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『正義の追跡者』―hypocritical confidence― 前編

「俺の犬になれ」

 銃口を向けながら、彼は私に言った。

 鋭く冷酷な目線、全てを憎むような真っ黒な瞳を向けながら、最後通牒のように彼は告げる。

 私は、痛みで立ち上がることも出来ずに蹲ったまま彼を見上げ―

 

 ―そして、私は彼の猟犬になった。




  File.1 『正義の追跡者』―hypocritical confidence―


 郵便物が回収される事無く、容量を超え、過剰摂取した食物を無理矢理吐き出すのを我慢しているような郵便受け、それでも零れ落ちたチラシや、元は何が書いてあったかも分からない紙が散らばり、湿り、擦りつけられて汚れた床、狭苦しいその空間に少女は立ち、階上につながる階段を見つめていた。

 塗装の剥げた手すり、お互い半身になってすれ違うのが精一杯の細い階段、繁華街の裏のあやしげな雑居ビルの入り口、少女はいつものようにここを訪れ、そして普段訪れる時間とは違う空間の雰囲気に見入っていた。

 時間は昼過ぎ、一日の大部分が日の届かない雑居ビルの中の短い日照時間。

 細い階段の先の、人が二人立てるかどうかの狭い踊り場。

 その壁にあけられた小さい窓、いまだかつて開けられた事が無いだろうその窓から差し込む光は空気中の埃を輝かせていた。

 「………」

 いつも染み付くように陰り、薄汚れた空間が垣間見せる光に輝く瞬間の爽やかさに、少女は気分が晴れていくような清々しい気持ちを感じていた。

 (いつもこうならいいのにな)

 表情を表に出すのがあまり得意ではない少女は微笑む代わりに目を細める。

 その時、荒々しく扉を閉める音と共に数人の声が降りてくるのが聞こえた。

 彼らは怒っているようで、内容までは聞き取れなくとも、愚痴や文句をお互いに話しているのがわかった。

 自分達の負の感情を撒き散らす声が降りてくるのを聞いて、少女は光に満ちていた空間が、いつもの薄汚れた暗い雑居ビルに戻るのを感じた。

 (いい気分でいたのに…すぐ、これ)

 先ほどとは違い、少女は露骨に落胆を表情に表す。

 「まったく、なんなんだアイツは!何様のつもりだ!」

 「ほんと横柄な奴でしたね、人を小馬鹿にして」

 「くそが、くそ、死ねよあのクソ死ね、くそクソクソ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」

 「『本当に超能力があるとでもおもってるのか?』なんて…おもってねーよ!こっちだって真面目に取材する気なんてねーっつーの」

 口々に文句を言いながら降りてきた三人の男たちは階下の少女と目が合うと一様に口をつぐんだ。

 この場にそぐわぬ清楚な少女、近隣でも有名な私立高校の制服に身を包み、手入れの行き届いた黒く、艶のある長い髪は光の輪をつくり、そして何より美しい少女だった。

 幼さを残しながらも整った顔立ち、理知的な瞳は見るものを吸い込んでしまうかのように澄んでいた。

 Tv関係者である三人の男達は普段、仕事でアイドルや女性タレントを見る機会も多く、それなりに美少女と呼ばれるものを見慣れてはいたが、それでも目を奪われずにはいられない、同じ人間とは思えないほど少女は美しかった。

 少女は自らに注がれる視線を避けるように端に寄って、男達に道を空けた。

 すれ違いざまに男達は少女を横目で眺める。

 ある特殊な力によって他人の感情や雰囲気、視線や表情、その機微を感じやすい少女は男達が通り過ぎる間、体を強張らせてしまう。

 少女に視線を送る男達の目に映るのは、好奇、疑問、憐憫、愉悦、色欲。

 場違いな少女に対する好奇心、なぜ、少女がこんな雑居ビルにいるのかという疑問、ビルの中に含まれる場所から推測される少女への哀れみ、可哀想な少女に対する優越感、声をかけることも憚られる美しさを持つ少女を舐め回すような視線。

