第9話 闇の中で蠢く者
夜の帳が降り、シルヴァンデール家の館は静寂に包まれていた。
広大な敷地に立つ館内には様々な部屋があるが、そこには図書室もあった。
室内の壁一面を覆う巨大な本棚は、無数の書物でぎっしりと埋め尽くされている。
また所々に梯子が取り付けられており、高い場所の本も簡単に取り出せるようになっていた。
レオンは、今そこに来て調べものをしていた。
机に向かい、様々な書物や文書を広げている。
一旦死んでから過去に回帰するという、己が体験した不思議な現象に関して、図書室で詳しく調べているのだった。
魔導書や古文書などを参照して、時間の操作、死者の蘇生、不死の薬などといった項目を見ていった。
しかし、いくら調べてみても、有力な情報は見つからなかった。
「特に手がかりは無しか……」
レオン自身も、死から再生して時を遡るという様な現象は、これまで聞いたことがなかった。
「こちらにいらっしゃるのは珍しいですね、レオン様」
レオンが振り向くと、声を掛けてきたのは執事のエリックだった。
シルヴァンデール家の忠実な家臣であり、信頼できる人物である。
彼は手に数枚の報告書を持っており、それをレオンの前に置いた。
「ブラッドウィン家の現状について、まとめてあります。お役に立てば幸いです」
「ああ、ご苦労だった」
彼はそれら一枚一枚を丁寧に読み進めた。
報告書の情報には、ブラッドウィン家の現当主ダリウス・ブラッドウィンを中心に詳しい調査がまとめられていた。
家族構成、商業活動をはじめとした最近の動向、また繋がりの深い貴族たちなどが詳述されている。
——ブラッドウィン家と繋がりの深い人間は、全て敵と見て疑うべきだな。
書類をめくりながら、彼は考えを巡らせる。
「さらにブラッドウィン家の内情を探りたい。仕事を頼めるか?」
「かしこまりました。具体的にはどのような情報を?」
レオンは少し考え込んだ後、静かに答えた。
「まずはブラッドウィン家の事業内容を探れ。特に、どのような取引や投資を行っているのかを詳しく知りたい」
「かしこまりました」
「それから、ブラッドウィン家と敵対したり恨みを持ってたりする諸侯や都市がないかも調べるんだ」
「承知しました。すぐに手配いたします」
エリックは一礼すると、歩いていった。
そしてレオンは、また書類に目を通していく。
「次こそは、お前らの好きにはさせん」
書類をめくりながら、彼はつぶやくのだった。
◇◇◇
港町の夜は、幻想的な美しさと静けさに満ちていた。
遠くの灯台がゆっくりと光を放ち、船乗りたちに安全な帰港を知らせている。
港には様々な船が停泊していた。
貿易船、漁船、さらには冒険者たちの船まで、その多様さがこの町の活気を物語っていた。
市場では、遅くまで営業する屋台が軒を連ね、新鮮な魚介類や異国からの珍しい商品が並べられている。
そんな港町にそびえ立つブラッドウィン家の館は、その重厚な存在感で人々の目を引いた。
高い石壁に囲まれた敷地は、外部からの視線を遮断し、内に秘めた権力と富を象徴しているかの様である。
館自体はゴシック様式の壮大な建築物で、高い尖塔や大きな窓が特徴的だ。
ブラッドウィン家の当主、ダリウス・ブラッドウィンの執務室は、豪華な家具が並び、机の上には地図や書類がきちんと整理されていた。
ベルベットのカーテンが窓を覆い、部屋全体に重厚な雰囲気をもたらしている。
そして今、ダリウスは大きなデスクの後ろに座り、対面には町のギルドリーダーが立っていた。
「本日はどうされましたかな?」
「ダリウス様、単刀直入に申し上げます。ブラッドウィン家による、数々の不法行為の証拠を掴みました」
ギルドリーダーの顔には、決意の色が浮かんでいる。
同時に、その目には僅かな緊張も見える。
「ほう、それはまた単刀直入ですな」
「我々ギルドは、これ以上見過ごすことはできません。あなた方には責任を取ってもらいます」
ダリウスは冷静な表情で相手を見つめる。
彼の手はデスクの上で組まれており、その指先は微かに動いている。
「なるほど、ご用件は分かりました。しかし、その証拠とやらは確かなものなのですか?」
ギルドリーダーはポケットから一枚の書類を取り出し、デスクに叩きつける。
書類には取引の詳細や関与した人物の名前が記されていた。
