俺は板挟みになった
俺とノーラ、マホは、タマリアの自宅の軒先で、雨宿りしつつ、しゃがみ込んでいた。雨はいつまでもしつこく降り続き、止みそうになかった。
一間しかない家の中では、さっきまで散々俺にぶちのめされていたベルノストが寝かされている。そんな彼に、タマリアは自分の打ち明け話をしている。聞き耳を立てるなんてことはしていない。こうなってしまったら、あとは当人同士のことだ。
「ねぇ」
マホが不満げな声を漏らした。
「どうした」
「お腹すいたんだけど」
「ここはスラムだ。すぐに食べられるものは出てこない」
「お昼食べる直前だったのに」
そういえば、俺もそうだった。朝、ミアゴアの出してくれた握り飯を食べたきり。
「済まんな」
「心がこもってない」
「心をこめてない」
「ひどい!」
俺とノーラの視線を受けて、彼女は声を大きくしすぎたと気付いた。今、中の二人は大事な話をしている。空腹も問題だが、それでタマリアに気を遣わせたくはない。さすがにそれくらいはマホにもわかるらしく、気まずそうに身をすぼめた。
「お前には割とひどい思いしかさせられてないし、つらい思いをさせても、なんとも思わない」
「今回は手を貸したじゃない」
「それはそうだ。何が欲しい?」
「いらないわよ」
溜息をつき、彼女はしみじみ言った。
「それにしても、何よ、あれ」
「あれって」
「メチャクチャ強いんじゃない。隠してたの?」
「そうでもないんだけど……だいたいはラーダイの勘違いのせいだ。あとは、武術講師のティンセル・フッコが」
どうでもいいことだ。それより、大事なことがある。
「とにかく……今回の件、見たと思う」
「え? うん?」
「グラーブ殿下からすれば受け入れがたいだろうが……」
そう言いながら、俺は頭をガリガリ掻いた。
「帝都らしい表現をするなら、これは自由恋愛だ。わかるか?」
「えっ……言われてみれば、そういうことになるのかしら」
「お礼はしてもいい。頭も下げる。だから、なんでもいいからとにかく新聞社を止めてくれ。性暴力でも売春でもないんだから。個人の色恋沙汰なのに、非難が殺到するなんて……西方大陸ならいざ知らず、ここは帝都だろう? 個々人の自由な意思が帝都の正義じゃないのか」
「そうね」
ほっと息をつく。珍しく話が通じてくれて、助かった。
「どっちかっていうと、あなたが彼のことをポンポンぶん殴ったのが問題だわ」
「しょうがないだろう」
「でもファルス」
ノーラが横合いから口を挟んだ。
「でも……どうするの?」
「どうする、というのは」
「わかってると思うけど」
そう、これはもう、新聞社が報道をやめれば一件落着、というわけにはいかない。
「今の話し合いの結果、ベルノストがタマリアを切り捨てるなら、話は簡単。殿下に頭を下げて、あれは気の迷いでしたって言えば、あとはオギリックをどうにかすれば、全部元の鞘に収まるけど」
「そうだな」
「そうならなかったら?」
皮肉にも、悲しい結果を避けることができた場合の方が、後始末が厄介になる。
「タマリアを、ベルノストの正妻になんて、絶対に無理でしょ。身元はどうにかごまかしたとして、でも庶民なのは変わらないし、カリエラだって一応いるんだから」
「その辺もややこしくなってるな」
「他の女性にするにしたって、貴族の家から迎えるしかないじゃない? でも、そうしたら、タマリアを側妾にする? だけど」
俺は頷いた。
「正妻からすれば、こんな気分の悪いことはないだろうな。ただの美貌の女に夫が惹きつけられた、というならまだしも。元犯罪奴隷で、スーディアで強制的に売春婦にされていた女がとなれば」
「身元が知られるのも時間の問題だし、そうなれば」
ゴーファト暗殺の件について、貴族達に広く知られるリスクが高まる。要するに、タマリアが表舞台に引きずり出されたら、結局はこのリスクが顕在化するのを避けられなくなる。
「帝都の人間の私が言うのもなんだけど」
マホがうんざりしたという顔で、言った。
「身分が違いすぎるんだから、やめておいた方がいいと思う」
「一理はあるな」
「見てよ、この家」
見上げれば、長年の汚れのこびりついた壁面が目についた。
