5.LOYALTY ―忠誠心―
「ところでソイツは信用できるのかい?」
俺は後ろにリカを乗せて、モールを操縦しながら、情報提供者のことについて尋ねる。
「キュイ~ン」
モーター&コンプレッサーの稼働音と…
「シュ~」
高周波の圧縮空気の噴射音をたて…「提灯アンコウ」のようなフレキシブル・パイプの先端に取り付けられたナビゲーション・ランプの灯りだけで、俺たちは暗闇を進んでいた。
(もちろんモールには、前後にヘッド・ライト、上部には全周回転式の作業用サーチ・ライトも装備されていたが…電力の節約と、目立たないようにするためだ)。
「キュイ~ン」
モールは今、排気用のパイプ・ラインに入っていた。吸入側の空気と違い、排出側は送風機型空気圧縮機なので、圧力もさほど上がらない。
機械の近くでは、生身ではいられないほどの熱さとなるが…排出口のある地表に近いこのあたりなら、温度もチョット汗ばむくらいだし、圧力も自然に出るのにまかせている程度だ。
ホコリはひどいが常に逆風だから、外からの花粉は降りてこない。保護眼鏡とフィルター無しの集塵マスクで十分だ。
「シュ~」
用心してライトを消していたが、配管の左右には道に沿って、「トリチウム塗料」のラインが点々と入っている。分岐さえ注意していれば、道を誤ることはない。
それに、枝分かれした細い配管に入っていたので、レールに乗って走る列車か・ジェットコースターのように、特別なハンドル操作をしなくても勝手に進んでくれていた。
「だいじょうぶ。信頼できる人よ」
しばらくの間があってから、ポツリと答えが返ってきた。
「どんな奴なんだい?」
「奴」と言ってから、『失敗した』と思った。リカと初めて会った時だって、俺は男が出てくるものだとばかり思っていたのだから。
「あいつの秘書よ」
『?』
予期しない返答だった。
「そんなの、信用できるのかい?」
まあ、もっともな意見だろう。
「あの男は大丈夫よ」
『男?』
「秘書」という言葉を聞いて、今回は「女」を連想していた、またまた単純な俺だったが…
『そういうことか』
ソイツがどんな奴なのか? 今度こそ「十中八九」間違いなく、察しがついた。
リカが「男」という言葉を使うからには、ソイツは「男としての機能を兼ね備えた奴」。つまり、リカの部屋に招かれた事のある、もう一人の人間…
「昔の恋人か?」
願いの池での会話を思い出す。
「…そう。そういう意味では、なかなかだったんだけどね」
彼女はチョットためらいがちに、そう答える。
「どうして別れちまったんだい? 男としての役割を果たせるヤツなんて、今どき珍しいじゃないか」
俺は、やっぱり反省が足りない人間だ。ついつい、おせっかいなことを言ってしまう。以前にも同じ事をして・同じ後悔をしたはずなのに…
「巡り合わせが悪かったのね。順序がメチャクチャだったから。それさえなければ、もしかして…」
誰にだって、口にしたくない事があるはずなのに…
「彼はマジメで誠実な人だった。夢や理想も持っていたわ。だから余計にツラかった」
こっちにだって、聞きたくない事があるのに…
「あの人は…アイツの息子だったの」
なんてこった!
『バイ・チャンス?』
偶然なんて、あんがい身近なところに転がっているものなのだろうが…
「知りあった頃は、そんな事実は知らなかった…彼さえもね。彼は、アイツがお妾さんに産ませた子供」
ましてや、小さな狭い世界だ。
「後でその事を知った時は、お互いショックだったわ。わたしは二人の男しか知らない。その二人が親子だったなんて」
聞きたくなかったぜ!
『アクシデンタリー?』
事故的なものも、また然りだが…
「それも、どんなに憎んでも飽きたらない男の息子」
ここは(俺も含めた)当事者全員、交通事故にでも遭ったとあきらめて…
「結婚なんて、できっこないわ。たとえ駆け落ちしたって…」
我慢するしかないのだろうか?
