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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第五十一章 帝都だけの花
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彼は挑んだ

 港の近く、倉庫が立ち並ぶ一角で、俺達は馬車を降りた。見上げれば、黒々と煙るような空模様だった。

 俺も、タマリアも、それにマホも。誰も何も言い出さなかった。二人についていえば、見るからに俺が不機嫌そうにしているのがわかったので、余計なことを言わずにいたのだろう。一方、俺が沈黙していたのは、言いたいことがなかったからでもなければ、言葉が出てこなかったからでもない。話題が話題だから、他人に聞かれたくなかったのだ。

 それでも、どこかで切り出さなければいけない。大きな木造倉庫の裏手に回り込んだところで、俺は足を止め、振り返った。


「タマリア」

「う、うん」

「どうしてあんなバカな真似をしたんだ」


 俺が本気で怒っているらしいと理解したようで、もう茶化すような態度はとらなかった。神妙な顔で頷くと、まず謝罪した。


「ごめん」

「そういうことじゃない。なぜ先に相談しなかった」

「だって、私のせいで」

「ベルノストに悪評が立つのが許せなかったと」


 すると、彼女はまた頷いた。


「だから自分から、汚い娼婦でしたと言いふらすことにしたと」

「事実じゃない。私は……別に、なんて言われたって平気だし」

「そういう問題じゃないことを、すっかり忘れてたわけだ」

「えっ」


 やっぱり。これは俺のミスだ。

 俺は掌で目元を覆った。


「ゴーファトの件は覚えてると思うけど」

「当たり前でしょ」

「でも、あの事件が知れ渡ったら、どういうことになるかまでは、考えてなかったんだ」


 目を瞬きながら、彼女は俺の顔をまじまじと見つめた。


「えっ、知れ……?」

「タマリアが娼婦だったのは、スーディアにいた時のことだ。で、どうしてスーディアで娼婦になったかを突き詰めると、サラハンさんが殺された件に行き着く」

「う、うん」

「そこまで調べられたら……ゴーファトがどうして死んだのか。その答えまで、あと一歩だ」

「で、でも」


 タマリアは周囲を見回した。というより、マホの存在が気になるのだろう。


「ゴーファトは、あれは自殺でしょ? 私が悪くないってことじゃないけど」

「直接の死因はそう。でも、それだけで済ませられる話じゃなかったはずだ。タマリア以外で誰がそれを望んでいたのか、いったい誰が何のためにスーディアまで出向いたのか。よーく思い出してほしい」


 数秒間、考えてから、答えに至ったのだろう。言おうとして、慌てて手で口元を押さえた。


「そう、それは言えない。もし表沙汰になったら」

「何の話なの?」


 マホが、珍しく不安げにそう尋ねた。


「訊かれると思ったが、説明するつもりはない。知らない方がいい」

「ここまで聞かされておいて、黙ってろって?」

「死ぬぞ」


 俺が低い声でそう指摘すると、マホは気短なところを見せた。


「なによ! そればっかり!」

「本気で言っている」

「そ、そうだよ、ええと」


 タマリアが割って入ろうとして、彼女の名前がわからずに、言葉に詰まった。


「マホ」

「ありがと! マホちゃん? これはね、関わらない方がいいことだから」

「もう首突っ込んでるじゃない」

「ここまでにしといた方がいいってこと。ファルス、私のことは、いざとなったら口止めで」


 首を振って、俺は拒否した。


「殿下もこの件は知らない。でも、陛下が命じても、それはしないし、させない」

「だ、だ、ダメだよ! 私はさ、ほら、運よくオマケで今まで生きてきたようなものだし!」

「それでも、だ。でも、とにかく、どれくらいまずい話かは分かったと思う。タマリアにはもう、少しでも早く帝都から出ていってもらう。とりあえずは領地に匿うから」


 俺がそう言うと、彼女は俯いてしまった。泣き出しそうな顔で、口元だけで笑みを浮かべていた。


「そう、だよね」

「今後の生活の面倒は見る。心配はいらない」

「うん」

「何か、心残りのことでも?」


 尋ねられると、彼女は顔を上げて否定した。


「ううん! 大丈夫!」


 見るからに大丈夫ではない。マホも、何か言いたげな顔で、そのやり取りを見ているだけだった。

 どうあれ、これ以上、問題を拡大させないためにも、彼女には帝都から出ていってもらうしかない。そのことに納得もしてもらえた。だから、そうする。頭ではわかっていても、どこか何か引っかかるものがあって、それが俺を苛立たせた。


