正義は利用されるモノ
ベルノストがタマリアの日常に衝撃を受けて、悄然として帰宅したその次の日、いつものように俺は学園に通った。
教室に入って、すぐ気が付いた。マホが登校してきていた。その彼女が、俺を見つけると、あからさまに視線を向けてきた。すぐ察する。あれは何か用事があるのだろう。案の定、腰を浮かせて、俺のすぐ目の前までやってきて、小声で話しかけてきた。
「ねぇ、少し」
「面倒事は」
「あなたの身内にまずいことがあってもいいのね?」
脅すつもりか? 一瞬、そう思って苛立ったが、仕方がないので黙って廊下に出た。それで彼女も、俺が話を聞くらしいことを察してついてきた。廊下に出てから左右を見渡し、すぐに方向を決めて歩き出した。朝のホームルームまで、あまり時間がないので、さっさと済ませたいところだった。
「それで? 今度はどんな脅迫をしたいんだ?」
「あなたね」
空き教室で、マホはうんざりしたと言わんばかりの溜息を洩らした。
「私が何か、善意も何もないバケモノだと思ってない?」
「そうではないけど、それに近い何かじゃないのか?」
「決めた。あなたのことだったら、今後はちゃんと見殺しにしてあげる」
「それはどうも」
憎まれ口を叩いてから、マホはもう一度溜息。そして、本題を切り出した。
「あなたのお国の人で、ベルノストっていう貴族がいない?」
「彼がどうかしたのか」
「これ、私が言ったってこと、絶対に内緒よ? いい?」
俺は黙って頷いた。
「あなたも知ってると思うけど、私は正義党の下部団体にあちこち顔を出してるの」
「そうだな」
「その中には、新聞社もあってね……そこで、まだ準備段階だけど、ベルノストって人の告発記事が」
「なんだって!」
あの品行方正を絵に描いたような男のどこを告発しようというのか。
俺が身を乗り出すと、マホは気圧されてか、窓際に一歩下がった。
「落ち着いてよ」
「落ち着いてる。悪かった。よく知らせてくれた。詳しく教えてほしい」
俺が頭を下げると、彼女は少し得意げな顔をしたが、すぐまた真顔に戻った。
「あなたも去年、味わったから知ってると思うけど、こういう告発って、同時に一気に畳みかけるものだからね。新聞社で記事は作成するんだけど、掲載されると同時に、団体が動いて……ほら、学園の正門前に陣取って大騒ぎしたりとか」
「ああ」
「そういう準備があるから、下書き状態の記事が回ってきて、私とかにも指示がね」
しかし、どういう心境の変化だろう? こんなこと、決して教えてくれるはずも……
それで思い出した。ボッシュ首相の件、あれがあったから、自分の居場所について、全面肯定できなくなったのだろう。ともあれ、今回に限っては、これは運がよかった。
「どういう内容だった?」
「その件で、あなたを問い詰めようと思ってるの」
「僕に何の関係がある」
「あなたも他人事じゃないのよ?」
俺は目を見開いた。
「いい、正直に答えて」
「わかった」
「ベルノストに愛人を宛がったのは、事実?」
「はぁ?」
いきなり何の話かと思ったら。
「ごまかしても無駄だから。別に、一緒にあなたが告発されるのを見過ごしたって、私は痛くも痒くもないもの」
「ちょっと待て、何のことだ」
「メイドの名目で」
そこで俺は、やっと理解が追いついた。
「……メイドなら、一人紹介した」
「そう、認めるのね」
「だが、誓っていえるが、やましいことは何もない。愛人として宛がったのでもないし、ベルノストも手出しなんかしていない」
「どうして言い切れるのよ」
心を読んだから。でも、それでは根拠にならない。
「お前も秘密を喋ったから、こちらも少しだけ、内情を伝える。ベルノスト様には、オギリックという弟がいるんだ」
「それが、どうしたのよ」
「はっきりわかりやすく言う。家督継承を狙って、兄を追い落とそうとしている。オギリックか、それともベルノストの婚約者のカリエラ、このどちらかが、今回の告発に関わっていないか?」
