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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第五十一章 帝都だけの花
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殿下に資質ありや

 とりあえず、やるべきことは済ませた。ケアーナは、俺がマホから聞いた話をグラーブら王族に伝えたはずだ。タマリアには会えなかったが、ルークには事情を伝えた。いざとなったら、あの近所の住人も彼女の味方をするだろうし、逃げ隠れするくらいはできるはずだ。

 それで一段落、と思って帰宅したところ、家の前に馬車が停まっていた。さすがにこれには溜息が漏れ出た。


 旧公館の表玄関から立ち入ると、案の定、ポトが待ち構えていた。


「旦那様、お客様がお見えですぞ」

「どなたか」

「リシュニア殿下です」


 いったい今度はなんだろう。こんなに早く事態が進展するはずもないのに、と思いながら、俺は彼の案内を受けて、一階の居室に向かった。


「旦那様、お待ちしておりました」


 来客の相手をしていたヒジリが、自ら障子を開けた。ということは、中にはリシュニアしかいない。近くに使用人を置かなかったのだ。


「中へ」


 俺が立ち入ると、彼女はまた障子を閉じた。いちいち立ち上がらないようにと身振りでリシュニアを制してから、俺はそそくさとその場に腰を下ろした。


「それで、どんなお話を?」

「お話がこじれてきています」


 前置き抜きに俺が言うと、リシュニアも挨拶を省いた。


「ケアーナさんのお話を聞いて、兄は余計に苛立ちをみせました。私もとりなしたのですが」

「そこは怒るべきところじゃないのに。近頃、殿下は安定を失っているように思われる」

「申し訳ございません」


 彼女を責めているわけではないのだが……

 しかし、態度云々を語っているのではないのはリシュニアもよくわかっている。すぐ切り替えて、本題に移った。


「簡単な事情はもう、ヒジリ様にはお伝えしましたが、ファルス様、お疲れのところ申し訳ございませんが、私と一緒に来ていただけますか」

「どちらへ」

「アルタール様のところへ、です」


 俺はヒジリと目を見合わせた。彼女はゆっくりと頷いた。


「旦那様、人は境遇によって、浮きも沈みもするものかと存じます」

「そうだな」

「グラーブ様は、決して不明な方ではないのでしょう。しかし、それも闇夜を照らす灯火があればこそです」


 わかっている。やはり、ベルノストの代わりなど、そう簡単に見つかるものではない。

 前世の歴史上、英明な君主とされた人物を思い返してみても、政権を支える重臣がいなくなると、急に成果がお粗末になったりもしている。斉の桓公にとっての管仲、前秦の苻堅にとっての王猛、武則天にとっての狄仁傑といったように。逆に、暗君呼ばわりされることの多い劉禅でさえ、諸葛亮がいた頃はよく国を保ったという。

 そう考えると、タンディラールは並外れた君主ということがいえる。彼には、そういう信頼できる重臣がいない。少なくとも、即位の前には、優秀な人材がいないのでもなかったのに。ただ、グラーブにとってのベルノストに相当するような誰かがいたかといえば、難しいところではあった。例えば、アルタールは、個の武勇には優れているが、指揮官としてはそこまででもない。ユーシスなら、その穴埋めをこなせる余地があったが、政局の安定のためもあって、タンディラールは彼を使い潰す選択をした。強いていえば、国王の友が務まるような人材は、ウェルモルドだったということができるのだが、そうなるとだいたいフミールが悪い、というところで話が終わってしまう。それでも王国を保つことができているのは、タンディラール個人の能力が高いからだ。

