決勝戦
窓もない薄暗い控室の中にいても、会場の熱気が伝わってくる気がした。ここに入る前に少しだけ見たが、早い時間から、もう観客席はほぼ満席になっていた。
人々は、最高の見世物を楽しむつもりでいる。だが、下手をすると、これから行われるのは、ただの殺戮ショーになってしまう。
「そこまで気を張る必要はないかと思いますよ」
澄ました顔をして、ヒジリが軽い口調で言った。
「もし、どうしても厄介であれば、お手討ちにしていただいても構いませんし」
「構う! 大問題じゃないか」
「あちらが持ちかけた勝負です。どうなろうと自業自得ではありませんか」
「そういう問題じゃない……」
キースは有言実行の人だった。ポトの報告によれば、彼は先に言った通り、タルヒを手挟んだままの姿で、控室に入ったという。念のため、普通の試合にしたいという意向は伝えてもらったのだが、突っぱねられてしまっていた。
「正直なところ、あまり心配はしておりません」
「どうすればいいと思う」
「旦那様が、キースを打ち負かして、敗北を認めさせればいいだけのことです」
「簡単に言ってくれるな」
殺すだけなら、ピアシング・ハンドを使えば一秒もかからない。キースは、モーン・ナーの呪いについては知らないが、なんとなく俺に切り札があるらしいことは察している。そして、それを遠慮なく使うべきだとも思っている。
冗談じゃない。そもそもそれでは勝負というもの自体が成立しない。だが、彼には関係ないのだろう。先日、準決勝でヒジリが口にしたのと同じ論理だ。どんな経緯で強くなり、どういうやり方で勝つか。そんなのは問題ではない。彼には卑怯という考え方がない。なるほど、口先一つで物事をごまかそうとするのは嫌っているのだが、それ含め戦いの一部であると認識している。きれいも汚いもなく、勝つためにあらゆる手段を用いるべし。それでいいのだ。でも、俺としては、そんなの受け入れたくもない。
「そもそも、試合開始の時点でどっちも本物の剣を持ち込む時点で、騒ぎになる」
「そうでしょうね」
「他人事だと思って」
「それでも、どうにかなさればいいのです。殺したくなければ、殺さずに打ち倒すだけでしょう」
目元を覆って、俺は溜息を漏らした。
俺を殺す覚悟で、全力の勝負を挑んでくる世界最強の戦士相手に、手加減して勝てと。だが、結局、そうする以外にないのだ。
「一つ、気をつけたほうがいいのは」
「なんだ」
「キースは、とにかく発想に優れていますので。それに一度見たものは忘れません」
「そうだろうな……」
「ですから、彼が知らない技を用いて、早めに決着に至るのがよいかと存じます」
これも、何度も考えて至った答えだった。
剣術だけで勝負した場合、スキルレベルでは俺のが上でも、万一があり得る。経験や発想力に差がありすぎるから。
そうなると、その他で優位を得るには、魔術に頼るべきということになる。さすがの彼も、俺がピアシング・ハンドで掻き集めた魔術の一切をすべて知っているなんてことはない。
「そうは思っているんだが」
一応、作戦は考えてある。ただ、思ったようにいくかどうか……
係員が控室にやってきた。だが、俺の姿を目にすると、ぎょっとしたような顔をした。
ホアが作ってくれた装備一式を身につけているからだ。それでも、防具だけならまだいい。明らかに、腰には真剣を手挟んでいる。あれこれ言われるのが面倒だったので、魔術で幻惑した。
「こっちはこれでいいけど、あちらは」
「さすがに余計な殺人はしないと思います。気付かれたら、試合が始まる前に中止になってしまいますから」
溜息が出る。
「では、参りましょう」
ヒジリに伴われて、俺は会場の中央に繋がる薄暗い廊下を進んだ。
出口付近に立つと、実況担当の脳天気な声が聞こえてきた。
「長かった武闘大会も、いよいよ決勝戦! これが最後の試合となります!」
