二十六話 照子ちゃん
俺たちが昼食を終えると、照子ちゃんはすぐに武に、
「おにいちゃん、またさかなをとりにいこうよ」と言った。
「その前に写生するから待って」と答える武。
さっそく縁側のそばにバケツを持って来ると、魚を一匹手ですくって縁側に横たえた。ノートと色鉛筆を持って来てその魚の絵を描き始める武。魚が死ぬ前に書き終えてほしい。
武を見て照子ちゃんも絵を描きたがったので、俺がたまたま持って来ていた小さいスケッチブックと鉛筆を照子ちゃんに渡した。ここでは似顔絵を描いたり、ましてその似顔絵で占いをすることはないだろう。
二人で縁側に寝そべりながら絵を描いている。武はまじめに魚の絵を描いているようだが、照子ちゃんはなぜかお姫様の絵を描いていた。やっぱり女の子だね。
「私たちはまた神社に行こうか?」と俺は森田さんに聞いた。
「お祭りの準備が進んでいるかな?」と森田さん。
「おまつり?」と顔を上げて聞く照子ちゃん。
「明日、神社で夏祭りがあるのよ」と俺は照子ちゃんに言った。
「明日、お祭りに一緒に行く?」
「うん。・・・おまつり、おまつり」と照子ちゃんは嬉しそうに言った。
「武、私たちは神社に行ってくるから、照子ちゃんをよろしくね。夕方になったら照子ちゃんを家まで送ってね」
「うん」とこちらを見ずに生返事をする武。わかっているのかな?
二人を置いて俺たちは麦わら帽子をかぶって祖父母の家を出た。そのまま神社に向かって田んぼ沿いの農道をゆっくりと歩いた。
日は高く、真夏の陽光が照りつける。しかし俺の時代と違ってヒートアイランド現象は起こっていないから、帽子をかぶっていれば熱中症にはならないだろう。水分はなるべく補給するようにしよう。
まもなく神社の参道に入る。明日のお祭りのために、既に多くの出店が建てられていた。
「お店がいっぱいあるね。綿菓子、たこ焼き、べっこう飴。・・・お面に水ヨーヨーもある!」と興奮する森田さん。
「明日が楽しみだね」と言っておく。
さらに境内に入って行くと、奥の方で地区の会長さんと明日香と真紀子が何やら相談しているのに気がついた。ギターを持った流しの人もいる。
「明日香ちゃん、マキちゃん」と声をかけると二人が俺の方を向いた。
「みっちゃんにモコさん」と返事する真紀子。
「明日歌う曲の打ち合わせをしているの?」
「そうなのよ。ここ一年くらいに出た歌謡曲で、私にも歌えそうなのを提案して、伴奏してもらえるか聞いていたところ」と明日香が答えた。
「で、歌う曲はだいたい決まったの?」
「一応ね。これから音合わせをしてもらうの」そう言って明日香が流しの人を見ると、おもむろにギターを弾き始めた。
あまり声を張ってはいないが、それでも明日香の歌声が流れ、境内で出店の準備をしていた人たちがちらちらと明日香の方を見始めた。
最初の曲はいしだあゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』だった。いしだあゆみの歌マネではなく明日香の声で歌っていたが、なかなかいい雰囲気だった。
その次の曲はピンキーとキラーズの『涙の季節』、その次は奥村チヨの『恋の奴隷』、最後の四曲目は佐良直美の『いいじゃないの幸せならば』だった。いずれも今年、街中などでよく聴いた曲だ。明日香のレパートリーが広がっているようで、なかなか頼もしい。
「四曲も連続して歌うの?」
「さすがに連続して歌うと喉が枯れちゃうから、流しの人と交代で歌うことにしたの」
明日香がそう言うと流しの中年男性はにかっと笑って、森進一の『港町ブルース』、クールファイブの『長崎は今日も雨だった』、ザ・ブルーベルシンガースの『昭和ブルース』をさわりだけ演奏しながら歌ってくれた。
「とても素敵ね。渋くて明日香ちゃんの歌と好対照だわ」と俺が褒めると、流しの人は嬉しそうな顔をした。プロでも褒められると素直に嬉しいようだ。
「その後明日香さんとトワ・エ・モワの『或る日突然』を歌う予定なんだ」と流しの人が言った。
「それを歌い終わった頃にはマキの巫女さんの仕事も一段落しているだろうから、可能なら『時には母のない子のように』や『フランシーヌの場合』などを歌ってもらおうと思ってるの」
「間に合えばだけどね」と照れながら言う真紀子。
