6・coming GENERATION
「あと一時間で、排気用の超巨大なコンプレッサーが、全開で動き出すんだ」
俺とリカがここに侵入しようとした時、俺たちを吹き飛ばそうとした・あのターボ型オバケ圧縮機だ。
「あと一時間? そりゃキツイぜ!」
俺たち四人は支流の排気ダクトから、「滑り台」を滑り降りるようにして主坑道に出ていた。
「もうタイマー、セットしちまったよ」
俺は胸の痛みにたえながら、皆に遅れないようにとガンバッていた。
できることなら、ひと言も発したくなかった。せめてもの救いは、排出側のトンネルなので、若干ではあるが追い風だということと…ここには独立した排気口があるので、ほんの数キロ走れば地上に出られるということだ。
「フイ~!」
地上へむかう・巨大な縦坑道にたどり着いた所で、ひと休みだ。
ここからは「亀梯子」と呼ばれる、壁に埋め込まれた半円状のハシゴを登って行かなくてはならない。
そして終点には、「放風消音器」と言う巨大な筒があるはずだ。排出される空気の消音と・坑道内に雨水や花粉が入り込まないように設置されている。吸入側とは違い、吐き出すためだけの物だから、簡単な構造しか持たない。ドア一枚で、すぐ表に出られるはずだ。
「早く行くんだ!」
俺は神作を先頭に、ユカ・リカの順で先に登らせる。
「ヨイショッ…と」
俺はあおむけに横になって、皆が登って行く姿を見つめる。
「…」
やがて、全員の影が闇に消えていくと…後には暗闇しか見えない。
こうやってジッとしていると、それが上なのか下なのかも、わからなくなってくる。
『?』
しばらく・そうしていると、闇の中から白い物が舞い戻ってくる。
『リカだ!』
ハシゴを降り切り、俺の所までやって来る。
「何してるのよ?」
俺は半身を起こしながら…
「いや…ちょっと休んでるだけだよ」
そんな返事をすると…
「元気だしなさいよ!」
彼女は俺の頭の上から、発破をかけてくる。
「もうすぐよ!」
そして続けて…
「これで最後でしょ!」
そう言いながら、俺を立ち上がらせようと、首根っこをひっつかむ。
「テ・テ・テッ!」
右胸に激痛が走る。
「ケガしてるの?」
リカがのぞき込んでくるが…
「な~に、これくらい…たいしたこと、ないさ」
俺はそう返事をしながら、立ち上がろうとした。
「ツッ!」
でもやはり、脇腹に痛みをおぼえる。
『まだ、あきらめたわけじゃない』
そう思いながら右手で胸を押さえ、ケガをしているのとは反対側の左手をついて、中腰の姿勢になると…目の前には、しゃがみ込んだリカの顔が間近にあった。
「!」
眼と眼が合う。俺たちの顔が、触れあわんばかりに接近したところで…
「ひとつ、教えてくれないか?」
俺は真顔で尋ねる。
『…うん』
リカはチョット表情をこわばらせて、うなずく。
「アドベンチュールってのは、どういう意味なんだい?」
俺が・あの清掃工場に拉致られた時…彼女が口にした言葉だ。
「え?」
リカは『意外だった』という顔を見せ…
「けっこう余裕ね。こんな時に・こんな場所で、そんなことをきくなんて」
そう言って、相好を崩す。
「いや、ずっと気になっていたんだけど…なかなか聞くヒマがなくてさ。このままじゃ、死んでも死にきれないだろ」
俺が彼女の瞳を見つめたまま、そう話しかけると…
「アドベンチュールじゃなくて、アバンチュールよ。今じゃ死語になっちゃって、辞書にも載ってないかもしれないけど…フランス語で『冒険的恋愛』って意味よ」
彼女は、そう語って聞かせてくれた。
『なるほど!』
英語の『冒険』に似た響きに、(勝手な想像力を働かせて)文字を創り上げて記憶していたのだが、語源的なものはともかく…
『そう大きく、はずれてはいなかったぜ!』
納得だ。
(実のところ仏語「aventure」は、それだけで「冒険」という意味を成し…特に、「恋の冒険」を表す言葉だ)。
「フフ…」
そんな俺を見て、リカはニコッとほほ笑む。そして…
「これで最後ね。ありがとう」
そう言いながら、軽く唇を重ねてくる。
『サンキュー! 良い思い出になったぜ』
たしかに、こういう事も「これで最後」だ。
「さ、行きましょ」
彼女は俺の手を取りながら…
「ケガしてるんだから、先に行って」
そう促すが、そんなリカにむかって俺は…
「男にハジかかせるなよ!」
痛みにたえて、見栄をはる。
俺には、『三位一体』(つまり「父と子と聖霊」だ)が優先される教義を奉じる宗教圏の娯楽作品には、納得がいかない物が多かった。
ヒロインや準ヒロインが命を落として、親父と息子が生き残るなんて…ナンセンス!
(映画で例を挙げたら、枚挙に暇が無い!)。
「男女同権」ヅラして、やってることは「男尊女卑」の最たるもの。
(男優の方が、ギャラなどで優遇されているのも、その顕われだろうし…「セクシャル・ハラスメント」の醜聞も、後を絶たない)。
冗談じゃない!
『ストーリー的には破綻してるぜ!』
(目をさませよ、女性たち! あいつらの語る「レディー・ファースト」なんて思想は、さっきのオッサンと同じで、今みたいな「開拓時代」に希少価値があったからにすぎない)。
俺は、そんな結末はゴメンだった。
『ヒロインを犠牲にしてまで…そこまでして生き残って、いったい・どうなるってんだよ』
興ざめだ。
『どっちにしたって…』
今のところ、人類の死亡率は…一部の祭り上げられた救世主や・イカサマ聖者をのぞいて…100パーセント。
(宗教なんて、しょせん軍隊と同じ。自分が「白」だと思っても、上官が「黒」だと言えば、従わなくてはならない。「真」が「偽」かなんて、どうでもいいことで…妄信的に服従しなければ、そういった類いの強権的組織は動かない)。
『物語を崩壊させないでくれよ』
俺は…どうせ死ぬなら、カッコ良く死にたかった。
「君が先だ」
リカの尻をたたくようにして、先に登らせる。
* *
「がんばって! あと少しよ!」
遅れがちな俺にむかって、上からリカの声が飛ぶ。でも、腕を使って身体を引き上げるという動作は、傷ついた胸には、こたえる動きだった。
「ゼエ・ゼエ…」
荒い息をしながら俺は、たびたび休んでは、両足メインでヨタヨタと登り続ける。
「フウ~!」
目の前のハシゴにかけた、左手首のダイバーズ・ウォッチを見ると…
『あと5分だ』
上を見上げれば…出口の丸い口が見えてきた。
神作が、施錠のために巻かれた鎖をはずしているようだ。リカもピッチを速める。
『それにしても…リカはタフだよな』
俺は一段・一段、やっとの思いで登っていた。
『ハラへったな~。そう言えば、何も食ってないよな』
俺は怪我のせいもあってか、軽い貧血気味だったし…腕もしびれてきた。
『メシも食わせないで働かせるなんて、労働基準局にでも訴えてやるか』
俺はもともと、残業が大嫌いだった。
『金さえ払えば働く』なんて思われたくなかったから、そう公言していたし…基本、残業代は取らなかった。
(だいたい、『働くために生まれてきたんじゃない』くらいに思っている人間だ)。
「(機械を)開けてビックリ・残業しなくちゃならない」というなら、あきらめもついたが…営業が下手で・はじめから「残業ありき」でしか工事日程を組めない奴の仕事など、まっぴら御免だった。
『今回は、後でタップリ載っけて請求してやるぜ! 覚悟しとけよ』
そう思った瞬間だった。
「グオ~ン!」と闇の中に、不気味な音が響き渡った。
『来る!』
ふたたび上方に視線を走らすと、相棒とユカの姿が見えなくなったところだ。
潜水艦のハッチのような丸いハンドルを回し、頂上に出たようだ。
「早く!」
リカが叫ぶ。残すところは、あと数段。
「チックショ~!」
