新聞社、動き始める
降りしきる雨の中、俺は再び学園に舞い戻った。まず、ケアーナ、悪くすればアナーニアにだが、情報共有する。ベルノストの身柄は確保したし、タマリアも今はルークが見てくれている。あとはどう状況の悪化に歯止めをかけるか、その相談がつけばいい。
そろそろ昼に差しかかる頃だ。昼食の時間も近い。一度はみんな、自分達の教室に戻る。そこでとりあえずの報告ができれば……
俺が教室に滑り込むと、そこには雨の日の室内特有の、どこかぬるっとした暖かい空気が感じられた。思った通り、ちょうど学生が教室に引き返す時間帯に戻ってくることができたらしい。
「ケアーナ!」
「あっ」
「見つかった!」
これだけで通じたらしい。人前だから、言葉を選ばないといけない。
「今、どこ?」
「知り合いにみてもらっている。ただ」
ベルノストの暴走によって、ややこしい事態がもっとややこしくなってしまった。そのことを告げるには、ここではちょっと人目がありすぎる。
それで左右を見回したのだが、その時、視界の隅に、怒りを露わにしたマホの姿が映った。何事かと身構えるより先に、彼女は大声で叫んだ。
「嘘つき!」
これには、教室内の注目が集まるのも無理はなかった。しかし、これはまずい。
「このっ、やっぱりあなた」
「待て、場所を変えよう」
「何を」
「お前にとっても不都合じゃないのか」
やっとそれだけ言うと、マホも怒りをようやく抑え、口を噤んだ。
二人を連れて、空き教室に向かった。そこで改めて俺は向き直り、マホに伝えた。
「まず、この前、教えてくれたことは、悪いけどエスタ=フォレスティア王国の関係者には伝えた。そうしないと大変なことになるから。でも、お前から聞いたとは言ってない。でももし、何かそれでまずいことが起きたのなら、それは謝っておく」
「そう。でも、私が怒ってるのは、そのことじゃない」
「じゃあ、なんだ」
「あなたが嘘をついたこと!」
ケアーナが割って入った。
「それじゃ何のことかわかんないよ。まず、ちょっと落ち着いて」
マホは小さな苛立ちを見せてケアーナを睨みつけたが、それでも言い分はもっともなので、呼吸を整えてから、改めて俺に言った。
「あなた、ベルノストって貴族にメイドを紹介しただけだって、そう言ったのよね? 愛人じゃないって」
「そうだ。それは嘘じゃない」
「噓でしょ? 証言があるんだから」
俺は目元を覆った。
「それは、昨日の夕方の一件だな」
「知ってるのね、やっぱり」
「完全な誤解だ。ベルノストは、愛人にするためにタマリアを連れ戻そうとしたんじゃない。だけど、近くにいた住人が話を聞いていて、そう勘違いしたらしいんだ」
「騙されないわよ」
俺は溜息をついた。
「お前だけ騙して、何の得になるっていうんだ」
「ねぇ」
ケアーナが割って入って尋ねた。
「それより、ベルノスト様は今、どこに」
「ああ、タマリアに拒絶されたのが応えたらしくて。自宅にも帰らずに彷徨って、繁華街で雨に打たれたまま、転がっていたよ」
この報告に、マホは目を丸くした。
「なにそれ」
「愛人を連れ戻そうとした男が、逃げられたからってこうなるか? わかるだろう」
「それで、今は?」
ケアーナに俺は答えた。
「繁華街に信用できる知人がいる。一応、あの辺の顔役でもある。今は彼に面倒を見てもらっているから、すぐにどうこうということはないはず。でも、一晩中、どうも彷徨い歩いていたみたいで、ベルノスト様はかなり衰弱していた。今は寝込んでいる」
「じゃあ、相手の方は?」
「こっちもボロボロで。これもシーチェンシ区に頼れる人がいるから、そちらで様子を見てもらっている」
「どういうこと?」
マホが理解できないことに苛立ちながら、身を乗り出してきた。
