表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第四十九章 釘打ち事件
1011/1075

君は君の好きに生きたらいい

 サラトンの三箇条は、確かに彼の人生を説明する上で、それなりに当てはまっているように思われる。

 女は地位に拘る。女は目先を見る。女は混沌である。だからこそ、サラトンは妻に裏切られた。妻は、彼のように穏やかで気の優しい男からは、強さを感じられなかった。その不満を別の男に求めてしまった。先々どうなるかより、今の衝動に身を委ねた。そして、善悪より党派性が優越するからこそ、彼の先輩は公平性や善悪を度外視して、妻とその娘に肩入れした。

 彼が帰りたがらなかった実家の状況も、同様に説明できる。正妻としての地位を確保したい先妻、なんとか上に手をかけたい後妻、亡夫の母たる自分をないがしろにして家長の地位を奪い合う義理の娘達に憤る母。サラトンとその弟を駒にして、彼女らは権力闘争に夢中だった。彼女らはゾヒド家という名家……この共同体をいかに維持するかという問題には注意を払わなかった。そうではなく、その中でどんなポジションを握るかにのみ、関心を抱いていた。

 これらの経験から、女に嫌気が差した……というところまでは、まだわかる。


「あのぅ」


 俺は間抜けな声を漏らした。


「なにかな」

「極端すぎません?」


 この一言で、部屋の中に充満していた緊張感のようなものが霧散した。


「いや、お話はわかるんです。サラトンさんはひどい目に遭いましたし、女嫌いになるのもわかります。でも、他にやりようがあったんじゃないかと思うんですが」

「というと……いや、予期はしていたけど、言ってくれないか」

「だって、十年以上も帝都で好き勝手していたとはいっても、奥さんと離婚した時点ではまだ、ゾヒド家の家長で、実家はお金持ちだったわけですよ。で、帝都の女が、まぁ、ろくでもないのばっかりだというのも事実だとして。だけど、お父様はどうだったかなんです。少なくとも、お亡くなりになるまでは、家庭生活は落ち着いていたんですよね?」

「その通りだよ」

「だったら、帰国して改めて妻を娶って、あなたがちゃんと家長の役目を果たせば、それで全部解決していたのでは?」


 コーザもマホも帝都の人間だから、その発想がなかったのかもしれないが、そもそも当時のサラトンには、帰るべき家があった。エインで妻を娶る場合、彼の年齢はさほど問題視されなかっただろう。男であればだが、まだ二十代後半なら、常識的な範囲だ。そして名家の出であれば、変な家から娘が宛がわれることもないだろう。そして、そこは大陸の文化、特にサハリアの影響の強い地域なので、妻の不貞なんて許されようもない。帝都的価値観からすると素直に肯定できないかもしれないが、基本は男尊女卑が生きているので、彼さえしっかりしていれば、家中は安定させられる。彼の父にできていたことなのだから。


「当面のことだけ考えれば、それがよかったんだろうね。当時の僕も、そうするべきかを真剣に検討したよ」

「そうしなかった理由があるんですね」


 彼は頷いた。


「何のために生きるかを犠牲にして、なお生き延びることに納得できなかったから」


 ニドが首を傾げた。


「わっかんねぇな? 俺も西方大陸出身だから、あっちの考え方もわかるんだけどよ。普通、いいとこの坊ちゃんだったら、家門を守るのだとか、そういうこと言いだすもんだろ? 他所の男のガキこさえた女を叩きだすのはいいとして、なんであんた、自分で子孫絶やしてるんだよ?」

「一般の人は、規範に従うだけでいい。でも、僕は教育を受けた人間だ。必ずその理由を考える」


 サラトンは両手の人差し指をそれぞれ立てて、説明し始めた。


「この世界は残酷にできている。生き延びるためには、なんでもしなくてはいけない。帝都以外の大陸では、奴隷制度が残存しているね。借金を返せない人が、人身売買に手を染めるんだ。そうでなくても、貧しい農家にとって、子供の存在は、即ち労働力だったりする。単純に、生きる手段としての子供が望まれている現実がある」


 その点は、俺もニドも痛いほど理解している。当事者だったのだから。


「一方、名家の血筋には、別の役目がある。彼らは、決して死んではいけない。絶えてはいけない。その土地の利権は、その血筋に紐づけられているから。もしいなくなってしまったら、紛争の原因になる。こうして僕らは、生き延びるためにそれぞれ互いに役割分担をして……いや、仕事を押し付け合って、なんとなく命を繋いでいる。だけど、それは何のためだ?」