「彼は、わたしの前から姿を消したわ。その彼から、極秘の連絡が入るようになったのは一年前」
いろいろな感情・さまざまな思いが、頭の中を駆け巡ったが…俺は黙って、前方の暗闇を見ていた。
「罪ほろぼしのつもりだったんでしょうね。父子の名乗りを上げて、ヤツに取り入るフリをして、アイツの懐に潜り込んだらしいの」
放任すぎる、あるいは真逆に、過保護すぎる環境で育った少男・少女が、非行に走る場合…
(法的に「少年」は「年端のいかない子供」を意味する。男女の区別は無いから、ゆえに現代では「少年・少女」ではなく「少男・少女」という表現が使われている)。
最終的に同じような結末…暴力的になるか・萎縮して無気力になるかの、「どちらかの道をたどる」という統計があるそうだ。
「ソイツが、潜り込ませていた仲間ってわけか?」
親が立派すぎても・クズすぎても、ダメになる子供がいるものだが…ただし「反面教師」という言葉がある。
「ええ。でも彼だけじゃないわ。彼の手引きで、あと数人。そして彼からの情報やアドバイスのお陰で、やっとここまで漕ぎつけたの…でも、あれから二年。まったく会ってないわ」
彼女の口調は、過去を悔やむというより、思い出を懐かしんでいる風だった。
「偶然だけど、狭い世界だから…だからあなたに出会って・そういう関係になって、何かフッ切れた気がしたの」
彼女はそれっきり、黙りこんでしまった。
『なんだ。俺はただの代用品か』
俺がそう思った、その時だった。
『?』
音にならないウネリのようなザワメキが、行く手の先から聴こえてきた。
地震や火山の噴火・炭坑などの落盤事故の直前には、「奇妙な音」が鳴り響く事があるそうだ。
ベテランのトンネル工事人、あるいはそれを経験し・生還を果たした人間には、それがわかるというが…ソイツを聞いた俺には、それが何を意味するのか、すぐにわかった。
『マズイ!』
俺は見たことは無かったが、話に聞いたことがある。どこかにある政府の施設に、超巨大な機械があるという噂を…。
(ソイツは起動をかける際、莫大な電力を喰うため・一瞬フッと近隣一帯の電灯が暗くなり、動き出すと膨大な空気を吸い上げるため・瞬間グッと気圧が下がると言われていた)。
「しっかりつかまれ!」
俺は、後ろのリカにむかって叫ぶ。
排出用の配管だが、経路を切り替えれば、前から高圧エアーを回すことだって可能だろう。
「どうしたの?」
たぶん、レーダーかセンサーに引っ掛かったのだ。
「トンネルに女を入れたから、地底の神様が怒りだしたのさ」
昔はそういう迷信があったという話を、年配の職人から聞いた記憶がある。
『地母神なんて言葉があるくらいだから、大地の神様はきっと女なんだろ』
あのとき俺は、そんなふうに思っていた。
だからかつては…相撲の土俵と同様…トンネル工事現場に、女性は立ち入ることができなかったそうだ。
(かつてイングランド上流階級にあったと云う、「男性専科」的な同人クラブで、「自分の女房へのグチ」でも言い合っているくらいならともかく…)
「バカバカしいぜ!」
「女人禁制」の地に祀られているのは、だいたい女神だ。
『女神様は、どいつも・こいつも焼きもち焼きだぜ』
…と、この期におよんで、嘆いてみても始まらない。
「ウォン・ウォン・ウォン…」
うなるような響きが、音量を増してどんどん近づいて来る。
「チッ!」
脇道を探したが、このあたりには見当たらない。
「グワ~ン!」
不気味な共鳴音が、闇を満たすようにあふれてくる。
『来る!』
俺は頭を低くして、身がまえた。
「!」
轟きが、俺の耳元に重なった瞬間だ。
「ド~ン!」
見えない塊が前方からブチ当たり、蹴り飛ばされるように後方に押し戻される。
「!!!」
渦を巻くような強烈な「加速G」で、声も出ない。俺たちは、激流に飲み込まれた木葉みたいなものだった。
「ク〜ッ!」
前から押されているのか・後ろから引っ張られているのか、判然としないような見えない力に翻弄される。
『ヤバイぜ!』
狭い坑道内なら、頑丈なロール・バーで守られているので、「頭を削られる」なんて事にはならないが…このスピードで、広大な広さの主坑道に投げ出されたら、ひとたまりもないだろう。
「クッ…!」
俺たちは、ボブスレーのように突っ走るモールに、必死でしがみついていた。
