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『正義の追跡者』―hypocritical confidence― 中編

外からは何があったかわからないが、中で何かがあった事だけは誰から見てもわかる場所、頼りない黄色いテープが人の立ち入りを阻み、青いシートが入り口を覆って視界を阻むアパートの一室。通りがかりに見ただけで築年数がうかがい知れるような外見どおりの部屋の中で一条真名は佇んでいた。

 ところどころ剥がれた内装に生々しい手形が残る壁、変色した血液が染み込んでいる畳、捜査のための印が各所に設置された部屋の中を、真名は特に調べるわけでもなく、ただぼんやりと眺めている。

 まるで何も見ていないような視線で―

 人とは違う何かを見つめているような―

 見ているという表現自体が根本的に間違っているような―

 見ているというよりは視ている、視ている以上に観えている―

 それこそ異常に―

 真名の瞳は色を変えていく、黒から青へ、碧眼とも違う色合いに変わっていく、それは海の色をしていた。

 それは、透明でどこまでも透き通る青、どこまでも透き通り見える筈なのに、一向に底が見えない海の色、崖から下を覗いたときの様に背筋が強張り、足から力が抜けてくような根源的な恐怖を呼び起こす畏怖の色へと変わっていった。

 そうして部屋に立ち尽くす真名は、存在感が希薄で、それでいて部屋中に存在が拡散しているような不思議な雰囲気を漂わせていた。

 その後ろ姿を、二つの影が見つめている。

 部屋と台所の敷居から真名を見つめる一つは、ポケットに手を突っ込みだらしなく壁にもたれかかり、もう一つはそれが自然体であるかのように背筋を伸ばして部屋の中を見つめている。

 対照的な二人の男。

 壁にもたれかかりながらも顔だけは部屋の方に向けた姿勢のまま、狩野恭一は隣の男―微動だにせず直立不動の姿勢を保っている高瀬明に声をかける。

 「悪いねぇ、出来立てほやほやの現場から人払いしてもらっちゃってさ」

 「貴様が天城の人間でなければ協力などしていない」

 「だから、無理を通して申し訳ないねって言ってんじゃん」

 「謝罪の言葉は万分の一でもそう思ってから口にするんだな」

 「ハッ、お前の手柄にも貢献してやってんだろ?それにしても捜査員を問答無用で追い出せるなんてどんな役職なんだよ」

 「いつも言っているが機密事項だ」

 「まぁ、別に、お前が何々だろうが使えるんならそれでいい」

 「同感だな。貴様に有効価値があればそれでいい」

 お互い部屋の中の真名を見つめたまま、一度も視線を合わせずに会話を続ける。

 「で?どうなのよ?捜査状況ってのはよ」

 「進んでいるとは言いがたいな。殺害方法は絞殺、刺殺と統一性がない。前三件と今回の件でやっと被害者がいずれも量刑の重い指名手配犯であるという関連性が疑われる程度」

 「刺殺や絞殺?」

 「そうだ、貴様が期待するような特殊で不可解な方法ではない。成人であれば誰でも可能な方法、それもプロではなく素人の犯行だ。時に被害者からの抵抗を受けている。ただし、恐ろしく計画的だ。現場に証拠を残さないよう用意周到に計画され実行されている。それでも素人の犯行だ。所々で被害者の物ではない毛髪や皮膚、服の繊維などを遺留品として残している。鑑識にまわして調べさせているが何せ時間がかかる。決め手になるような証拠は出ていない」

 「今の話だけなら、お前は俺を現場に入れたりしない。なにがある?」

 「…一番の問題として被害者が特殊だという事だ。我々、警察が探し回っても確保できなかった指名手配犯をあっさり見つけ出し、殺害している。現場の状況から、何日かにわたり、被害者を殺害する機会を伺っていたような形跡まである。次に、未だ目撃証言を得られていない。殺害方法は素人にも関わらず、目撃者を回避している。。不審な音や声などの情報提供すら得られていない。まるで被害者以外が周辺地域にいないのを知った上での犯行に思える。情報提供者0など不可能に近い」

