デート襲撃
戦勝通りの街路樹は、ほとんどその葉を落としていた。この時ばかりは、歩道の真ん中に隆々とした幹が露わとなる。夏の間は緑の木陰のせいで、却ってそこまで存在感がなかったのに、今になって急にそこにあることを意識させられる。道路の清掃が行われているおかげで、落ち葉はそんなに多くない。それでも、木の根元に立っていると、枯葉を踏みしめる音が耳に触れる。
人通りは決して少なくないのだが、やはり季節のせいか、どことなく賑やかさに欠けている気がした。それも不思議なことではなく、こちらの世界では、年末のお祭りの時期がカレンダーの外側にはみ出るということがない。
商業主義に染まった前世では、ハロウィンが終わったらすぐにサンタクロースの人形が飾られるし、クリスマス商戦も始まるので、一ヶ月くらいはダラダラと華やかなムードが演出される。ところがこちらでは、帝都でさえ、そういうお祭り騒ぎの時期は、年末の六日間だけと決まっている。何が違うのかといろいろ考えたこともあるが、もしかすると、物流の量の差なのかもしれない。産業革命が起きなかった……或いは統一時代に起きていたかもしれないが、その影響が断ち切られたであろうこの世界では、比較的裕福な帝都でさえも、それだけの消費を支えるほどの圧倒的な富がない可能性が考えられる。
頭上は灰色。道行く人々も、くすんだ色のコートやマフラーに身を包んでいる。近くには足音ばかり。少し遠くに耳を澄ませてみれば、近くの喫茶店にいるカップルの会話とか、客の注文に応えるウェイトレスの声などが聞こえてくるのだが。
そんな中、俺は立ち尽くしたまま、人を待っていた。
『こんな時期にですか?』
出発前に、ヒジリにチクリと言われた。無理もない。フシャーナからは不急不要の外出を控えろと言われている。事件の捜査でもなく、出かけなければ済まないほどの用事でもないのに。
ただ、このところ、リリアーナとはずっと連絡が途切れていた。それが昨日、手紙が届けられていた。今日の昼から会いたいというのでは、やっぱり無理ですと伝えるのも間に合わない。いや、彼女のいる寮まで駆けつけて、お付き合いする時間はありませんと言えば済むのだが、そこまでするのならと思って、こうして出てきた。
彼女からすれば、いろいろ思うところも、気遣わなければいけないこともあっただろうと思うから、安心させてやりたい。そういう考えはある。
「ごめーん、お待たせー!」
しばらく待っていると、通りの向こうから駆けてくる二人の姿が目に映った。木の幹に体を預けるのをやめて、俺は振り返った。
「お嬢様、どうなさったんですか」
「表通りが混雑しててさー、馬車が」
「だから早めに出かけましょうと申し上げたではありませんか」
いつものリリアーナとナギアだった。
でも、俺の問いかけは、そういう意味ではなかったのだが。遅刻したことより、そもそもどうしてこんな状況なのに、俺と会う予定をねじ込んできたのか。まぁ、言いにくいこともあるだろう。察するところがあったので、俺は深くは掘り下げなかった。
思い当たるのは、やはりベルノストの件だ。俺がグラーブ相手にバタバタしていたあの時期、リリアーナは一切動かなかった。動けなかった、というのが正直なところだろう。俺と違って生身の人間である彼女の立場で考えると、グラーブの逆鱗に触れるような振る舞いはできない。父や弟の立場もあるのだから。よしんばリリアーナが俺に肩入れしたいと考えたとしても、ナギアがなんとしても許さなかっただろう。ここは距離をとって、事態が鎮静化するのを待つのがいいと、そう考えるのは自然だし、何か悪いということもない。仕方のないことだ。ただ、リリアーナ自身の気持ちとしては、どこか俺を見捨てたような後ろめたさがあるかもわからない。
軽い溜息一つで、俺は笑顔を作った。
「外は寒いですし、近くのお店に入りましょう」
喫茶店の二階の奥、寛げる個室に席を占め、重いコートを脱ぎ、温かい紅茶を一口飲むと、ようやく心身が落ち着いた。リリアーナはカップに手を添え、かじかんだ指を温めようとしている。ただ、紅茶というのは一般に温度が高いし、カップも薄手だったりするので、ずっと指をくっつけていると、それはそれで熱すぎる。それで忙しなく、触れたり離したりしていた。そんな主人の様子に、ナギアは冷ややかな視線を向けている。いい加減、子供っぽく振る舞うのはおやめなさいと、そういうメッセージなのだろう。こういうところも、いつも通りの二人だった。
「こうやってファルスに会うのも、ちょっと久しぶりだよねー」
「そうですね」
「忙しそうだったもんねー」
ナギアが居住まいを正して、横合いから口を差し挟んだ。
「お嬢様もお忙しかったですからね」
「そう思う」
「そうそう、聞いてよ。私、勧誘されちゃった」
「お嬢様」
ナギアが溜息をついた。
