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気がついたら女子短大生(JT?)になっていた  作者: 変形P
昭和四十四年度(短大一年生・夏休み編)
31/75

三十一話 家庭教師に行く

八月二十日の水曜日になった。今日は家庭教師に行く日だ。


朝食を食べ終えると、昼食用におにぎりを握った。今夜は下宿に泊まる予定だが、一泊だけなので台所を使って汚したくなかったからだ。夕飯もどこか外ですませようと思う。


小さめの鞄におにぎりと教科書と作った試験問題などを入れ、祥子さんから預かっている下宿の鍵を持っていることを確認した。


準備が終わると俺は母に断って家を出た。そのまま駅に向かい、都内方面の電車に乗る。・・・家庭教師先には手みやげはいらないだろう。


電車を乗り継ぎお昼前に下宿につくと、管理人さんに断ってエレベーターに乗り、三階の部屋に入った。


荷物を置くととりあえず掃除だ。半月ほど誰も使ってないが、それでもほこりはたまる。はたきをかけ、ほうきで履き、テーブルなどは布巾で水拭きをする。簡単な掃除だが、それでも終わったときにはお昼を過ぎていた。


やかんでお湯を沸かすとお茶を淹れ、テーブルにおにぎりを広げて食べ始めた。食べ終わる頃に、俺は突然緊張し始めた。


今まで家庭教師をすることをあまり心配していなかった。去年、祥子さんに受験勉強を見てもらったことを思い出しながら準備をしてきたので、なんとかやれるだろうとたかをくくっていた。


しかし家庭教師をするのは前世(未来)を含めて生まれて初めての経験だ。初対面の高校生とうまく会話ができるだろうか?納得してもらえるような教え方ができるのだろうか?相手の高校生やその親御さんに気に入ってもらえるだろうか?などということが急に気になってきた。


無用な心配をしても始まらない。うまくいかず次回からの家庭教師を断られてしまっても、いい経験をしたと割り切って次の家庭教師先を探すだけだ。そう考えて何とか気を落ち着かせた。


家庭教師は三時からの約束だった。先方の家は下宿からあまり離れておらず、電車で一駅先の住宅街と聞いている。


そのとき、俺は家庭教師先の家の場所をはっきりと確認していないことに気がついた。知っているのは住所だけだ。


俺は下宿の本棚から都内の地図を取り出すと、その住所付近を探した。・・・詳細な住宅地図ではないので、おおざっぱな道路の配置しか確認できない。早めに現地に行って、訪問先を確認する必要がある。・・・どうしても見つからなかったら現地近くの交番に聞くか、通行人に聞くか、あるいは電話番号を聞いているので、赤電話(公衆電話)から先方に電話をかけて道順を聞くことになるだろう。


俺は地図も鞄に入れ、一時半になると下宿を出て現地に向かった。電車に乗って次の駅で降り、目的地の住宅街に進む。・・・ここまではいいけれど、目の前に広がる住宅街のどこに目的の家があるか探し出すのが大変だ。


相手のお宅は「眞鍋」さんだ。俺は住所の番地あたりの路地を歩きながら、玄関にかかっている表札を順に見て行った。・・・なかなか見つからない。


赤電話が置いてある店も交番も、駅から離れるとなさそうだった。たまたま出会った通行人に聞いたとしても、目的のお宅を知っているとは限らない。


途方に暮れかけたときにようやく「眞鍋」家が見つかった。二階建ての一軒家だ。


かなり時間をかけて探していた気がするが、今何時だろう?腕時計を持っていないので正確な時刻がわからない。もちろん、住宅街の通りに大時計があるわけもなかった。


声をかけようかかけまいかとしばらく逡巡していると、二階の窓に人影がよぎった気がした。レースのカーテンが閉まっているのではっきりとはわからなかったが。


もし気づかれてしまったとしたら仕方がない。少し早い気がするが、思い切って玄関のドアホンを押した。


「はい」と返事がして、間もなくドアが開いた。顔を出したのはアラフォーの女性だった。


「はじめまして。家庭教師の藤野です」と俺が頭を下げると、


「お待ちしていたわ。どうぞお上がりなさい」と招き入れられた。


「失礼します」と言って玄関で靴を脱ぐと、そのまま応接間に通された。言われるままにテーブルの椅子に腰をかける。


「お茶を淹れますからお待ちになって。娘も紹介しますわ」


応接間を出て行く女性。俺はほっとして室内を見回した。


まず目に入ったのがサイドボードの上の置き時計だ。時間を見ると二時三十五分頃だった。少し早いが、早すぎると言うほどでもないかな?それとも、思ったより早く来たので、若干迷惑がられているのかもしれない。


