老人の悲願
「おっしゃ、次持ってこい」
俺がアナクを連れて戻ると、いつものカマキリ親父の店は、貸し切り状態になっていた。主要な客は黒の鉄鎖の傭兵達だったが、それが激減した。また、一般の挺身隊員やヌシ達もいないので、これまた来客がない。
宴の始まりから数時間。遠慮を忘れた……いや、もとよりそんなものを持ち合わせていないキースは、山ほど食べ、水を撒くように飲んだ。それに付き合わされたガッシュは、酔い潰れてテーブルに突っ伏している。
「店主」
アナクは皿の上に大量に取り残された料理をみて、指差した。
「これもそれも包んでくれないか。持ち帰りたい」
「ほう、お前さんはワームの肉が好きかね」
いつもの軽口だったが、彼女は口角を吊り上げた。
「食ったことあるのか? あれを」
「うっ」
わかりやすくノーラが反応した。思い出したのだろう。
それと察したカマキリ親父は、顔色をなくした。
「まさか本当に食ったのかね!」
「毎日のようにな。どんなに焼いてもベトつく粘液がなくならないし、汚水のような臭いがするんだが。あれをどんな風に調理したら、こんな味になるんだ? 今度教えてくれ」
すると彼は頭をポリポリ掻き出した。
「いやぁ、これはしてやられたわい。すまんな、実はそれは羊の肉だ」
「そうか。これが噂に聞く羊か。初めて食べたぞ」
「はっはっは!」
冗談でなく、アナクにとっては初めての味だったのかもしれないが。
テーブルに木のジョッキがドンと置かれる。それを見るなり、キースが掴んでまた一気に飲む。ただ、少しペースダウンはしているようだ。一緒に飲む相方がいないと、どうにも物足りないのだろう。残念ながら、もう一人の成人男性たるビルムラールは、基本的にお酒を飲まない。あとは未成年ばかりだ。子供が酒を飲んではいけないという法などないが、誰も飲みたがらなかった。
宴会開始から既に四時間ほどが過ぎた。個人的には、こういうダラダラ続く長い飲み会は苦手だ。働くのとはまた違った疲れがあるというか。
「食えるだけ食っとけよ」
ポツリとキースが言った。
「なんせ俺様のオゴリだからな」
「えっ?」
急に言われてビックリした。
「い、いえ、僕らも払いますよ」
「アナクにゃ、そんな金はねぇだろ」
「それは別として、あとは頭割りでも」
「いーからおごられとけ。な?」
どういう心境の変化だろう。
いや。そういえば、キースには、どこか以前とは違うところがある。思えば、この街で最初に会った日もそうだった。試験と称して俺の周りの人全員と手合わせしたが、その時にも感じたことだ。
丸くなった、という言葉だけでは片付けられない。
「お気持ちは嬉しいのですが」
今、まさに店主によって包まれている料理を横目に見ながら、ビルムラールが言った。
「食べきれない量を注文するというのも、いかがなものでしょうか」
「同じこったろ。なぁ、オヤジ」
「ああ……まぁ、そういうこともあるかもな」
これまた配慮、か?
キースは本当に、どうしてしまったんだろう。
「もうじき、ここじゃ商売できなくなるんだからな。食いもんの在庫なんざ、全部吐き出しちまわねぇと、生ゴミになんだろが」
「それはどういう意味ですか」
「どうもこうもねぇだろ。俺らが勝っても負けてもだ。なぁ、アナク?」
俺がキースに声をかけ、彼がそれを受け入れたのは、そして今も一緒にいるのは、最終目標に価値を見出したからだ。目先の問題だった、キブラの大攻勢を乗り切るだけならもう、済んでいる。だが、この後には人形の迷宮の完全制覇が待っている。迷宮の主を討伐するというのがゴールだ。それを達成するのが、俺達にとっての勝利とされている。
迷宮が打倒されたら、迷宮都市も存在意義を半分以上失う。一応、砂漠の貿易の中継点としての価値はあるものの、規模はずっと小さくてよくなる。宿屋も商店も多すぎるから、大多数はこの街を去るほかなくなるだろう。
逆に敗北は? 目的に至る前に死ぬことだ。差し当たっては、地下からレヴィトゥアが攻めてくる。アルマスニンがどういう態度を選ぶかはわからないが、最悪の場合は地上も戦場になる。そうなったら、やっぱり商売どころではない。