 それは、ぶちまけられた他人の中身が、返り血のようにこびりつく不快な感覚だった。

 緊張による気持ちの悪い汗が少女の頬を伝う。

 男達が通り過ぎた後も少女はしばらく動く事が出来なかった。

 遠くで先ほどの男達が「まったく…金は出すって言ってるのによ」「しょうがないですよ、きっとイカレてるんでしょう」「死ね氏ね死ね死ねシネ死ね死ねシネ死ね死ね」「そういや、さっきの女の子…」などと愚痴を言い合っている声を聞いて、はじめて少女は緊張を解いた。

 (…ぜんぶ、あいつのせいだ)

 少女はゆっくりと息を吐き出すと、元凶のいる階上に向かって階段を上り始めた。

 そして―

 『狩野ESP研究所』。

 そんないかにも胡散臭い内容の看板が掲げられたドアの前に、少女はたどり着いた。

 (たしかに、こんな所に用事がある人なんて、普通は頭がおかしい人だけだもんね…)

 少女の名前は一条真名、この研究所の助手であり、道具であり―猟犬。


 『狩野ESP研究所』は研究所というより事務所に近い。

 狭苦しい雑居ビルの一室、ドアをあけるとまず、いかにも座り心地の悪そうなクッションの薄いソファと応接セットがあり、右の壁は超能力関係と思しき研究書やスクラップブック、雑誌や、新聞が詰め込まれた本棚に占められ、左の壁は得体の知れないタイトルのついたグラフや悪趣味な色で塗り分けられた地図などが強迫観念にとらわれたように隙間無く貼られている。

 部屋の奥には給湯室や仮眠室に続く薄いドアがあるが、その手前、応接セットとドアの間、入り口を開けてすぐ目に入るところに大きい事務机が置かれている。

 その机の上に足を乗せながらけだるそうに、それでいて眼光だけは異常に鋭く光らせた男が性格の歪みがそのまま現れたように口の端をつり上げ、真名に声をかける。

 「なんでこんな時間にお前が来るんだ?まじめに学校通えよクソガキ」

 「今日は午前授業だったの!サボったわけじゃないです」

 「あんだよ、せっかく早く終わったんなら遊びにでも行きゃあ良いじゃねぇか。別に待ってねぇぞー」

 「昨日、遅刻すんなって言ったのは狩野さんでしょ!」

 「だからって早く来いとは言ってねぇよ。なんだ?不器用か、お前は?ピッタリに来いピッタリに」

 「っ~、ああ言えば、こう言う!大体ピッタリって何時ですか!いつも学校が終わったら来てるし、時間なんて決まってないでしょ」

 「おぉ!じゃあ、ちょうど今がぴったりか、偉い偉い。ご褒美にアメちゃんをあげよう」

 「いりません」

 返事を聞く前に男は真名に向かってぞんざいに飴玉を放った。

 真名はそれを受け止めると、包装を破り飴玉を口に入れる。

 「…結局、舐めるのかよ」

 「なんか、文句でもあるんですか?…しかも、この味!なに?なにこれ?」

 「きな粉味」

 「おいしいですね」

 おいしいのかよ…とうんざりした顔で男は溜息をついた。

 飴玉の意外な美味しさに機嫌を直しつつも、真名は男を睨みつける。

 手入れのされていない癖毛でボサボサの髪、まるでセットの様な目の下の隈と無精ひげ、安物のスーツをだらしなく着ているその様は真っ当な人間とは思えず、若者と呼べる年齢にも拘らず身に纏った退廃的な雰囲気、生気の無さの中で、目だけが獲物を狙う猛禽類のように光っている男。

