LOYALTY ー忠誠心ー (第二部)
* *
どのくらいたったろう?
俺は何か夢を見ていたのだが、深い眠りにもつけず、頭の中はグチャグチャしていた。そんな時…
「しまった! 電源切られたみたいだぜ!」
そう叫ぶ相棒の声で、目が覚める。
『?』
しかし…眼を開けたつもりになっても、闇しか見えない。
『ここは、どこなんだよ?』
胸がつまるような、絶望的な閉塞感。
「目が覚めたら、そこが・どこかもわからない、真っ暗闇の場所だったら?」
こんな穴ぐら生活を強いられていると、そんな悪夢にうなされて、実際に覚醒する事も、しばしばだった。
『また、いつもの夢か?』
一瞬おれは、自分がどこにいるのか・何をしていたのか、理解できなかったが…
『そうだ!』
たしかに眼を開いているのだが…非常用電源も断たれているのだろう、計測器ばかりでなく、空調機器もストップしているようだ。
「光のそばには、近よるなよ。目立つからな」
神作の声がする。
相棒は、潜水艦救難用に開発された、燃やすと酸素を発生するローソクに火をつける。そいつを中央のテーブルの上に立て、闇の中に身をひくと…
「バシューン!」
その瞬間、閃光の閃きとともに・低い爆裂音が聞こえ、室内に硝煙の臭いが漂う。消音器から出た銃声だろう。
「ヤバッ!」
俺は左隣りにいたリカの頭をかかえて、床に伏せる。
「う、う、う~」
誰かのうめき声が聞こえるが…リカは俺が抱きしめている。
「暗視眼鏡使ってやがるな!」
神作の声が聞こえる。
たぶん…目につきやすい白衣を着たあの男が、標的になったのだ。
「隣りの部屋だ!」
神作が叫ぶ。
奴は、軍払い下げの狙撃銃用「スターライト・スコープ」を持っているはずだ。サバイバル・ゲームの時ならず、仕事でも、暗所での作業などには役立つ物だった。
「あそこだ!」
隣りの保管室へ通じると思われるドアのスキマから、わずかに淡い光が漏れていたが…人が入って来る気配の後で、また闇が訪れる。
「うかつだったわ。隠し扉があったのね」
計器類の載った、背の高いラックの裏側だ。レイアウトの関係か何かで、「はめ殺し」となっていた出入口だろう。
「ゲン!」
闇の中から神作が、小声のつもりで俺を呼ぶ。
「おう!」
むこうからは、こちらが見えているのだろうが…ヤツの怒声では、丸聞こえだ。
「大丈夫だったみたいだな」
ソファーの足下に伏せたまま…
「ああ。俺とリカは平気だ」
そう返事をしながら、トーンを下げるように合図を送る。
「彼は?」
リカは白衣の男のことを尋ねるが、神作はそれには答えず…
「どこだかわかるな?」
声を低めた神作が意味するところは…隣りの部屋。そして、そこに出向くという事だ。
「ああ」
俺は、そう返しながら…自分で自分の頬に「目覚めの往復ビンタ」で気合いを入れる。なにしろ今度は、少しはマシな連中のようだ。
『まともにヤッたら、かないっこない』
特殊訓練を受けた人間にカミソリ一枚渡せば、数人を制圧できるという。「逃げるが勝ち」だ。
「二人組の四人」
相棒の声に、俺は暗闇の中で「グー」をして見せる。
「コイツをかけてろ」
そう言われて床を滑ってきた物が、つま先に当たる。
『?』
耳かけの付いた、丸目・二眼の溶接メガネ。
『!』
それですべてを察した俺は、ソイツをかけて・リカの眼を手でおおう。
「これから花火大会がはじまるぜ!」
神作がそう叫ぶと…間髪を置かず、闇に尾を引く・細い閃光が弧を描く。
奴は仕事でも、「安全靴」代わりに「アーミー・ブーツ」を使っているが…ソイツのカカトで、お手製の防水マッチを擦ったのだろう。
(溶かしたローソクの蝋で、一本・一本コーティングした物だ。紙ヤスリから削り取った研磨材の粉をまぶしてあるので、硬い物でこすれば火がつく)。
「シュ~…」
火を移した導火線を、「ねずみ花火」のような火花が伝い…
「ブッシュ~!」
神作『特製』…ギャグ漫画に登場する「いかにも爆弾」といった、丸形の「マグネシウム入り花火」が炸裂する。
『バチ・バチ・バチ!』
粉末のマグネシウムが、強烈な火花を散らす。目眩まし効果も十分だ。
「うわっ!」
一斉に声を上げ、小銃を構えて突っ立った四人が姿をさらす。
フード付きの黒服。顔面に突き出た、電子光学双眼鏡か「バーチャル・リアリティー」モニターのようなゴーグルを装着しているが…明るい閃光に暗視メガネなんて、「目つぶし」を喰らわされたようなものだ。
不意をつかれて眩惑された四人は、咄嗟に対応ができない。
「いまだ!」
そう叫びながら、神作が飛び出す。
隠し扉の前にいた四人を、タックルを浴びせるように薙ぎ倒し…
(言い忘れていたが…奴は学生の頃は、「ラガー・マン」だったらしい。しかし唯一の武勇伝は…合宿の時。調子に乗って地底湖に飛び込んだは良いが、思いのほか水深が浅く・頭から湖底の砂に突っ込んで・水から上がったら、全身・釣り針まみれだった…という話だけだ)。
隣室への扉を押し開く。
「行くんだ!」
俺はリカを続かせるが…一人が態勢を立て直し、俺の前に立ちはだかった。
自在棍棒のような得物を手にしているのは、入り乱れた狭い室内、同士討ちを嫌って・発砲をひかえているからだろう。
「この野郎!」
ソイツは、ビビッているのか? 威嚇してくるが…
「…」
俺は無言に決めていた。ナゼって…「格闘戦の極意」は、(以前、歴史小説か何かで読んだのだが)最後の瞬間まで「寡黙でいること」だそうだからだ。
「グッ!」
叫びそうになるのを、グッとこらえる。いっそ「雄叫び」を上げてしまった方が、どれほど楽なことか…でも・それは、萎縮していることの証明でしかない。
「…」
それに、「剣道初段」に棒を持たせれば、「空手三段」ほど。逆に「槍術使い」には、「剣道四段」ほどの能力が必要ともいうが…俺はストリート・ファイターが、正統派・剣術家に使ったという裏ワザを参考に、振りかぶると見せかけて…そして最後に、気合い一発!
「うりゃ~!」
相手の機先を制する大声が効果的!
「バシン!」
木製の銃床で、右回しに相手の左足の向こう脛を一撃。
「グワッ!」
敵がよろけたところで、さらに横やりから左の膝をめがけて、のしかかるように蹴りを入れる。
「ミシッ!」
そんな感触があった。これで靭帯の一本でも切れてくれれば、自由な動きを封じられる。
(「アメリカン・フットボール」なら、この手のケガはつきものだ)。
「ウワッ!」
俺は、戦意を喪失したソイツを踏み越えるようにして、「次の間」へと逃げ込むが…一瞬目にしたのは、あおむけに倒れたあの男。額のまん中に風穴を開けられ、口を半開きにして・眼を見開いていた。
「バタン!」
後ろ手に扉を閉じるが…こちら側からでは、キーがなくてはロックが掛けられない。
「ヨッシャ~!」
すかさず神作が「釘打ち機」を手にし、ドアの隙間に打ち込みはじめた。
「タン! タン! タン!」
大工道具の一種で、高圧のエアーでクギを打ち込む装置だ。ハンディー・タイプだが、相手が木材でなくとも、薄い鉄板くらいなら楽に貫通する威力がある。
「タン! タン! タン!」
周囲にそんな音を聞きながら、あたりを見渡せば…連中が通ってきたそこは、間接照明のブラック・ライトのような蛍光塗料に照らされた、秘密の通路。
「彼は?」
背にした扉に寄りかかったままの俺の前に、リカが立つ。
「…」
俺は無言で、首を横に振る。ガックリと肩を落とすリカの頭を抱き寄せ、前方に視線をむけると…突き当たりに、扉のような物が見えている。
「これだけクサビを入れときゃ、だいじょぶだろ」
ミシンの縫い目のように、何十本もの「五寸クギ」が刺さっている。それに、アイツらが持っていた武器では、この戸は撃ち抜けないだろう。
「どうする?」
ひと仕事終えた神作は、「開かずの扉」となったドアと・背後の廊下を見くらべる。
「行くしかないだろ」
俺は気を取り直し、背中側に差していたオートマチック型のピストルを抜く。相棒から渡された、タマが一発だけ入った空気銃だ。
「シャキン!」
弾丸を装填してから握り直し、薄闇の中、腰を落として・はうように進む。
『…』
ドアの所までたどり着き、旧式の・握って回す丸型のドア・ノブに手をかける。回してみると…
『?』
鍵はかかっていない。しかし、むこう側の様子を、うかがい知ることはできない。
俺はその場にしゃがみ込んで…
「ドン!」
扉の低い位置を蹴り開ける。
『…』
戸が開かれると、灯りが差し込む。でも、何の反応もない。
よつんばいになった俺が、ソッと低い位置から顔を出そうとした時…
「バン!」
至近からの激しい音。あわてて首を引っ込める。
「バラ・バラ・バラ…」
細かい銀色の金属球が床に落ちる。散弾銃の弾だ。
「出てきたまえ!」
散弾が降り注ぐ音がやむと、図太い声が聞こえる。
「人質は、ここにいる」
その声は、そう続けた。
『フン!』
俺は前方に銃口をむけたガンをかまえて、立ち上がる。
『ここにいろ』
俺は後ろの二人に、ジェスチャーでそう合図して、いったん下がって闇の中に入り、扉の正面に立つ。
そちらの部屋は「明るい」というほどではないが、裸眼でも様子がわかる明るさだ。
『!』
俺の正面には…ユカと、その向かって左に男が一人。床にベタ座りさせられ、その後ろに、散弾銃をかまえた・茶色いスーツの男が立っている。二人は、後ろ手にしばられているようだ。
『ヤロ~!』
俺は空気銃を握った右腕をまっすぐ伸ばし、ユックリと前に進み出た。
『?』
その部屋に入ると、ヒンヤリとした冷気が漂う。
壁ぎわ一面に、透明なガラスかアクリル製の・背丈を越える大きなカプセルが立ち、足下には、いくつもの水槽が並んでいた。ここには数多くの「危険な生物」が生息しているはずだ。
「まったく、イザとなったら役に立たない奴ばかりだ。わざわざ、私みずから出向かなくてはならないとはな」
ヤツは、ドスの効いた声でスゴんでみせる。
『うっせーよ!』
俺とその男は、水槽のまん中に通った・まっすぐな通路の両端で対峙した。
ソイツは、俺たちの親と同世代。もうすでに、初老と呼ばれる年齢にあるはずだが…肌にはツヤがあり、血行の良さそうな顔色をしていた。髪の毛も黒々としているが、歳のわりには色づきが良すぎる。見栄をはって、染めているのだろう。体格も良く、目つきは…良く言えば「生気にあふれて」・悪く言えば「ギラギラと、貪欲な光を放って」いた。
「あの女はどうした?」
ソイツは、人質の二人に銃口をむけたまま叫ぶ。
「ここにいるわよ!」
リカはそう言って、俺の左隣りに出てきた。
「ホ~、大人になったな」
