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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第五十一章 帝都だけの花
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突然の退職

 騒がしい教室を出ると、廊下を流れていく風に季節を感じた。

 日中こそ日差しが強いものの、朝夕はもう、涼しい風が吹き抜けていくようになった。あんなに蒸し暑い夏だったのに、それが去っていくと、こんなにも空しいものか。それに、日が暮れるのも随分と早くなった気がする。毎年同じことの繰り返しなのに、いつも小さな驚きを覚える。

 今日もいつもと同じ。お祭りの前の高揚感も悪くなかったが、何もない毎日もいいものだ。もの寂しい秋、ただ過ぎ去っていく季節。その中を、ただ平穏に暮らす。この校舎を出たところでは、ヒメノが待っていて……


「お待た……へっ?」


 ……そういう日常に、小さな変調が混じったらしい。


「済まんな」


 そこにいたのはヒメノだけではなかった。

 彼女の横にいたのはベルノストだった。といって、たまたま行き会ったから話し込んでいた、という雰囲気ではない。話が弾んでいたとは思えない表情をしていたからだ。


「どうしたんですか」

「お前に少し話があって、待っていた」


 それから、彼はヒメノに振り返って言った。


「心配しなくていい。そこまで深刻な話ではないんだ」

「いえ、お邪魔はしません」

「ありがたい」


 そういうわけで、俺はヒメノをおいて、ベルノストと学園の敷地を出て、歩いた。


「それで、いったい何が」

「私的な話なんだが……ただ、責任者がお前しかいない」

「何のことですか」

「タマリアがいなくなった」


 歩きながら、認知が追いつくのに数歩先までかかった。


「はい?」

「書き置き一つで、相談も何もなく退職されてしまった。おかげで部屋の掃除や洗濯が滞ってしまってな」

「その、大変に申し訳なく、ですが書き置きにはなんと」

「やっぱり私には向いてなさそうなお仕事なのでやめさせていただきます、と。あとは、手元に残っている分の給金はお返しするとあって、机の上に金貨と銀貨が置きっぱなしにしてあった」


 また数歩。わけがわからない。


「それだけですか」

「それだけだ」

「とりあえず、身の回りの世話には、代わりの人を急いで用意します」

「いや、それは自分で手配した。一応、帝都にもそういうメイドを派遣する業者がいるのでな。当面の問題だけなら、どうにでもなる。だが」


 彼は苦々しい顔で俺に尋ねた。


「お前には、何か説明はあったのか。それとも、お前の指示……ということはなさそうだが」

「寝耳に水です」

「そうだろうな。だが、そうすると、私に何か過失があったのか」

「いえ」


 それも考えにくい。ベルノストは愚かではない。暴力とか給料不払いとか、そういう目に見える問題はないだろうから、あとは暴言でも吐いたのかもしれない。だが、それにしたって悪意はないはずだ。またもし、これといった叱責などを彼の側からした自覚があれば、まずそれを俺に言うはずだ。逆に言えないのだとすれば、こんな相談を俺にもしない。それにベルノストは人の気持ちをよく見抜く。仮に何か失言によってタマリアの怒りを買ったとわかれば、すぐさまそれを埋め合わせたりもできるはずだ。

 といって、タマリアが理由もなくそんな無責任なことを、それも誰にも相談せずに勝手にしでかすとは考えにくい。というより、メリットがない。あのシーチェンシ区のスラムで貰える他の仕事と比べたら、ずっと楽で稼ぎもいいはずなのに。


