第66話 〜円卓会〜 拠り所
未奈のロボットは、今もあの日の服を着たまま、部屋の隅でじっと座っている。
目は開いていて、微かに動作していることはわかる。だけど、そこに「未奈」はいない。沙羅は、そのことを何度も自分に言い聞かせたはずだった。
「...未奈ちゃん」
ぽつりと沙羅が呟く。魔王——黒木は、隣で静かに沙羅の表情を見つめていた。
「処分する、なんてことはしたくない。でも、このまま動かなくなって……誰も触れずに、ただここに置いておくのも」
沙羅は、未奈のロボットの頬にそっと手を伸ばした。冷たいわけじゃない。ただ、虚ろだ。そこに「感情」がないことが、痛いほどわかる。
「これは、お前の心の中の未奈とは違う。けれど……その記憶と結びついてる。だから、辛いんだろう」
魔王の声は柔らかく、静かな水面に落ちる雨のようだった。彼は沙羅の肩にそっと手を置いた。
「失ったものを、そのまま抱えたまま生きるのは、誰にとっても容易いことじゃない。でも……それでも、歩き出さなければならないときが来る」
「それが、今だって言うの?」
「いや。そうとは限らない。お前がそう感じたときが、そのときなんだよ」
沙羅はその言葉に、心の奥で何かが解けていくのを感じた。泣きたいわけじゃなかった。ただ、どうしていいかわからなかった。それを魔王は、わかってくれていた。
「私は……怖いんだ。未奈ちゃんのことを、置き去りにして前に進むのが...
人はいつどんな時に死んでもおかしくない...
そして、死んでしまった人は...過去になって
みんなから忘れ去られてしまう」
「お前が未奈を忘れることはないさ。たとえ“ロボット”を手放したとしても、その記憶はお前の中で生き続ける」
沙羅は黙ってうなずき、未奈のロボットの前でそっと目を閉じた。思い出すのは、あの明るい笑い声。時に破天荒で、でも誰よりも情熱的だった彼女。
だが過去を捨て切ることはできない。
「——お邪魔します」
突然、玄関のチャイムが鳴った。驚いて顔を上げると、ドアの向こうに見慣れた影が二つ。沙羅は玄関に向かい、ゆっくりとドアを開けた。
そこに立っていたのは、杉浦抄と伊吹美音だった。二人とも、真剣な表情で沙羅を見つめている。
「突然、ごめん。でも……話しておきたいことがあるんだ」
杉浦の声には、これまでにない強さがあった。美音もまた、小さくうなずいて続ける。
「これからのこと、考えてるの。異世界のこと、そして……私たちがどう生きていくかを」
沙羅は戸惑いながらも二人を部屋へ招き入れ、魔王が軽く頭を下げると、杉浦も一礼した。
「俺は……逃げてたんだと思う。あの事件のあと、美音ちゃんを守るって決めたのに、それ以上のことからは目を背けてた。でも……未奈さんのことを聞いて、それじゃダメだと思った」
杉浦の拳は小さく震えていた。それをそっと包み込むように、美音がその手を握る。
「私も怖かった。でも……今、みんながここにいて、私も、沙羅ちゃんや黒木さんと一緒に考えたいって思ったの」
沙羅はふと、魔王と目を合わせた。何も言わない彼のまなざしには、優しさと決意が宿っていた。
「……未奈ちゃんのロボットは、しばらくこのままにしておくよ。私はまだ、心の整理がついてない。でも、今は——」
沙羅は一度大きく息を吸い込み、胸を張った。
「異世界へ行こう。もう一度、向き合うために」
魔王が静かにうなずく。杉浦と美音もまた、真剣な表情で立ち上がった。
「準備はできてる。今度は、俺たち四人で行こう」
「うん……一人じゃないって、心強いね」
沙羅は笑った。その笑顔は、久しぶりに心からのものだった。玄関を開けたとき、夕暮れの光が四人の影を長く伸ばした。
空気がわずかに揺れた瞬間、魔王が手をかざし、薄くゆがんだ空間が扉のように開かれた。
「いこう」
誰かがそう言った。沙羅には、その声が未奈のもののようにも聞こえた。
彼女は未奈のロボットを一度だけ振り返り、静かに微笑んだ。
「またね、未奈ちゃん」
そして、四人は異世界への扉へと歩き出した。
でも、彼らは知っていた。——もう、迷わない。
ナイトメアの空は、いつもどこか悲しげな色をしていた。けれど、その空の下に吹く風には、かすかに希望の香りが混じっていた。
沙羅たち四人がポータルを抜けて辿り着いたのは、かつて戦乱に包まれた場所――今は、仮初めの平和が戻りつつあるナイトメアの中心部...