奴は右の頬をひきつらせるようにして、ゲスな笑みを浮かべる。
「うるさいわよ、このケダモノ!」
彼女が吐き捨てるように返すと、ヤツは…
「コイツも、お前に会いたがっていたみたいだな」
そう言って、目の前に座らせていた男の頭を、銃の先でコヅく。
顔には…たぶん私刑や拷問の跡だろう、はれ上がり・血の浮いた傷があった。
「ゼン!」
リカはつぶやくように、その男の名を口にする。
『コイツがリカの、昔のイイ男か』
でもイタブられて、意識もほとんど無いようだ。
『男前がだいなしだぜ!』
『人間の顔が、こんなになるのか?』と思うくらい、崩れ・ふくれ上がっている。これでは、次にどこかで会う機会があっても、本人とは気づかないだろう。
『ったく…だいたいコイツら二人は、実の親子だよな』
そんな状況に俺は、「怒り」というよりイラついて…
「レディーの前で、品が無いんだよ! このオッサンは!」
左手で・リカを後方に押し戻しながら、声を張り上げる。
たぶんそれは、ソイツに対する「ムカつき」と…そして、リカの「昔の男たち」への「嫉妬心」から出たものだ。
(もちろん、ユカや俺たちへの悪行の数々…「憤り」の感情も含んでいる)。
「なんだ、お前は?」
他人に・ましてや俺みたいな若造に、メンとむかって・こんなふうに言われた事など無いのだろう。奴はチョットあわてて、驚いた表情を見せた。
「女房を返してもらいにきた!」
コッチには、正当な理由がある。俺は…ユカには、たしょう(?)気がひける行為もあったが、毅然とした態度に出た。
「なるほど」
この野郎は、トボケた笑みを浮かべる。
「この女の亭主か。今どき珍しい、若い人妻がどんなものか…楽しみにしていたんだがな」
ヤローはユカの頭上で、これみよがしな言い方をしやがった。
「ま、後でユックリ楽しませてもらおう。お前がどんなふうに、この女を仕込んだのか」
ユカは、おびえた目をしている。
『アっタマきた!』
俺は瞬間的に、頭に血が昇った。
「自意識過剰なんだよ、オッサン!」
奴にむけていた右手に、力が入る。
「どうせ、もうすぐ役立たずだろオッサン!」
でも…「命中精度は期待しないでくれよ」という神作の言葉が、脳裏をよぎる。
「あとのことは心配しないで、サッサとオネンネしちまいな!」
そうは言ったものの…どちらにしろ俺は、一発かぎりの銃弾を、見事に命中させる自信など無かった。
「チッ!」
なにしろ、神作の空気銃を借りたことがあるくらいで、射撃の経験がほとんど無い俺だ。試し撃ちをしたこともない銃で・狙い通りに一点を撃ち抜くなんて…「針の穴に糸を通す」以上に難しいことは、わかっている。
「吠えるな!」
奴は、人質に銃口をむけたまま…
「ソイツを捨てろ。さもないと、こいつらの頭をブチ抜くぞ!」
おどしをかけてくるが…
「バーカ! テレビの見すぎなんだよ、オッサン!」
芝居がかった演出に、いっそう腹が立った。だいたい俺は、いつも…
『そんな奴、いね~よ』
演劇や舞台出身の俳優のオーバー・アクションが、大嫌いだった。だが…
『コイツ、単純な思考回路でよかったぜ!』
ナゼなら…
「ここで俺が銃を捨てたら、まっ先に俺が殺られるだろ」
こうなったら、「ハッタリ」をかますしかない。
「人質は、その後でもユックリ始末できるわけだ。でも…」
俺はしっかりと、奴に狙いをつける。
「でも今、アンタの銃口は人質にむいている。どっちにしても全員殺されちまうなら…人質といっしょに、テメーも道連れだ」
俺はスゴんで見せるが…
「チ~!」
でもやっぱり引き金に、最後のフンギリの一握りを入れられない。
(最悪、人質に当ててしまう可能性だってある)。
「クソ!」
一方で…突然、奴の銃口が上をむかないとも限らない。
「ヤッロー!」
俺はまばたきもせず、奴の顔をにらみ続ける。
「ゴクリ!」
自分でツバを飲み込む音が、聞こえるほどだが…お互い、ジッと動きが止まったまま、膠着状態が続く。
「フ~」
緊張の連続とは、こういうことだ。深呼吸どころか、息をすることも、ままならない。
「ス~」
相手に呼吸のタイミングを気取られないよう、静かにユックリと・浅い息をする。
剣士の『果たし合い』なんて、「半日もにらみ合った末、一瞬で勝負がついた」と言うが…命を賭けた真剣勝負なんて、案外こんなものだ。
「ク~」
俺の後ろにいる二人も、ジッとかたずを飲んで見守っているはずだが…いい加減、銃をかまえた腕を上げ続けていることが、キツくなってきた。その時だった。
「どうして悪党ってのは、こう前口上がなげ~んだろうな?」
その均衡を破ったのは、神作の一言だった。
『?』
仕事先などでも、気まずい雰囲気になると、決まっていつも(良いタイミングで)、冗談や・気のきいた「ひと件」をはさみ、その場の状況を打開する。
「待ちくたびれたぜ!」
そう言いながら相棒は、俺の右隣りに並ぶ。
「フイ~!」
張りつめていた緊張の糸がゆるむ。
「どうして、こんな事になっちまったのかな? 何かいいアイデアはないかい?」
俺は奴に狙いをつけたまま、そう話しかける。奴もフッと表情をゆるめて…
「お前たちみたいな連中は、なかなか見どころがある」
そう返してきた。
「しかし、私にとっては危険な存在だ。箸にも棒にもかからないような連中だけでいいんだ。夢や理想もなく、不平や不満を言わない去勢された人間どもは、私にとっては好都合な連中だ」
奴は、討論会か・選挙演説のような調子で語りだした。
「どうして連中は、くる日も・くる日も、同じことを繰り返していられると思う?」
奴は今度は、俺たちに語りかけるような口調で、そう問いかけてくる。
「たとえばだ。牛や豚が自我に目覚めたら、どうなると思う?」
『ハア…?』
なに言ってんだ、コイツ?
「自分が何のために存在しているのか? そんなことに気づいたら、ウシやブタだろうが自殺してしまうだろう」
『なるほど、「コキ使われる」か「食われるため」に生まれてきたわけだ』
奴は、そこまで言うとニヤリと笑い…
「連中は、そんなことも考えない・みずから命をたつことすらできない。連中は家畜と同等なのだ!」
奴の説法は、最高潮に達した。
「連中は目標を持っていない。自分の存在価値すら見失っているのだ!」
奴は声高に叫んだ。
「連中は支配されたがっている。だから私が、その役目をになってやろうとしているわけだ」
『なるほど』
たとえば野生の牛や馬の集団を捕獲する場合、一頭一頭を捕まえる必要はないそうだ。リーダーを押さえてしまえば事足りる。鳥や魚の群れも同様だ。先頭に立つものに付き従う。
実のところ、人間だって似たようなものだが…こんな話を聞いたことがある。
[大昔、どこかに暴君でならした独裁者がいたそうだ。ソイツが引退を決めて、城壁で囲まれた街を出ようとした時。臣民は「出て行かないでくれ」と、泣いてすがったと云う。言われるままに…陰では不平をこぼしながらも従っていた平民どもは、しかし、道を示してくれる統治者がいなくなったら、自分たちが途方に暮れてしまうことがわかっていた]
そういうオチだが…『フランス革命』で「自由主義」を勝ち取ったフランス国民も…
(「民主主義」が成立する以前の段階。まだ「資本家」と「労働者」が手を握り、自分たちの代表者を・王侯貴族の専有物だった『政治』の世界に、送りこんだ頃だ)。
次に選んだのは皇帝「ナポレオン」だったという実例もある。でも…
『やっぱりアタマおかしいぜ。ただのこじつけ・詭弁じゃねーかよ』
だが・たしかに…
『馬鹿でも素直なら結構だ』
しかし、中途半端なバカほど、イイ気になるものだ。
(前の会社を辞めた時の俺も、そんな人間の一人だったのだろう。あの頃の俺は、たしかに『いい気になっていた』と、今ではそう思う)。
『人類史上において、いまだ誰ひとりとして、究極の真理に達しえた人物はいないというのに…』
たとえば…『相対性理論』登場以前。信仰による「科学の暗黒時代」も終焉し、『宗教改革』『産業革命』を経て、物理学の一大画期となった、(実は「錬金術師」?)「アイザック・ニュートン」大先生。
(推理小説に、最初に科学的アプローチを持ち込んだとされる『シャーロック・ホームズ』の原作者、「アーサー・コナン・ドイル」先生も、実は妖精などを信じていた「心霊主義者」でもあったと云われるが)。
「ケルビン卿」により、『ニュートン力学』をもって「物理学のすべてのナゾは解明された」として、いったんは『物理学の終息宣言』が成された。
(氏の名は、すべての物質が運動を停止する『絶対零度』=「摂氏マイナス273度」を基準とする、『絶対温度』の単位「K」として知られる)。
たしかに『ニュートン力学』は、物体の運動などに関しては、ほぼ完璧に機能した。しかし・それはあくまで、太陽系内の天体の運行など、ごくごく微小で・限られた条件下での事だった。
(だいたい、水が液体として存在する地球は、「超伝導」と「プラズマ」に支配された宇宙規模で見れば…宇宙の平均気温3Kは、電気抵抗が消える「超伝導」の世界だし・恒星の数千度の高温は、原子を、電子が分離した「プラズマ」状態に変えてしまう…きわめて特殊な環境だ)。
それでも・なお、『ビッグバン宇宙論』提唱以前の、未だに「定常宇宙」「通常宇宙」が信じられていた頃…
「(時間も空間も)すべてのものは相対的。この世で絶対普遍なものは『光の速度』だけ」
そんな驚愕の理論を引っさげて、前時代的呪縛から人類の知性を開放した、かの有名な「アインシュタイン」大先生だって…
(当時、「この理論を理解できるのは、世界で数人だけ」と言われたそうだが…かえって・お陰で、それ以降の物理学は飛躍的な発展を遂げ、20世紀も終わる頃には、その理論ですら「古典物理学」と呼ばれたそうだ)。
最期は『量子力学』の「あいまいさ」に納得できなくて、「神はサイコロを振らない」の名文句を残して、失意のうちに亡くなったと云う。
『そうとも知らず、その気になっている愚者の、なんと多いことか!』
古代ギリシャの人で・「哲学の父」と呼ばれる「タレス」先生は、「汝自身の(知能の)貧しさを知れ」と語ったとされるが…
『アタマの良い人間ほど、自分がどれくらいのバカかわかっている』
つまりは、ギリシャ時代の偉人「ソクラテス」大先生が喝破した『無知の知』。
(『無知の知』とは・つまり、「自分で自分が・どの程度までの事しか知らないか理解しているから、何でもわかっているつもりになって・自分が無知なことに気づいていない連中よりはマシ」という意味だ…と、俺は解釈している)。
だがコイツの場合は、恥じ知らずの恥ずかし行為…「無恥の恥」くらいか?