応接間の中にあるその他の家具は、中流家庭には平均的なものに見えた。テーブルの上には白いテーブルクロスが敷かれ、大きなクリスタル?の灰皿と卓上ライターが置いてあった。椅子は布張りだ。


窓は少しだけ開かれ、レースのカーテンが揺れている。その下に扇風機があって、俺に向かって風を送っていた。


十分ほど待っていると応接間のドアが開いて、先ほどの女性がお盆を抱えて入って来た。その後から高校生くらいの女の子がついて来た。


俺の向かい側に座る母子。母親の方はお盆からソーサーに載せた紅茶入りカップを取って三人の前に置き、砂糖壷とクリープをテーブルの真ん中に置いた。


「は、はじめまして。秋花しゅうか女子短大英文学科の藤野美知子と申します」と俺は改めてあいさつした。


「これはご丁寧なごあいさつを。とりあえず紅茶をお飲みになって」と母親に言われる。


俺は促されるまま砂糖壷の中の角砂糖を二個紅茶に入れ、さらにクリープをひとさじ注いだ。クリープはインスタントコーヒー用の粉末クリームだが、この家では紅茶にも入れるのだろう。


同じように母子が紅茶に砂糖とクリープを入れると、改めて俺の方を向いた。


「ようこそ、藤野さん。この子が高校二年の英子ですの」と娘を紹介する母親。


「はじめまして。よろしくお願いします」と頭を下げる娘。肩に三つ編みを二本垂らしており、その顔は利発そうで、そこそこ美少女だった。


「この子は頭はそれほど悪くないと思うのですが、なぜか英語が苦手でなんですの。英文学科に入学されている藤野さんには期待しています。よろしくお願いしますね」


「は、はい・・・」責任をひしひしと感じてしまう。


「ところで藤野さんは女子高で生徒会長をしておられたとか。さぞかしお勉強ができたのでしょうね?」と、短大の紹介状に書いた俺のプロフィールについて聞かれた。


「い、いえ。郊外の小さな女子高ですから、たいしたことはありません」と謙遜する。


「それより、英語だけが苦手とお聞きしましたが、ほかの教科の成績は悪くないのですね?」


「英子、去年の通信簿を持って来なさい」と母親に言われ、英子と呼ばれた娘はしぶしぶ応接間を出て行った。


「英子と名づけたのに、英語ができないなんてねえ。・・・やはり英語ができないと困りますわね?」


「そうですね。単に受験科目だからと言うだけではなく、理系文系関係なく、英語の学力が高い学生の方が進学後の成績も良いと聞きます」


「将来、英語を使う職に就くかどうかという単純なことではないのですね」と母親が納得して言った。


まもなく英子さんが高校一年生と二年生の通信簿を持って来た。


「拝見します」と断って中を見せてもらうと、一年生のときも二年生の一学期も、英語の成績は五段階中の二だった。現代国語は五、古文、漢文、生物は四、数学、化学は三だった。


「現国が得意なようですね。現国ができる人は英語の成績も良くなりますよ。日本語ができない人は英語もなかなか理解できないと言いますから」と俺が言うと、


「じゃあ、この子の英語の成績は良くなるのですね!?」と母親に食い気味に聞かれた。


「おそらく」曖昧にしか答えることができない質問だ。


「どうして英語が苦手なの?」と今度は英子さんに聞いた。


「だって、アルファベットが意味不明な記号にしか見えなくて」と答える英子さん。過去にそう思うきっかけでもあったのかな?


「ローマ字は読めるの?」


「もちろんよ」と言い返される。


「見た目は読みづらいけど、五十音に対応しているから読み書きは問題なくできるわよ」


「なら、英単語に限って読みにくい気がするのね?どうしてかしら?」


「英単語の綴りって、ローマ字と違って不規則じゃない?・・・例えばビルディングを・・・確か、ブイルディング(building)と綴るじゃない。なぜuがbとiの間に入るの?」


「理由はその英単語が成立する歴史的な経緯によるものだと思うから、私にもよくわからないわ。でも、そんな不規則な綴りの方が言語としては有利なのよ」


「有利?どうして?覚えにくいだけじゃないの」


「じゃあ聞くけど、ローマ字はかなを規則的にアルファベットに置き換えるから読み書きしやすいけど、実際問題としてローマ字だけの文章って読みやすい?」


「文字数がやたら多くなるから読みにくいわ」


「なら、かなだけで書かれた日本語の文章は?」


「漢字が混ざってないと読みにくいわ」


「そうね。・・・国語の授業では漢字をたくさん習うわね。中には複雑な漢字もあるし、覚えるのが大変よね。でも、覚えるのが簡単なかなだけの文章よりは読みやすくなるわね。なぜだと思う?」