「その後でお二人も歌ってくれないかね?」と会長さんが俺たちに声をかけてきた。
「そうね。お姉様ならはしだのりひこの『風』が歌えたわね」と明日香。俺の短大合格祝賀会で一回歌っただけなのに・・・。
「お姉さんも歌うの?なら私も何か歌おうかな?」と森田さんが言った。
「もちろん歓迎するけど何を歌えるの?」と聞く明日香。
「そうねえ。・・・ドリフターズの『ミヨちゃん』にしようかな?」と森田さんが答えた。流しの人も問題なさそうだ。
「かわいらしくていいわね」と俺が言うと、
「お姉さん、合いの手を入れてよ」と森田さんに頼まれた。
ドリフターズの『ミヨちゃん』は加藤茶が歌い、いかりや長介がツッコミみたいな合いの手を入れる歌だ。
「そんなのできるかなあ?・・・セリフを覚えていないし」と不安げに言ったら、
「合いの手なんてアドリブでいいんだよ」と流しの人に言われてしまった。
ちなみにザ・ドリフターズの一世を風靡した人気テレビ番組の『8時だョ!全員集合』はまだ始まっていない。それでもドリフターズは映画やテレビ番組によく出演していて、知名度はそこそこ高かった。
歌謡ショー?の打ち合わせが終わると、俺たちは真紀子の家でもある社務所に入って飲み物をもらった。
コップに注いでもらったキリンレモンをすすりながら、今日会った照子ちゃんのことを明日香たちに話す。
「夏休みの間だけ遊びに来ているのかな?」と会ったことがないという真紀子が言った。
「よその女の子と遊んでいるなんて、弟さん、浮気じゃないの?」とからかう明日香。
「さすがにあんな小さい子と遊んでも、美佐子ちゃんは妬かないでしょう」と俺は言った。美佐子ちゃんとは武の彼女の名前だ。
「ラジオ体操に来ているのかな?地元の子と仲良くなっていればいいけど」と真紀子。
「そうねえ。・・・さすがに武はもうラジオ体操に行かないから、わからないわ」
「二人はお祭りの準備はいいの?」と森田さんが真紀子たちに聞いた。
「うん。私たちの出番は毎年のことで慣れているし、会場の設営は大人たちがするから、実はあまりすることがないの」と真紀子が答えた。
そこで四人で社務所を出て、再びお祭りの準備で忙しそうな境内を見て回ることにした。
いつもの場所に今年も見世物小屋が建てられている。入り口の上に飾られている看板には一つ目の赤ちゃんや火を吹く女の絵が描かれていた。
「みっちゃんは毎年興味を示すね」と指摘する真紀子。
「中に絵を描いた板しか飾ってないって聞いたから入らないけどね」と話していたら、小屋の中から中年女性が出て来た。
「いい加減なこと言わないでおくれよ」と俺に文句を言うおばさん。
「ご、ごめんなさい」とあわてて謝る。
「ほんとうに火をぶわ~って吹くんだから、一見の価値があるよ。それに大蛇を身にまとう蛇女もいるからね」
「そ、そうなんですか?・・・か、必ず見に行きます」と思わず約束してしまった。
「待ってるからね」とそのおばさんは言って小屋の中に入って行った。
「ほんとうに入るんですか~?」と森田さんが聞いてくる。
「約束しちゃったからね」と俺は舌を出した。興味があったわけじゃないけど、社会勉強、と言うか、貴重な体験になるかもしれなかった。
しかし今はまだ境内の中がお祭りの準備でバタバタしていたので、
「そろそろ帰ろうかしら?ここにいても邪魔なだけだろうし」と言うと、明日香が、
「また、お姉様のおじいさまの家に遊びに行っていい?」と聞いてきた。
「いいわよ。照子ちゃんがまだいるかもしれないけど」
俺たちはぞろぞろと参道を抜けて、祖父の家に向かった。
「ただいま」と言って四人でぞろぞろと祖父の家に入ると、武と照子ちゃんの姿は見えなかった。
「あら、いらっしゃい」と祖母が明日香たちを迎えてくれた。
「お邪魔します」とあいさつする明日香と真紀子。
「ちょうど良かったわ。これからスイカを切るから、食べていってね」と祖母。
全員で客間に上がると、祖母が座卓の上に新聞紙を敷き、まな板をおいて、その上に井戸水で冷やしてあったらしい大きなスイカを置いた。
そのときちょうど武と照子ちゃんが手にバケツとたもを持って帰って来た。
照子ちゃんは俺たちが四人もいるのに驚いていたが、
「照子ちゃんもお上がりなさい。今、スイカを切るからね」と祖母に言われてにこにこしながら客間に上がった。
「手は洗ったの?」と武に聞く。