 コーザは、なにを言わんとしているかわからないらしく、首を傾げている。


「死にたくない……だけじゃないんですか?」

「それは万人が思うことだ。僕も、こんな病気の体で、あと一年も生きられないだろうけど、正直、死ぬのは怖いよ。だけど、どうしたっていつかは死ぬんだ。だとしたら、生きることに何の値打ちがある?」

「ないわね」


 マホがやけっぱちな口調で言った。


「そんなもの、あるわけないじゃない」

「それも間違いだとは思わない。特に今の帝都では。だけど、そうなると、生きてるうちにできること、やるべきことというのは要するに、少しでも快楽を掻き集めて、苦痛を減らして、死ぬまでの暇潰しをすること、という結論になってしまう」

「なってしまうも何も、それ以外に何があるんですか」


 サラトンは頷いた。


「でも、それでは納得できない人達がいる。そうだね、ファルス君?」


 マホの言いざまに不快感をおぼえていたのが顔に出ていたのだろうか。


「だったら、この世の中にある、人間が積み上げたものは、全部ガラクタじゃないか。あのラギ川の河口にある港も、張り巡らされた運河も、歯車橋も。書物も、そこに書かれた知識も、もちろん帝都の正義も。全部意味がなくなる」

「どうしてよ」

「どれもこれも、自分一人が使うものではないから。例えば、帝都の運河だ。あれを建設するのに何十年かかった? だけど、開発事業に携わった人が、直接に利益を得ることはない。書物の知識もそうだ。病気の治し方なんか、後の時代に伝えて何になる? 赤の他人が勝手に苦しんで死んでも、何も困らない」


 自分の中で、記憶と情報が結びつくのを感じながら、俺は続けた。


「さっき、サラトンさんは、女は混沌であるとか言ってたけど、お前の言うことは、どれもこれも、まさにそれじゃないか。長い時間軸、遠い土地同士の協力関係を、お前は全然考えられない。顔の見えない、立場も境遇も異なる人同士が分業を引き受けてやっていくのが社会なのに、お前ときたら、社会を利用しながら、社会を支えようという発想がない」

「ファルス君、仕方ないんだ。男女では社会性という言葉の意味が違う。男のそれは、社会を構築する能力のことだが、女のそれは多くの場合、社会を利用する能力のことなんだから」

「ちょっと待ってください」


 マホが抗議の声をあげた。


「さっきから、まるで女性には社会生活を営めないかのような発言ばかり出てくるんですが」

「僕はそう考えている」

「女性だけで暮らしてるところなんて、いくらでもありますよ。女神教やセリパス教の尼僧院なんか、帝都の郊外にもありますし、大陸にだってあるはずですけど、みんな普通に運営できてますよね?」


 サラトンは頷いた。


「さすが優等生のマホ君だ。その通りだよ。でも、歴史上の出来事について、大抵暗記しているというのなら……八百年代の帝都のことも知っているはずだね?」

「ええ、もちろん」

「だったら、暗黒時代以来の海賊の害に立ち向かうために制限されていた女性の権利を回復する過程で、帝都の郊外にいくつか女性だけの村落が建設されたことも知っているわけだ」

「え、ええ」


 元歴史学者の彼は、ずいっと身を乗り出して、確認した。


「それで、今はどうなったと思うかね?」

「ない……けど」

「そう、一つ残らず持続不可能になった。残ったといっても、十数人程度の小さな集団が細々と生き延びたという程度で、みんな解散してしまったんだ。なぜかというと、内部での主義主張が衝突しまくって、意思統一できなかったから。役割分担がうまくできなかった。その他にも、生活能力の問題とか、いろいろあったけど、結局は内部崩壊だった。要するに」


 体を引き戻し、椅子の背凭れに身を預けて、サラトンは彼女の反論にけりをつけた。


「尼僧院が維持されているのは、規範が外部から設定されているから。いわば男性社会における女性専用席だからだよ」


 それから、彼は本筋に立ち返った。


「で、話を戻すと、どうしてファルス君がマホ君の言うことに噛みつくかというとだね」


 一息ついてから、彼は続けた。


「彼には、遠くが見えているからだよ。今、この場所だけじゃなくて、海の向こう、遥か彼方の国々。数百年前に生きた人々。数百年後に生まれる人々。彼らと一緒に生きていこうとしているからだ」

