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ドオン! という派手な爆発音がして、大きな水音が後に続く。
激しく揺さぶられた建物全体が軋み、そして、電源系統がプツリと落ちる。
ここは海底研究所。知られてはいけない闇の施設。
だが、その野望も今日までだ。
君達は真実を知ってしまった。
──さあ、ここから逃げなければ!
「何で、僕はこんなシナリオなんですかーっ!」
真っ暗な箱の中でラギが叫ぶ。その隣で、フィズがうるさそうに耳を塞いだ。
あまりの暗さでどこに何があるかサッパリ判らないが、現在地はエレベーターの中だ。
オープニングでは電気が点いていた。
停電になったのは、シナリオに入ってからだ。
耳を澄ませば、こぽぽ…という泡の上がるような音や、水の流れる音が聞こえて来る。
幸いにしてエレベーター自体は浸水していないようだが、嫌な予感が拭えない。
何しろ、どこからかシュコーとかフショーとか言う息遣いが聞こえて来るのだ。
何かいる。そう予想するのは、この暗闇の中でも簡単だった。
「フィズさん、こんなシナリオありましたっけ…?」
ひんやりとしたエレベーターの壁に、ぺったりと張り付いたラギが怖々と問う。
それに応えるように、フィズがメニュー画面を呼び出すと、その付近が僅かに明るくなった。
「うーん」
フィズが眉間に皺を寄せる。
「ボクも長い事やってるけど、このシナリオは見た事ないなあ」
自慢ではないが、ミニイベントから期間限定まで、大抵のシナリオはこなしてきたのがフィズの自負である。
だからRO内で、フィズに解けないシナリオはほとんどない。
「やったシナリオは、全部メモってあるんだけど。どれどれ……?」
言いながら、パネルを操作して検索に入る。
シナリオコードはD008。それを検索窓に放り込んで、しばらく待つ。
──そして、答えは。
『そのシナリオは実在しません』
身も蓋もないメッセージ。
見れば、ぽっかりと開いた空欄で、カーソル枠がちかちかと点滅していた。
『シナリオが削除されているか、ジャンクションからアクセスできない可能性があります』
冷酷なメッセージが、現実を告げる──
「裏シナリオ、かな?」
ぽそりとフィズがつぶやく。
直後、パネルを挟んだ向こう側で、ひいいい、とラギがムンクの叫びを体現した。
裏シナリオ。それは、平たく言えば開発段階で落とされたシナリオだ。
プレイヤーから人気が出なさそうだとか、大きなトラウマを残すかも知れないとか、設定したAIが予想外の挙動をしてしまって、結果として封印せざるをえなかったとか、まあ色々だ。
そんな裏シナリオの存在は、ある時までプレイヤーに全く知られていなかったが、一度だけ、何をどう間違ったのか、ジャンクションからアクセス可能になってしまった事がある。
──暗黒アリスの遊技場。
世にも恐ろしい名前で知られる事になったそのシナリオは、平凡なプレイヤーを震撼させた。
表シナリオのアリスの遊技場がふわふわキラキラしたものなら、暗黒アリスは、モザイクなしでは語れない内容だ。
お茶の会場で踊り狂うコーヒーカップ、にんまりと笑った後に襲いかかって来るチェシャ猫。
帽子屋は帽子の材料を求めてナタを片手にプレイヤーを追い回し、トランプの兵隊が獲物を求めて徘徊する。
当然、そのシナリオは数日で封印され、誤って繋いでしまった人もなんとか廃人にならずに済んだのだが、果敢にも挑戦したプレイヤーが記録した動画は、今でも動画サイトでネタになっている。
そこには、「何でこんなものが」と恐れ慄くコメントの数々。
その中に、「仕事のブラックさに嫌気が挿せば……ねえ?」というプログラマのコメントが入り、そこでようやく犯人が特定された。
犯人は逮捕され、裏シナリオはことごとく廃棄された。
ROの平和は守られた。
──と、公式では発表されている。
「残ってたんだねー」
「しみじみ言わないで下さい!」
震え声でラギが叫ぶ。
シナリオとして中途半端、と言う事ほどプレイヤーにとって恐ろしい事はない。
なにしろ、シナリオの先がもし作られていなかったら、プレイヤーは永遠にそこから先に進めないのだ。
そうなると、ネットゴーストとして、誰かの救出を待つしかなくなってしまう。
だがしかし。
「公式では、片付いた事になってるからなあ。…放置されたりして」
「最初から希望を打ち砕かないでー!」
ラギが両手で顔を覆う。
そのまま、しん……と沈黙したラギの方にフィズが顔を向けると、にやあ、とラギが不気味な笑いを口元に浮かべる所だった。
「…うるせーなー」
笑みのまま、ラギがゆっくりと顔を上げる。そこには、さきほどまで怯えていた様子は全く見られない。
「てめーはすっこんでろ、ラギ」
凶暴に笑いながら、そう言い切る声は、このアバターを使うもう一人──
つまり、ラガのものだった。
それから数分間。壁という壁を調べまくった結果、ようやく、非常電源のスイッチが見つかった。
とは言っても、このエレベーター内部を照らし上げるだけのものだ。
うっすらとした緑の非常灯が上に灯り、その光が闇を払う。
「ダメだな、動かねえ」
エレベーターの扉を開こうと奮闘していたラガが、苦笑しながら肩を落とした。
扉が動かないだけではなく、階のランプも点いていない。
そのため、現在が何階なのか、それすらも分からない。
ただ、本来なら非常スイッチがあるべき所に、四個のキーが存在しているのは特徴的だ。
ちょうど、正方形を×で区切ったような感じのキーが配置されている。
二等辺三角形の、尖った部分が中央で付き合わされる形、と言った方が正しいだろうか。
それ以外に目立つものはと言えば、非常灯の辺りに、うっすらとXXVMWという文字が浮かび上がっている程度である。
「クソ、ブッ壊せれば早いのによ」
忌々しげにラガが毒付く。けれど、それが出来たらROではない。
「XXVMW…が最初の謎ですね」
相変わらずの平常心をキープしているフィズが、灯りを見上げながらぽつりとぼやいた。
現在の所持品
・なし
エレベーター内状況
★XXVMWの文字
★□を十字に区切った形のボタン