欲望の奥底にあるもの
あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
早速、正月に相応しいお話になりました。
家族友人で集まってお喋り。
楽しいですよね。
午後になっても、雨が止む気配はなかった。激しく降るということはなく、ただただ淡々と、一日中、目に入る限りの世界を濡らし続ける。その代わり、いつ終わるのかもまったく見通せそうになかった。
学園に引き返し、いるはずの女を探したが、なぜか登校していなかった。それで俺は察した。彼女が誰とどこにいるのかを。
帰り道にある、あの留学生向けの高級商店街。学生寮も数多く建ち並ぶあの通りの東側に、真っ白な壁の建物が見えた。曇天の下、その白さが妙に浮かび上がって見えた。まるで幽霊みたいに。
俺は階段を登って、その部屋の扉をノックした。開けたのは、雇われメイドだった。彼女は、俺の顔を目にすると、目を泳がせた。
「確保しました。お騒がせしました」
目的語は省いた。だが、それで充分伝わる。今朝、俺はここまで来て、ベルノストの不在を彼女に確認している。だから、またやってきて言うことが「確保」なら、それは本人を見つけたという意味にほかならない。
先日雇われたばかりのメイドなのだから、別にそこまで彼のことを心配する理由はない。と同時に、気まずく感じるような事情も、本来ならあり得ない。普通であれば、行方不明の人が見つかったのだから、形ばかりでもポジティブな反応をしそうなものだ。だが、彼女はそれを抑制した。
思った通りだった。
「いるんですね」
「えっと、は、はい」
難しいところなのだろう。勤め先をなくすのは避けたい。雇われメイドなのだから、この職場を失っても、或いは会社が別の現場に回してくれるのかもしれないが、変なクレームをつけられたら評価にも関わる。そして、同じ部屋の主人がまったく正反対の立場をとっているとすれば、どんな顔をすればいいのか。
「では、通してください」
「あっ、お待ちを。一応」
お客様を中に案内していいかを尋ねずに通すわけにはいかない。それで、彼女の立場もあるだろうと思って、俺は待った。
「お待たせしました」
だが、既に俺は苛立ち始めていた。一切を確認する前から、これから話し合う相手の愚かさ、卑しさが透けて見えていたから。雇われメイドがこんな顔をするくらいなのだ。きっと遠慮なくあれこれ喋り散らして、それを全部聞かれてしまっていたに違いない。
通されると、俺は大股に遠慮なく室内に踏み込んだ。そこは以前、ベルノストがオギリックのために、友人達を招いて小さなホームパーティーを催した部屋だった。木の切り株を加工して、上に透明なガラス板を張ったテーブル。その上には御馳走が並べられていた。しかし、今日この日を祝う人は、この場にたった二人だけ。
「やぁ、ファルスさん、よく来てくれました」
満面の笑みで、オギリックは俺を迎えた。といっても、立ち上がりもしない。座ったままだ。彼の隣には、カリエラもいた。学園の授業など、すっぽかしても構わないのだろう。
「まさかいらっしゃるとは思わなかったんですが、見ての通り、御馳走ならたっぷりあります。ここは一つ、僕らの派閥の一員ということで……ほら、何をしている。早くグラスを持ってこないか」
「酒はいらない」
上機嫌の彼を、俺は低い声で止めた。そこでやっとオギリックは、俺の発する気配に気付いたらしい。
「あれ? まさか、状況がわかってらっしゃらない? ファルスさん、それはないでしょう」
「状況、というと」
「もう、兄は終わりってことです」
彼は自信満々だった。
「今朝の新聞、見ました? 第一弾が出ました。でも、明日からの記事の原稿も、もうあがってます。すぐ印刷されて帝都中に広まりますよ。ただ、それを手直しするかどうかは、僕の胸三寸です」
「手直し、というのは」
「だからぁ! ファルスさん、自分の周りの人間はよく選んだ方がいいと思うんですけどね」
「何のことか、さっぱりわからない」
彼はグラスの水を飲んで、呼吸を整えてから、言った。
「兄がファルスさんの紹介した、あのタマリアとかいうメイドがどうなったか、ご存じないんですか」
怒りが爆発しそうになるのをなんとか抑えつつ、俺は平静を装って答えた。
「ここの仕事を勝手にやめた、ということは聞いている」
