第19話 三人で夕食を
ルイーゼ嬢に連れられて数時間。
とても美味しい昼食を食べた後、彼女は当然のように言った。
「夕食もご一緒しましょう!」
気づけば私はドレスに着替えていた。
貴族御用達の高級料理店に行くから、正装が必要――そう言われて、仕立て屋に連行されて。
(私は騎士だ。ドレスでは戦えない)
そんな当たり前の抵抗は、ルイーゼ嬢の「戦う必要はありませんわ」で切り捨てられた。
切り捨てられたが、言い返せなかったのは――たぶん、料理の「おすすめ」という言葉に私が抵抗できないせいだ。
そして、今。
馬車に乗り込もうとした、そのタイミングで――ノアールに会った。
「リュシア?」
聞き慣れた声。
振り返った瞬間、私は少しだけ固まった。
(……見られた)
あまり着慣れていないドレス姿を、ほぼ唯一の知り合いに見られた。
恥ずかしい、確かに恥ずかしい。
でも、ノアールは目を見開いて――次の瞬間、言った。
「いや! 似合わないなんてことはない。綺麗だよ、リュシア」
胸が一瞬、熱くなった。
恥ずかしさと、別の感情が混ざって、うまく整理できない。
「……そうか。ありがとう」
短く返したのに、心臓がうるさかった。
ルイーゼ嬢にも似合うと言われた。
だが、ノアールに言われた方が――なぜか嬉しく感じた。
(なぜだ?)
少し考えて、結論を一つに絞る。
(……友達だからか)
その瞬間、存在感を消していたルイーゼ嬢が、すっと前に出た。
「ノアール・レイモンド様。ご機嫌よう」
ルイーゼ嬢が綺麗に一礼する。
ノアールも、貴族としての顔で返した。
「ご機嫌よう、ルイーゼ・ローディア嬢。先日の事件後、身体に問題はありませんか?」
「ええ。とても元気ですわ」
二人は社交界で何度も顔を合わせているのだろう。挨拶が滑らかだ。
私はその横で、少しだけ居心地が悪かった。
ドレスのせいではない、たぶん。
ルイーゼ嬢が、にこやかに私とノアールを見比べた。
「失礼ですが……お二人のご関係は?」
私は固まった。
(関係……)
ノアールとの関係。
深く考えたことがない。
知り合い? 顔見知り? 協力者?
住居を探すのを手伝ってもらって、一緒に食事に行って、世間話をして。
(……何だろう、それは)
言葉にしようとすると途端に難しい。
私は答えを探して視線を泳がせた。
するとノアールが、少しだけ間を置いて言った。
「……友達だよ」
その一言が、すっと胸に落ちた。
友達、友達か。
知り合いよりも上。顔見知りよりも近い。
温かいものが胸の奥に残った。
私は小さく頷いた。友達だ、うん、そうだと思う。
ルイーゼ嬢は「そうですか……」と、妙に含みのある声を出した。
そして次の瞬間、小声でぶつぶつと呟き始める。
「私の調べでは、リュシア様が唯一自ら喋りかけに行く男性で、とても仲が良く……レイモンド家から使用人を派遣している……ふふっ、今後のために仲良くなっていた方がいいですね」
私はほとんど聞き取れなかった。
聞き取れなかったが、妙に危ない単語だけが耳に引っかかった気がする。
(調べ? 派遣? 今後?)
私は何も言わないことにした。
言うと藪蛇になる気がしたから。
ルイーゼ嬢は何事もなかったように顔を上げ、にっこりと笑った。
「ぜひ仲良くしましょう、ノアール様。私はリュシア様に助けられたので、お礼をしている最中ですわ」
ノアールが少し苦笑した。
「そうですか。リュシアはお礼は受け取れないと言って、大変だったでしょう」
「ええ、その通りですわ。さすがノアール様。リュシア様のことをよくおわかりで」
ノアールはさらっと言った。
「まあ、あなたよりも付き合いが長いので」
ルイーゼ嬢の笑みが一瞬だけ鋭くなる。
気のせいかもしれない。
だが次の言葉が、少しだけ意味深だった。
「ふふっ、そうですわね。……今は、ですね」
「……」
「……」
沈黙が落ちる。
私は二人を見比べて、素直に言った。
「二人は仲が良いんだな」
心の底からの感想だった。
だが――なぜか二人とも一瞬固まり、同時にため息をついた。
ノアールが額を押さえるように言う。
「……まあ、リュシアだからな」
ルイーゼ嬢は頬を赤らめて、手で口元を押さえた。
「さすがリュシア様ですね。そんなところも大好きですが……きゃっ」
「……?」
私は二人の言うことがよく分からない。
なぜため息をつくのかも、なぜルイーゼ嬢が赤くなるのかも。
ルイーゼ嬢は咳払いをして、話を戻した。
「ノアール様。よければご一緒に夕食はいかがですか? あなた様がいれば、リュシア様も嬉しいと思いますが」
ノアールが私と視線を合わせてくる。
私は小さく頷いた。
(……三人なら、変な緊張もしない)
いや、さっき褒められて心臓が跳ねたせいで、すでに緊張している気もするが。
ノアールは少し照れ臭そうに言った。
「お二人がよろしければ、俺もご一緒させていただきます」
