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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第四十九章 釘打ち事件
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釘ネックレス

 透明なガラス窓越しに、明るい屋外が見える。赤い煉瓦が敷き詰められた街路、色濃い木陰を落とす青葉の木々。そこを色とりどりの服を身につけた若者達が行き交う。

 既に季節は初夏。風のある日なら屋外のが爽やかに感じるものだが、なんといっても日差しが強い。まだ蒸し暑さはそれほどでもないものの、喫茶店でのんびり過ごすのなら、屋内のがいい。


「まったく、一時はどうなるかと思いましたよ」


 背中を丸めながら、コーザは溜息をついた。


「ファルスさんが真犯人を見つけてくれなかったら、どうなっていたか」

「さすがに証拠不十分で釈放されていたと思いますよ。だって前日には、みんなと一緒に昼間はトンチェン区にいたんだし。それでどうやって犯罪の準備なんか」

「わっかんねぇぞ?」


 椅子の上にふんぞり返り、後頭部で手を組んで、ニドは軽い調子で言った。


「犯人をでっち上げれば、点数になるもんなぁ? コーザだったらちょっと脅せば、いくらでも好きな証言をとれるって思ったんじゃね?」

「ひ、ひどい」


 それより、気になっていることがある。


「ところで、養老院のお仕事は」

「ああ、疑惑でしかなかったということで、事件とはまったく無関係だったので、クビは繋がりました。ただ、無断欠勤したも同然なので、その分、日給削られそうで」

「あらら」


 タマリアが、ケーキを切るのを止めて、口元を覆った。


「大変なのねぇ。気の毒に」

「もう無駄遣いはしばらく控えます」


 向かいに座っていたギルが、少し暗い声で言った。


「金欠なら、今日の分は俺が奢るよ」

「あっ、いえいえ、そんなつもりで言ったんじゃ」


 ギルの様子がいつもと少し違う。それで俺は尋ねた。


「事件は終わったんだし、もう仕事もないと思うけど、まだ疲れが抜けないのか」

「そんなんじゃねぇよ」


 やっぱり変だ。何かストレスでも抱えているんだろうか。

 だが、俺は重ねて問いかけようとする前に、コーザが言った。


「どうすればいいんでしょうねぇ。もう、お見合いパーティーに行くつもりはないんですけど」

「なんだ、まだ割り切れねぇのか」

「だって、なんか惨めじゃないですか」


 ケーキをフォークで突き刺しながら、彼はまた溜息をついた。


「職場の先輩みたいになるのかなぁって。戦車競走にお金を賭けて、夜のお店で使い果たして、お酒飲んで……でも、僕、そういうの、別にそんなに好きじゃないんですよ」

「おっ?」


 人形の迷宮では、初めての風俗店利用でアツくなっていたコーザ君が、まさかの発言を。いや、彼も大人になりつつあるのだ。


「賭け事なんて、勝てる気しないし。お酒もそんなに強くないし」

「女は?」


 ニドのからかうような言葉に、コーザの元気は萎んでしまった。


「そりゃ、欲しいけど……だって、夜のお店の子なんて、お金欲しいだけだし。だからって、普通に恋人とか、作れる気もしないんだけど」


 ニドは悪乗りし始めた。


「んじゃ、そこにいるタマリアはどうだ?」

「えぇっ」


 ケーキをゴックンと飲み込んでしまって、彼女はニドとコーザの顔を見比べる。


「コーザは市民権持ってるんだし、結婚すりゃ事実上、帝都の市民権が貰えるんじゃね?」

「えっ、ナイナイ、ナイナイ!」


 掌をパタパタさせながら、彼女は全否定した。その横で、コーザはガックリ項垂れる。


「あー、違う違う! そういう意味じゃないから!」

「どういう意味なんですか」

「ほら、私ってばワケありの女だからさ。ほんっとーにマズいお話っていうか、迷惑かけかねない身の上っていうかさ」


 免罪されないまま勝手に脱走した犯罪奴隷な上に、元売春婦で、しかも領主を性的に汚してから、自殺にまで追いやっている。確かに、こんなにヤバい女は、滅多にいるものではない。とはいえ、そんな事情は説明できるわけもなく。


「こんなひどい女捕まえることないよ。大丈夫、もっといい人いるって!」


 タマリアに悪気はないのだが、これはコーザにとってダメ押しになった。彼女と言えども、男心などわかりはしないのだ。


「それ、お断りの際の常套句……」

「えっ!? あれっ!? そうなの? ごめんごめん」


 仕方ないので、俺が言い添えた。


「タマリアは本当にワケありなんですよ。正直、コーザさんに宛がってみなし市民権を持たせるというのも、都合がいいっちゃいいんですが、何も知らない人にそういう押し付け方をするのは、良心が咎めるので」