俺がそう指摘すると、マホはまた溜息をついた。
「そこまではまだ知らない。でも、そうね、そういう話だとすると」
それからマホは、顎に手をやり、考え込み始めた。
「あなたの言うことを真に受けるにもどうかとは思うけど」
「馬鹿を言え。お前と違って、僕はお前に嘘なんかついたことはない」
「ま、いいわ。私が聞いた話は、こんな感じ」
グラーブ王子の寵愛を失ったベルノストは、勝手気儘に振る舞うようになった。公邸を出て自由になったのをいいことに、冒険者の真似事もして、武闘大会に出場もした。だが、それだけではなく、これまでずっと我慢してきた女の方面にも手を伸ばすことにした。それで、友人のファルスに声をかけ、都合のいい、口の堅い女を手配させた。そのタマリアというルイン系の女性は貧しく、ファルスの申し出を断ることなどできなかった。こうして彼女は、表向きは使用人という身分で、実は愛人という立場に収まったのだが、その事実が知れ渡りそうになったので、ベルノストは慌てて彼女を解雇した……
「あのガキ……!」
ほぼ間違いなく、オギリックの台本だろう。
「違うの?」
「全然違う。あのな、タマリアはオギリックに買収されそうになったんだぞ。これもごくわかりやすく言うと、要はそういうお家騒動に巻き込まれたくないから、彼女が自発的に、勝手にメイドの仕事をやめたんだ」
「辻褄は合う説明ね」
「やめさせてくれないか」
俺は声を和らげた。
「マホ、お前は恵まれない女性の味方なんだろう? タマリアは貧しいんだ。それが僕の紹介で、やっとベルノストの世話係ということで、まともな仕事を見つけたのに、厄介事に巻き込まれて、今ではラギ川の浚渫作業を手伝って日銭を稼いでいる。それだけでも大変なのに、この上、嘘に踊らされた連中にあることないこと書き立てられるなんて、ひどすぎると思わないか」
すると彼女は俯き、少し考えてから、言った。
「そうね」
頷くと、彼女なりの理由を述べ始めた。
「本当に恵まれない女性が虐げられているのなら、相手が貴族だろうとなんだろうと告発するのは私達の義務だけど、そういう帝都の正義を、大陸の貴族の家の跡目争いなんかに利用されるというのは、本末転倒というしかないわ」
「だったら、どうにかしてくれないか」
「その前に、私は私で事実を確認する。あなたが言ったことが全部本当かどうかなんて、わからないじゃない」
「それもそうだ。調べて証拠を掴んでからでいい。本当はさっさと取り下げさせてほしいけど、根拠を得てから動きたいというのは正しい」
だが、マホは小さく首を振った。
「でも、あんまり期待しないでほしい」
「うん?」
「だってそうでしょ。別に私が主導してる案件じゃないもの。横槍入れてやめなさいって叫んだって、白い目で見られるだけで、何も変えられない。一応、証拠を掴んだら、そのことは伝えてみるけど」
組織の論理、というやつか。仮にもし、告発の準備がある程度、進んでしまってから、やっぱりなしということになったら、ここまでオギリックに踊らされて動いてきた組織の人間の立場がなくなる。正義を追求するくせに、と言いたくはなるが、それが人間というものだ。そして、まだ学生で、組織を支配する側にいるともいえないマホが、仮に事実を把握したとしても、そうした動きを止められない可能性は、十分に考えられた。
「それなら仕方ない。でも、その場合は一言、教えてくれないか。なんならお礼もする」
「買収なんてされないわよ。大事なのは事実だけ」
「それでいい」
それだけで、俺とマホはいったん教室に戻った。
だが、ホームルームが終わると、俺はすぐ立ち上がって、次の授業に出向こうとしたケアーナを捕まえた。
「ちょっと待った!」
「なに? 珍しい! そっちから誘ってくるなんて」
「今日はふざけている場合じゃ……ああ、とにかく」
