第7話 住居決め
ノアールと合流後、物件を五件ほど見た。
私は今まで、住む場所を「選ぶ」という行為をしたことがなかったからだ。
一件目は、貴族が住むような家だった。
門がある。庭がある。玄関が広い。
室内も広い。天井が高い。廊下が長い。
歩くだけで足音が響く。
(……迷子になりそうだ)
そう思った瞬間、ノアールが横で咳払いをした。
「今、迷いそうだと思っただろう?」
「……思ったけど、そんなわかりやすかったですか?」
「ああ、なんとなくな」
彼はそう言って笑う。
なんだか少し気恥ずかしい気持ちになった。
二件目も、似たような「貴族の家」だった。
応接間の机がやたら高級そうで、私は触るのを躊躇った。
ソファに座っていいと言われたが、座り方が分からない。
(こんなところで生活したら、剣を振るより先に疲れる)
私は室内を見回してしまう。
自然に、部屋の広さを測るみたいに視線が動く。
壁までの距離、天井の高さ、角の死角。
そして、うっかり口に出した。
「この広さなら、木剣を振り回しても問題なさそうですね」
言ってから気づいた。
(違う。そこじゃない)
ノアールが、堪えきれないみたいに肩を震わせた。
「はははっ……! 応接間に来て、言う台詞がそれか……!」
「笑わないでください」
「ふふっ、無理だろ」
そう言いながら、彼は笑っていた。
腹の底からというより、耐えようとして耐えきれない笑い。
それが少し悔しい。
「どうしてそんな感想になるんだ」
「……私の基準がそれしかないだけです」
「自覚はあるのか」
「まあ、あります」
私は少しだけ居心地が悪くなった。
それでも、嫌ではなかった。
笑われても、侮辱されている感じがしない。
ただ、面白がられているだけだ。
三件目が、集合住宅だった。
平民街のほぼど真ん中。
石造りの建物が並ぶ路地の奥にあって、階段は急で、廊下は少し暗い。
でも、妙に落ち着いた。
扉を開けると、一室。
寝台を置いて、机を置いて、棚を置いて。
それでも余裕がある程度の広さ。
(……十分ね)
寮の部屋より少し広い。
窓から見えるのは隣の建物の壁だけど、空気の匂いが生活の匂いだ。
料理の匂い、洗濯の匂い、子どもの笑い声。
外に出れば店がある。
定食屋も、パン屋も、小さな雑貨屋も。
ちょっと歩けば市場があるだろう。
ここなら問題なく暮らせるかもしれない。
そう思ったが……。
胸の奥が、微妙に動かなかった。
満足するはずなのに、何かが足りない気がした。
四件目は、また貴族の家だった。
三階建てで、私が一人で住むには、もはや罰ゲームみたいだった。
五件目、最後に案内されたのが、今いるこの家だ。
二階建て。
一階に、広めの居間。二階に二部屋。
小さな庭もある。
貴族の屋敷ほど大げさじゃない。
でも、平民の集合住宅よりずっと広い。
窓から差す光が、やけにきれいに見える。
私は庭に出て、土を踏んだ。
柔らかい。湿り気がある。
小さな花壇があって、雑草も少し生えている。
(……ここで鍛錬ができるな)
また剣のことを考えている。
自分で自分に呆れる。
でも、それは悪いことじゃないとも思う。
剣は私の一部だ。捨てる必要はない。
ただ――今度の生き方は、剣だけにしない。
私は庭から室内へ戻り、居間の中央で立ち止まった。
天井を見上げ、壁を見て、床を見る。
安全確認みたいに、部屋を丸ごと把握してしまう。
その時、ノアールが欠伸を噛みしめているのが目の端で捉えた。
しまった、時間をかけすぎてしまっている。
「ノアール、長い間付き合わせてすみません。つまらなくないですか?」
私が思わず聞くと、ノアールは即答した。
「いや、楽しいよ」
「……どこがですか」
本当に分からなかった。
家を見るのが楽しいのは私だけだと思っていたから。
ノアールは私の方を向き、さらっと言う。
「君の反応が面白い」
「反応?」
「そう。貴族の家を見るたびに、いちいち大袈裟に部屋を見渡すだろ」
「……してましたが」
「ああ、あと」
ノアールが指を折る。
「『この部屋なら木剣を振り回しても問題なさそうだな』って真顔で言うところ」
私は一瞬、固まった。
自分の頬が熱くなるのが分かる。
「……言わないでください」
「言うさ。君は良い変化をしているが、やはり変わらないところもある。もちろんそれも良いことだ」
面白い、と言われるのが恥ずかしい。
でも、嫌ではない。
私のことを知っているノアールに言われるからだろうか。
私は咳払いをして、視線を逸らした。
「まあ、それならよかったです」
「何が?」
「ノアールが、つまらなくないなら」
ノアールが一拍置く。