「このような展開になるとは、ちょっと予想を超えていましたね」
「英雄キースの決勝進出は順当といったところでしたが、もう片方のブロックは、期待されていた強豪が次々敗退……イッカラス・オィ、クィロル・マグルリ、チャン・クォといった有名どころが、まさかの脱落!」
「しかし、これはこれで、面白そうな勝負ではあります」
司会役は、高らかに宣言した。
「これは、神と英雄の戦いなのです!」
「まさに! 勝つのは英雄キースか、それとも性神ファルスか! 誰にも予想のつかない勝負になりました!」
神と英雄の戦い……そこだけ切り取れば、ほぼ事実ではある。キースがこれから挑もうとしているものの正体とは、俺が世界の狭間で与えられた運命の女神の力なのだから。
「まぁ、会場にお越しの皆様は、当然の結果だけを見にきてると思いますけどね!」
「まったくです! 正直、前回の準決勝がもう、事実上の決勝戦みたいなものでしたから。あれを見られなかった方は、本当に残念ですね、もったいなかった!」
「わかりきった結末……と言いたいところですが、番狂わせが繰り返されていますから、今度こそ、まっとうな結果になってほしいものです。では、選手入場!」
まっとうな結果、か。生命のかからない普通の試合であってくれれば、どんなにいいか。
どうにかキースに敗北を認めさせる。それ以外に、どちらも死なない結末はない。
「お? おやぁ?」
「これは……どちらも木剣を携えておりませんが、腰には、どうも本物の剣を提げていますね?」
「抜かなければ、規則に違反したことにはなりませんが、はて」
暢気なものだ。
俺はいまだに困惑しているというのに。
「よぉ」
俺の前に立ったキースが、軽い調子で声をかけてくる。
「物分かりが良くて、助かったぜ」
「よく言いますね。無視したら、闇討ちされかねないじゃないですか」
「付き合いが長いと、お互い、いろいろ捗るもんだな」
だが、審判はこのやり取りを看過しなかった。
「あの、お二人とも、真剣を用いての試合は認められません」
「すっこんでろ」
笑顔のまま、彼はそう言い放った。
「なっ」
「審判さん、悪いことは言いません。ここから逃げてください」
「何を言って」
「いや、説得しても時間の無駄ですね」
俺が指を向けると、彼は木偶のようになった。表情の抜け落ちた顔をして、そのまま黙って出口の方へと歩いていった。
「便利だな、それ」
「勝負では役に立ちそうにないですけどね」
「違いねぇ」
そう言いながら、彼はゆっくりと腰のタルヒを抜いた。
ホアには悪いが、彼女の打ってくれたこの剣では、品質ではあれに及ばない。最悪の場合、へし折られたりすることも考えられる。防具の性能ではこちらの方が勝っているが、今回、それはあまりメリットにならないだろう。
「あらら? 二人とも武器を? でもあれ、木剣には見えないんですが?」
「まだ開始の合図は……ってか審判! どこへ行くんですか! ちょっと!」
さて、これをただの余興、ちょっとしたハプニング程度で済ませられるかどうかは、俺の腕にかかっている。
「いくぜ」
獰猛な笑みを浮かべた彼は、まるで行きつけの居酒屋の暖簾を潜ろうとするかのように、気安く歩み寄ってきた。だが、その一秒後に始まったのは、二本の剣の甲高い合唱だった。
「お、おぉっ!? こ、これは」
「激しい打ち合い……じゃなくって、金属音が聞こえておりますがっ?」
当たり前だ。本物の剣で斬り結んでいるんだから。
ベタ足での叩き合い。小手調べにしては、相当な勢いがある。並の剣士なら、今頃、押されて隙をさらし、そこを狙い打たれているところだろう。だが、これといった奇策はない。まるで何かを確かめようとしているかのような……
だが、キースが奥の手を繰り出す前に、決着をつける。戦いにおいて、相手が引き出しを開ける前に片付けるのは、常道だ。
「し、しかし、これは……英雄キースの剣に手加減は見て取れないのですがっ」
