三話 チヨちゃんに会いに行く
翌日も夕飯の後に勉強を始めた。
食生活論のレポート、つまり『イカスミスパゲッティ』の紹介は、講義の合間にあらかた書き上げた。後は清書するだけだ。
短編小説の和訳は昨夜少しだけして、けっこう疲れたので、今日は教科書を開いてこれまでの講義の復習をしてみた。・・・やっぱり習ったことがまったく記憶に残ってない。
杏子さんが私を見て、「どうして急に勉強をしているの?今までのんびりと過ごしていたじゃない?」と聞いてきた。
「だからなの」と答える。
「短大に入学してからちょっとのんびりしすぎたみたいで、今まで授業で習ったことが全然頭に入ってないの。試験までまだ一月あるけど、今から復習しておかないと」
「試験勉強なんて、直前に勉強すればいいんじゃない?」と言う杏子さん。
「私の頭じゃ、それだと間に合いそうにないの。補習とか、絶対受けたくないから頑張りたいの」と俺は答えた。
「え?短大の講義に補習なんてあるの?」と聞かれて俺は頭をひねった。
「・・・ないかも。でも、万が一補習があって、受けるはめになったら嫌だから、できるだけ勉強しておきたいの」
「杏子、美知子さんの勉強の邪魔をしちゃだめよ」と祥子さんが言ってくれた。
「美知子さん、昨夜も言ったように、英語の勉強は英研に入部するとはかどるわよ」
「落研だって社会勉強になるわよ」とやんわりと言い返す杏子さん。でも、その社会勉強は試験には出ません。
結局その夜は少しだけ復習して、お風呂に入って寝ることにした。
いつものように寝付きがいい祥子さんの隣で、俺は布団の中で考え込んだ。
試験やレポート以外に気になることがある。・・・まず、俺は平成時代に男として生きていた。それがなぜか昭和時代の藤野美知子として目覚めた。
なぜそんなことが起こったのか、誰かに教えてもらった気がするがよく思い出せない。
さらに、日本以外のどこかで暮らしていたような、いないような、妙な感覚にとらわれる。覚えていないけど、どこか別の人の体に同じように入り込んでいたのだろうか?
誰かに相談して意見を聞いてみたい。ただ、意見を聞ける相手がいない。
女子短大生や女子大生には、こんなSFじみた話をしても理解されにくいだろう。
SF小説は読まないかもしれないが、読書家でいろいろな本を読んでいたのは女子高時代の友人の喜子と一色だ。二人とも今は明応大学に通っている。・・・会いに行って意見を聞いてみようかな?
聞くならBL小説愛好家の喜子ではなく、探偵小説好きの一色の方が話が通りやすい気がする。
ただ、明応大学の場所は知っているが、大学内のどこへ行けば一色と会えるかはわからない。・・・俺の時代のように友だちと携帯で気軽に連絡することはできない。友だちと外で会うときは前もってどこで会うか打ち合わせておかなければならない。そんな時代だった。
翌朝短大に登校すると、掲示板の前に学生が集まって騒いでいた。俺は佳奈さんの姿を見つけたので、近寄って「何かあったの?」と聞いた。
「あ、藤野さん、実は今日の午後の講義が突然休講になったの」と佳奈さん。
「あら、そうなの?」暇ができたのなら、明応大に行ってみようと思った。
午前中の講義が終わるといつものように学食に行った。今日はこれで終わりだ。
「せっかくだからどこかへ遊びに行かない?」と佳奈さんが俺と芽以さんに言った。
「私はいいわよ」と即答する芽以さん。
「わ、私はちょっと用事があって。・・・ごめんね、また誘ってね」と俺は断った。申し訳なかったが、先に気になっている用件を片づけたい。
昼食後、佳奈さんたちと別れると俺は下宿のマンションに荷物を置いてから駅に向かった。
電車に乗り、目的の駅で降りると、明応大のキャンパスに向かって歩き出す。ここへ来るのは白砂女子短大の入試以来だ。
明応大の正門前に立ってキャンパス内をのぞき込む。さすがに総合大学だけあって秋花女子大・短大よりも敷地面積が広く、建物も多い。当然キャンパス内を歩いている学生数も多かった。
このまま大学内をさまよっても一色と偶然出会える可能性は低いだろう。一色は確か文学部だったと思うが、その建物がどこにあるのかもよくわからない。
俺はしばらく大学をながめた後、あきらめて正門を離れて歩き出した。
どこへ行くという当てがあったわけではないが、自然に裏道に入り込んでいた。
初めて来たはずなのに、何となく見覚えがある。これが既視感というやつなのだろうか?
