夢に見るあの日(後編)
日常の暴力が消えると共に、ボクは身寄りを亡くした。
なんとか近所の人々に支えられながら、父の葬儀を行う。
葬儀の最中。
見覚えのある、いや、ボクと同じ顔の女が現れた。
化粧は濃く、一般の人が水商売をしているのでは、と勘ぐりたくなるような服装をしている。
既になんと呼べばいいのか分からなかったが、「母」が現れたのだ。
喪主であるボクのところへ近づいて来るなり、一方的な主張をしてきた。
何でも、まだ離婚が成立していないので生命保険や遺産をを受け取る資格があるのだということだった。
周囲の冷たい目を気にせず、ボクに話しかけてくる。
久々に母が現れたので、喜ぶべきところなのだろう。
だが、この女をとてつもなく憎く思った。
決して世の中で褒められるべきではない行いをしていた父だったが、たしかに愛情はあったのだ。
共依存状態にあったと言われようが、ボクにはそう思えていたのだ。
ぼんやりとしていた脳髄が急に熱を持つ。
その女に「葬儀が終わったらそういう話をしよう」と冷静に告げ、中断していた葬儀を続けた。
あとは怒りでいっぱいだった。
父を荼毘に付し、軽くなった父を両腕で抱える。
ごめんなさい、貴方の愛していたはずの母はもうどこにもいないようです。
と思うと、目頭がジワと熱くなった。
家に帰り着くと、その女が懐かしそうに玄関前に立っていた。
「さっきはごめんね。なんていうか、自分のことばかりだったよね。でもね、お金が必要なの」
なんてまくし立ててくる。
もうボクの名前も覚えていないのではないだろうか、という態度だった。
「上がれば。暑いし」
とそっけなく言って扉の鍵を開けた。
居間へ通し、麦茶を出す。
父を仏壇の前に置いて、居間に戻る。
「でさ、あの話なんだけど……」と何でもなかったかのように話し始める。
父がいるのに、まだ亡くなって時間が経っていないのに、なんていう人なんだろう。
とぼんやり考えていると、急に体を揺すられる。
「ちょっと!聞いてるの!?」
ヒステリックに叫び、私の頬を打った。
父が本心で嫌がっていたのはこういう部分だったのか。
だから母が出ていくのも止めなかったし、母に似ているボクにも行き場のない感情から、暴力を振るったのだろう。と冷静に受け止めた。
まだ母が出ていく以前、母のヒステリックが頻繁に炸裂していたことを思い出した。
父は、私にその矛先が向かないように留めていてくれたように思う。
後に父自身が、ボクに暴力を振るうようになるのは、一体どんな皮肉なんだろうか。
何故、父は離婚を強行しなかったのだろう。
どんな形でも母がいれば幸せだ、なんてこの女を前にしたら全てが霞んでしまうに違いない。
自分の中に重たくどうにもできないような感情が澱のように溜まっていく。
尚も打たれ続ける。
唐突に立ち上がり、父の部屋へ向かおうとするその女。
きっと保険証を漁りに行くのだろうと感づき、ボクも立ち上がって、その行く手を阻む。
女より身長も力もあるはずなのになぜか圧倒される。
ついに、後ろ向きに倒れたところを馬乗りになって殴られる。
その表情は、昔見た地獄絵図のどんな罪人よりも歪んでいた。
口の中が血の味で満たされる。
意識が朦朧とし、このままで父と同じ場所に行ってしまうに違いない。
……いっそのこと、それでも構わないかもしれない。
だが、この女に殺されるのだけは嫌だ。
唐突に痛覚が鋭敏になるのを感じる。
「痛い、痛い。いたい…!」
そう言ったのか、心で強く思ったのかわからないが、それは起こった。
急に女が苦しみ始め、ボクと同じ顔に殴られた傷が広がり、醜くなっていく。
それに比例してボクの痛みは消えていく。
そして、彼女は苦しみ悶え、息を引き取った。
自重に従ってボクの上に倒れ込んでくる。
嗅ぎなれない化粧の薫りが鼻についた。
彼女の体を横に退けて、その隣に座り込んだ。
何が起きたのか。
どこか冷静にその事象を受け止めている。
ボクは受けた痛みを倍以上にして人を殺めることができる。
どういった原理なのかわからないが、助かった。
しかし、現状をどうしたら良いだろうか。
せめて、顔に傷がなければどうにか言い逃れができるのに、と考えていると、彼女の顔から殴られたあとが消え、元の(世間で言うところの)美しい顔へ戻っていた。
そのことには驚いた。
さっきの傷はどこへ、と服を捲ると……なるほど、見えないところに無数の傷ができていた。
とにかくも、冷静に警察へ通報した。
程なくして、近所の駐在さんがやってくる。
父のことでお悔やみを述べ、「母」の遺体を確認した。
体に無数の傷がついていることに訝しんでいたが、古い傷もあった為、通常的に暴力を振るわれていたのだろうと断定された。
後から自分の体を確認すると、父に振るわれた暴力の痕跡も綺麗になくなっていたので、どんな傷も人に移すことができることを知った。
何より、葬儀中の「母」の行いをこの駐在さんも見ていたので、人情として私に同情的だった。
死因はわからず、心筋梗塞と判断されて「母」は運ばれていった。
通常、連日葬儀を出すことも無いだろう。
父に続いて「母」の葬儀も執り行い、それぞれきちんと然るべき方法で地元のお寺で供養した。
そして、高校を卒業するのを待ってボクはその町を出た。
三月のとても寒い日で、普段この時期には見ることのできない雪がちらつく中だった。
もう、ここには何もない。
……最寄りの駅の改札をくぐるところで、現実のボクへと意識が戻ってくるのだ。
あの日を延々と繰り返して何度目になるだろう。
どうすれば良かったかなんて、考えたところで無駄なことは分かりきっていた。
お読みいただきありがとうございました!
過去編終わりです。
わかりにくいかもしれないので、次回人物紹介を載せます。
主人公の名前がここまでわからないのも珍しいのでは…