菊と鬼
今年も参りました、夕涼み重陽会の季節でございます。
テーマは「菊と鬼」なので、タイトルもそのまんま。
この作品は 九JACKさま主催の『夕涼み重陽会』参加作品でございます。
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今日も赤鬼は、地獄で目を覚ましました。
「ああ……眠くて、死にそうだ」
赤鬼はそんな言葉を発しますが、当然、鬼は眠くて死ぬことはありません。
それどころか、誰かに殺されない限り、決して死ぬことは無いのです。
何度か寝がえりをうった後、ゆっくりと頭を持ち上げて、伸びをします。
「ふぁ……おはよう」
赤鬼が声を掛けると、足元にいた手の平くらいの大きさのアリも、眠たげに首を持ち上げます。
「さて、そろそろ、行こうか……」
赤鬼は、熱灰の床……今ではすっかり草の生い茂り、居心地の良くなった寝床から立ち上がるのでした。
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赤鬼は、灼熱の石の前へやってきました。
「さてと……」
赤鬼は、のそのそと、灼熱の石……もうすっかり冷えてしまっている岩に向かって、歩き出します。
そして手近な小石を掴むと、岩に今日の日付を刻みました。
日付は、9月9日。
9月9日は、重陽と言って、菊の節句になります。
赤鬼は、菊の花が、大好きでした。
赤鬼が、岩のそばにある大きな袋を、いそいそと開けると。
そこには昨日、自分で摘んできたばかりの菊の花が、たくさん詰め込まれていました。
辺り一面に、とてもいい香りが漂っています。
「……うん。
いよいよ、今日か」
赤鬼が嬉しそうに呟くと、肩に乗ったアリは、少し寂しそうに震えるのでした。
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赤鬼は、釜茹で地獄につきました。
持ってきた袋いっぱいの菊の花を、手近な場所に置くと。
今度は、釜茹で地獄の……中の油が蒸発しきったその釜を持ち上げます。
「地獄の業火も、可愛らしいものだな」
釜の下で燃える炎を見ながら、赤鬼がそんな言葉を呟くと、アリも同意するように首を上下しています。
赤鬼は釜を持ったまま、のしのしと血の池地獄へと向かうのでした。
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赤鬼は、血の池地獄につきました。
血の池……しばらく罪人を入れていなかったためか、すっかり綺麗に澄み切ったその池の水を、赤鬼はゴクゴクと大口を開けて飲んだ後。
竹槍地獄で作った竹筒に、水を汲み入れます。
1本だけ持ってきた菊を、筒の中に詰め込むことも、忘れません。
いつの間にか肩から降りたアリも、美味しそうに水を飲み始めています。
2匹とも、すっかり喉の渇きが癒えた後。
赤鬼は、持ってきた釜いっぱいに、水を汲み入れたのでした。
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赤鬼は、釜茹で地獄へ戻ってきました。
そして、池の水を汲んできた釜を、地獄の業火にかけます。
更に、釜の中に、摘んできたたくさんの菊の花を、投げ入れるのでした。
赤鬼は、少しだけ釜の様子を見ていましたが、まだまだ全然、お湯は沸きそうにありません。
「少し、時間があるかな」
赤鬼が呟くと、アリが何を考えたのか、涎を垂らしました。
「食いしん坊め」
赤鬼は笑うと、刃の林地獄へと向かうのでした。
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赤鬼は、刃の林地獄につきました。
刃の林は……誰も管理していないせいで、ただの立ち並ぶ鉄の棒になっていました。
そこに、たくさんの植物やらキノコやらが蔓延っています。
赤鬼は林の中をすいすいと進むと。
一番奥に生っていた美味しそうな木の実を、いくつか回収するのでした。
「……もう食べるの?」
赤鬼が先ほど手に入れた木の実を渡すと、アリは嬉しそうに齧りだしました。
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赤鬼は、血の池地獄につきました。
釜の湯は、すっかり温かくなっています。
赤鬼が、ぐんっと息をいっぱい吸い込むと、菊の花の良い香りが、湯気と一緒に体の中に吸い込まれていきます。
赤鬼は嬉しくなって、虎模様のパンツを脱いで、すっぽんぽんになりました。
「……お前も、入るか?」
赤鬼がアリに声を掛けると、アリはフイッと首を横に向けました。
赤鬼はその様子に少しだけ苦笑すると。