「うちだってこんなにみすぼらしくない。ねぇ、帝都の一等地の宿舎で、それはきれいなお部屋で暮らしてきた貴公子様が、ここで暮らせるの? スラムの萎びかけた野菜とか、生臭くなりだした怪しげな魚とか、食べられるの?」
マホの指摘は、至極もっともだ。
もし、ベルノストがタマリアにこだわった場合、グラーブが彼を切り捨てる可能性が小さくない。そうなれば、当然に廃嫡されるし、後ろ盾がなくなるわけだから、このスラムでの貧しい生活も、視野に入ってくる。そして、そうなってから後悔しても、もう元通りにはできない。
そして、だからこそ、俺は彼を叩きのめしてでも追い返そうとした。下手をすれば、彼の人生が台無しになってしまうから。
彼女の問いを最後に、俺達は沈黙した。
というのも、通りの向かいの家々の隙間から、数人の住民がこちらに向かってくるのが見えたからだ。俺とノーラは立ち上がって、雨の中に踏み出した。今、これだけの人数が家の間で大声で話し合ったら、二人の邪魔になってしまう。
「おう、あんたら、タマリアの知り合い、だよな? 兄ちゃんの方は、顔を見たことがある」
「そうです」
「帰ってきたのか?」
「はい。ですが、今は……そっとしておいていただけませんか」
俺がそう嘆願すると、男達の目に怒りの炎が点った。
「なんでぇ、じゃあ、あのどっかのお貴族様が、また何かやらかしゃあがったのか!」
「おう、姉御に何してくれんだ、こうなったらもう、俺らぁ、なくすもんなんかねぇし」
「ちょ、ちょっと待ってください」
慌てて押しとどめた。
「皆さん、誤解しておいでです」
「何がだよ」
「タマリアは、乱暴なんかされていません。クビになったのでもなかったんです」
「どういうこった」
仕方がない。ある程度、説明するしかない。
「その、彼の家督を狙って、弟がですね、タマリアを巻き込んで、彼を罠にかけようとして。だから、タマリアは迷惑をかけたくなくて、自分から身を引いたんです」
「ふぅん? 姉御だったら、確かにそうするかもなぁ。けど、だったらなんであのボンボン、戻ってこいなんて言ったんだ」
「それは皆さんが、一番ご存じでしょう?」
そう言われると、彼らは黙り込み、互いに目を見合わせた。
「確かになぁ」
「姉御はいい女だし、気になるのも仕方ねぇわな」
「いいんじゃねぇの? 俺らはこっから抜けられそうにねぇけどよ、世話になった姉貴が貴族のお妾さんになって、いい暮らしするってんなら……俺達としちゃ、ま、ちぃと寂しいけどよ、祝ってやんなきゃだ」
物わかりがよくて助かるが、当然に反論も思いつく。また誰かが言った。
「そういう話ならいいんだけどよ。家督? 要は、貴族様の椅子を取られそうになってるってことだろ?」
「ええ、まぁ」
「だったら、逆にあのボンボンがこっちに転がりこんでくんじゃねぇか」
そこに行き着くと、彼らの表情は一様に険しくなった。
「貴族のガキンチョなんぞに、ここの暮らしが耐えられるたぁ」
「やっぱり姉御を悲しませるんじゃねぇのか」
「けど、どうにかうまくいかねぇかな。なんでもいいから、姉御に恩返ししてぇもんだ」
俺は彼らを押しとどめ、待ってもらうことにした。
「実は今、彼がここにきていて」
「なんだとぉ」
「でも、タマリアと二人きりで話し合ってるんです。お願いですから、邪魔しないであげていただけますか」
彼らは目を見合わせたが、どうにか納得してくれたらしい。
「僕の方で、彼が地位を失うことがないように、上の人間とも掛け合ってみます。丸く収まるように努めますので」
そう彼らに伝えたところで、タマリアの家の扉が開いた。よろめきながらも、ベルノストが外に出てきたのだ。
俺とノーラ、それに住民達が駆け寄っていく。
「ベルノスト」
「話は全て聞いた。よくわかった」
いったい、どうするつもりなのか……
「それでも私は、彼女といたい。認めてくれ」
最悪の、というか、最も困難な、というか。
けれども、こうなるしかなかったような気もしていた。俺はマホやノーラと顔を見合わせたが、こう確認することしかできなかった。
「できる限りは口添えするが……難しい話になる。後悔はしないか」
「しない」
彼は躊躇なく答えた。
その日の夜……
「たわけが」
俺は、公邸でグラーブの叱責を浴びていた。
「認められるわけがなかろう。よりにもよって、その乞食女と結ばれたいだと? ベルノストめ、気狂いにもほどがある」
