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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第五十一章 帝都だけの花
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言葉にできない

「まずいな」


 旧公館一階の居室。その畳の上に、新聞紙が三枚、並べられていた。


「いろいろぼかしてはいるけど」

「こうなると、武闘大会に出て変に目立ったことが裏目に」


 ノーラも、ヒジリも、書かれている内容には目を通している。

 一つ目の記事では、経済力にものを言わせて、スラム在住の貧困女性に関係を迫る不潔な留学生について、名前を伏せて記載している。別の新聞社の記事では、面白おかしく書かれている。この夏に注目を浴びたあの貴公子の思いもよらない性癖、といった感じで。いずれも匿名だが、これらをじっくり読み込めば、誰のことかがうっすら浮かび上がってきてしまう。


「にしても、思わせぶりな書き方ばかり……読んでいて、イライラする」

「わざとでしょう」


 そして、なぜかこの場に居合わせているリンが、物知り顔でそう言った。


「内容自体は単純で、薄っぺらい、それも根拠もあやふやなお話ですから。実際に名前を出さないことで、彼らは事実確認の責任を回避しつつ、狙った相手に圧力をかけようとしているのです」

「まるでセリパス教徒の言い回しみたいだ」

「ふふふ、もっと褒めてくれていいんですよ? だからこそ真意を汲み取れるのですからね」

「それで新聞社を名乗るんだから、本当に羞恥心も誇りもないんだな。告発するなら、せめて堂々と実名を挙げて糾弾したらいいんだろうに」


 ノーラは首を振った。


「今回に限っては、その卑怯さに救われてるんだし」


 そこは否定できない。だからこそ、余計に腹立たしかった。


「まぁ、こっちは殿下も動くだろう。それで、タマリアは」

「うん。身を引いたつもりでも、一方的に揉め事に巻き込まれそうになってるからって言って、無理やり別邸の方に引き取ったわ」

「助かる。ベルノスト様も、しばらくはニドのところで匿ってもらうことになったから、当面は人目を避けられると思う」

「ですが、旦那様」


 ヒジリは浮かない顔だった。それはきっと俺も同じだったに違いなかったが。


「結局のところ、どうなさるおつもりなのですか」

「それが、わからない」


 わかっているのは、この件についての報道をやめさせるべきということだけ。タマリアの身元が割れれば、ゴーファトの死の真相が広まる危険性が高まる。それはエスタ=フォレスティア王国内の政局を大いに混乱させる要因にもなり得る。だが、あとは何もかもが不明確だし、何より俺自身が当事者と言い切れない部分がある。

 グラーブは、ムイラ家の跡目争いに首を突っ込まないつもりでいる。それは間違った態度とも言い切れない。タンディラールからして貴族達からすれば目障りこの上ない王だというのに、次代の王まで彼らのお家事情に嘴を突っ込むとなれば、反発は決して小さくない。ただ、ベルノストという替えの利かない側近を失うのも痛手なので、そこはどちらを選ぶべきかとなると、難しい判断となる。

 しかし、何より明確にしがたいのは……


「だから今日、ベルノスト様に会って話をするつもりでいる」


 彼はタマリアをどうしたいのだろう? 友人? それとも愛人? まさか……妻? 結局のところ、ここまでの一切は推測、想像ばかりなのだ。

 しかし、彼がどのような選択をするにせよ、俺がそれに口出しする資格はあるのだろうか。だが、彼女の存在は、王国にとって未処理の不発弾のようなもの。どこかでひっそりと静かに暮らす分には問題ないが、王子の右腕が連れまわす女としては、いかにも都合が悪い。

 あくまで留学中の身の回りの世話に留まるだろうと、甘く見ていた。ベルノストが女に興味を持つなんて、まったく想定していなかった。以前、女性に興味がないと言っていたのを覚えていたから。それは嘘ではなかったと思う。カリエラの美貌にも、まるで心を動かされた様子がなかったのだし。

 そうではない。彼にも欲望もあれば、感情だってある。ただ、その一切より、自分の立場からくる制約、そして緊張が勝っていた。そういう束縛を解いてくれるのが、タマリアだけだったのだろう。


「ふむふむ」


 厚かましくも客の顔をしたリンが、出されたお茶を飲みつつ、頷いた。


「聞いた限りでは、ただの色欲とも思われませんね。正義の女神は淫らな振る舞いこそ咎めますが、人の心に生じた純粋な愛まで否定することはありません」


 モーン・ナーの真実を知ったくせに、どうしてこんな台詞が出てくるのか。半ば生活習慣なのだろうが。


「もし、そうだとしたら、余計に厄介なんですよ」

「色欲のままに食い散らかして省みないあなたとは大違い、何が厄介だというのでしょう?」

「前半はともかく、後半は……だって身分も違い過ぎるし、今回の件も考えると、ベルノスト様の立場も悪くなるし」

「ふむ、では、どうするのです? 引き裂くのですか」


 引き裂く。いやな響きだった。

 ヒジリが頷いた。


「立場のある人物が、個人としての思いを断念せざるを得ないというのは、自然なことです。タマリアさんの気持ちはわかりませんが、仮にもし、ベルノスト様がそのような考えをお持ちであれば、私であれば」