俺は、上からのぞき込む三人の顔を見て、最後の力をふり絞る。
「グワン! グワン!」
下からこみ上げてくる轟音は、どんどん大きくなる。
『あと一段』
下から迫ってくる轟きは、もう俺の足に触れんばかりだ。
「つかまれ!」
神作とリカの手が伸びてきて、俺を引っ張り上げる。
「ゴーッ! ! ! !」
上部構造物の小部屋に出た、その時だった。
下から一気に、空気の塊が吹き出してきた。
「こっちよ!」
俺たちは、ユカが開けてくれていたドアにむかって・スライディングを決め、夜の闇に出る。
胸の痛みなんて、感じているヒマも無かった。
(どうやら「痛み」にも、優先順位があるようだ。さらなる「苦痛」や「危険」にさらされると、『もうダメだ』と思っていた痛みも感じなくなる)。
山のてっぺんにあるコンクリート製の建造物。この上には、前人類時代に・どこぞの寺院に立っていたと云う「五重の塔」みたいな、巨大な金属製の放風塔が載っているはずだが…
(もっとも尖塔なんて、「再現図」でしか、見たことはないが)。
少し小高くなった建屋の縁から、転がり降りるようにダッシュする。
「ハア! ハア! ハア…」
俺たちは脇目もふらず、その塔を囲むフェンスにむかって走った。
「キュイ~ン!」
後方からは、急上昇する空気のカン高い音が響いてくる。
「ガシャン!」
柵に到達した神作は、金網にむかって鉄製のレンチを投げつける。
「…」
何の反応もないところを見ると、高圧電流は流れていないようだ。
でも、大型のワイヤー・カッターでもあれば話しは早いのだが…あいにく俺たちは、小型のニッパーしか持ち合わせていなかった。太いフェンスのワイヤーでは、歯が立たない。
「どうする?」
右隣りに並んで・荒い息をする相棒は、正面の囲いを凝視したまま、そう問いかけてくる。
『!』
俺は柵を見上げる。
背丈の倍はあるが…引きちぎられたメッシュ地の金網や、パンチ穴の開いた鉄板が飛んで来る。放出用消音器のエレメントの破片だ。モタモタしていたら、せっかくの苦労が水の泡だ。
『どうする?』
地面には、フェンスの支柱を立てるために、グルリとコンクリートが打たれている。掘ったところで、どのくらいの深さがあるか、わかったものではない。
『う~ん…』
一方、柵のほうは…結構な高さがあったが、針金をクロスさせただけの金網だ。手をかければ、登れないことはなさそうだ。
たぶん警報装置が付いているから、この程度の高さと構造なのだろう。
『よじ登っているところに、奴らが現われたら?』
でもこの際、そんな事はお構いなしだ。
他に方法はないし…だいたいあんな奴らが、こんな危険な場所にやって来るとは思えない。もしかしたら連中は、とっくにアジトを放棄して、逃げ出しているかもしれない。
「乗り越えようぜ」
俺が決断を下すと…
「ヨッシャ~!」
相棒はフェンスに取り付き・よじ登り…そしてテッペンに張られた有刺鉄線を、ニッパーで切りはじめる。
「急げ!」
俺たちも後に続く。
鉄条網は外からの侵入用に、外側に傾けて張られている。だから、内側から切るのは簡単だったが…
「早くしろよ!」
気の急いていた俺は、相棒にむかって怒鳴る。
「わかってるよ!」
ヤツはそう怒鳴り返しながら、最後の一本に歯を入れる。
「いいぞ!」
神作・ユカ・リカ…俺たちは次々とフェンスの反対側に回り、今度は地面を目指す。
殿をつとめる俺も、頂点を乗り越える。視点が逆になり、目前の・外灯に照らしだされた巨大な円筒形の放風塔に視線が移ると…
『?』
許容量を越えた空気の圧力に耐えきれず、ふくらんできているのが・肉眼でもわかるほどだ。
『そろそろヤバイな』
そう思った・その時だった。目の前に、大きな破片が飛んできた。
「ガッシャ~ン!」
ソイツが金網に当たった衝撃で、俺は手がはなれ・背中から地面に落下する。
『イッテー! ! !』
俺は目を閉じ・瞼に思いっきり力を入れ・歯を食いしばって、痛みにたえた。
本当に痛い思いをすると、『死にたい』とも思えないものだ。
『完全に折れたな』
痛みが少しひいてきたところで俺は、天をあおいでそう思った。
『もう動けねーよ』
いい加減そろそろ、鉄塔が崩れ落ちる頃だが…
「爆発する時の爆風は、45度から135度のあいだで噴き上げる」
高校の時の、化学の教師の話が浮かんだ。
俺は自分で試した事はなかったが、その先生の・実際の実験をともなう体験談によると…その角度からはずれていれば、すぐ脇にいても平気なのだそうだ。
『なるほど!』
戦争映画のワン・シーンには…爆弾が飛んできた時などに…かならず「伏せろ!」という場面がある。それはつまり、この範囲からはずれるためだ。
(それが後には、空中で破裂させたり・水平方向にまでダメージを与える物へと、改良されていったわけだ。それで・それ以降は、伏せた体勢の方が被害が甚大になるし、ボディー・アーマーなどの発達で、しゃがんだ姿勢を取るようになったそうだ)。
「ゲン! くるぞ!」
神作の叫ぶ声がする。
「クソッ!」
火薬で爆発するのとは状況が違うだろうが、俺は化学の先生の・あの言葉を信じて…
「ふせろ!」
俺は胸の痛みも忘れ、ありったけの大声で叫んでから…うつぶせになって、地面にはいつくばる。
『?』
そのとき誰かが、俺をかばうように、おおいかぶさってくる。と同時に…
「ボン! ! !」
低くて大きな・にぶい音が響く。
「バラ・バラ・バラ…」
続いて、あたりに物が落ちる音が聞こえる。その音がやむと…
「助かったわ」
と、上からリカの声がする。俺をかばってくれたのは、彼女だった。
「サンキュ~」
振り返って礼を言う。リカはニコッとほほ笑んで…
「一人じゃいかせないわよ」
そう言いながら、俺を抱き起こしてくれる。
「ブホーッ!」
大量の空気を、上空に吹き上げている巨大なクレーター。
『やったぜ!』
ソイツを眺めながら、俺はそう思っていた。
圧縮機の大部分がイカレてしまい、大容量の機械で空気を吸い出されている奴のアジトは、もはや廃墟も同然のはずだ。
「こうやっておけば、黙って見過ごすわけにはいかないだろ」
かたわらに立つリカにむかって、俺はそう語りかける。
彼女は満足そうな視線を、俺に投げかけてきた。
* *
「でも、これからどうするの? 相手は大物政治家だから、大変なことになるんじゃない?」
ユカが、心配そうにこぼす。
『うん』
俺は無言で思案していた。
「このままじゃ、私たちが悪者にされちゃうかもしれないわ」
俺たちは、少しはなれた森の暗がりに身を隠し、ひと休みしていた。
「ああ…」
俺は、フト我に返る。
眺めれば…少し前まで・放風塔がそびえ立っていた山の麓には、そこを取り囲むように、あちこちでパトカーや消防車の赤色灯が回っている。
「そうだな。映画やドラマなら、ここで『ジ・エンド』の文字が出るんだけどな」
神作も、作業の手を止めて、困惑の表情を見せる。一方でリカは…
「…」
目的を達成した彼女は、満足気でもあり・放心状態のようでもあり、何も言わない。そこで俺は…
「もし10万円拾ったら、どうする? もしかしたら、ヤバイ金かもしれないヤツを…」
そんな問いかけをしてみる。
(市場規模が極端に小さくなった現代の世の中は、物価も著しく下がっており…洪水前の千分の一と言われている。つまり現在の「10万円」は、その当時の価値に換算すると「1億円」ということになる)。
「どういうこと?」
ユカは怪訝そうな顔をするが…
「そんなの、ビクビクせずにサッサと使っちまうか、ケチケチしないでトットと届けるかだな。貧乏クセ~のが一番イヤだよ」
ふたたび作業を再開していた相棒は、そう答える。