「そう! そうなんですよ! 兄が手出ししようとしたものだから。でも、ああまで執着するとは」
カリエラも、嘲笑を浮かべつつ言った。
「あんな薄汚れた女を欲しがって、わざわざスラムまで出向いたんですって? 本当に、趣味が悪いったらないわ」
こんなことをよくも俺に向かって言えるものだ。仮にタマリアが俺にとって目下の人間だったとしても、その身内であることに変わりはないのに。彼女をベルノストに紹介した俺まで侮辱していることがわからないのだろうか。
「心配しなくても、君の方が何倍も美しいよ、カリエラ」
「当たり前でしょう? 慰めてくれるのは嬉しいけど、できれば比べるのもやめてほしかったわ」
「はは! それは悪かったねぇ!」
それからオギリックは俺に向き直った。
「要するにね……これでもう、兄は廃嫡される。ムイラ家の家督を継ぐのは僕だ」
「そうかもしれない」
「次期国王を支える未来の重臣も、僕ってことだ」
やっぱりそういう認識だったのか。そう確認すると、俺は深い溜息をついた。
「どうしたんだい?」
「悪いことは言わない」
この愚か者どもを纏めて消し去ってもいいのだが、俺は殺し合いのためにではなく、一応は話し合いのためにこの場に足を運んだ。
「そういう身の丈に合わない野心なんか忘れて、ほどほどの人生を生きた方がいい」
「はぁ?」
「これは真面目に言っている。その方が幸せに暮らせるから」
相手の顔色を見ればわかる。俺は悪意でこれを言っているのではないが、オギリックが聞き入れてくれそうな様子はない。それでも、最後まで言うべきことは言う。
「ベルノストに取って代われば、大臣や将軍の地位を得られて、貴族の身分も確保できて、いい思いができると、そう考えているんだろう」
「ふん、まぁ、そうだね」
「まず、そこから間違っている」
「何が違うんだよ」
苛立ち始めた彼に、俺は噛んで含めるように丁寧に説明した。
「待っているのは重責と激務だ。これまでのベルノストも、王太子の側近として、あらゆる問題を引き受けてきた。と同時に、周囲から常に評価される立場でもあったから、休む暇もなく、自らを磨き続けなくてはいけない。考えたことがあるか。王子の側近だ。少しでも欠点があれば、必ず誰かが悪しざまに言う。そんな難しい立場で、十年以上、頑張ってきた。これが帰国後ともなれば、もっと大変になる」
タンディラールやアルタールが望むような、未来の国王の懐刀という役割をこなすのは、極めて過酷なのだ。しかも、それだけではない。
「それに、王のために働くということは、王とその他の貴族達の利害が対立した時、王の側に立つということだ。言ってみれば、権威と地位を独り占めしながら、他の貴族達の頭を押さえて回る立場なんだ。当然、憎まれ役になる。王を守るための盾なんだから、いざとなったら切り捨てられる。そこまで飲み込んで、それでも尽くす覚悟がある……そういう人物でなければ、およそ務まらない」
「まるで貧乏籤みたいに言うんだね」
「まるで、じゃない。貧乏籤なんだ」
そんな理不尽な扱いを受けて、なぜベルノストが倒れずにいられたのか。皮肉にも、酷薄すぎる両親の存在が、孤独な日々が、彼に忠節を尽くす以外の一切の選択肢を奪った。
「ベルノストを追い落とすのはいいとして。本当に代わりを務めたいのか。得られるのは虚栄だけ、気の休まる間もない。そして、常に自らを鍛え続けるしかない」
「鍛え続けるって? バカみたいじゃないか」
オギリックは感情を露わにしだした。
「頑張ってたのは知ってるさ。でも、結果を見てみるといい。兄さんは僕に負けたんだ。剣術の鍛錬? 座学? そうさ、一日中、剣を振るか、部屋にこもって本を読むか。そんな暮らしをしていたのは知ってたよ。だけど、そんなにまで苦労しても、僕がちょっと足を引っかけただけで、あのザマだ。情けないったらありゃしない」
「そうか」
俺は、察した。
そして、何より彼を傷つける言葉を、敢えて口にした。
「ずっと負け続けてきたんだな」
「なに」
「優秀な兄の輝きのすぐ傍で、影みたいになって過ごすのは、さぞつらかっただろう」
「なんだと!」
俺の言葉に、彼は椅子を蹴倒して立ち上がった。
「貧農、奴隷の卑しい成り上がりのくせに! よくも言ってくれたな!」
俺は静かな口調で尋ねた。
「一度でも」
「なんだ!」
