槍騒動
乾いた木の棒を打ち合わせる、小気味よい音。それが中庭に響き渡る。アォマが身を翻すたび、その白い胴衣がはためき、棒の先端が風切り音をあげる。
「せいっ! やぁっ!」
必殺の気合と共に、彼の手首に力が込められる。東方大陸の棒術や槍術にしばしばみられる、捻りこみ。珍しいものなのだろうが、俺からすれば、見慣れた動きだ。マオ・フーやワン・ケンがたっぷり教えてくれたから。
「はぁっ!」
フェイントの後に、ワンテンポずらしての全力の刺突。だが、意図を読まれていたのでは、その威力も無に等しい。俺はそっと棒の先端を添えて、急に勢いをつけて、俺の右後ろへと、その威力を逃がした。既に力の限り戦い続けていたアォマは、この動きに対応しきれず、ついに棒を手放してしまった。
「あっ」
俺の棒が彼の喉仏に突きつけられた。これで何度目だろうか。
「ま、また……」
汗だくになっていた彼は、ついに心を折られてしまったのか、呆然と立ち尽くしていた。
「婿殿の実力、ようやく悟られたか」
これまた棒を手に、縁側に座り込んでいたタオフィが、のんびりとした口調でそう言った。
「いやいや、しかし、それでも大した腕前だ。チャン・クォの弟子と名乗るだけのことはある。ただ、相手が悪かったようですな」
マツツァは、そう言ってアォマの健闘を称えた。いや、慰めた、というべきか。
タオフィが頷いた。
「槍捌きが独特ですな。短槍の扱いとなると、やはり棒術のような自在な動きもできるようで、そこは面白いと感じましたぞ」
「間合いも変わっておる。鍔迫り合いから、刀の切っ先も届かぬ遠間まで。しかも、近付けば手も足も飛んでくる。いやはや」
二人が楽しげに語りあうその奥、居室に座っているヒジリは、何も言わずにお茶を口に運んでいた。彼女の興味関心は、既にアォマの能力にはない。その人となりとか、関わり方をどうするかの方に思考が向いているのではないだろうか。
一方、長槍に見立てた長い棒を手にしたカエデはというと、目をキラキラさせていた。
「旦那様の腕前はとっくにわかってましたけど、アォマ様も凄いですよ! いいなぁ、短槍……」
どうせ婿殿に敵うわけもなかろうに……という空気を発散する二人と違って、純粋に自分の技量を評価し、その技法に興味を抱く少女に、アォマは疲労感を滲ませつつも、なんとか柔らかな笑みを作って振り返った。
「私の腕前はこんなだが、師匠ならもっとうまくやるだろう。だが、そうだな。短槍は、その短さゆえに、できることもある」
「そうですね! 瞬きする間にもう別の間合いになってるところとか、穂先と石突が入れ替わったりとか、そんなの習ったことないですよ」
「そうか。私でよければ」
そこまで言いかけたところで、タオフィが意味ありげな、固さのある笑みを浮かべて立ち上がった。
「アォマ殿の槍は確かに並外れておるが」
彼は一瞬、視線をアォマに向け、それからカエデに振り返った。
「まだ長槍の扱いも練習中だからのう。中途半端で次に手を出しても、いいことなんぞない」
「えーっ」
不満の声を漏らす彼女に、タオフィは、あくまで穏やかに、けれども断固とした口調で言い聞かせた。
「ならんならん。煌びやかな技の数々よりも、地味で確かな一振りじゃ……あ、いや、アォマ殿は別にこれでよい。その地味で確かな一突きをちゃんとものにされておられて、その上で多くの技を修めたのだからのう。しかしカエデ、お前にはまだ早い」
「でもでも、変じゃないですか! なんで私みたいに小さいのが、こーんなに重い槍を使って、どうしてアォマ様みたいな大柄な人が、そんな取り回しのよさそうな短槍を使うんですか」
「お前にはまだ、向き不向きというものがわからんのよ。それがわかるまで、きっちりやりこんでからじゃ」
彼女の不満は収まらない。それでも、実力ではまだまだ、と言われては、カエデも沈黙せざるを得ない。
果たして、彼女は幸せなのか、不幸なのか。そう思わずにはいられない。タオフィが短槍の練習を妨げようとするのは、彼女を絶望させまいとしてのことだ。短槍の機敏な動きを身につけさせようとした場合、露呈するのはカエデの身体能力の限界だ。小柄で筋力にも乏しい彼女が、男性としてもやや大柄で逞しいアォマと同じ技を繰り出すなら、そこに絶対に埋められない差がある現実を目の当たりにすることになる。
そもそも、周囲はカエデを前線に立たせまいとしている。武人の家の婦人として、居残り組の最終戦力としての長槍を手にする。それは、最後まで戦場に出されず、保護される身分であることと同義だ。
いまだに父の栄光を追うカエデの頭上には、目に見えない透明な天井が被さっている。
そして、なんらか訳ありなのだろうと、アォマも察した。一瞬、真顔になったが、すぐ笑ってみせた。
「なに、焦ることはない。なにしろここには、私がどう足掻いても一本も取れなかった凄腕がいる。このような妙技を毎日、間近で見られるのだ。タオフィ殿の言う通り、地道に積み上げていけば、一端の武人になれるだろう。本当に」
