手がかりは虫食い
分厚い絨毯の表面は、赤と黒で描かれた菱形に埋め尽くされていた。それらが身を寄せ合うようにして、一つの大きな円をなしている。もしかすると、この模様にも、何か特有の意味合いがあるのかもしれない。
「いかがなさいましたか」
状況のややこしさゆえに、一時、俺の思考は問題を逸れてしまっていた。
「いえ、済みません」
「はは、まぁ、お困りで心ここにあらずといったところですか」
俺が慌てて非礼を詫びると、アスガルはそれを笑って流した。
「ヒジリ様はお美しいですが、随分と恐ろしい方なのでしょうな。ファルス様でさえ、このありさまとは」
「ギィ」
これには苦笑いするしかない。
「いや、留学中の、最後の最後で頼っていただけたのは、私としては喜ばしい限りなのですが」
「やはり、本場の人に見ていただくのが一番だと」
この場には、俺とペルジャラナン、それと通訳としてのシャルトゥノーマ、あとはビルムラールがやってきていた。あとは理由をつけて、旧公館で留守番となっている。この夜更けに赤の血盟の公館に出向いたのは、俺が例の女のいた部屋で発見したものを検分するためだった。あのすぐ後に、この三人があの場所まで追いついてきた。そしてビルムラールは、そこに残されていた布地を見て、サハリアの織物であると断定した。
だが、ことはそれで終わらない。俺がなんとなく見覚えがあると思ったその布地は、ペルジャラナンの記憶にもあるものだった。彼は、これがあの人形の迷宮にいた少女、アナクの私物だったはず、と言い出したのだ。俺が襲撃者を追跡している途中に、彼が殺害をやめるようにと伝達してきたのも、間近に迫った女の手にしていた槍、あれがレヴィトゥアの所有していたものとそっくりだったことがある。それと、槍の持ち方や身のこなしにも、既視感を覚えたためだった。
そうとすると、彼女は俺を殺しにきたことになる。だが、何の恨みがあって?
「ふぅむ」
アスガルに急遽呼び出された老人、恐らくは彼の教育係を務める人物が、布切れを何度も裏返しながら、確認した。それからやっと、彼は結論を述べた。
「残されているのが一部ですので、断定は難しいですが、この文様はアルハール氏族か、その分枝のものでしょうな。そこは間違いないかと」
「ということは」
続きは言わなかったが、アスガルは察した。
「例の、紛争の時の恨みかもしれません……が、それにしては」
俺が赤の血盟に与して、黒の鉄鎖を壊滅に追いやった、あの戦争。確かに、恨まれるだけの理由にはなる。だが、もしそれが理由なら、なぜアスガルを狙わない? グラーブから攻撃するなんて、筋違いどころではないだろうに。
「その、これがファルス様がドゥミェコンにいらした時の、知り合いになったアナクという女性のものだとは、今しがた聞かせていただいたわけですが」
アスガルは、腕組みして首を振った。
「その少女……いや、確かに無事に成長していれば、或いは今回の襲撃に手を染めた女と同じくらいに育っていても不思議はないわけですが、しかし、どうにも変ではないですか。迷宮攻略の報酬を貰ってから、そのままワディラム王国の知恵の塔に向かったのでしょう?」
「ええ」
ビルムラールが答えた。
「私がキースさんと一緒に学院を去る時期までは、傍で見ていました」
「仮にそこで、自らがアルハールの一族に属するものと知ったところで、なぜファルス様に報復せねばならんのですか」
シャルトゥノーマが首を傾げた。
「しかし、ファルスはその、アナクという女の親族をも殺したかもしれんのだろう? 復讐されるのは自然ではないか?」
「いや、だが、それ以前の問題で……そもそも彼女の身の上話が事実だとすると、アナクは親と会ったこともないのですから。顔も名前も知らない血族の誰かを殺したかも、というだけでは、動機としては弱すぎるのでは」
老人が、その白い髭だらけの顎に手を当てて考え込み、それから呟いた。
「理解の助けになるかわかりませんが、その辺で、少し思い出したことがございますな」
「それはどんな」
「黒の鉄鎖が、長年、ドゥミェコンを抑えていたことはご存じですかな」