「じゃ、事情を説明すればいいじゃないですか」

「説明したら、引き取って貰えなくなるんですよ。ヤバすぎて」


 その一言で、彼はもう追及する意欲を失ったらしい。俯いて、また改めてケーキにフォークを突き刺した。


「そういえばさぁ」


 タマリアが明るい声で言った。


「お仕事、決まったよ!」

「よかったね。採用してもらえたんだ?」

「ファルスが手回ししてくれたんでしょ? なんか悪いなぁ」


 ベルノストの新居で、彼女は出張メイドとして働くことになった。この件、確かに俺のおかげと言えばそうなのだが、別に俺が彼に頼み込んだのでもない。


「いや、僕からお願いしたわけじゃないよ」

「ホント?」

「本当。彼の方がそもそも人手を必要としていただけだから」

「ならいいんだけど」


 嘘はついてない。俺としても、大助かりという気分ではあるのだが。こちらから頼み込んではいないのだから。


「楽しみだなー。一度だけ見せてもらったけど、きれいなお屋敷だったよ。その中の一室なんだけど」

「そこそこ高級な学生用の寮なんだろう」

「そうそう。通学中にお部屋に入って、不在の間にあれこれお掃除したりとかすればいいみたい。お食事は、外注だって言ってたけど」


 タマリアには、一般的な西方大陸の婦人としてのスキルが不足している。針仕事はそこそこできるものの、料理その他は未熟なまま。なお、養父のサラハンが鍛えたおかげで、書類仕事は一通りできるのだが、今回、それが活用されることはないだろう。

 そんな彼女の能力を確認した上で、ベルノストは現実的に可能な範囲の仕事を与えたのだ。


「観賞用だよね、彼」

「まぁ、美男子だとは思う」

「でしょ! あー、目の保養になりそう」


 気持ちはわかるのだが……

 隣に座っているコーザの表情が、ちょっと恐ろしいものになっている。つまり、イケメンならいいのかと。


「あっ、もちろん、ただのお掃除だからね。いやー、お貴族様のご嫡男とか、見るだけのモノでしょうー」

「そう、です、か」

「コーザさん、別にタマリアのことを本当に欲してるわけでもないんでしょうし、聞き流せばいいんですよ」

「なんか見下されてるような気がして」

「重症だな、お前」


 椅子の上で脱力したままのニドは、軽い調子でそう言った。


「あのなぁ、女なんざに真顔になってどうすんだ。いいか? お前みたいに必死こいて大事にする奴が、一番女から縁遠いんだ。男の人生で、本当に大事なもんは女の中にないことのが多いと思うぜ? 俺は」

「うーん」


 タマリアが少し唸った。


「いや、本当に私はろくでもないからね。ぶっちゃけ、結婚したらダメな女だし、恋愛すら許されてないと自分では思ってるから。人間として、コーザ君のが、私の何倍もまっとうだから、そこははっきり言っておくよ」