 とにかく、やるべきことをやってしまわなくてはいけない。そこの倉庫の狭間を潜り抜ければ、リンガ商会の船が係留されている西の外港の端に出られる。人目につかない裏通りなので、少々薄汚れていたりもするのだが、そこが最短距離だ。俺は前に立って踏み込んだ。

 そして、そこで立ち止まった。


「……間に合った」


 目の前には、髪を振り乱し、息を切らしたベルノストの姿があった。


「なっ、どうしてここに」


 さすがにこれには、俺も驚かされた。だが、すぐにわかった。要はタマリアについての暴露記事を、どこかで目にしたのだろう。それで、事情を確認するために、俺の別邸に駆けつけた。だが、ノーラは船を出航させるべく、指示を下すために、一度別邸に戻ったのだろう。だから、そこに留まっていた人から、何が起きようとしているかを聞き知ることができてしまった。


「ファルス、彼女をどうするつもりだ」

「どうもこうもありません。あんな記事を書かれて、どうして帝都に置いておけると思うんですか。このまま船に乗せて、遠くに連れていきます」

「やめてくれと言ったら」


 俺は、彼を睨みつけて言った。


「それで誰が苦しむと思ってるんですか」

「全部私のせいにすればいい」

「そんなこと、許されるわけがないでしょう」


 タマリアが悪評をすべて背負ってくれた方が、まだグラーブにとっては都合がいい。とにかく、周囲から醜聞を遠ざけてしまいたいのだろうから。


「ご自分の立場をお忘れですか。それに、わかっているでしょう。殿下の懐刀の役目を果たせるのは、あなたしかいない」

「そうだな、殿下にもご迷惑をおかけした。お詫びはしたいと思っている」

「お詫びどころでは済まないでしょう。これもわかってますよね。これ以上、問題を起こしたら、本当にオギリックがムイラ家の次期当主になるんです。どうもこうもなく、終わりなんですよ」


 俺の指摘に、彼は少しの間、沈黙した。


「そうかもしれない」


 だが、それでも翻意させることはできなかった。


「それでも、できる限りのことをする。正しいと思ったことをする」

「正しい?」


 俺は問い質した。


「何が正しいんですか。今、自分が何をしようとしているか、わかっていますか」

「無論だ。何の罪もない貧しい女性に一切の不都合を押し付けて、我が身を庇うなど、この上ない生き恥ではないか。それをやめさせて何がおかしい」


 認識が追いついた。ベルノストは、記事を見て、タマリアが自己犠牲を選んだことは理解した。だが、そこに書かれていることに事実が含まれているなどとは、これっぽっちも考えてはいないのだと。


「悪いことは言いません」


 これは厄介なことになった。いや、いつかは避けられないことだったに違いない。


「全部忘れてください。元通り、殿下の近侍の役目を果たせるよう、僕もリシュニア様も口添えします。あなたには大事な仕事があるはずです」

「殿下が受け入れてくださるなら、どんな仕事でもするとも。だが、だからといって、なぜ忘れなくてはならない」

「知らない方がいいことがある。知られない方がいいことがある。心を押し殺す痛みはあるでしょう。でもそれは、避けがたい事実に心を抉り取られる痛みと比べれば、なんてことはない」

「私のことを、お前が決めるな!」


 その通りだ。俺は今、俺の言葉で話していない。自分で言っていて、嫌になる。それでも、他にどうすればいい?


