結婚願望がないという苦行
発言がちょっとだけ下品ゆえのR15です。
作品内にエイセクシャルという単語が出てきますが、正しくはアセクシャルです。
この作品では語感を優先してエイセクシャルと表記しています。よろしくお願いいたします。
エイセクシャルという性指向を知っているだろうか。
簡単に説明すると男にも女にも性的欲求を感じない人間のことだ。日常生活に支障はないし、ともすれば異性嫌いで話が片付いてしまうので本人も自覚しにくい性自認である。他人との関わりで本人が自身の心的反応を確認しながらようやく判明することとなる。
つまり私のことである。
「カルロベローチェ、婚約を白紙にしたい」
生きづらい世界に生まれてしまった。
異世界は中世ヨーロッパに近しい価値観のお国柄。そこの貴族家に生まれて早14年。
婚約者にそう言い渡されるのもまあ、致し方あるまい。正直婚約を整えた大人が悪いとすら思う。
私は男にも女にも恋愛感情が抱けないエイセクシャルである。性的なものすべてに嫌悪感を持つわけではない。なんだったら官能小説や漫画などの読み物は好きだ。
だがそれを自分が体験するとなると気持ち悪いとしか感じられなくなる。
自分がエイセクシャルと知らなかった頃はよかった。誰も好きになれずとも誰か自分を好きになってくれる人と結婚すればいいと思っていた。だがいざ告白されてお付き合いを始めると嫌悪感との闘いが始まった。家まで送ると言われてついてこられたときは迷惑でしかなかった。話題もなく、ずっと一緒にいる苦痛。食事をすれば割り勘でなく奢られる罪悪感。好意を寄せられているのは分かっているが騙されているのではという猜疑心を捨てられずずっとストレスが付きまとい、週一でくるメールが嫌で仕方なかった。「好きな相手じゃないからだよ」と友人がアドバイスをくれるが好きな相手そのものができない。
そんな人間が中世ヨーロッパをモチーフにした異世界に侯爵令嬢として転生する。
つまり生き地獄である。
せめて低位貴族であれば侍女や女官になれたものを。幼少期にできた婚約者に付かず離れずの距離感で付き合いを続けるも周囲のほほえまし気な視線がじわじわと心を苛む。別に仲がいいわけでも好意抱いているわけでもない相手なのに『仲がいいわねぇ』と見守られる雰囲気が自分を戒める楔のように感じる。
そういう感情がどうしても滲み出て婚約者である王子バルダッサーレにも伝わっていたのだろう。度々困惑した顔を向けられていたのを見ないふりをしてきてここまできた。
「君とは縁がなかった。決して君が嫌いだというわけではないのだが」
「ええ、分かっております。全ては私の性故のこと。今まで大変申し訳ございませんでした」
「君を嫌ってのことではない。むしろ友人として君を好ましく思っているくらいだ。だがこれからの人生パートナーとしてずっと歩んでいけるかといわれると難しいと感じた」
「わたくしも同じ気持ちです」
「私にできることがあれば言ってほしい。できる範囲の支援をしよう」
「殿下に非はないと思いますがお言葉に甘えさせていただいてもよろしいですか?このまま家にいてはまた新たに縁談を望まれてしまいますので隣国へ留学したく存じ上げます」
「確かに。君に結婚は難しいだろうな。希望通りになるようにしよう」
「ご負担をおかけして申し訳ございません。よろしくお願いします」
父にも母にも情はある。他の貴族家と比べても随分目をかけてもらったほうだろう。
だが結婚が女の幸せという強固な価値観はどうしても相いれない。心底申し訳ないがここでさよならしたほうが互いに幸せなことだろう。
殿下のお力添えのおかげで家族に真意を知られずに隣国へ移住することができた。そこの大学で魔導について好きなだけ勉強し、研究し、論文を出すようになって生計を立て始めた。
前の世界にはなかった誰の身体にも宿り、操れるエネルギー源。実に興味深く、生前は特に研究職についていたわけでもないのにいつの間にかこの道を歩いていた。科学技術を享受していた人間の視点というのはなかなか得難いものだったらしい。今は手に入りにくい薬草を恒常的に長期にわたって生育するための温室を作る研究をしている。
土木や流通関係は軍事転用されるかもと思うと手が出せないし。
何度か両親や跡取りの兄から帰省するように促されたが「結婚しなくていいのならば」という条件を突きつけると話題をそらされ、建前を作られ、というやり取りを繰り返された。
二十代半ばを過ぎると手紙も止んだため一度里帰りをすると王子は王子妃を迎え、幸せそうに出迎えてくれた。王子妃は恋愛感情を持てぬ私をひどく憐れんでくれたが嬉々として研究内容を語ってみせるとげんなりとした顔で「あなたは魔導が恋人なのね」とこぼした。確かにと納得してこれからそのセリフを使ってもいいかと許可をとると疲れた顔で頷いてくれた。
苦笑いの若夫婦に見送られて実家に顔を出すと複雑な顔の兄夫婦と両親が出迎えてくれた。名を揚げて帰ってきた娘に対して第一声が「相手は?」だ。元気よく「いませんし、いりません」と返答する。
なんせ魔導が恋人なので!
