文学少女の暇つぶし
「ねぇ、この本の話なんだけど」
文学少女の彼女が言うことには。
「精神的に向上心がなくたって、馬鹿じゃないと思うの」
人生は、死ぬまでの暇つぶしらしい。
隣の席の文学少女こと秋野奈帆はいつも、読み終わった本の感想を俺に話しかけてくる。
どうやら今日は、夏目漱石の『こころ』について不満があるようだった。
「確かにさ、向上心の無い我々は生産性がないかもしれないよ? でも必死に生きようとはしてるじゃん。馬鹿とか決めてくるのは流石に酷くない?」
「……まぁ、確かに馬鹿は酷いよな。せめて無害だが役にも立たないぐらいのニュアンスで……おい待て。何で我々って言ったんだよ」
「君と私は同盟組んでるでしょ!?」
「組んでねぇよ! 勝手に俺を仲間にすんな!」
「ひどい、裏切り者!」
この関係は、もう始まってから2ヶ月が経つ。席が隣になってから話すようになった彼女は、お喋りで天然で、死ぬまでの暇つぶしとして本を読む、ちょっと変わった女の子だった。
「漱石さんはさ、ロマンチストすぎなんだよ」
「……はぁ」
「月が綺麗ですね、とか言っちゃってさ。それに気づかなかったら意味ないじゃん、好意って。故意に示すから恋になるんだし」
そして俺は、そんな彼女の話を聞くのが好きだった。彼女は今日もくるくると表情を変えながら、少し高めの声で話を続ける。
「私ね、二葉亭四迷の『死んでもいいわ』も好きじゃないな。せっかく両想いになれたんなら、物言わぬ死体になってる場合じゃないじゃん」
「それはまぁ、例えばの話であってだな。秋野が『人生は死ぬまでの暇つぶし』って言うのと一緒で、だからといって暇なら死ぬのかというと話が違……」
「私の場合は、もう暇じゃないもん」
その言葉に驚いて視線を向けると、彼女はサッと顔を本で覆い隠し、ポツリと言葉を吐き出した。
「月があまりにも綺麗に見えたら、もっと見てたいし近づきたいじゃん。そんな余生はむしろボーナスタイムだよ」
そして彼女は、本の上から目だけを出して言葉を続ける。
「つまり、月って君のことなんだけど」
本からはみ出て見える、彼女の耳は真っ赤に染まっている。そんな彼女の様子を見ていると俺まで気恥ずかしくなってきて、喉から1つ言葉を絞り出すだけで精一杯だった。
「……秋野だって、相当なロマンチストじゃん」
確かにこれは、死んでなんかいる場合じゃない。俺は、ロマンチストな彼女に返すための『故意』な言葉を必死に脳内で探し始めた。