『ヨシ! 話は決まった』
俺は神作のひと言でハラを決め、奴を手伝いながら…
「そうだな。そこで俺は正直に、ちゃんと今回の件を届け出ようと思うのさ」
相棒と俺は、ヤツが持参していた・たためば収納した寝袋サイズになる「一人乗りゴム・ボート」に、一番原始的な手法…息を吹き込んで、エアーを充填していた。
(もっとも俺は、「深呼吸」すると、肺のあたりに激痛が走るので、補助的な作業しかできなかったが)。
「どうして?」
ユカは『納得がいかない』といった表情を見せるが…
「実名・顔出しで、堂々と登場するのさ。そうすれば、たとえ奴らが事実を認めなくても、下手に手を出せなくなる」
かつて、大金を拾った一般人がマスコミで大々的に報じられて、「時の人」となったことがある。
「ヤバイ金ではないか?」とウワサされたが…けっきょく持ち主は現われず、拾得物は全額・有名人となった拾った男の物になった。
俺が、そんな話をしてやると…
「なるほど!」
神作が、ポンと手を打つ。
「証拠になりそうな物もあるしな」
ヤツはそう言って、マイクロ・メモリー・カードを投げてよこす。
「なんだい、コイツは?」
俺が問いかけると相棒は、ニヤリと笑って、額にかけていたゴーグルを指し示す。
「10万にまけとくよ」
そう言うヤツの保護メガネの上には…かつての文明で、「ドライブ・レコーダー」と呼ばれていた・自動車搭載型映像記録装置を改造した…小型のカメラがセットしてあった。
いつだったか、ジャンク市で見つけたと自慢していた代物だ。
『ホント、10万くらいもらわなきゃ、割りに合わね~よな』
リカの手前、そんなグチをこぼすわけにもいかず…ソイツを神作に返す。
この後も、まだまだ何が起こるかわからない。もう無用になったとは限らない。
「ま、とにかく…ひとまず、ここから退散しようぜ」
相棒はそう言って、小舟を引きずり始める。
『たしかに』
なにしろ、人の命や人権を・何とも思っていない連中が、銃火器などの武器や凶器を持って、あたりをウロついているかもしれない。
『だったら、手っとり早く「自首」するって手もある』
警察官だって、大勢いるだろう。とりあえず、『保護』くらいはしてもらえるかもしれない。でも…
『政治家や・ソイツらと、つながりがある奴らが相手だ』
正面きって出頭するにしても…「状況がどうなっているのか?」もわからないのに、出て行くのは得策ではない。
『そのタイミングじゃないよな』
俺たちは神作に続いて茂みから出て、事件現場の反対側へと、丘を下りはじめる。
『まだ早すぎる』
少なくとも、「今」じゃないはずだ。
* *
『10万か~』
俺たち一般庶民にしてみれば、「宝クジ」にでも当たらなければ、一生・手にすることのできない金額だ。
『フン!』
だが俺は、「確率論学者」の語る「買えば買うほど、当たらなくなる」という言葉に納得していたので…生涯二~三度、「たまたま連られて」買ったことがあるだけだ。
(『確率論』的に見れば…購買数が増えれば、「当選確率」が下がるのは「自明の理」だ。それに、前にも述べたが…俺は『運命論者』でもなかった)。
時々、芸能人などが、高額な借金を返済した事が話題にのぼるが…返せる能力があるから、多額の借金を作れるワケだ。
(だいたい一般人では、そんな額…貸してくれるところがないから、したくてもできない相談だ)。
今も昔も、平民の「人生で一番高い買い物」が分譲住宅なのは、変わらない。
(それでも通常、10万の1/3でも出せればいい方だが…)。
『では、どうやったら、そんな大金が手に入るんだ?』
俺は自分でそんな金額を提示しておきながら、何のアテもないことに気がついた。
(「金が欲しい」「金があれば」という事を語る奴は多いが…「じゃ、そのために、[具体的に]何をしているの?」と聞いて、明確な返答ができる奴は、まずいない)。
[「物価上昇」などと言うと『物の値段が高くなっている』=『物の価値が上がっている』と思うかもしれないが…一番の原因は「通貨の価値の下落」だ。
たとえば…皆が「自給自足」の生活に戻れば、「物価」などというものは存在しなくなる。
ナゼなら…「物々交換」がはじまった時点で、「価格」なるものが誕生したからだ。
そして…「市場経済」の基本原理は「等価交換」。
(お互い、その日・一日分の「労働の成果」を持ち寄るのが始まりだ)。
つまり…『量の増加は価値の低下』。市場が拡大すれば、当然の事だが、必要とされる貨幣の量も増える。
その結果…以前は一万円の価値があった金貨が二倍の数になれば、単純に実質・半分の価値しかなくなり、「二万円を出さなくては買えなくなる」ということだ。
(実際の「経済活動」は、生き物の行動パターン以上に、難解で複雑怪奇。その他・もろもろの要素がからまり合って、そう簡単には事が運ばない・予測不可能なものだが…)。
しかし…見かけ上の値段は高くなっても、実質的な価値は変わらない。
例を挙げるなら…『太平洋戦争』当時、一機22万円だった「零戦」。20世紀末ごろの物価でなら、約300倍の7000万円弱ほど。
(大卒・初任給の700円が20万円強になる計算だから、価値としては・まあまあ妥当なセンだろう)。
やがて…21世紀になる頃を境に、現実でも・フィクションの世界でも、犯罪モノの定番ストーリーだった「ニセ札造り」が激減したのは、その犯行には・コストに見合った価値が無くなったからだ。
(「現ナマ」の価値が上がった現代なら、充分に価値のある行為なのだが…幸い現在の世界は、「電子マネー」が全盛。そちら方面での詐欺は横行していたが、実体がともなったアナログ事件は皆無だった)。
早い話…「日々おなじ暮らし」を続けていれば・いられれば、『物価変動』は起こらない」という事だ。
(「安定」を取るか・「変化」を望むかは、個人や年齢・地位や既得権益などによって変わるものだが…そこで各種の軋轢が発生し・争いへと発展するのが、今まで何度も繰り返されてきた人類の歴史だ)。
ようするに、この話を聞いているアナタが、いつの時代の人かはわからないが…「現在の10万円という金額は、一般庶民では・おいそれとは手にできない」という事が、わかっていただければいい。]
「冷て~!」
ボートの右サイドにつかまっている神作の、情けない声で…
『ん?』
現実に引き戻される。
『これが、たった今の俺の現実だぜ』
一人用のゴム・ボートは、リカとユカを乗せただけで、なかば沈みかけている。
「ガマンしろよ」
俺は、反対側にしがみ付いていた。
『俺だって、胸の痛みにたえてるんだ』
流れに乗って進めば、10分もかからずに目的地に着くだろう。
「もう冬も近いってのに…水遊びかよ」
相棒は、さらにグチをこぼすが…洞門の水はキラキラと、青く輝いている。
『キレイだ』
人類が、まだ狩猟採集で日々の暮らしを営んでいた頃に造られた、「日時計」が残る遺跡の近く。
(あの天変地異でも喪失されなかった、石の文化の痕跡。実際に・その時代に行ってみれば、草・木や皮で作った品々の方が、はるかに多かっただろうと言われるが…各地に残るピラミッドや石像などは、今でも厳然と残っている)。
小高い峰が張り出した、舌状地の先端部。まさか、「縄文時代」に掘られた物ではないだろうが…ここは岩盤をくり抜いて造られた、上水用の水の取り入れ口。
(この先の山脈に・この川の水源を持ち、鉄門を備えた堰のすぐ下流。西からの流れを、南の方角にそれて行く支流の起点に、頭上を越える高さの鉄柵で囲まれた取水口があった)。
この隧道を抜ければ、用水路にフタをした暗渠が続き、終点には、放射能を除去する設備を備えた浄水施設があるはずだ。