 「はっはぁ、なるほど?結局、何もわかってないに等しいって事じゃねぇか。何やってんのよ」

 「だからこうして現場に入れるようにしてやっている」

 高瀬はちらりと視線を狩野に移す、その視線を横に受けながら、それでも視線を返さずに真名を見つめたまま、狩野はここに到るまでの経緯を説明する。

 「―っとまぁ、死んだ後にも関わらず、妹がおせっかいにも、うちにそんな依頼をしにきたってわけだ。んな暇があるならとっとと成仏しろボケって話だが、最終的には消えたし、どうなったかは知らねぇ」

 「貴様の話が本当だとすると犯人は枯庭豊という名の男か」

 「本当だって、俺は嘘を吐いた事がない生きる奇跡みたいな男よ?」

 「本気で言っているなら精神疾患や脳の機能、特に記憶をつかさどる部分に問題が生じている疑いがあるな、いずれにしてもいい病院を紹介しよう。腕のいい医者に治療してもらえ」

 「今回はホントの話だって、隠蔽も情報操作もなし、ありのままに赤裸々」

 「そうだとしても、それだけじゃ参考程度にしかならんな。枯庭豊が犯人だとしても貴様の話だけで容疑者としてあげる事はできない。証拠がでれば別だが。貴様が提供できるのはそれだけか」

 「それだけの事もわからなかった無能な集団には貴重な情報だとは思うけど、まぁ、今のところはそれだけだ。だから真名を連れてきてやってる」

 お互いに相手を値踏みするように視線を交わすと二人の男はすぐに視線を真名の佇む部屋に戻した。

 「つまるところ、一条君の力とはなんだ?」

 高瀬の質問に狩野は言葉を選ぶように少し沈黙し、答える。

 「俺も正確なところはよくわからねぇ、ただ、俺達が感じられ無いものをあいつは感じることができる、俺達にわからないものが、あいつにはわかる。犬は人間にはわからない匂いを嗅ぎ分けられる。人間には聞こえない音が聞こえる、そんなようなもんだ」

「つまり、嗅覚や聴覚などの五感が我々よりも非常に発達したものだということか」

「あぁ、例が悪かったな。そうじゃない、そうだな一般的にいわれる第六感と別ものだが、五感とは違う六番目の感覚、俺達にはない感覚器官があるような感じか…実際俺はあいつじゃねぇからわからんが、とにかく、俺達にはわからない事を感じとって違和感を調べられるつまり、もし、今回の場合でいうと枯庭の野郎が、俺達とはちがう特殊な、そう、超能力を使ったとしたらその痕跡を感じることができるってこった」

 「なるほど、虫の触覚や、蛇のピット器官、蝙蝠の超音波のような五感とは違う我々には無いものをもっているか。それで?違和感といったか?超能力使用の有無を調べてどうする」

 「あぁ、だから、その超能力の痕跡の手触りっつうか感触?そいつを分析して上手くいけばどんな能力かわかる。上手くいかなくても追跡できる。それこそ猟犬みてぇにな」

 口の端を歪ませる狩野を横目で見て高瀬は独り言のように感想を呟く。

 「違和感の把握…それをもとにした追跡…違和感を把握できるという事はそれ以外も感じる事ができる…漠然としている―」

 「わかりずれぇんだよ、俺も何回か聞いて諦めた」

 「―が、興味深い…そうだな、まるで世界そのものを感じる能力と言えるか…」

 高瀬の言葉に狩野は目だけを動かして、いかにも堅物といった表情の高瀬を見た。

 腹の底を探るような狩野の視線にも高瀬は眉一つ動かさない。

 「何だろうが構わねぇさ、重要なのは俺にとってあいつは役に立つ。それだけだ」

 吐き捨てるように言って狩野が視線を部屋に戻すと、視線の先では一仕事を終えたように真名が大きく息を吐いていた。


 「で?どうだった?」

 部屋から戻ってきた真名に狩野は問いかけた。

 「え…っと…」

 真名は口ごもりながら、ちらちらと高瀬の方を見る。身構える様なその姿は高瀬に対する緊張と迷いが見て取れた。ここで言ってもいいのかと真名は雇い主である狩野に視線を送る。