そこで言葉を止め、俺に振り返ると、彼は苦々しさを交えて言った。
「汗すらかいてないのか……」
「済みませんね。これから用事があるので、まぁ」
入浴する手間もかけられない。今日の午後には、お出かけが決まっているから。だから省エネモードで、あんまりくたびれないように立ち回らせてもらった。
「それで」
これまで様子を眺めていただけのヒジリが、やっと口を出した。
「アォマ殿、決着はついたようですが」
「は、はっ」
「では、最初の約束の通り……よろしいですね?」
「承知……致した!」
チャン・クォは、彼を俺に預けると言ったが、彼は納得していなかった。だから、ここで俺を打ち負かして、師匠のいるチュエンに帰ってやると言い放っていた。が、結果は見ての通り、彼の惨敗。散々強気に出たことのツケは小さくなく、彼は自分で宣言した通り、この公館の下働きの一人に収まることになってしまった。
「よろしいです。では、旦那様」
「ああ、そろそろ……出かけてくる」
槍の勝負よりずっとくたびれる仕事が、その日の午後には設定されていた。
季節外れの花々、ガラスのドームの下にはいくつもの座席とテーブルが並べられていた。その空間の寒々しい空気を少しでも温めようと、隅にある暖房装置には火がくべられていたが、今日に限っては、十分にこの場所を温めることができていなかった。
要するにここは……エスタ=フォレスティア王国のサロン、その年度末のイベント会場だった。そういえば、俺が留学してきてから最初の大規模集会も、この場所だった。あの時には、ベルノストが開場前にあれこれ取り仕切っていたものだった。
そしてここに今、途轍もなく気色悪い空気が流れている。
「彼女は、この二年間に亘って、数々の催しにおいてアナーニア殿下を補佐してきました。あと一年ありますが、これからにも期待しているとのこと。皆様、盛大な拍手を!」
お立ち台の上のケアーナは、なんともいえない微妙な笑みを浮かべたまま、突っ立っていた。だが、拍手を合図に頭を下げると、そそくさと引き下がって、こちらの席まで戻ってきた。
「はー」
「お疲れ様」
「ホントホントにお疲れだよ! あー、もう、ハゲそう」
座ってから、彼女は長い長い溜息をついた。
「まぁ、居心地は悪いから」
「他の人はさー、それだけで済むんだよ」
声量こそ抑えているものの、彼女は不満を吐露し始めた。
わからないでもない。俺もついさっき、あそこに立たされた。そしてあることないこと並べ立てられて、まさかの褒め殺しだ。しかも、それを言うのがグラーブ自身ではなく、彼がどこかから雇ってきたイベント業者の司会役という。
気持ちはわからないでもない。結局、ベルノストの離脱は、グラーブのイメージに暗い影を落とした。評価の一切がマイナスというのでもない。ただ、これで彼は「公平だが峻厳にすぎる」「失敗を許さない」「近寄りがたい」といった印象を抱かせることになってしまった。なので、グラーブ自身が会合で発言している間は、みんな緊張を解かない。しかしながら今回は、ちょっと早めとはいえ、年度末の総会だ。みんな笑顔、一年間ありがとうございましたと、そういう趣旨で催される集まりだ。だから、サロンの参加者への感謝の気持ちを表現したいのだが、怖い顔の主人となってしまった今では、もうその役目をこなせない。といって、あてにできる臣下もいない。それで、こうして外部の業者にその辺を丸投げした、ということだった。
「立場的には、これ、アナーニア様がやればいいんだろうけど」
「できると思う?」
「思わない、けどそれなら、リシュニア殿下が」
「本気で言ってる?」
「まさか」
これが年度末の総会ということは、今度は次年度の総会がやってくる。その時、主人役を務めるのはアナーニアになる。グラーブもリシュニアも卒業して、ここからいなくなってしまうから。
だったら、次の主人役がみんなと親しくする役目を担えばいい。グラーブは怖くても、新しいリーダーが笑顔でみんなに接するのなら、この場はそれなりに取り繕える。だが、そうはならなかった。アナーニアのコミュニケーション能力の低さを思えば、グラーブがリスクを避けたのも無理はない。リシュニアなら、任せられれば無難に役目をこなすだろうが、これはこれで微妙な選択になる。妹と違って一緒に卒業してしまう人が、どうして主人役を代わりに務めるのか、という話になるからだ。
「ここで言えることと言えないことがあるんだけどさぁ」
「え? なに?」
「もー、愚痴りたい。ってかもう、どうでもいいや。ねぇ、ファルス君」
ケアーナが、とんでもないことを言いだした。
「ぶっちゃけ、もうこの後、私をお持ち帰りしてグチャグチャにしてくれない?」
「ハァ!?」
「それくらい胸糞悪いの。バカバカしいっていうか、なんというか」
「ま、まず落ち着こう。愚痴くらい聞くから」