(原子炉の「燃料制御棒」の理論と技術を応用し…放射線を吸収する物質で、線量を基準値まで低減させる)。
フェンスの裏手の、山側づたいに回りこんで…柵が切れた急斜面を、ロープの助けを借りて下り…敷地の内側へ忍び込んだ。
そこで、神作が断崖から投げ降ろした・ゴム製の小舟を浮かべたのだが…
「ここまでだな」
おおよその見立て通り、10分弱ほどで暗渠を抜け、目的地・手前の屋外貯水槽に出たが…前方にある施設への水路の入口には、太い鉄棒の柵が見える。
まだ地表だったが、仕方ない。上陸し、舟をたたむ。
「ここで、塩素臭い飲み水が作られてるわけだ」
ボートを片付けていた神作が、ポツリとこぼす。
自然に水を晒す「自然濾過法」に使える土地は、あり余るほどにあったが…放射線の問題もあるし、半屋外の濾過場には限りがある。そこで旧来の日本式の「塩素」が、消毒のために用いられているわけだが…
「下限は決まっているけど、上限は任意なの」
リカが塩素の量について、そう解説してくれる。それで、自治体ごとに「塩素臭さ」に違いがでるのだろうが…
『金魚も漂白されるわけだぜ』
俺はガキの頃、祭りの縁日で手に入れた二匹の金魚が、真っ白になった事を思い出す。「塩素抜き」をしていない水道水を、そのまま使ったからだろうが…
(「塩素」は、こういった所で使われているため、一般では危険視されていないが…塹壕戦となった『第一次世界大戦』で、人類史上、初めて使用された化学兵器だ。致死性は低いが、使い方によっては、立派な武器になる。特に、空気より重たいので、塹壕や地下の坑道・シェルターなどには効果的だ)。
まあ、それはいいとして…
「さて、どうする?」
飲料水を濾過する施設だ。悪徳政治家一味が企んだような、テロ行為にさらされる危険性がある。当然、この先の警戒は厳重だろう。
「すぐ先の下流に、汚水処理場があるわ」
俺が思案するまでもなく…
「むこうなら、警備も手薄なはずよ」
リカが提案してきた。
「さすが清掃工場の所長さん!」
神作は、茶化すような言い回しをするが…まあ、同業・他業種には違いない。
「夜明けも近い。急ごうぜ!」
薄明かるくなってきて、わかったのだが…空一面に低く垂れこめた・遠くの黒雲の中で、雷光が光っている。
俺は皆の背中を押して、先を急いだ。
「ヨシ!」
たしかに、屋外に建つ・こんな所に、用がある奴などいないだろう。到着した処理場の背後の藪を抜ければ、柵も塀も無く敷地に入れた。
「パシン!」
神作の持っていた、例のトーチの最後のガスで「焼き破り」。窓のロック付近のガラスを割る。
「ギ・ギ…キ・キ・キィ~」
開閉したことなど久しく無いらしく、金属レールがサビついていたので、ちょいと手間を食ったが…ドブ臭いにおいが立ちこめている、建物の中に侵入する。どうやらこの時間、誰もいないようだが…
『?』
非常灯の薄明かりの中、内部の様子を探っていると…ズラリと30台ほどのバキューム・カーが並ぶ、駐車場に出た。
『なるほど!』
ここは、下水道を通ってきた汚水を処理して、下流に流す施設だが…扱うのは、通常の下水の水ばかりではない。
たとえば、「水洗式トイレ」とはいっても、すべてが下水管につながっているわけではない。中には、孤立・独立した浄化槽にためられた汚水もある。
(それに、遠隔地に行けば、いまだに「汲み取り式便所」だって多数のこっている)。
それらを集積するために、それ用の車両が現在も稼働中だった。
(排泄物の処理というのは、地味で・不衛生なので、万人から忌み嫌われるものだが…「厠を見れば、文化レベルがわかる」と言われるほどに…過去の遺構などでも…むしろ下水道施設の普及率が、文明度のバロメーターになるものだ)。
皮肉なことに現代では、(その言葉とは裏腹に)「上水」を下に降ろし・「下水」を汲み上げているわけだが…『事の始まり』の最初の晩。こういった施設から出た水路に、車ごと落ちた記憶が蘇る。
『もう、あんな思いはコリゴリだぜ』
つい二日前のことなのに、遠い昔の出来事のような気がしていた。そんな時…
「パチン!」
一斉に、室内の明かりが灯る。
「誰か来たぜ!」
そんな神作の怒鳴り声で俺たちは、近くの車の下に、腹ばいにもぐり込む。
職員が出勤してきたのだろう。
「ブオン! ガラ・ガラ・ガラ…」
まっ白な・化学消防士のように、頭からスッポリかぶる防護服。そんな連中が、ドヤドヤと入ってきて…あちこちで、クルマの暖機運転が始まるが、年代物の車両ばかり。室内は、排気ガスの青白い煙りと臭いで満たされる。
(絶対数が大幅に減少してしまった自動車。放射線や花粉の量とくらべれば、車が吐き出す「二酸化炭素」や「窒素酸化物」など、物の数ではなかったし…咳やクシャミが止まらなくなる『花粉症』とくらべれば、ガマンできないレベルじゃない)。
「ブオン! ガラ・ガラ・ガラ…」
俺たちが身をひそめていた車両の、ディーゼル・エンジンが始動されると…
「コイツをパクッちまおうぜ」
相棒が提案してくる。
「マニュアル車だぜ?」
俺は問いただす。トラックだって、新たに生産される物はすべて、オートマチック・トランスミッションの現代だ。
(神作が乗ってきたレーシング・カーだって…オリジナルは手動のギヤ・チェンジが必要だが、オートマになっていたはずだ)。
「まかせとけって!」
人目を盗んで、リカをまん中に、神作が右側から運転席に乗り込む。
俺は、正面をむいたユカを膝の上に載せ、左の助手席に座る。
「行くぜ!」
クラッチを踏み込んで、ギヤをローに入れた相棒の合図で、ユカの腰に回した両腕に力を入れると…ユカも握り返してきた。
『?』
見れば、右端の車両から次々と、右手の左奥に見える出口にむかっている。
「ガックン…ガク・ガク」
一瞬エンストしそうになるが…
「ブオ~ン!」
なんとか動き出した。
(本来、トラックなどの・この手のクルマの1速ギヤは、満載時の急坂の登坂用で、通常は2速で発進するものだ)。
「ヨッシャ~!」
相棒は右にハンドルを切り、まだ走り出していない車の前を通り過ぎる。
順番を無視して列の最後尾につけ、エアー・カーテンの設置された出入口を目指す。
(屋外から地下への入口には、「エアー・カーテン」と呼ばれる装置が、ほとんど必ず設置してある。20世紀の末には実用化されていた設備に、ヒントを得た物だ。たとえば高速道路などの料金所には、排気ガスが料金徴収ボックス内に入りこまないよう、開口部の上から下にエアーを吹き出し・空気の壁を作っていたと云うし…工場や倉庫などの空調設備には、現在でも同じような物が使われている。荷物の出し入れを頻繁に行う場所では、夏は冷房・冬は暖房されたエアーを吹き出して空気の壁を作り、暑気や寒気が内部に入り込まないようになっているわけだ。そして現代の屋外建築物の出入口には皆、この設備が設けられている。さらに、エアー・カーテンで仕切られたいくつかの部屋の中は、いろいろな方向からエアーが吹き出しており、換気扇を使って空気を循環させている。少しでも花粉を屋内に入れないための処置だ。でも、強力だが・容量や容積に制限のある「エアー・シャワー」と違い…この程度では、物品や人体に付いた花粉を、完璧に払い落とすことはできない。それで人類は、どんどん地下にもぐって行くことになった)。
「早く行けよ!」
聞こえっこないのだが、神作が前のクルマにむかって怒鳴る。
『マズイ!』
たぶん、この車の運転手だろう…左のサイド・ミラーに、こちらにむかって走ってくる白服の姿が映っている。
「ガックン・ガックン…」
相棒は失速しそうになりながらも、前の車両について小刻みに発進・停止を繰り返す。
