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立ちのぼる湯気が、あたりの空気をやわらげて行く。
その間に、座り込んでシンク下の棚を開いたラーツが、木で出来た箱を取り出した。
黒く艶のある箱で、蓋には「注文はお決まりですか?」とある。
「ミケはカフェオレだっけ?」
ラーツに聞かれてミケが頷く。と、不意にカチンと箱の鍵が外れる音がした。
「ラーツさんは?」
「あたしはカフェ・マキアート」
「マキアート?」
「そ、caffè macchiato。蒸気で抽出した濃い珈琲に、ミルク入れたやつ。ゆっくりミルク垂らしてからスイスイっとマドラー(かき混ぜ棒)を回すと、絵も描けるしね。面白いよ」
言いながら、ぱか、とラーツが蓋を開く。その中には、硝子器具や、小型の虫取り網のようなもの、機械っぽいものなどが綺麗に収められていた。
ミケにとっては、ほとんどが見た事のないものばかりだ。三角系のガラスの入れ物の上に漏斗がくっついたような、そんな感じのサーバーだけは量販店で見た事があるけれど。
「おお、色々揃ってる!」
ラーツが目を輝かせる。そんなラーツの嬉しそうな顔を見て、ミケがくすりと小さく笑った。
「好きなんですね、珈琲」
「まあね。こう見えても珈琲に関しては煩いんだよ」
「現実でも?」
「うん。趣味でサイフォンも集めてるしね。もちろん、ちゃんとした硝子のやつ」
「…………」
時計は踏むのにサイフォンは割らないのだろうか、と思ったのは秘密にしておく。
「ミケの奴はネルドリップで淹れてあげるよ。あたしは、こっちのエスプレッソマシンを使うから。ネルは──」
そこで言葉を切って、肩上で鳴いたベリーに指を伸ばす。指にちょん、と両足で飛び移ったベリーを目の前まで持ってくると、ブレイン側の様子がおぼろげながら伝わってきた。
何やら、色々と賑やかそうだ。思わず口元がほころぶ。
「ミケ、ヒント来たぜ。ブレイン名はトゲソフト。LEEについて解いてくれたみたいだ」
鏡の曇り具合を横目で眺め、ラーツがメッセージに目を通す。
『「LEE」
左に90度→左右反転
→左に90度→左右反転
左右反転、2回。打ち消し。
90度、2回。180度。
「LEE」の文字、180度、回転。
=「337」』
「三桁、ってなると食器棚ですかね?」
「そうだな。お湯も湧いたみたいだし、とりあえずカップ出しに行こう」
ラーツが食器棚の方に足を向ける。その後ろについたミケが、中断した話の続きを促した。
「ネルって何ですか?」
「ああ、これ」
小型の虫取り網めいた物を取り出して、ラーツがにんまりと笑う。大きさはコーヒーカップが1個すっぽり入るぐらい。輪に嵌っているのは網ではなく布で、薄茶色に湿っている。良く見ると、布の表面が微かに毛羽立っているようにも見えた。
「ペーパーで入れるより、ずっと美味しく入れられるんだよ」
ミケの怪訝そうな顔を見て、ラーツが説明を追加した。
「見るの初めて?」
「はい。あ、ちょっと質問。カフェラテとカフェオレの違いは?」
「あー、どっちも珈琲牛乳なんだけど、カフェオレの方が普通の珈琲+ミルク。カフェラテの方がエスプレッソ+ミルク。
湯で淹れたシンプルなものをミルクで割って手軽に飲めるようにしたのがカフェオレ、しっかりとした濃い味をふんわりとミルクでまとめたのがカフェラテ。
カフェオレが普通のお茶でカフェラテが抹茶、みたいな感じかなあ。結構違うもんだよ」
「そうなんですか?」
「そう。金がなくても、リッチな生活気分ぐらい楽しみたいじゃん?頭使うとカフェイン欲しくなるしさ。
ゲームの途中の息抜きに、お気に入りの音楽と、珈琲があると嬉しいじゃないか。
抽出器具はそれだけでインテリアになるしね。だから好きなんだ。
よっし、解除」
カチカチと、食器棚のロックに数字を打ち込んでいたラーツが、カギを外して扉を開く。
「特別な日は、カフェ・ロワイヤルもいい。砂糖を染みこませたブランデーを燃やすんだ。青い炎が幻想的だし、酒もスプーン一杯だから、甘酒にも満たないアルコール量だしね。はい、カップ」
存分に珈琲への愛を語り終えたラーツが、白いコーヒーカップセットをミケに手渡す。
キッチンに戻り、ラーツがガス台のスイッチを切っていると、今度はシアンの方に着信が入った。
「ラーツさん、四桁の方のヒントです」
「おお。何て書いてある?」
「ええと、壊れた風見鶏さんからですね」