「ファ、ファルス選手、これを受けきっている? やはり、人間性はともかく実力はっ」
キースが知らない魔法。
力魔術と風魔術の併用で……
その瞬間、俺の肉体は少しだけ浮かび上がり、キースを中心にコの字を描くように移動した。『高速飛行』の魔術だ。風の抵抗を排除できる分、速度が出やすい。しかも、徐々に速くなるのではなく、最初からトップスピードだ。二、三メートルの距離にいる相手が、突然、時速二百キロの速度で真横にスライドし、そのまま脇をすり抜けて背後に立つ。
そこから俺は剣を振り下ろした。
「なっ」
目を疑わざるを得なかった。キースはかろうじて振り返っていて、姿勢を崩しかけながらも、彼の肩口を叩こうとした剣を、どうにか受け止めていた。
あり得ない。十分の一秒以下の時間で移動が行われるのだ。物理的に人間の動体視力では追いきれない。それに、この短時間の反応は、人間の視覚情報処理能力の限界近い時間でもある。俺自身、身体操作魔術を併用して感覚を鋭敏にして、やっと自分の行動に意識が追いつくほどなのだ。それをなぜ、受け止めることができたのか。
とはいえ、さすがのキースにも、余裕はなかった。戸惑う俺も、なんとか敗北を免れたキースも、いったん後ろに飛び退いた。
「い、いつの間に両者の位置関係が入れ替わって」
「何が起きてるんですか!」
すぐキースの顔には、不敵な笑みが戻ってきた。
「バケモンだな、やっぱ」
「どっちがですか」
長年、戦い抜いてきた戦士としての勘、か。それ以外に説明がつかない。見てから回避なんて、絶対にできないのだから。デタラメだ。物理法則も生理的限界もへったくれもない。
だが、少しして思考が追いついた。ジョイスのように、瞬間移動能力を持つ人間だっているのだ。そういう相手と戦った経験があったとすれば、これくらいできなくては、生き延びられなかった。
「けど、てめぇ」
すぐ彼は不満を顔に出した。
「まだ本気じゃねぇな」
「だから無理なんですってば。戦いが成立しない」
「知らねぇよ。てめぇがやんねぇなら、俺がやる」
くる。
キースもわかっている。俺が同じような技を何度も繰り出したら。単純な速度だけで、肉体的限界を超える。対処しきれない可能性が出てくる。だから、そうなる前に、彼も切り札を出す。
俺は身構え、剣を構え直した。だが、そこでキースは口角をあげた。
「かかったな」
「なに」
タルヒが鈍く輝いている。そう気付いた時にはもう、遅かった。
俺が今、立っていた場所。それはさっき、足を止めての打ち合いをしていた時、キースが立っていた場所だった。あの後、俺は背面に回り込み、キースはそれを紙一重で防いで飛び退いた。
キースは、俺が彼の立っていた場所に戻るよう、誘導するつもりだった。道理で、戦いの最中に会話など、彼らしくもないことをするわけだ。あの打ち合いで俺の耳目を引き付けているうちに、彼は足下に水魔術の触媒を振り撒いておいたのだ。
「いっけぇ! タルヒィ!」
そしてタルヒがあれば、体力の消耗こそあるものの、詠唱の手間も省いて、急に水魔術を行使することができる。
俺は、足が何かに掴まれる感触を、続いて剣を握る手にまで氷の枝がよじ登ってきて、動きを妨げるのを感じた。
キースに躊躇はなかった。相手が能力を引き出す前に決着をつけるべき、その現実的な思考にノイズが入ることはなかった。彼は迷わずタルヒを俺の胸に突き刺した。
「うわっ!?」
「ちょっ、これは、殺人」
実況席から、そして観客席から、悲鳴があがった。
だが、当のキースは、勝利を手にしたはずだったのに、怪訝そうな顔をして硬直していた。
そして次の瞬間、不可視の拳に打たれて、仰け反りながら転倒した。
「ふぅっ」
ギリギリ間に合った。剣が俺の胸を貫通する直前に『肉体液化』を行使した。これで剣での刺突が致命傷になるのを防いだ。