一軒のアパートの前にさしかかり、何気なく目をやると、そのアパートの玄関からひとりの小柄な女性が出て来た。その顔を見てお互いに驚きあった。
「ミチ!」
「チヨちゃん!」それは一色だった。セーラー服こそ来ていないが、顔も背格好も卒業式の日から変わっていなかった。
「どうしてここに?」私に駆け寄って聞く一色。
「実はチヨちゃんに会いたくて明応大まで行ってみたけど、大学内で捜し当てられそうになくて大学を離れたら、何となくこの道に迷い込んでいたの」
「偶然かも知れないけどうれしいよ」とチヨちゃんが言って笑った。
「ここがちょうど今私が兄と一緒に住んでいるアパートなんだ」後を指さす一色。
「まだお昼過ぎなのに下宿にいたの?」
「今日は講義がない日でね、午後から私が所属しているミステリ研に顔を出そうと出て来たところなんだ。・・・それより私に用って何?」
「実はSFに詳しい人を知っていたら、紹介してもらおうと思って来たの。明応大ならそういう人がいそうじゃない?だめ元で来たってわけ」
「SF?空想科学小説のこと?・・・ミチはそんなのに興味があったの?」
「今まではそんなに興味がなかったわ。いろいろ知りたいと思ったのはつい最近なの」
「・・・そうだね、大学にはSF研ってのがあるみたいだけど、そのサークルのことはよく知らないんだ。でも、私が所属しているミステリ研の部員の男子学生で、SF研にも所属していて、SFをよく読んでいる人なら知っているよ」と一色が俺に言った。
「変な人じゃなければ、その人を私に紹介してくれない?」と頼んでみた。
「その学生は神田君って言うけど、読書家で、そんな変な人じゃないよ。・・・多分」
「多分」という言葉がちょっと気になったが、一色が変な人じゃないと保証してくれるのなら大丈夫だろう。
「これからそのミステリ研に顔を出すけど、一緒に行く?神田君に会えると思うよ」
「じゃあ、お願い」と俺は言って、一色の隣に並んで今来た道を戻り始めた。
「SFの何が知りたいの?」と俺に聞く一色。
「SFではいろいろと不思議な舞台設定があるでしょ?宇宙とか異世界とか。どんなのがあるか、教えてもらいたいだけよ」と軽く流した。
SFについての話はそこで中断し、その後は歩きながらお互いの近況を話し合った。一色はミステリ研ことミステリ研究部に毎日顔を出して、他の部員と探偵小説の話をしているそうだ。
「そう言えばこの前欧米人らしい外国人女性と出会ったんだけど、その女性が帰り際に姿が消えたように見えたんだ」と一色。
「へー。不思議なこともあるものね」俺は深く考えずに答えた。
「その女性が消えたところにさっきミチが立っていたから、一瞬その女性と見間違えたよ」
俺は笑った。「私はとても欧米人には見えないでしょ?」
「そうだね。でも、なぜだかわからないけど、身にまとっている雰囲気が似ている気がしたんだよ」
「雰囲気ねえ・・・」
そんな話をしているうちに明応大に着いた。迷いなく中に入る一色を追う俺。部室があるというサークル棟の前で突然一色が前を歩いていた男子学生に声をかけた。
「神田君!」
「やあ、一色さん。君もこれから部室に行くのかい?」と振り返って答える男子学生。ひょろっとした、ちょっと気弱そうな学生だ。
「実は神田君に話があったんだ。ちょうど良かったよ」
「僕に話?何だい、改まって?」と言いながら一色の後にいる俺に目をやる神田君。
「この子はミチ・・・藤野美知子と言って、私の女子高時代の友人なんだけど、SFに詳しい人と話がしたいと言って会いに来たんだ。神田君、悪いけど相手をしてもらえないかな?」
「かまわないよ。じゃあ、学生食堂に行ってお茶でも飲みながら話を聞こうか?」
「よろしくお願いします」と俺は頭を下げた。
二人について学生食堂に入る。まだランチタイムだったが、無料で提供されているやかんのお茶を備え付けのコップに注ぐと、空いているテーブルに三人で座った。
「商学部一年生の神田一郎です」と言って笑いかける神田君。見た目と違って気さくで優しそうな感じだ。変人じゃなさそうでほっとする。
「秋花女子短大一年生の藤野美知子です」
「で、SFの何が聞きたいんだい?」
「SFって科学が発達した未来社会や宇宙が舞台だったり、幻想的な異世界が舞台だったり、いろいろな設定のお話がありますよね?」
