穏やかな秋の休日
微風を時折感じるほどの、穏やかな秋の日だった。埠頭にはノーラが、オルヴィータを伴っていた。今日は見送りの日。俺とルーク、それにニドとタマリアがこの場にいた。
「気をつけて」
「どうやって気をつけるのよ、船の上で」
言われてみれば、そうなのだが。船に見知らぬ人が乗るのでもなし、暴風雨がきたからってできることもないし。仮に気をつけなければいけない何者かがいるとすれば、それは海賊などだろうが、そういう中途半端な脅威は、ノーラ達を脅かす前に幽霊船になるだろう。そして、その程度でない、例えば使徒のような危険が迫ったなら、逆にできることは何もない。
「これ以上、領地をほったらかしにはできないもの。帝都での商談も一通り済んだし、居残る理由がなくなっちゃったから」
「他の人はもう、帰ってもらってるわけだし」
「そういうこと。また忙しくなるわ」
それから、俺達の視線はオルヴィータに向けられた。その眼差しの意味に気付いた彼女は、急に居心地悪そうに肩をすぼめた。
「な、なんですか、なんなのですか」
「ルークは修行中だからなぁ」
意味ありげにニドが言った。
「ま、いいんじゃねぇの? お前は別に生活するには困らねぇんだし。好きにさせてやれよ」
からかうような声色に、彼女は顔を赤く染め始めていた。
ルークが自分から口説くわけはない。この件を掘り返されると、一切がオルヴィータ主導でしかなく、ではどうやってルークに言い寄ったのかとか、そういうところに意識が向けられかねない。だが、その辺は彼女にとって恥ずかしいのだろう。
「ルーク」
「どうした」
「黙らせるのです」
「なぜだ?」
そして、ルークはこの辺、鈍感の極みだったりする。人の心の中の本当の苦痛には寄り添える彼だが、空気を読めるそつのない振る舞いを期待したところで、まったく役に立たない。
「もう」
「何がまずいのか、わからない」
「ルークはおバカなのです」
この二人のやり取りは、昔から変わらない。ルークは何度、彼女から「おバカ」と言われたのだろうか。
「でも、よかったねぇ」
タマリアがしみじみと言う。
「まさか私のあれこれの裏側で、こんなことになってたなんて」
「うー……」
とはいえ、羞恥に染まる求婚者をそのままにしておくほど、ルークは薄情でもない。話題を変えるためもあってか、伝言を頼んだ。
「そうだ、ジョイスによろしく言っておいてくれ」
「ジョイス? 何を伝えるのです?」
「また勝負しようって」
ニドが皮肉った。
「お前、勝ったことねぇじゃねぇか」
「次に勝てばいい。強敵だから、挑みたいんだ」
ルークは、そういうからかいのような声に、一切に表情を曇らせない。率直というか、なんというか。自分の弱さのような部分に対する恥じらいがない。足りないものは足りない。だから努力する。それだけじゃないか、と言わんばかりだった。
実のところ、ルークが帝都に留まる理由だが、そんなにあるのでもない。修行なら、どこでやってもいいはずだ。本当はタマリアとベルノストを見守るためでもある。二人がオムノドに引っ越すまでのしばらくの間、傍で見守り、支えるために、あの場所で暮らすことにした。ただ、無論、そんなことは口にしない。
「気をつける、といえば」
ノーラが、俺に視線を向け直した。
「学園の方で、また何か起きたって聞いたけど、ファルスこそ気をつけないと」
「ああ、例の黒い槍か」
フシャーナとケクサディブに呼び出されたあの日、俺が地下にいる間に、学園の時計台に黒い槍が突き刺さっていた。その角度、威力から判断すると、市内中央部のどこかにいわゆるバリスタ、弩砲のようなものを設置して、学園に向けて発射したのだろうと結論された。
では、誰がこの問題に対処しているのか? 言うまでもなく、帝都防衛隊だ。なんでもかんでも俺の仕事、なんてわけがない。まだこの件、背景も何もわかっていない状態でもあり、死人が出たのでもない。それなのに慌てて俺に調査を依頼するほど、フシャーナに節度がないということはなかった。