激しい風圧で、マスクを吹き飛ばされた口を大きく開けても、空気は口元を素通りしてしまうほどだ。
『チックショー!』
全力で噴射をかけるが、この圧倒的な力の前では「雀の涙」。
さらに、フロート・レベルのスイッチをゼロに下げる。浮力の働かなくなったモールは、車体を沈める。
「ギャ~ッ!」
モールの底が鋼鉄の配管に接し、派手な火花が舞い上がる。かなりの力でブレーキがかかるが…とうてい止まりそうにない。
『どうする?』
主坑道に飛び出すか・車体の床が削り取られる前に、何とかこの状況を脱しなくては。
『さっき、ジャンクションを通過したはずだ』
左右から、同じ太さの配管が交わっている所だ。
『! ! !』
俺は後ろのリカに、ジェスチャーで合図する。
こうなったらモールを捨てて、壁に飛び移るしか手はない。「空気取り入れ口」の鉄塔で神作と遊んだ時のように、「形状保持ゴム」を吸盤にして横壁に吸い付くわけだ。
もちろん、ゴムを励起させる電源も、「パワー補助装置」の動力源となるエアーを取る機械も無い。そこで今回は、超小型の蓄電池と発電機・とある化学物質の入った電気ポットほどの大きさのボンベを二つ、背中に背負っていた。
その容器は、「エアー・インディペンデント・プロパルジョン(大気非依存型推進装置)」式の潜水艦でも使われているような、二液混合タイプの酸素発生装置にヒントを得た物で…ふたつの液状の薬品が混ざり合い・反応することによって、ガスを発生させる仕組みになっていた。活性度の高い劇薬を使用すれば、それだけでかなりの圧のガスを作り出す。
(圧縮機と言っても、何も空気を送る物ばかりではない。ガスを圧送する「ガス・コンプレッサー」だってある。その手の機種は、より気密性が重要となる。空気用の機械なら、漏れても効率が落ちるだけだが、ガス・コンは中毒や爆発の原因となるからだ)。
ついでに、循環するガスで回転翼を回し、それとつながった発電装置を起動させて電気も作っている。蓄電器タイプの蓄電装置をかましてあるので、急速充電ばかりでなく、急速放電も可能だ。
(いわゆる、自動車などに使われている「ハイブリッド機構」と言うヤツだ)。
だが実のところ、実際の「仕事」でコイツが活躍するのは、今回が初めてだ。試作品は、とっくの昔にでき上がっていたのだが…使用する燃料が高価で元が取れないし、発生するガスがチョイとばかり有毒なため、密閉された狭い室内での使用には危険がともなったからだ。
[たとえば、「硫酸」と「アンモニア」を原料に、電気分解や加水分解・蒸留濃縮と減圧濃縮などの行程をへて作り出された高濃度濃縮液を使えば、ロケットだって飛ばすことが可能だ。意外と知られていないことだが…もしかすると、倫理的故意に情報を秘匿しているのかもしれないが…化学の知識があれば、毒ガスの製造だって案外簡単だ。20世紀の末期、あるカルト教団が、農薬などに使われる単純な材料から「毒性化学物質」を作り上げ、テロ事件を起こしたが…本気で「革命」や「国家転覆」を企図していたのなら、「暴力主義」なんて言葉で表現されると不愉快かもしれないが…事件自体より、民間レベルで・そんな物を製造できた事の方が驚きだったはずだ。
(もっとも俺だって…「炭疽菌」などの生物兵器に関する知識は無いが…化学兵器なら、材料と設備さえ用意してくれれば、「サリン」だって「VX」だって・びらん剤系「マスタード・ガス」だろうが「ノビチョク」だろうが、造ってみせるが)。
しかし「核兵器」にしたところで、そちら方面の大学院卒業程度の知識があれば、「原子爆弾」の図面は引けると言う。事実、かつて某・超大国政府を相手にした脅迫事件があったし…それなりの設備があれば、ハード面での製作はそれほど難しいことではないだろう。残った問題は、「濃縮ウラン」の製造や「プルトニウム」の入手など、その素となる材料調達や燃料製造だけだが…それが一番困難なため、『核兵器の保有』は国家レベルでも、ハードルが高い理由となっているわけだ]
『どこだ?』
俺は場所を確認するため、モールの作業用サーチ・ライトをつけ、後方にむける。
でも呼吸を一歩間違えば、闇にむかって吸い込まれてしまうだろう。
『まだか?』
俺は、押し流される左側の壁面に目を凝らした。降りた後の目的地のことを考えると、そちらの方が後あと都合が良いからだ。