「殿下のお怒りはごもっともですが」
「だったら、さっさとやめさせてこい」
「それができなかったから、ご報告申し上げているのです。言葉で説得して、立ち上がれないくらい打ち据えて、それでも意志を翻さなかったのです。これ以上、どうしろと」
そう返されて、グラーブはムッと口を噤んだ。
「ならば、仕方がないな」
震える声で、彼は言い放った。
「ムイラ家の家督は、オギリックが引き継ぐことになる。仕方なかろう。カリエラはどうなる。コタリッシュ家になんといえばいい? 面子を潰されたようなものではないか」
これも道理ではある。だが、俺は食い下がった。
「恐れながら」
「なんだ」
「正直に申し上げます。カリエラ様は、ベルノスト様のことを見下しておいででした」
「なに?」
グラーブが比較的、冷静に話を聞いてくれている。これはありがたいことだ。
「春先に一度、『金の梢』亭に立ち寄ったことがありまして。その時に偶々、ベルノスト様がカリエラ様を伴って、私達の席の近くに、気付かず着席なさったのですが……こんなことは本当はお話すべきではないのですが」
「盗み聞きをしたと」
「恥ずべき振る舞いとのご指摘は、甘んじて受けますが」
「いい。それで?」
ほっと胸をなでおろす思いで、俺は続けた。
「カリエラ様は、最初からベルノスト様に嘲笑を浴びせておいででした。殿下から見放された男とは婚約を破棄したいと」
「なんだと」
「コタリッシュ家の都合を考えれば、オギリックに乗り換えても違いはないと、そんなお考えだったのでしょう。あの時は、ベルノスト様はカリエラ様をそっと窘めておいででした」
「それが今では、乞食女に夢中というわけか。ふん」
タマリアのことを、そう貶されるのは気分が悪いが、今は我慢しなくては。
「お怒りになるかもわかりませんが、ですが、一連の出来事のきっかけは、殿下にこそあると言わねばなりません」
「なに」
「安易にベルノストを遠ざけたから、愚か者どもが余計な考えを抱いたのです。だからこそ、たとえご不快でも、殿下ご自身がこの問題の解決に乗り出されるべきです」
俺の指摘に、怒りを浮かべつつも感情を抑制して、グラーブは尋ねた。
「どうせよというのだ」
「なんとか落としどころを見つけていただくことはできないでしょうか」
「ふむ」
「前にも申し上げました。ベルノストは、殿下にとって二人といない、他では替えが利かない、黄金の右腕です。お腹立ちのこともあるかとは思いますが、この程度のことで切り捨ててしまうのは、いかにも惜しいことではないかと」
グラーブは椅子の上で腕組みし、しばらく沈思黙考した。
「だが、無理だ」
「殿下」
「それだと、家督はどうしてもオギリックに譲らせるしかなくなる。その状況で、どうやってベルノストを重用せよというのだ。騎士身分にでもして、どこかの軍団長にでもするのか? だが、それ以上は難しいぞ。それに家督を放り出した男をそれだけ重く用いるのなら、オギリックには、それ以上の地位を与えねば、収まりがつくまい」
「う、ですが、それは」
あのオギリックに、大将軍の重責が務まるものか? 考えるまでもない。
「さもなければ、くだらない兄弟喧嘩で、後々まで私も、宮廷も振り回されることになる。ベルノストを権臣として扱ったことのツケは、後からくる。私が死んだり、逆にベルノストが先に世を去ったとして、何が起きると思う」
グラーブ王が逝去すれば、その信頼を背景に王国を統制していたベルノストは、ほぼ間違いなく、その他貴族達の集中砲火を浴びる。新王も、自分の味方を増やすために、そうした抵抗勢力の貴族達と手を結ぶ可能性は高い。逆にベルノストが先に死んだら? だが、その穴を埋める誰かの用意がなければ、グラーブは相当な困難を背負い込むことになる。一人を信任したことのリスクを、一気に引き受けなくてはいけない。具体的には、そんなグラーブ王に、どの貴族が協力を申し出るのか。
一理はある話ではあるのだが……
「妥協は難しい。ファルス、その乞食女とは別れさせろ。元通りになるのでなければ、ベルノストを許すことはできん」
「殿下」
「くどい。わかったら、さっさと説得してこい」
見事に板挟みになった俺は、肩を落として退出するしかなかった。