『早く!』
俺たち四人は、皆そう思っていたはずだが…みな無言だった。
「○! ○! ○!」
何かを叫びながら駆け寄る白服は、もうすぐそこまで来ている。
「ブオン!」
駐車場から地下への入口には、トラックが通れる幅のエアー・カーテンの装置があった。
「ダン!! ダン!! ダン!」
助手席の脇まで追いすがってきた白服は、激しくドアをたたくが…
「ガタン!」
一発目のエアー・カーテンに到達した所で、白服は歩足がにぶる。
『助かったぜ!』
立ちつくした姿が、ミラーに映る。どうやら、あきらめたようだ。
「ガタン!」
二発目で完全に振り切り…
「ガタン!」
三重に張られたエアー・カーテンの、つなぎ目の段差。その最後のひとつを乗り越える。
「やったぜ!」
相棒はそう叫び、一台ぶんの高さと幅の・狭い自動車専用通路に入った所で、勢いよくアクセルを踏み込む。
『帰ってきた』
外はドシャ降りの雨になっているようだが…俺たちは、地下都市を目指した。
* *
「フザケやがって!」
相棒は、「水も入れずにレンジでチン」するだけのカップ麺を、すすっている途中で箸を止め、不平をうめく。
(現代の美食家気どりには、「家畜のエサ」と酷評されているインスタント物だが…味覚のマヒした現生人類の大多数は、「腹にたまれば、それだけで充分」だった)。
例の事件は、翌日の夕方のニュースで「事故があった」と軽く報じられた程度だったし、ネット新聞にも・すみっこの方に小さく掲載されただけだった。
(俺たちが逃げ出してきたのは、今朝のこと。つまり現在の時刻は、騒動があった「翌日の夕方」だ)。
その詳細は、まったく報道されていなかったし…むしろ・その事により、真下の地下都市で大量の漏水が発生したことの方が、大きく取り上げられていた。
(こんな暮らしをしている今の時代にあっても、『治水』は…あちこちから湧き出す地下水を、せき止め・排水する…生活を維持する、重要な公共事業だった。だが・それゆえ、排水ポンプが壊れたための浸水騒ぎなんて、「日常茶飯事」的に起きている。すべてが「地下室状態」なので、たまに溺死者が出ることもあるが…「水漏れ事故」だけなら、特別珍しい出来事ではなかった)。
「まあ、そうアセルなって」
俺は、賞味期限が一年先の・長期保存がきくパンをほおばりながら、神作をなだめる。
『今度こそ、やっと一息だぜ』
俺たちは、怪しまれないように・それぞれカップルで、別々にホテルに入った。
(事件現場からだと、街の中心部をはさんで正反対側。都市のはずれの・地表に面した、トラッカーなどの運送関係者向けのモーテルだ)。
ユカは父(つまり、俺の義理の父親でもある)の近隣の知人宅に連絡を入れ…
「おさいふケータイやカード、なくしちゃって」
などなど、言い訳じみたことをしゃべっていたが…その知人経由で、さらに、その赤の他人名義で、オヤジさんに部屋を確保してもらった。
(こんな状況下、唯一、神作だけがカードを持っていたが…ヤツの物では、アシがつくおそれがあった。ただし、いま食べているインスタント食品類は、相棒の前払い式の買物カードで自販機から買った、奴のオゴリだ)。
人相がバレないよう、ゴーグルやマスクという出で立ちでチェック・インした俺たちだったが…「花粉症」が蔓延した現代にあっては、特段に珍しい格好ではなかった。
(クルマの方は…できる限り深い所までもぐってから、「ところ知ったる」廃工場の敷地の一角に、乗り捨ててきた)。
「どうしたのかしら? 夢中で気がつかなかったけど、今日はぜんぜん息苦しくないわ」
とりあえず落ち着いたホテルの一室で、ゴーグルとマスクをはずしたユカは、不思議そうな顔をしていたが…
「精神的なものも、あるんじゃないか?」
(「花粉症」のクスリを服用していながら、鼻をグズグズさせ・クシャミを連発しているのに…不思議と仕事など・何かに集中している時は、症状が緩和される仕事仲間がいる)。
それに、もともと平気だった俺は、ユカの言葉を気にもとめず…二階の部屋のカーテンの隙間から、おもての様子をうかがう。
朝がた降り出した雨は、雷をともなって、まだ激しく降り続いており…夕方も早い時間だというのに、外は真っ暗だ。
「フン!」
視線を室内に移せば…現代の標準。バス&トイレ付きだが、簡素なイスとテーブルとベッドが二つあるだけの、灰色がかった無地の白壁の、何の飾り気も無い質素な部屋。
(でも…今の俺たちには、それだけあれば十分だった)。
「じゃ、また」
俺とユカの部屋で、全員でひと息ついた後、神作とリカが別室に移動する。
「フイ~!」
二人が出て行った後で俺は、ハラもいっぱいになったし・ヘトヘトだったし…シャワーどころか靴も脱がずに、あおむけに・脇腹をかばうように、ベッドに倒れ込んだ。
しかし、神経が昂っていたせいか、まったく眠りにつけない。
「ゲン。あなた、あの人と何があったの?」
そこへ、タオルを巻いただけでやって来た・湯上がりのユカは、そんな俺の上に馬乗りになり、濡れた長い髪をたらして、のぞき込んでくる。
「あの人って?」
俺は上半身ハダカになり、胸のケガを冷やすために、濡れタオルを当てていた。
「生方さんよ」
リカは、俺たち二人に気をつかいながらも…
「ま、この人は、そういった点じゃ人畜無害の役立たずだろうから…」
と神作に軽い一瞥をくれてから、俺に熱い秋波を送り…
「べつに、どうって…」
部屋を去りぎわ、コチラに投げキッスまで飛ばしていった。
「フツーじゃないわよね」
思い当たるフシは、ありあまるほどにあるが…
「ヤキモチ焼いてるのかよ?」
なんでも「浮気」は…たとえ現場を押さえられようとも…「やってない」と、シラを切り続けるべきなんだそうだ。
「あれこれ手助けしてくれただけだよ」
俺は、矛先を変えようと試みる。
「それは、わかってるけど…」
都合の良い事実も、たくさんある。
「それより、どうしたんだい? 今日は」
うまく話題をそらせそうだったが…
「きょうは、なんかヘンなの」
ユカは、そう言ってうつむく。
「なにが?」
そうは問いかけてみるが…実際そうだった。なにやら今日のユカは、いつものユカではない。
『?』
それが何なのかは、わからないが…瞳が妙に潤んでる。
「あの女のこと思い出すと、イライラするし、それに…」
こういう事にジェラシー感じるなんて、たしかに何か変だ。
「それに?」
俺が問い返すと、ユカの上唇が、少しだけまくれ上がる。
「それに…オナカの奥が熱いの」
そう言って、俺の胸や腹に指をはわせてくる。
「ハア~?」
ユカは、股間を俺の身体にこすりつけながら…
「欲しくてたまらないの」
そう言って、抱きついてくる。
「イテッ!」
胸のキズが痛んだ。
「俺はケガしてるんだぜ」
そんな俺の言葉を、唇でさえぎりながら…
「そっとするから…あなたは寝ていてくれればいいから」
ユカは自分のタオルを開き、俺の衣服をはいでいく。
「ゲンの匂いがする」
そう言いながら、俺にかぶさって来た。
『こいつぁ~男にとって、都合の良すぎる結末だぜ!』
一方、別室では…
(後で本人の口から聞いた話を脚色すると…もっとも、「大ボラ吹き」の異名を持つ・「話をデカクする」ことにかけては定評のある奴のこと。すでに、かなり大げさに「盛ってある」かもしれないが)。
「でも、意外だったな。あなたが、あんなに勇敢な男だったなんて」
一人掛けのソファに・深々と腰掛けていたリカは、片足を組みながら神作の方を見る。
「そ~かな~? べつに…あんなの大したことないよ」
ベッドのはしに、デカイ図体でチョコンと座った神作は、いつものトボケた調子に戻っていた。