『それでも・まあ、亡者みたいな奴らよりはマシか』
それだけ「ヤル気」があるってことだ。
「時代が違えば、ただの政治家で終わっていただろうが、今なら英雄になれる」
奴は続ける。
「まともな男なら誰だって、一度は独裁者にあこがれるものだ」
『そりゃ、そうかもしれないけど…』
軽蔑的表現「詭弁家」だけあって、内容はともかく、抑揚をつけた熱弁はたくみだった。
(多くの人心を掌握した雄弁家「ヒトラー」総統だって、戦いを始めただけなら、あそこまで非難される事はなかっただろう。多数の人が勘違いしているが、「戦争」は人を殺すことが目的ではない。「利権争いの最終段階」として、「武力を行使する」ことになる。だから軍隊を動かした時点で、闘いは勃発しており…ゆえに『江戸城無血開城』のように、死人が出ない「戦争」だってある。しかし「虐殺」や「殺戮」は、「殺人」が目的だから、罪に問われることになるわけだ)。
「だがこのままでは、治める人民がいなくなってしまう。お前みたいな、そちらの能力がある男には、そのための役目を与えてやってもいいぞ」
『そりゃアリガタイことで…支配者にハーレムは、つき物だからな』
こういう奴らはマズくなると、かならず交換条件を出してくるものだ。
『でも、アンタに支配されるのはゴメンだぜ』
俺は、もともとガキの頃から「外にむいては国粋主義的・内にあっては無政府主義者」だったし…生まれつき、権威や権力に無条件で、不快感や嫌悪感をおぼえる人間だった。
「リカ、お前にも、私の子供を産まさせてやるぞ」
奴がそう言って、右眼の目尻と・右頬の口元をゆがめて…たぶん本人はニヒルだと思っている、品性の無い笑みを作った時だ。
「やめろーっ!」
叫び声がする。
「いいかげんにしろっ!」
初めて聞く声。そう叫んだのは「ゼン」だった。
「ふざけるなっ!」
彼は弁舌に熱くなっていた父親に、下から体当たりする。
「ダーン!」
ゼンの肩ごしに、散弾銃が火を噴く。その散弾はあさっての方向に飛び散り、カプセルのガラスを突き破った。
「なにをする、コイツ!」
奴はゼンを振りほどこうとするが…俺も彼が邪魔になって、発砲することができない。
「はなさんか!」
後ろで両手をしばられたゼンは、頭から奴のフトコロに入り、必死で押しまくる。
両脇に水槽の広がった通路は、そんなに広くないし・手すりも無い。
「ワーッ!」
奴は悲鳴を上げる。二人はからみ合ったまま、右下の水槽の中に落ちる。
「パシッ!」
そんな乾いた音を立てて、二人が落ちた水槽の水は、一瞬にして凍ってしまう。
「?」
俺たちは駆け寄り、中をのぞき込むが…二人は横向きで氷の中に閉じ込められたまま、身動きひとつしない。
「!」
水も徐々に冷やしていけば、氷点下〇度以外になっても凍らない。でも、いったん振動などを与えてしまうと、一気に凍結してしまうのだ。
そして・そこにあったのは、超低温技術によって作られた、マイナス数十度でありながら凍らない水だった。
「ゼン!」
リカが叫ぶ。
「やめとけ!」
手を伸ばそうとした彼女を、ひき止める。
「ヤケドするぜ!」
こんなに冷たい物に素手で触れたら、張りついて「低温火傷」してしまうだろう。
(それで極寒の地で戦う兵士は、銃身の金属部に布を巻いたりして使用するわけだ)。
「頼んだぜ」
リカのことは神作にまかせ、俺はユカのもとに歩み寄る。
淡いピンク色のスウェットの上下。着の身・着のままで連れ去られたのだろう、足元は素足だ。
「待たせたな」
おびえて潤んだ瞳で俺を見上げるユカに、ほほ笑みかけ・後ろに回る。
「ナメんなよ!」
ユカをしばり上げていた鎖は…大昔から存在していた、U字形の金具がスライドする・銅色の真鍮製の錠前でとめられていた。この手のタイプの鍵は、硬い物でたたいてやれば、簡単に開いてしまう。
「バチン!」
大きめのレンチで一撃。
しばりつけられていた「戒め」を解いてやると、開放された両腕を俺の首に回し、ユカは黙って俺にすがりついてきた。
『ヨシ・ヨシ』
俺はユカの頭を抱くようにして立ち上がるが…リカは、水槽の縁に座り込んで、むせび泣いている。
「しばらく親子水入らず、ソッとしといてやれよ」
俺がそう声をかけると、寄り添っていた神作が続ける。
「まだ死んだと決まったわけじゃない。時代が進んで解凍する方法が見つかれば、蘇生するかもしれないぜ」
リカはうなずいて、そう言う相棒に抱え上げられる。
『それと…』
俺は、白衣を真っ赤に染めて息絶えた・あの男の顔を思い浮かべ…閉ざされた部屋の方にむかって、右の片手で拝むポーズをとる。
「ひとまずは、ケリがついたぜ」
後は、ここから脱出するだけだが…
「ちょっと待って!」
出入口があるであろう前方にむかって、歩を進めようとしたその時だ。
リカが、俺たちを呼び止める。
『?』
振り返ると彼女は…
「こんなズサンな管理じゃ、いつ漏れ出すかわからないわ」
涙をぬぐいながら…
「どっちにしたって、こんな物は処分しとかなくちゃ」
周りのカプセルを見渡しながら、そう訴えてきた。
「でも、どうやって?」
俺が、そう言ったところで…
「チョットどいてろ!」
またまた神作が出てくる。相棒は、新たな道具を取り出した。
「今度は何だよ?」
俺はいい加減、もうウンザリだったのだが…
「まあ見てろって」
奴の背中には、例の「高圧ガス発生装置」用の二本並んだボンベの上にもう一本・三角形を成すように、同じくらいの大きさのタンクが付いている。
半透明の強化プラスチック製容器の中は、液体で満たされているのがわかる。大急ぎの急造品なのだろう、金属ボンベの上に、ガム・テープぐるぐる巻きで据え付けられている。
その下には、模型用の「焼き玉エンジン」と、小型のポンプが、並列で並んでいる。
(「焼き玉エンジン」は、自然着火式の「ディーゼル・エンジン」と同様の原理で動く。また「ポンプ」は、言わば液体用の圧縮機みたいな物だ)。
相棒は、その小さなポンプから伸びている、ステンレス・メッシュの高圧ホースを引っ張り出す。そして先端の接続金具に、何やら怪しげなノズルの付いた装置をつないだ。
洗車機のガンのような形をした・引き金を持つソイツの前端には、小型のトーチがセットしてある。
(カセット・コンロと共通の燃料缶の差し込み口に、ツマミの付いたバーナー部を取り付けるだけの簡易型で…仕事でも、ちょく・ちょく使う物だ)。
「火をつけてくれよ」
神作はそう言って、防水マッチの入った小箱を投げてくる。
「やだよ!」
小箱をキャッチしながら、そう返す。
「どうして?」
そう訊き返してきたものの相棒は、ゆっくりトーチのツマミを「開」方向に回しながら、切っ先を俺の斜め前方に突き出してくる。
「ギャンブラーのお前は、いつも言ってるだろ。他人に火をつけると、自分のツキが逃げるって」
そう答えながら俺は、マッチを一本取り出し、ザラついたコンクリートの床面でこすって、火をおこす。
「ふん!」
昔から、憎まれ口をたたくのは、俺の「専売特許」だ。
「へ!」
相棒は、そんなことは「百も承知・二百も合点」。ニヤリと笑って、トーチに点火する。
(だいたい、着火用の砥石の付いたトーチだ。「バクチ打ち」のコイツには、俺の名前「ゲン」にあやかって、何かと「験担ぎ」に使われるこの俺だ)。
「ブオン!」
種火の火力を調整し終えると奴は、回転式スターターのヒモを引いて発動機を始動する。
「ヒューン」
それと連動して、ポンプが高周波のうなり音を発して回りはじめる。
「こんなもんかな?」
今度はエンジン回転数の調節だ。回転が高くなれば、それだけ圧力も高くなる。
「ちょっと離れていてくれよ。まだテスト段階だから…爆発するかもしれないから」
相棒はそう言って、「人払い」する。
『はあ~? 爆発?』
続けて、ノズルの付いた装置のトリッガーを引くと…
「ボワッ!」
先端から、勢い良く火炎が噴き出す。
「なんだよ今度は?」
まともに炎を見てしまった俺は、眼に残像が残りチカチカする。
「クルマの燃料噴射装置を利用して作った火炎放射器さ」
またまた得意気に語る。
『なるほど』
常に少量の燃料を吹き出させて種火を維持する「軍用火炎放射器」と違い…「ジェット・ノズル」と呼ばれる、噴出部分の手前に・空気取り込み用の口の開いたノズルを利用し、使用時だけ・トーチの炎で点火できる仕組みになっている。
使っている燃料は、軽油の代用で灯油だろう。
「お前のオヤジさんとの共同開発さ」
神作は、再度エンジンの回転数を微調整しながら、そう語る。
「あのオヤジ、こんな物まで作ってたのかよ!」
あきれたぜ!
