第1話 回帰した英雄
——ここは……どこだ? 俺は……どうなって……
うなされながら、レオンは目を覚ました。
「ハア、ハア、ハア」
額には冷や汗が滲み、心臓は激しく鼓動していた。
レオンは身体を起こすと、しばらくの間、周囲を見回す。
細やかな装飾が施された家具、壁に掛けられた絵画、窓から見える庭園。
すべてよく知っている。
間違いなく、館の自分の部屋であった。
自分のベッドで目を覚ましたのだ。
それは、彼にとって信じがたい出来事だった。
——なぜ……俺はここに?
窓からは、朝の光が柔らかに差し込み、部屋の中を明るく照らしていた。
色とりどりの花が、窓辺の花瓶に生けられている。
「一体これは……」
レオンは、ただただ困惑していた。
彼は、自分の身体に触れてみた。
感触は確かである。
受けたはずの傷も、全身を襲っていた激しい苦痛も、今は無くなっている。
——あれは夢だったのか?
いや、あれは夢ではない。確かな現実だった。
切り裂いた敵の感触も、地に伏せて動かなくなった家族も、自身の身体から流れ出た血も。
すべて間違いなく、実際に起こった出来事だ。
レオンの頭の中には、悪夢の断片が鮮明に残っていた。
それは、確かに起こった現実であり、生々しい記憶であった。
彼は大きく呼吸をして、なんとか気持ちを落ち着かせようと努めていた。
——では、なぜ俺は生きている?
まったく状況が飲み込めなかった。
起こった出来事と、今現在が符合していない。
すると扉の向こうから、ノックと共に聞き慣れた声が聞こえてきた。
「お兄様、お目覚めですか?」
部屋に入ってきたのは、妹のモニカだった。
その姿を目にした途端、レオンは言葉を失った。
彼女は当たり前の様にそこに立っている。
そして、立ち上がり歩み寄ると、考える間も無く彼女を抱きしめていた。
「ど、どうしたのですか、お兄様」
「お前……モニカ……だよな?」
「そ、そうですよ」
腕の中にいる妹は、突然のことに驚いている。
モニカの身体は暖かく、生きている生命のそれであった。
夢でも幻でもなかった。
もはや叶わないと思っていた家族との再会。
果てしない絶望と憤怒とを経て、思いがけない状況が訪れていた。
それは彼にとって、何よりの救いであった。
程なくしてレオンは顔を上げる。
「すまない、何でもないんだ」
「なにか……あったのですね」
普段とは違う兄の様子を察して、モニカが言った。
すると、妹は腕を伸ばしてレオンの胸に手を当てた。
モニカのその手から、淡い光が溢れ出す。
「精神を落ち着かせ安定させる魔法です。お母様から教わりました」
「そうか、ありがとう」
「いいのです。また必要があれば言ってください」
モニカは得意気に胸を張った。
母譲りで、彼女は回復魔法に関して優れた素質を持っているのだった。
「それはそうと、今日は狩りに出かけるのではないのですか? 皆待っていますよ」
「え? ああ、そうか。わかった、すぐに行くよ」
「早くしないと叱られますよ」
モニカはそう言うと部屋を出ていった。
一人残されたレオンは、今の状況に改めて驚き困惑していた。
しかし同時に、それ以上の喜びと安堵を感じていた。
「遅いぞ、レオン」
「申し訳ありません。父上」
父であるリチャード、姉のセシリアがすでに準備を整えて館のエントランスホールで待っていた。
どうやら狩りに行く日の様だと分かり、レオンは慌てて用意してきたのだった。
「珍しいな、寝坊か?」
リチャードは少し驚いた表情であった。
すると、セシリアも口を開く。
「まったく、私たちを待たせるとはいい度胸だな、レオン」
彼は少しギクリとする。
「も、申し訳ありません。姉上」
「まあ、その分働いてもらおうか」
よく知る自分の家族が、そこに立っていた。
そしてまた彼は、再会の驚きと喜びとを同時に感じているのだった。
——モニカだけじゃない。やはり他のみんなも無事だ。
シルヴァンデール家が健在であること、レオンにとってはそれが何より有り難かった。