 「構わねぇ、わかったことがあれば報告しろ」

 上司の許可を得て真名は狩野の方だけをみて報告を始める。

 「えっと、普通とは違う流れというか雰囲気をこの部屋で感じられました。特殊な力が使われていたことは間違いありません」

 「どんな能力か解るか?」

 「いえ、今まで感じたことのない力の感触なので…ただ、犯人は見分けてます」

 「例の悪人かどうかってやつか?」

 「違います」

 真名ははっきりと狩野の言葉を否定すると言葉を探しながら報告を続ける。

 「犯人、枯庭さんはある人がその人だとわかるなにかを追ってここにきてます」

 「あぁ?なんだそりゃ?」

 「わかりません…なにかってゆうのがなんなのかとか…」

 「個人を特定できる何かか」

 それまで黙って聞いていた高瀬が考えをまとめるように呟いた。

 「ふん、持ち物から持ち主を探すサイコメトリーみたいなもんか」

 狩野の言葉に真名は首を横に振る。

 「わかりません。物の記憶を読むサイコメトリーとは別だと思いますけど、なにかまではちょっと…」

 「能力まではわからない。でも枯庭はなにかを追ってきて指名手配犯を殺害した。奴が追跡系の能力を使ったのなら―」

 狩野は意地悪い表情を浮かべて真名に訊ねる。

 「―逆に辿って、追えるな」

 訊ねるというよりも確認するような狩野に対して、真名は無言で頷く。

 「さて、狩りの時間の始まりだ」

 もたれていた壁から背を離すと狩野は、凝りをほぐすように、筋肉を暖めるように、それが準備運動であるかのように首をまわして外に出た。

 ここにもう用は無いとばかりに外に出た狩野に二人が続き、三人が外に出たところで真名が急に動きを止めた。

 黒く戻っていた真名の大きな瞳が再度、色を変える。深海の様な群青に。

 「狩野さん…見つけました…」

 「あぁ?何を」

 真名は、すうっと少し離れたビルを指差す。

 「犯人」


 枯庭豊は全速力で階段を駆け下りていた。一刻も早くこの場から逃げ出さなければならない。一メートルでも一センチでも一ミリでも離れなければならない。しかし、それでも逃げられるだろうか。いや、できない。彼は本能で理解していた。

 例えこの場から逃げる事ができても、逃げ切る事はできないと―

 数時間前、現場から少し離れたビルの一室に枯庭豊は戻ってきていた。指名手配犯を追い詰めるための拠点、悪を裁く機会を待つための仮の宿。

 その部屋からは双眼鏡を使って、いつでも現場を見張る事ができた。

 こちらからは常に監視する事ができ、向こうからは死角になっている。張り込むのには最高の条件を備えた一室。

 彼がこの部屋に戻ってきたのには理由があった。念入りに掃除し、生活の痕跡を消した部屋に戻ってきたのは証拠を消すためではなく、殺人現場の捜査状況を見るためだった。正確には誰が捜査に関わっているか調べるために、この部屋から彼は現場を観察していた。

 捜査員の一人一人を双眼鏡を使って確認していると、しばらくして、急に捜査員が現場から撤収を始めた。

 捜査開始の時間から考えて現場から全員離れるなどありえない。遠くにうかがえる捜査員達の表情は一様に不満げだ。何らかの、現場とはそぐわない指示がされたに違いない。彼がいぶかしんでいると数十分後に一台の車が現場に到着した。

 枯庭は車から降りてくる人間を注意深く観察した。

 一人はがっしりとした体格の警察幹部と思わしき男、もう一人はチンピラのようなだらしなく歩きながらも暴力的な雰囲気を滲ませている男。その二人だけでも妙な組み合わせだったが、最後に車から降りてきた人物を見て枯庭はますます首を捻る事になった。

 (女の子?)

