十五話 淑子と夏休みの予定
翌日曜日は、午前中はのんびりして夕方になる前に下宿に帰ろうと思っていたら、電話がかかってきた。
俺が受話器を取り、「もしもし、藤野です」と言ったら、
「宮藤と申しますが、美知子さんはいらっしゃいますか?」という聞き慣れた声が聞こえた。
「あらっ、もしかしてトシちゃん?」
「あ、美知子か〜?美知子のお母さんと声が似ているから、どっちかなと思ったよ」
俺と母の声がそんなに似ているのかな?と思ったが、気にするほどのことでもない。
「トシちゃん、元気?結婚生活は楽しい?」
「うん、どうにかうまくやってるよ。ところで今中村先生の家に来ていて、これから一緒に百貨店に行くことになったんだけど、美知子は来れない?」
「大丈夫よ。夕方までに下宿先に帰ればいいから、今すぐ行くわ。百貨店に行けばいいのね?」
「うん。一階の化粧品売り場のあたりで待ってる」
俺は受話器を置くと両親に、「百貨店に行ってくる。トシちゃんが来てるんだって」と言った。
「そのまま下宿に帰るの?」と聞く母。
「ううん。荷物は置いとくから、帰る前に取りに来るわ」
家を出て百貨店まで歩く。あまり広くない市内にあるこじんまりした百貨店だから、まもなく到着した。
店内に入ってあたりを見回すと、中ほどに淑子が手を振っているのに気づいた。隣に中村先生とご主人の貴さんがいる。
「トシちゃん!貴さん!お久しぶり!」と俺は近寄って声をかけた。
「美知子〜、元気そうだね」
「トシちゃんも元気そうで」と言って俺は日焼けした貴さんの顔を見た。「幸せそうね」
「まあね」と照れ笑いする淑子。
「美知子さん、お久しぶり」と貴さんもあいさつしてくれた。
「こちらこそご無沙汰しています。貴さんもお元気そうで何よりです。今日はこちらに用があって来たの?中村先生も呼ばれたの?」
「中村先生の家を掃除しにきたんだけど、先週美知子が掃除してくれたらしいね。まだ部屋がきれいだったよ」
「み、宮藤さん、もう少し小声で話して」と中村先生があせっていた。
「わざわざ貴さんをつれて掃除をしに来たの?ちょっと行き違いになっちゃったね」
「そ、それより、宮藤さん、赤ちゃんができたそうよ」と中村先生が話題を変えた。
「え〜、そうなの?おめでとう!まだお腹は目立ってないね」
「えへへ」と顔を赤くする淑子。貴さんも微笑んでいる。ほんとうに幸せそうだ。
「だから、まだ早いけどお祝いの品を買ってあげようと思って、一緒に百貨店に来たの」と中村先生。
「それはいいことね。私も少しは出させてもらうわ」
「美知子まで気を遣わなくていいよ」
「いいから、いいから。・・・ところで何を買うの?ベビー用品はまだ早いかな?」
「マタニティドレスはどう?」と中村先生が提案した。
「それがいいですね。かわいらしいのを選びましょう」と俺も同意した。
マタニティドレスは生活雑貨のベビー用品売り場の近くで売っていた。ピンク色か黄色かで迷ったが、淑子の意見を聞いて黄色いドレスを購入した。
中村先生に五百円札を渡す。「気持ちだけですが」と言葉を添えて。
買って包んでもらったものをその場で淑子に渡す。淑子と貴さんは何度もお礼を言ってくれた。
その後で最上階の大食堂に寄った。そろそろお昼近いので、昼食を摂ろうという話になったからだ。
「妊婦さんって、食べるものに気を遣ってるの?」
「特にないよ〜。栄養のあるものをバランスよく食べるようにしているだけだよ」と淑子。
いろいろ迷ってから、俺と淑子がオムライス、貴さんがハンバーグランチ、中村先生が月見うどんの食券を買った。適当なテーブルに座ると、水を持って来たウェイトレスが食券の半券をちぎって持って行った。
料理が来るのを待っている間、「トシちゃんは今、貴さんの実家にすんでるの?それとも新しい家?」と淑子への質問を始めた。
「どっちに住もうかいろいろ考えたんだけど、私の実家の方が広いんで、結局貴にいがうちに来ることになったんだ」
淑子の言葉を聞いて俺は泊まりに行ったことがある淑子の実家を思い出した。和室が十室以上あったと記憶している。
貴さんはマスオさん状態か。元々親戚だから気にはならないだろうな。
ところで夫婦が元々同姓だった場合、嫁入りと婿入りの区別はあるんだろうか?