「いったいお前ら、なに考えてんだよ?」
相棒は、さっき「マグネシウム花火」で使った、溶接用の・濃い緑色の丸メガネを掛けながら…
「いんや~。これで花粉退治でもしようかと思ってさ」
そうトボケた返事をし終えると…
「ボワッ!」
手近なカプセルに、火焔を浴びせはじめた。
(実際、「火炎放射器」なるものは、前文明の頃から市販されており…粘性のある「ナパーム剤」入りではなく、ガソリンと軽油の混合燃料では、兵器ほどの威力は無いが…落ち葉の焼却などに活用されていた)。
「ボワ~!」
それでも、かなりの火力に…
『アッチ~!』
熱気で炙られる。
(武器としての「火炎放射器」は、派手に火を噴くが、射程が短く・敵に近づかないと届かないから、反撃を受ける率も高くなる。それに、人を窒素死させたり・焼き殺すという残虐性などから『第二次世界大戦』後は使用が減り、以降は「対テロ制圧」用などに用いられる程度となった)。
『ん?』
前に述べた「焼き破り」の要領だが…表面がとろけ出す。
「アクリルか」
「アクリル材」とは、簡単に言えば、透明プラスチックのことだ。ガラスより硬度が劣るのでキズがつきやすいし、透明度も低いが…板ガラスのように、外力でコナゴナになることもなく・強度のわりに軽量。現在のような生活環境では、ガラスの代わりに多用されている。
(たとえば水族館。巨体の「ジンベエ鮫」などが入れられている巨大水槽も、実はガラスではなく、アクリル板を数枚貼り合わせた合板が使われている)。
「ボワ~!」
強い火力は、一瞬にして中身を焼きつくす。
「絶滅させちまうなんて、生物保護団体からクレームつきそうだな」
相棒はそう言いながらも、嬉々として、火を着けることを楽しんでいるかのようだ。
「ボワ~!」
液体が入ったカプセルは、破れた破口から液があふれ出し・気体の物は、軽く火の手を上げた後、内部が黒い煤におおわれる。
でも、それも束の間だった。
「ボンッ! ボンッ! ボンッ!」
不完全燃焼の不整音を立てて、火が萎んでしまう。
「しまったガス欠だ!」
神作がうめく。
「やめろ!」
俺はそう叫び、とろけはじめたカプセルを炙るのを制止する。中途半端なところで野放しにしたら大変だ。
「チェッ!」
相棒は、あわててエンジンを止める。
「ホースの中で、エア噛んじまったかな?」
物が燃えるということは、酸素と反応するということだ。燃料が残り少なくなると、給油の経路にエアーが入ってしまう。
そして薄くなり過ぎた燃料と空気の混合比は、不適切なタイミングで異常着火を起こして、高温・高圧となって爆発音を出す。
「燃費の計算してなかったからな」
種火を残した相棒は、そうこぼす。
「まだ三分の一くらいしか終わってないぜ! 何とかしろよ!」
ざっと見たところ、あと20本は残っている。
「何とかしろって言ったって…」
奴は背中のタンクを揺すって、燃料の残量を確かめている。
「これじゃ足らねーな」
半透明の容器の中で揺れる液体の量を見れば、一目瞭然だ。
『どうしたらいいんだ?』
俺は思案したが…
『…』
何も浮かんで来ない。でも、その時だった。
「あそこを狙って!」
後ろから、リカの声がする。俺たちが雁首を揃えて振り返ると…
『!』
そこには、気を取り直し・毅然とした態度のリカが立っていた。
『サスガだぜ』
俺は自分たちの置かれた状況も忘れて、一瞬、見とれてしまう。
「その前に、カプセルを全部壊すのよ!」
俺はその次の言葉で我に返り、リカの指さす方向を目で追う。
彼女が示していたのは、天井にある火災報知器だ。
『なるほど』
ここには、通常の水が出るスプリンクラーや泡沫式でなく、機械室などに設置される「化学消火設備」が備えられている。
(ガスや油の火災用に、気体や液体の化学消火剤を充満させ、室内を酸欠状態にして鎮火させる方法だ。さらに現代では、地下都市や・完全密封の建造物の内部で火事が発生すれば、重大な事態となる。「少数より多数を優先する」との『民主主義の理念』により、最近では多くの場所で、消火液&鎮火ガスによる方法が使われているが…その成分を知り・理解できる俺にしてみれば、「超強力だが・極めて有害でもある」物質だ)。
「でもそれで、すべてのウイルスやバクテリアが死ぬとは限らないぜ」
俺は反論する。
『アイツらが嫌いな酸素を断ってしまったら…かえってヤツらを、活性化させちまうんじゃないか?』
俺には、そんなふうに思えたからだ。なにしろ「酸素に触れたウイルスは、形を変えて活動できない姿になる」という話を耳にしたことがある。
なんでも…大気の組成が、今とは異なっていた太古の大昔。当時生息していた生物にとっては、酸素が有毒ガスだった。そして現在まで生きながらえたそれらの生命は、空気に触れると身を守るために、物質化してしまう。
それが・かつて…たとえば「黄熱病」などの…ウイルスの存在の発見が遅れた、理由なのだそうだ。
(それで「破傷風菌」などは今でも、酸素の届かない泥土中に生息しているワケで…地中生活を余儀なくされた今の時代、広く「破傷風」の予防接種が義務づけられている)。
「でも、それしか方法ないでしょ」
酸素とは違う毒ガスだとはいえ、それが全ての細菌に効くという確証はない。それに…
「でも、感染しちまったら、どうすんだよ」
相棒がチョット不安げに、横から口をはさむ。俺も同じことを心配していたのだが…
『でも、大気に触れて動きを止めてくれているあいだに、事を済ませて逃げ出せば…』
たしかに、俺たちが仕事で使っている液状ガスケットなどのシール剤の中には、「嫌気性」といって、空気に触れているあいだは固まらない物もある。
『でも、絶対とは言い切れないよな』
全部が全部、そうとは限らない。
『でも・でも・でも…』
つながらない考えが頭の中を駆け廻り、堂々めぐりをする。
『ああ、考えるのが面倒になってきた!』
俺が、少々イラつきはじめた時だ。
「ここまできて、怖気づいたの? 二人とも…」
そんな俺たちの気持ちを読んだのかリカは、ちょっと小馬鹿にしたような言い方をしてくる。
『どうする?』
俺と神作は、一瞬眼を見合せてから、揃ってリカの方に顔をむけると…彼女は斜にかまえ・右腰に右手を当てて、あきれたような視線を投げてくる。
「わかったよ、わかりましたよ。やりゃ~いいんでしょ、やりゃ~」
神作はそう言って、注射器の空気を抜く要領で、銃を空撃ちしては「エアー抜き」を済ます。
「あなたはどうなの?」
俺の方を見たリカは、そう言って迫ってくる。
『まったくこの女は…』
でも、誰かが判断を下さなくてはならない。
『男を使うコツを心得てるぜ』
ここは腹をくくって、「イチかバチか」に賭けてみるしかなさそうだ。
「しゃ~ね~な」
俺は肩をすくめてみせる。
『でも、その前に…』
残りのカプセルを、ぜんぶ砕かなくてはならないが…あいにく散弾銃は、あの野郎と一緒に水槽の氷の中。アクリル板を砕けるような物は、残っていなかった。
「ネイル・ガン出せよ!」
俺は神作にむかって怒鳴るが…
「クギはさっき、全部使っちまったよ!」
そう叫ぶ相棒は、そこで「ハーケン」を取り出し、アクリル板と上側にかぶさるステンレス製のフタの境目に、ハンマーで打ち込みはじめる。
(「ハーケン」とは、「ロック・クライミング」などの登山をする時に、岩壁に突き刺すアレだ)。
「こんなんじゃ、ラチがあかね~な」
神作が、そうグチった時だった。
「誰か来るわ!」
気を取り直したユカが、やっと声を出す。
「なに?」
俺は、奥の出入口の方を振り返る。首領を倒したので、油断していたが…
「きっと、さっきの連中よ」
リカが、そう推測するが…おそらく、そうだろう。
「チッ!」
両側にドアのついた「エアー・シャワー」の小部屋に、数人の人影が見える。
「エアー・シャワー室」とは、無菌室に入る前などに、エアーを浴びてホコリを落とすもので、医薬品や食料品の製造所なら、どこにでも装備されているし…現代の生活環境においては必需品。いたる所に設置されている装置だ。
(たとえば…前人類時代から、「長ねぎ」の出荷場に導入されていた「ネギむき機」。ここにも空気圧縮機が使われており、通常の使用圧力7~8キロのエアー圧をかければ、長ネギの外皮など、簡単にはがれ飛ぶが…そのくらいの圧力になると、人間の内蔵も破裂してしまう。いまだに、ケツの穴からエアーをかけて…そんなオフザケで命を落とす事故が、時たま起こる)。
「10…9…8…」
ドアの上部に据え付けられた、赤いデジタル文字のカウンターの数字が減っていく。
「…0」
「カチン」とロックがはずれる音と同時に、扉を押し開き、サイレンサー付きの拳銃を手にした四人の猛者が飛び込んできた。
「ハア~・シュ~ッ!」
アクアラングのように、呼吸に合わせ、呼気と吐気の音が交互に漏れ聞こえる。
(空気圧縮機で集められたエアーは、こういった非常用防護服の酸素ボンベや、「ライン・スーツ」と呼ばれる・原子炉内などの危険区域での作業衣への酸素供給装置にも使われている)。
「ハア~・シュ~ッ!」
先ほどの漆黒の戦闘服とは対照的に、まっ白の防護服を着込んでいる。放射能漏れや化学兵器、バイオ・テロの現場などで、作業員や捜査官が着ているアレだ。
(たいていは白の、フードまで一体物の、ツナギ・タイプの防護服。俺たちの仕事でも、ホコリの極端にひどい現場などで、着用する事があるが…見た目は紙のようだが、いく種類かの透過率の異なった仕様がある。どちらにしろ、「放射能汚染」程度ならともかく…「放射線」を完全に遮断できるほどの物ではなく、重大な原子炉事故などの状況下で使うには、心もとない代物だ。本格的な仕様となると、着込むだけでもひと苦労するような、重装備になる)。
「ハア~・シュ~ッ!」
酸素ボンベとつながった「全面マスク」を装着しているので、顔の表情は読めないが…
(その呼気音は、前文明でヒットしたSF超大作『スター・ウォーズ』の「ダースベーダー」を連想させるが…黒ではなく白なので、「戦闘員のほう」といったところか?)。
だが、勇んで入ってはきたものの…連中は室内の惨状を見て、立ちすくむ。
『やれやれ』
俺は、覚悟を決めた。ここは、もう「ひと芝居」打つしかないようだ。
「今ごろノコノコやって来て、いったいどうするつもりだよ?」
俺は一発だけタマをこめたエアー・ガンを、神作は「エアー抜き」を済ませ・再度タネ火を着けた火炎放射器を構える。
「お前らのボスは、この中だぜ」
俺はそう言って、アゴで右下の水槽を示す。
「親分の仇討ちなんて、やめとけよ」
一人が前に立ち、残りの三人があとに従って、水槽をのぞき込む。
「ここには、生物兵器に使えるヤバイ物がたくさんある。国際法にも触れる代物だ。俺たちは、ソイツを退治しにきた」
