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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第五十一章 帝都だけの花
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下劣な願望に沿うならば

「旦那様、お客様の前ですよ」


 ヒジリが、叱責というには、やや優しい声色で、そう言った。


「こいつは……客じゃない……」

「随分な言われようですね」


 俺は、居間の座布団の上に突っ伏していた。この状態で、ダラダラしつつ頭を抱えていたところに、ヒジリがやってきた。だらしなくはあるが、俺としては万策尽きて、もはや登校する気分ですらなくなっていた。そうして困り果てているところに、勝手に上がり込んできたのがリンだった。


「困っているから助けてあげようかと思わないでもなかったのですが」

「何かできることでもあるんですか」

「ふーむ」


 リンは、我が家にいるかのように寛ぎつつ、お茶をすするばかりだった。


「しかし、今、話をざっと聞いた限りですと、なかなかに厳しい状況ですね」

「殿下が聞く耳持たずという状態なので」

「とはいうものの」


 湯呑みを下ろして、リンが顎に手を置いた。


「思うに、殿下も木偶ではないのではないかと」

「どういう意味ですか」

「あなたには、なんとしてもベルノストを説得せよと命じて終わりにしました。ですが、では彼があなたにすべてを丸投げしたまま、黙って結果を待つと思いますか」


 その視点はなかった。確かに、グラーブが俺の報告をまともに聞いていたのなら、その任務の難しさを理解していたはずだ。動けなくなるまで殴られても、ベルノストは意見を変えなかった。その事実をグラーブは承知している。それでいて、ただ俺に命令だけしてほったらかしなんて、余程のバカでもなければ、しないだろう。


「後先考えず悪評を垂れ流し、自分の負担を増やそうとしたオギリックが、ムイラ家の跡継ぎになることを、グラーブ王子が歓迎しているはずはありません。ただ、そうせざるを得ないというだけです。だから、できればそれも阻止したいと考えるのは必然」


 リン……この女、性格は終わっているのに、たまに切れ味のいい思考を披露するところがある。

 俺は自然と半身を起こしていた。


「そうなると」

「別途、ベルノストにタマリアさんを諦めさせるべく、手を打つはずですね」

「でも、どうやって」


 まさか、オギリックでもあるまいし、更なる悪評で追い詰める、なんてわけはないのだし。


「例えば」


 だが、リンには心当たりがあったらしい。


「結婚を阻止するとか」

「はい?」

「いやらしいファルスには、いやらしい考えしかないので、目の前にこうして婚約者がいるにもかかわらず、結婚するつもりがないので、わからないかと思うのですが」

「ヒジリ、やっぱりこいつは叩き出してもいいと思う」

「あら、旦那様、この方は間違ったことは仰っていませんよ?」


 軽く牽制を受けて黙り込んだ俺に対して、得意げな顔をしながら、リンは続けた。


「帝都で結婚する場合、法律があるのですよ」

「法? 律?」

「宗教組織の仲介で、正式に結婚式を挙げ、記録を残すこと、です。元々は統一時代において、六大国でも定められていた義務であったはずですね」


 俺の顔を見て、リンは皮肉のこもった笑みを浮かべた。


「ほら、知らなかったという顔をしています。興味がなかったのでしょう?」

「いや、でも、なんでそんな法律……ああ、そうか」

「恐らく、あらゆる人を魔王の支配から引き離し、女神の下で再度組織し直したくて、そういう法律を整備したのでしょう。こうすれば、すべての家庭が一度は女神教や、セリパス教会の監視下に置かれるわけですから」


 帝都は、一応、一度も滅ぼされずに昔の制度を維持して今まで存続した国家だから、その辺も変更されなかった。

 そこまではいいとして、ということは、つまり……


「じゃあ、女神教神殿や、セリパス教会が結婚を認めなかったら?」

「少なくとも、帝都では結婚できません」

「といって、帰国しても……」


 強引にやろうと思えば、俺の領地にきて、俺が承認すれば、二人は結婚できる。だが、そんなのは無茶だ。次期国王の意志に背いて領主が独断で……或いは、他所の土地、遠くに流れて、なし崩し的に夫婦です、みたいな立場でやり過ごすとか。