「そんなの、できるわけないじゃないですか」

「できるんだよ。というより、まさにそうしている。本来、人の営みとは、すべてそういうものだ。帝都の運河も、薬の作り方を記した書物も、いや、もっとささやかな……ちょっと変わった味の料理のレシピなんかも、日々、周囲の人々に共有されながら、過ぎ去った時代から後の時代へと引き継がれている。わかるかい」


 サラトンは力を込めて言った。


「それが、僕らにとっての生きる意味なんだ。僕はもうすぐ死ぬ。でも、僕の遺した書物から学びを得てくれる人がいたら、ある意味、僕は死んだことにはならない。そのうち、僕の名前はきれいに忘れ去られるだろう。それでも、僕が愛した誰かが、また誰かを愛し、そのまた誰かが……いつかどこかで欠けることのない幸せの中にいてくれれば」


 遥か彼方の理想郷に思いを馳せて、彼は眼を細めた。


「でも、そんな世界は程遠い。今日も、労働力目当てに生み出された子供達が、親の言いつけに従って畑の雑草を抜いている。でも、だったら親は、我が子を家畜同然と考えているのか? そうじゃない。そんなわけがない……そうであっていいはずがない。そうせざるを得ないだけだ。自分が死ぬ時には、せめて後の時代に少しでも豊かであって欲しいと、そう願うことしかできないのだから。この、どうにもならない現実に対して、どうにかしたいと憤る思いがあるから、ファルス君は君の言いざまが気に入らなかったんだ」


 マホも黙ってはいなかった。


「で、それはどうにかなりました? うまくいったことは? どうにもならないってご自分で仰ってますよね?」

「多分、ないね。だけど、少しずつ、ごく僅かながら、僕らは前に進んできた。とても難しい仕事だけど、いつかどこかで、誰かがこの襷を受け取ってくれることを願ってきたんだ」


 彼は、いったん座り直してから、続きを述べた。


「そして、僕が女性を穢れと呼ぶのも、これが理由なんだよ」

「それ、ひどいですよね」

「だが、事実だ。今より少しでも豊かで平和な世界を、僕らは夢見る。現実には妥協しなければいけないこともある。だけど、あくまで目標は遠くに置かれている。ところがどうだ。君らときたら」


 彼の顔に浮かんだ表情に、マホが一瞬、気圧されていた。仮にもうら若い乙女に向けるそれではない。純粋な軽蔑の念が滲み出ていた。


「君らは、まるでゴブリンだな」

「なんですって」

「背が低いこととか、甲高い声で喚き散らすところもそっくりだが、最大の共通点はその気質だ。やたらと見栄っ張りで、野蛮で争いを好むくせに、怠惰な上に臆病でもある。それに、ろくに助け合いもしないものだから、せっかく人間みたいな手足が揃っているのに、自前では街を建設することもできない。いつでもどこでも小競り合いだらけ」


 罵倒や侮蔑という表現では足りないくらいの強烈な言いざまに、マホは反論することさえ忘れた。


「帝都の保護を濫用して、横暴の限りを尽くすばかりだ。うっかり近づけば性犯罪者扱い、匿名で告発すれば、どんな男でも社会的に葬り去れる。いざ離婚となれば財産分与に子供の連れ去り。なんでもありじゃないか。君らは、せっかく築き上げた社会を、その支柱である公平さを食らいつくす。未来への希望も、根こそぎだ。今、この場のために、すべて使い切ろうとする。そうじゃないとは言わせないよ。君らは何かにつけ依怙贔屓ばかりだし、現に帝都の女達はろくに子供を産んでいない。未来に託せるものがない……コーザ君みたいな人を、数多く作り出している。それでも、なんとか自分の命を未来に繋げようと思ったら、君ら相手に妥協するしかないんだ。だけど、そうして産まれた命さえ、かけがえのないはずの我が子でさえ、君らにとっては……」