先頭の一人は微動だにしないが…後ろの三人は、ソワソワしだした。
「良心ってものが残っているなら、ここは大人しく、身をひいてくれないかな?」
俺は緩急をつけ、今度は懇願の姿勢を見せる。
「もういいだろ?」
事の結末を知ると、連中はお互いの顔を見合わせる。
『金の切れ目が・縁の切れ目』
もともと、金や力で押さえつけることで、成り立っていた組織なのだろう。強権の「ワンマン経営」と同じで、独裁者がいなくなれば一挙に瓦解する。
『うまくいきそうだぜ』
奴らは、後ずさりを始める。
「チョイ待ち!」
俺は、そんな連中を呼び止める。
「そんな物騒なもの持って、街をウロつく気かよ?」
空いてる左手で指さし、下に置くように指図しながら…
「このカプセルをブチ壊す道具が、必要なんだ」
そう告げると…
「…」
先頭に立つリーダー格が、無言で肩をすくめる仕草を見せ、床に銃を置くと…後ろの連中も、それに従う。
「あんがとよ!」
左の目尻の脇に二本指を立てて、謝意をあらわすと…先頭の(たぶん)男は、右手で敬礼をして踵を返す。
そして左足をひきずるようにして、ふたたび先頭に立ち、去って行った。
『助かったぜ』
安堵の胸を撫でおろす。
「さて!」
まんまと道具も手に入れた。
「いっぺんホンモノを撃ってみたかったんだ。それも二丁拳銃だぜ!」
そう言って嬉々とする神作をよそに…
「君はユカを連れて、むこうの部屋に行っててくれよ」
俺はリカに、エアー・シャワー室を示すが…
「ダ~メ! あたしも手伝うわ。それを貸して」
リカはそう言って、俺の左手の銃を奪う。
『?』
ユカも、俺が銃を持っていたその手を握ってきた。
「わかったよ」
俺たち四人は『一心同体』だ。
「じゃ、やるぜ!」
俺は左腕でユカの肩を抱いて、一発目の実弾を放つ。
「ブシュッ!」
サイレンサー付きの拳銃が発する低い音。
「バシーン!」
残りの一個目のアクリル板が割れる。
「ブシュッ! ブシュッ!」
「バキーン! パリーン!」
反対側からリカと神作が、次々とカプセルを撃ち砕いてくる。
「後はまかせろ!」
全塔の破砕が済み、相棒がそう叫んだところで…俺たちは拳銃を水槽に投げ込み、出口にむかってダッシュする。
「ヨッシャ~!」
左右に持ったピストルを・交互に突き出して発砲していた神作は、最後の一本が終わると…天井の火災報知器に、萎みかけた火炎を浴びせる。
「ファン! ファン! ファン!」
と同時に、警告音が鳴って、赤色灯が回転をはじめる。
俺たちは急いでエアー・シャワーをくぐり、前室に出てドアを閉める。
「これで目的はすべて達成だな」
俺は、いま出てきた扉を背に、皆にむかってそう告げる。
「うん」
ユカも、やっと落ち着きを取り戻したようで…安堵の表情を浮かべる。
(菌類を外に持ち出さない用心のため、ここで靴を履き替えることになっているのだろう。下駄場にあった室内用の白いズック靴を一足失敬して、ユカに履かせる)。
「あとは、ここからどうやって脱出するかよ」
リカは、気の遠くなるような事を言う。俺はかなりの疲労感をおぼえていたが…
『仕方ない』
それが現実だ。
* *
「ズキューン!」
その研究のための施設から、通路に出ようとすると…
『ヤバッ!』
廊下の右側から、銃弾が飛んできた。連絡が行き届いていないのか、残党が残っているのだろう。
「チッ!」
しかし…実弾の方は、20本近いカプセルを砕くのに、すべて使ってしまったし…隠し扉がある部屋は、「開かずの間」となっている。今さら戻ることはできない。
「どうする?」
出していた首をひっこめた俺は、皆に意見を求める。
「こんな所は、メチャクチャにしてやろうぜ」
神作が息まく。
「でも・あんまりやり過ぎて、死人が出たり証拠が無くなったんじゃ、意味ないわよ」
リカは相変わらず、冷静に物事を判断する。
「じゃ、どうするんだよ?」
俺は早いとこ、こんな場所からオサラバしたかった。
「騒ぎを起こして、一般の目に触れるようにするだけでいいのよ」
リカは、そう案を出したが…
『何かいいアイデアはないか?』
俺と相棒は、押し黙ってしまう。
「あなたたち機械屋さんでしょ! 機械を操作して、何とかならないの?」
ユカが口を開き、初めて意見を述べる。
『なるほど!』
俺はひらめいた。
「ヨシわかった! とにかく制御室を占拠しようぜ!」
しかし、この部屋から出ないことには、何も始まらない。
『さて、どうする?』
ここにも換気扇はあったが…神作の「アシスト・デバイス」も、コイツを壊せるほどのパワーは残っていなかった。
「チョイと、さっきの見取り図を見せてくれ」
俺はそう言って、リカの電子手帳を凝視する。
『なるほど!』
良いものを見つけた。
「これだ」
コイツを使えば、うまく行くかもしれない。
『そのためには…』
俺は室内を見回す。
『あれだ!』
こういったクリーン・ルームの手前にはかならず、毛髪や服の毛玉などを除去するために、表面に粘着テープが貼られたコロコロ・ロールがあるものだ。
「コイツを…」
俺は、エアー・シャワー入口脇の壁際の・それ専用の網型ラックに掛けられた、6本全部を持ち出す。
「こうして…」
ソイツのロール部分を、すべて把手から取りはずし…貼りつかないように、手洗い場にあったペーパー・タオルで巻き、最後に消毒用アルコールを吹きかける。
「こっちに来てくれ」
俺は神作を従え、ソイツらを抱えて出入口にむかう。
(リカとユカには、白衣が数枚かけられた・キャスター付きの洋服ラックを、出入口の手前まで移動してもらう)。
「今度は俺に、火をつけてくれ」
背後に控えた相棒に、そう告げると…
「了解!」
そう返事をして、燃料の切れた火炎放射器のノズルからトーチを取りはずし、点火する。
「合図したら、一斉に左に走るんだ」
俺が最初の一本を左手でかかげると、肩越しに後ろから、神作が火をつけてくれる。
「突き当たりを右に曲がったら、正面にトイレがある」
俺は皆に言い聞かせる。
「右側の男子トイレに逃げ込んでくれ」
俺は、全員が後方に待機したことを確認し、一瞬、廊下に顔を出す。
「バキュ~ン! バン! バン!」
発砲が始まったところで、下から奴らにむけ、火のついたロールを放り投げるように転がす。1本・2本・3本…
「…」
意表を突いた展開に、銃撃がやむ。
「ヨシ!」
続けて、用意しておいた洋服ラック。ブラ下がった5~6枚の白衣に、下から火を放ち、廊下をさえぎるように押し出す。
「いまだ! 行け!」
神作・ユカ・リカの順で走り出したところで俺は、通路の中央に進み出る。
「出てこい! 腰抜けども!」
俺がそう叫ぶと、ふたたび銃口が突き出された。
「くらえ!」
間髪を入れずに俺は、相棒から手渡されていたエアー・ハンド・ガンの、最初で最後の一発をブッ放す。
「ドン!」
砂塵を撒き上げた銃弾は、壁にめりこみ・弾痕を残す。腰抜けどもの度肝を抜かすには、効果十分だ。
「ザマ~見ろ!」
思わぬ反撃に連中がひるんでいるスキに、俺も三人の後を追う。
「チョイ、どいてくれ!」
皆が待つトイレに飛び込み、まっすぐ奥にむかう。
『あった!』
一番奥の壁には、窓ほどの大きさのフタがある。そこを開き、中をのぞき込む。
「?…!」
中は「シャフト」と呼ばれる、配管や配線を上下に通す縦坑になっている。
「なんとか使えそうだ」
ギリギリ・成人男子でも通れるスキマがあるし…パイプ同士を固定する金具を伝えば、登り・降りもできる。
(たとえ扉が外からロックされていても、内側のヒンジを回してやれば、簡単に開いてしまう構造だ)。
『そうだ!』
暗くて狭い縦穴に首を突っ込んだところで、ピンと来た。
「俺とユカは、上の制御室に行って機械を止めるから、お前はリカと下の機械室へ降りて、コンプレッサーの防振装置のダンパーを抜いてくれ」
俺は神作に、そう提案する。
往復運動型の空気圧縮機は、ピストンが「行きつ・戻りつ」の往復運動をするため、大きな振動が発生する。その振動は、床が揺れているのが体感できるほどだし、細かい振れは、さわっているとシビレてくるほどだ。
それらは、機械本体や周辺機器のトラブルの原因ともなるし、環境問題にもつながる。
それで・その対策として、機械全体を「防振ベッド」と呼ばれる台座に載せてしまい、耐震ゴム&オイル封入ダンパー併用の・ごっついスプリングで構成された衝撃吸収装置で、床の基礎とつなげている。
(つまりは、自動車の懸架装置と同じ機構を持った物だ。違いといえば、車輪を持たずに、地面に固定されているという点だが…潜水艦などは、その戦略&戦術上、最重要な防振・防音のため、その発生源になりそうな内部構造物すべてに、こういった処置が施されている)。
「レシプロを倒しちまおうぜ!」
でも、そのショック・アブソーバーが一斉に全部イカレてしまうと、そのストロークぶんだけ、フレームの上で機械が暴れだす。
そして最後には、伸縮部のロッドが抜けたり・折れ曲がったりして、機械があらぬ方向をむいて傾いてしまうのだ。
(実際、その許容量を越えた揺れの地震のおりに、各所でそんな被害が出た事がある)。
「ついでに、ターボもサージさせちまおう」
回転運動式の空気圧縮機は、最終出口の吐出弁を閉じると「逆流現象」が発生する。
(仲間うちでは、略して「サージ」という和製英語を使っているが)。
「圧力スイッチ」の設定値に・チョイと細工をして、なおかつ「高温停止」の回路をオフにしておけば…「音速」に入った高圧空気が、「爆発音」をともなう「衝撃波」を発し、機械内部で往ったり・還ったりするうちに高温になり、金属が溶けだしたり、最悪の場合、火災につながる。
(「音速」とは、物質中を伝わる音の速さの事で、通常は標準大気中の「1225km/h」と定義されているが…厳密に言えば、「超音速」なども、気圧や気温などの違いによる「空気密度」によって、「速さ」も変化する。つまりは、音を伝える媒介物が無い…たとえば宇宙空間などでは、そもそも「音速」自体が存在しないことになる)。
「ん?…了解!」
皆まで言わなくとも、相棒には俺が意図するところは伝わったようだ。
「その前に…」
神作はそう言いながら、胸のポケットから何か取り出す。
「お前は白、ユカは赤だ。それと…」
テレているのか、リカには控え目に…
「きみはコレ」
それぞれ、布の袋に入った棒状の物が手渡される。
「そして俺は黄色。何かあったら、こいつで合図だ」
渡された物を、取り出してみると…
「サイリュウムかよ」
化学反応によって発光する照明器具だ。
20世紀の頃には存在し、夜釣り用の「浮き」や・コンサートなどで、多用されていたと云うが…特殊な蛍光材を使用した灯りは、電力のとぼしい今の時代にあっては…特に非常用に…必需品となっていた。