「わかりやすく言うと……貴族のご子息様が、スラムに住む移民の女に首ったけになって、でもお付き合いを断られた。本当なら、お笑い種で済むだけの話だ」
「で、でも、そんな。変じゃない! ベルノストって、あれでしょ? 武闘大会にも出てきた美貌の貴公子」
「そう、その美貌の貴公子が、スラム在住の貧乏人の女に拒まれた」
「どうしてよ!」
その説明は、ぼかすしかない。
「聞いたら後戻りできなくなるぞ」
「なによそれ」
「わけありの女なんだ。ベルノスト様を嫌って拒絶したんじゃない。自分を傍に置くと、巻き込まれかねないから、誰にも迷惑をかけたくなくて、死ぬまで貧乏暮らしになることも覚悟の上で、わざとスラムにとどまっていたんだ。それがこんなことに……」
ケアーナに向き直って言った。
「多分、この件は知らないはず。でも、これはあまりに危険すぎる話だから、仲間内でも話せない。殿下も、もしかしたら知らないかもしれない。もし、下手に広まったら」
「広まったら?」
「何人か死ぬだけで済めばいいけど、最悪、内乱になってもおかしくない」
「そんなに!?」
ふと、振り返ると、マホが血の気を失っていた。
「どういうことよ……何の話をしているの」
「どこの国にも、大勢の人を救うために、ごく一部の人に犠牲を強いることはある。それがいいとは言わないが、それでもこの件が表沙汰になったら、もっと多くの人が犠牲になる。そういう危険な秘密にかかわる人間の一人が、今回の彼女なんだ。だから、どうにか庇おうとしている。もし変に注目が集まって、過去を炙り出されでもしたら」
俺の説明に、マホは目を泳がせ始めていた。
「どうした? 何を知っている?」
「あ、あ、あのね」
彼女は俺から目を逸らしつつ、息を継ぎながら、なんとか言った。
「も、もう遅いかも」
「なに?」
「シーチェンシ区の住人の誰かが、多分……ネタを持ち込んだんだと思う。今日中、ううん、もうすぐ昼でしょ。もう、登校する前に団体の支部で聞いたけど、朝には印刷が始まっていると思うから」
「なんだって!」
では、既にとっくに手遅れになってしまっていた。
「どうしよう……」
ケアーナも真っ青な顔になっている。
「くっ、どこまでやるか」
「どこまでって」
「今なら、印刷所と、あとは新聞社か、印刷された新聞が集積されているところを襲って、全部焼き払えば」
「ちょっ! ちょっと! ファルス君、それはさすがにまずい!」
俺ならできる。できるが、ケアーナの言うように、それは「まずい」ことだ。実力行使で報道を止める。ごまかしきれればいいが、ことが明るみに出た場合には、もはや解決不能の外交問題に発展してしまう。
「そんなに……そこまでするほどの」
「独断ではできないな。殿下の許可がないと」
「そんなの、許可できるわけないよ! ほとんど戦争じゃん!」
「そもそも、殿下がこの機密をご存じない場合、説明するだけで時間がかかる。その上での決断となると……それに、新聞社の記者達はもう、記事の内容を把握している。圧力をかけて黙らせるにしても」
歯軋りしながら、俺は首を振るしかなかった。
「もう、間に合わない」
その日の昼の新聞に、今回の一件は記載された。
『昨年の不祥事に続き、エスタ=フォレスティア王国の、さる貴族の子弟に女性問題が発覚した。移民が多く暮らすシーチェンシ区に住む女性何某に対して、かの貴公子は自らの富を誇示し、屈服して意のままになるようにと告げたとのこと。周辺住民が証言している。関係各所への確認が済み次第、詳報をお届けする』
その記事を、俺は別邸の二階のベランダで読んだ。
「暇なのかしらね」
まだ本土に引き返していなかったノーラが、溜息交じりに言った。