「ちょっと事情が分からないので、なるべく早めに本人に問い質してきます」

「済まない。手間をかけるが」

「いえいえ、とんでもないです。勝手に一方的に仕事をやめるとか、何を考えてるんだか。しっかり叱りつけてきますよ」


 旧公館に戻ってから、俺は居合わせたファフィネに一声かけてから、手早く着替えて、すぐ出発した。


「はーいー?」


 彼女の家の扉をノックすると、中から明るい声が返ってきた。

 だが、扉を開けると、彼女の顔から一瞬、笑みが消えた。それをすぐ取り繕って、またタマリアは明るい声で言った。


「なに? 急にうちに来るとか、どうしたの? ま、入って」


 俺は頷き、そっと室内に踏み入った。


「でも、いきなり来るとは思わなかったから、何もないよ? 夕食、どうしよっかな」

「ああ、それはいい。僕も手土産を忘れたし。それより」

「うん」

「さっき、ベルノストに聞いた。急に仕事をやめたんだって?」


 表情を見て、ピンときた。彼女はもう、身構えている。


「うん! なんかね、くたびれちゃって」

「くたびれた? こっちの仕事より楽だと思うけど」

「ん-、だってさぁ、お行儀よくしてなくちゃいけないし? ほら、ベルノスト様の知り合いって、貴族とかそういうのばっかりで、肩凝るんだよねー」


 これは方便だ。本音ではない。


「それにさぁ、やっぱイケメンは見てて楽しいけど、毒だよ。こう、ムラムラしちゃうっていうか? 襲っちゃうかもしれないし!」


 多分、正直に話してくれ、と頼んでも、この様子では、はぐらかされるだけだ。

 良心は痛むが、やむを得ない。


《どうしたらいいかわからない……》


 精神操作魔術で内心を読み取った。

 案の定、表向きの明るい態度とは裏腹に、タマリアは思い悩んでいた。


「それだけ?」

「それだけって、それだけでも大問題じゃない? それにさー、料理作れないのもなんか申し訳なくってさー」


 必死で理由を捻りだしているが、本当のところは……


『だからさ、要は僕についた方が得だってこと』


 少々蒸し暑い日の昼下がり、主のいないベルノストの自室を訪ねてきたのは、弟のオギリックだった。


『どういうことでしょうか』


 タマリアは、理解できないフリをしている。だが、それが彼を苛立たせた。


『君のこと、少しだけ調べたんだ』

『えっ』

『シーチェンシ区とかいう、乞食の暮らすところにいるんだって? で、たまたま去年、こっちに来たファルスの知り合いだからって、彼経由で兄様のメイドの仕事を貰った』


 タマリアは身を固くしながら、黙り込んだ。


『でも、その仕事もいつまで続くのかなってこと』

『それは……長くとも、ベルノスト様がご卒業なさるまで、と受け止めておりますが』

『そしたら、またあの乞食の町に戻るわけ? つらいねぇ』


 コツ、コツと靴音を鳴らしながら、オギリックは室内を歩き回った。


『でも、僕の側につけば、もう悩みはなくなる。なにしろ、僕の留学は来年からだから、あと三年、この仕事ができるってわけ』

『その、僕の側、と仰っているのが、なんのことやら』

『ねぇ』


 ついに我慢の限界に達したのか、オギリックはタマリアに詰め寄り、いきなり手を伸ばしてその襟元を掴んで引き寄せた。


『いい加減、わかんないフリするの、やめなよ。僕のこと、舐めてるの?』


 ごまかしはもう、これ以上、通用しそうになかった。


『実家でもさ、兄様の失態は問題になっているんだ』

『それは、大変悩ましいことかと存じますが』

『要は父様も母様も、もう兄様にはこだわってないってこと。わかる?』


 タマリアは息を呑んだ。


『どんな些細なことでもいい。いっそ、でっち上げてくれてもいい。何かこれといった失点があと一つあれば、話は纏まるんだ。わかるね?』

『そんな』

『いいかい……余計なことを考えない方がいい。身の丈を考えるんだ。今の兄様にさほどの影響力はないし、ファルスだって』


 腕組みし、窓の外に視線を向けつつ、オギリックは続けた。


『君のことを本当に大切にしているなら、兄様に雇われるまで、スラムに放り出したままになんか、しておかない。要はそういうこと。君は義理立てするほどの恩義も受けていないし、そうしたって守ってもらえるほど気にかけてもらえているのでもない。だからこれは、君にとっての最大の機会なんだ』


 それだけ言うと、オギリックは身を翻した。


『うまくやりたまえよ。じゃあね』


 案の定、だった。


「やー、でも、どうせやめるんだったら、あの黒髪に触っておくんだったかなー!」


 しかし、こんな脅迫と買収工作をタマリアに仕掛けるなんて、まるでわかっていない。


《こんなこと、ベルノスト様に正直に言えるわけがない……前からオギリック様の将来のことを、あれだけ心配していたのに》


 だが、それだけではないだろう。ベルノストは、とにかく察しがいいのだ。恐らく弟の野心も承知はしていた。だが、敢えて見て見ぬふりをしていた。現実逃避ではないだろう。単に争いたくなかったのかもしれない。


《きっとひどく傷つけることになる……でもだからってファルスに相談したら、とんでもないことになるかもしれない……あのシュプンツェってバケモノを倒すようなファルスが、もし本気で怒ったり暴れたりしたら、どんなことになるかもわかったものじゃない……死人が出る程度で済めばいい、もっと大変な事件になってもおかしくない》