このサイズなら、電源が無くとも、ひと晩ほどなら淡い光を放ち続ける。
(また、「ナイト・ビジョン」でしか視認できないような特別な物が、軍隊では使用されている)。
『ミリタリーおたくってのは、揃いも揃って、なんでこうもアイドル好きなんだろ?』
俺はつねづね、そう思っていたが…
「腹いっぱいになって、楽しいことがあれば、争いなんてバカらしくなるだろ」
それがいつもの口グセの相棒は、いまだに地下アイドルの「追っかけ」もやっている。そんなヤツに言わせれば…「アイドルが地球を救う」んだそうだ。
「経済援助とセットで、男女のアイドルを売り込む大統領がいれば、世界平和は実現する」
案外、正論かもしれないが…
「ミリタリーとアイドル」
つまり「闘いと娯楽」では、どう考えても、いっけん矛盾しているように思えるのだが…きっと「正義の味方」は、ワールド・ピースのため、(まさに今回のように)「悪の一味」と戦っているのだろう。でも、それにしても…
『戦隊ヒーローものじゃあるまいし…』
それにだいたい、「戦隊モノ」なら、メインの主人公は「赤」がリーダー格のはずだ。
「なんで俺が白で、ユカが赤なんだよ?」
しょうしょう不満を感じた俺は、またまた余計な口をはさむ。
「紅白まんじゅうさ」
『ハア?』
意味不明な答えが返ってきた。
「男は白い物だして、女は赤い物が出るだろ」
奴なりのジョークなのだろう。ウインクのできない相棒は、両眼をギュッとつぶってみせる。
『それで、お前は三枚目役のイエローで、リカは欲求不満のパープルか』
最後のセリフは口には出さなかったが、まあ納得だ。
(たんなる異説かもしれないが…肉体的不満がたまると「紫嗜好」になり、また、黄色が好きな人間は「浮気症」という説が、一般に流布しているが…「他人のこと」は言えない俺なので、この際、黙っておこう)。
「気をつけろよ!」
俺は神作とリカに声をかける。
ここで俺たちは二手に分かれるが、その前に…全員で手わけして、三つある個室の大用便器にトイレット・ペーパーを詰め込み、貯水槽の中にあるボール・タップを「開」方向に固定して、水をあふれさせる。
(ご丁寧に、個室のドアは閉じて…洗面所の排水栓にもフタをして、蛇口を全開にした)。
「準備万端!」
俺は最後に「シャフト」にもぐり込んで、内側からロックをかける。
* *
「フイ~!」
首からそれぞれ白と赤の蛍光棒を提げ・機械制御室を目指した俺とユカは、煤で顔をまっ黒にしながら、シャフトからはい出る。サイリュウムを遮光袋におさめ…
「シッ!」
廊下や階段に出るたびに、あたりの様子をうかがうが…誰もいなかった。
たぶん連中は、「火攻め」にあった後で今度は、水が流れ出してくる・あのトイレを取り囲んで、逡巡しているのだろう。
(それに大多数の人間は、すでに逃げ出しているのかもしれない)。
「ヨシ! だいじょうぶだ」
機械制御室の入口にたどり着いた俺とユカは、プッシュ・ボタン式のキーに、リカに教わった暗証番号を打ち込む。
操作はチョット複雑だったが、番号の変更はされていなかった。
「カチン!」
小さな解錠の手ごたえが伝わる。
「…」
俺はソッと、中をのぞくが…すべてはコンピューター管理の自動運転。明かりの落とされた室内には、赤や緑の・制御機器のランプの光が灯っているだけで、中には人っこ一人いなかった。
「手を貸してくれ」
照明をつけ、ユカに手伝ってもらい、ドアの内側に机やイスを移動して、急いでバリケードを築く。
「さて!」
中央の制御盤の前に陣取る。機械室の内部を映し出しているカメラを遠隔操作して、中の様子をさぐるが…機械室の中にも、敵は誰もいないようだ。
「停止ヨシ!」
電光掲示板にランプで示された系統図をたどりながら、次々と目的の機械を停止させる。
「やってる・やってる」
カラーのモニター画面を見ていたユカが、そう伝えてくれる。
機械が停止をはじめると、カメラの死角から二人が現われ、防振装置のダンパーの排出栓をはずして、中に封入されているガスとオイルを抜いている。
ついでに、スパナとレンチを使って、支点のボルトやナットもゆるめているようだ。
「サ・ギョ・ウ・カ・ン・リョ・ウ」
やがて神作が監視カメラにむかい、黄色と紫のサイリュウムを使った手信号で、そう伝達してきた。
通常の仕事でも、たとえばクレーンの巻き取り作業の時など、上と下でこまかい意思疎通までできるので、俺たちだけの便利な特技だった。
特に、無線機の使えない電波障害のある場所では重宝するが…もちろん「有視界内」に限られる。
(船舶の連絡用に考案された手旗や発光信号は、無線機が実用化される以前から使われていたものではないそうだ。手間のかかる旗旒[小旗を並べて意味を表現する]や・形象文字[標識で意味のある形を作る]は、電信機が広まり・モールス信号が一般化されるに従い廃れてしまったが…手や旗・光による発信も、モールスなどの共通言語があっての物なのだ)。
「始動準備ヨシ!」
すべてが終了したことを確認した俺は、ふたたび機械の起動スイッチを入れる。
「タン! タン! タン! タン…」
三つも階下にある機械だが…さらに、天井の高い機械室。実質、4~5階ぶん相当の高さがあるだろうが…ここまで、軽い音と振動が伝わってくる。
「ダダン! ダン! ダン…」
次々に動きだしたレシプロ型のエアー・コンプレッサーは、はじめはユックリと、しかし徐々に上下に大きく揺れはじめ…最初に、吸入管から伸びている、防音用の配管がはずれる。
(往復運動型の空気圧縮機は、ピストンが上下するため、どうしても空気の流れに脈動が出てしまう。それで腹の底に響き渡るような、低周波の共鳴音が発生する。そこで・その騒音を打ち消すために、その周波数から計算して割り出した長さの防音用の配管を、吸入管の途中から枝分かれさせて設置する。完全とまではいかないが、これで重々しく響く吸入音が、かなり軽減される)。
音声無しのモニター画面ではわからないが、防振装置が役に立たなくなり・防音用の配管がはずれてしまった機械室の中は今、かなりの騒音と振動で満たされているはずだ。
(もちろん、地震などのさいに機械を自動停止させる「振動トリップ」は、解除してある)。
そして今ごろ二人は、ターボ式コンプレッサーの吐出側のバルブをしめているはずだが…
「ドン! ドン! ドン!」
その時、内側からロックしておいた入口のドアを、激しく蹴る音が聞こえる。
空気の流量が変化したことに気づいた連中が、ここにやって来たのだろう。
「ヤベー!」
俺は、モニターの画像に目を移す。機械室にだって、奴らはむかっているに違いない。
「!」
振動で映りの悪い監視カメラを、入口の方にむけると…今まさに、戸が開いたところだった。
「あいつら大丈夫かな?」
俺がつぶやいた、その瞬間だった。画面の右端に映っていた機械の影が、大きく・左に傾く。
『?』
映像をズーム・アウトしていくと、振動が増幅され・極限まで揺れていたレシプロ・タイプの圧縮機が、次々と倒れだしていくのが見えた。
「やったぜ!」
冷却用の水の配管がはずれ、一気に冷却水があふれ出す。
部屋に入ろうとしていた奴らは、あわてて扉を閉める。機械室には、大量の水がたまり始めた。
「早く助けに行かなくちゃ!」
ユカが叫ぶ。
「チョット待ってろ!」
俺は、ある機械の始動盤を探していた。
「コレだ!!」
その機械のタイマーをセットする。
そして、左手首に巻いているダイバーズ・ウォッチの、外周に付いている時間計測用のリングの「0」を、今の時刻に合わせる。
「ヨシ! 行こう!」
俺はユカの手を取る。
「でも、おもてには…」
ためらうユカの手を引き、俺は迷わず、隣りの部屋へと通じるドアを開ける。
「こっちだ!」
ここの隣りに備品庫があることは、あらかじめチェックしてあった。
そこに入った俺は、壁ぎわにあった・大きな棚を横倒しにする。
「あった!」
そのラックを倒すと背後に、観音開きの大きな扉が顔を見せる。
そのドアを外にむけて押し開くと…
「ガッシャン! ガッシャン! ガッシャン…」
機械の動く騒音が聞こえてきた。
「チュドーン! チュドーン…」
連発するターボのサージ音が聞こえるところをみると、そっちの方もうまくいったようだが…ここには、柵も手すりもベランダも無い。
眼下のはるか下の方に、先ほどモニターに映っていた…そして、俺にとっても「いわくつき」の…機械室の一部が見える。
頭上は吹き抜けになっていて、天井には、巨大な排気用ダクトの通風口が見える。
(工場などのこういった建物には、遊園地の『ビックリ・ハウス』にでもあるような扉が設置されている。非常階段があるわけでもないのに、建屋の途中のかなり高い所にポツンとあるのは、建設後に、機械や機材などを運び込むための搬入口だからだ)。
『さて、どうする?』
真下に降りれば、神作とリカのいる機械室だ。でも、たとえロープがあったって、何の訓練も受けたことの無い俺たちでは、この高さからの垂直降下は無理だ。
「あれだ!」
室内を物色していた俺の目にとまったのは…たぶんクレーンなどの予備だろう、かなりの長さのある・トグロ状に巻かれた鋼製のワイヤーだ。
しかしあいにく、クレーンやウインチは見当たらない。
「チョットどいてろ!」
移動用の車輪の付いた台車に載せられた、溶接用のガス・ボンベがあった。ソイツを引っ張り出してきた俺は、ユカにむかって叫ぶ。
「コイツを頭の所にむすぶんだ」
ワイヤーなどで物を吊る時に使う「シャックル」と呼ばれる留め金を、ユカに手渡す。
(U字形の金属に、ピンを差し込んで使う金具だ)。
「反対側もソイツで、壁ぎわの梁か支柱にしっかりむすんでくれ!」
俺はそう指示しながら、巻かれていた・重たい鋼線をほぐす。
「うまく飛んでくれよ」
俺は、ボンベの頭が噴き飛んで、天井を突き破った事故の噂を耳にしたことがあった。
(こういった事に使われるボンベは、そういった不測の事態に備えて、テッペンの頭の部分が弱くなっている。釣鐘状の先端部が最初に上方向に吹き飛んで圧を逃がし、爆発しないようになっているわけだ。しかし、その威力はかなりのもので…上に飛んで行ったら、どこに落ちたかわからないほどだし・横にむければ、ちょっとした鉄板の2~3枚は軽く貫通してしまう)。
「よ~そろ~」
俺は左目をつぶって、昔の戦争映画で、日本兵がよく口にする単語を言葉にする。
(「宜候」または「好候」とは…「面舵(右転舵)」「取舵(左転舵)」などと同様の航海用語で、「直進」を意味する)。
溶接用のガス・ボンベを下にむけて、目測で反対側の壁の・通路の上方に狙いをつける。距離にして、2~30メートルといったところか?