 最後に車から降りてきたのは歳若い女性、おそらく成人して無いであろう少女。しかも遠目からもわかる様な美しさを持っていた。殺人現場と美しい少女。

 場違いで、異質で、奇妙な三人組は当然のように捜査員が消えた現場の中へと入っていく。

 ブルーシートの中に入ってしまわれてはこちらから中の様子を見ることはできない。彼は疑問を浮かべたまま三人組が出てくるのを待った。

 一時間ほど経った後、ブルーシートをめくって三人組が外に出てきた。

 待ち疲れてぼんやりと現場を眺めていた枯庭は慌てて双眼鏡を構えなおし身を乗り出すようにして視界を向けると―

 ―目が合った。

 時間が止まったかと思った。

 ブラックホールに吸い込まれる前、光速を越えて時間が引き延ばされるように、一瞬の時が無限に感じられた。

 少女の瞳の真ん中の瞳孔の奥の奥、この距離では見えるはずのないそこに吸い込まれた気がした。飲み込まれた気がした。

 気づくと彼は部屋を飛び出していた。

 こちらから一方的に観察し向こうからは死角になっている張り込むのには最高の部屋、向こうからはこちらに気づく事のない安全な部屋。その筈だった。

 一方的に力を行使できる圧倒的に有利な場所から彼は逃げ出さざるを得なかった。そんな場所はもう無いのだと痛感させられた。

 筋肉が引き千切られんばかりに足を動かし、呼吸する事も忘れて走りながら彼は理解した。

 逃げる事でいっぱいの頭でなお、理解した。

 これからは追われる立場になったのだと、自分が獲物にかわったのだと。

 焦燥感が体中を抉りながらのた打ち回る。それなのに可能性が見出せない。これが獲物の立場、なんという絶望感だろう。

 しかし、同時に彼は歓喜していた。彼女の目を思い出す。尋常じゃない力を、異常な存在を、異質がゆえに同質な少女を思い出す。

 彼は何かを失って何かを得た。

 絶望的な逃亡は、しかし、絶望そのものではなかった。


 「四階の…二つ目ここからは見えない部屋」

 ビルを指差しながら、真名は目を凝らすように声を絞り出す。

 「高瀬!」

 狩野が叫ぶ前に、高瀬は走り出していた。脊髄反射のように真名が言い終わるよりも先に高瀬は行動を起こしていた。

 「あ…」

 すでに姿が小さくなっている高瀬を追おうとした真名の肩を狩野が掴む。

 勢いをそがれた真名が隣の狩野を見上げると端的な答えが返ってきた。

 「今から行っても無駄だ」

 諦めた様に振舞いながらも苦虫を噛み潰したような狩野の心の内を覗いて、真名は悲しい気持ちになった。狩野は追わなかったのではなく追えなかった。自分のせいで。真名はせめてふらつく足元をしっかりしようと試みたが上手く力が入らなかった。


 空は赤く染まらずに、ただただ陽を落としている。

 もうしばらく経てば街灯も点り始めるだろう。

 殺人現場の近く、薄暗くなり始めた公園のベンチに真名は俯きながら座っていた。

 (体に力が入らない、手足の先が少し痺れてる気がする。貧血…少し違う。鼓動が聞こえない。血の引いた頭がじわりと熱い)

 ふと、気を抜くと遠のいてしまいそうな意識を、いっそとばしてしまいたいと思う不快感の中、何とか保ちながら真名は自分の状態を確認する。

 (生きてる心地がしない…当てられちゃったか)