「とにかく、タマリアはこれから、帝都を離れます。そこを通してください」

「それは見過ごせない。少なくとも、濡れ衣を着せられたままで、というのなら」

「言ってわからないのなら」


 俺は指先を向けた。


「……う?」

「そこでしばらく夢でも見ていてください」


 魔術で眩惑して、脇を通り抜けようとした。

 だが、彼の手が、俺の肩を掴んだ。


「今、何をした」


 俺は黙って彼の顔を覗き込んだ。

 これは困ったことになった。俺の精神操作魔術が通用しないほど、強烈な意志が働いているとなれば……


「このまま行かせるなど、納得できない」

「納得してください」

「しない。ファルス」


 俺の肩を掴む手に、力が込められる。


「すべて、説明してもらうぞ!」


 次の瞬間、彼のもう片方の手が、俺に向かって振り上げられた。

 間一髪、飛びのいて避けた。


「……絶望することになりますよ」

「それも私の運命だ」


 無謀にも、ベルノストは戦いを挑むことにしたらしい。だが、常人にとっては脅威たり得る彼も、今の俺には指一本触れられない。


「何をやっているんですか」


 彼の拳をかいくぐり、軽々と鳩尾に一撃。それだけで、彼は膝をついてしまう。


「まさか、力尽くでどうにかできるとでも?」

「できようが、できまいが、他に手がなければ」


 死なない程度に痛みは与えた。だが、この程度で心が折れるはずもなかった。膝に手を置き、彼は立ち上がった。


「やるしかないだろう?」

「このまま家に帰るという手もありますよ。オギリックは、僕がなんとかしましょう」

「それこそ筋違いだ。ファルス、そこをどけ。何が真実かは、私が自分で確かめる」

「お断りします」


 だが、彼の拳は空を切るばかり。振り向きざまの雑な反撃一つで、彼は撥ね飛ばされ、路傍に放置されていた空の木箱に背中を打ち付け、盛大に転倒した。

 そうして少しだけ見通しの良くなった路地の向こうから、黒い人影が近付いてくるのが見えた。


「何か起きてると思ったら」


 ノーラだった。いつものように、黒いローブと帽子、それにあの長い杖も携えていた。


「ノーラ、船の準備は」

「急過ぎるって。今日の出航は、天気も悪くなるし、難しいみたい」

「それはよかった」


 ようやく、ベルノストはよろめきながら、まるで地の底から這い上がるかのように、木箱に取りつきながら、立ち上がった。


「朗報だな。時間はたっぷりあるということだ」

「いい加減にしてください」

「そうはいかん」


 懲りもせず、ベルノストは俺にとびかかり、一蹴されて汚れた路面を転がった。


「これは何をしているの?」

「追い返そうとしている」

「なるほどね」


 苦痛に悶えるベルノストを見下ろしつつ、ノーラは顔色を変えずに言った。


「まぁ、好きにしたらいいんじゃないかしら」

「冷淡だな」

「そうでもないけど。こういうのもいいんじゃないかってだけ」


 力みも何もなく、彼女はベルノストのすぐ横を通って、俺の後ろに回った。そこには、苦痛に満ちた表情を浮かべるタマリアと、目を見開いたまま硬直するマホの姿があった。


「どうでもいいって意味じゃない。せめて、見届けるわ」

「そうか」


 いかにもノーラらしい判断だ。ベルノストやタマリアにも意志がある。と同時に、俺にもまた、意志がある。俺がこうして、ベルノストの道を妨げているのは、皮肉にも、彼をこれ以上、不幸にしたくないからなのだ。しかし、彼に言わせれば「私のことをお前が決めるな」ということになる。まったくもって、その通りだ。そういう意志のぶつけあいを、彼女は否定もしないし、軽んじもしない。


「ありがたいな」


 貴公子ともあろうものが、と言いたくもなる。なんと泥臭い姿なのか。汚れた裏通りに這いつくばりながら、何度も立ち上がってくる。


「邪魔はしないでくれるというのだから」

「手助けもしないけど」

「それだけで充分」


 だが、勇気と覚悟だけでは、いかんともしがたいものがある。またしても彼の渾身の一撃は空振りし、槍のようなカウンターが突き刺さる。倒れまいと踏ん張るものの、肉体が彼の意志を拒否する。息を詰まらせながら、彼は崩れ落ちるようにして膝をついた。