 とはいえ……


「では、ヒジリ様、申し訳ございませんが」

「お気遣いなく。旦那様、私はこの件には関わるわけには参りませんが」

「どこまで役に立てるかはわからないけど、とにかく話だけでも聞いてくる」


 薄暗い馬車の中に身を落ち着けると、リシュニアは囁くようにして言った。


「申し訳ございません、ですが、今回ばかりはご助力を」

「それは構いません。結局、どういうことなんですか」


 馬車が走り出す。


「兄は……ベルノスト様を、自らの側近として扱うのを本当にやめようとしています。今のように一時的にではなく、今後とも」

「代わりのあてがあるんですか」


 彼女は小さく首を横に振った。


「これは不幸な行き違いでしかありません。父は、次期国王は兄しかいないと考えています。そして、その務めを果たすには、どうしても信頼できる右腕が必要だと」

「僕もそう思いますよ」

「ですが、兄は……私が思うにはですが、それについての反発があるようなのです」


 俺は小さく舌打ちした。くだらない。


「逃げ場のない身分には同情します。他に譲っておしまいにできない。たった一人の王太子ですからね。でも、それはそれ、これはこれです。あまりに幼稚じゃないですか」

「ファルス様、そう仰らないでください。兄は兄なりに真剣に考えてはいると思うのです。ただ」

「ただ?」

「心のどこかで信じきれないのです。王家のことはもう、ある程度、ご理解なさっていると思っているのですが」


 兄弟姉妹で毒を贈りあう、それはそれは素晴らしい家族愛の空間。もちろん、よくわかっている。


「何より、父にはベルノストのような側近がいません」

「そうですね」

「なら、自分もそのようにして何が悪いのかと」


 俺は目元を覆った。タンディラールからすれば、自分が独裁をしているからこそ、見えているものがある。誰も信じられないし、誰にも本当に深刻な問題は相談できない。そして今、零細貴族にとっては最悪の王として、強権的に中央政府のダウンサイジングに取り組んでいる。これだって恨みを買うのはわかっているが、誰かに押し付けるなんてできない。これがもし、誰か主導者としての重臣がいれば、その人物の首を挿げ替えるだけで政策の変更もできる。その自由が、彼にはない。

 裏を返せば、だからこそ、彼は汚れ役の王を引き受けているとも言える。余程の忠誠心がなければ、今、彼が目指しているような中央集権化政策の担い手なんかになろうとは思えないだろう。なにしろ、宮廷内の他の貴族達からの憎悪を一身に浴びることになる上、最悪の場合には、タンディラールからもトカゲの尻尾切りを食らうのだ。

 そういう意味では、彼が先を急ぐのもわかる。グラーブには、自分が背負っている苦労を引き受けさせたくはない。王国の大掃除は自分の代で片付けて、グラーブには愛され信頼される王になる道筋を遺そうとしている。だから、貴族達の反発を受けるような政策……主としてフォンケーノ侯がいい顔をしないレーシア水道の工事、歴史ある王国貴族達の領地を突き抜ける中央森林の道路建設、年金貴族の駆逐、油断ならない有力貴族の暗殺、そして何より臣下達を不安にさせるティンティナブリアの王領組み込み……こうして列挙すると、憎まれ役にもほどがあるのだが、そういう仕事を一気にやってしまおうと考えているのだろう。