『あそこだ!』
首をひねって凝視していた後方に、経路に沿って等間隔に並ぶ白いトリチウム塗料のラインの間隔が、少しだけ長い箇所が見えた。
俺はそのままリカに、手まねきで「飛び降りるぞ」という合図を送る。
『今度はこれじゃ、何も叫べないな』
そう思いながら、彼女がうなずいたのを確認した俺は、モールの前部(現在の進行方向からすると後方)に身を乗りだして、タイミングをはかる。
『ワン! ツー! スリー!』
モールに引っ掛からないように用心し、リカを先に押し出すようにして、左手のウォール目がけて飛び出す。
「ドン!」
両手・両膝が固い物に当たった一瞬、指先にある「形状保持ゴム」のスイッチをオンにする。
「グイン!」
次の瞬間、カラダに風圧がドッとかかる。
『やった!』
でも着いた先は、分岐点をかなり過ぎていた。思っていた以上に風に流されたし・ためらいのあまり、飛び降りるのが遅すぎたからだ。それに…
『?』
着地が成功した刹那、俺の視界の左隅の後方を・右へと横切ろうとする影が映る。
『しまった!』
背後を飛び去ろうとする物体を追って、とっさに右手を伸ばす。
『クソ!』
右腕に、グッと重みが加わる。ギリギリで、右手のソデをつかまえた。
ゴムを起動させたことの無いリカは、わずかにタイミングが遅れたのだろう。うまく壁に乗り移れなかったようだ。
「ゴー!」
聴覚をさえぎる風のうなり。
俺の右腕にブラ下がり、「吹き流し」のように翻弄されるリカ。ジャンプ・スーツと言いたいところだが、ブカブカの作業服がバタバタとはためいている。
(人間の身体は、「自由落下」で降下すると、わずか数秒にも満たない時間で意識を失ってしまう。それで戦時中、墜落した「急降下爆撃機」も多数あったと云うし…遊園地の『フリー・フォール』などのアトラクションは、コンマ数秒の差で、気絶する時間に達しないように設定されている。「スカイ・ダイビング」の場合は、失神しないために、エアー・ブレーキのかかるジャンプ・スーツを着用したり、あえて空気抵抗を受けるような姿勢を取って、速度を制限しているわけだ。ちなみに、医学的根拠や・科学的な確証は無いが…かつて多数の女性パイロットを擁していた、『第二次世界大戦』下の「ソ連軍」。一説によると、「加速Gなどへの耐性は、男より女の方が強い」と言われていたそうだ)。
『ク~!』
片手と両膝の三点だけでは、支えているのが精一杯。俺の身体も、壁からはがされそうだ。
『今度こそ…もうダメだ』
どっちにしたって、このままパワーを使い続けたのでは、せいぜい10分くらい…否、5分ほどしかもたないだろう。
『マズイぜ!』
たぶん俺は、あきらめの表情を作って、リカの方に顔をむける。でも…
『ちゃんと、つかまえていてね』
ゴーグル越しに俺の方にむけられた彼女の視線は、そう語っていた。
『?』
リカは残った左手や両足を動かして、バランスを取っている。風をつかまえようとしているようだ。
『リカは、まだあきらめてない』
俺は、自身のパワーを振り絞って叫んだ。
「死ぬときゃ、いっしょだ! ひとりじゃ行かせないぜ!」
* *
『空気で良かったぜ』
質量のある水や油が相手だったら、同じ圧力でも、この程度では済まなかっただろう。でも…
『さて、どうする?』
俺たちは、崖っぷちの壁に貼りついているようなものだった。
いく度めかの試みの後、まずリカの左手が・続いて両膝が見事に着地した。そのあと俺たちは、横むきによじ登るようにして、ジャンクションの窪みまでたどり着いた。
「ゴー!」
しかし…耳元を通り過ぎる風切り音。
弁がわりの・巨大な上下開閉式のシャッターは、固く閉ざされている。完全に密閉された鉄の扉をコジ開けるのは、到底不可能なことに思われた。
『このままじゃ…ヤバイぜ』
目の前を流れる膨大な量の気体は、流速が速いので、この凹みの前を素通りし、ここから空気を吸出していく。
失速状態のここは、真空に近かった。小型の酸素ボンベでは、せいぜい7~8分程度しかもたない。