「家の前の水道で洗ったよ、俺も照子ちゃんも」と答える武。
「あなたはバケツとたもを持ってるじゃない。土間に置いてもう一度手を洗ってきなさいよ」と武に言うと、しぶしぶ手を洗いに行った。
「こんにちは。照子ちゃんって言うの?」と照子ちゃんに話しかける真紀子。
「この人はマキちゃん。神社の娘さんよ。もうひとりは友だちの明日香ちゃん」と俺が紹介する。
「こ、こにちは・・・」人見知りをしたのか口ごもる照子ちゃん。
「明日、私の神社でお祭りがあるから、みんなで見に来てね」と真紀子が言うと、照子ちゃんはにこっと微笑んだ。
「あ、はずれだわ!」と突然祖母が言ったので全員が注目した。見ると、包丁でスイカを半分に切ったところで、スイカの黄色い身が露わになっていた。
「ほんとだ。黄色いスイカだわ」と明日香も言った。
「黄色いスイカははずれなの?」と聞き返す。
「そうよ。赤いスイカより甘味が少ないからね」と祖母。
俺の時代では黄色いスイカはブランドになっていて、赤いスイカより甘くないというイメージはなかった。どうやらこの時代では、赤いスイカの中にたまに黄色いスイカが混ざっていて、それに当たるとはずれ扱いされるようだ。
祖母が切り分けるスイカをみんなで次々と受け取る。全員が手にしたのを見てさっそくかぶりついたが、甘くさっぱりした味で、俺ははずれだとは思えなかった。
「おいしいわよ」と俺が言うと、照子ちゃんも「おいしい」と言ってくれた。
「十分甘くておいしいです」と森田さんも言ったので、祖母は嬉しそうだった。
「照子ちゃんは夏休みの間だけこっちにいるの?」と照子ちゃんに聞く真紀子。照子ちゃんは首を縦に振った。
「小学校はどこに通ってるの?」
「ふたばしょうがっこう」と答える照子ちゃん。
「知ってる?」と真紀子に聞くと、真紀子は「ううん」と答えた。
「この辺の小学校じゃなさそうね。・・・町の方なの?」
うなずく照子ちゃん。
「いつからこっちに来ているの?」
「なつやすみになってから。・・・かあちゃんにばあちゃんちへつれてきてもらった」
「中田さんは一人暮らしだから、にぎやかになって嬉しいでしょうね」と祖母。
「でも、かあちゃんはしごとでかえった」と照子ちゃん。今は祖母と二人きりなのか・・・。
「ラジオ体操には行ってるの?」と明日香が聞くと、照子ちゃんはかぶりを振った。
「どこでしてるかしらない」
武に照子ちゃんをラジオ体操につれて行くよう言おうと思ったが、駅の向こうに住んでいる照子ちゃんを迎えに行くには五時過ぎに起きなければ間に合わないだろう。さすがにそれは負担が大きすぎる。・・・俺たちも早朝に起こされる危険がある。
「武、駅向こうのラジオ体操の場所を調べて、照子ちゃんに教えて上げなさいよ」と言うのが精いっぱいだった。
二十六話 登場人物
藤野美知子(俺、お姉様、お姉さん、みっちゃん) 主人公。秋花女子短大英文学科一年生。
中田照子 小学校低学年の女の子。
藤野 武 美知子の弟。市立中学二年生。
森田茂子(モコ) 松葉女子高校二年生。美知子を慕う後輩。
水上明日香 松葉女子高校二年生。美知子を慕う後輩。
内田真紀子 松葉女子高校二年生。美知子を慕う後輩。
芳賀美佐子 市立中学二年生。武の彼女。
レコード情報
いしだあゆみ/ブルー・ライト・ヨコハマ(1968年12月25日発売)
ピンキーとキラーズ/涙の季節(1969年1月1日発売)
奥村チヨ/恋の奴隷(1969年6月1日発売)
佐良直美/いいじゃないの幸せならば(1969年7月15日発売)
森進一/港町ブルース(1969年4月15日発売)
内山田洋とクールファイブ/長崎は今日も雨だった(1969年2月1日発売)
ザ・ブルーベルシンガース/昭和ブルース(1969年7月5日発売)
トワ・エ・モワ/或る日突然(1969年5月14日発売)
カルメン・マキ/時には母のない子のように(1969年2月21日発売)
新谷のり子/フランシーヌの場合(1969年6月15日発売)
はしだのりひことシューベルツ/風(1969年1月10日発売)
ザ・ドリフターズ/ミヨちゃん(1969年5月1日発売)
TV番組情報
TBS系列/8時だョ!全員集合(1969年10月4日〜1971年3月27日、1971年10月2日〜1985年9月28日放送)




