば何となくわかるわよ」と俺は偉そうなことを言ってしまった。
「タイガースのほかのメンバーはどうなるの?」と矢田さんが聞いてきた。
「そうねえ。・・・サリーとシローは俳優とか、ほかの仕事をするのかな?ほかのメンバーはそれぞれ音楽活動を続けるのかな?さすがによくわからないわ」
「ほんとうに未来に行ってきたようなことを言われるんですね」と大野さんに指摘され、俺はどきりとした。
「ま、まあ、単なる私個人の予想だから、そうなるとは限らないから」と俺は予防線を張っておいた。
お料理をおいしくいただいた後でクリスマスケーキと矢田さんが作って持って来たクッキーをおいしくいただいた。こうして楽しい時間を過ごし、パーティーが終わると去年と同じように古田さんちの車で家まで送ってもらった。
十二月二十七日になると、俺は家庭教師の準備をして家を出た。そしてお昼過ぎに英子さんの家に行き、この日は英単語と文法の復習をし、明日映画を観に行く予定の『Goodbye, Mr. Chips(チップス先生さようなら)』の英文を少しだけ翻訳した。
『チップス先生さようなら』のあらすじは、生徒に親しまれているチップス先生の結婚と死別、生徒との交流を描いた名作だ。
「感動的な内容だけど、この全部が一本の映画におさまるのかしら?」と英子さんが疑問を呈した。
「小説などが映画化されると、多かれ少なかれ脚色されるからね。適当に話を省略するんじゃないの?」
「そうか、そうよねえ」と納得する英子さん。
「ところで、この小説には、『To You, Mr Chips』という続編があるそうよ。私は読んだことがないから、どんな内容なのか知らないけど」と俺は補足した。
その日は下宿に泊まり、翌朝、簡単に掃除をしてから英子さんの家に向かった。九時過ぎに英子さんの家に着くと、英子さんと英子さんの母親が出てきて、
「今日もよろしくお願いします。映画代は英子に渡しておきましたから」と言われた。
「映画代を出していただきありがとうございました。勉強になるよう指導します」と俺は答え、映画館に向かって出発した。
一番近い映画館の最寄りの駅まで電車で行く。この頃は平成時代よりも映画館が多い。年季の入った映画館に着くと、英子さんにチケットを買ってもらって映画館の中に入った。
朝一番に開始された映画はまだ終わっていなかった。この時代の映画館はいつでも自由に入れるので、後の入口からそっと中に入り、立ってスクリーンに映し出された映画を眺めた。既にスタッフロールが流れているところだった。
まもなく映画が終わって照明が着いた。俺は英子さんと一緒に適当な席に座り、次の開演を待った。
「名作小説の映画を観るのは初めてだわ」と英子さん。
「今までどんな映画を観たの?」
「去年は友だちと『卒業』を観に行ったわ。ダスティン・ホフマンが花嫁を結婚式場から連れ出すシーンには感動したわ」
「そうね。映画史に残る有名なシーンね。実際にあんなことをしたら後が大変だろうけど」
「サイモンとガーファンクルの『サウンド・オブ・サイレンス』の曲も流れて良かったわ」
「名曲ね」
そこまで話した時、映画が始まるブザーが鳴った。スクリーンに注目する俺たち。
『チップス先生さようなら』の映画は、この時期のアメリカ映画としては一般的なミュージカル映画だった。そしてチップス先生が恋して結婚する相手は、原作小説では家庭教師だったが、映画ではミュージカル女優になっていてかなりのギャップがあった。
ヒロインをミュージカル女優にした方が、ミュージカル映画として違和感が生じないからだろう。しかし原作の改編はそれだけではなかった。
原作では第一次世界大戦より前にチップス先生は結婚し、まもなく妻を亡くしている。しかし映画では、妻は第二次世界大戦時にナチスドイツのV1ミサイル空襲で亡くなったことになっていた。
その方がより劇的で、映画制作の演出としては妥当なのだろう。
しかし『Goodbye, Mr. Chips(チップス先生さようなら)』の原作者は、もう亡くなっているが、これほど改編された映画を観たらどう思ったことだろう。原作と映像作品の乖離は、この時代にもあったのだ。
六十一話登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科一年生。
丹下佳奈 秋花女子短大英文学科一年生。
嶋田芽以 秋花女子短大英文学科一年生。
眞鍋英子 若草女子高校二年生。美知子の家庭教師先の教え子。
天野有美子 秋花女子大学三年生。英研部長。
黒田祥子 秋花女子大学二年生。英研部員。
水上杏子 秋花女子大学二年生。落研に所属。
上谷葉子 秋花女子大学四年生。落研部長。
古田和歌子 松葉女子高校三年生。一組の委員長兼生徒会長。
大野美里 松葉女子高校三年生。一組の副委員長。
水上明日香 松葉女子高校二年生。一組の委員長。
矢田みすず 松葉女子高校三年生。古田和歌子の友だち。
葉山芳野 松葉女子高校三年生。古田和歌子の友だち。
坂田美奈子 秋花女子短大家政学科一年生。英研部員。
柴崎由美 徳方大学一年生。幼児教育研究部部員。
映画情報
ピーター・オトゥール主演/チップス先生さようなら(1969年12月20日日本公開)
ザ・タイガース主演/ハーイ!ロンドン(1969年7月12日公開)
ダスティン・ホフマン主演/卒業(1968年6月8日日本公開)