(細長い・小型の懐中電灯のような金属製の酸素ボンベも、もともとは潜水艦用に開発された物らしい。サブマリンで火災が発生した場合、化学薬品を散布する酸素除去による消火手段がとられるが…現在の地下都市は、潜水艦の艦内のようなものだ。マスク型ではなく、横向きにして中央に付いているマウス・ピースをくわえるだけの簡易型だが…化学消火設備が備えられた室内で作業する場合は、常時携帯が義務付けられた装備。それでなくとも、何かあったら暗闇と酸素欠乏にさらされる穴ぐら生活。手動で「はずみ車」を回す自家発電式の懐中電灯と同様、今では「一人に一個」の防災用品だ)。
『それまでに、この風がやまなかったら…』
そう思いながら、円形の鉄扉の中央付近まで移動した時だ。
『?』
足元に気流を感じる。エアー漏れだ。
長年にわたってたまったゴミやサビが、バルブの完全な開閉を妨げていた。支流からも高圧空気が回り込んでいるようで、ここから噴き出している。
「シュー…」
しかし、そのスキマは、指先も入らないほどだ。
『それなら…』
差し込んだ「形状保持ゴム」を励起させ、起動させた「アシスト・パワー」を使い、コジるようにして・シャッターを引き上げる。
『ヨシ!』
指が掛かる程度まで開いた。これで酸欠の心配はなくなったが、グズグズしてはいられない。嵐がやめば、次に現れるのは奴らだ。
『手を貸してくれ』
大量の風が渦巻く轟音の中では、まともな会話はできない。俺は身ぶり・手ぶりで、リカにサインを送る。
『コイツを持ち上げるんだ』
俺たち二人は力を合わせ、「アシスト・デバイス」のパワー全開で、その重たい仕切りを引き上げる。
『せーの!』
もちろん、ソレを完全に上げ切ることはできなかったが、人一人が何とか通り抜けられるスキマができた。
ただし流体は、「ベンチュリー効果」といって、経路が細く絞り込まれた箇所では、流速が一段と速くなる。
そこで俺は、まずリカを押し入れ、自分は「可変ゴム」を鉤形に変体させ・補助動力の最後の力を使って、そこからはい出る。
「危なかったな」
薄暗い・シャッターの反対側に寄りかかる。
前からの空気の流れは、ここでほとんど行き止まり。気圧は上がっているだろうが、ここまで入れば動くのに支障はない。
「でも、まだ生きてるわ」
荒い息をしているが、一点を見つめるような彼女の瞳は、綺麗に澄んでいた。
「やるだけのことやって…そこで死んだなら…それはそれで、仕方ないでしょ」
そこまで言って、大きく深呼吸。
『いい根性してるぜ』
空になったボンベや・動力源のつきた機械など、ただ重たいだけの無用の長物でしかない。ここで脱ぎ捨て、痕跡を残さないため、おもての風で吹き飛ばす。
「さ、行きましょ」
俺もクダラナイことは考えないことにして、稼働していない空気圧縮機の配管を選んで、中に入って行く。
目指すのは機械の手前。エアーの流れから見ると、コンプレッサーの直後に設置されているであろう膨張室だ。
(吸気用圧縮機なら、高圧エアーが溜められる貯蔵室が装備されているのだが…機械を空気の循環に使用するようになってから、吐出用コンプレッサーの出口に、消音のために装着されるようになった。チャンバーもレシーバーもタンク型の物で、横方向のスペース節約のため、だいたいが立てた状態の縦置きに設置される)。
たとえばエンジンの「排気ガス」。高温で高圧の燃焼ガスが一気に大気中に放出されると、急激に膨張するため爆発音が発生する。
(これが「排気音」の原因だ)。
圧縮機で作られた気体は、クーラーでそこそこ冷やされているが、圧力は高い。
(壁や配管を伝わっていくのは、振動ばかりではない。騒音も、大きな社会問題のひとつで…安眠妨害などの訴訟騒ぎも、後を絶たない)。
現在では、そのノイズを減らす目的で、圧縮された空気の圧力を順次下げていくため、小から大へと・いくつかのチャンバーが装備されている。
(車のエンジンの消音器と同様の機能だ)。
大量に作られた圧縮エアーの圧力を下げるための設備だから、容量もかなりある。小さな物でも、大人一人が入れるほどだ。そして膨張タンクや貯蔵タンクには、内部にたまった水・発生したサビなどの除去・清掃用に、人間が出入りできる大きさのハッチが付いている。