 次の一言が、俺の頭を揺さぶった。


「……将棋の駒でしかないんだ。僕の母が、僕を家中を支配する争いの道具としようとしたように。番う前は男同士を争わせ、産んだ後は手駒として戦わせようとする。それで実現する世界はなんだ? 憎み合い、傷つけあい、奪い合う、荒廃した世界だ。君らは不和を呼び込む。命を生み出す力を持っているのに、その命の価値を無にしてしまう。愛も協調も何もない獣の世界に引き戻そうとするんだ。そんな未来を押し付けるために、僕は我が子を産んでもらうのか? 自分の死に伴う絶望を少しでも軽くするために、苦痛を背負わせるために」


 将棋の駒。どこかで聞いた言葉だと思った。だが、そのことを思い出そうとすると、どうにも気分が悪くなった。


「不幸の連鎖、その原因になるものがあるとすれば。しかも、どうしたって取り除けない、洗い流せない……これをなんと呼べばいい? 齎されるのは流れる血、横たわる骸……なら、それは穢れそのものじゃないか」


 それから彼は、俺に振り返って言った。


「僕が、故郷に戻って再婚するという選択をしなかったのも、そういうことだ。確かに、僕一代のことだけを考えるなら、君の言う通りだよ。だけど、社会が豊かになって安定すれば、必ず帝都と同じ問題を抱えることになる。遠い未来を考えたら、結局、女性を介しての生存は、不幸の擦り付け合いにしかならない。だから、一足先にこの世界から退場することにしたんだ」


 ニドは、この結論に若干引き気味だった。


「徹底してんなぁ……」

「無論、男がみんなきれいでまともな存在というつもりはないよ。君も女衒らしいし、ちゃんと悪党もいるしね。それに、さっきも言った通り、女は混沌であって、邪悪ではない。善悪の区別がそもそもないんだ。山奥から出てきて人を襲う熊に善悪がないのと同じだ」


 そこまで言っておいて、思いついたように付け足した。


「もっとも、善悪の区別が社会からなくなったら……というよりは、それは既に社会が存在しないということなんだけど、結果としては悪が蔓延る……君の仕事だって、帝都みたいなところでなかったら、まず成り立たないだろう?」


 それからコーザに振り向いて、問い質した。


「どうだい? 君はそれでも、なお結婚したいのか? 子供を産んでもらいたいのか?」

「えぇっ……」


 彼はゆっくりとマホの方に振り返った。


「なによ」


 何も言わずに、彼はまたサラトンに向き直った。


「じゃ、質問を変えよう。君はまだ怒っているかい?」

「へっ?」

「君や、挺身隊の仲間の献身や犠牲を嘲笑った女達だよ。わざわざ怒り狂う値打ちがあると思うのかい?」


 数秒間、コーザは沈黙していたが、やがてポロッと呟いた。


「そういうもの、っていうことなんですね……」

「そうさ。伝わってよかった。あとは君の好きにしたらいい」


 コーザの顔からは、もう毒気が抜けていた。


「あの、ちょっと、サラトンさん」


 ようやく正気に返ったマホが、声をかけた。


「なにかね」

「じゃあ、私はどうしたらいいんですか。散々なことを言われたのは我慢するとしても、性別なんて変えられないのに」

「ああ、それなら問題はないよ」


 彼は軽い調子で言い放った。


「別に僕は君を傷つけようとか、断罪しようとか、そんなつもりはない。いろいろ言ったけど、侮辱したいとも思ってない。君は君の好きに生きたらいいし、それを邪魔するつもりもない」

「えっ」

「何か変なことを言ったかな?」

「いや、だって」


 マホは目を泳がせながら、問い質した。


「さっき、あんなに女はどうとか、ひどいことをいっぱい言ってたじゃないですか! もしそんなに女性が有害なら、どうしてそんな結論になるんですか!」

「僕は差別をしない。帝都の価値観を受け入れているから。そして、女性は公平を破壊するが、そんな君らも帝都の一市民だ。差別するわけにはいかない。だから君は、男性と同様の権利を十全に活用して生きていい」