「別に、そのうち犯人も捕まるだろうし、あれからまだ、何も起きてない。春の事件があったから、今回は防衛隊も最初から頭数を投入して学園付近を見張るようになったし、僕があれこれ動く必要なんてないんじゃないかな」
「だといいけど」
そろそろ出発だ。無言でノーラはオルヴィータと頷きあった。
「今年の冬は、領地には戻るの?」
「できれば、帰るつもりでいる」
「そう。これからは定期船もあるし、前より行き来は楽になってるから」
イーセイ港もあれば、城まで直通の高速道路もある。ピュリス経由で行くより、ずっと楽になった。
「それじゃ」
ノーラは、敢えてそっけなく背を向け、船に向かった。
水平線の彼方に船が遠ざかっていくのを見送ってから、ニドが呟いた。
「行っちまったなぁ」
「すぐまた会えるよ」
「まぁ、な。もうずっと近くなったんだし」
それから彼は尋ねた。
「お前ら、これからどうすんの?」
「どうって……」
ルークは首を振った。
「予定は特にないな。今から帰って、これといった仕事があるのでもないし」
「うちも、旦那がギルドの仕事を請けに出てるし、帰っても暇かなぁ」
「ファルスは?」
俺にだけは、この後の都合もあった。
「商店街に様子見に行くつもり」
「様子見? なんのだ?」
「あー、えっと」
実は、千年祭の際に俺がリシュニアに紹介したアルバイト。なんと、彼女はいまだにそこで働いているらしい。
「王女様の気紛れ? の件で……」
ちょうど昼時というのもあって、俺達は連れ立って繁華街前の商店街に向かうことになった。
千年祭の頃の異様な喧騒はなくなったが、今日もほどほどに混みあっている。戦勝通りみたいに若者が多い場所ではない。ここで飲食するのは帝都の普通の人々、働く中年男性や主婦といった人達だった。そんな中を行く俺達は、周囲からは、少し浮いて見えていたかもしれない。
「おっ、いらっしゃーい」
俺と、その後ろの「お供」を目にした店のおばちゃんが、声をかけてきた。四人でガタつくテーブルを囲んで座った。
「ほら! リーシャちゃん、ご主人様だよ!」
背中をバン、と叩かれて、リシュニアがこちらに押し出されてきた。奥の方で、ずっとパンをこねていたらしい。周囲を見回しながら近づいてきたが、四人で店の前に陣取っているのを見て、一瞬、立ち止まった。ご主人様といえば俺のことなので、訪問それ自体に驚きはなかっただろうが、知人を伴ってくるとは思わなかったに違いない。しかも、そこにタマリアまで混ざっている。
「ファルス様、これは?」
「本当は一人で顔を見に来る予定だったんだけど、みんな、たまたま暇で」
どうせなら、ここで軽く昼飯を済ませてしまおう、となってしまった。
「そう、ですか」
目を泳がせつつも、彼女はすぐ平静を保った。
「よぉよぉ、リーシャちゃん」
案の定、ニドが悪ノリして話しかけた。
「この後、暇? 俺と遊ぼうぜ」
「生憎ですが、夕方までこちらのお店の仕事がありますので」
「おっ、いいじゃん、俺、夕方からも暇なんだよね」
「ニド」
俺が窘めるも、彼が止まる様子はなかった。
「問題ねぇだろ? ここにいるのはただの庶民のリーシャちゃんなんだから」
恨みに基づく王侯貴族嫌いだ。そう簡単に治るものでもない。
「ニド! ああ、えっと、リーシャ、これはその、こいつは、特定の身分の人間が嫌いというか、恨んでいるというか、でもまぁ、実害はないので」
「まぁ」
それだけでリシュニアは察したらしい。
「つまり……私のような出自の人間を憎んでいると」
「ええっと、まぁ」
「それはそれは、ニド様、実は私もそうなんです。大変、気が合いますね」
ニッコリ笑顔で彼女はそう返した。
「ああん?」
「でも、お誘いはやっぱりお断りさせていただきますね、済みません」