(大気中には、水蒸気などの湿気が含まれている。コンプレッサーは大量の空気と一緒に、多量の水分も取り込んでしまうわけだが…高温のうちは蒸発しているが、それが冷却器などで使用可能温度まで冷やされると『凝結』して水になる。空気中の水分は、湿度の高い場所や季節には、相当な量になる。それに、高温になる機械は、室温や冷却水の水温との温度差により、「結露」も発生する。それで、圧縮機とタンクの間に「脱湿機」と呼ばれる乾燥機を設置する場合もある。もちろん、水分を抜き取る排水弁や・自動の排水器が備え付けられていたりするが、放っておけば・いずれサビが発生してしまう)。
しかし、そのタンクの・大人がくぐり抜けられるサイズのハッチは、内圧で内側から押し付けられる構造になっているので、取り付けボルトの「締め付けトルク」は、大したことはなかった。ただし…
「チェッ! なんて原始的なんだろ」
ただし安全のマージンを考慮して、ひと握りほどもある太いボルトが2本使われていた。
「ギコ・ギコ・ギコ…」
ソイツを俺は、持ち運びやすいように、手頃なサイズに短く折ったダイヤモンド・チップ入りの金鋸の刃で、セッセと切っていた。
「ふう~」
溶接でハッチの裏側に溶着されたナットの頭は、角度が悪くて切りにくく・時間がかかるが…仕方ない。
なにしろ俺たちは、先ほどの関門を突破した所で、ほとんどの装具を放棄していた。残された物は、充電式のハンド・ドリル以外、実際に自分たちの肉体を酷使する手工具だけだ。
「ヨシ!」
それから半時ほど。やっとの思いで、ナットの頭を切り飛ばす。
「さあ~て…」
準備万端とはいかないが、俺たちは『三途の川』を渡り終えた。いよいよここからが本番だ。
「こっから先は、ホントの地獄かもしれないぜ」
節約のため、頭にバンドで固定したライトは消してあったが…リカが、コクンとうなずくのを感じる。
「ところで…ユカが捕まっている場所はわかるのかい?」
俺は、念のために訊いてみるが…
「さあ」
闇の中から、そっけない返事が返ってくる。
「さあっ…て」
俺はアセッた。
「ここにいるかどうかも、わからないわ」
なんてこった!
「またダマしたのか?」
闇にむかって、小声で怒鳴る。
「そんなことないわ」
納得できない。
「見殺しにする気かよ?」
俺は動揺した。
「いい方法があるの」
彼女は、そう言い返してきた。
「いい方法?」
この期におよんで、いったいどんな手があるっていうんだ?
「ヤツをおびき出すの」
はあ?
「どうやって?」
聞かせてみろよ。
「まかせてよ。そんなことより、早くしないと取り返しのつかないことになるわ」
俺には、一瞬の間があった。でも…
『何か考えがあるんだろう』
すぐに決心した。
「まあいいか。君にまかせるよ」
俺はそう言って、タンクの壁面に聴音器を当て、耳を澄ます。
(医者の使う聴診器の先が、とがった棒になったような物で…機械の内部の音を聴く時に使う器具だ。集音機ほど鮮明ではないが、外の気配を探る手立てはコレしかない)。
「だいじょぶそうだ」
人気が無いのを感じてから、タンクのハッチを蹴り飛ばすが…
「なんだ、コイツは!」
タンクからはい出た先は、『船も建造できるのでは』と思わせるほどの広さを持つ部屋…というより、船渠みたいな場所だった。
「なに、これ?」
後に続いて出てきたリカも、感嘆の声をもらす。
『これが噂に聞く、おばけコンプレッサーか!』
俺は、のけぞるほどに上を見上げる。
最上部は、むこう側に回り込んでいるため、見ることはかなわないが…ちょっとした屋内遊園地の、巨大ジェット・コースターのループ以上の高さはあるだろう。山のようなサイズのターボ・コンプレッサー。
こうやって実物を目にするまで、その存在には半信半疑だったが…
『ホントにあったんだ!』
今は停止しているが、熱を放っているところをみると、さっき俺たちを吹き飛ばそうとしたのは、コイツに違いなかった。
「スッゲー!」
俺にとっては、にっくき敵なのだが…でも俺は素直に、人間の叡知に感心させられる。
『超弩級空気圧縮機』
そびえ立つ石像や神殿など、人類の超巨大なものに対する崇拝は…たとえば『太平洋戦争』の頃、超弩級戦艦「大和」や「武蔵」を生で見せられた当時の日本人はきっと、『これなら戦争に負けるはずがない』と思ったことだろう。
(『第一次世界大戦』期に建造された英国の巨大戦艦「ドレッドノート」にちなみ、その名前の「ド」の字に・漢字の「弩」を当て、「弩級戦艦」との呼称が生まれたが…その後に登場した、さらなる規模の軍艦を「超弩級」と呼ぶようになったそうだ)。