俺が急いでいるのがわかったらしく、彼女も足を止め、ついてきた。人気のない廊下の奥まで引っ張ってから、俺はマホから聞いた話を伝えた。
「まずいね、それ」
「ベルノスト様にとっても都合が悪い話だけど、それで済むお話でもない。去年の醜聞に続いて、またグラーブ殿下にとっての打撃になりかねない……」
個人的には、タマリアにスポットライトが当たるのが一番まずい。免罪されていない犯罪奴隷が逃げただけだと知れたら。
しかし、グラーブからすると、これは更なる不祥事ということになってしまう。そして、それがサロンに所属する未来の臣下達にとって、どういう受け止められ方をするか。主人の勘気に触れることを恐れて、ますます距離を置くようになるだろう。そんな中、グラーブはどんどん苛立ちを募らせることになる。これは今の気分の良し悪しの問題では片付かない。下々が次期国王の資質に疑問符をつけるようになったら、後々、グラーブの政権運営は、より困難なものとなる。
「……いや、殿下もそこまでバカじゃない。ベルノストが無罪であるとする証拠を集めて、否定する方向に動こうとするとは思う」
「私もそう思うけど」
「とにかく、対処を急ぐ必要がある。どうしよう。まず、ベルノスト様にこの件を伝えて」
「じゃあ、それは私がやるよ。アナーニア様にも伝える」
とすると、俺の仕事は……
「タマリアの方かな。とにかく、当事者に何が起きそうになっているかを知らせないと」
「うん」
「じゃあ、学園の方は頼んでいいかな」
「任せて」
それで俺は、授業などすっ飛ばして学園を出て、まっすぐにシーチェンシ区に向かった。だが、日中ということもあって、当然、タマリアの自宅は空っぽだった。そうなるとラギ川の浚渫作業かと思ってチュンチェン区まで向かったが、そこも人気がなかった。今日はお休みらしい。
こうなると、どこにいるのかわからない。もしかしたら、口入屋にベビーシッターの仕事を紹介してもらうために出かけたのかもしれない。近所の青空市場をほっつき歩いていることも考えられる。あちこち探しまわったが、結局、見つけられないままに、俺はまた、タマリアの自宅付近に戻った。
「あっ」
だが、そこで俺は、見覚えのある人影を見つけた。
「ルーク!」
「おっ? ファルスか? どうしてこんな時間に?」
だが、事情の説明は後だ。
「タマリアを探してる。見かけなかったか」
「ああ、今朝、いたぞ」
ルークは首を振って言った。
「お前もタマリアに会いに来たのか? いったい、どういうことだ?」
「どういうことって、いや、誰か来たのか」
「ああ、なんか急にベルノストがやってきてな」
なんてことだ!
これは俺が不注意だった。ベルノストがあれだけ衝撃を受けていたのに、その後、どうするかをまったく考えていなかった。
「ベルノストは、なんて言ってた?」
「ん? なんかタマリア、例のメイドの仕事、やめたんだって?」
「そう、その件で」
「だからベルノストが戻ってくるようにって。でも、タマリアが断ってて。押し問答になってたから、俺が割って入ったんだ。タマリアにも考える時間が必要だろうから、いったん帰ってくれって、そう言ったらベルノストは引き返したよ」
では、そちらはそのうち、ケアーナが見つけてくれるとして……
「タマリアは?」
「わからない。でも、また何か仕事を貰いに行ったんじゃないか。今日は運河の掃除の仕事もないから、俺も暇だったんだ。まぁ、暇といっても剣を振ってたんだけど」
「そうか……」
「どうした? 何か問題でも起きたのか」
俺はごく簡単に説明してしまうことにした。
「ベルノストとタマリアに、変な噂を流されるかもしれない」
「はぁ?」
「その、帝都の新聞社が、タマリアのことを愛人にされたとかなんとか、書き立ててくるかも」
「それはよくないな」
腕組みし、彼は頷いた。
「わかった。何かあったら、俺がタマリアの近くにいるようにするから」
「頼む。ありがとう」
話を済ませると、俺は踵を返した。