『Nを左九十度に倒して、Zもとい2。
Eを左右反転して3。
Wを左九十度に倒して、3。
最後にSを左右反転して──5』
「2335……と」
入口まで歩いて行ったミケが、4桁のパスをロックに打ち込む。
──ERROR。
「違う?」
首をかしげ、再び受信チェックを行う。と、ホワイト軍曹から追加ヒントが入っていた。
いわく、『最後のSを左右反転して、デジタル表示に見立てて2』。
2332──OK。
「空きました! ……ん?」
「どうした?」
「あ、いえ。何でもないです!」
ぶんぶんと片手を振りつつ、ミケが笑顔で場をやり過ごす。
デジタル表示に、滑って転ぶ人の姿とか、炙られるチキンとかが一瞬だけ見えたのは多分、バグだろう。
その間にも、ラーツがてきぱきと珈琲を淹れていく。まず先に、小型虫取り網──ネルフィルター──に粉を入れて軽く蒸らし、待つ。
そこから十秒もしないうちに、ふんわりとした良い香りが、ミケの方にまで漂って来た。
「いい匂い…!」
「だろ?」
まるで自分の手柄を誇るようにラーツが胸を張る。蒸らしが終わったら、今度はネルフィルターにすうっと湯を細く落として本格的な抽出を行って行く。
ぴこぴこと尾を揺らし、興味深そうに近付いて来たミケにラーツが手際の良さを見せていると、徐々に、深く落ち着いた香りが粉から溢れ、辺りを温かく包み込んで行った。
「ほい、出来上がり、っと。カップそこに置いて」
「はい」
ことん、とミケがカップを置く。そこに、右手に珈琲サーバー、左手にミルクポットを持ったラーツが、両手で器用に二種類の液体を注いで行った。
深い琥珀色と不透明な白。さらさらと同時に注がれてカップの中で混ざって行くそれが、八分目に届いたあたりで、ラーツが手を止める。
「…………」
ミケが、そっと顔を近づける。缶コーヒーのような金属臭さもなければ、安い珈琲のように表面に油が浮いて見える事もない。特別良い豆を使ったわけでもないのに、微かに甘いミルクの香りと、珈琲そのもののフレーバーが、キャラメル色のカフェオレの中で、しっかりと溶け合っている。
その事にミケが感動していると、ぼしゅ、という蒸気の音に続いて水音がした。ラーツがエスプレッソマシンからカップに珈琲を注いだ音だ。漆黒に程近い液体がラーツのカップの中で、天井の光を照り返している。カップは、ミケのものに比べるとかなり小さい。
丁度、1ショット(1回分)。淹れ終わったカップを手に取ったラーツに、ミケが顔を向けた。
「可愛いカップですね」
「ああ、エスプレッソ用だから。濃く淹れたのを少し飲むためのものだから小さいんだけど、確かにミニチュアっぽいよな」
「ラーツさんらしくない、とか言ったら怒ります?」
「あはは、よく言われる。意外性があっていいだろ?」
からからと笑ったラーツが、片手に自分用のミルクを持って席へと向かう。
それを追ったミケがラーツと共に席につくと、ふうっと店内の証明がゆるんだ。
「……いい演出だな」
ラーツが満足そうに笑う。まるでスポットライトのように、二人の机の辺りだけが、夕日色の光で照らされる演出になっていた。
ジュークボックスから奏でられる落ち着いたジャズ。あたりに満ちる珈琲のフレーバー。
もちろん、ミケが飲んだカフェオレは、今までの中でも最高のもので、舌にざらつかない繊細な口当たりが、後味のよさを保証してくれている。
「美味しい……」
「だろ?」
自分のエスプレッソにミルクを注ぎ、マドラーで器用に絵を描きながらラーツが胸を張る。
R・Oらしからぬ上質な時間だ。味と香りのある世界。
素晴らしいブレイン達に感謝しながら、堪能するひとときの幸せ。
カップの湯気が不意に描いた[Congratulations]――クリアおめでとうの文字を見上げた二人が、口元をほころばせ、幸せいっぱいの笑顔でひらり、とブレインがいると思われる方に手を降った。
──ありがとう。
その言葉が伝わる事を、言外に願いながら。
[Congratulations!]
ここまでお読み下さった方、ブレインとして参加してくださった方、本当にありがとうございました!
次のシナリオのネタを製作中なので、今しばらく珈琲でも飲んでお待ち下さい。
準備が出来たら再会します。
あ、ナッツと、シナモンスティックと、チョコチップを珈琲のお供にオススメしておきますね。
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