 今度は、彼女に対してどんな顔をすればいいかわからなくなりそうだった。ゴーファトを自殺に追いやったことは、彼女の中で、それほどまでに重い過去なのだ。

 だが、やってしまったことは仕方がない。どうにか生まれ変わってほしいと思うのだが……


「ま、そうだな」


 ニドも同調した。


「少なくとも、俺とタマリアよりは、お前はずっとまともだ。どっちも人間のクズだぞ、こんなの」

「うー、他の人から言われると気分よくないけど、事実なんだなー」

「ってことだ。一つだけ助言しておいてやる。その自信のなさそうなところをなんとかしろ。女が逃げるぞ」


 それで、一つ伝達事項があるのを思い出した。


「そういえば、タマリア」

「なぁに」

「来週の休み、うちまで来てくれるかな」

「何するの?」


 前回の女子会では、呼ぶに呼べなかった。マツツァら郎党とは面識があるが、ヒジリとは一度も会ったことがなかったから。


「公館にいる人と、引き合わせようと思ってさ。ほら、先週、オルヴィータとかみんなを招いてお茶会やったけど、その時は、タマリアだけ呼べなかったし」

「あー、うん。そっか、気を遣うね」

「最初だけね。僕の身内のことを、ヒジリにもわかっておいてもらわないと、後で面倒なことになるのは嫌だし」


 話が途切れた。

 そこで、ニドが気付いた。さっきからギルが黙りこくっていることに。


「おい、どうしたんだ? 何か困ってることでもあんのか?」

「あ、いや、別に、もう」

「もう?」


 全員の注目が、彼に向けられた。


「あ、あのさ」


 彼は俯き、息をついてから、ボソッと言った。


「彼女に、フラレた……」


 反応は三者三様。


「はぁ?」

「あらあら」

「ギルさんも、僕の仲間……」


 俺が尋ねた。


「どうしてまた」

「ほら、例の事件でさ……あんまり忙しくて、ほとんど会えなかったし……あ、あとは、その」

「まだなんかあんのか?」

「どうしてかわからないけど、意気地なしって言われた」


 その一言でニドは硬直し、次に大笑いした。


「お前! そういやセリパス教徒だったよなぁ! そっかぁ、お前、抱いてねぇのか!」

「け、結婚する前にそんなこと、できるわけないだろ?」

「馬鹿だなー、抱かれるためにわざわざそっと意思表示してるところで無視なんかしたら、女のプライドがメチャクチャだってぇのに……お前もコーザと同じで、モテねぇクチだな?」


 ギルは溜息をついて、下を向いてしまった。


「ま、女なんざいくらでもいる。そんなに困ってるってんなら、俺が指導してやるから、お前ら、頼っていいぜ」


 それから、俺達は喫茶店を出た。

 戦勝通りを南に抜けて、大通りに向かった。馬車を捕まえるためだ。俺はこのまま公館に帰るし、ニドも歩いて繁華街まで引き返す。ギルも自分の下宿先までは歩いて行ける。だが、帝都のほぼ反対側にいるコーザとか、歯車橋を越えた向こうに住んでいるタマリアには、移動手段が必要だ。


「あれ」


 それで乗合馬車の停留所に向かったのだが、その辺りに柵が立てられていた。道路に何か問題でも起きたのか、路面を舗装する石板が剥がされていて、土が剥き出しになっている。

 領地で散々道路工事をやってきたから、俺にとってはもう常識なのだが、道路というのは、表面だけ作ればいいものではない。排水機能を持たせないと冠水してしまって使い物にならなくなったりするので、大小の砂利を下に埋めこんだりと、見た目以上に手がかかっている。

 この、屋外では暑さを感じずにはいられない時期に、簡素な服を身につけた数人の男達が、そこで作業に取り掛かっていた。人種はさまざまで、まず目立つのが西部シュライ人だ。しかし、ハンファン系やフォレス系の男達も混じっていて、彼らも一様に土に塗れて、重い土嚢を運んでいた。


「今日はここからじゃ乗れねぇか」


 ニドがそう言って、東西どちらの停留所に向かおうかと、左右を見比べているとき、俺は気付いてしまった。


 作業員の一人。灰色のシャツとズボンはところどころ茶色に染まっている。フォレス系の男で、年齢は四十歳くらいだろうか。髪はボサボサで、髭もろくに剃ってない。重労働のせいで汗だくになっていて、見るからに苦しそうだ。

 その彼の首元に……特徴的なネックレスがぶら下がっていた。


「あっちのが近いな。おい、ファルス、行くぞ」


 声をかけられて、俺は我に返った。


 さっきの男の首にかけられていたネックレス。それはただ、紐で釘を固く縛り付けて落とさないようにしただけの代物だった。怪我をしてはいけないので、先端は潰してある。

 ティルノックの死からしばらく、ラギ川南岸のスラムでは、このネックレスが静かに流行し始めていた。これを身につける男達は決まって貧しい。そして、なぜそのネックレスをつけるのかについて尋ねても、誰も何も答えないという。彼らは大人しい。過酷な労働に文句も言わず、従事する。

 あの凄惨な事件から二週間。帝都の人々は、普段通りの暮らしを取り戻していた。まるで何事もなかったかのようだった。


 俺は一度だけ、工事現場の方に視線を向けた。さっきの男はもう、目につくところにはいなかった。

四十九章、これで終わりとなります。

次からいよいよ千年祭となります。

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― 新着の感想 ―
ようやく最新話に追いつきました! これからも先も楽しみです!
タマリア結構好きなのでファルスが幸せにしてやってくれ... まぁファルスといると危険な気もするけど
旗頭を失ってやり場のない不満をため込んだ人がトゲの先だけ取って丸々抱え込んだまま日常生活に戻ってしまった 革命ってだいたいインテリ層か強烈な中産層が中心になってこういう溜まりに溜まった人々を燃料にして…
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