婚約破棄されること9回目の訳あり令嬢~私と婚約すると運命の人に出会っちゃうらしい~
アリス・フィルフィールドと婚約すると、運命の人に出会える。
これは、私に付きまとう、どうしようもない噂だった。
はじめの記憶は、五歳のときであっただろうか。
「申し訳ない。御息女との婚姻をなかったことにしていただきたい」
その大人が言っていることが、幼い私にはまだ分からなかった。
いつか私のお婿さんになると聞かされていたその男の人は、私の隣に座る父に、深く頭を垂れていた。
彼の隣には、美しい女性がいて、その人も男の人と同じようにしていた。
「運命の人と出会ってしまった」と言ったその人たちは、もう二度と家に来ることはなかった。
次に婚約を結んだ人も、身分の違う恋人と駆け落ちをして、婚約は破談となった。
次に婚約を結んだ人も、初恋の人と再会し、結婚。婚約は破談となった。
私が誰かと婚約するたび、彼らは誰かとロマンチックな恋に落ち、私の婚約破棄され続けた。
この、しょうもない噂は、私としては不名誉極まりないものだった。だが、家族、特に父は完全に味を占めていた。
婚約のたびに支払われる多額の慰謝料は五流貴族の私たちにとっては相当なもので、三回の婚約破棄で、没落寸前だった我が家は持ち直し、御殿が一つ立ったほどだ。
父は、私の婚約が破棄されるたび、どこからともなく縁談を持ってきた。破談することを前提とした縁談。
そんな婚約破棄を繰り返すこと9回。
齢も二十余歳。私はとっくに行き遅れの部類に入ってしまった。
もはや結婚に夢見ることもあきらめて、惰性で続く花嫁修業に身を投じるばかりだった。
そして9回めの婚約破棄から3週間後、父は新な縁談取ってきた。
ドアを勢いよく開けて、鼻息荒く彼は私に婚姻の証書を突き出してきた。
「でかしたぞアリス!次の婚約者はこの国の第三王子だ!」
五流貴族に王家から婚約の申し込み?あきれて笑いすらこみあげてくる。のんきな父は、飛び跳ねながら喜んでいた。
「どうしたアリス。そんなにうれしいか!はは、無理もない王族だぞー。慰謝料もきっと桁外れだ!」
ほら、もう破棄前提の婚約ではないか。
今のところ、婚約者たちの運命の人との成婚率は100%。もちろん離縁もしていない。聖誕祭には毎年お礼のカードが届くほどだ。
ついに王族まで噂を信じるようになったのか。
どっと疲れてしまい。私は証書を父に返して、脱力しながら椅子に座りこんだ。
「それで、王子とはいつ顔合わせをする?」
「……顔合わせはしません」
「は?」
「無意味ですから」
何度か押し問答をし、それでも「会わない」と言うと、父は「適当に日程組んでおくからなぁ」と弱弱しく言って部屋を出ていった。
机の上に置いたままの証書にちらりと目をやる。
証書には王家の紋様がしっかりと捺してあった。
まぁ、良いかもしれない。王族と破談になれば、さすがにもう新しく婚約を申し込んでくる者はいないだろう。
小さいころは、誰かのお嫁さんになるのが夢だった。
でも、そんな想いも枯れてしまった。
*
日曜日。私は一人、城下町を歩いていた。
花嫁修業の合間に、屋敷を抜け出して町を散策する。これが私の息抜きの仕方であった。
つまらない花嫁修業で、屋敷にこもりっぱなしというのも、しんどいものである。
私は、部屋で一人、刺繍をしていることになっている。
しかし刺繍は昨日の夜のうちに完成させている。あとは夕方こっそり屋敷に戻り、さも今日作り上げました。と言わんばかりに見せればよい。
ちょっと徹夜すれば技巧の品が出来上がる。こればかりは二十余年の花嫁修業のたまものである。
多少の寝不足もこの自由と引き換えと考えれば安いものである。
売店でドーナッツを買い。ベンチに座って思いっきり頬張る。至福の時間であった。
坂の上にあるこのベンチは、町が見渡せる。よく風が通って、季節を問わず心地よい場所だった。申し訳ない程度に整備された花壇。きらきら光る噴水。駆け回る子供の声。美味しいドーナッツ。
そして、
「よぉ、久しぶり」
後ろから声がして振り返る。
ベンチの後ろには、青年が一人立っていた。
茶色い短髪の先が、光に透けて輝いて見えた。
「あら……二か月ぶりくらいじゃない?」
「はぁ?そんなにか」
青年は、がしがしと髪をかきながら、私の隣に座った。
彼の名前はテオ。この町に住んでいるらしい。らしいというのは、本当いうと、彼のことをあまり知らないからだ。彼とは私が街歩きを始めた頃に、このベンチで出会った。