店主とて、挺身隊の壊滅くらいは知っている。ドミネール達もいなくなった。ギルドも機能していない。黒の鉄鎖まで撤兵を始めている。つまり、最低限の防衛力すら喪失した状態だとは理解している。ここでもし、迷宮が暴走したら、自分達の命はない。だからこそ、ライのように街を捨てて逃げるのも出始めている。
「近日中に、長老に確認するつもりだ」
「長老? なんだねそれは」
「オヤジ、この先の話は聞かないほうがいいぜ」
「おー、そうかそうか」
彼が去ったのを見届けてから、キースは顎をしゃくった。
「で?」
「仮にレヴィトゥアとの対決が避けられない場合だが、お前らの力を借りられると考えていいのか?」
アルマスニンが特に「人間派」ということはない。穏健派ではあるが。彼らがレヴィトゥアに反抗するのは、なにも地上の街を守ってやりたいからではない。単に連中の支配下に入りたくないからだ。
だから、人間の冒険者の力を借りるのを当たり前とも考えていない。あくまで取引ありきだ。
「んー、傭兵みてぇで気分よくはねぇなぁ」
「でも、キースさん、レヴィトゥアが地下を支配したら、僕らは迷宮の主を倒しに行けませんよ」
「結局、ブッ殺すしかねぇんだよな」
ビルムラールも、俯いて言った。
「残念ですが、話し合いが通じないのなら、そういう結論しかないかと思います」
「やることだらけね」
ノーラが呟いた。
「昔の魔物討伐隊が何十年もかけて迷宮で戦ってきたのもわかる気がするわ。果てしないもの」
「馬鹿正直に、トカゲの群れを全部俺達が片付ける必要はねぇだろ」
いったい何百人いるかもわからないのだから、真正面から戦うなんて、割が合わない。
「ファルス、お前、裏口を見つけたんだよな?」
「一応は」
地下に落ちた時の話だ。
あの直通階段を下りていけば、下層に降りることはできる。気になるのは、バジリスクを殺した際の汚染が、どれだけ残っているかだが……
「んで、そこを這い上がった先はってぇと、アナク、お前が道順を覚えてる、と」
「一応はな」
「だったら、奴らの拠点は奴らに守らせといて、俺らは裏から親玉の首を取ればいい。簡単だろ」
それを簡単というのだろうか。
しかし、それが最短距離かもしれない。
「簡単ではないぞ。キース、レヴィトゥアの力を侮ってはだめだ。お前が稀に見る強者なのは、見ればわかる。だが、あれには何十何百という手下がいる。火魔術の腕前も長老以上だ。あれだけの強者であればこそ、長老もずっと膝を屈してきたのだから」
「じゃ、どうすりゃいいんだ? どうせやんなきゃしょうがねぇだろ。もうすぐここまで攻めてくるってぇんだ。だったら、どれが一番楽か、簡単か。いっそ、地上までくるのを待つか? 黒の鉄鎖の傭兵にぶつけちまうとか」
「それで勝てればいいが……奴の力は、多分、そんなものじゃない。長老も言っていたが、その気になれば、サハリアの中央砂漠は、暗黒時代に逆戻りする」
つまり、諸国戦争期並みに、ドゥミェコン周辺が魔物の支配領域になる、と。
それほどまでの力があるというのか。
「けどまぁ、仕事の中身がそんだけでかいとなりゃ、それなりに報酬もでかいのが欲しいところだな」
と彼が呟いた瞬間、店の玄関の扉が開いた。
「おっ?」
外はもう、薄暗くなっている。残照も去りつつあり、世界は藍色に染まっていた。そんな中、酒場に踏み込んできたのは、一人の老人だった。しかし、どこかで見たような顔だが。
「はい、らっしゃい」
と言いながらも、店主も客だとは思っていないようだった。
「済みませんが、ここにキースという方はおいででないか」
「ん?」
店主が振り返るのと、キースが振り向くのと、同時だった。
「なんだ、俺様に何か用か」
「ああ、あなたが」
老人は、せかせかと駆け寄ると、その場に膝をついた。
「あなたが、先の大攻勢で窟竜を討ったと噂のキース様ですか」
「あん? 俺じゃねぇよ」
俺達は目を見合わせた。
「なにトボケてんだよ。ファルス、トドメ刺したのはお前だろが」
「えっ? いえいえ、最後に首に剣突っ込んだのはキースさんだったかと」
「そうだったか?」
確かに、俺の一撃で窟竜は横倒しになったが、まだ生きていた。なので殺したのはキースだ。
「んじゃあ、俺。まぁ、こいつらも働いたけどな」
「では、やっぱりそうなのですね」
「それがどうかしたか」