俺は頷いた。
「そこに傭兵団を率いてとどまっていたのが、キジルモク氏族のアルカンです」
「存じ上げております。お会いしたことも」
「おや、では話が早い。そのアルカンですが、何のためにあのような辺鄙なところに身を置いていたかと申しますと、実はわけがありまして……彼には、気性の激しい娘がいたそうで、それが帝都留学中に、勝手にフォレス人の男を見初めて、許しも得ずに結婚してしまったのだそうです」
内心、引っかかるものを感じた。どこかで聞いたような話だ。
「で、孫娘まで産まれてしまったそうで、アルカンは怒りもし、悲しみもしたそうですが、その後、しばらくして、娘が男と離婚したとのことで、それならとジャンヌゥボンの邸宅に引き取ることにしたそうです。まぁ、サハリアの男としては甘いのですが、世の父親というものは、そんなものですからな」
「それで」
「娘は、ムスタムまで船で渡って、それから駱駝に曳かせた車でドゥミェコンを経由して、アラワーディーを通っていくつもりだったようですが……砂漠の中で、行方不明になったとのことで」
古い記憶と、妙に歯車が噛み合うのを感じ始めていた。
「それを知ったアルカンは、ラジュルナーズにドゥミェコンの太守の役目を引き受けたいと申し出て許されたそうですな。それから長年、娘の手がかりを探したそうですが、何も見つからないままに、例の南北の戦いが始まってしまったので」
「あの」
声がかすれていた。
「はい」
「その、アルカンの娘の夫だった男というのは、もしかして」
唾を飲み込んでから、俺は尋ねた。
「ウェルモルド・ブルンディリというのではないでしょうか。エスタ=フォレスティアの近衛兵団の軍団長だった」
「おぉ、そうですな。よくご存じで。それは、アナクという少女が自分でそう言っていたのですかな?」
だが、俺はすぐには返事ができなかった。
「おや、どうなさいましたか」
「いえ、アナクはそんなこと、知らない……少なくとも、知らなかったはずです。ただ」
「ふむ?」
この真冬だというのに、気持ちの悪い汗が滲んでくるのが、自分で分かった。
「だとしたら、僕は二重の意味で、彼女の仇なのかもしれません。ウェルモルドは……僕のせいで死んだようなものです」
「なんと」
「王位継承を巡っての争いが起きた時に、僕は……彼の腕を斬り飛ばしています」
この告白に、アスガルは引き攣った笑みを浮かべた。
「さすがはファルス様、ですが、その頃となると、まだ少年だったと思うのですが」
「魔術も使って、無理やりやったので。あの時、腕を切断されたことがきっかけで、ウェルモルドは発熱して寝込んでしまって、そのせいで長子派は立ち直れずに負けてしまい……彼自身も、絞首刑に処せられました」
推測の通りであれば、俺はアナクの父母両方の側に、大きな害をなしたことになる。父親の死因でもあるし、母は殺していないものの、その実家を没落させた張本人でもある。親族も大勢、死に追いやったはずだ。
「いや、ですが、ファルス様」
アスガルは手を伸ばし、俺を押しとどめた。
「確かにサハリア人の人情からすれば、身内を殺されれば復讐しかありません。ですが、そのアナクという少女は、後から自分の所属を知っただけでしょう。なぜファルス様を問答無用で殺さねばならんのですか」
「殺す理由になるかはわかりませんが」
ビルムラールがそれに答えた。
「私は、知恵の塔にいる間、アナクと話す機会が多かったので、なんとなく気持ちはわかります」
「と言いますと」
「彼女は、人間になることを渇望していました。それまでずっと、リザードマンの間で暮らしてきたアナクは、何者でもなかったのです。自分が人間なのかどうか、その拠り所となるものがありませんでした。だからこそドゥミェコンでも、スラムの少年少女達を束ねて、彼らの面倒をみてやっていたのです。ですが、その役目もなくなってからは、尚更その思いが強まったようで」
よく覚えている。俺の介入が、彼女の世界を壊してしまったのだから。