 そして、タマリアは俺にも相談できなかった。


《何より、私の正体が知られたら……逃亡した元犯罪奴隷ってことまで知られたら、確実にベルノスト様にも、ファルスにも迷惑がかかる、それだけは》


 だから、タマリアは冗談めかして、自分を悪者にして済ませようとしていた。


「匂いももっと嗅いでおくべきだったかなー、イケメンの体臭って特別だよね!」

「タマリア」

「は……はひっ!?」

「その、ちょっと変態入ってる性癖はどうでもいいんだけど。急に仕事を辞められたら、相手の迷惑になるって考えなかった?」


 俺が低い声でそう指摘すると、目に見えて狼狽えだした。


「ご、ごめん! ごめんなさい! うん、確かにね、私が悪かった! でも、顔向けできないからさ、申し訳ないんだけど、ファルスからベルノスト様に謝っておいてもらえないかな? もちろん、全部私が悪いってことで」

「その言い訳だと、結局、僕が泥をかぶることになるんじゃ」

「え、あ、う……そ、そうだね、でもどうしようもないからさ。どうしよ、ファルス、ごめん。な、何かできることがあれば、埋め合わせするからさ!」


 俺は黙って立ち上がった。


「どうするかは……少し考える」

「う、うん」

「とりあえず、タマリア、今の生活費はある? 給料、全部返したって聞いてるけど」

「あ、ああ、それはどうにかするよ。こっちにだって仕事くらい、ないでもないんだし」


 気にならないわけではないが、近くにはルークもいる。近所の人達も、長いことタマリアの世話になっている。本当に困窮したら、助けてくれる人ならいるはずだ。それより、問題の根元を解決しないと、どうにもならない。


「わかった。とりあえず、ベルノストには適当に伝えることにする」

「うん、ごめんね、面倒かけて」

「いや……それじゃあ」


 俺が彼女の家を去る頃には、周囲はほとんど闇に包まれていた。


 どう解決すべきだろうか?

 力による解決なら、簡単にできる。証拠が残らない形でオギリックをこの世界から消去するだけなら。ピアシング・ハンドで肉体を奪えば、彼は突然、この世界からいなくなる。タマリアは察するだろうし、もしかしたらベルノストも俺の介入を疑うかもしれないが、彼らも証拠は掴めない。

 だが、それはあまりに行き過ぎだし、筋道が通らない。ベルノストの将来は心配だが、そのために邪魔になりそうだから、変な欲を出した弟を殺すなんて。彼に頼まれて同意したのでもないのに、俺が無断で勝手にそこまで考えて動くべきかといえば、それは違う気がする。

 タマリアは俺が怒り狂うことを恐れている。普段は、それこそどこまでコケにされても泣き寝入りする俺だが、身内が不当な理由で傷つけられると、たまに見境がなくなる。その懸念は、的外れとは言えない。ただ、さすがに俺にも自制心くらいはある。今回、そんな短絡的な怒りに身を委ねるほどの理由はない。

 そうなると、どうするのがいいだろう? 知らない顔でやり過ごすというのも選択肢ではある。だが、タマリアの性格を、ベルノストも承知している。無責任でデタラメな人間だったら、そもそも給金を返上して仕事を辞めるなんてことはしない。だから理由があるはずだ。なぜ辞めたのかを説明してもらえなければ、彼は納得しない。でも、タマリアは決して口にしないだろう。彼を連れて行って喋らせようとしても、タマリアが道化になるだけだ。


 突き詰めると、問題の根本は、ベルノストにある。


 彼がオギリックとの関係をどうするか、家督を巡って争うのか、その辺を曖昧にしてやり過ごしてきたことのツケが、こういう形になって撥ね返ってきている。

 ただ、証言もなく、心を読んだだけの話となれば、俺の言うことに証拠はない。憶測になる。うまいことオギリックを誘導して喋らせるくらいはできるが、それは俺が、二人の問題に目に見える形で介入したという事実を残す。どちらの味方をするのか、立場を明確にしなくてはならなくなる。しかし、これはムイラ家内部の話であって、俺がどうこうしていいものでもない。


 旧公館に帰る頃には、考えが纏まった。

 ベルノストには、あくまで推測ということで報告する。そうするしかなさそうだった。

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― 新着の感想 ―
側近のお家騒動に巻き込まれる形になるのは仕方ない事だがねぇ⋯何処ぞの馬鹿王子ちゃまとアホ王女ちゃまはこの辺理解してるのかねぇ? また燃えそうだな王都
エッチ先生が遭遇したのは突然の脱糞
慎重になりますね
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