 他人を見下すような高慢な態度と、全てを馬鹿にし嘲るように歪んだ笑みを浮かべた男の名は狩野恭一、真名の上司であり、所有者であり、飼い主。

人を怒らせるのが、趣味みたいな男、それが真名の狩野に対する評価だった。

 「さっきの…仕事の依頼じゃなかったんですか?どうせ、怒らせて追い返したんでしょうけど!まったく、たまには働いたらどうですか?」

『ESP』(extrasensory perception)超感覚的知覚、超能力の一種。

 つまり、看板にでかでかと超能力研究所などと掲げているこの『狩野ESP研究所』には当然ながら滅多に来客が無い上に仕事などほとんど無かった。

 来客があったとしてもほとんどが興味本位の冷やかし、もしくは妄想にとりつかれた自称超能力者だった。

 それらの来客の事ごとくを狩野はろくに話も聞かず、馬鹿にし、怒らせて返してしまう。

 したがって、狩野は一日中、研究所でダラダラ過ごし、真名の仕事もほとんどゼロに等しい。 そのため、彼女はよく学校の宿題などをして過ごしていた。

 「あぁ、なんかTVのバラエティ番組の取材とか言ってたっけなぁ」

 興味無さそうに生気の無い声で狩野は答える。

 「滅多に無い宣伝のチャンスじゃないですか」

 「やだよめんどくせぇ、宣伝なんてめんどくせぇ事して余計な仕事が増えたりしたらそれこそめんどくせぇ、それともあれか?お前TVに出たかったとか?美少女超能力者~なんつって、アイドルデビューでもする気か?バカか?パーなのか?」

 「そんなつもりで言ったんじゃありません!」

 冷やかすような狩野の言葉に、真名は怒気を含んだ声で答えるが、狩野はどこ吹く風で、落ち着けとやる気のないジェスチャーをした。

 余計に人を怒らせるような態度だったが、真名も慣れたもので、フンっとそっぽを向いて答えるだけに留めた。

 「子供かお前は…いいんだよ、仕事なんかしなくったって、無駄に金使って赤字を出すのが俺らの仕事なんだからよ」

 『狩野ESP研究所』はこの国どころか世界の中でもトップ企業である『天城グループ』の出資によって経営されている。

 赤字経営の子会社を持つ事によって出資会社の税金が優遇される。

 つまり、税金対策のための、赤字前提で経営されているのがこの研究所だった。

 真名は何度聞いてもよく分からなかったが、その度に「そういうことだからいいんだよ、俺も詳しい事はわかんねぇし、どうでもいい」と狩野に言われるため、釈然としないながらも納得していた。

 「それにしても、少しは仕事した方がいいと思うんですけど…お金のためだけじゃなくて」

 ダメ人間の代表の様な生活を送る狩野を見ていると真名は切実に思う。

 「うるせぇな、真面目ちゃんかお前は、学級委員か」

 「…美化委員」

 「いや、そういうことじゃないんだが、いいか?お前、この研究所見てどう思う?」

 「胡散臭いです」

 「そうだろ?だからいんだよ」

 狩野は乾いた笑いをこぼして続ける。

 「こんなうさんくせぇ所に来るのはよ、真っ当な所じゃ相手にもしてもらえないような連中だ、つまり、頭のイカレてる連中か、もしくは―」

 そこでいったん区切ると狩野は腐ったコールタールのような憎悪に満ちた声を吐き出す。

 「―本物の超能力者」

 真名の全身に悪寒が走り、背中を冷や汗が伝う。

 「か…狩野さん…」

 真名の後ろ、研究所の入り口、来客を迎える事などほとんど無いその扉からノックの音が響いた。


 「どうぞ」

 狩野は罠にかかった獲物を見る様な狡猾な笑顔で答えた。

 「…失礼します」

 開いた扉の先には若い女性が立っていた。

 年齢は二十台前半、スーツを着てはいるが着慣れている感じは無く、就活生か新社会人という印象を受ける。

 「どうぞ」

 狩野は立ち上がりもせずに命令するように目の前のソファを指差した。

 「はい…失礼します…」

 ソファに腰掛ける女性を狩野は隙の無い視線で観察する。

 肩に届かない程度の髪、黒いスーツの下は白いYシャツ、スカートは長くも短くも無い、化粧は薄くナチュラルメイク、真面目な優等生といった印象だが、就職活動中だとするならばそういった印象を与えるようにしているのかも知れない。

 顔立ちは普通、少したれ目がちではあるが取り立てて特筆すべき点は無い。

 目立つところの無い没個性的な女性だったが、狩野は一つ彼女の特徴を見つけた。

 (こいつは餌だ)

 無意識に狩野は口を歪め、その端から歯を覗かせる。

脳みそが赤黒く染まってしまいそうなほど暴力的な思考を常に巡らせている狩野にとって、人間は喰う側か喰われる側の二つに大別される。

 喰われる側の人間の中でも特に犯罪に巻き込まれやすい人間、狙われやすい人間というものがいると狩野は思っている。

 目立つわけでもなければ、特に何か行動したわけでもない、それなのに通り魔にピンポイントで狙われてしまうような人間、人の悪意を向けられやすい人間。

 喰われるために生まれてきたような人間。

 狩野は目の前のソファに座る女性をそう判断した。

 緊張で強張る女性の瞳は、普段、研究所に訪れる人間のように病んだり欠けたりして狂気に染まったものとは違い、正気を保ち、強い覚悟に彩られていた。

 (聞くだけ聞いてもよさそうだ…それに…)