彼も、私のことは、あまり知らないだろう。私は、町はずれにあるパン屋の娘という設定になっている。それでもよかった。身分なんて関係なく、たまに彼とこうしてこのベンチで話せることが私には心地よかった。
彼は知らない。私が不名誉な噂をもつわけあり令嬢であることを、彼の前では私はただの町娘。気まずそうに会話をしてくる婚約者たちじゃない。噂に嘲り笑う人々でもない。
私をアリスとして見てくれる。
買ったドーナッツを分け合って食べて、町の話をすることがとても楽しかった。
ずっと楽しくしゃべっていたが、ふと頬に吹きつける風が冷たいことに気が付いた。町を見下ろせば、少しずつ漆喰の壁たちが、赤くなってきていることに気がついた。
もう、日が、傾きかけていた。
「そろそろ帰らないとね」
膝にこぼれたドーナッツのかけらを払いながら、立ち上がる。すると私の手をテオがそっと掴んだ。
「なぁ、アリス」
テオはただじっと私を見つめていた。つないだ手と、その眼差しに胸が高鳴るのを感じる。
「どうしたの……」
「あのさ俺、話があって……」
「なに……?」
何か、淡い期待が胸の奥で湧いてくる。
「俺、婚約者がいるんだけど」
期待は、はじけて消えた。
がらんどうになった胸に風が、冷たかった。心まで凍えそうだった。
「そ……そうなんだ」
下唇を噛んだ。私の声は震えていなかっただろうか。
もしかしら愛の告白かもしれない。もしそうだったら、この手を握り返そうってそう思っていた。一瞬でもそんなことを考えていた自分が情けなくて、恥ずかしくって、走って逃げだしたいほどだった。
それでも平静さを装って返事をした。
「今度、その人と会おうと思ってて……」
「へ……へぇ、おめでとう。よかったね」
ダメだ。泣くな。
もうこれ以上聞きたくない。
うつむくと、じんわりと靴の先がにじんでいく。
「でも、俺は、好きな人がいるんだ」
ああ、ダメだ。ぽたぽたとしずくが落ちていく。
もう限界と、手を振り払おうとした瞬間。ぐいっとテオに手を引かれる。気が付けば、私は彼の胸の中にいた。暖かい。お日様のような優しい匂いがした。
「君が好きなんだ」
愛の告白なら、手を握り返そうと思っていた。でもその手はもう私の背中に回り、優しく私を抱きとめていた。
「……婚約は破棄しようと思ってる。だから、そうしたら俺と……」
テオが大好きだ。愛している。同じ想いであることを知って、今、心の底から幸せで嬉しい。
愛の告白だから。両思いだから、彼を抱きしめ返そうと思っていた。
それなのに。
気が付くと、私は彼のことを突き飛ばしていた。
テオは後方に尻もちをつき、驚いたように私を見上げていた。
なんで、なんで私はこんなに嬉しいのに。こんなに怒っているんだろう。
「ねぇ、どうして……好きな人がいるからって、どうして婚約者のことをそんなに蔑ろにできるの?」
「えっ……?」
「婚約破棄された女性の気持ちを考えたことある?自分に全く非がないのに、運命の相手に出会ったとかそんな勝手な理由で一方的に関係を断たれる気持ちがアンタに分かる?!なんの事情も知らない赤の他人に、後ろ指さされて笑われるみじめさが理解できる!?できないわよね!!できたら最初からしないわよ!!金さえ払えば許されるって何よ!私の気持ちはどうなるのよ!!……色ボケ野郎!運命?ナニソレ……そんなの女の色香に騙されただけじゃない。最低よ!最低の浮気男!」
「ア……アリス」
「ご生憎様!私にだって婚約者いるんだから!きっとアンタよりお金あって、素敵で、かっこいい人だもん!今度会うんだからっ!」
吐き捨てて、私は駆け出した。
嬉しかった。とっても。運命の恋だと思った。
だからこそ、腹立たしかった。私と婚約破棄してきた人たちもこんな気持ちだったんだと知って。
私は婚約破棄のたびに、悲しかった。苦しかった。惨めだった。でもその裏で、みんなこんなに幸せだったなんて。ずるい。ずるい。腹立たしい。
家に帰って、ベッドでわんわん泣いた。悔しくて。
のんきに刺繍の進捗を聞きに来た父には、完成していたクロスかけを思いっきり投げつけてやった。
*
あの日以来。町にはいっていない。
あーあ。折角両思いだったのにもう会わせる顔もないよ。
今日は、婚約者の第三王子との初顔合わせだった。
もしかしたら王子もとっくに運命の人と出会って、最後の顔合わせになるかもしれないけど。
この日のためにあつらえたドレスを着て。王城の応接間に通される。
隣にいる父はぺこぺこと使用人たちにも頭を下げてほくほく顔で私をエスコートしていた。
はぁ、もう本当にどうでもいい。
応接間の前まで来ると、私だけが中に通されることになった。