「確かにトシちゃんの家は広かったね。先生はトシちゃんの家に行ったことがありますか?」
「私は宮藤さんの下宿を変えた方がいいとご両親に話をしに行ったことがあるわよ。泊まらずに帰ったけど」
「その節はお世話になりました」と淑子が頭を下げた。
「おかげさまで卒業までの二年半、快適な下宿で過ごすことができました」
淑子の言う下宿は中村先生のアパートのことだ。あれで快適だったのかな?と俺は首をひねった。掃除、洗濯は自分でしないといけないし、食事もついていない。逆に中村先生の食事まで用意しなくちゃならないこともあった。
「おかげでいろいろ料理できるようになったから、今は助かってるよ」と淑子がつけ加えた。俺の考えを読んだのかな?
中村先生のアパートで淑子が作っていたのはお好み焼きやホットケーキが多かった気がする。ホットケーキを食事代わりに食べていたことを思い出す。
「今はどんな料理を作ってるの?」気になったので聞いてみる。
「母と同居しているから、主に母が作って私が手伝っているだけだけど、時々お好み焼きや卵かけご飯を作っているよ」
淑子よ。卵かけご飯は料理と言えないぞ。貴さんでも自分で作れるだろう。
「オムライスも作ってみたいけど、難しそうだね」と淑子が食べているオムライスを見ながら言った。
「そうね。中のケチャップライスを作るのは問題ないけど、薄い卵焼きを焼いて、その上にケチャップライスを載せてから、周りを卵できれいに包むのにコツがいるわね」と俺は言った。
「前作ってみたら、すぐに卵焼きが破れてひどい見た目になったわ」
「そうそう」と激しく同意する淑子。淑子も挑戦したことがあるのだろう。
しかし俺はそういうオーソドックスなオムライスにとらわれない、より簡単なふわとろオムライスがあることを知っている。
「実はもっと簡単なオムライスの作り方があるのよ」と淑子に言う。
「そうなの?私にもできる?」
「うん。まずチキンライスを作って、一人分を皿に載せて形を整えておくの。これはできるでしょ?」
「うん、うん」
「そしたらフライパンでスクランブルエッグを作るの。箸でかき混ぜながら熱して、ふわっ、とろっとした状態の卵焼きね」
「それならできるけど」
「それをそのままチキンライスの上に移すの。そしてケチャップをかけて出来上がり。卵が固まってないから普通のオムライスと見た目が違うけど、卵がふわとろだからよりおいしいわよ。これがふわとろオムライスよ」
「それなら簡単にできそう。貴にい、今度作ってあげるね」
「お、おう。・・・期待してるぞ」と微妙な顔つきの貴さん。信用してないのかな?