「でも、仰っていることが正しいとすればですが、公平……というか社会は壊されるんですよね」

「そうとも」


 すると、彼女は色をなして食ってかかった。


「ダメじゃないですか!」


 ところが、サラトンはというと、どこ吹く風だった。


「どうして?」

「社会が壊れるっていうのは、その、治安が悪化したりとか、貧乏になったりとか、何かそういう悪いことが起きるという意味であってますか?」

「まぁ、そちらに近づくだろうね」

「だったらダメじゃないですか!」

「だからどうして?」


 本当に不思議でならない、という顔でサラトンは首を傾げてみせた。


「ふざけてるんですか! そうしたら、みんな苦しい思いをするんですよ!」

「みんなって誰のことかな」

「みんなはみんなです! サラトンさん、あなたも!」

「まず」


 彼は、脱力して椅子に深く身を沈めた。


「僕に関しては、本当にどうでもいい。さっきケクサディブと話していたのは本当だ。医者が言うには、病気のせいで、あと半年も生きられないそうだ。それがちょっと早くなったくらい、どうってことはない」

「自分さえ損しなければいいってことですか」

「そういうことにしてもいいけどね。でも、社会が壊れて困らない人は、他にも大勢いる。この家の近くに住んでる移民なんかは、特にそうだ。もともと貧しいし、政府に守られてもいない。それよりはマシだけど、コーザ君みたいな人にとっても、社会はそんなに大事なものじゃない」

「え? 僕?」


 サラトンは皮肉めいた笑みを浮かべて、改めて彼に尋ねた。


「ねぇコーザ君、仮に君が結婚しないとしたら、妻も子供もいないわけだ」

「えぇ、まぁ」

「帝都が破滅的な状況になった。今の養老院の仕事もなくなった。さぁ、どうする?」

「どうするって言われても」


 実際にそんなことになったら、かなり困ってしまうだろう。とはいえ、だ。


「守らなきゃいけない妻子はいない。だったら、どこに行ってもいい。例えば……そこのファルス君のところに転がり込んでもいいね。下働きでよければ、雇ってもらえるかもしれない」

「まぁ、それができるなら、そうしますけど」

「できなくても、どうせ君一人の人生、自分だけの命だ。帝都なんか潰れたって、実はそんなに大きな問題じゃないんじゃないか?」

「えっと、うーん、まぁ……」


 マホは鋭く振り返り、コーザを責めた。


「あなた、帝都で生まれて帝都で育って、帝都に仕事を貰って暮らしてるのに、踏みとどまって守ろうって気がないの?」

「いや、だって、そりゃそうだけど、そこまで……命を懸けるほど大切にされた覚えはないし、第一、僕が何を守るの?」

「何って」


 妻子がいないコーザにとって、何より優先して守るべきものは自分自身にほかならない。


「養老院の役立たずなんか死んでもいいんでしょ。僕も弱虫で役立たずだから、真っ先に逃げるよ」

「だっ、だっ、だからって」

「そういうことでね。みんな、それぞれがそれぞれで、自分のために行動すればいい。マホ君、さっき君自身が言っていたことだよ」


 サラトンは掌をひらひらさせながら、代案を口にした。


「まぁ、どうしても帝都を延命させたいというのなら、一応、応急処置をする方法もあるんだけどね」

「じゃあ、それをすればいいじゃないですか」

「いいのかい? 八百年代以前の帝都に巻き戻しても。大陸の真似事をするのが、君の望みなのか?」


 彼は俺に向き直った。


「ファルス君、西方大陸では女性に結婚の自由はあったんだっけね」

「認められる場合もありますが、大半は家長とか、その他家族の同意で決まります。係累がいない個人とかであれば、また話が違ってくるんですが」


 確認だけして、彼はまたマホに言った。


「というわけで、マホ君。解決策は簡単だ。今すぐ君らの公民権を停止して、選挙にも投票できないようにするし、結婚するかどうかの決定権も父親に委ねる。そうすれば帝都の少子化もすぐ解決するよ」

「あの、私の家には、父はいないんですけど」

「わかった。じゃあ僕が代わりに命じてあげよう。そこのコーザ君と」

「やめてください!」


 ひとしきり笑ってから、彼は頷いた。


「心配しなくても、僕もそんなことはしたくない。言っただろう? 僕は帝都の価値観を支持している。自由と平等は大切だ。だいたい、公平な社会を欲しているのに、女性をそこから排除するなんて、受け入れられるかい? 僕はいやだね」