「そんなことないわ。今日のアナタ、とってもカッコ良かったわ」
風呂上がりの二人は、藍染めのような肌触りの・上下セパレートの、備えつけの部屋着姿だ。
「へへ…でもさ、今日はなんかヘンなんだよ」
奴にとって、オフクロや妹以外の女性と二人っきりの空間なんて、そうそう経験の無いシチュエーションではあるが…
「気分がハイになっているのかな俺? あんなアクション映画みたいな事した後だし。それに…」
リカは、ソファから身を乗り出す。
「それに?」
訊き返しながら、立ち上がり…
「何かこう…下半身の、股間の奥から…なんかドクドクと、脈打つようなものを感じるんだ」
座る神作の正面で、仁王立ちになる。
「ただ話しをしてるって、だけなのに…」
相棒は、伸ばした両腕を股ぐらに差し込んで…
「カチコチだし…」
モジモジしながら・照れクサそうに、うつむく。
「なにが?」
神作を見下ろしていたリカは…
「ちょっと見せて」
そう言って彼女は・しゃがみ込み、女医が患者を診察するかのように、ふくらんだ奴の下腹部に手を伸ばす。
「どうしたの? 珍しいこともあるものね」
ズボンに手を当てたまま、顔を上げたリカの直前には…
「どう? 使ってみる?」
ポカンと口を半開きにした、アイツの顔。
「ああ」
天をあおぎながら神作は、声にならない返事をした。
その後、俺たちの部屋では…
「どうしちゃったのかしらアタシ? なんだか怖いわ」
俺の上に乗っていたユカは、腰の動きを止め・別世界に入って行く手前で、ためらっていた。
「なにも怖がることはないさ。自分の気持ちに素直になればいいんだよ」
そう言って俺が先端で、『奥の院』の入口を押し開くように突き上げてやると…
「あ!」
ユカは熱い吐息をもらし、いっそう深く入ってくる。
「あん! あん! あん…」
そして俺は汗だくになって・ユカはシーツをビショビショにして、お互いを確かめあった。
「何があったかは知らないけど…今までのことは許してあげる。わたしも、アナタの期待にこたえられなかったんだから」
終わった後で、俺の胸にソッと倒れ込んだユカ。
「でももう、はなさない」
そう言って、それ以上は追及してこなかった。
「ね。もっとイイでしょ」
そして俺たちは、さらに求めあい、最後は泥のような眠りに落ちて行った。
そのころ別室では…
「ゴメンよ。さわられただけで…」
相棒は、情けない声を出すが…
「いいって。でも、まだ元気じゃない。まだできるでしょ?」
奴はコクリとうなずく。
「…」
女は無言で初めての男を導き・男は目覚めた本能の赴くままに、互いに腰を振る。
「すごい! まだ硬い」
最初の儀式を終えても、なお・おさまらない。
「もっとできるでしょ?」
下になっていた女は、陰に根をくわえたまま・両足をカニ開きにして、男の腰に回し…
「ね。たくさんして」
さらに二人は、たまりに・たまったお互いの「にこごり」で蜜壷をあふれさせ、最後は甘美な眠りへと堕ちて往く。
地表では、俺たちの激しい交わりをかき消すように、強い風と・轟く雷鳴をともなった豪雨が、嵐のように吹き荒れていた。
* *
『ん?』
俺は、カーテンのすき間から差し込む木漏れ陽で、目を覚ます。
バスローブを羽織って窓辺にむかうが…
「来てみろよ! なんか変だぜ!」
カーテンを開けて、雨上がりの屋外を見た俺は、まだ寝ていたユカを呼ぶ。
「ほんと、へん。まだし足りない」
ユカはハダカのまま、後ろから俺に抱きついてくるが…
「そうじゃなくって! おもてを見てみろよ!」
そして別室でも…
「来てみて! なにか変よ!」
さえずりながら・窓ガラスをたたく小鳥たちの気配で目覚めたリカが、神作を起こす。
「ほんと、へん。朝立ちしてら」
相棒の股間は、毛布をふくらませていたが…
「あら、ほんと! でもその前に、ちょっと外を見てよ!」
すっかり嵐の去った、地表の世界。
『いったい、どうしたんだ?』
そこには、何ものにも邪魔されずに、燦々と降り注ぐ太陽の光と、それに照らし出された美しい自然の姿があった。
「フイ〜!」
残念ながら、窓は開かないが…俺は太陽の光にむかって、大きくノビをする。やがて…
チェック・アウトの時間。
それまでに、それぞれ・もう一回、お互いを求めあった俺たち二組は、シャワーを浴びてから部屋の出口にむかう。
『?』
俺が、左の腕にもたれかかるユカの重みを感じつつ、廊下に顔だけ出して様子をうかがうと…左手・ななめ向かいの部屋のドアがソッと開き、神作が面を出す。
「右・左・右…確認ヨシ!」
右手の人差し指を左右に振って、『安全確認』を行ってから外に出る。
(もちろん、怪しい奴でもいないか、確かめたわけだが…おもに「鉄道」などの交通機関や・多くの工場や建設現場などで奨励されている『指差呼称』。俺が・たびたび「ヨシ!」と掛け声をかけてしまうのは、このクセが身体に染みついているからだ)。
『?』
おもてに出てきた相棒に続いて…小柄なリカが、奴の左腕にブラ下がるように現われる。
『へへ…』
俺と眼があった神作は、テレ臭そうな笑みを浮かべる。
「フン!」
リカは満足気に、奴を見上げたままだ。
ーbeauty&beastー
『美女と野獣』みたいだが…案外、「お似合い」だ。
『次の研究テーマが見つかったようだな』
俺は、二人のその姿を見て、すべてを悟った。
『でもこれで、悪党どもの計画も、すべてパーだ』
答えは、意外と簡単だったのだ。
『自己再生機能』
生命力さえ残っていれば、「時」が解決してくれる。
やっと地球は・そして人間は、本来のバランスを取り戻した訳だ。
『あとは…』
残された問題は…このあと人類が、この美しい自然と、そして男どもは今後・この厄介な「女」という生き物と、否、「麗しき女性たち」と、「どうやって共存していくか」という事だけだった。
『それに…』
まだ、後始末が残っている。
* *
「ああ…わかった」
受話器を置くと、ユカは熱いコーヒー・カップを俺に手渡しながら…
「二人っきりになりたいなー」
そう言って、物欲しげに・俺の肩に指をはわせてくる。
『?』
ユカの視線の先を追うと…むこうのテーブルでは、神作とリカが、画像や映像の修正や編集をしている。
その仲睦まじい光景に、当てられたのだろう。おかげでユカは、俺に対する猜疑心も・リカへの嫉妬心も失っているようだ。
「フン!」
俺にしたところで…もともとリカとは、愛があっての関係ではなかった。時がくれば、お互い・何のわだかまりも無く解消される仲だった。
(遭難し・生死をともにした男女二人。「九死に一生」を得て生還したが、それでロマンスが生まれることはなかったと云う。そんな話を聞いたことがある)。
『?』
作業がひと段落したところで、神作とリカは、手に手を取り合って、奥の倉庫の方にむかって行く。
『朝・昼・晩と、よくヤルぜ』
「毎日の恒例行事」。
ここのところ・ほぼ日課となっていた、「昼のお勤め」を果たしに行くのだろう。
「さてと! 次だ」
俺はふたたび、古風の・黒いダイヤル式固定電話の受話器を取る。
「つまんな~い」
ユカは甘えた声を出すが、それも仕方ない。
俺たち四人はここ数日、義理の父の工場に「缶詰」になって、身をひそめていた。
(工作機械や・お手製の道具が並ぶ、油のシミと匂いに満たされた室内。整理整頓はされていたが、どこか雑然とした雰囲気が漂う。しかし・かえって、何か落ち着く空間だった)。
その間、俺は電話に取り付いていた。
大学時代の友人で、今ではジャーナリストの「はしくれ」ぐらいにはなっている男がいた。俺は奴の所在を探し出そうと、あちこちに電話をかけまくっていた。