「それから卵だけのオムレツを作るって方法もあるのよ」
「卵だけのオムレツ?」
「そう。フライパンで熱して木の葉型のオムレツを作るの。このときオムレツの中まで固まらないように手早くまとめるのがコツなのよ」
「それで?」
「それをチキンライスの上に載せるの。そして箸で縦に切れ目を入れると、とろとろの半熟卵がライスの上に広がるの。・・・これは食べる人の前でしないと、さっきのふわとろオムライスと見た目が違わないから、注意してね」
「ふうん、おもしろいね。よくそんな料理方法を考えつくね」と褒める淑子。
俺が考えついたわけではない。多分、オーソドックスなオムライスを作れなかった人が苦し紛れに作ったのが、思いのほか人に受けたのだろう。
昼食が終わると淑子たちは車で家に帰ると言った。中村先生をアパートまで車で送るので俺にも送ろうかと誘われたが、寄るところがあるのでと言って断った。
車で帰る淑子や貴さんに手を振って見送る。その後、俺は昨日会ったばかりの柴崎さんの家に寄った。
「あら、藤野さん。もう寄ってくれたの?」と出迎えてくれた柴崎さんが聞いた。
「昨日の話だけど、今は物置になっているかつての子ども部屋について、柴崎さんのお母さんに聞いてほしいことがあるの」
「今、母は舞子さんと買い物で出かけているの。今日はあまり時間がないの?なら、何を聞けばいいか教えてくれたら、旅行までに答を紙にまとめておくわよ」
「物置になっている今のお部屋には大小の箱が置いてあるって言ってたわよね?その箱は昔からその部屋に置いてあったのか、そして箱の中に何が入っていたのか誰も知らないのか、そういうことを聞いておいてほしいの」
「わかった。なるべく詳しく聞いてレポート用紙にまとめておくわ」
「よろしくね」
「それと、当日の予定だけど、駅前に朝八時に集合してね」
「了解。持って行くものは着替えと、洗面用具くらいでいいかしら?」
「それで大丈夫よ。向こうで洗濯するから、着替えは二、三日分で大丈夫と思う」
「わかったわ。・・・その、ほんとうに旅費を出さなくていいの?」
「その点は気にしないで。駅から目的地まで、交通費は往復全額こちらが出すから、おやつ代とか、家へのおみやげ代とか、その程度持ってくれば十分よ」
「そう。・・・お役に立てるかどうかわからないけど、よろしくね」
俺はそう言って柴崎家を後にした。
その後いったん自宅に戻って荷物を手にすると、両親にあいさつして家を出た。
駅で電車を待つ。この駅から短大そばの下宿までの往復と、祖父母の家までの往復は何度もしたが、この時代に本格的な旅行に行くのは修学旅行を除けば初めてだ。妖怪の謎を解かなければならないという課題はあるが、知らない土地への旅行ということでわくわくしている自分がいた。
今週の試験を手堅く終わらせて、旅行に備えよう。
そんなことを考えながら電車に揺られているうちに、短大前の駅に着いた。そして近くのスーパーマーケットで食材を買うと、下宿しているマンションに戻った。
「お帰り」と迎えてくれる祥子さんと杏子さん。
「言い忘れてたけど、英研の合宿を八月二十五日から二十九日まで行うから、参加してね」と祥子さんが突然言った。
「が、合宿ですね?今年はどんなことをするんですか?」
「去年と同じで、横浜の旅館にみんなで泊まって、観光しながら外国人に英語で話しかけたりするのよ」
旅館で合宿か。またお金がかかるな。短大に通わせてもらっているからそうそう親には頼れない。やはりアルバイトを始めなければ。
「英研は合宿か。・・・落研も合宿しないと」と杏子さんまで言い出した。ますますアルバイトの必要性が増してくる。
翌朝短大に顔を出すと、掲示板に厚生課から俺宛の呼び出しが貼ってあった。
すぐに厚生課に行き、事務員に声をかけると、家庭教師の依頼があることを教えてくれた。
「高校二年生の女子で英語を重点的に教えてほしいそうよ。初日は八月二十日水曜日の夜七時からで、顔合わせして問題ないようだったら改めて家庭教師の日時や回数を決めるということになっているけど、いいかしら?」
「はい、大丈夫です。よろしくお願いします」
「じゃあ、先方に連絡しておくわ。何かあったらここに連絡が入るから、掲示板で呼び出すことになるわ。掲示板はいつも見ておいてね」
「はい、わかりました」俺は家庭教師先を書いたメモを受け取り、会釈をして大学の事務室を後にした。
八月の予定が次々と埋まっていく。うまくやっていけるかな?
十五話 登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科一年生。
宮藤淑子(トシちゃん) 美知子の女子高校時代の同級生。新婚。旧姓も宮藤。
中村科子 美知子の女子高時代の担任教師。英語担当。
宮藤 貴(貴にい) 淑子の夫で従兄。
柴崎由美 美知子の女子高時代の同級生。徳方大学一年生。白井小夜の従姉。
倉田舞子 柴崎由美の次兄の婚約者。柴崎家に同居している。
黒田祥子 同居人。秋花女子大学二年生。
水上杏子 同居人。秋花女子大学二年生。