「教えてくれ。一度でも、ベルノストはお前を手ひどく扱ったか? 恥をかかせたり、必要もないのに痛めつけたり、侮辱したりしたか? 叱責はしたかもしれないが」
これに、彼は沈黙した。
ベルノストは家庭内で冷遇されてきた。にもかかわらず、オギリックに対して横暴な態度をとることはなかった。千年祭の時期にやってきてから、自分の地位を狙っていることに気づいていても、叩き潰そうとすることを避けてさえいた。
オギリックは、優秀な兄への劣等感、そして貴族の身分への執着で動いている。だが、ベルノストはまったく別の次元で考え、行動していた。
そして、そのことには彼も薄々気がついてはいるのだろう。だからこそ、尚更、劣等感を刺激されるのかもしれないが。
興奮したオギリックに、カリエラは冷たい視線を向けた。
そのことに気づいて、俺は内心でまた溜息をつきたくなった。こんな上辺だけの冷たいやり取りしかしない相手と結ばれて、何が幸せなのか。
「よくわからないんだけど」
カリエラが、俺に冷ややかな声を向けた。
「あなたはどうしてベルノストのために動いているの?」
「理由は一つじゃない。あと、厳密にはベルノストのためだけでもない」
「じゃあ、誰のため?」
「お前達も含めた、全員の利益のためだ。個人的には、あまり強調したいことでもないが、王国の未来のためでもある」
この言葉に、カリエラは噴き出した。
「私達の利益も考えてるってこと? 嘘でしょ?」
「いいや、本当だ。さっきの話は、ただ言いくるめようとして言ったことじゃない。ベルノストの代わりになろうなんて、やめておいた方がいい。それに」
俺は視線をまた、オギリックに向けた。
「ベルノストを追い払っても、手に入るのは家督だけだ。将来なんてない」
「何を」
「考えてみたらいい。昨年に続く不祥事を、自分から広めて騒ぎにした……殿下にどれだけ心労をかけるかも考えずに、欲得尽くめでそんな真似をした人物を、誰が信用する? 余程でなければ、そんな奴を王国の重要な地位につけようなんて、思わない。お前は今、自分で自分の未来を台無しにしようとしているんだ」
俺の指摘に、彼は絶句した。
「だっ、だからって! 貴族の地位を失うのを、ただ黙って受け入れろっていうのか!」
「そこにこだわる奴、結構多いんだな。でも、そういうのに限って、ろくでもなかったりする。まぁ、そこしか誇れるところがないからだろうが」
「貴様!」
「成り上がりの自分としては、貴族の地位なんかにこだわりはないから。やってくれと言われたからやっているだけ。やめてよければ今日にでもやめる」
カリエラが嘲るように言った。
「貧農らしく、あばら家で暮らしたいってことかしら?」
「侮辱しているつもりなんだろうけど、まったくなんとも思わない。もし許されるなら、ピュリスの片隅で屋台を引いて暮らそうと思う。せっかく醤油もできたことだし、最高の串焼き肉を市民に売って暮らせるのなら、こんないいことはない。そんなに貴族でいたいのなら、ティンティナブリアの領主の地位を譲ろうか」
「は?」
「但し、手助けはしないぞ。今の自分にはリンガ商会のみんながいてくれるし、南方大陸からの収入もあるから、それを領地の復興に注ぎ込んでいる。やればやるほど、僕個人としては赤字だ。でも、引き受けている。面白くもなんともないけど、それでもやるんだ。それが貴族でいるということだ」
二人の間に、微妙な空気が流れだした。オギリックは上擦った声で、俺に言い返した。
「だ、だからって、今更、どうしろっていうんだ。もう、引っ込みはつかないんだ」
「そんなことはない。今すぐ帝都の新聞社に駆け込んで、告発を止めるんだ。ベルノストは、お前の将来についても面倒を見てくれる」
「あり得ないだろ」
「信じた方がいい。悪いことは言わない」
カリエラが吐き捨てた。
「バカみたい」
「何がだ」
「信じるなんて、バカのすることだって言ったのよ。なにそれ? ここで手を緩めて、でもベルノストが私達に報復しないでいるなんて。それをただ信じろって? 笑うしかないわ」
やっぱり無駄だった。
わかってはいた。それでも、そうするしかなかった。恐らく、ベルノストは彼らを力で排除することを望んでいなかったのだから。
「忠告はした」
「えっ?」
俺は背を向けた。
「最善を尽くすように。改めて言っておく」
やるべきことは他にもある。
愚か者達の説得に、これ以上、時間をかけることはできなかった。