温かくなった湯船の中に、ざぶんと飛び込んだのでした。
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赤鬼は、パンツを履きなおしました。
体は、すっかりポカポカになっています。
「ああ、とっても、いい気分だ」
赤鬼は満足そうに、ほう、と溜め息を吐くと。
アリが背中から、肩に乗っかってきました。
赤鬼は、アリの頭を優しく撫でた後。
木の実と水筒を持って、針の山へと、向かったのでした。
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針の山は……誰も管理していないせいで、すっかり先っぽがまん丸くなって、ただの山になっていました。
赤鬼は、ひょいひょいと針の山を登ります。
頂上近くに行くと、そこには、巨大な黄色い絨毯がありました。
赤鬼が、賽の河原から持ってきて、植え直した、一面の菊の花畑です。
赤鬼は、菊の花畑の真ん中に座って。
木の実をもぐもぐ。
お水をごくごくと。
お昼ご飯を、食べ始めました。
肩に載っているアリが、怒ったように赤鬼の頬っぺたに頭突きするので。
赤鬼は笑いながら、アリにも食事を食べさせています。
食事を食べ終えて一息つくと、赤鬼は、針の山の上から、地獄を一望しました。
そこには、すっかり緑に覆われた、昔の面影を全く残していない……。
……寂れた廃墟が、ありました。
「……なんで絶滅、しちゃった、かねえ……」
赤鬼は、虚空に向かって、ぽつりと呟きます。
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人間たちが絶滅した後の地獄は。
……まさに、地獄、でした。
人間が、地獄に来なくなったことで、存在意義を無くした鬼たちは。
誰もが、自殺しようとしたのでした。
けれど、鬼は自殺して死ぬことはありません。
それどころか、誰かに殺されない限り、決して死ぬことは無いのです。
『お願いだ、俺を殺してくれ』
もう、何匹目からのお願いだったでしょうか。
お人好しだった赤鬼は、家族や友達の鬼たちを、殺して、殺して。
殺して。
殺して。
殺して。
殺して。
殺して。
殺して。
殺して。
殺して。
殺して。
殺して。
殺して。
殺して。
……気づいたら、最後の一匹に、なっていました。
「さあて、みんないなくなったことだし、俺も死ぬか」
そんなことを考えていた赤鬼は、今更ながら、気が付いたのです。
誰かに殺されない限り、決して死ぬことは無いのに。
赤鬼を殺してくれる鬼が、もう、どこにも、いないことに。
それから赤鬼は、狂ったように地獄を走り回りました。
大声で叫んで、気が狂ったように髪の毛を引き千切り。
号泣しながら金棒を振り回して、凍柱地獄の柱を叩き壊して。
無限の様な孤独の生き地獄を、今まで生きてきたのでした。
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……蛇蝎地獄でアリを見つけたのは、数か月ほど前のことでした。
食料の無くなった蛇蝎地獄の虫たちは、お互いを捕食し始め、さながら蟲毒の様相を呈したのです。
最後に生き残ったアリは、どんな生き物でも殺せる程、強い毒を持った生き物になりました。
そう、この、アリこそが。
赤鬼を終わらせることが出来る、最後の、生き物、だったのです。
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「重陽の日、菊のお風呂に入って、菊の水を飲んで。
登高もして、菊の花に囲まれて。
……もう、満足だよ」
赤鬼が、幸せそうに、菊の花の中で、寝そべりました。
そんな赤鬼の首筋を、アリが、悲しそうに、見ています。
赤鬼は、目を閉じて、呟きました。
「ありがとう……そして。
……ごめん、ね」
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そこにはかつて、地獄が、ありました。
だけどもう、そこには、一匹の動物も、残ってはおらず。
ただただ山の上で、菊の花たちがゆらゆらと。
……何かを悼むように、揺れ続けているだけ、なのでした。
ま、間に合った! 今年も参加できてよかった~!
一応、以下は今までのNiOさんの『夕涼み重陽会』参加作品です。
宜しければ是非~。
2016 河原にて。 https://ncode.syosetu.com/n9324dm/
2017 エヌ氏のショート・ショート https://ncode.syosetu.com/n0666eg/
2018 ガラパゴスより愛を込めて https://ncode.syosetu.com/n8427fb/




