第6話 シルヴァンデール家
教会の鐘が、荘厳な音を響かせる。
村では収穫祭の準備が着々と進んでいた。
シルヴァンデール家の広大な領地に、黄金色の麦畑が広がる季節になると、村々では伝統的に収穫祭が催される。
村の教会前の広場には、色とりどりのテントが立ち並び、風に揺れる旗が賑やかに翻っている。
村人たちは、各々が育てた新鮮な野菜や果物、手作りのパンやチーズ、ハムやソーセージなどを持ち寄り、長いテーブルに並べていた。
そして、シルヴァンデール家の者たちも、自分たちのつくった料理をテーブルに並べていった。
執事たちだけでなく、家の者たちも率先して働いていた。
この村では例年、領主であるシルヴァンデール家の面々が、来賓として迎えられていた。
今年は侯爵夫人エレノア、三男レオン、長女セシリア、次女モニカであった。
そして、いつも彼らは積極的に、祭りの運営に参加し協力するのだった。
領地の民との交流を深めることも、シルヴァンデール家の慣わしである。
歴代の当主は、土地と人々を守るために尽力し、地域社会との強い絆を築いてきたのだった。
五つの名家の一つであり、侯爵家という大変な地位にありながら、シルヴァンデール家の者たちは皆、それを鼻にかけたり他を見下したりすることは一切無かった。
領地の者たちに対しても、支配者として圧政を強いることは無い。
そうした性格もあり、民からの信頼は非常に厚かった。
すると、村の長老が、ゆっくりとこちらにやって来た。
「おはようございます、皆様。おかげで今年も、素晴らしい収穫祭を迎えられそうです」
「ご機嫌、村長。準備は順調に進んでいるようですね」
エレノアは微笑みながら挨拶を返した。
「シルヴァンデール家のご支援とご協力には、いつも感謝しております」
「村の皆さんが、いつも一生懸命働いてくださるおかげです」
村長は深く頷く。
「皆様の温かいお心遣いに、村人たちも喜んでおります。ぜひ皆様も、ごゆっくりと楽しんでいってくださいませ」
「こうした祝いの場を通じて、我々の絆が一層強くなることを願っています」
エレノアの言葉に、村長は再び感謝の意を示した。
シルヴァンデール家は、王国で古くから続く名家である。
代々に渡り自然との共生を重んじており、それが家柄の特徴と言えた。
初代当主は、大自然の女神との契約を結び、土地を豊かにする力を授かったと言われている。
そして農業と林業を中心に栄え、今では国の食糧供給を支える重要な役割を果たすほどだ。
すると、収穫祭が盛大に始まった。
楽隊が陽気な音楽を奏で、祭りの高揚した雰囲気をさらに盛り上げた。
会場のテーブルの上には、鮮やかな料理や食材がふんだんに置かれている。
村の女性たちは、色とりどりの花を編み込んだ冠をかぶり、伝統的な踊りを披露している。
子供たちは、教会の鐘楼の下で楽しそうに駆け回り、笑い声が絶えなかった。
シルヴァンデール家の者たちは来賓の席に座り、振舞われた料理や酒を口にしながら、それらを眺めていた。
村人たちが挨拶に来ると、皆気兼ねなく交流していた。
「モニカ様、うち自慢のチーズです。ぜひ召し上がってください」
「まあ、ではいただきます……わあ本当ですね、とても美味しいです、これ」
「まだまだ沢山あるので、お土産にも持っていってください」
「ありがとうございます」
モニカは特に人気で、村人たちから様々な贈り物を貰っていた。
「お兄様も如何ですか? この頂いたチーズとても美味しいですよ」
「ああ、そうか。じゃあ一つ貰うよ」
レオンは、モニカからチーズを一切れ受け取って口にする。
「ん、本当だ。こりゃ美味いなあ。ワインにもピッタリだ」
「でしょう?」
レオンも家族と共に、収穫祭を楽しんでいるのだった。
しかしながら、祭りの賑やかな雰囲気の中にあって、彼はまったく別のことに考えを巡らせていた。