それから、少しだけ声が柔らかくなった。
「気にするな。俺が勝手にやってることだ」
勝手に。
その言い方が、少しずるいと思った。
恩を感じすぎるな、と言われているみたいで。
でも、私は恩を感じてしまう。
ノアールが資料をぱらりとめくりながら言った。
「で、どこがよかった?」
私は五件を思い出した。
貴族の家のように大きすぎる家は論外だ。
住む前に迷子になる。
掃除のことを考えただけで息が詰まる。
残るのは――三件目の集合住宅か、今いる一軒家。
私は少し迷った。
集合住宅の部屋は、一人暮らしには十分だ。
家賃も安い。平民街の真ん中だから、店が多い。
定食屋もいくつかあった。
先日の定食屋のような店が、きっと他にもある。
でも……正直、寮の部屋と大差がない。
少し広くなっただけ。変わり映えがしない。
私は、また同じように「最低限」の生活をしてしまう気がした。
それが少し怖い。
今いるこの家は大きい。
一人暮らしには持て余す。
だけど庭もあって、雰囲気が良い。
家賃は少し高いが、でも払える。
第二騎士団の給金なら問題ない。
立地も悪くない。平民街と貴族街の境目。
務めている騎士団本部にも近い。
(……どちらがいいか)
私は息を吸って、吐いた。
そして、正直に言う。
「考えているのは、三件目の集合住宅か、今いるこの一軒家です」
「ほう」
ノアールは少し考える顔をした。
「悩んでいるか?」
「はい」
私は、素直に頷いた。
悩むこと自体が、新鮮だった。
今までなら、決める必要がなかったから。
ノアールは迷いなく言った。
「それなら、俺の考えとしてはこの一軒家がいいと思う」
「……理由は?」
ノアールは資料を閉じ、部屋を見回した。
「広く立地もいい。君が今までの生活を変えたいなら、こっちだろ」
あっさりした言い方。
でも、的確だった。
私は苦笑しそうになった。
まさに、その通りだと思ったからだ。
三件目の集合住宅は、居心地がよかった。
だけど、あまり変わらない未来が見える。
私はまた、最低限で満足してしまうかもしれない。
私は少し眉を寄せた。
「……でも一人暮らしで、ここまで大きな家は掃除するには広いし、家事には自信がありません」
言ってしまってから、少し恥ずかしかった。
剣なら自信がある。魔物なら斬れる。
でも掃除と料理は、よく分からない。
「騎士団の仕事で、家に長くいられるのは休日くらいです。休日に家事だけで時間が潰れるのは本末転倒でしょう」
真面目に言うと、ノアールは当然のように言った。
「人を雇えばいいだろ」
「……人?」
「メイド。週二くらいで掃除してもらえば問題ない」
私は目を瞬いた。
その発想は、私の頭になかった。
(……雇う)
ノアールが貴族だからこそ出る言葉だ。
でも、確かに。
週二くらいなら金も払える。
自分より確実に家事が上手い。
掃除のやり方が分からなくても、ほとんどを任せられる。
「確かに」
「だろ」
ノアールがさらっと続ける。
「ただ、今から信頼できるメイドを探すのも面倒だろうし、うちのメイドを紹介しようか?」
「えっ」
私は思わず声を出した。
そんなに簡単に言うことなのか。
「い、いいの?」
「もちろん」
ノアールは当たり前のように頷いた。
「何か要望はあるか? 同い年くらいがいいとか、話し相手ができるメイドがいいとか」
「要望……」
私は少し考えた。
同い年? 話し相手?
そういうのは、よく分からない。
けれど、ひとつだけは分かった。
昨日、定食屋で知ってしまった。
あの温かさ、美味しさ。
それが、確実に生活を変える。
私は小さく息を吐いて、言った。
「……料理が上手いメイドさんは、いますか」
言った瞬間、ノアールが固まった。
私はしまったと思った。
また変なことを言ったかもしれない。
だが次の瞬間、ノアールはふっと笑った。
「ははっ、そうだな。そこは大事かもな」
笑いながら、頷く。
「何人かいる。手配しよう」
「……ありがとうございます」
私は、自然に笑ってしまった。
自分でも驚くくらい自然に。
ノアールは少しだけ視線を逸らし、咳払いをした。
「……おう」
短い返事で、妙に照れ臭そうな声。
私は不思議に思った。
照れる理由が分からない。
でも、そこを聞くのは野暮な気がした。
私はもう一度、家の中を見回した。
ここが、自分の場所になるかもしれない。
胸の奥が、少しだけ震えた。
怖さと、期待が混ざった震え。
(……変わる)
変わるのは、少し怖い。
でも――きっと、怖いままでいい。
私は、剣を握る時だって怖かった。
怖いまま踏み込んで、ここまで来たんだから。
私は、ようやく自分の人生を選び始めた。