彼女は深い深い溜息をつくと、落ち着いてから、まず謝罪した。
「ごめん」
「ん?」
「あまりにもあんまりだから、ぶっちゃけ過ぎた。でも、事情を言えないって言ってるのに、この八つ当たりはないよね。ごめん」
「いや、そういうこともあるよ」
言えないからこそ、逆に鬱憤が溜まる。それが人情というものだ。
「言える範囲で言っちゃうと……稼いできた点数、パーになるかも」
「えっ?」
「不祥事がね。でも詳しく話したら、これ広めちゃったら、ますますひどいことになっちゃうから。何も言えなくて」
ケアーナの視線は、アナーニアに注がれていた。あの姫様、また何かしでかしたのだろうか。
「まぁいいや。それでね」
「う、うん」
「来年の催事は、全部業者頼りだから。私も、実質、半分はお役御免なの」
「はい?」
目立たないようにそっと顎で指し示しながら、吐き捨てるように彼女は言った。
「だって、無理でしょ。グラーブ殿下でさえ、こんなに苦労しながらサロンを運営してたのに。もうリシュニア殿下も、ベルノスト様もいない。それで、後に残るのが……となったらね。これまで、後輩達にあれこれ催事のコツとか伝授してきたけど、いくらまともな学生が居残ってたって、好き嫌いで変な奴をのさばらせるようなのが上にいたら、全部台無しになっちゃうから」
「あぁ」
「もう、変に権限を委譲するとか、そういうことをしない方針にしたみたい。グラーブ殿下は。そういう意味では、ちゃんと考えてると思うけど」
無理もない。昨年から今まで、アナーニアが推薦してきた人材は、軒並み問題児ばかりだった。本人の社交能力の低さも、かなり深刻だったりする。
ただ、顔だけのお姫様かと思いきや、意外なことに、アナーニアの学業成績そのものは、実は結構優秀らしい。物覚えは悪くないし、特に本人が好む事柄に関しては、かなりの高得点を叩き出したりもするそうだ。なのにどういうわけか、実務になると、途端にボロが出る。性格とか、何かその辺が大きく足を引っ張っているような気もする。はてさて、誰に似たのだろうか。
ともあれ、そんな妹の無能を目の当たりにしてきたグラーブは、被害を広げないために、現実的な対応を選択した。来年のサロンの活動はもう、すべて外注にする。アナーニアの仕事も最低限にして、目立つミスをしないようにする。ただでさえ、来年は帝都の総選挙があるのだから。変に自由裁量を与えて、うっかり大失敗する危険を残しておく気にはなれなかったのだろう。
「やれやれ」
俺も溜息をついて、壇上を見る。雑談しているうちに、褒め殺しのステージが終わったらしく、グラーブがそこに立っていた。
「思えばこの三年間、諸君らには大いに助けられてきた。いろいろなことがあったし、思い通りにならない事柄も少なからずあったが、総じて感じているのは、君達への感謝だ」
針の筵のようだろう。聴衆は彼を恐れている。どことなく距離を置いている。それが伝わる。でも、グラーブは、形ばかりでも親しげな態度を演じ続けなくてはならない。
「もうあと一ヶ月か、二ヶ月か。年明けすぐにでも、私は帰国するだろう。そうなれば、陛下の助けとなるべく、日々を重責の中で過ごすばかりだ」
長い挨拶をするつもりはない気がする。どこかで参加者にご歓談を、という感じで締めくくるのではないか。そう思いながら、彼の挙動を注視していた。
「今となっては、帝都の何もかもが名残惜しい。諸君、学生としての、この自由な時間は、本当にかけがえのない」
その瞬間、俺は目の前の丸テーブルを撥ね飛ばし、ひっくり返していた。こちらに振り向きもしないグラーブにぶち当たり、彼を抱え込んだまま、反対側にあったテーブルの足のすぐ下にまで、転がり込んだ。
離れたところで椅子に座ったままのケアーナが目を丸くしていた。参加者達が騒ぎ出し、天井を指差していた。何が起きたのか、やっと気付いたらしい。
「うっ、ぐっ、こ、これは」
「殿下、ご注意ください!」
俺はグラーブから体を離し、半身を起こした。
さっきまでグラーブが立っていた場所。そこには、宝石のように煌めくガラスの破片が散らばっていた。頭上に吊り下げられていたシャンデリアが落下したのだ。なぜそうなったのかといえば……
「あ、あれは!?」
「立たないでください! 狙われているかもしれません」
黒い槍、だった。それが、ガラス張りの天井を支える支柱に突き刺さっていた。
「くそっ」
槍は、この会場の入口の扉をぶち抜いて、あの高さに突き刺さっている。あまりに不自然な軌道だった。とにかく、誰かがあれを投擲したのなら、今すぐ追いかけて犯人を捕らえてしまいたい。だが、それはできない。なぜなら、ここにベルノストがいないから。グラーブの盾になれる誰かが欠けているから。俺が守らねばならない。
無論、動くのは俺一人ではない。会場の護衛達が急いで会場の出入口に殺到し、槍の出所を探し求めて走り出した。
だが、結局、この騒ぎを起こした犯人の足取りは、まったく掴めなかった。