『どうりで、デカイ配管とタンクだったわけだ』
なるほど、いま通ってきたパイプは、通常では考えられない太さだった。
(でも今ここで・こうして見ると、それですら無数にはい回る支管の一本でしかない)。
さらにコイツは、ここのトップ・シークレットのひとつなのだろう…
『ふざけたアメリカン・ジョークだぜ!』
リカの持つデーターにも、「ベイビー」としか記されていない。
『しかしここまで、どうやって運びこんだんだ?』
たとえば潜水艦は、物資の搬出入に、ミサイル発射口を利用したりするらしいが…コンテナのような箱に収められたコンプレッサーほどのサイズになると、いったん硬い外殻を切断して、搬入・設置後、ふたたび溶接でふさぐそうだ。
(溶接による造船技術が確立される以前の「鋲留め」だった頃の巨船は、時化で船体がまっぷたつになった事もあるらしい)。
一番スペースをくう「駆動ギヤ」をよく見れば、メインのシャフトが四本ある4軸タイプ。
『な~るほど』
『質量』とは、物理学では「動かしにくさ」を意味する。
(量子力学的には、「質量を生み出す物」として、素粒子や電荷などの電気的な要素とからみ合う、また違った解釈・定義になるのだが…)。
つまり、大きく・重たい物になればなるほど、動かす力も大きくなり、シャフトの剛性が必要になるが…どうせギヤを介して増速するのだ。大きく・重たい物を無理やり回すより、たとえ回転数が倍になっても、小さくて・軽い物を回した方が、少ない回転力で事足り、ひいては要求される強度も低減される。
(さらに、「数の増加はコストの減少」という経済の原則からすれば、製作費の低下にもつながるだろう)。
『たぶん…』
各セクションごとに、バラバラに造られた部品を運びこんでは、ここで組み立てたのだろう。
(その方が人目にも触れず、秘密も守りやすいはずだ)。
それでも、山と積まれた圧縮部の、一番大きな一段・低圧段部分は、ざっと見で、ガスや空気を貯蔵する球状タンクほどもある。
『ふ~ん』
横倒しになった「インター・コンチネンタル・バリスティック・ミサイル=大陸間弾道弾」みたいなクーラーの経路を目でたどって行くと…俗に言う「縦型ターボ・コンプレッサー」だ。通常は、中央の吸い込み口から、側方の開口部に放出されるのだが…それとは流路が逆で、サイドの開口部から吸いこんだエアーを、センターの排出口から放出するため「スペースを節約できる」と言われている。
(それでも、これだけのサイズの機械が一台あれば、ひとつのコロニーの需要をまかなえるだろうし…もともとそのために、これほどの規模の装置が作られたのだろう)。
「コイツを見られただけでも、ここまで来た価値がある」とまでは言わないが…
『神作の奴にも、見せてやりたかったぜ!』
多少のことでは、飄々としているヤツだが…「大ボラ吹き」のアイツのこと。三倍くらいの大きさで吹聴することだろう。
『おっと』
感心している場合ではない。
「行こうぜ!」
俺はリカをうながす。
ブ厚い防音扉を内側から開き、隣りの機械室へと侵入する。
* *
リカが先に立ち・俺たち二人は、いくつも並んだ・高さ数メーターもある機械の間を走り抜ける。
超巨大な「アンモナイト」のような形をした外殻を持つ、回転式圧縮機だ。
「チョイ待ち!」
機械室のはずれに来たところで、俺は彼女を呼び止める。
あたりを見回すと、天井に据え付けられたレールの隅に、ホコリをかぶったチェーン・ブロックが見えた。ソイツは、レールを移動する滑車に掛けられていた。
『あれだ!』
「チェーン・ブロック」とは…チェーンを巻くことによって重量物を吊り上げる、手動の巻き取り器だ。今では「ホイスト」と呼ばれる電動の物や・大型の天井クレーンに取って代わられて、見むきもされなくなっているのだろう。
しかし俺は前々から、『あんがい人類が発明したもっとも偉大な道具は、自転車ではないか』と思っていた。先ほど・お世話になったように、今の時代にも存在していたし、もっとも単純明快に人間の力を増幅してくれる優れ物だが…それは、このチェーン・ブロックにも通じるものがある。前近代的な代物だったが、必要とされる動力はいたって簡単…「人間の力」だ。
「体重は何キロあるんだい?」