 狩野は来客と同時に、机の隣に移動していた真名の方に目線を移す。

 真名は目を見開き、冷や汗を流して縛り付けられたように立っていた。

 金縛りにあったように体を強張らせ、ありえないものを見ているような、そんな表情をしている。

 (コイツがこんなになってるってことは本物の可能性が高い、少なくてもそれ絡み…)

 内心で牙を光らせながら、高まる期待を押し殺し、軽い口調で狩野は真名に声をかける。

 「おい、ぼさぁ~っと突っ立ってないで、客に茶の一つも出せっつうの」

 「え!は、はい」

 まるで後ろから突然、声をかけられたように真名はびくりと体を震わせる。

 「いえ!お気遣い無く…どうせ飲めませんから」

 慌てて部屋の奥、給湯室に向かおうとした真名を、来客の女性は慌てて止める。

 (飲めませんから…?)

 狩野は、女性の妙な言い回しを聞き逃さなかったが、それよりも話を進めることを優先することにした。

 「それで?今日はどのようなご用件で?」

 狩野は姿勢を正すも、来客に対する態度とは思えないほど横柄に訊ねる。

 「あの…実は…」

 「あぁ、いや、その前に、お名前をお聞かせください」

 自ら質問しておいて、答える前に別の質問をぶつけて相手の話を遮る。失礼極まりないが、狩野が良く使う手の一つだった。

 相手の出鼻を挫き、不快感を与える事で相手の心を波立たせ理性を乱す。そうして会話の主導権を奪う。

 「あ…はい…私、枯庭雫と申します。あの…」

 戸惑いながらも女性―枯庭雫は答え、遠慮がちに狩野と真名に目線を送る。

 「私は所長の狩野恭一、こっちのガキは助手の一条真名」

 今更聞くのか?と言わんばかりに狩野は気だるげに答える。

 「…えっと…」

 枯庭雫と名乗った女性は、戸惑いがちに真名の方を上目使いで窺った。

 「あぁ、あと裏にもう一人、主に情報収集をやらせてる引き篭もりの所員がいる」

 「いえ、そういうことではなく…」

 申し訳無さそうに雫は真名に視線を送る。

 明らかに場違いな制服姿の少女を疑問に思うなという方が難しい。

 「心配しなくてもこいつは使える」

 当然ともいえる質問に、これ以上の説明はしないとばかりに、めんどくさそうに狩野は真名を指差す。

 真名は狩野の方を見て、誰も、本人さえも気づかない程度に口元を緩ませ、雫の方に向き直ると小さく頷いた。

 雫は疑うように、しばらく真名を見つめた後、何かに気づいたように目の色を変えた。

 「そう…あなたも…」

 雫は独り言のように静かに呟くと、覚悟を決めるように目を閉じる。

 「兄を…止めてください」

 なにかを堪えるように言葉を吐き出す雫の様子を、真名は気遣わしげに見守り、狩野は嬉しそうに眺める。

 「止めてくださいって言われても、全く話が見えませんねぇ、訳がわからない!もっと詳しく、順を追って説明してもらわないと、私は超能力者じゃないんでね」

 気持ちを整えるのを潰すように、その間すら惜しいと言うように、狩野は話の続きを急かす。

 「…二ヶ月前に一件、先月に二件、殺人事件があったのを覚えていますか?」

 「人はいくらでも死ぬし、殺人なんてそこらじゅうで起きてる」

 「二ヶ月前は長野、先月は茨城と東京…ニュースにもなってました…」

 「あぁ?すぐには思い出せねぇなぁ。で、その殺人事件がどうしました?」

 「ニュースにはなってませんが、その三件は連続殺人で…」

 「その犯人が、あなたのお兄さんだと」

 「……はい」

 唇を噛み締め、雫は頷いた。

 消え入りそうな、それでいて強い意志の篭った雫の声を聞いて、狩野は椅子の背に体重をあずけ天井に向かって溜息を吐く。

 「なるほど…その話が本当だとして」

 「本当です!」