(今では、すべての競技がマイナーになってしまったスポーツ界だが…彼は、とある種目の「追っかけ」型フリー・ライターをやっている。分野は違ったが、何かツテくらいはあるだろう)。
さらにオヤジさんの方には、俺たち…俺と神作が、「毒物混入事件」の目撃者としてインタビューを受けた時のTV関係者に、直接あたってもらっている。
(「インターネット」という手もあったが…偽情報があふれているネット界では、信憑性に欠けるし・即座に規制や制限が入るおそれもある)。
「あ、もしもし。あの~そちらに…」
おとなしく・目立たなく出頭したのでは、『もみ消される』可能性がある。いきなり「大事件」にしなくてはならない。
(保身のための、当然の自衛手段だ)。
『いよいよ本番だぜ!』
そして…その数日後。俺は、まだ痛みの残る胸いっぱいに、ゆっくりと息を吸い・ゆっくりと吐き出した。
「もうすぐよ!」
腹のすわった声で、リカが言う。
「全部ブチまけちまおうぜ!」
「相棒」改め・リカの「相方」になった神作は、彼女がついていれば、プレッシャーも感じないようだ。
「みんな落ち着けよ」
俺は、努めて平静を装っていたが…内心はドキドキだった。
『?』
そんな俺の心の内に気づいたのか、ユカが手を握ってくれる。
『タバコ吸いて~』
あれ以来、禁煙状態だったが…禁断症状ではない。俺は、極度の緊張の中にあった。でも・それは、「恐怖」や「怒り」の感情ではなかった。
「フ~!」
俺はこれでも、けっこう「テレ屋」なのだ。
「生放送じゃなきゃ、意味ないわ」
それがリカの主張で、それでこうなったワケなのだが…俺たちは『街の発明家』として、テレビ・カメラの前に立つことになった。
地元コミュニティーのケーブル・テレビジョンの、夕方の時間帯に生放送されているニュース番組だ。
『金なんていらね~から、帰らせてくれよ!』
(これが、面倒くさい仕事や・やりたくない作業をさせられている時の、俺のいつもの口グセだ)。
急激に減少した花粉の特集の後、『世界のトピックス』として「核廃棄物の焼却、実現まぢか」というニュースが流れる。
(あの大災厄で、『前人類時代』の多くの・優秀な頭脳が失われてしまったが…大洪水を境に、人類史は前期と後期に分けて語られている…欧州の地下で生き残った「素粒子高速加速器」を使った実験が行われていた。現在考えうる最高の、科学者の知識を結集し・技術者の力を集結した試みの末、いよいよ「核廃棄物の焼却処理」実現の目処が立ったと言う)。
続いて…俺とユカに義理の父、それに神作とリカが、生で画面に映し出される。
『しゃ~ね~な』
みずから望んだ事ではないが…ここまで来たら、御託を並べても始まらない。
『覚悟を決めるしかなさそうだ』
俺は、腹をくくる。
『べつに、命まで取られるわけじゃないさ』
まずはオヤジさんが、「パワー補助装置」の構造について解説し…次に俺が、「形状保持ゴム」の原理について説明する。
それらの合い間に、神作とユカが、その実例を…もちろん空気銃は出さなかったが…披露した。
「これらの道具があって、実際どんなことに役立ちましたか?」
最後に…まだ、じゅうぶん時間は残っていたが…女性アナウンサーの持つマイクが、リカにむけられる。
「先日発生した、かなりの規模の漏水事故、おぼえていらっしゃいますか?」
そこでリカは、当初の予定になかった話題を切り出す。
「はい?」
女子アナは、キョトンとした表情に変わる。
『フン!』
プロデューサーやディレクター・クラスには、裏で大方のハナシはついていたが…秘密保持のため、末端までは情報が伝わっていないのだろう。
(油断は禁物だ。『太平洋戦争』の緒戦「真珠湾攻撃」は、参加将兵ですら、直前まで攻略目標を知らされていなかったと云う。一方で…最初のつまずき・大敗を喫した「ミッドウェー海戦」は、出撃前から、花街の芸妓にまで知れ渡っていたと伝わる)。
だがかえって、臨場感たっぷりだ。そしてリカは…
「あれは事故ではなくて…わたしたちが起こした事件です!」
新世界はじまって以来の、史上最悪の陰謀・前代未聞の謀略について、暴露した。
「ご覧ください!」
神作が手に持つモニターから、一部始終の映像を流しつつ…
「あいつは今、あそこの水槽の中で罪を償っています」
リカは最後を、そう締めくくった。
『フウ~! やっと終わったぜ』
この日に合わせ、警察や大手放送局に証拠の映像を(匿名でなく実名・連名で)送り付けてあったし…例の元学友に頼んで、事の詳細を綴った顛末記も記事にしてあった。でも…
『カメラのむこう側で、いま何が起こっているのか?』
俺は少々不安だった。
『でももう、大丈夫だろう』
なぜなら人類は皆、「善良なブタども」ではなくなっているのだから。
※ ※
「禁断の果実はウマかったぜ!」
「で、どうだった?」
俺のそんな質問に答えた神作は、開口一番、そんな文句を吐くが…
「な~に言ってんだよ。オマエが食ったのは『狂った果実』だぜ!」
俺は相方のセリフにツッコミを入れる。
「なに? ずいぶんなこと言ってくれるじゃねーかよ」
でも・たぶん『アダムとイブ』だって、いつまでも子供のままで「恥じらい」の心を持たなかったら、きっと「セックスしよう」なんて気にはならなかったはずだ。
「ところでオマエ、リカとヤッてないだろうな?」
ヤツは、俺が一番触れられたくないところを突いてきた。
『しまった!』
からかうつもりで、余計な質問をしたせいだ。
「そ・そんなこと、あるわけないだろ。サッサと買物に行ってこいよ。俺はケガしてんだよ!」
俺は心中を読み取られないように、ワザと面倒臭そうに・ブッキラぼうに、現場から戻ってきたばかりの神作に告げる。
『ヤベー・ヤベー。墓穴を掘ったぜ』
相方の後ろ姿を見送った俺は、ここ数日…怪我で療養中ということで、事務所で待機だ。
そんなヒマな時間を利用して俺は、次の計画…「金持ちになる作戦」を練っていた。
なにしろ…これから世界は、「超」が付くくらいの・「右肩上がり」の成長期に入ることは、間違いない。それに…
「世のため・人のためになる物を作って、世の中に送り出せば、富や名声は、おのずと後からついてくる」
それが、現在の俺の自論&持論だ。
(「人間なんて、みんな◯◯」と、自説や持説を展開する奴は多いが…「◯◯」に当てはまるものは・たいてい、「盗人」「ウソつき」「見栄っぱり」、「色魔」に「強欲」、「なまけ者」や「自己中心」などなど…だいたいが、語ったソイツの本性を表わしているものだ。もしかしたら、生まれついての「善人」や「賢者」もいるかもしれない。もちろん、その逆だってあるだろう。しかし、「人間は理性の生きもの」。『自分の美意識をはぐくめば、価値観はどうにだって変えることができる』と、今の俺は・そうかたく信じている)。
きっと、利益ばかりを追及している「金の亡者」では、いっとき儲かる事はあっても、たしかな成功はおぼつかない。
(以前、地下都市に甚大な被害をおよぼした地震があった。流通機構がマヒし、生活必需品にも事欠いた。その時、人の弱味につけこんで、「ここぞ」とばかりに高値で暴利をむさぼった小売店があった。しかし復旧後、数年もたたずに店をたたんだ。そんな実例を知っている)。
要は、社会に利益還元。
(末長く商売を繁盛させるためには、『商いの達人』などの先人もおっしゃる通り、社会的信用が大切だ)。
ラッキーなことに、必要な時間や資金がタップリできたのは…
「災い転じて何とやら」
あの後…あの暴露放送の後、俺たちはそれぞれ・個別に取り調べを受けた。
