長い刀の剣士の憂鬱
――なんという使い手よ、
何度となく仕掛け、打ち込むも、一度も間合いに入ることができない。
刀というには長すぎる得物を構え、静かに佇む相手を見る。女のように長い髪を流す美丈夫。
得物が長いのであれば、その間合いの内側に入れば勝てる。そう考え、位置を変え、構えを変え、その懐に飛び込もうとしても全て防がれる。
正眼に構えたその長い刀を叩き落とそうとしても、動きを読まれ、鋭い突きが返ってくる。
それでも、今は私がこの道場を預かる身だ。無様な立ち会いなどできるものか。
あれだけの長さの刀ならば、一度振らせてしまえばその隙に飛び込むこともできよう。
危険でも身を晒し、一手振らせてその懐に飛び込む。
切り結ぶ、太刀の下こそ、地獄なり
踏み込んでみよ、極楽ぞありける――
斜の正眼から、左足一足踏み込みながら、脇構えに、私の首を薙ぎに来た長刀を身を沈めてかわす。今こそ――
刀を袈裟斬りに降り下ろす、私は刀を長髪の男の首、三寸手前に止める。
そして、男の長刀は、私の脇の下に当てられていた。なんという、返し刃の速さよ。
「引き分け、ですね」
その男は笑顔で言った。
立ち会いを行った道場より場所を変え、屋敷に男を招き、茶を用意させる。
静かに微笑む男に、深く頭を下げ詫びる。
「我が道場の者の無礼、まことに申し訳ない」
「いえ、解っていただけたなら、なによりです」
「愚かな門下生は破門にしますので」
「そこまですることは無いでしょう」
「更には、私の体面に気遣って、道場の者の前での立ち会いで、引き分けにしていただくなど……」
私の技量では、この男に勝てるはずも無かった。だが、この男はわざと引き分けに見えるように、勝負を終わらせた。
おそらくは道場主を倒して、後々怨みを買うような面倒を避けたのだろうが、そのおかげで私の面子は守られた。そしてこの男にはそれだけの腕前がある。
「いえ、某も早とちりでしたので。てっきり女性に乱暴していたものかと、でしゃばったことをしてしまいました。只、某にもわかるよう、説明いただけますか?」
「うちの門下の者が絡んでいた女は、借金取りなのです。先生が病に倒れ、その病に効く薬のために金を借りたのですが、支払いの期日までに金の工面がつかず、催促に追われているのです。門下の者が、取り立てを待って欲しいと嘆願したところ口論になり、ひどくあしらわれて、暴力に出ようとしたところ、あなたに止められた。と、いうところです」
私も後で知って頭を抱えた。先生が病に伏せているので、先生の代わりに道場破りの相手をしているつもりであったが、門下の馬鹿者が己で勝てない相手を、道場の敵に仕立て上げようとしたことらしい。
「そのような事情でしたか。それでも、やはり女性に手を上げるというのは」
「我が道場でも、そんな馬鹿者を許すつもりはございません。そのような身内の不出来でご迷惑をおかけして、なんとお詫びすれば良いのか」
そのとき表からバタバタと足音がする。
「客人がおられるのだ、静かにせんか」
「呑気に客の相手をしてる場合かい?」
あらわれた女が言ってのけた。いかにも、な男を三人、手下に連れてやって来たのは、件の女借金取りだ。
「期日は過ぎたんだ。屋敷と道場、渡してもらおうかね」
「金は必ず返す、ただ今しばらく待っていただきたい。つては有るのだ。どうか期日を少し延ばしていただけないだろうか」
「待て、待てで、いつまで待ちゃあいいんだい?金が無いなら……あれ、あんたは」
女が客人に気付いたようだ。
「先ほどは、どうも。お怪我は無いようですね」
客人が女ににこりと笑う。借金取りの女は、ぽーっと客人の顔に見とれている。
女は、ハッと我に返ると、慌てて着物の裾を直し、襟を直し、
「今日のところは、このへんで、ほほほ」
と、さっきまでの勢いはどこかに消えたようで、しゃなりと振り向いて去っていった。
「姉さん、なにやってすか」
「うるさいね」
「なんでそんなに優男に弱いんすか」
「やかましい、いい男ってのは、裟婆の宝なんだよ!」
そんな声が遠ざかっていく。
改めて客人に向き直り、頭を下げる。
「迷惑をかけたお詫びにも、暫くはこの屋敷を宿がわりに使っていかれませぬか。その、来月の頭まで」
客人は困ったように頭を掻いた。
ある日のこと、客人に街の案内などしているときに、足元よりぴいぴいと音がする。
見れば鳥の雛が地に落ちている。拾おうとしゃがむと客人に止められた。
「人が触ってその匂いがつくと、親鳥はその雛を捨ててしまいます」
客人は手拭いで雛をそっと包む。
「どこかに巣があるのでは?」
言われて辺りを見回すと、倉の屋根の下に鳥の巣がある。
「かなり高いですな」