 「本当だとしてだ、何故うちに来る?殺人犯を捕まえるのは警察の仕事だ。しかも犯人がわかってる、簡単な仕事だ」

 「警察には…警察では兄を捕まえる事なんてできません」

 「おいおい脳みそ沸いてんのか?うちは興信所じゃなく『研究所』。犯人を捕まえたりはすんのは仕事じゃないんですが?」

 「警察に協力してもらえるだけでもいいんです。居場所を通報するとか…情報を提供するとか…それに…聞きました」

 そこまで言うと、雫は深く息を吸い込み、深淵を覗き込むように、堕ちる一歩を踏み出すように、禁忌を、言ってはならない事実を口にする。

 「この『研究所』は…超能力者を”狩って“いると」

 その言葉を聞いた瞬間、狩野の顔は、およそ醜悪というものを越えた、凄惨な表情を見せた。

 しかし、すぐにそれを消すと狩野は雫に向かいなおす。

 「まずはお兄さんの事を聞きましょうか。あぁ、名前とか」

 「兄の名は、枯庭豊、とても正義感の強い兄でした」

 「正義感の強い人間が連続殺人?酷い矛盾だ」

 「兄は悪人が分かると言っていました。害悪をもたらす人間、裁かれるべき人間が兄には分かると」

 「とんでもない誇大妄想だ。裁かれるべき人間?何様のつもりなんだよ」

 「私も…そう思います。ですが、本当なんです!それがここにきた理由です」

 「超能力で悪人を殺しまわっているとでも?」

 「はい…これはまだニュースにはなっていない事なんですが、先月、先々月と殺された三名はいずれも殺人や強盗、凶悪事件の容疑者です」

 「どういうことだ?枯庭豊の力と何の関係がある?」

 「兄の殺した三名は容疑をかけられていながらも警察の手を逃れ、今まで足取りが追えず、事実上、捜査が止まっていた人たちです」

 「枯庭豊は超能力でそいつらを見つけ出して殺した」

 (今まで誰にも見つけられなかった人間を見つけ出して殺す。裁かれる人間を裁く…か、確かに不可思議だ。しかし、超能力によるものといえるかどうか…悪人が分かるというのであれば一応、説明はつくか…)

 狩野が考えを整理するために黙ると、雫は応接セットのボロテーブルの上に封筒を置き、わずかな沈黙の間に逃げ出そうとするように席を立った。

 「私の全財産です。相場は分かりませんが、100万はあると思います。」

 だから、お願いします。と雫は深く、頭を下げる。

 「そんなに受け取るわけには、それに全財産って」

 真名が慌てて声をかけるが、顔をあげた雫は少し哀しそうに微笑んで首を振った。

 「いいんです、私にはもう必要の無いものですから」

 そう言って背を向けた雫に真名は何も言う事ができなかった。

 「ちょっと待て、なに言いたいことだけ言って帰ろうとしてんだ?あ?俺は引き受けるなんて一言も言ってねぇぞ?」

 狩野は無感情な声色で雫の背中に言葉を投げる。

 「…あなたは必ず引き受けます」

 振り返ることなく告げられた雫の言葉に狩野は舌打ちを返す。

 「それにしたって、話はまだ終わりじゃねぇ、枯庭 豊の潜伏先は?居場所に心当たりは?」

 「わかりません…二年前から兄は消息不明です」

 帰るために研究所のドアを開けながら答える雫に、狩野は食い下がる。

 「さっき、ニュースになってない事って言ってたな?なんでそんな機密事項を知っている」

 「…分かるからです」

 振り返った雫の頬は涙で濡れていた。

 やるせなさを滲ませた声が雫の口から零れ落ちる。

 「兄は正義感の強い人でした。兄は許せないんです。罪を犯しながら裁かれない人たちが、犯罪者が、憎くて憎く憎くて堪らないんです。殺したくて、引き裂きたくて、磨り潰したくて、消し去りたくて仕方ない…2年前、私が殺されてから、ずっと、兄は私の復讐をしているんです。どうか、どうか馬鹿な兄を止めてやってください」