つまり帝魔王たちがいる場所だ。
「久しぶりだな...」
低く、重く、それでいて懐かしい声がした。帝魔王が、漆黒の外套をなびかせながら現れた。その隣には、変わらぬ優雅さと不思議な笑みをたたえた少女――花奏が控えている。
「おかえりなさい...沙羅さん...大変でしたよね」
「……花奏ちゃん、水陽を倒したって言ってたよね...ありがとう...これで少しは平和になったんだよね」
美音が目を細めてつぶやく。花奏は優しくうなずいた。
「一時的に、ですけね。今はお父さんがしっかり支配しているから」
「俺が一掃した。だが、これがいつまで続くかは分からん」
帝魔王が腕を組む。沙羅は視線を彼に向けたまま、静かに口を開いた。
「……未奈ちゃんのことは...」
「ああ。際藤に……殺されたってな」
その言葉を聞いた瞬間、沙羅の拳がぎゅっと震えた。
「どうして、あの人は……どうして未奈ちゃんを……」
「理由なんて、知らん。ただ、あいつは狂ってる...
だが、未奈を殺した理由は...
彼を奪われたからと聞く...その動機で仇を討つ...
彼女に取っては大義なことなのだろう」
帝魔王は視線を逸らさなかった。その無骨な瞳が、沙羅の怒りをまっすぐに受け止める。
「...だからって私の親友を奪われたことには代わりないですよ、私は彼女の場所を知りたいんです」
問う沙羅の瞳は、涙を浮かべながらも、怒りと決意に燃えていた。
「悪いが……居場所は掴めていない
「……そう」
その一言に、沙羅の肩が僅かに落ちる。
「だが――」
帝魔王が言葉を続けた。
「もうすぐ、MKKの十二人が集まる円卓会が開かれる」
魔王が眉をひそめた。
「……円卓会、か。久々に聞いたな」
「そういう会合、まだやってたんだね……」奏もつぶやいた。
「任意出席だが、情報が集まる可能性は高い。そこに出席すれば……際藤の痕跡が掴めるかもしれん」
「...わかりました、ちょうどいいわ、MKKがどんな人種が集まるのか私も知りたいし」
沙羅は迷いなくうなずいた。その瞳には、決して揺るがない意志が宿っていた。
「私と……魔王とで、円卓会に参加します。MKKとして」
「お前、また戦う気かよ」
魔王が隣でぼそりとつぶやく。
「未奈ちゃんを……あんな風に殺されたまま、何もしないなんて、できないよ」
「……そうかよ。なら、俺も行く。お前が無茶したら止めるためにな」
沙羅が、ふっと笑った。
「ありがと、魔王」
帝魔王が腕を組んでうなずく。
「場所は変わったが、戦場はまだここにある。……来るなら覚悟しろ」
その言葉に、沙羅は迷いなくうなずいた。
「もう、覚悟はできてる。あとは……前に進むだけだよ」
かすかに風が吹く。ナイトメアの空は相変わらず悲しげだったが、沙羅たちの胸の奥には、確かな灯がともっていた――未奈ちゃんの想いを継ぎ、絶対に負けないという決意の炎が。
続く!