神の仕業だろうと、悪魔の仕業だろうと、そんなものはどうでもよかった。
「どうした? なんか少し様子が違うぞ」
セシリアがレオンの顔を覗きこんだ。
彼は少し慌てながら平静を取り繕う。
「いや、別に大丈夫ですよ。問題ありません。ちょっと疲れが顔に出たのかもしれません」
「そうか、まああまり無理はするな」
そして一行は馬に乗ると、狩りへと出発した。
シルヴァンデール家では、代々狩猟を行う伝統がある。
父リチャードをはじめ、それぞれ長年の狩りの経験から来る落ち着きと、熟練の技を持っている。
森に入ると、木々の間を抜ける風が、葉を揺らしながら心地よい音を奏でる。
鳥たちのさえずりが微かに聞こえ、森の生き物たちの気配があちこちに感じられた。
馬で進んでいると、父が話しかけてくる。
「先日の戦では、敵の魔法部隊を単身で撃破したそうだな。多くの将兵が、お前の武勲を称えていたぞ」
「ありがとうございます」
——数年前の北部での戦のことか。これで今がいつなのか、大体見当がつくな。
「皆の助けがあってこそです」
レオン・シルヴァンデール。
名門シルヴァンデール家の三男である。
若くして王立騎士団の隊長を務め、英雄として名を馳せている。
その身に宿る強力な魔力と剣術の才で、これまで数々の戦を勝利に導いてきた。
幼い頃から厳しい訓練を重ね、戦闘技術や魔法の腕を磨くと、類まれなる戦士として成長したのだった。
「その謙虚さも、お前の強さの一つだ。だが、素直に誇りに思ってよい」
「はい」
——どうする? 父上に奴らの企みを知らせるべきか?
レオンは少し考えた。
——いや、やめておこう。今はまだ何の証拠もない。
まずは、情報収集が第一であった。
確かな情報を掴めば、父をはじめ各方面に協力を要請することもできるだろう。
「これからも家名に恥じぬよう、努めて参ります」
「うむ」
父は満足そうに頷いた。
リチャードは、シルヴァンデール家の現当主であり、侯爵であり、王国の重臣も務める人物である。
レオンにとっては、厳格だが家族思いの良き父であった。
その日の狩りは順調に進み、一行は豊かな収穫を得ることができた。
野鳥にウサギ、それに立派な鹿を仕留めたのであった。
「これらの命の恵みを、我らに与えてくださったことに感謝します」
彼らは獲れた獲物の前で、大自然の女神への祈りを捧げるのであった。
自然との共生は、シルヴァンデール家の伝統でありその特徴と言えた。
狩りから戻ると、館の長い廊下を歩きながら、レオンは考えを巡らせていた。
——状況から察するに、俺は数年前に回帰したと見て間違いないだろう。
一体何がどうなって過去に戻ったのか、その理由や経緯はまるで分からない。
とにかく、シルヴァンデール家が、家族が無事であること。
それが何よりも重要であった。
——この奇跡を無駄にするわけにはいかない。
ふとレオンは、館の庭園へと出ていた。
シルヴァンデール家の館を取り囲む庭園には、四季折々の花々が咲き誇っている。
手入れの行き届いた芝生と噴水が、美しい対称性を保って配置されていた。
——俺がここに戻った以上、あんな結末は絶対に許さない。
美しい庭園を歩きながら、胸にそう誓うのだった。
噴水の近くまで来ると、彼は足を止める。
その周囲には、蝶が至るところに舞っている。
優雅な庭園に、のどかな時間が流れていた。
その時である。
宙を舞っている蝶が、閃光と共にいきなり破裂した。
すると、他の蝶も次々と音を立てて爆ぜていった。
気づくとレオンの周囲には、激しく鋭い光と音が溢れていた。
それは、彼の強大な魔力による放電現象であった。
——待っていろ。
レオンの中では今、怒りと憎しみの業火が燃え盛っていた。
それは、止めることの出来ない激情であった。
それが抑えきれない魔力としてほとばしり、周囲に影響を及ぼしているのだった。
——俺と家族を殺した貴様らに、必ず報いを受けさせてやる。
それは、許されざる者たちへの復讐の誓いでもあった。