 無理も無かった。先ほどまで大の男でも気分の悪くなるような場所で能力を使っていたのだ。

 真名の特異な能力が感覚であり、それによって得られる感触であるために、必然的により強い刺激をその身に受けることになる。

 殺人現場―人が死んだ場所、殺された場所。

 そこで感じられる全てが真名にとっては、より鮮明で、より克明で、刺激的だ。

 利き手を使わずに逆の手で生活するように、普段制限している能力を解放し、全力で振るうということは、彼女にとって

 ―目を閉じて、息を殺し、耳を塞いでも入ってくるそれを

 ―目を凝らし、鼻を近づけ、聞き耳を立てて、受け入れるようなものだ。

 人が殺された部屋、壊された生活が滲ませる死臭、壁に染み込んだ断末魔の叫び、冷たくなっていく手形、空気に響いた枯庭豊の執念の残滓、垂れ流される被害者の汚物と絶望、畳を濡らして乾いた血の粘度、死に際の目が見た過去、吐きそうな達成感、傷口から叫びだす恐怖、etc.etc.etc.etc.etc.etc.etc.etc.etc.etc.etc.etc.etc.etc.etc.......

 「新人刑事だったら、吐いてるってば…」

 自虐的に呟く真名の頭に背後から何か固いものが乗せられた。

 一瞬、緊張したが、狩野の気配を感じると、真名は安心して頭の上に手を伸ばした。

 避けられた。

 両手が虚空を掴んだ代わりに左頬に冷たいものが押し付けられる。

 「…………はぅ…」

 真名の口から力の抜けた声が漏れる。缶コーヒーの冷たい感触が心地よかった。

 「リアクションが薄い」

 狩野は理不尽な怒りをつまらなさそうに吐き捨てると、缶コーヒーをグリグリと押し付けて真名に受け取らせた。

 「渡し方はどうかと思いますけど…ありがとうございます」

 真名は隣に腰を下ろした狩野に礼を言った。

 「あぁ、気にすんな、ちゃんと給料から天引いとくから」

 「えぇ…だったら私、ジュースがよかったんですけど」

 「缶コーヒーなんてジュースみてぇなもんだろうが、何だよ微糖って、どこが微なんだよ、クッソ甘ぇ」

 「私がコーヒー苦手なの知ってるくせに…」

 「っせぇな、わかったよ奢りだ奢り。太っ腹な所長様に感謝して飲めよ」

 苦手と言いながら嬉しそうに缶コーヒーを飲む真名を見て狩野が溜息を吐いていると、ふいに携帯電話が鳴り出した。

 デフォルトの着信音、周りの迷惑を一切考えていない音量。

 (なんですか、その着信音は…ダサッ)と表情で訴える真名に(うっせぇぞ、クソがっ)と目で応えてから狩野は電話に出る。

 「あぁ、そうか…やっぱ、向こうからは見られてたってことか…なんかわかったら…あぁ、お互いにな…今は近くの公園だ、お前、車で……いや、なんでもない、じゃあな」

 狩野は携帯を閉じると気だるげに足を伸ばした。

 「高瀬さんですか?」

 「あぁ、結局、枯庭のクソは捕まえられなかったってよ、ただお前が指定した部屋に誰かいたのは間違いないらしい。簡単に借りられる単身赴任者用のウィークリーマンションを偽名で借りてたっぽいな。まぁ、何かしら証拠みてぇのが出てくんだろ、奴は詰みだ…高瀬の野郎がすぐ捕まえんだろ」

 「なんかやる気無いですね」

 「まぁな、超能力者っても殺害方法は普通、不可解な点無し!今回は高瀬の仕事だ。法律で裁けるからな」

 そうは言いながらも、狩野が納得し切れていないのが真名にはわかった。

 真名は狩野がいかに超能力者を憎んでいるかを知っている。特別な力によって圧倒的に優位な立場から一方的に振るわれる力、そして、それが当然の事であるかのようにその力を使う人間を狩野は心の底から憎んでいる。

