3. ラムネで吹っ切れた悪役令嬢
「チヨコ……?」
お婆様はスモックのようなものをお召しになっていて、白い髪を後ろで一つにまとめていた。
慌てふためているナナさんと、あらあらと驚いているお婆様。
「あ、あーしの、下の名前。七瀬は名字」
「なるほど、ファーストネームでしたの」
「……わ、笑わないの?」
先ほどまでの元気さはどこへ行ったのか、恥ずかしがっていまして。ファーストネームを知られたら笑われてしまう文化なのかしら。異世界って難しいわ……。
「申し訳ありませんが、この国の文化についてよくわかっておりませんの……」
「あ、そっか外国人だもんね。ええと、別に文化とかそーゆー難しいんじゃなくて、名前がちょっとダサいだけ」
ダサい……とは一体。とりあえずいい意味ではなさそうですけれども。流行りにのれていないような感じかしら。
「彼氏にそれが理由で振られたりしちゃってさ!」
あははと頭を掻くナナさん。その彼氏とやら、名前だけで振るなんて酷すぎるわ。こんなに素敵な方なのに。
……それでも明るいナナさんに比べて、婚約破棄で泣いている私のなんと見苦しいこと。
「千代子ちゃんは素敵なお名前よ」
「ありがと、ウメコさん」
下から声がしたので見てみると、少し遠くで黙って見ていたお婆様がいつのまにか側に来ていて。こうしていると、なんだか私の背が高くなった気分ですわ。
「あら、外人さんだわぁ。I can’t speak English!」
「ウメコさんFテレの英語番組よく見てたもんね」
「I can’t speak English!」
ア、アイキャントなんですって? イングリッシュとは?
お婆様はニコニコとそう連呼していますが、私には何のことだかさっぱりわからず。
「あれ、もしかして英語わかんない?」
「何を仰っているのかさっぱり……」
「だって、ウメコさん。ドンマイ!」
ほんの少ししょんぼりされたお婆様と励ますナナさん。
異世界に飛ばされて、ナナさんに連れられ、今度はお婆様に知らない言語で話しかけられて……。異世界ってこんなに大変なのね。
……私、何をしているのかしら。なんて、ついていけない状況にふと我に返りまして。
「それにしても、あなた日本語がお上手ねぇ。フランス人形みたいだわぁ」
「確かに! 何かに似てると思ってたんだよね。このドリルみたいなカールとかパナい!」
純粋にこんなことを言われたのはいつぶりかしら。侯爵令嬢としての私に取り入ろうとせず、本心で褒められるなんて。
「あ、それで、やな奴らにこんにゃくはき? されてどうしたの? なんでお嬢様があんなとこにいたん?」
先ほど乾杯したラムネを飲んで、思い出したように本題に戻ろうとするナナさん。いつのまにかお婆様も黄色い箱の上に座っていてまして。
グラスに注がずに飲むなんて新鮮だわ……私も習って一口。しゅわしゅわと甘く爽やかで……美味しい。
「うまいっしょ?? やっぱお嬢様は飲んだことないよね!」
こ、この世界の人々は、こんな神が飲むようなものを常日頃から飲めるというの??
はしたなくも、もっと飲もうとすると、なぜか出てこず。欲張るといけないという戒めなのかしら……。
「ベア、ラムネはこう真っ直ぐにしないとビー玉が引っかかちゃうよ。こんな感じで!」
ナナさんが実演してくださったので、その通りにしまして。飲める、飲めるわ。
「ぷはっ!」
「お、いい飲みっぷり!」
気分爽快ってこういうことを言いますのね。
婚約破棄された衝撃も、わけわからない世界も、次々と目まぐるしい今も、全部この神水で吹っ切れる気がしますわ。
「婚約破棄された後、私、身一つでここに放り出されましたの。衣食住求む、ですわ!」
ナナさんの『もう終わったことじゃん』の通り、私に今必要なのは、生きるために必要なものでしてよ。