「何に?」
「帝都のね、興行やってる会社の、歌唱隊!」
要はアイドルグループだ。ケクサディブとこの辺りで会った時に見かけたような。
ナギアがいい顔をするはずがない。貴族の令嬢がやるようなものではない、という認識だろうし、俺もそう思う。
「そのようなところで技芸を見せびらかす理由がございません。それに、芸の深奥を理解しない大衆に向けての努力というものは、その質を濁らせることにも繋がりかねません」
「えー」
「何がご不満ですか」
「質とかなんとかいってもさー、じゃあ誰に見せるの? 頑張ったって、聴いてもらえなきゃ意味ないじゃん、演奏なんかさ。金庫の中から出さない黄金のネックレスなんか、ないのと同じでしょ?」
なるほど、と頷いてみせてから、俺は意見を述べた。
「芸事、という点で考えるなら、お嬢様の仰る通りかと思います」
「だよね!」
ナギアが俺を睨みつけてくる。
「料理も同じですから。上流階級の人達に相応しい品を作るには、確かに技量が必要ですが、だからといって王侯貴族しか食べない料理を作っているばかりでは。案外、それでは進歩しないもので、大衆に向けて売り出そうとするからこそ、工夫が重ねられるということはありますから」
フランス革命がいい例だ。貴族に出す料理はコストを度外視して作ることができた。だが、革命が料理人達を失業させた。その結果、各種ソースが開発された。手っ取り早く、王宮の味を作り置きしておくことにしたわけだ。そうしてより多くの人に吟味され、よりよいものが残されていった。
もちろん、逆の流れもある。実のところ、先に王侯貴族の存在があればこそ、彼らの需要に合うような洗練が生まれたのだから。要は、滞ることがよくない。万人受けする、当面の商業的需要を満たすためだけの品も、これまたナギアの言うように、人々に迎合するだけの、つまらないものにしかならないだろう。洗練の後には大衆化、大衆化の後にはまた専門性の向上をと、常に新たな境地を目指し続けなくてはならない。
「ただ、そのような活動に身を置くと、厄介事に巻き込まれやすくなりますよ」
「うー」
「わかっているでしょう? それに、人は勘違いしますからね。本当は物凄く遠い世界にいる相手なのに、すぐ目の前で歌ってくれているからって、勝手に心の距離を縮めてくるおかしな人というのもいるのです。どうするかは僕が決められることではないですが、判断はくれぐれも慎重になさるべきかと」
ここまで言い切る頃には、ナギアの視線も穏やかなものになっていた。
「なんか面白いこと、一つくらいしたいんだけどなー」
「もっと安全な何かにしましょう」
「って言ってもさー」
実のところ、リリアーナにはアイドルの才能がある気がする。彼女自身、それをなんとなく悟っているのではないか。とにかく華があるから。これはただの美貌だけでは生じない。例えばノーラには、絶対にできないだろう。
もう一つ。彼女に「先がない」という問題もあるのだろう。少女時代からそうだったが、刹那的なところは、今も変わっていないらしい。つまり、折り目正しく貴族の娘として、不品行を避けたところで、その向こうにあるのは、別に望ましくもない、どうでもいい人生しかない。だったら、今を楽しみ尽くした方がいいのではないか? それはそれで一理ある。ただ、それでもアイドルはやめたほうがいいと思うが。
「何かあったら、ご親族の皆様方の顔にも、泥を塗ることになるのですよ」
「カターい。ナギア、カタいよ」
「お固くて何かいけませんか」
フォンケニアの方のエンバイオ家、か。確かに、あそこはいろいろと面倒臭そうだ。
「そういえば、あちらはどうなってるんだったっけ。フォルンノルド様とか、皆様、どうなさってるのかな」
「え? ファルス、知らないの?」
「顔を見たのが三年くらい前かな。それも、王都にいらしたエルゲンナーム様しか」
三男のドメイドが、貴族の椅子欲しさにリリアーナを拉致しようとした件はあったが、あれは表沙汰になっていない。今でもサフィスは本家と形ばかりのお付き合いを続けているはずだ。
「そっか。うんと、フォルンノルド様だけどね、去年からご病気で」
「えっ」
「なんかね、たまーにあるみたい。こう、一族の持病っていうか? 大昔の当主様もそうだったらしいけど、まだお年寄りというには若い年齢で」
「お嬢様、おやめください」
「えー、いいじゃん。だって、パパのパパは無事だったんだし」
ナギアが苦々しい表情を浮かべるのも無理はない。なんだ、この血筋には奇病がついて回るのか、と受け止められたら。これは口を滑らせてはいけない類の話題だ。
「割と有名なんだけどなー。どうせ歴史の本とかにも書いてあったりするじゃん? むかーし、フォンケニアをまとめ上げたご先祖様がね、若い頃はすっごく強くて頭の回転も速くて。なのに、中年くらいになったら、なんか急に怒りっぽくなったり、落ち込みやすくなったり。そのうちに変な動き? をするようになって」