 それこそ、殺したい程に―枯庭豊が犯罪者を許せない様に、いや、それ以上の憎しみを狩野恭一は超能力者に対して抱いている。

 内臓を焼け爛れさすような感情が、狩野の体中をゆっくりと巡り、怒りや憎しみを融解し、別の何かに変えて体中を満たしているのが真名にはわかる。

 先の狩野の言葉に嘘はない。しかし、出口を無くした感情がドロドロと狩野の身体を蝕んでいくのが真名にはわかる。わかってしまう。

 「とりあえず、今日は解散だな。高瀬にお前を送らせようかと…お前、ほんとにそういうのだけはすぐ顔に出るな」

 心底嫌そうな顔で眉をひそめる真名に狩野はあきれたように声をだした。

 「…私…あの人、苦手です」

 「あ?素で人のこと”貴様“とか言っちゃうからか?」

 「それもありますけど」

 「それとも一人だけ劇画チックだからか?」

 「それもそうなんですけど…そうじゃなくて、あの人は陰謀というか、嘘と秘密がありすぎて何が秘密なのか…どれが本質なのか…わからないというか…あの人は信用できません」

 真名の力は感じることだ。真名は他人の気持ちを感じることが出来る。もし、その人間が嘘を吐いていれば、重要性やその種類、それがどれだけ偽装され、装飾され、粉飾されているかがわかる。しかし、嘘を見抜くことはできない。

 真名は感じることができるだけで、心が読めるわけではない。

 嘘を吐いてる事はわかっても、その内容までは真名には読み取ることはできない。

 存在を認識していても説明できない。

 真名にとって高瀬明という男は、その塊、むしろそのもので出来た化け物だった。陰謀と策略が人の形をしているだけ。

 表は無くて裏しかなく光は無くて闇しかない。裏と闇と陰と影と虚と無によって形作られた硬質な人ではない何か。

 「そうは言ってもあいつは有用だ。あいつが何を腹に抱えてるかはしらねぇが、せいぜい利用させてもらうさ」

 狩野は高度なゲームを楽しんでいるかのように歪んだ笑みを漏らすと、ポケットからクシャクシャになった一万円札を取り出して真名に渡した。

 「少しは歩けるようになっただろ?今日はもういい、タクシーでも拾って帰れ」

 狩野はそう言って缶コーヒーを飲み干すと、腰を上げて歩き出した。

 「あの、私…」

 呼び止めようとする真名に、ついてくるなとばかりに狩野は手を振った。

 振り返ることも無く小さくなっていく狩野の背を見ながら、真名は力の入らない手でコーヒーの缶を握り締めた。


 (胸クソ悪ぃが、あのガキに無理させるわけにはいかねぇからな)

 繁華街の路地裏を狩野は苛立ちながら歩いていた。

 (あいつには、それこそ奴らを皆殺しにするまで役に立…あ?)

 思考の途中で、右手の違和感に気づき狩野は立ち止まった。

 右手に当たる風の感触がいつもと違う。ふと、目を落とすと指が増えていた。指の付け根から新しく指が四本、右手の指が計9本に変わっていた。

 (あいつだ)

 瞬間、狩野は精神干渉による幻覚を見させられていることを理解する。

 ただ何が起こっているかわかっているからといって、それがありえない現象だったとして、それが現実ではないからと言って、足元から這い登る恐怖を抑えることはできなかった。

 悪夢のように、意味もなく恐怖だけが膨らんでいく。

 金縛りにあったように、手から目が離せない。

 ふいに、新しく増えた四本の指が蠢いた。もともとの指と同じように感覚がある。皮膚が空気に触れる感覚。筋肉が収縮し、関節が曲がり、動きが骨に響く感覚。しかし、指は自らの意思に反して好き勝手に蠢き、虫のように這い回る。