——さて、再度状況を整理しよう。
まず詳しく現状を確認したところ、どうやら自分は三年前に回帰している様だと分かった。
時間が巻き戻されて、レオンだけがそれを認識している様である。
——この現象に関しては、正直言って何なのかまったく分からない。気にはなるが、今は優先するべきことが他にある。
実際のところ、彼にとって有難いものであることだけは確かだった。
これにより、自分や家族の凄惨な死という結末をリセットすることが出来た。
——館襲撃の主謀者は、ダリウスと見て間違いないだろう。しかし、相手は奴個人という訳ではない。敵はブラッドウィン家だ。
今の彼にとって、それが最も重要な懸案だった。
ダリウス一人を暗殺するだけであれば、レオンの技量を持ってすれば不可能ではないだろう。
しかしながら、家全体を相手にするとなると簡単にはいかない。
——奴らの目的は、シルヴァンデール家を潰すことによる、勢力拡大と見て間違いないだろうな。
地位か領土か資源か、明確な狙いは定かではないものの、いずれにせよ侵略の意図は明らかであった。
——奴らを手っ取り早く潰す方法は、戦を仕掛けることだろう。
戦力はシルヴァンデール家がだいぶ上回っていた。
また、現王家であるヴァレリア家とも友好的な関係にある。
戦において、シルヴァンデール家が負けることはまず無いと思われた。
——しかし、それはあまり現実的じゃないな。
戦争になれば、双方共に大きく消耗する。
よっぽどの戦力差がない限りは、デメリットの方が大きすぎた。
——父上の性格からしても、シルヴァンデール家から戦を仕掛けることは考えにくい。
無益な争いは好まない人柄であり、それはシルヴァンデールの性格とも言えた。
また、ブラッドウィン家から戦を仕掛けて来る様な可能性も、ほとんど無いと言えた。
五つの名家同士が正面からやり合うと言うのは、無いとは言えないが、なかなか考えにくい事態である。
——やはり、このまま裏で動いていくのが良いだろう。
ワインを飲み、祭りの様子を眺めながら、レオンは現状と今後の方針について確認するのだった。
「お兄様、お兄様!」
いつの間にか、モニカが話しかけてきていた。
考え事をしていたのと、祭りの賑わいとで気がつかなかった。
「ん、どうした?」
「もう! お母様の焼いたパイ要らないのですか⁉︎」
モニカは、エレノアが焼いたパイの皿を手にしていた。
香ばしく焼き上げられたアップルパイである。
シルヴァンデール家の者で、エレノアのパイが好物でない者はいなかった。
「それを逃す訳にはいかないな」
彼はそう言うと、パイを一切れ受け取るのだった。
村の近くの森の中では、数人の少年たちが遊んでいた。
彼らは木々の間を駆け回り、祭りの合間に隠れんぼや鬼ごっこを楽しんでいるのだった。
祭りの高揚感もあり、少年たちはいつも以上にはしゃぎながら駆け回っていた。
その時である。
森の奥から、なんとも言えない不気味な音が聞こえた。
それを聞いた少年たちは、一斉に立ち止まる。
「い、今なんか……」
「ああ……」
「なんだろ……」
いつの間にか鳥たちのさえずりが止まり、森は異様な静けさに包まれていた。
風が木々の葉を揺らし、不吉なざわめきが広がる。
少年たちは不安そうにお互いを見つめた。
すると突然、森の奥で木々が大きく揺れ動き、葉が騒がしく音を立てた。
枝が次々と折れていき、恐ろしい何かが、こちらに向かってきていた。
それは明らかに、人の手には負えない様な巨大で獰猛なものであった。
「これ……やばいって」
「こっち来てる……」
「に、逃げなきゃ」
逃げなければいけないことは分かっていたが、少年たちは恐怖で足がすくみ、なかなか動き出すことが出来ずにいた。
そして、木々の間からそれが姿を現した時、少年たちは息を呑んだ。