「もっと上にむけた方がイイんじゃない? ワイヤーの重さもあるし…」
狙いを決めかねていた俺の後ろから、ユカがそう助言してくれる。
やった事が無いことをやるのだから、カンが勝負だが…
「まかせるよ」
弾筋を読むのは、ユカの方が上だ。
そのあたりにあった鉄骨や木片を使っては、角度を決めて・ボンベを固定する。
『あとは運しだい』
俺はそう思って、防水マッチの最後の一本を取り出す。
『ソッとやるんだ』
アセリつつも俺は、自分に言い聞かせる。
あまり勢いよくガスを出すと、マッチくらいの炎では、着火せずに・吹き消されてしまうことがあるからだが、その時…
「これ!」
横からユカが、数枚の紙切れを差し出してくる。
『?』
何げに気がきくところが、彼女の良い点だし…
『さすが、オヤジさんの娘だけあるぜ』
多少の心得は、あるようだ。
「サンキュ~!」
俺はまず、その紙片に火を移す。
「チェッ!」
案の定、一枚目・二枚目と着火失敗。
(本当は、「火打ち石」みたいな物で、火花を飛ばすだけで充分だし・確実なのだが…)。
「バシュッ!」
三枚目で、やっとガス・ボンベのバーナーに点火した俺は、火力のバルブを調節する。
「シュ~」
ガスが吹き出す量が減れば、火種は「逆火」と言って、ボンベの方に引火してしまう。
「やるぜ!」
俺はユカを柱の陰に押し込み、バーナーのバルブをしぼる。
「うまく刺さってくれよ」
俺は故意に、その構造を利用したのだ。
「バ~ン!」
激しい音を立てて、ボンベの先端が噴き飛び…
「シュル・シュル・シュル…」
それに合わせて、ワイヤーが繰り出される。
「…!」
ワイヤーの動きが止まったところで…物陰に隠れていた俺とユカは、急いでタマの行く先をたしかめる。
「やった!」
こういった時の常で…いつものように、ユカは小躍りする。
ボンベの先端は、ちょうど機械室の中二階…回廊の上部の壁に、突き刺さっていた。
「頼むぜ」
俺はワイヤーに、そう・ささやき掛ける。
俺の力で引っ張ったくらいでは、ビクともしなかったが…あとは、「運を天に任せる」しかない。
「こんなもんかな?」
停まる時のことを考えて、俺は多少タルミを持たせてワイヤーを張り直す。
こちら側は、丈夫そうな太い支柱に巻き付けて、シャックルと・工具棚にあった「レバー・ブロック」で固定した。
(「レバー・ブロック」とは…片側にフックの付いたチェーンと、フックの付いたラチェット式の本体から成る、横引き&戻しの固定具だ)。
「ヨッシャ~!」
俺は、自分のフル・ハーネス型安全帯の、背中に付いている命綱のフックを、ワイヤーに掛ける。
そして腰の部分には、「U字吊り胴ベルト」の要領で、張られたワイヤーに布帯を回し…あお向けに寝そべるような格好で、ブラ下がる。
(「U字吊り胴ベルト」とは、森林業者が枝の伐採の時や・電気屋が電柱の途中で仕事をする時に使う安全帯だ。木や柱に・斜め上から腰周りにロープを回して、身体を保持する。両手があくので、作業がやりやすい)。
安全ベルトをした腹の上に、向き合う形でユカをまたがらせる。少々ヒワイな体勢だが、こいつが一番安定する。
「じゃ、行くぜ!」
作業手袋をはめた両手で、ワイヤーを握る。
丈夫な「ケブラー繊維」の入ったメカニック・グローブは、使う方向さえ間違わなければ…繊維と直角に交わるむきなら…高速で回転するカッターの刃に触れても大丈夫だった。
「しっかり、つかまってろよ!」
ワイヤーを握り直した俺は、正面のユカに声をかける。
ユカは軽くうなずいて、俺の首に回していた両腕に力を入れる。
「せ~の!」
特別な掛け声なんて、もう必要なかった。大切なものを抱えた俺は、ぜんぜん死ぬ気がしなかったし…このまま死ねるなら、本望だった。
「それ!」
空中に飛び出ると…
「グイン!」
グッと二人分の重さが、背中と腰と両腕にかかる。
『ヒュ~イ!』
それに、落ちるような勢いだ。俺は減速しようと、ワイヤーを握る手に力を入れるが…
「アッチィ~!」
このくらいならビクともしない「ケブラー繊維」だが、ワイヤーと擦れて発する『摩擦熱』までは防げない。
『ちっくしょ~!』
でも、たった数秒で済むことだ。
『ガマンだ!』
最初は強烈だったスピードも、ワイヤーのタルミの部分に差しかかると、徐々に落ちてきた。そして…
「ズン!」
ワイヤーのタルミの底で、跳ね返るように・一気に減速するが…
「ズルン!」
嫌な手ごたえがあった。
『ヤバい!』
突き刺さったワイヤーの先端が、抜けかかっているに違いない。
『もうチョイ!』
幸か不幸か? 壁に到達するまでには、止まりそうもない勢いだが…
『早く…でも…もっとユックリ』
『二律背反』な・両極端な二つの、「思い」と「願い」が、せめぎあう。
『!』
そうこうするうちに、壁が目前に迫ってきた。
『チッ!』
俺は両足を上げて構えるが…
「スッポ~ン!」
ワイヤーがはずれたのだろう。抜けるような感触があり、続いて…
「ドッシ~ン!」
そんな衝撃が走る。
『ツ~…』
俺は、低くうなる。
壁に足の裏からブチ当たった俺は、さすがに二人分の体重を受けとめることができなかった。下半身が・なかば宙ブラリンになった格好で、上体から・中二階の通路の上に投げ出される。
『イッテ~!』
床で背中を強打した俺は…
『ヒッ・ヒッ・ヒッ…』
肺が圧迫され、しばし息もできない。
掛けてあった命綱が邪魔になって、かえって変な転び方をしてしまったようだ。
「だいじょうぶ?」
あお向けに倒れ込んだ俺の上から、ユカの声がする。
俺は、ガッチリとしがみつくユカをかばって、下敷きになっていた。
「ヘ…ヘーキ・ヘーキ」
やっと呼吸を取り戻した俺は、見栄を張って、そう返事する。とにかく…
『助かったぜ』
ワイヤーが抜けた瞬間に、無事(?)目的地点に着地できたようだが…
『イテッ!』
深呼吸しようとすると、右の胸に激痛が走った。たぶん肋骨にヒビが入ったか、折れているのだろう。
「だいじょうぶ?」
俺の上にまたがったまま、ユカがふたたび声をかけてくるが…
「と・とりあえず…降りてくれないか」
浅い息をしながら、俺がそう言うと…
「あ! ごめん」
ユカは、あわててまたがり降り…
「だいじょうぶ?」
片胸を押さえてうずくまった・俺の背中に手を当て、三度訊いてくる、が俺は…
「ハア・ハア・ハア…」
深い呼吸ができずに、細かく息を吸っては、痛みがひくのを待っていた。
「だいじょうぶだ」
少しの間そうしていると、痛みはかなり和らいできた。
「二人を助けなきゃ」
安全帯のフックをはずし、立ち上がる。普通にしていれば、痛みはほとんど感じないが…
「ツッ!」
しかし走ったりして胸に振動が伝わると、それに合わせてズキズキと痛む。
俺は右胸を押さえながら、ユカに従い・歩くほどのスピードで走った。
『マズいぜ!』
機械室の一階は、もうほとんど水につかっている。あたりを見回していると…
「お~い!」
呼ぶ声がする。
『?』
声のする方角を見ると…手を振る人影が見えた。
『!』
神作とリカだ。二人は、孤島か・潮の満ちた浅瀬に取り残されたように、ほとんど沈みかけた機械の上にしがみついている。
一番通路よりだったが…レシプロが動き出した後で、ターボの吐出バルブをしめている間に逃げ遅れたのだろう。
『ヤバいぜ!』
水は濁流のように渦を巻いているし、短絡した電動機の電流が流れているかもしれない。感電のおそれがあるので、泳いで渡ってくるのは危険だが…
「ボコ! ボコ! ボコ…」
今のモーターは、そのほとんどが完全密閉された「全閉タイプ」だ。本来は水中用に使用される物だが、ダイバーズ・ウォッチ同様、ホコリや花粉の浸入にも強い。
すっかり水没した空気圧縮機が動いているところを見ると、防水モーターは健在なのだろう。
しかし機械室の中には、その他にも高圧電流を使っている物があるから、油断はできない。下手に足を踏み入れたりしたら、バッテリーを使ってサカナを気絶させる・違法な川魚漁のように、腹を上にむけて・水面に浮いてしまうことになるかもしれない。
(『水』は本来、「絶縁体」だ。『純水』なら、通電することは無いのだが…通常は・電導性の不純物が多量に含まれているので、電気が通ってしまう)。
「ゴン! ゴン! ゴ~ン!」
それに、水を吸い込んだ空気圧縮機が、「水撃作用」を起こしているのだろう。噴火した海底火山のように、水の中で不気味な爆発音を立てては、所々で水柱が立ち上がりはじめた。
(「ウォーター・ハンマー」とは…流れている流体が、急に動きを止められたり・圧縮された時に発生する「衝撃波」のことだ。押し縮めやすい気体と違い、圧縮率の低い液体なら…ましてや、空気やガスを二桁キロ代の高圧まで圧縮する機械だ。その圧力の波は、鉄の外皮をも突き破るほどのものとなる)。
『グズグズしてらんないぜ』
あいつらが載っている機械だって、いつ「水撃作用」を起こして崩れ落ちるかわからない。
『どうする?』
俺は、頭上をあおぎ見る。
ここにも、レール代わりのH型の鉄骨が入っている。ちゃんとした施設なら、機械の整備用に、重量物を動かす時のことを考えて備えつけてある。
二つ隣りのレールには、俺とリカが使った滑車とチェーン・ブロックも付いていたが…重さ数トンの荷重に耐えられるゴッツイ物だ。ユカと二人では、とても移設できそうにない。