 声にならない声が口から出たのが狩野にはわかった。叫んでいるのに声が耳には届かず、ただ頭蓋を振動させた。

 思わず、右手を振り払うように壁に叩きつけた。手が壊れてしまうほどの全力。事実、何本か骨の折れる痛みと感触があった。

 その瞬間、あたり一面に泣き声が響き渡った。狩野が目を向けると壁が、一面、赤子の顔に変わっていた。

 壁を埋め尽くす無数の顔、見分けのつかない赤子の生首が隙間無く敷き詰められ、そのうちの一つに狩野の指が突き刺さっていた。

 血を流しながら痛みを泣き声に変える赤子に、呼応するように壁一面の赤子の顔がそれぞれ悲痛な叫びをあげる。

 統一性の無い泣き声の洪水の中、赤子の顔に突き刺さった狩野の指は勝手に赤子の顔に侵入していく、指が瞼をこじ開けまだ視力を持たない目を抉り、柔らかい頬肉を爪に食い込ませて削り、小さい喉に突き立てられた指が血を吐かせる。その感触全てが正確に狩野に伝わる。

 今度こそ、狩野は悲鳴を上げた。

 恥じも外聞も無く、情けない悲鳴をなりふり構わずあげ続けた。

 涙と汗と鼻水と涎で顔をグチャグチャにして、服が汚れるのも気にせず嘔吐した。

 気まぐれに襲い掛かってくる幻覚による精神攻撃。

 狩野が超能力者を憎む根本的な要因、植えつけられた原因。

 幼い頃から狩野は断続的にこの精神干渉を受けていた。それは天災のように気まぐれながら悪意に満ちた人災で、公害のように一方的にもたらされる害悪だった。消し去るすべは無く、抗うすべは無く、訴える事もできず、耐える事すら許されない。

 しかし、狩野は見える幻覚が毎回違っていても、垣間見える悪意は同一のものだと理解していた。幼い頃から、これが悪意をもってもたらされている何者からかの攻撃なのだと理解していた。けして自分が狂ってしまったわけではないのだと―そして、狂った。怒りと憎しみと狂気に狩野は狂った。

 (どこの誰かはわからない。何が目的なのかもわからない。だが、こいつは敵だ。必ず殺す。そして同じような、力を持った人間がいるはずだ。人智を超えた能力を持つ人間は一人残らず狩りつくしてやる)

 そう狩野は決意した。 

 そして、今、再びその決意を叫ぶ。声にはならなかった。胃液で荒れた喉が血を出すに過ぎなかった。それでも、狩野は叫びながら天を睨みつけた。どこかの誰かに向かって、安全なところでほくそ笑んでるだろう見知らぬ連中に向けて、狩野は咆哮した。

 しかし、まだ―勝てない。

 狩野恭一は限界を向かえ、気を失った。


 翌日、病院で目を覚ました狩野は、検査入院を勧める医師を無視し、手続きを済ませすぐに病院を出た。

 昼前、幻覚の余韻でふらつく頭を押さえながら、狩野は研究所のドアを開けて、病院に戻りたくなった。

 「おい、学校はどうした不良娘、開校記念日とかクソなことぬかすんじゃねぇだろうな」

 狩野が声をかけると、狩野の机の上に座っていた真名は別人のような表情を浮かべて笑った。

 「うんにゃ、今日はサボり、かったりいし」

 ニヤニヤと挑戦的な笑みを浮かべる真名に舌打ちして狩野は自分の椅子に座る。

 「どけ」

 「やだね」

 机の上からどかそうとする狩野に対して真名は一度、机から降りたものの今度は上体を机の上に預け、狩野を覗き込むように顔を近づける。

 狩野の視界を占領する美しい顔は確かに真名のものであったが、何もかもが普段の真名とは別の表情をしていた。

 いつもは落ち着きを持った澄んだ瞳は好奇心に彩られた挑戦的な光を宿し、普段、微笑む程度にしか動かない唇は自身の力を誇示するように大きく釣り上がっている。

 服装も普段、肌の露出を出来るだけ抑えている真名からは想像できないような扇情的で露出の多い服装。髪型はポニーテールに変わり、なるべく人目につかないように隠している両耳が今日は惜しげもなく晒されている。