「字画の多い漢字と少ないかなの対比から文章の区切りがわかりやすくなるし、漢字だと一文字でも意味があって、文意を理解しやすくなるから・・・かな?」


「そうね。漢字は字画が多くてもイメージとして、つまり図柄として目に入るから、すぐに意味が想起できるわね」


「図柄ねえ?・・・構造が単純なかなよりも瞬間的に把握しやすいってことかしら?」


「まあ、そんなところね。そしてこのことは英単語にも言えることなの?」


「え?」


「規則正しい綴りだと、ローマ字みたいにかえって読みづらくなるけど、不規則で複雑な綴りだとそのフォルムが漢字みたいに目で見てイメージしやすいのよ」


「ほんとかなあ?」


「例えば、さっきのビルディングだけど」と俺は言って、鞄から取り出したノートの隅に『birding』、『bilding』、『building』と並べて書いた。


「真ん中のビルディングは誤った綴りね。左のバーディング・・・野鳥観察って意味ね・・・は、ローマ字読みするとビルディングとなって、真ん中の誤った単語と見間違えそうになるけど、本来のビルディングはuが入っているから、全体が長くなって、見た目だけでもバーディングと識別しやすいわ。このように不規則な綴りの方がむしろ読みやすいのよ」


英子さんは怪訝そうな顔をした。俺の説明では納得できなかったようだ。


「さすがは元生徒会長だけあって、博識ね、藤野さんは」と、理解したのかしてないのかわからないが、母親は俺を褒めてくれた。


「その調子で英語の神髄を教えてもらいなさい」と英子さんに言う母親。・・・神髄って、そんなたいそうなものではないんだけど。


「六時頃にお寿司を取るので、藤野さんも食べていってね」と言われた。


三時から五時まで二時間ほど教えるって話だったと思うが、夕飯をいただけるのなら少し長居してもいい。


「先生はお寿司のどれが好き?」と英子さんが聞いた。


先生?・・・一瞬誰のことかわからなかったが、家庭教師をする俺のことを先生と呼んだのだろう。


「わ、私が好きなお寿司は・・・・」と俺は言い淀んだ。


大トロや中トロと答えたかったが、この時代でも俺の時代でもほとんど食べたことがなかった。ウニやイクラも高そうだ。


「サーモンでしょうか?」と俺は考えてから答えた。脂の乗ったサーモンは柔らかくておいしいし、大トロや中トロよりは安い・・・はず。俺の時代では回転寿司しか行けなかったから、値段の違いはよくわからないが。


「サーモン?」眞鍋母子が同時に怪訝そうな顔をした。


「サーモンってスモークサーモンのサーモン?・・・それって鮭のことでしょ?鮭は生じゃ食べられないわよ。スモークサーモンのお寿司ってあったかしら?」と母親に言われてしまった。


そうなのか?俺の時代では普通に生で刺身やにぎり寿司を食べていたが。


「鮭には寄生虫がいるのよ」と英子さんが指摘した。


「あ、あの・・・ご存知か知りませんが、北海道にはルイベという郷土料理がありまして、鮭を冷凍させてから刺身にする調理方法で、冷凍の過程で寄生虫が死ぬんですよ」とあわてて弁明する。


俺の時代のサーモンは、養殖物で寄生虫の危険がないものだった気がする。


「あら、北海道の郷土料理までお知りなんて、藤野さんはなかなかの食通ね」と母親に変に感心された。


「近所の寿司屋ではルイベは扱ってないでしょうから、ほかに好きなお魚はありますか?」と母親に再度聞かれた。


「い、いえ、基本的に何でも大好きで、好き嫌いはありません」と答える。特定のネタを言ってまたツッコマれるのは困る。


「それより、そろそろお勉強を見ましょうか?」と話題を変える。


「じゃあ、先生、二階の私の部屋に行きましょう」と英子さんに誘われ、俺は立ち上がった。


三十一話登場人物


藤野美知子ふじのみちこ(俺、お姉さん) 主人公。秋花しゅうか女子短大英文学科一年生。

黒田祥子くろだしょうこ 美知子の先輩。秋花しゅうか女子大学二年生。同じ下宿に同居させてもらっている。

眞鍋英子まなべえいこ 若草女子高校二年生。美知子の家庭教師先の教え子。


商品情報


森永乳業/クリープ(1961年4月発売)


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