「そうですね。肩車していただけませんか?」
「それでも少し足りませんぞ」
客人は背中に背負った長い刀を鞘ごと下ろす。長さが尋常では無いので、腰に差すと鞘の先を地面に擦るので、背負っているようだ。鞘の先に手拭いを細紐で固定する。
「武士の魂を、そのように使いますか」
「なに、長い得物など、このように使えるから便利なのですよ」
客人を肩車する。客人は長刀の先の雛を落とさぬように、そっと巣の中に戻す。
「これで活人剣ならぬ活鳥剣ですね」
客人は朗らかに笑う。なんとも人を引き付ける笑顔である。
客人のおかげで、借金取りは期日を延ばしていただいた。月の頭には金を揃えて、全額返済できたのだ。ただ、それまでの七日間、毎日のように女借金取りは道場に通い、噂を聞いた街の女まで、道場を覗きに来た。ここまでこの道場が賑わったことは無い。
借金を返済した翌日、客人が旅立つというので、街の外まで見送ることにした。道中、聞きたいことがあるのだ。
「私はそのような長い刀を使う流派というものを、聞いたことがありませぬ。貴殿の流派をお尋ねしてもよろしいか?」
尋ねると彼は目を伏せて、暗い顔をする。
「聞いてはいけないことでしたか」
「いえ、そういうわけでは無いのですが」
いつかの鳥の巣のある倉の前を通る。あの雛は無事に育っているだろうか。
彼も同じように鳥の巣を見上げていた。
「某は、中条流で剣を学んでいました」
中条流、高名な流派のひとつ。しかし、
「中条流と言えば、小太刀の流派と聞き及んでおりますが……」
「はい、おっしゃるとおり小太刀の流派です」
「その、長い刀とは、結びつかないのですが」
「小太刀とは短い得物、いかに太刀の間合いの内に鋭く入るか、そのための技を要とします。某は師が技を磨くために、刀で受太刀をしておりました」
なんと、あの中条流の師の受太刀と。ただ師に教えを乞う弟子では、師の受太刀は務まらない。師に次ぐ実力と、師を越えようとする気構えが無ければ、できないことである。
「いかに刀の間合いに入り、小太刀の間合いで戦うか、そのために刀の長さを変えておりました。小太刀に難しくなるように、刀の間合いを広くするために、師に言われるまま、長い刀を使っておりました。『なにかつかめそうだ、もう少し長い刀で相手をしてくれ』師がそう言うたびに、特注の長い刀が用意されていたのです。そのような日々を送っているうちに、私は長い刀に慣れてしまい、これしか使えないようになってしまったんです」
なんとまあ、師の相手をしているうちに、その得物を極めてしまうとは。
「そうなると師は、『今さら小太刀をやるよりは、その長刀の流派を立ち上げた方がいい』と言うのです。なので某の流派は、某が開祖で、某ひとりだけなのです」
暗い顔で、彼は言葉を続ける。師が己の流派を起こせなどと言うのは、その弟子が師を越えたとき、だけだと思っていたのだが。
「師の言われように落ち込んでいるところを、同輩達に誘われ、やけ酒を呑み過ぎて、そこで某の流派を名付けてしまったんです。酔った勢いで、心に受けた衝撃をそのまま表して『ガーン流』と……」
『ガーン流』……
「しかし、酒の上のことならば、無かったことにして、新たな名前をつければよいではないですか」
「それが、某、酔った勢いで一筆書いてしまい、それが師の目について『ガーン流、ふむ、若者らしく斬新で良い名だな、音の響きが良い』などと、誉められてしまい、今さら取り消すこともできず……」
なんとも、答えようがない話である。
「いっしょに酒を呑んでた同輩達も、酔った勢いで悪のりして、すまなかった、と謝ってはくれるのですが。そんなわけで某、『ガーン流』開祖なのです。こんな名前の流派で、得物もこけおどしのような、長くて扱いが難しい刀、某ひとりで終わる流派ですよ」
「いやいや、貴殿の実力、それにお人柄、流派の名前など問題無く、弟子になりたいという者はいるはずですぞ」
「気を使わなくてもいいですよ」
寂しげに微笑む彼の顔を見ると、なにも言えなくなってしまった。
「それでは、お世話になりました」
「こちらがご迷惑をかけ、そのうえ貴殿のおかげで助かりました。このご恩は必ずやお返ししますぞ」
「某も、楽しかったですよ」
彼は旅立っていった。冗談のような、物干し竿のような刀を背負って。あの刀には、ひとりの剣士の悲哀が詰まっている。
やがて彼は伝説に名を残す。ツバメの雛を刀で巣に返した逸話が、いったいどう伝聞されたのか。
『秘剣、燕返し』の使い手として。
物干し竿とも呼ばれる長い刀。
やがて天下無双の剣豪、宮本武蔵と小島で戦ったという噂を聞いた。
彼こそが『巌流』佐々木小次郎。