「だから人間になるために、自分の所属を後から知ったのだとしても、その役目に徹することで、存在意義を見出そうとしているのかもしれません……が」
「納得できなくはないですが、理由としては些か弱すぎるような気もしますな」
決定打にはならない根拠しか出てこない。だが、俺の中では、更に別の懸念も燻っていた。
「気になることが、他にもあって」
「なんでしょうか」
「戦ってみた時の違和感と言いますか」
あの桁外れの魔法の威力。あれは人間が努力だけで達成できるものとは思われない。
「いくら鍛錬したとはいえ、この短期間に……たった数年で、あれだけ高度な魔法をいくつも、しかもあの威力で使いこなせるようになるとは思えないというか」
しかも、ピアシング・ハンドを無効化したり、どうやったのかはわからないが、瞬間移動でもしたのか、アジトから一瞬で姿を消したり。
「あれに似た、途方もない威力で魔法を使うのを、他で見たことがあるんです。ほら、ビルムラールさん、あのレヴィトゥアとか」
「ああ、言われてみれば」
「あの威力を出すには普通では無理です。普通の『飛行』の魔法で『高速飛行』に匹敵する速度を出すんですよ。後ろから見ていましたけど、術の威力に肉体が耐えきれなくて、変に軋んでいました」
シャルトゥノーマが眉根を寄せた。
「では、どうやって、あれだけの力を振り絞ったというんだ」
「恐らくは精霊」
「精霊?」
「思い出してほしい。イーグーの魔法は、どうだった? 全部は見てないと思うけど、最後、クロル・アルジンを抑え込んでいた時には、とんでもない力を発揮していたはずだ」
俺がそう言うと、彼女は深刻な顔をして、唇を引き結んだ。
「まるでおとぎ話ですが……精霊ですか」
「僕らは実際にそれを目の前で見ている」
結局のところ、まだ俺達の情報は虫食い状態だ。俺を狙ったのはアナクである可能性が高い。そうであれば、アスガルよりグラーブを攻撃した理由も説明がつく。ウェルモルドの仇と言えばタンディラールで、その一人息子なのだから。そして、どういうわけか、彼女は異様なほどの魔力を身に帯びている。可能性としては精霊の力を得ていることが考えられるが、現時点では何も明らかではない。
「ギィィ、シュウシュウ」
「今、なんと」
「ああ、ええと……それより、これからどうするかを決めないと、と言っている」
根本的な問題は、結局、そこだ。しかし、指摘されて俺は目元を覆った。
「ヒジリの説得が大変そうだ……」
「ふむ?」
「それに、いろいろごまかさないと……だって、グラーブ殿下は襲う、学園も破壊する、それで僕にも殺意を向けた、だけど知り合いだから、すぐ殺すのは待ってくれと、事情を知りたいから生け捕りにしたいと言ったら、どんな顔をされるか」
深い溜息が耳に触れた。
「考えたところで、私にもまるでわかりませんが……そうですな、ファルス様」
アスガルは、首を傾げながら提案した。
「クーであれば、なんと言ってくれるでしょうか」
そう言われて、俺は座り直し、静かに考えた。
「課題を、分離する」
すっと思考が纏まり始める。
「問題なのは、これ以上、帝都の無関係な人々に迷惑がかかること。本当の狙いが僕なら、僕に目を向けさせればいい」
「ふむ?」
「もちろん、グラーブ殿下にも危害が及ぶ可能性は捨てきれない。だから、ヒジリは彼の護衛に残す。でも、多分、僕を追ってくる。だからティンティナブリアに引き返す。あちらなら、周囲に人のいない荒野がいくらでもある」
「なるほど」
「殺さず生け捕りにはするべき。目的がわからない。協力者の有無もわからない。あれだけの力の出所もわからない。だから、性急に殺して終わりというわけにはいかない」
自分で口に出してから、悪くない考えのように思われた。アスガルやグラーブは、この件では我が身を庇うべき立場だ。しかし、恐らく優先順位の低い標的に違いない。なぜなら、母方の一族にとっての仇という意味では、アスガルもグラーブと同等の標的であったはずなのに、今まで一度も狙われていないからだ。
「そうと決まったら、早めに動きます」
俺は左右を見渡した。特に異論はなさそうだった。