「暇というより……なんていうのかしら。自分では何もしない、する気もない、そんな覚悟もない。そんな人達が、他人のことで一喜一憂して、勝手に怒ったり見下したりしながら、いいように動かされている。どうでもいいじゃない。他人の色恋沙汰なんか」
「でも、ここではそういう大衆が、ある意味、一番怖いんだよ」
「そうね。でも、まだこの記事を見る限り、できることはあると思う。だって、名前が書いてないし、続報が出るまではなんのことか、さっぱりだもの」
これは、読む人に気持ちの準備をさせるための、中身のない記事だ。興味関心を搔き立てて、次の新聞を大きく売ろうとしている。
「とりあえず、記事を本当に仕上げようと思ったら、被害者本人の声がなければ、始まらないはず」
「それはそうだ。でも、タマリアは実際には襲われたり、脅されたりなんかしていない」
「真実を報道するのなら、そこは怖くない。でも、問題はそのやり方」
徹底的に事実を究明しようとする過程で、タマリアとは何者か、ということが明らかになる危険性がある。スーディアから逃げ出してきた犯罪奴隷であると知られた場合、ゴーファトの死の真相も暴露されかねない。
「例の件が帝都の新聞にでも載ったら、これはもう、貴公子の醜聞程度では済まない」
「それなら、一番簡単な方法は……タマリアが行方不明になること、かしら。ティンティナブリアまで密かに連れていけば」
「それは僕も考えた。でも、そうなると今度は、ベルノストの身が守れない。あの性被害を受けたはずの女性はどこにいるんだ、ということに」
そこまで言ってから、俺は思いついた。
「いや、問題を分ければいいのか」
「どうするの?」
「帝都の新聞社に本当のことを知らせる必要はない。元々、タマリアの近所のみんなも、誤解しているだけだ。だから、タマリア自身がその誤解を解けさえすれば……そこから先は、替え玉のタマリアを用意するっていう手だって使えてしまう」
そして、本物のタマリアはこちらで確保、西方大陸まで密航させる。イーセイ港までつけば、もうこちらのものだ。
一方、偽タマリアは、いくら経歴を洗ったところで、スーディアにいた事実は浮かび上がってこない。口裏合わせさえ済んでいれば、ベルノストの疑惑は雲散霧消する。
「ただ、それでもベルノストの件は、半分か」
「根本的には、グラーブ殿下とオギリックをどうにかしなきゃ、狙われ続けるんだもの」
「そうなると」
オギリックと話し合わなければいけない。もっというと、対決するべきだ。とはいえ、俺の立場でどこまでやっていいのか。肝心のベルノストはあのざまだから、他の人が引き受けるしかないのだが。
それと、グラーブとも話をつける。これは、タンディラールと、その意志に従って行動するアルタール、リシュニアとも共通する立場から、だ。
しかし……
「殿下を説き伏せて、オギリックを黙らせたとして。ベルノストは、どうなるんだろう」
「ファルス、それはベルノスト様の決めることよ」
「そう、だな」
ノーラらしい態度だった。本人の意思は本人自身のもの。
実際、その通りだ。彼の地位を守るために俺達が動くことはできる。でも、それではどうにもならない問題は、別に存在する。
タマリアは、ベルノストの中に芽生えた好意によって、地獄の苦痛を思い出した。
ベルノストは、そんな彼女の絶望からの拒絶によって、深く傷ついた。
だが、これ自体は、俺達にはどうしようもないことだ。
「とりあえず、追加の記事を差し止めるためにできることがあるとすれば」
「告発者を沈黙させないとな」
俺は椅子から立ち上がった。
「ルークとニドが、それぞれ様子を見てくれている。でも、いざとなったら、そちらの手助けは頼む」
「ええ、いってらっしゃい」
まずは、身の丈を弁えない愚か者から。
どこまで話が通じるかはわからないながらも、できる限りのことをするしかないのだから。