「諦めさせる、と」

「ええ。恨まれても憎まれても、そのように致します」


 実に彼女らしい。恨まれても、と但し書きをつけるところまで含めて。そうした負の感情を引き受けるまでが自分の責任だと心得ている。


「私は賛成できない」


 ノーラが言った。


「では、どうなさるのですか」

「放置。勝手にさせるわ」

「それで大変なことになったら、どうするのですか」

「それ含め、本人の意志だと思う」


 これまたノーラらしい考えだった。

 彼女が何より重要視するのが、人としての意志なのだ。これは幼少期から今に至るまで、ただの一度も変わることがない。


「ですが、それで大変な事態を引き起こす可能性もあるのですよ」

「だから、今はタマリアを別邸に引き取ることはしてる。でも、それはそれ、これはこれ」

「旦那様は、どうお考えですか」

「だから……」


 わからない。優柔不断と言われても仕方がない。だが、正解が見通せない。


「まぁ」


 お茶をすすりながら、リンが言った。


「仮にお二人が結婚式を挙げるというのなら、私が女神に仲立ちしてあげましょう」

「それはどうも」


 俺が投げやりな口調でそう言うと、彼女は意味ありげな視線を返してきた。それで俺は、本来、彼女に言うべきことを口にした。


「ところで」

「なんでしょうか」

「どうして今日は、ここまで顔を出したんですか」


 俺の問いに、リンはない胸を張って答えた。


「よくぞ聞いてくれました」

「こんな話に首を突っ込んでまで、何が欲しいんですか」

「楽で、かつ稼ぎのいいお仕事はありませんか」


 またか? 前にもそんなことを言っていたような……


「教会の仕事より楽なのは、うちにはないです」

「それは残念」


 話し合いの後、俺は一人、曇り空の下を歩いていた。昼前のひっそりとした繁華街の路地を通り抜け、とある高層住宅の裏の階段に足をかけた。表側は明るく華やかでも、こちら側はなんともうら寂しい。粗末な木製の階段は、塗装もほとんど剥げてしまっている。強度にも不安をおぼえる。こんな街に居つく連中のモラルの程度もたかが知れているので当然なのだが、そこらにゴミが散乱していて、それが腐臭を放っていることもある。

 そんな中を抜けて、ようやく目指す部屋の前に立ち、扉をノックした。


「おぅ、遅かったな」

「済まない。事情を確認していて」

「ちょうど俺、出るとこだからよ。また戻ってくるけど、それだったら、留守番頼むわ」

「ベルノストは」

「いるぜ? ま、あとは任せた」


 彼にも日常がある。一人の女のところにずっととどまるわけにもいかないのだろう。俺が頷くと、彼は足早に出て行った。

 奥の部屋には、ベルノストが小さな寝台の上にいるだけだった。狭い部屋、そこに箪笥やテーブル、椅子が所狭しと詰め込まれている。その奥、日差しの差し込まない小さな北向きの窓の下で、彼は半身を起こして、座っていた。


「お目覚めですか」


 俺が声をかけると、彼は無言で振り返った。頭脳明晰だったはずの彼なのに、今はまともに知能があるかどうかも怪しいように見える。そんな危うさを感じた。


「大丈夫ですか? お話はできますか」

「ああ、済まない」


 俺の呼びかけに、やっと彼は言葉を返した。


「状況は、どこまで把握しておいでですか」

「少しは聞いている。私のことが新聞に書かれ始めているそうだ」

「ええ、そうです。それで糸を引いているのが」

「オギリックか」


 そこまで理解できているなら、話は早い。


「気づいていたんでしょう? 弟がよからぬ思いを抱いていたらしいことには」

「そうだな」

「どうして手を打たなかったのですか」


 この問いに、彼はしばらく沈黙した。答えがすぐ出てこなかったのかもしれない。


「僕がご自宅まで行った時、何をしていたか言いましょうか。勝手に上がり込んで、ご馳走を持ち込んで、カリエラと一緒になって、ベルノスト様が帰ってくるのを待っていたんですよ?」

「勝利宣言をしたかった、ということか」


 彼は溜息を洩らした。


「何のために、弟の野心を抑えつけるのか。私自身、理由を見いだせなかったから、かもしれない」

「ムイラ家の家督についてのこだわりはないと」

「長い歴史と重い責任を引きずって生きるのが、そんなに楽しいか? やりたくてやるのではない。やらねばならないからやる。お前ならとっくに承知していることだと思っていたが」