「諦めてもらえませんか。無駄です」

「それは、私の、台詞だ」


 頬に冷たい水滴が触れた。どうやら一雨くるらしい。

 仕方がない。心にも小さな痛みを与えるしかない。


「じゃあ、一つだけ。今朝見た記事は、事実です」

「な、に?」

「スーディアで娼婦をしていた件は、本当です。仮にも貴族のあなたが……臨時の使用人以上の立場の何者かとして、傍に置くわけにはいかない人間です。わかりましたか」


 言いたくなかった。というより、それを告げる資格が、俺自身にあるとは思えなかった。それでも、他にどうすればよかったのか。


「……そうなのか」


 一瞬、目を見開いたベルノストだが、やることは変わらなかった。立ち上がり、俺に挑みかかっては、ひっくり返される。


「物わかりの悪い」


 こんなに気分の悪いことがあるだろうか。庇いたい相手を叩きのめしている。守りたい人を悲しませながら。でも、だからといって、他にどんな解決方法があるというのか。


「な、何が起きてるの……」


 ようやくマホが、戸惑う思いを言葉にした。ノーラが振り返った。


「何がって?」

「だって、ベルノストでしょ? 武闘大会でも実力で準々決勝まで勝ち抜いた人なのに、どうして顔だけのファルスなんかに」


 マホの言葉に、ノーラは、少し間を空けてから、答えた。


「勘違いしてるみたいだけど……人間では、ファルスに勝てないわ」

「えっ」

「力では、という但し書きがつくけど」


 二人が喋っている間にも、ベルノストはまた立ち上がっていた。


「まだわからないのか」

「生憎、何がわからないのかも、わからないのでな」

「こんなことをしても、得られるものなんかない」

「悪いな。そう言われても、やっぱりわからない」


 殺してしまうわけにはいかない。後々まで残る傷を負わせるのも駄目だ。ただただ、心を折るために、打ちのめしている。

 こんなの、どうにもならない。雨も徐々に本降りになってきた。何度も地べたに叩きつけられたベルノストは、一足先に水浸しだった。それなのに、目の輝きには何の曇りも見て取れなかった。


「このっ」

「ぐふっ」

「しつこい!」


 苛立ちもあって、少し力を込めて吹っ飛ばしてしまった。さっきの木箱と衝突して、また派手な音をたてる。

 ベルノストは仰向けになったまま、少しの間、動かなかった。やりすぎたか、と思って、俺は内心で不安を感じた。と同時に、苛立ちも募った。


「ふっ……ははは」


 だが、彼は起き上がれないのではなく、こみあげる笑いに身を委ねていただけだった。


「何がおかしい」


 俺の問いに、彼はゆっくり起き上がってから、答えた。


「思わぬ副産物だ」

「なに?」

「ようやくお前の素顔を垣間見られた気がするよ」


 その顔には、不敵な笑みが貼りついていた。


「いつもいつもベルノスト様、とかなんとか呼んで、形ばかりの敬意を払っておいて……お前が内心、どういうつもりでいるかなんて、まるで磨りガラスの向こう側を見ているような気分だった」

「なんだと」

「今は本音だな。そうでなくては」


 そうはいっても、既にベルノストの膝は震えている。立つだけで精いっぱいなのだろう。精神は苦痛を克服しても、肉体が損傷に耐えられるのでもない。


「私は、絶対に、諦めない!」


 その彼の挑戦は、けれども、次の瞬間には……弾き飛ばされ、木箱に背中を打ち付けて、横たわる結果にしかならなかった。

 仕方がない。意識を刈り取るしか、止める方法はない。だが、静かに一歩を踏み出すと、背後から足音が俺を追い抜いていった。


「もう……やめて!」


 タマリアだった。

 倒れこんだままのベルノストにしがみつき、絞り出したような声で言った。


「私が、全部……話すから」

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― 新着の感想 ―
今のグラーブだと佞臣しか残らなそう すぐ怒るし我慢できる人にだけ我慢させようとする安易さもあるし
ベルノスト「娘さんを僕にください!」 ファルス「お前に俺の娘はやらん!」 タマリア「お父さんもうやめて!」
ベルノスト視点だとそうだよなというか。久々に熱い回でした。
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