虹色のペンダント
「なんで、なんで、なんでー!!!」
「チェルシー、我が儘を言ってもだめよ!」
ママに窘められる。
「でもでも、真夏なのに、海辺のリゾートホテルに泊まってるのに、快晴の空なのに~!!!」
「残念だけど、あれじゃ仕方ない」
パパはオーシャンビューの窓の外を見る。
チェルシーも窓辺に寄り、窓枠に手をかけて背伸びした。
青い海、白い砂浜、灼熱の太陽!
…そして海岸線を埋め尽くす海の魔物たち。
辺りには瘴気が漂い、ホテルの外へ出ることも出来ない。
海の魔物が陸地まで上がってくることはないから、とりあえずホテルの客は静かにしている。
このあたりはリゾート地区のため地下通路が発達していた。
ホテルへの荷物の出し入れやゴミを運ぶのを客に見せないためだ。
お陰でお客さんが不自由をすることはない。
でも、このままだと地下通路を使って帰ることになるかもしれない。
「もう、もうもう、もうもうもう、つまんない~!!」
さんざん文句を言い、ぶんぶん手を振り回して暴れていたチェルシーはくたびれて眠ってしまった。
真夜中に目が覚めたチェルシーはベッドから起きだした。
「お腹すいた」
呟いてみたが、隣で眠っているパパもママも目を覚ましそうもない。
チェルシーはベッドから降りると靴を履いて、そっと部屋から出た。
ガラス張りのエレベーターでロビーまで降りる。
少し照明を落とした真夜中の吹き抜けは、どこか海の底を思わせた。
ロビーの中央には大きな噴水がある。
海に行けないのだからプール代わりに入ってみたい、なんて思うくらいに大きい。
ぼーっと水を眺めていると、パシャリと音がする。
そっちを見ると、宙返りするイカがいた。
イカは気持ちよさそうに宙を泳ぎ、噴水の中に飛び込んだ。
「え?」
別の場所から、また水音がした。
今度はホタテ貝だ。
「美味しそう…」
昨日のお昼に食べたホタテのフライを思い出す。
「…食べちゃダメだよ」
声がした方を見ると、チェルシーより少し年上に見える男の子がいた。
「生では食べないもん!」
その途端、噴水からピューピュー水鉄砲みたいに攻撃された。
「…う…ぶぶっ、ぷっ…」
水が止まらないので息が出来なくなりそうだ。
やっと攻撃が止まり、噴水を見ると、縁のところにいろんな魚が顔を出していた。
無表情な目が、ちょっと怖い。
「ほら、食べるなんて言うから怒ってる」
…魚って怒るんだ、とチェルシーは思った。
男の子はタオルを渡してきた。
「…魚って言葉がわかるの?」
「うん、ここにいるのは普通の魚じゃないからね。
海の魔物の子供たちだよ」
魔物? それなら外と同じで、ここにも瘴気が?
「子供のうちは瘴気は出さないから、大丈夫だよ」
「あなたは? 子供たちの世話をしてるの?」
「うん。親たちが海岸線で話し合ってるから、その間、面倒を見てる」
「話し合い?」
海岸線を占領する魔物は、話し合いをしてる?
「百年に一度の海の魔物会議なんだ」
「どうしてリゾート地でやるの?
