第3話 非情なる者たち
妹はまだ生きていた。
それを知った時、レオンの内に安堵と希望が広がっていく。
そして同時に、緊張も高まった。
「降伏しろ、シルヴァンデールの英雄よ」
ダリウスがそう言うと、膝をつかせられた妹の細い首に鋭い刃が当てられた。
レオンは、その場に固まっていた。
戦いを続ければ、妹の命が奪われることは確実である。
「剣を捨てろ」
ダリウスが冷酷な声で命じた。
その要求にどう応じるのかは、難しい選択であった。
「お兄様!」
膝をついた姿勢のまま、モニカが叫んだ。
「モニカ……」
レオンは妹を見てから、剣を握り締める自身の手を見つめる。
迫られた決断の前に、その心は揺れていた。
——どうする⁉︎
戦うのか剣を置くのか、選択は二つに一つだった。
敵を討つことを諦めるのか、妹の命を諦めるのか、それを決めなければいけなかった。
——もう選択を間違えることはできない。
レオンは元々、この夜、館にはいなかった。
シルヴァンデール家の他の兵士たちと共に、闇の勢力の討伐に赴いていたのだった。
歓迎の宴は他の家族に任せて、自らは戦士としての仕事をこなすことを選んだのである。
しかし、現場の古城に到着すると、彼はすぐさま違和感を覚えた。
聞いていた情報と、実際の現場の様子がまるで違ったからだ。
——どういうことだ⁉︎ 魔物の気配をまるで感じない。それに、ブラッドウィン家の兵がまったく見当たらないぞ。
言いようの無い不安と焦燥が、胸の内に込み上げてくる。
彼は直感的に危機を感じ取っていた。
——まさか、これは……
そして、推測される最悪のシナリオが思い浮かんだ。
その瞬間、レオンは駆け出していた。
鼓動が高鳴り、焦燥に包まれながら、全速力で馬を走らせ館へと向かうのであった。
——頼む、みんな無事でいてくれ!
しかし、待っていたのは残酷な結末だった。
彼が到着した頃には、すでに何もかもが遅すぎた。
館は襲撃に遭い、見るも無惨な惨状となっていたのだった。
——俺が館に残っていれば……もっと早く奴らの企みに気づけていれば……
館への襲撃が起きたことに関して、彼に非などあるはずも無い。
今さら悔いても、どうしようもないことであった。
しかし、自分なら何かできたのではないかと、そう考えずにはいられないのであった。
「早く剣を捨てろ」
モニカの首に剣を当てながら、ダリウスが再度命じる。
レオンは少しの間考えていたが、答えは始めから決まっていた。
「わかった」
レオンは応じると、ゆっくりと地面に剣を置いた。
彼には、妹を犠牲にするという決断は出来なかった。
これ以上、家族を失うということは、今の彼には到底耐えられるものではなかった。
「よしよし、それでいい。家族のことは大切にしないとな」
ダリウスがそう言うと、敵の兵士たちが一斉に動き出し、レオンを取り囲む。
そして、後ろ手に彼を縛った。
その縄は魔法のアイテムであり、縛り上げた者の魔力を封じ込める働きがあった。
たとえ武器を置いたとしても、強力な魔力を持つ者はそれだけで脅威であり、無力化されたとは到底言えない。
相手からすれば、その魔力も封じて始めて、力を抑え込んだと安心できる。
それを理解しているレオンは、抵抗することなく拘束されたのだった。
「さあ、俺の命をやる。妹を解放しろ」
レオンが降伏を宣言して、床に膝をつく。
そこに、一切のためらいは感じられなかった。
「これは素晴らしい、まさしく本物の英雄と言う訳だ」
ダリウスが皮肉を述べた。
それから、モニカの首に当てていた剣を鞘に納める。
そして、膝をつかされていたモニカが、ゆっくりと立ち上がる。
妹は顔を上げると、レオンの方を見た。
すると、予期せぬことを口走る。
「本当、馬鹿だよねー。シルヴァンデールって」
レオンは耳を疑った。
「な、何を言ってるんだ……」
モニカの表情には、恐怖や緊張といったものが無くなっていた。
まるで、何かが切り替わったかの様に。
「あれ、まだ気づかないの? 結構鈍いねー」
首を傾けながらモニカが言った。
「モニカ……お前一体……」
仕草も話し方も、よく知っている妹のそれとは、まるで別人であった。
レオンはまじまじと彼女を観察して、ある事実に気づいた。
「お前……モニカじゃないな」
「ピンポーン! 当たりー! もう、遅いけどねー」
モニカの顔をした何者かは、はしゃぎながら答えた。
「じゃあ、種明かしねー」
そして顔に片手をかざすと、魔力を集中させる。
集められた魔法の力は、不思議な光を放ちながら肉体に変化を生じさせていく。
その手を離すと、そこには別人の顔があった。
「これが本当の私、ミラ・ブラッドウィンよ。よろしくねー。もうすぐお別れだけど」
見事な変身魔法である。
姿形も声も、本人とまったく同じだった。
これを初見で見破るのは、なかなかに困難であろう。
まして、今の様な混沌とした戦闘の場においては尚更であった。
——ブラッドウィン⁉︎ そうか、ダリウスの娘か。これ程の魔法の使い手とは。
そこでダリウスが口を開く。
「まったく、馬鹿正直な奴で助かったよ。お前みたいな桁外れの怪物を、真っ向から相手してたら埒が明かないからな」
「本当にねー、うまいこと引っかかってくれたわ」
どこまでも卑劣な者たちであった。
「なかなかの名演技だったぞ、さすがは我が娘だ」
「でしょー? 自分でもかなりの才能だと思ってるわけ」
レオンは嵌められたことに気づいたが、それ以上に気にかかることがあった。
「モニカは、妹はどこだ!」
レオンが叫ぶ。
「ああ、そりゃ気になるよな」
ダリウスが薄く笑みを浮かべた。
その表情は、不敵で邪悪であった。
「実はな、もうここにいるんだよ。ずっとさっきから、お前のことを見守ってくれてるぜ」
「なんだと⁉︎」
「ほら、見てみな」
そう言うと、ダリウスは顔を上に向ける。
この広間は吹き抜けになっているが、その二階部分に視線をやっていた。
レオンがその視線の先を追う。
すると、吹き抜けの二階部分の手すりに、いつの間にか何かが置かれているのを見つけた。
嫌な予感に鼓動が高鳴り、耳の奥で大きな音を立てていた。
そして、二階のそれが何かを察したとき、レオンは目を見開き絶句していた。
「あ……あ……」
それは、モニカの首であった。
目を伏せた虚ろな表情で、まるで広間を見下ろす様にそこに置かれていた。
しばらくの間、レオンは息をすることも、まばたきをすることも忘れていた。
程なくして、その呼吸は荒く激しくなっていく。
「いや本当はさ、仲良く家族全員分並べてあげたかったんだけどな。そこまでやるのはほら、さすがに面倒だし時間もなかったから」
ダリウスは軽妙な調子で語りかけた。
まるで世間話でもするかの様に。
レオンはしばらく動けず固まったままであったが、やがてくず折れて地に伏せた。
後ろ手に縛られたまま、額を床につけている。
もはや、救える家族は一人もいない。
そう知った時の彼の心情は如何ばかりか、筆舌に尽くし難いものであった。