「凶器準備集合罪」など、理由をつける気になれば、いくらでもできただろう。唯一さいわいだったのは、俺たちは誰ひとり・殺めていないことだった。
『最悪の事態だけは、避けられるかも?』
俺はそんな予測を立てていたが、ある程度の懲罰を受ける覚悟はできていた。
しかし・そこで、悪徳「政治屋」の陰謀や謀略などの悪事に関する、あらたな有力証言があったようだ。
(「政治屋」とは、政治家としての使命や責任を失い、私利・私欲に走る連中のことだ)。
『きっと、あの四人だ』
あの時・奴が氷漬けになった研究室で対峙した、武装した四人の男たち。
『たぶん…』
あの身のこなしからすると…おそらくアイツらは、警察機構や自衛軍など、公式な機関の関係者だったのだろう。
(そうでなくとも当然、俺たちがリークした・自分たちが出演している映像を、見たはずだ)。
軍事組織など、一歩間違えば「人殺し」の集団になりかねないが…中には高い志(国防や国益、国民の安全や権利・財産を守るという義務感だ)を持った崇高な人間だって、大勢いるはずだ。
それにえてして、純真で高潔な人間の方が、かえってダマされやすかったりもする。
(ましてや、旧『帝国軍』の「服従の精神」ほどではないだろうが、軍隊は「トップ・ダウン」が鉄則。「命令厳守」ゆえ逆に…中間管理職クラスの・屈折した[?]信念や野望による暴走で、本人の意思とは無関係に…『事変』や『事件』に加担してしまう案件も、発生する訳だ)。
『助かったぜ!』
とりあえず俺たちは、無罪放免ということになった。
(しかし…当の本人が生きているならともかく、あのくらいの男だから、敵も多かったことだろう。ライバル政党ばかりでなく・身内の中にも反旗をひるがえす政治家が後を断たず、政界だけでなく、経・財界をも巻き込んでの大騒動になっていた)。
『ツイてたぜ!』
オマケにスポンサーまで現われて…俺はまず、「実用新案」や「意匠登録」「特許権」の申請中だ。
(営業の方は・人の心をつかむ才のあるリカにまかせ、義理の父も巻き込んで起業するつもりだが…リカは、政治家を目指した方が良いのではないだろうか? 「政治はね~」と、今は言うが…神作なら、「付き人」兼「用心棒」にもピッタリだと思うのだが…)。
さらに…
『しっかし、不思議なモンだぜ』
俺は一文も払ってないのに…
(もっとも、これから「それなりの手間と金」はかかるだろうが…)。
生涯でもっとも大切なものが、タダで手に入ることになった。
(ところがサルは、「自分たちがした行為の結果として、こうなった」ということを、自覚してないと言うが…)。
「やっと孫の顔が拝めるわけだ」
そんなところに訪ねてきたオヤジさんは、満足そうだ。
『フン!』
俺たち…俺とユカ、そして神作とリカに、子供ができた。
彼女たち二人は今日、そろって産婦人科に行ってきたところだ。
「予定日が同じか。二組とも、同じ日に・同じ行動をとったワケか」
義理の父は、ニヤケ顔をする。
『このエロおやじ』
たしかに、たぶん俺たち…俺とユカの場合は、間違いなく「あの日」の子供だ。
『でも…』
でも俺は、ちょっと不安だった。「出産予定日」というものは、その前後の生理日から計算されるわけだ。一日や二日のズレくらい、わかりっこない。
俺は「廃墟の上での情事」が引っ掛かっていたが…
「大丈夫よ。あなたの子供じゃないわ」
そんな俺の心を読んだのか? リカは後ろから俺に、そっと耳打ちしてくる。
「どうしてわかるんだい?」
ビックリして振りむく俺に…
「あの時、あのホテルでの嵐の晩。たしかに着床したって実感があったもの」
なるほど!
『野性のカンってやつか』
俺はナゼだか妙に納得し、動かすと痛む胸をなで下ろす。それにしても…
『憑き物が落ちたみたいだな』
あれ以来リカは、悪く言えばナレナレしいが・良く言えば打ちとけた雰囲気の女になり、まるで家族のように、俺たちの一員になった。
(子役の頃は激烈なオーラを放っていた女優が、気がつけば、いつの間にか…上品だが・平凡な家庭の主婦役をやっていることがある。そういう事例を見ると『守護霊ってのは、ホントにいるのかな?』と思ってしまう。「人は簡単には変わらない」と言うが、『守護霊が交代したとしか思えない』というほどの、劇的な変化を見せる人間も、中にはいる)。
そんなリカの姿を見ていると…
『一番大切なのは「出会い」だ』
そんな事を実感する。
(たとえば、どんな分野…実業でも・学問でも・芸能でも・スポーツでも…その道で「功なり・名をとげた人物」には…良き相棒・良き師匠・良き伴侶・良きライバル…かならずひとつは、「良い出会い」のエピソードがあるものだ)。
『やっとわかったよ』
きっと自分が・それにふさわしい人間でなければ、出会いの機会があっても、みな素通りしていくだけだろう。
『それをつかめるかどうかは、自分しだいなのさ!』
俺はそう思い、そこで麦茶を一杯、口に含むと…
「べつに、アナタの子供でもかまわないんだけどね」
去りぎわに、ポツリとひと言。
「ブッ!」
俺は思わず、麦茶を吹き出す。
「冗談よ」
リカはそう言って、買物から帰った神作の元へ歩み寄る。
「トオルさん」
リカは甘えた声を出し、ソファに座った相方の肩に、後ろから両手をはわす。
『な~にが「とおるさん」だよ』
「神作透」がコイツのフル・ネームだ。
『俺に似てたら、どうすんだよ』
ま、そんな心配は無いだろう。
『こういった事に関する「オンナの勘」は、絶対に当たる』
俺には…理由は無いが…確信めいたものがあった。
『あいかわらず、罪作りな女だぜ。「罪作り」の女なんだから、仕方ないか。神作のカミさんだもんな。でも…』
俺は、あの時は夢中で気がつかなかったけど、後でよくよく考えてみたら『この女さえ俺に近づいてこなかったら、こんな目に遭わされることも無かった』わけだ。
それに俺たちが手を下さなくとも、奴らの計画の大部分は自然消滅していただろう。
(これでリカは、遠慮なく植物を飾れるだろうが、一方おれは…「煙りを吸うなんて、野蛮だよな」。子供も生まれてくることだし…これを機に、きっぱり禁煙した)。
『いや、もしかしたら人類は、本当に絶滅していたかもしれない。それに…』
そんな物思いにふけっていると…
「木田さん夫婦も、こっちに来て!」
リカの呼ぶ声がする。
『木田?…たしかに「木田現」は、この俺だ』
ユカが、俺にグラスを手渡してくれる。
『それに、誰もが経験できるわけじゃない非日常を体験できて、そしてこうして生きているんだから…まあいいか』
「オトコが作って、オンナが生むんだ。神の作った子供なんだぜ。大切にしろよ!」
あれ以来、得意満面な神作は、そう言ってグラスを手に取る。
「妊婦さんが二人もいるんじゃ仕方ないけど、なんで俺までノンアルなんだよ?」
俺は不平を口にするが…
「アナタはケガしてるんでしょ」
ユカがたしなめてくる。
「さあ・みんな、グラスを持って」
神作の奴は、調子に乗って音頭を取るが…
「イクときゃ、いっしょだぜ!」
それを聞いて、俺はちょっとアセッた。
『なんだい、そりゃ?』
リカが俺の方を見て、ウインクする。
「なめたこと、言ってんじゃねーよ! ついこの前まで、チェリーだったくせに」
顔を赤らめたユカが、俺の右脇腹をヒジでコヅく。
「イッテ~!」
グラスを落とさないようにして、かがんだ俺にユカは…
「あっ! 忘れてた。ごめんなさい!」
あわてて、詫びを入れてくるが…
「まっ、いいか!」
そうつぶやいた後で、浮かんだ思いは…
『みんな! 最後まで付き合うぜ!』
新しい時代の・新しい命が、誕生するんだ。
「カンパ~イ!」
俺たちは祝杯をあげる。
とりあえず今回は、これで「ジ・エンド」だ!
[了]