早速王子妃から賜った言葉を披露すると盛大なため息の大合唱が上がってにんまりする。
「何が不満なのだお前は」
「すみません。自分の秘所に異物が入るということ自体に嫌悪感がありまして。痛そうとか汚いとか気持ち悪い以上の気持ちをもてません。そもそも他人の男性の体温を感じた時点で本当に気持ち悪いです。顔の造り関係なく」
「言い方~~~~~~」
貴族の仮面をかなぐり捨ててもだえる父親に母親は顔を覆い、兄は頭を抱える。兄嫁は困った顔をしながら「子どもができたら変わるかもしれないわよ」と口添えする。
「できてやっぱり無理でしたなんてできます?そんな博打誰も幸せになりませんよ?」
「それは………そうね」
「私だって赤ちゃんを痛めつけたい願望なんてありませんけど四六時中泣き叫ぶ望んだ覚えもない子供に愛情を抱ける自信はありません」
「乳母や侍女に任せればいいだろう」
「そうですね。旦那にも子どもにも愛情を注げぬ女がどんな扱いを受けるかは知りませんが。旦那に愛人が出来ても文句をいう資格はありませんし、使用人に育て上げられた子どもの情緒が真っ当に育つか疑問ですし、そんな女主人に使用人が熱心に世話を焼いてくれるとも思えませんが」
「そこまでわかっているなら努力してくれよ」と兄がぼやく。
「だから努力しているでしょう?周囲からの誹謗中傷も甘んじて受け入れ、独身でい続ける覚悟を私は14歳の時にしました。結婚自体できぬ人間だと自分に烙印を押しているのです」
「だがそれが貴族の義務だ」と、父が苛立たし気に言う。
「はい。なのでそれ相応の成果は出しました。ですよね?」
「~~~~~~!」
もう会話もしたくないと言わんばかりの形相をする父にちくりと心が痛む。
「私もお二人に育てられた手前最大限の努力はしました。殿下を好きになるように気持ち悪いと思っても口に出さずに腕を取ってエスコートを受けましたし、煩わしいと思ってもちゃんと手紙に返信しました」
「不敬だぞ!」
立ち上がり怒鳴る父を真っ直ぐ見上げる。
「わかっています。わかっていても口をついて出そうになる言葉を必死で堪えてきました。そしてもう無理だと思ったタイミングで殿下から申し出がありお受けしました。殿下は私が結婚のできない人間だと私からの言葉がなくとも長年の付き合いで察してくれていたのです。家族が目を逸らしていた事実を」
沈黙が漂う。
恋情を抱けぬだけならバルダッサーレも知らぬ顔をしていただろう。だが彼との交流をひたすら周りからほほえまし気に見られたり、お膳立てされたりすることに「私が望んだことではないのに!」と心が悲鳴をあげていた私にたびたび違和感があったのだろう。もちろん淑女教育を受けていたので機嫌を取り繕い、表情にも態度にも出したことはない。
好きな花などないのにバラが好きだといい、ドレスや装飾品を眺めるのは好きだが自分で身に纏うことには興味がない。
上っ面ばかり淑女を装ってきた私の実態を彼だけが気づいた。ストレスが爆発寸前で自分でも何をしだすかわからなくなっていたところで破談という救いを齎してくれたバルダッサーレに心からの忠誠を捧げた。
「私にこの立場は分不相応だったのです。ご期待に応えられなかったことは本当に心苦しいと思っています。ですが今私は心からこの立場が愛しいと思っております」
私は深々と頭を下げた。
「ごめんなさいお父様お母さまお兄様。不甲斐ないわたくしをお許しください。皆様にご迷惑をおかけして申し訳ないと思いますがこれが私の限界です」
はぁああああ。
深い父のため息が響き、ソファーに座りなおす気配があった。
「これがお前の幸せなのか」
「はい」
「誰もがお前を蔑む。誰もお前を顧みない。誰もお前の死を悼まない」
「はい」
「私はそれが悲しいよ」
顔をあげると父が眉尻を下げて私を見ていた。父の眼差しに嘘はなかった
「ならば養子を迎えましょう」
「養子ならばお前は受け入れられるのか」
「はい」
「わかった」
ここが妥協点か。
死後、自分の墓に誰のおとないがないのもさみしいと少しでも思ったため前々から考えていたことを提案した。
まあ、貴族である父にそういった隙をみせればそこをついて年頃の男性を送り込まれるのはちょっと考えればわかっただろうに。
ははっ!いやぁそうきたか。
「お義母様!」
あちらの誤算としては趣味が合いそうな相手を選んだつもりでガチ研究者を養子にしたことだろう。
「ここの実証実験についてですがこの薬品を用いるのはどういう意図なのでしょう」
「ああ、この薬品はここの工程でこの反応が起きないようにするためのもので」
楽しい。
職場に戻り、義理の息子と共に研究に明け暮れる日常は朝も夜もなく研究、実験、反省、検証が繰り返される。父が想定したものとは違った充実した新生活を送っている。
義息子は時々思い出したように口説き文句をいうが時々こちらがびっくりするほどの失言もするので一種の娯楽として聞き入っていた。
どの領地の茶葉が好きかとどの体位が好きかを同じ席で聞くことになるとは面白いなぁ。話を聞くとどうも男友達と酒の席で男女の付き合いに性志向の擦り合わせは大事だと吹き込まれたらしい。その男友達はこの子の朴念仁っぷりを把握しきれてなかったんだな。
義息子の素直すぎる性格はどこか小動物染みてかわいらしいと同時に周りを驚かせるようなうっかりを犯すギャップがあって見ていて楽しい。
だがいつまでもこのままというわけにもいかない。
そろそろ彼自身の婚活事情に支障が来たすだろうタイミングでよさげな知り合いを紹介してゴールインを見届けた。
そのころには実家とは疎遠になり、私自身が後ろ盾になれるぐらいの権力は手にできていた。三十路も近くなり実家も諦めたようで音沙汰もない。それを寂しくも思いながらもおだやかに日々を過ごした。
今は偶に養子が子どもを連れて訪れてくるのを楽しみに静かに隠居生活を送っている。