「ええ! 決まりですわ!」
ルイーゼ嬢の勝ち誇った声で話は決まった。
――そうして三人は馬車に乗り込み、高級料理店へ向かった。
到着した建物は、私の知っている「店」の範囲を越えていた。
入口の扉が大きい。外壁が綺麗すぎる。
窓ガラスが街灯を弾いている。
(……第一王子の護衛なんかよりも緊張するな)
中へ入ると当然のように個室に案内され、扉が閉まった。
私は椅子に座ってから、落ち着かない自分に気づいた。
背筋を伸ばし、手の置き場を探し、視線が皿やカトラリーに落ち着かない。
(どんな料理が来るんだろう)
考えて、すぐに自分で自分に呆れた。
落ち着かないと、騎士なのに。
そんな私を見て、ノアールがくすくす笑った。
「落ち着け、リュシア。料理は逃げないから」
私は一瞬で耳が熱くなるのを感じた。
「……私はこんなところ初めてだから、緊張するのは当たり前だろう」
少し揶揄うような笑みに腹が立つ。
だがノアールは、あっさり頷いた。
「そうだな」
そして、少しだけ声を柔らかくする。
「綺麗な姿で俺も慣れていなかったが、リュシアらしくて安心するよ」
「それは褒めているのか?」
「ああ、褒めてる褒めてる。大絶賛だ」
「……そうか」
よくわからない。だが気恥ずかしい。
私は視線を逸らして、机の端を指で軽くなぞった。
その向かいで、ルイーゼ嬢が小声で呟く。
「リュシア様可愛い……ダメ、押さえないと……」
「……?」
何を言っているのかはわからないが、楽しそうだからいいか。
料理は、確かに逃げなかった。
むしろ次々に来た。前菜、スープ、魚、肉。
「……美味しい」
思わず声が漏れると、ルイーゼ嬢が幸せそうに目を細めた。
「でしょう? でしょう?」
「はい」
私は正直に頷いた。
昼もたくさん食べたのに、夕食も美味しく食べられてしまう。
最後にデザートが出てきた時、私は内心で小さくガッツポーズをした。
(最高だった……)
食後、店を出ると夜気が肌に触れた。
街灯の光が、店の外壁を柔らかく照らしている。
私はルイーゼ嬢へ向き直り、改めて言った。
「……ありがとうございました。今日一日で、お礼は十分です」
ルイーゼ嬢はすぐに首を振る。
「お礼に連れてきたのはこちらですので。まだまだ足りていませんわ」
「足りています」
「足りていません」
また押し問答になりかけて、私はため息を飲み込んだ。
今日はもう勝てない気がする。
ルイーゼ嬢がぱっと表情を変えて、上品に言った。
「私は先に失礼しますわ。お帰りはノアール様、お任せしますわ」
ノアールが一礼する。
「……ええ、お任せください」
私は反射で言った。
「私は騎士だから、一人で大丈夫ですが」
ルイーゼ嬢の目が、すっと真面目になる。
「いいえ。リュシア様は女性ですし、今はドレス姿。今襲われたらどうなるかわかりません」
私はそこで、ようやく自分の格好を思い出した。
(……そうだ)
走れない。蹴れない。
私はドレスの弱点を、今さら理解して少しだけ悔しくなった。
ルイーゼ嬢は少しもたついてから、言い出しにくそうに口を開いた。
「最後に……リュシア様。お願いがあります。その、許さるのであれば」
「なんでしょう」
ルイーゼ嬢は息を吸って、一気に言った。
「ぜひ、お姉様とお呼びしてもよろしいですか!?」
「……はい?」
意味が分からなかった。
なぜお姉様なのか。
だが、彼女は本気で呼びたそうにしている。
まあ、特に支障もない。
私は少し考えて、頷いた。
「……好きに呼んで構いません」
ルイーゼ嬢の顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます! お姉様!」
(早い)
すぐ呼んだ。
そして満足そうに胸の前で手を握りしめた。
「ほんとうにありがとうございました」
その後、ルイーゼ嬢はノアールに近づき、何かを耳打ちした。
私には聞こえない距離。
ノアールの顔が一瞬、固まって、そして微妙な顔になる。
ルイーゼ嬢はにっこり笑って、最後に優雅に言った。
「では、ご機嫌よう」
馬車へ乗り込み、夜の通りへ消えていく。
私はその背中を見送り、ノアールを見る。
「……今、何を言われたんだ?」
ノアールは少しだけ目を泳がせてから、咳払いをした。
「……まあ、敵じゃないってことを言われた」
「えっ。二人は敵同士だったのか?」
「いや、違うが……」
ノアールは微妙な顔のまま、言い直す。
「……今後は仲良くしようってことだ」
「そうか」
よく分からない。
だが――今日は楽しかった。
美味しいものを食べた。
誰かに、ノアールに「綺麗だ」と言われた。
そして、それを嬉しいと思ってしまった。
夜の道を、ノアールと並んで歩きながら。
私はふと、口元が少し緩んでいることに気づいてしまって、慌てて咳払いで誤魔化した。