立った姿勢のまま、この魔法を使うことができたのは、彼が即席の氷の柱で俺を拘束していたからだ。それがいわば「型崩れ」を防ぐ枠の役目を果たしてくれた。ただ、彼がすぐに我に返って、タルヒ経由で俺の肉体を凍らせにきたら危なかったので、その前に『風の拳』で距離を取った。それから『反応阻害』で俺を拘束する魔術の氷をすべて砕いた。
「くっ」
「もう遅い」
キースはまだ、手札を隠し持っていたのかもしれない。だが、起き上がり、反撃に出ようとしたところで、体が思うように動かないことに気付いた。
相手を拘束する手段なら、俺も豊富に備えている。まず力魔術で重力をかけ、動きが鈍ったところに『麻痺』の鏃が突き刺さった。といっても、彼は俺が身体操作魔術に熟達していることを知っているので、こういう隙を狙うのでなければ、うまく当てられなかったに違いない。
なんとか体を支えようとするも、ついに魔術の力に負けて、彼はその場にゴロンと横たわった。俺はゆっくりと歩み寄り、その首元に剣を添えた。
「ざまぁねぇ。覚悟決めて勝負したってぇのに、カッコつかねぇなぁ」
「こっちは冷や冷やさせられましたよ」
うっかりしていたら、本当に殺されかねなかった。いくら回復能力があっても、重要器官を的確に破壊されたら、俺でも死んでしまうのだ。
「殺すつもりで世界最強に挑んだんだ。バッサリやってくれて文句はねぇ」
「やれるわけないじゃないですか」
「はっは、ダッセぇな、手加減されてお情けかけられるってか」
「不満ですか」
「いいや」
鼻で笑いながら、彼は言った。
「まだまだ上がいる、俺の命もなくなってない。ツイてるし、やれることもあるってわけだ。そう文句を言うもんでもないな」
ほっと息をつく。とりあえずは納得してくれたらしい。
挑むのも競うのも好きにしてくれていいが、命のやり取りになるようなやり方は、今回限りにして欲しいものだ。
「今、何が起きたんですか? 本当に?」
「ファルス選手の胸が、確かに刺し貫かれたように見えたんですが、倒れているのはキース選手」
実況席では、理解が追いつかずに混乱が続いていた。
そうだった。この状況、どう収拾しよう?
「というか、二人とも、やっぱり本当の剣を使ってたっていうことになりませんか」
「いや、だったらファルス選手はどうしてピンピンしてるんですか」
「だとしたら、殺傷力のない玩具の剣でも使ってたんでしょうけど、そうなると、どうして勝ったはずのキース選手がひっくり返ってるのかって」
「せっかくの世界一決定戦なのに、もしかして、これ、何かの八百長ってことは」
観客席がざわめき出した。これはまずい。
だが、そう思った時点でもう、手遅れだった。
「金返せ!」
「イカサマしやがったな!」
「ふざけんな!」
観客が口々に文句を言いながら、手にしていた食べかけのパンや飲み物を、競技場内に投げ込み始めた。
「物を投げないでください! 物を投げないでください!」
「え、えー、これでは、ファルス選手はもとより、大変不本意ではありますが、キース選手も失格とせざるを得ません。そうなると優勝者は誰に?」
混乱する会場を見上げて溜息一つ。俺はまだ動けないキースに肩を貸して、そっと舞台裏に引っ込んだ。
後日、大会の優勝者はアーノということになった。俺とキースが本物の剣を持ち込んだことが明らかになったためだ。どちらも規約違反なので、失格は適切な処分といえる。そして、俺とキースの勝負の勝敗は、一応、俺の胸にキースの剣が届いているように見えたので、キースが勝ったと判定された。どちらも失格者ながら、勝った側と戦ったのがアーノだったので、彼が優勝ということになったのだ。
だが、アーノはそんな繰り上げ優勝に納得するような男ではなく、この決定を拒否した。チャン・クォもまた同様だったため、武闘大会は正式な優勝者なしという、なんとも締まらない結果に終わることとなってしまった。