「そうだね。宇宙を舞台にするスペースオペラもあるけれど、逆に現代社会を風刺するような社会派SFまであるよ」
「主人公が突然別の世界に行って、その世界で活躍するというお話もありますか?」
「うん。たくさんあるよ。前に一色さんに紹介した『火星のプリンセス』とかね。そういうのに興味があるのかい?」
「そういうのと似た設定で、自分の精神だけが別世界の別人の体に入り込んで、その人として活躍するようなお話もありますか?」
「うん、あるよ。例えば今年出たばかりの本だけど」と言って神田君は持っていた鞄から一冊の新書サイズの本を出した。
「例えばこの『天界の王』という小説は、地球人である主人公と銀河系帝国の王子の精神が入れ替わるんだ。そして主人公がその王子として銀河系帝国内で活躍するってお話だよ」
「おもしろそうですね」と俺が言ったら神田君が不思議そうに聞き返した。
「おもしろい小説だけど、なぜそういうちょっと変わった設定のSFに興味があるんだい?」
「え、え・・・と。最近そんな夢を見て、ちょっと気になっただけなの」とあわてて適当に答える。未来の記憶があるとか、何となく別世界にいた気がするとかの、ほんとうの理由は答えない。いや、正直に言っても信じてもらえないだろう。
「ミチは女子高時代から変わった考え方をしてたんだ」と一色が俺を変人みたいに言った。
「発想力が豊かなんだね。とりあえずこの本を貸してあげるけど」と言って『天界の王』を差し出す神田君。ありがたく受け取る。読んでみよう。
「SF小説をたくさん置いている店が古書店街や副都心にあるけど、今から一緒に行ってみないかい?ほかにもそういう設定のSFがないか、一緒に探してみようよ」と神田君が誘ってきた。ナンパとかじゃなく、同好の士として俺を誘っているようだ。
それにしても初対面の女性でも平気で誘うなんて、見た目と違って男女交際に慣れているのかな?
「よろしければ是非・・・」と俺が答えようとすると、
「今日はミステリ研の集会があるって部長が言ってたじゃない。これからミステリ研に顔を出さないと」と一色が遮った。
「ああ、そうだった。確か明応祭の打ち合わせをするんだった」と残念そうに言う神田君。
「なら、来週にでも誘っていただけますか?」と俺は神田君に提案した。
「よ、喜んで」と快諾する神田君。
「一週間後のお昼過ぎに明応大まで来ますけど、ご都合はよろしいでしょうか?」
「だ、大丈夫です」
「じゃあ、明応大の正門前で落ち合いましょう」と神田君と約束した。
「じゃあ、ミチ、悪いけど私たちはこれからミステリ研に顔を出さなきゃならないんだ。神田君とは別に、私ともまた会おうね」と一色。
「うん、ありがとう、チヨちゃん。また来るからよろしくね」と俺は答えて席を立った。二人も立ち上がり、コップを使用済みの食器を置く棚に戻して学生食堂を出る。
そこで二人と別れて大学の敷地を出て駅に向かった。電車に乗り、下宿の最寄り駅に戻ると、駅を出てから近くのスーパーマーケットで夕食の食材を買い、マンションに戻った。
夕食後、レポートを書き進めるが、合間に気分転換として神田君に借りた『天界の王』を開いてみた。
本音を言えば興味があるのは精神が入れ替わる冒頭部分だけだったが、それなりに興味深く読み進められた。来週の本屋巡りがちょっぴり楽しみになった。
三話登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科一年生。
黒田祥子 同居人。秋花女子大学二年生。英語研究会(英研)に所属。
水上杏子 同居人。祥子の従妹。秋花女子大学二年生。落語研究会(落研)に所属。
山際喜子 元同級生。明応大学教育学部一年生。
一色千代子 元同級生。明応大学文学部一年生、ミステリ研部員。
丹下佳奈 秋花女子短大英文学科一年生。
嶋田芽以 秋花女子短大英文学科一年生。
神田一郎 明応大学商学部一年生、ミステリ研部員。
書誌情報
エドモンド・ハミルトン/天界の王(早川書房、1969年4月30日初版)
エドモンド・ハミルトン/スター・キング(創元推理文庫、1969年11月21日初版)
エドモンド・ハミルトン/スター・キングへの帰還(創元推理文庫、1973年2月16日初版)
エドガー・ライス・バローズ/火星のプリンセス(創元推理文庫、1965年10月8日初版)