 常に隠されているはずの両耳には無数のピアス穴が開き、様々なピアスが両耳を痛々しく装飾している。

 その中の一つ、耳たぶにつけられた小さく赤い光を放つ大人しいものに狩野は目を留めた。

「おう、ちゃんとつけてんだなソレ」

 狩野の言葉に眉をひそめると、忌々しそうに真名は答える。

 「アタシは引き千切って捨ててやりたいぐらいだけど、真名の奴が誕生日にアンタから貰ったもんだから、喜んじゃってね」

 「気に入ってもらえて何よりだ」

 「そういうことじゃないんだけどなぁ~」

 真名は呆れたように、馬鹿にした目を狩野に向ける。

 「あぁ?んだ?その目は、いいかお前が気に食わなかろうがなんだろうが、そいつを常に肌身離さず身につけとけ、これは命令だ」

 言い終わった瞬間、狩野は胸倉をつかまれて引き寄せられる。

 「嫌でも、呪いみたいに耳に突き刺さってんよ!いいか?命令だ。アタシが出てくるような事をすんな!アタシを起こすな!呼び出させるな!わかったか?これ以上アタシの機嫌を損ねるなら……殺すぞ」

 食い殺すような真名の視線を逸らすことなく狩野は受ける。

 しばらくの間、お互い睨み合った末に、真名は突き放すように手を離して立ち上がった。

 「で?ニナ、今回お前が出てきた理由はなんなんだ?真名は何をヘソ曲げてやがる」

 狩野が声をかけると、研究所から出ようとしていた、ニナと呼ばれた真名は振り返って、コイツ何にもわかってねぇとばかりに鼻で笑った。

 「アタシは虫唾が走るけど、真名はね、アンタの役に立ちたいんだよ」

 「あ?十分役に立ってんぞ?」

 「はぁ、わかってない。何にもわかってないねアンタは。ま、アタシにとっては好都合か、アンタとなんか死んでもゴメンだし」

 バーカ、と捨て台詞を残して、研究所のドアは閉められた。

 「ったく、なんなんだよ」

 結局、何も理解できなかった狩野はイライラを押さえつけるように頭を掻く。

 (今回は備品が壊されることも無かったし、怪我もしてないだけまだマシか)

 前回、ニナが現れた時の惨状を思い出しで狩野は頭が痛くなった。

 「まったく痴話喧嘩は犬も食わないってね、いい加減イチャつくのはやめてくれないかな。せめて僕が巻き込まれないところでお願いするよ」

 狩野が研究所奥の部屋に入ると、仮眠用のベットの上で身を守るように蹲っていた引き篭もりの天才少年―ミハエル=ブランケンハイムは開口一番、不満を訴えた。

 「誰がイチャついてるって?なんだって俺があんなクソガキを相手にしなきゃなんねぇんだ」

 「ふん、日本人はみんなロリコンなんだろう?」

 「こういう時だけ外国人づらしてんじゃねぇよ、この東京生まれの国立育ちが」

 「僕にとって国境なんて無いに等しいものだ」

 「あぁ、お前、部屋から出ないもんな。そりゃ、関係ないわ」

 「いたいけな少年が変態上司に監禁されてる件…」

 「なに、嘘っぱちの内容でスレ立てしてやがる」

 「狩野なんか逮捕されてしまえ、その方が人類にとって有益だ」

 「お前が勝手に居座ってるんだろうが、むしろ不法占拠だ」

 「フフフ、しかし、この状況を見て警察はどう判断するかな」

 「それでも俺はやってない。つーか、お前たまには家に帰れよ」

 「必要ない」

 PCに向かうミハエルの手が小さく震えているのが見えたが、狩野は無視した。

 「で?なんか面白い情報はあったのか?せめて家賃分は働けよ」

 「は、お釣がくるね」

 ミハエルは大量の情報を次々に画面に映し始めた。


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