すると老人は、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
「ああん?」
「私は長いこと、この日が来るのを待ち望んでおりました」
「何の話だてめぇ」
無礼極まりない言葉遣いにも、彼は一切文句をつけなかった。というのも、この老人には悲願があったからだ。
今より十年以上前まで、人形の迷宮は、最前線だった。大半はワノノマの戦士や帝都の神官戦士が占めていたが、一般の冒険者も、功名を求めてここにやってきていた。
この迷宮に挑む冒険者の中に、老人の息子も含まれていた。ムスタム在住だった彼の息子は、ちょっとしたことで父と仲違いし、商売を継がずに冒険者になってしまった。それなりの才能はあったのか、昇格を重ねてジェードにまで至っていたという。
だが、それでも人形の迷宮の危険度は、他の仕事とは段違いだった。とりわけ窟竜の強さは、並みの冒険者の手に負えるものではなく、彼もまた、その炎の吐息の前にこの世の生を終えた。
息子の訃報を受け取った老人は、深く悲しんだ。既に妻にも先立たれ、身寄りのない彼には、なくすものなどなかった。だから全財産を処分して、ドゥミェコンに移り住んだ。そこで彼は、冒険者の遺品を取り扱う仕事を始めた。利益のためではない。ここで命を落とした冒険者達の無念を晴らすためだ。他にも迷宮で家族を失った人々がいたので、彼はいわばそのまとめ役として働いた。
ところが、老人の不運は更に続いた。十年前の大攻勢で大敗を喫した帝都は、方針を転換した。これまでの実戦能力ある戦士達に代わってこの街を仕切り出したのは、ワディラム王国の海兵くずれのドミネールだった。彼はギルドや挺身隊の重鎮と癒着して、私腹を肥やすばかりだった。彼らに戦う意欲などなく、まったく迷宮に攻め込む様子がなかった。
この状況にあって、多くの心ある人達は、諦めて去っていった。しかし、一人息子を亡くした彼には、他に行く場所などなかった。いつか状況が変わって、迷宮に立ち向かえる戦士達が戻ってくるはずだ、と。その日が来るのを信じて、踏みとどまっていた。
そこまで話を聞いて、思い出した。この老人とは、話をしたことがある。
ドゥミェコンにやってきてからすぐ、夜の市場に繰り出したが、そこにいた。あの黒竜のローブを店先に並べていた商人だ。俺に向かって帰れと言ったが、つまりあれは、彼なりの善意だったのだ。ドミネールが支配する迷宮都市では、まともに探索などできやしない。そうでなくても、若者が無駄に命を散らすところなど見たくはないから。
「どうかこの街を見捨てないでください。迷宮を打倒してください。できる限りのことはさせていただきます」
「ふーん、まー、俺にゃあ関係ねぇな」
「キースさん」
俺じゃなくて、ビルムラールがたしなめた。
「けどまぁ、もらえるもんはもらっとく。それと、俺達は迷宮の主をブッ殺すつもりだけどな、そりゃ俺が言い出したことじゃねぇぞ」
「では、どなたが」
「このパーティーのリーダーは俺だが、言い出しっぺはそいつ、ファルスだ」
そう言われると、途端に居心地が悪くなった。
迷宮を討つためではない。俺が最深部を目指すのは、永遠の死を手にするためなのだから。
レヴィトゥアという最後の障害物を取り除いた後、俺はついに死ぬ。死に直面する。
今更ながらに、胸の奥に、不定形の不安のようなものが浮かび上がってくる。これでいいのだろうか。
「そいつが言い出さなきゃ、俺達もこれ以上戦う理由なんざねぇ。今日で解散だ。礼ならファルスに言うんだな」
「なんと」
「ガキに見えるが、騙されんじゃねぇぞ。それでそいつ、フォレスティア王の騎士だ。腕前も……まぁ、俺様がいなきゃ、世界最強かもな」
「おぉぉ」
老人は、俺の顔を見て、思い出したらしい。
「以前には無礼なことを申しました。お許しくだされ」
「い、いえ」
「もはや余命いくばくもない老人に過ぎませんが、迷宮と戦うためであれば、財貨はもちろんのこと、この身の血の一滴まで、惜しまず差し出しましょう。どうか、どうかよろしくお願い致します」
老人は、俺の手を取って懇願した。
だが、俺には返す言葉がなかった。ぎこちなく微笑んでみせるほか、なかったのだ。