「だけど公平にすると」

「そう、平等に与えられた権利を行使して、彼女らは公平な社会をぶち壊す。これは、やめられないんだ。正しいことをしよう、しようと思っても、世界の見え方が違うから、大抵は依怙贔屓になる。それに、そもそもそこまで強い正義感を持ってる人なんて、男女問わず少数派ということもあるからね。現に帝都では、女性を物凄く優遇しているけど……離婚時の親権といい、みなし市民権の適用期間といい、公務員就職枠の女性優遇といい……あと、大学の教員でも女性枠があったね。でも、これを男性並みにしようなんて、誰も言い出さない。それを僕が声を大にして責め立てたところで、どうせ誰も耳を傾けたりはしない。なるようにしかならないんだ」


 しばらく立ち尽くしていたマホは、少しして正気に戻った。


「じゃ、じゃあ、どうなるっていうんですか」

「ん? 少子化が進んで、人口が減る。帝都防衛隊の定員も埋められなくなる。移民の数は増える。暴動が起きても、鎮圧できなくなる。そのうちにラギ川北岸の市街地の中にも、治安の悪いところが増えてくる。するとそこでの商業活動も滞る。やがて衰退した帝都の権威を、各国が認めなくなる。そうして東西の海上防衛が放棄されると、海賊同然の連中がやってきて、暴れまわるようになる。インセリアからの麦の輸入も難しくなるから、餓死者が出る」

「破滅的じゃないですか」

「破滅的じゃなくて、本当に破滅するんだよ。それでいいんだ」

「いいわけないじゃないですか」

「みんなが望んで、みんなが正しいと思うことをした結果、そうなるだけだ。さっきも言ったけど、もう一度繰り返そう。君は帝都の市民で、僕と同様、平等に権利を与えられた一個人だ。法の許す範囲においてなら、自由に行動できる。好きなように生きたまえ」


 突き放すような彼の返答に、今度こそマホは言葉を失った。


 一連のやり取りを見聞きしていた俺は、内心に、言葉にしがたい気持ち悪さを感じていた。それで、注意散漫になっていたのだが、ふと我に返った。

 すぐ背後に立つケクサディブが、ずっと俺のことを観察していたのだ。だが、彼は俺の視線に気づくと、ごく自然に進み出て、言った。


「だいたい結論は出たようじゃな」

「ああ……この体では、長話は堪えるよ」

「はっは、まぁ、日が暮れる前に帰るとしよう。この辺りはどうにも治安が悪いそうだからな……では、また、お互い、生きておったらのう」


 彼が促すと、みんな無言で部屋から出て行った。俺もそのようにした。

 だが、俺はなんとなく察していた。ケクサディブは、いつかのタイミングで、何かの口実を設けて、俺をここに連れてくるつもりだったのではないか、と。

……はい。


4話に渡ってネチネチしたお話を展開しました。

なろうにも、かなりの女性嫌悪を展開している作品は、実はメジャーなところでも少なくはないのですが、ここまで強烈かつ詳細に述べたものはない気がします。


> 女性だけの村落


これは、作中の世界が異世界なので、こういう架空の設定を持ち出すしかなかったのですが、実例があります。

例えば、いわゆる「ウーマンズランド」がそれで、1970年代の第二波フェミニズムにおいて実際にあった活動です。

内部における対立が共同体崩壊の重要な原因となっています。

他にも、女性だけのレコード会社、女性だけの音楽祭など、似たような試みはいくつかありましたが、私の知る限り、いずれも持続はしませんでした。

興味のある方は調べてみてください。


上記のサラトンの発言の数々ですが、これはいわゆるMGTOW(Men Going Their Own Way)と呼ばれる人々の思考回路に近い(見聞した情報から再構築した)ものとなります。

なお、私はその中の一人ではありません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
サリトンの未来予想は間違ってないけど、破綻がここまで緩やかなのは不思議だな。よく800年も維持できたな。 ・・・と思ったけど、スキルやモンスター、魔法があるファンタジー世界で、情報伝達速度も遅いんだ…
ちょっと主語が大きすぎるな…!笑 現実の過度なフェミニズム運動に対しての表象を行っていると思うのだけれど、そして納得できるところもあるのだけれど、作者の内に煮えたぎる不満・怒りを「先人の人の話を聞いて…
更新ありがとうございます。いつも楽しく拝見させていただいてます。 浅学な自分ではサラトン(というより越智先生がサラトンに与えた作中の役割)の主張を半分も理解できていない気がするのですが考えるきっかけ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