 頬を濡らしたまま、強がるように笑うと彼女はドアの向こうに消えた。

 「ちょっ、待てこら!」

 雰囲気に飲まれていた狩野は、ドアが閉まる音で我を取り戻すと急いで雫の後を追う。

 しかし、ほとんど蹴破るようにして開けたドアの向こうには雫の姿どころか、階段を降りる足音も無く、およそ生き物の気配というものが感じられなかった。

 ―2年前、私が殺されてから…

 狩野は背筋に悪寒が走るのを感じた。

 冷や汗が頬を伝うのがわかる、喉が渇いて唾が通らない、肌に張り付く服が不快だ、止まったように音を立てない心臓、目の前に見える薄暗い空間は本当に見慣れたいつもの雑居ビルの空間なのだろうか。

 「やっぱり、幽霊だったんですね」

 突然、後ろから声をかけられて、思わず狩野は一瞬、体を硬直させる。

 「…あれ?びびった?今、びびりました?…って、ひょっとぉ、はなふままないでくらはいよ!」

 「……」

 ニヤニヤという擬音が聞こえてきそうな表情で顔を覗きこんできた真名の鼻を、狩野は無言で摘まむと封筒に入っていた札束で頬を張った。

 「ふえぇえ」

 妙な声を上げる真名に狩野は札束往復ビンタを繰り返す。

 「なに、アホなこと言ってんだコラ!どーやって死んだ人間が札束持ってくるってんだ?」

 「ふへぇ、はふぅ」

 「幽霊がお礼を持ってくるなんて、古今東西よくある話だろ?」

 なんだか愉しくなってきていた狩野に、部屋の奥から声がかけられる。

 研究所の奥、給湯室兼、仮眠室兼、情報収集をさせてる引き篭もりの所員部屋、その部屋の薄いドアが開かれると、中から西洋人の子供が姿を現した。

 ミハエル=ブランケンハイム、齢、十に満たないこの少年は天才と呼ぶには寒気がするほどの異常な情報収集能力と分析能力、集計、計算、比較、理解力を持ち、研究所の頭脳ともいえる存在として、研究所の奥に引き篭もっている。

 「馬鹿なことやってないで、コレを見なよ」

 ミハエルはプリントアウトしたばかりの紙の束を狩野に手渡す。

 「それを見ればわかるだろ?枯庭雫、彼女は間違いなく死んでるよ」

 紙の束には、出生証明書、死亡届け、住民票から銀行口座、今まで通っていた学校全ての成績表、卒業文集、身体測定時のデータ、キャッシュカード、レンタルカードから無料のメンバーズカード全ての登録内容、考えられる限りの個人情報のコピー。

 そしてその中には枯庭雫の殺害された事件の捜査資料までもが含まれていた。

 「はっ、クソガキが!どこかの誰かと違ってちゃんと仕事をしてんじゃねぇか」

 狩野は口の端を歪めて笑うと、赤くなった鼻を押さえながら抗議の目を向ける真名を無視して捜査資料を読み進める。

 「こないだ設置したカメラとマイクが功を奏したね」

 ミハエルは研究所の天井に設置されたカメラを指差す。

 研究所にはいたるところにカメラやマイクが設置されており、来訪者の映像や会話の内容が研究所の奥、ミハエルに送られるようになっている。

 自称超能力者のペテンを見破る事もできるし、今回は得られた画像から個人を特定して情報を集める事ができた。

 「あんな少しの間にこんなに集めたの?」

 狩野が読み捨てるプリントを拾い集めながら、真名は感嘆の声をもらす。

 「今はほとんどデジタル化されてるからね。僕の腕にセキュリティが追いつけるわけないし、それはとりあえずのデータ。細かいとこや関連資料はこれから調べる」

 たいしたことじゃないというようにミハエルは無表情で答える。

 明らかに違法な方法、主にハッキングで得られた資料を読み終わると、すぐに狩野は、携帯電話を取り出して、かけ始める。

 「……あぁ、高瀬か?先月と先々月の事件で聞きたいことがある……そう、それだ、わけわかんねぇとこがあるだろ?……ははっ、隠してんじゃねぇぞカスが………あ?タイミングが良すぎるって……あぁ、そうか…協力してやる。迎えに来い」

 携帯を切ると、狩野は二人の所員に告げる。

 「お前ら、喜べ、仕事の時間だ!」

 狩野は歯をむき出しにして狂喜した。

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