涼しい顔で片付けると、リシュニアは俺に確認した。
「それで、本日は」
「いつもの様子見で。ここの仕事はどうかなと」
変わりはないのだろうが、定期的に様子は見に行くようにしていた。
「おかげさまで。こんな幸せなひと時は、他ではきっと味わえなかったでしょう」
「何か問題は」
「もうしばらくで、辞めなくてはいけないということだけですね。名残惜しいです」
あと三ヶ月もすれば、リシュニアも学園を卒業する。そうなれば、あとは帰国して、父王の命じるところの婚約を受け入れる以外にない。
「それと、なんか割と派手にホアと遊んでるみたいだけど」
「ええ。いろんなところに一緒にお出かけしています。といっても、帝都の中でのことですけれども」
結局、彼女は何がしたいんだろうか。ホアとリシュニア、水と油のようにしか思われない。なのに、どうにも馬が合うというか、問題が起きたという話も聞かないし、数日に一度は一緒にお出かけしているらしい。
「不可解だ」
「あら? ホアさんは素敵な女性ですよ?」
「いやまぁ、美点があるのは否定しないけれども」
職人としてだけは、一目置いている。あとは、とことん欲望に忠実なところか。裏表がないのは、確かにそうだから。
「ふふふ、以前にも申し上げましたけど、私はホアさんを応援していますからね。絶対に勝たせます」
「勝たせるって」
「ホアさんの願いを叶えてみせる、ということですよ」
それは困る。あいつの望みは「ブチ抜かれる」ことだ。でも、そんなわけにはいかない。
これでまだ、リンガ村以後の俺は、実質的に童貞のままでいる。欲望がないのでもないが、誰かを性欲の捌け口になんてできない。ニドじゃあるまいし。
「それで」
彼女の視線が、タマリアに向けられた。
「こちらの方は、確かに」
「そう、タマリア。ベルノストの」
リシュニアの眼差しが突き刺さる。だが、どことなく怖さすら感じさせるその表情は、すぐ和らげられた。
「そうですか」
瞬間的な威圧感ゆえに、その場の三人は言葉がなかった。だが、彼女は柔らかな声で言った。
「彼のことは、宜しくお願い致します」
「えっ? あ、あの」
「なんでしょう」
「恨み事でも言われるのかなと思ったんだけど」
タマリアの言葉に、リシュニアは頷いた。
「私の立場からすれば、そうです。決して許容はできないことをされたのだと言うしかありません。ただ、一個人としての気持ちはまた別です」
「面倒っちいな。これだから王侯貴族ってのは」
「ニド様、では、私達がその務めを放棄してしまってもいいと、本気でお考えですか? では、どなたが代わりをしてくださるのでしょうか」
「知らねぇよ」
リシュニアは、またタマリアに言った。
「世界を支える側か、支えられる世界の上で生きる側か。こちらから去っていったのは損失ですが、日差しを浴びて幸せに生きる姿を見たくないわけではないのです。どうか、彼のことを宜しくお願い致します」
「う、うん」
ルークが口を開いた。
「その、姫様?」
「あの、ここではリーシャと」
「ああ、失礼……じゃないな、悪かった。リーシャは、でも、こんなところで働いていて、大丈夫なのか」
彼の問いに、リシュニアは首を傾げた。
「と仰いますと」
「さっきも聞いたけど、学園に槍を投げ込んで時計を壊したのがいるっていうし、危なかったり怖かったりということはないのか、という」
すると彼女は頷いた。
「恐れるまでもありません」
「すごいな。護衛でもいるからか」
「いなくても、恐れなどありませんよ」
だが、会話はそこまでだった。
新たにお持ち帰り希望の客がやってきたことで、リシュニアはおかみさんに呼ばれて、慌てて奥に引っ込んでしまったからだ。
「というわけなんだ」
「奇特な姫様もいるものねぇ」
この日は、結局、最後まで穏やかな一日だった。この後、俺は三人とお茶と食事を共にして、のんびりと公館に引き返した。