「あれだ!」
レールに沿って、長い配管や配線が伸びている。
『いけるか?』
あたりの位置関係を、目測で測る。
レールは…他の機械とのレイアウトの関係で、V型レシプロ・タイプの空気圧縮機の、二人が載っているのとは反対側のシリンダーの真上を横切っている。
「よし! 着いてこい!」
俺はユカに声をかけ、痛みをこらえて壁ぎわの梁をよじ登る。
そしてH鋼の上に載り、綱渡りのように両手を広げ、細いレールの上を渡って行く。最初に同じ幅のレールを渡った時とは、大違いだ。
「コイツだ」
目的の場所までたどり着いた俺は、レールの横に伸びている配線を数本、絶縁カッターを使って・おおよその見当をつけてカットする。
(単線なので、ショートさせて感電する心配は無い。たとえば、高圧電線にとまっている鳥。二つの線をまたがなければ、電気は流れない)。
「頼んだぜ」
ユカに、手や足が掛かりやすいよう、結び目を結んでもらっているあいだ…今度はパイプ・レンチを使って、ひと握り半ほどの太さの長めの配管を、結合部の所からはずしにかかる。
「こん畜生!」
「形状保持ゴム」と「パワー・アシスト」さえ使えれば、何ということもなかったのだが…結合部は、強く締めてあるのか・錆ついているのだろう、固くてなかなか回らない。
「クソッ!」
ありったけの力を入れた体勢でいきなり回ると、バランスを崩したり・回った勢いで手を打ち付けたりすることがある。
普通の作業なら、より大きなサイズの工具を用意するか・レンチの先をハンマーでたたくか・『テコの原理』を応用し、長いパイプを継ぎ足して回すのだが…
(『アルキメデスの原理』と呼ばれる「比重」の違いを発見し、王冠の金の含有量を判定した逸話で有名な・古代ギリシャの哲人「アルキメデス」先生。師は、「長大な棒を用意してくれれば、地球だって動かしてみせる」と豪語したと云い伝わるが…あいにく俺は、これしか持っていなかった)。
俺は「万が一」の時の事を考えて、安全帯のフックを最寄りの配管にかけてから…渾身の力をこめて、レンチにブラ下がるようにして体重をかけた。
「ズルン!」
ユニオンは、ズルッとゆるんだが…
「ヤバッ!」
俺はバランスを崩して、あやうく下に落ちそうになる。
「あ!」
あわてて配管の根元につかまったのだが…
『しまった!』
パイ・レンは、「ポチャン!」と音を立てて沈んで行く。
『やっちまったぜ!』
安全帯をかけておいたから、命綱がピンと突っ張って、自分の墜落はまぬがれたが…レンチを落としてしまった。これではもう、もう片方の結合部は絶対にはずせない。
『金の斧・銀の斧じゃあるまいし』
「湧き水の精霊」が現われて、落下したパイプ・レンチを拾ってくれるはずもない。
(なお、俺が落としたのは…鉄のパイレンではなく、より軽量なアルミ製だ)。
『マーフィーの法則』によると、「起こる可能性のあるものは、起こるべくして必ず起こる」そうだ。
『しゃ~ね~な』
そこでふたたび、金ノコの刃の登場だ。鋸刃なんて言うと、バカにする奴もいるが…コイツがなかなか侮れない。
(ちなみに、通常「金ノコ」の刃は、押して切る方向にセットする。おそらく、「鉄の文化」の名残りなのだろうが…べつに、どちら向きでもかまわない。俺は日本人だから、たいていの場合、引いて切る。なんでも・それは、欧米人との骨格の違いだそうだ。洋式鋸は、押して切る。それは・つまり、身体の造りがそちら向きだからだそうで、ボクシングならストレート向き。一方で東洋人は、「引きが強いから、フックや(フックの変形である)アッパー・カットが得意だ」と、アマチュア・ボクシングをやっていた奴に聞いたことがある。それで、「木材文化」で発展した木工用の『和ノコギリ』は、引く方向に目が立っているのだろう。「なるほど」だ)。
この程度の太さなら…ましてや、中身が中空のパイプだ。セッセと切れば、5分とかからない。しかし…
『早くしないと!』
リカと神作の足元に飛沫がかかるほどに、水かさはどんどん増している。だが…
『かえって好都合だったぜ!』
反対側はユニオンの先で切り飛ばし、その配管の先端に、両側に余裕の長さを持たせた配線をしばり付ける。
配線がズリ落ちないようにするため、ユニオンの所に引っかかるようにする工夫が、簡単にできた。
『コイツを使って…』
そして配管のもう一方の端を、俺たちが載っているレールの下を通すように降ろして…リカたちがいるのとは反対側となる、真下のシリンダー・ヘッド上のボルトの頭に差し込む。
「ヨシ!」
高さにして3メーターほど。立てた配管は、レールの上にはわずかに届かないが…配線のもう一方の端が・神作たちの上に届く所まで、俺は配線を伸ばして配管を傾けていく。
「いいぞ! ゲン!」
相棒の手が、その配線をつかんだところで…俺は自分が持っていた方を、レールにしばり付けて固定する。
配管は、差し込んだボルトの頭を支点に・リカたちの方に傾いているので、彼女たちがブラ下がっても・重量バランスは取れるはずだ。
「配管が来たら、配線をしっかり押さえるんだ!」
俺は、配管の予想到達点の真上より、少し手前…配線が来るであろう場所のあたりに、ユカを待機させる。
(根元を軸に、ロープで吊ったパイプ全体を回転させるつもりだ。自信は半々だったが…90度くらいまでの旋回なら、できるはずだ。いつだったか狭小な現場で、年配の職人の技を一度だけ目にした事がある。「おじいちゃんの知恵」的なテクニックだ)。
リカには、神作が着ていたハーネス型安全具を装着させる。背中のフックに・余裕の長さを残して配線をしばり、その先の先端に「足掛かり」用の輪っかを作らせる。
(安全帯とは、あくまで墜落防止用の器具だ。各部位を圧迫された状態での・長時間の宙ブラリンには、身体が耐えられない。そこで、足を掛けてフンばれるようにしたわけだ)。
「行くぜ!」
そのリカに・かぶさるように配線を握りしめた神作が、威勢よく声を上げて、載っていた機械をける。
「グリン…」
もう片側のシリンダー・ヘッドを支点にして、二人がブラ下がった配管は、グルリと右回りに弧を描いて回り出す。
『あと少し』
配管のテッペンが、俺たちが載っているレールの真下に差しかかったところでユカは、はいつくばって下に手を伸ばすが…
「しまった!」
目測を誤った! 小柄な彼女の腕では、届きそうにない。
行き過ぎてしまったら、吊りヒモと支点の釣り合いが崩れて、パイプがはずれてしまう。が、その時…
「なに?」
まるで鉄棒で懸垂でもするかのように、レールから身体を落としたユカは、両足で引っかけるように配線をキャッチする。
「やった!」
ユカが押さえている配線の付け根に、上から別の配線を回す。
両端をつかんで伸ばしながら・パイプの先端の真上あたりまで引っぱってきて、レールの上側でしばり上げる。
「ヨシ!」
こうしておけば、たとえ配管が支点からはずれても、二人がロープ代わりにしている配線は落下しない。
「お疲れ」
ユカを引っ張り上げた俺は、ねぎらいの言葉をかける。
『まったく…俺のまわりにいる女どもは、オテンバ娘ばかりだぜ』
このくらいの身体能力があることは、知っていたけど…
「危ないこと、しやがって…」
俺は抱擁したユカに、そう言いながらキスをして…息を切らしたユカの、吐気を吸い・俺の呼気を送りこむ。
「なにやってんだよ! そんなの後にしろよ!」
しびれを切らした神作が怒鳴るが…まあ、もっともな話だ。
「いいぞ!」
そう合図すると神作は、ユカが結んだ結び目を伝って、ユラユラと揺れる配線を・やっとの思いでよじ登ってくる。リカが「重し」の役目を果たしたので、多少は上りやすかったはずだ。
「助かったぜ!」
レールにたどり着いた神作は、ホッとしているようだが…さっきまで二人が載っていた機械は・すっかり水流に飲み込まれ、今度は、身体を保持するために突っ張った・リカの足の下にまで迫っている。
でも、ブラブラのロープを上がってくるなんて、一般人には無理だ。
だが早く、リカをひっぱり上げなくてはならない。
「お次は…」
俺たちの頭上の少し上にある・太い丸パイプに、新たな配線を投げ掛ける。反対側を下に垂らし、こちら側は足下のレールにしっかり結ぶ。
二人で力が掛けやすいように工夫したわけだが…滑車があれば、「力学の法則」に従い・軽い力で引き上げられるが、そんな物は無い。
(投げ掛けた配管は、直径のある・断面が丸い配管だから、少しはマシだろう)。
「両手に巻きつけるようにして、しっかり握るんだ!」
俺はリカに、そう指図すると…
「せーの!」
神作と二人。息を合わせて「綱引き」だ。
『ツッ!』
俺は胸の痛みをこらえながら、自分の体重も利用して綱を引き下ろす。
「ざっと50キロ弱ってとこだな」
合間に相棒が、そう軽口をたたくが…かまっている余裕はない。
「ふい~! キッツ~!」
「パワー補助装置」があれば、何ということもなかったのだが…やっとの思いで重労働を終えた神作は、細いレールの上にヘタリこむ。しかし…
「グズグズしてられないぜ。急がないと」
俺は時計を見る。
「今度は何がはじまるんだよ?」
相棒は、ゼエゼエと息を切らしている。
「あと一時間しかない。急ごう!」
俺はそう言って皆をうながし、排気ダクトを目指す。