「変な?」
「指先が勝手に動いたり、何もないのに急に顔を顰めたり、なんか不自然に手足がカクカク動くことがあったりしたんだって。でも、うちの分家では、この病気になった人はいないし、本家の方もたまーにいるくらいらしいから」
それは怖い。でも、そうとすると、フォルンノルドは今、かなり苦しんでいるに違いない。
「じゃあ、本家は大変ですね」
「そうだねー。跡継ぎも、結局、ちゃんと決まらない感じだし。エルゲンナーム様、男児に恵まれなかったから」
「えぇ、それは」
「グディオ様のご嫡男が、ってことになっちゃうから」
そうなると、気になるのがあと一人。
「シシュタルヴィン様は?」
「あぁ、今はフォンケニアにはいないよ?」
「どちらに?」
「スーディアらしいね」
大きな声を出すところだった。
「あんなところへ、何しに?」
「なんか、聖林兵団の軍団長になったらしくて。そりゃ、フォンケニアにいたっていいことないもん、仕官するよね」
「でも、スーディア? 今はジャン様が伯爵になってるんじゃ」
「うんうん、でも、それがまた、状況がよくないらしくて」
ゴーファトの死後、タンディラールは予定通り、彼の甥のジャンに爵位の継承を許した。だが、力ある領主だった先代とは違って、ジャンにはあの地の支配者たる資質が欠けていた。この点は生前、ゴーファトも指摘していたが、どうやら彼の言う通りだったらしい。
「なんか北西部? と南部で、細かな反乱が繰り返し起きて、収拾つかなくなっちゃったみたい」
「それは大変だけど」
と、他人事のように言ってしまったが、ゴーファト時代の末期を思えば、当然の成り行きではある。ミュアッソやコーシュティの不満を無視して、暴虐の限りを尽くしていたのだから。最後にはアグリオの市街地で内戦が起きていたくらいだったのだし。そこで軟弱な次代の伯爵、しかもスーディアの支配者にとっての象徴であるフリンガ城は、瓦礫の山になってしまっている。
「ナイザは?」
「えっ?」
「あ、いや、ゴーファトの配下だったナイザっていう家宰がいて。凄く強い人だから、その人がいれば大丈夫かなと思っていたんだけど」
俺の言葉に、リリアーナは首を傾げた。
「私は知らないけど。そんな人、いたんだ? ってか、どうしてファルスがそんなこと知ってるんだっけ?」
「えっと、まぁ、スーディアにも旅の途中に立ち寄ったから」
「そうだったっけ?」
詳しく話したくなくて、以前に説明した時には端折った覚えがある。
「とにかく、そういうわけで、伯爵から陛下に救援依頼があって、それでシシュタルヴィン様が率いる聖林兵団の一軍団がね、スーディアに入って、賊を相手に戦ってるみたい」
「そんなことになっていたんだ」
それからしばらく、とりとめのない話が続いた。それが不可解だったが、別におかしなことでもない気もしていた。この時点で俺が想定していたのは、リリアーナの不安だったから。ベルノストの件について沈黙を守ったこと、その後ろめたさから、俺との関係に溝ができるのではと、それを恐れているのだとすれば、そうした懸念を自ら説明するのは難しいし、したいとも思わないだろう。いつもと変わりない俺を確認できれば、心穏やかに帰宅できるはずだと、そう考えていた。
だから、しばらくして店を出て、帰りの馬車を探そうと、大きな道路に出るために戦勝通りを歩いていた時、リリアーナがこう言った時、俺は目を丸くした。
「それでファルスー」
「はい?」
「今日はどうして私を呼んだの?」
何かがおかしい。戦勝通りの出口付近にある小さな噴水の前で、俺は足を止めた。
「呼んだ?」
「久しぶりにファルスとゆっくり話せて嬉しいけど、結局、何の用だったのかなって。ほら、いつもはファルスって、具体的に用事がある時しか、連絡してこないし」
「何のこと、ですか?」
俺の表情の変化に、リリアーナも気付いた。
「えっ?」
「念のために聞きますが、どうして僕が呼んだと?」
「だって、手紙が届いてたし」
「手紙? じゃあ、あれは、僕を呼んだのは」
「えぇっ?」
やっぱり。絶対におかしい。
と同時に、内心に警報が鳴り響いた。まさか。
反射的に『魔力障壁』を頭上に展開していた。直感は的中した。斜め上から滑り込んできた黒い何かが、障壁に弾かれて、その進行方向を変える。勢いをある程度保ったまま、その穂先は冷水を噴き出す水の中へと突っ込んでいった。
通行人が悲鳴をあげ、身を縮めた。盛大な破砕音を響かせながら、白い石製の噴水は、真っ二つに割れていた。水を供給する水道管を破壊したらしく、おかしな方向に水が噴き出していた。
俺は急いで上空に目を凝らした。
だが、頭上には灰色の雲が覆い被さるばかりだった。