「そうして出口を押さえてしまえば、少なくとも状況が変わることはなくなります。あとは根負けするのを待つと、そういう手が使えます」

「根負けしなかったら?」

「卒業後には、ベルノストも王国に帰るのでしょう?」


 そうせざるを得ない。帝都に留まる正当性がない。


「なるほど、時間をおかせる、という作戦を別途」

「ええ」


 グラーブの独創だろうか? リシュニア辺りが献策したのかもしれない。


「でも、そんなのうまくいくかどうか」

「旦那様、申し訳ございません」


 話し合っているところに、トエがやってきた。


「ご学友の方がお見えです」

「それは、どなたなのか」

「マホ様、と名乗っておいでですが……お急ぎとのことで」

「わかった。通してくれていい」


 昨日の今日で、またいったい何があったというのか。まさか学校をサボったからって、フシャーナがいちいち寄越したのでもなかろうに。

 そう思って待ち構えていると、軽い足音がパタパタと廊下に響いた。


「ファルス……あっ、これはどうも、失礼」

「いや、いい。多分、その件で話をしていたところだから」

「そ、そう? ええと」


 ヒジリは、思うところもあったのに違いないが、そっと座布団を勧めた。


「どうぞ、お座りください」


 するとマホは、いかにも慌ただしく、余裕なさそうな様子で、そこに膝をついた。


「何があった?」

「こ、これ……ご、ごめん」


 マホが謝罪から始めるとは、いったい何事か? 天変地異でも起きるんじゃないのか?

 そう思いながら、渡された印刷物に目を通した。


『娼婦タマリアと、偽りの貴公子ベルノストの爛れた関係』


 タイトルが目に入った瞬間、頭の中が真っ白になっていた。


「なんだこれは!」

「お、落ち着いてよ!」

「そうですよ、不潔なファルスよ。聖典の御言葉にも……」

「今、それはいいです。マホ、これは? 今朝の新聞なのか」


 ここで怒ってもマホを怯えさせるだけで話が進まない。頭の切り替えはすぐした。


「そ、そう」

「どうしてまた? 昨日、あの後、新聞社には寄らなかったのか」

「ううん、ちゃんと説明はした」

「じゃあ、なぜ」


 マホが後回しにしたせいでこの記事が出回ったのなら、怒鳴りつけるくらいはしてもよかったかもしれない。だが、今回についてはそうではないらしい。というか、事実を伝えたのに、こんな記事が?


「もしかして、グラーブ殿下からの圧力でも」

「いえ、旦那様、それは考えにくいでしょう。殿下は醜聞が広まることを、とにかく気にしておられるはずですので」

「そう、そのはずだ。でも、こんなのを出して得するのなんて、今ではオギリックとカリエラくらいしかいないし、あの二人にそんな影響力がまだあるとも思えない」


 そこまで言ってから、マホが何か言いだそうとして小刻みに震えているのがわかった。


「悪い。気付いていることがあるのなら、正直に言ってくれないか。別に何か言ったからって、怒ったりはしない」

「う、うん、ええと、これは、多分だけど」


 歯切れ悪く、実に気まずそうに、彼女は切り出した。


「その……ベルノストって、あの美貌でしょ?」

「そうだな」

「由緒ある貴族の家柄だし、負けた相手もあのキース・マイアスで。しょうがない負け方だったんだし。だから言ってみれば、その、帝都の女性からすると、熱狂するというか、人気があったというか」


 ありそうな話だ。俺は頷いた。


「それがね? よりにもよって、シーチェンシ区の貧乏長屋に暮らす小汚い女……いや、私がそう思ってるってわけじゃなくて」

「わかってる。続きを」

「そういうスラムの女と、なんて、その、なんていうかな……気分が悪いというか、小ばかにされたみたいというか」


 一瞬、目が点になった。マホが怖がるのがわかったので、慌てて取り繕いはしたが。

 そして、あとからじわじわと納得が追いついてくる。


「じゃあ、何か……ベルノストの恋愛のせいで、具体的に損害を蒙ったわけでもなく、利益を逃したのでもなく。そういう無関係の女達が騒ぐから、ってことか?」

「そういう層に向けて話を大きくした方が、部数が捌けるって考えたんじゃないかしら。それに」


 そこまで言ってから、マホはその撫で肩を更にすぼめて、声を落とした。


「先の件で、正義党の下部団体の……女性の権利を擁護する活動をしているところがね、もう、あれこれ先走って決めつけて、会員に伝えてしまってて。引っ込みがつかなくなってるのよ」