 やはり、という答えだった。ベルノストは、いい意味で生粋の貴族なのだ。


「でも、その意味で言うなら、オギリックにご自身の代わりが務まると思いますか」

「私にはない長所もあるだろう。ただ、現時点で評価するなら、そうだな……少々厳しいというしかない」

「だったら、認めるわけにはいかないのでは」

「これから伸びるかもわからない。私がいなくなって、すべてを背負うようになれば、或いは目線も変わってくるかもしれない。まず立場を与えられなければ、目が覚めることもない。やってみて、それから心持も変わってくる。私自身、そういう面はあった」


 表情の抜け落ちていた顔に、苦笑がうっすらと浮かんだ。


「お前は私を、途方もない聖人か何かのように思っているかもしれないが。私も生身の人間だぞ? 二度にわたってお前に敗れた後、私が一人、自室でどんな醜態をさらしていたか、少しは想像してみたか?」

「その上で今があるのです。でも、もっと程度の低い人間であれば、どこかで小さな復讐心に囚われて、情けない行いに手を染めていたでしょう」

「やめてくれ。恥ずかしくなる。そんなのは紙一重ではないか」


 それから溜息一つ。


「記事が出回っていると小耳に挟んだのだが」

「そうです。その件で」

「一紙だけは目を通した。まだ実名は出ていないようだ」

「時間の問題でしょう。殿下にもお話はして、なるべく火消しをしていこうとしてはいます」


 それで、俺は問い質した。


「確認したいのですが」

「なんだ」

「どうしてタマリアのところまで出かけていったのですか。特に二度目です。ルークから聞きました。あんなことをしなければ」


 数秒間、彼は中空を眺めたまま、硬直していた。


「わからない」

「はい?」

「わからないんだ、ファルス。説明しようにも、私自身、自分が何を考えているのか、どうしてあんなことをしたのか、言葉にできない」


 にこりともせず、彼はまったく真剣そのものの顔で、そう言った。


「その、ベルノスト様?」

「どうした」

「僕が彼女を紹介したのは……身の回りの世話をする人間で、信用できるのが欲しいと言われたので、あと半年くらいの間だし、タマリアは見ての通り、僕に頼ろうとしないから、稼げる仕事に就く口実を作ってあげたくてですね」


 彼は頷いた。


「こんなことになるとは」

「私も、自分で自分が何を考えているのか、今となっては分からない」

「結局、どうなさりたいんですか。彼女をメイドにしておきたいのか、それとも側妾にでもしたいのか」

「なに?」


 俺の言葉に、彼は今度こそ硬直した。


「申し上げにくいんですが……あくまで一年未満の間、ちょっと身の回りの世話をさせるだけと思っていたから紹介したので……彼女は、いろいろまずいんです」

「何がだ?」

「彼女自身、悪人ではないです。でも、経歴を調べられると、あまりに問題が」

「どういうことだ」


 仕方ない。部分的に事実を伝えるしかなさそうだった。


「彼女は……実は、犯罪奴隷です」

「は?」

「解放されていません。ですが、諸事情あって、帝都まで逃げ延びて、今、ここにいます」


 あまりのことに、ベルノストは目を見開き、小刻みに震えていた。


「なぜそんな人間が、そんな、しかし」

「彼女がどういう人かは、見てきたかと思います」

「なぜだ? どうしてそんな」

「今度こそ、言えません」


 彼は俺に食い下がった。


「そこまで言っておいて、どうしてその先を言わないのだ!」

「話はルークから聞きました。彼女がどうして、ベルノスト様を拒絶するかのような振る舞いをしたのか、わかりませんか? 表舞台に立つことはできないし、そのことは彼女自身、よくわかっています。少なくとも」


 これを伝えるのが正しいのかどうか。だが、彼を信頼して言っておく。


「ベルノスト様のような……未来の国王陛下の横に立つような人が、傍に置き続けることができる女性では、ないのです」


 俺の宣告に、彼は静かに座ったまま、だが呼吸だけは荒くしていた。


「できれば、追及はしないでください。この件は、知れば知るほど、誰もが危険にさらされるのです。殿下すら、関連する事実を何も伝えられていなかったのです。どうするのが正解なのか、僕にもわかりませんが」


 俺の言葉も耳に入っているのかどうか。

 彼は目を見開き、座り込んだまま、身動ぎもせずにいるばかりだった。

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― 新着の感想 ―
タマリアが複雑な身の上になった原因がゴーファトの根が帝都で毒を吸った事だしつまり帝都が悪い 流石悪徳の都
精神操作魔術の「忘却」でタマリアのことを忘れさせるのは難しいんでしょうか。 たとえ簡単だとしても、それをやらないのがファルスらしいと思います。
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