みんな、海に入れなくて困ってる」
「うん、ごめんね。
百年前には、ここは何もなくて、人間が寄り付かない場所だったんだけど…」
男の子の話だと、魔物たちは、海岸の側にホテルがたくさん建っているのを見てびっくりしたそうだ。
「世界中から海の魔物が集まるから、すぐに場所を変更できないんだ」
「魔物にも事情があるんだ…」
「ちょっと遅刻してくる魔物もいて、海岸線を占領しちゃってる」
「…仕方ないよね。大事な会議なんでしょう?」
「わかってくれて、ありがとう。でも安心して。
やっと全部集まったから、今夜、夜通し話し合って明日には解散できそうだって」
じゃあ、今しか会えないんだ。
チェルシーは男の子のことを気に入ってしまった。
深い紺色の髪と目。
仕草もスマートで、王子様みたい。
そう思ったら、顔が熱くなった。
慌てて男の子から目を逸らして、噴水のほうを見た。
魚たちと目が合った。
「あの、ごめんなさい。
美味しそうなんて言っちゃって」
魚たちがモゾモゾ動き出す。
また水をかけられるかと思ったが、違った。
次々に水から飛び出して、空中で一斉に踊りだした。
しなやかな動きと、キラキラ光る鱗。
まるで、海の底のパーティーに誘われたみたい。
「わあ、すごい!」
チェルシーが手を叩いて喜ぶと、魚たちはくるんと宙返りして水に戻る。
「みんな、もう怒ってないって」
「ありがとう」
「明日には帰るから、最後に人間のホテルを見学に来たんだ」
「そうなんだ」
「可愛い女の子と会えて、みんな喜んでる」
「え?」
男の子の耳が少し赤い。
チェルシーも、自分が赤くなっているような気がした。
「もう、海に戻らなきゃ」
『また、会える?』って言ったら、男の子のを困らせるかもしれない、とチェルシーは思った。
だから「気を付けて帰ってね」と言った。
さよならしたくない気持ちが顔に出たかもしれない。
男の子は、チェルシーのおでこにチュッてしてくれた。
目が覚めたら、ママとパパがいる部屋の中にいた。
「チェルシー、なんて寝相なの!
いつの間にソファまで行っちゃったの?」
ママに笑われた。
「あら、それ、どうしたの?」
チェルシーは、手に虹色のペンダントを握っていた。
見覚えがないけれど、きっと、あの男の子がくれたんだ。
「お友達にもらったの」
「いつの間に?」
「おや? 二人とも見てごらん!」
パパに呼ばれて窓辺に寄ると、海岸線はすっかり綺麗になっていた。
それから、朝ご飯を食べに家族三人で食堂に行った。
ホテルで働く人も、お客さんも、みんな笑顔だ。
瘴気はすっかり無くなって、本当に大丈夫かどうか海岸を点検中だそうだ。
午後からは、きっと泳げますよ、とオレンジジュースのお替りを注いでくれたボーイさんが言っていた。
午後の日差しは強すぎるわ、とママはお留守番。
パパはチェルシーの浮き輪をしっかり持って、少し泳いだところにある岩場まで連れて来てくれた。
「滑りやすいから、気を付けてね」
パパに持ち上げてもらって岩場に登った。
パパも後から登って来る。
海岸を振り返ると、人でいっぱいだ。
昨日までは海の魔物でいっぱいだったのに。
みんな、無事に帰れたのかな?
チェルシーは、噴水の中にいた魚の友達を思い出した。
「おや、チェルシー、見てごらん!」
パパが沖の方を指さした。
遠くに水しぶきが見える。
「イルカ?」
「そうだね。群れで泳いでる。
あんなに水しぶきを上げて泳ぐのは、珍しいんじゃないかな?
まるで、誰かに見せたがってるみたいだ」
その時、太陽の光を反射してチェルシーの虹色のペンダントがキラキラ光った。
パパはその光に気を取られていた。
チェルシーだけが見ていた。
一頭のイルカに乗った、あの男の子が手を振っているのを。
チェルシーも手を振り返した。
『また会えますように』って心の中で祈りながら。
「イルカさんに手を振っているのかい?
私のチェルシーは可愛いね」
この次、海に来るときは『可愛い女の子』じゃなくて『素敵なレディ』って言われたい。
いや、言わせて見せる!
黙ったまま、挑むように沖の方を指さしたチェルシーに、パパは驚いている。
「イルカさんと何かあったのかな?」
「あ、うん、次に海に来るときは泳げるようになっていたいな…って」
素敵に泳ぐのも、きっとレディのたしなみだ。
泳げるようになったら、海で会おう。
虹色のペンダントを、そっと両手で包んで、チェルシーは誓った。