「陛下と殿下では、適性も役割も違うのではないですか」

「父に挑むのが息子ということもあるのでしょう」

「遠慮なく言ってしまいますが」


 俺は首を振った。


「グラーブ殿下は、陛下には遠く及ばないと思っています。もちろん、経験を積み重ねた今の陛下と、まだ学生の殿下を比べるのが乱暴だとは思いますが」


 リシュニアは、しかし、静かに頷いた。


「ファルス様、王とはなんだとお思いですか」


 あまりに自明に聞こえる問いだったが、だからこそ、あらゆる答えがあり得た。俺が答えられずにいると、彼女は説明を付け加えた。


「法の一切を取り仕切るのが王です。法が法として行き渡ることを保証するのが王です。だから、王の仕事は何より、信じられるという点にかかっていると、私はそう思います」

「なるほどです」

「ファルス様、王を信じることは、美徳であると言えるでしょうか」


 次の問いには、少し考えたが、答えることができた。


「……原則として、という但し書きはつきますが、仰る通り、美徳だと言えるでしょう」

「ええ、王への信頼は、王国の法への信頼です。王を信じないなら、法も規範も、何も信じられないでしょう。その王が暴君でもない限り、王への信頼は正しい態度です。では」


 なぞなぞはまだ続くらしい。


「信じられることは、ファルス様、臣下達から、庶民から信じられる王は、信じられることをもって、美徳を発揮していると言えるでしょうか」

「それはもちろん」


 と答えかけて、思わず黙ってしまった。違う。これは不正解だ。

 俺が察したことを、彼女も察したらしい。我が意を得たりと頷きつつ、静かに言った。


「さすがはファルス様、お気づきですね」

「王は……美徳に留まることができない」

「その通りです」


 彼女は真っ暗な馬車の中、前を向いた。


「兄の、王としての資質は……半々といったところでしょうか」

「手厳しいですね」

「役目の大きさ、その厳しさ、それはよく承知しています。どうにかそれを果たそうともしているのです。でも、だからこそ、そのことへの恐れが身を縛るのでしょう」


 そういえば、マリータは以前、グラーブをどう評していたか。


『私には臆病に見える』


 もっと手加減した表現をするなら、重責ゆえに身を固くしていると、そういうことなのだろう。


「それだけわかっているのなら」


 俺が何か言いかけると、彼女は掌を向けて、俺を制した。


「兄より次の王に適した人は、今の王国にはいません。私自身を含めて。正しく、その道を行くことへの覚悟があるかどうか。その点で、私は兄に遠く及ばないのです」


 ただの謙虚さではないのだろう。なるほど、リシュニアには状況がよく見えている。だが、その俯瞰視点もまた、自分自身が王太子でないこと、その重圧のない場所から与えられたにすぎないと、よく承知している。

 馬車が止まった。


「着きました」


 馬車を降りて目の前の高級ホテルの裏口から踏み込んでいく。地上二階の一室が、アルタールの居場所だった。


「わざわざ来てもらって申し訳ない」

「いえ」


 彼は、立ち上がって会釈するだけで済ませた。形ばかりの敬意を払うことに余計な手間をかけるつもりがなかったのだろう。俺も作法など気にかけず、さっさとソファに身を沈めた。


「状況はなんとなく把握しているものと思うが」

「はい。ベルノスト様が」

「そうだ。去年の件もあり、グラーブ殿下は、自らのありようを、このままでいいのかと迷われている」

「ベルノスト様以上の側近を、どうやって今から見つけるんですか」


 アルタールも深い溜息を洩らした。


「私が帝都に留まっている本当の理由も、そこにある。最初は殿下を説得するためだった。だが、事ここに至っては、それでは済まない」

「不祥事が起きてしまったら、仮に殿下を説得できても」

「そういうことだが、どうも状況は思ったより悪くてな」


 頭を抱えながら、彼は低い声で呻いた。


「殿下はもう、誰も傍に置かないつもりだと」

「そんな無茶な」

「多分、ベルノストの代わりに、夏の間に使ったのがあのザマだったから、余計にそういう思いを強くしたのだろうが」

「まったく……それで、僕は何をすればいいでしょうか」


 彼は頷いた。


「機会を見つけて、殿下とベルノストを説得してほしい」

「それだけで足りますか。オギリックの件は」

「どこまで介入すべきか、悩ましいところだが……見た限り、あれに兄の代わりが務まるとは、思えない」

「同感です」


 自分を追い落とそうとしていることを承知しながら、なお弟の行く末を案じるベルノストと。そんなこと、これっぽっちも考えず、タマリアの身元についても中途半端に調べただけで、安易に脅迫を選んだオギリック。その資質に差があることは、俺にとっても明らかだった。


「それも当然ではあるが……ベルノストはグラーブ殿下の友として選ばれた五歳の頃から、王家を守るために特別な教育を受けてきた」


 アルタールの目に、暗い光が宿った。


「十年以上かけて磨き上げた宝石……王家の守護者たるべく育てられたのがベルノストなのだ。このようなところで失うなど、許されん」


 その言葉に、思わず息苦しさを覚えつつも、俺はなんとか言葉を返した。


「どこまでのことをしていいのか、迷うところではありますが、では、僕からもベルノストとは一度、よく話してみるつもりです」

「そうしてくれないか。それと、帝都の新聞で騒ぎにされても困る。そちらも、もし続報などあったら、教えてほしい」

「わかりました」


 二人の件も問題だが、俺にとってはタマリアの方が心配でならない。まさかこんな形でスポットライトが当たることになろうとは。免罪前の犯罪奴隷だと知れたら、大変なことになりかねない。でも、それはここでは迂闊に相談できない。

 といって、手っ取り早くオギリックを殺して、帝都の新聞社も壊滅させて……というのも、それはそれで、俺の横暴ではないか。本当に、どうすればいいのだろう?

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― 新着の感想 ―
殺すなんて野蛮な⋯ここは一つ貴族としての終わってもらいましょう(断種)
タンディラール王の言ってた凡庸な王でも国を維持できるシステムってのも存外脆いもので、ウェルモルドの理想と同様に耐用年数はさして長くないと。 ま、あの王様は早く死にたがってるだけかも知れないけど。
そもそもこれ(ファルスを女衒扱いしてる)ファルスへの攻撃でもあるから貴族のメンツ的にはぶっ殺して問題ないと思うな<オギリック
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