「これがその証拠です。ブラッドウィン家の関わった密輸活動や奴隷売買の記録だ。このままでは、ギルド全体が危険にさらされる」
ダリウスは書類を一瞥し、冷淡な笑みを浮かべる。
「なるほど。よく調べたものだ」
ギルドリーダーは眉をひそめる。
「では、お認めになるのですね?」
「その正義感や働きぶりは大いに認めますよ」
ダリウスは淡々と答えた。
「とにかく我々としては、これ以上あなた方の行いを看過することは出来ない。これは不法行為には手を出さないという旨と、損害に対する賠償を約束した誓約書です。これをギルドとの間に交わして頂く。それを断るのであれば、報告書を公開するしかない」
彼は自分たちの要求をハッキリと伝え、誓約書を机の上に置いた。
毅然とした態度であった。
「返答の期限は、今日より一週間です」
「ご要望は分かりました、追ってこちらの回答を連絡しましょう」
「承知しました」
「では、夜道は暗くて物騒なのでお気をつけて」
ギルドリーダーが部屋を去ると、ダリウスは再び書類に目を通していく。
そして、冷徹な声で言い放つ。
「この世には、楯突いちゃいけない相手というものがいる。それが分からない馬鹿どもは救いようがない」
ギルドリーダーは館を出ると、待たせておいた馬車に乗り込んだ。
黒い漆塗りの車体が夜の明かりを反射していた。
御者が鞭を軽く振ると、馬車は動き出した。
館を出発すると、彼はいくらか緊張感から解放された様子だった。
「やはり、あの男は危険に満ちている。早いところ何とかしなければ」
彼はダリウスの持つ異常性を感じ取っていた。
馬の蹄の音が石畳をリズミカルに打ち鳴らし、夜の町の通りを進んでいく。
馬車の中には、わずかなランタンの光が揺れていた。
ギルドリーダーは、ふと座席の隅に何かが置かれているのに気がついた。
それは小さな黒い箱で、何かの紋章が刻まれている。
「何だこれは? いつからここに?」
彼は不思議に思いながら、箱を手に取った。
上下左右と、様々な方向から箱を見てみる。
それから蓋に手をやると、ゆっくりと開いていった。
するとその時、何かが座席の上へとこぼれ落ちた。
同時に、手にしていた箱も座席へと転がり落ちていた。
彼が目をやると、箱と共に何か奇妙なものが散らばっていた。
よく見ると、それは人間の指であった。
そこには、まだ乾いていない新しい血がついている。
それは、彼の指の肉片であった。
「え」
その異様な現実を認識すると、ギルドリーダーは青ざめていく。
いつの間にか、自分の手から指が千切れてこぼれ落ちていた。
あまりに非日常的な事態であり、その現実をまだ受け入れきれない様子であった。
すると、座席に落ちた箱がひとりでに動き出した。
激しく振動してから、また動きを止める。
次の瞬間には、その中から不吉で得体の知れない何かが、蠢きながら這い出てきた。
その小さな箱の中に収まるはずのない、あり得ない大きさだった。
その身体は黒曜石のように輝く甲殻に覆われ、関節ごとに棘が並んだ八本の鋭い脚を持ち、顎には大きな牙がある。
頭部には赤い複眼が無数に並び、まるで燃えるように輝いていた。
箱から出てきたのは、不気味な蜘蛛の魔物であった。
その怪物は、座席の上に散らばる指を瞬く間にすべて食い尽くした。
その様子を戦慄と共に見ていたギルドリーダーは、叫んで助けを呼ぼうとする。
「た、助け……」
しかし、それは叶わなかった。
目にも止まらぬ速さで蜘蛛の怪物は糸を吐き出し、それが彼の顔から身体まで巻きついてきたからだ。
その瞬間、彼はダリウスの冷酷な笑顔を思い出していた。
(では、夜道は暗くて物騒なのでお気をつけて)
そう言いながら浮かべられた不敵な笑みを。
そして怪物は、もの凄い勢いで八本の脚を動かし、あっという間に彼を糸でぐるぐる巻きにされた繭へと変えていった。
それから繭を鋭い牙で咥えると、それを引きずって運びながらまた小さな箱の中へと戻っていく。
その小さな箱の中にすべてが入りきると、またひとりでに動いて蓋が閉じた。
すると、その周囲に黒い魔力が溢れて渦巻いていく。
それから、その暗闇の中へと箱は消えていった。
馬車は止まることなく進み続けていた。
その車内には、もはや誰もいないのにも関わらず。