「はぁ?」

「多分、抗議運動にまで発展すると思う……」


 尻すぼみになりながら、マホは状況の説明を終えた。


 まるで前世のワイドショーだ。暇な主婦がテレビをダラダラ見る。すると、そこには芸能人のスキャンダルが映し出される。無関係の他人の出来事なのに、なぜか視聴者は憤る。なんて不潔なんだ、許せない! でも、その本当の動機は、自らの内面にある。俺もあんなアイドルといやらしいことをしたい、私もあんなイケメンに抱かれてみたい。その醜悪な欲望……いや、欲望そのものが醜悪というより、それを善意の仮面で覆い隠そうとするのが醜悪なのだが、そうして彼らは、感情を別の感情に付け替えて、大騒ぎする。

 ベルノストの「不潔な」恋愛に注目したのは、まさにそういう心理を通して、記事を販売できるから、それを盛り上げることができるからだ。その背景には、あまりにハードルが上がり過ぎた帝都の結婚事情がある。コーザのようなパッとしない青年が売れ残る社会とは、魅力的でない女性もまた、切り捨てられる社会に外ならない。だからこそ、以前、マホに連れていかれた団体の集会では、市民権喪失に苦しむ中年女性の嘆きの声を聞くことになった。彼女らのガス抜きという意味でも、こういう事件には利用価値がある。それが捏造であろうとも。


「本当に……本当に、帝都の正義ってのは、建前でしかないんだな」


 そう吐き捨てるしかなかった。


「こうなってしまっては」


 ヒジリは、表情を引き締めた。


「殿下も、後には引けないでしょう。すべて事実無根とする以外には。つまり、タマリアさんをベルノスト様が完全に切り捨てるのでなくては、もう」

「そんなの、できるわけがない」


 オギリックにとっては幸運だったといえるのかもしれない。最後の最後で、帝都ならではの事情が、勝手に彼の後押しをしてくれたようなものだ。


「ふむ」


 一人、一切が他人事のリンだけは、奇妙な冷静さを保っていた。


「それで、穢れたファルスよ、あなたはどうしたいのですか」

「なんですか」

「大事なことは何かと訊いているのです。あなたが守りたいのは誰ですか? タマリアという女性ですか。それとも、ベルノストという青年貴族の身分ですか。或いは、聞き分けのない王子に思い知らせてやりたいのか。逆に、機嫌を損ねず済ませたいのか。それとも、醜い帝都の豚ども相手に、ただ鬱憤を晴らしたいのか。大事なことはどれですか」


 ハッとした。

 そうだ。リンはこんな女だが、あのアイドゥス師の弟子でもある。そして、彼は俺になんと教えたか。

 理由の理由を突き詰めるべし。そうすれば、やるべきことの範囲を狭めることができる。範囲が狭ければ、それだけ労力も小さくなる。よって実現も容易である。だからこそ、本当に大切なことだけを選び取るべきなのだと。

 途端に内心に葛藤が巻き起こった。王国の未来、多くの人々の未来を思うなら、最大の問題は、グラーブがベルノストを失ったら……いいや、違う。確かに大問題ではあるが、それはグラーブ自身の課題だ。信頼できる臣下と共に歩むという道を選ぶのかどうか。既に忠告はした。彼が次代の王者なら、いずれの選択を採るにせよ、責任もって決断する以外にない。そして立場上、俺は臣下でしかなく、どこまでいってもその決定は、俺自身の選択にはなり得ないし、またすべきでもない。

 今の俺が、心から願っているのは……


「僕の友……タマリアと、ベルノストの、幸せ、です」

「よくできました」


 すると、彼女はスッと立ち上がった。


「これまで連日、お宅にお伺いして、陳情を繰り返してきたのですが」

「陳情?」

「楽なお仕事です」

「あー……」


 そういえば、そんな話もあったっけ。でも、リンが満足するような楽な仕事の枠となると、いくらなんでも持ち合わせがない。


「どうにも提供していただけないようですので、ええ、それは仕方がありません。ですが、私も今は、仮にも聖職者」

「えっ」

「セリパス教の司祭として、最後に相応しい役割を果たしていくとしましょう。では、今日のところはこれで」


 それだけ言うと、彼女はそのまま、俺達をおいて出ていってしまった。

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― 新着の感想 ―
まさに現代社会って感じですね
リンも聖職者なんだな、初めてそう思った
よかったよかった どうでもいい体裁に囚われ過ぎて大事な事忘れてるのかと思った
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