父は父で、何かすることがあるらしく、別の部屋に通された。大方、婚約破棄の書類に署名でもしてくるのだろう。
応接間に入ると、窓際に男性が立っていた。後ろ姿に私は深くお辞儀する。
「初めまして殿下。私はアリス・フィルフィールドと申します。本日はお招きいただき光栄です」
「ああ……。これはこれは初めまして。テオルドと申します。堅苦しいのは大丈夫ですので。顔を上げてください」
テオルド殿下。この国の第三王子。どうせこの人に嫁ぐことはないのだ。普段なら尊すぎて、私なんかが近づくことなんて許されない存在。まじまじと顔を見れるのもこれが最後だろう。
いい機会だ。王族のご尊顔でもじっくと眺めてやろう。
そう思って、私はゆっくりと顔を上げた。
はたと、思考が止まる。
それはきっと相手も。
「ア……アリス?」
「テオ……?」
そこに立っていたのは、テオであった。髪はしっかりとポマードで固め、上等な服を着ているが、見紛うはずがない。
「え、なんで」
「アナタこそなんで……」
「いや。俺は婚約者と初顔合わせで」
「私もなんだけど……」
しばらくの沈黙ののち、先に全てを理解したのはテオの方であったらしかった。
彼は私の横をかすめて、急いで部屋を飛び出す。
「テッ……テオ、テオルド様っ!?」
なんということか、身分を隠していたのは私だけではなかった。
テオが第三王子?まさか。
婚約者って私のこと?でも、彼が好きだったのは私で……?でも、婚約は破棄されるから、えっと、えっと……?
もう頭の中がぐちゃぐちゃで、いてもたってもいられずに彼の後を追って部屋を出た。
廊下へ出ると、わーきゃーと向かいの部屋が騒がしいことに気が付いた。
戸を開けると、中はもうてんやわんやで白髪の男性とテオがもみ合っている。
流石に白髪の彼のことは分かる。国王様だ。
彼ともみ合うことができるなんて、本当にテオが第三王子ということ……?でも信じられない。あまりに尊い方たちの喧嘩のせいで、周りも止めるに止められない。私の父は隅の方で紙切れをもってあわあわ
していた。
「なしですなしっ!父上なしです!」
「だから、この婚約はなしにするんだろう!」
「ちーがーいーまーす!婚約破棄をなしにするんですっ!」
「意味が分からん!それにたった今、あの書類に署名してこの婚約はなしになったんだ!」
国王様が指さす先には、きょとん顔の父がいた。
テオはそれを聞くと、私の父の元へ駆け出して、彼の持っていた書類を取り上げて口の中に含んだ。
「バカ息子―!吐き出せ!」
「あわわ、これって私が不敬罪とかになります!?」
「むぐむぐ」
そのあまりの無秩序ぶりに、私は笑いだしていた。
大きな声で、恥じらいもなく。
テオは頬を膨らませたまま、こちらまで歩み寄るとがばりと包むように私を抱きしめた。
ごくりと彼の喉が鳴った。すっかりと婚約破棄の書類を飲み込んでしまったようだ。おかしくておかしくて笑いが止まらない。
「殿下……。私と婚約破棄されるんですよね。その書類がないと婚約破棄は成立しないですよ」
「いい!しない!君と婚約破棄なんて絶対にしない!愛してるんだ。俺と結婚してくれ……」
おかしくておかしくて、テオの声が情けなくって、私を包む腕の力は苦しいくらいで、私は泣きながら彼を抱きしめ返した。
泣きながら笑ってた。
何も知らない。王様と父だけが、顔を見合わせてこの状況に首をかしげるしかなかった。
*
後で、彼から聞いた話だ。
テオは私と同じように、身分を隠して城下町に息抜きに来て、私と交友をもった。
好意をもったまではいいが、パン屋の娘と自分で身分が違いすぎて結ばれない。
そこで不名誉な私の噂を利用して、これを「運命の恋」としたかったとのこと。私の婚約破棄で恋の成就率は今のところ百パーセント。ようは願掛けに使われたということだ。
いや、私の婚約をなんだと思ってるんだ。本当にそこは許せない。
しかし婚約破棄の書類は、すっかりと彼の腹の中。新しく作り直す気もテオにはさらさらないようで、今でも私たちは絶賛婚約中である。
だけど彼のプロポーズは保留中だ。
彼は毎日毎日、平謝りと愛の言葉で一生懸命私を口説き落そうとしている。
だけどまだまだ許さないし、絆されない。
今まで、いろんな婚約者からないがしろにされてきたのだ。もう少し私だって婚約者を振り回したっていいだろう。
でも、もしあのベンチで愛の言葉をささやかれたなら、少しは折れてあげてもいいかしら。
そんなことを考えながら、今日も彼を袖にする。
そして、彼のための花嫁修業が今は少し楽しかった。
FIN