俺はチェーン・ブロックの先端のフックを、リカの腰からはずしたベルトに付いているD型リングに掛けながら、なに気なく訊いてみると…
(そのベルトは「安全帯」と呼ばれる、高所作業用の命綱の付いた物だ。短い命綱の先には、登山などに使われるカラビナのようなフックが付いている。引っかける際は手錠のようにワン・タッチだが、はずす時には簡単なロックを解除しなくては開かない)。
「レディーにそんなこと、聞くもんじゃないわ」
俺は女性に体重を尋ねて、そんなふうに言われたのは初めてだった。
(最初は、命綱か・命綱を帯側につなぐ金具にチェーン・ブロックを掛けようと思ったのだが…腰に巻いたまま吊ったのでは、どのみちズレて・胃袋が絞めつけられることになるし、上のレールにはい上がる時のことを考えて、ちょっと工夫を施すことにしたのだ)。
「へえ~、そうなのかい?」
俺にしてみれば、意外な答えが返ってきた。
(俺は、空挺隊の落下傘部隊の隊員が・パラシュートを装着する時に使うような「フル・ハーネス型安全帯」…正式名称は「墜落制止用器具」と言う…を装備していたが、リカには、もっと軽量で簡易なベルト型の安全帯を渡してあった。それに…背中側で吊る俺のセーフティー・ベルトには、邪魔になる工具を差し込んだ鞘や、小物を入れたバッグなども付いている。ここで使うには不向きだ)。
「行くぜ!」
リカがブランコに座るように、輪っかにしたベルトに身体を入れたところで、俺はチェーンを巻きはじめる。
「ジャラ・ジャラ・ジャラ…」
組み込まれたギヤの比率によって…多少の時間はかかるが…リカくらいの体重なら、軽々と持ち上がる。
(自転車の変速器の要領だ。こんな単純な道具でも、人力で何十キロ・何百キロもの重さを吊り上げることができる)。
「ふい~!」
リカが天井近くのレールにはい上がったのを見届けて、俺はふたたびフックを降ろす。
「ジャ~・ジャ~…」
荷重が抜けて・軽くなったチェーンを引っ張る音はガラガラとうるさいが、それ以上の騒音に満たされている機械室なら、気にすることはないが…
『?』
その時、上に登っていたリカが合図を送ってくる。人が来たようだ。俺は素早く、もよりの機械の陰に身を隠す。
『!』
小脇にバインダーを抱えた・白い作業帽に半ソデの作業服を着た男が一人、機械を見回っている。定時の点検だろう。
「機械」…特に汎用品なんて、『放っておいても勝手に動いている』と思われがちだ。たしかに、技術や素材の進歩に従い、定期点検時間や交換寿命は飛躍的に伸びていたが…無整備で動き続ける機械など、どこを見回しても見当たらなかったし・半永久的に存在する人工物も、あるはずがなかった。
(もっとも、そんな物がすでに実現していれば、俺たちの仕事も、とっくの昔に無くなっていたはずだ)。
たとえば…場所によっては、定められた修繕工事のとき以外、一日24時間・一年365日、フルに稼働している所もある。
そういう場所になればなるほど、不測の事態で機械が停止してしまえば、大きな被害・多大な損害を出すことになる。
ゆえに…トラブルの早期発見のためには、こういった管理が必要になってくるわけだ。大きな組織や会社になるほど、そういったものが徹底され・そのための予算や人員を確保し・それ用の部署が設置されることになる。
(実情を知っている俺みたいな人間からすれば、そういったものが省略されているSF作品はウソ臭くて、読む気にも・観る気にもなれないが…「星間航行」を実現するには、「自己診断・自己修復機能の実現が必須だ」という学者の話にはうなずける)。
男はそれぞれの機械を回りながら、バインダーにはさまれた用紙に、各部の温度などの記録を書き込んでいるようだ。
しかし、その時になって…
『しまった!』
宙づりになっているところを見つかったのでは、たまらないが…中途半端に降ろしたフックの先には、黄色い安全帯がブラ下がったままだ。
『マズイ』
今さら、どうしようもないのだが、しかし…
『?』
男が手前の機械の下部をのぞき込むため・かがんだその時、安全帯が掛かったチェーンがスルスルと上がって行く。それに気づいたリカが、スキをついて引っ張り上げてくれたのだ。
『たのむぜ』
俺はその男が、それと気づかずに部屋から立ち去るのを祈った。任務を遂行したリカも、頭上でジッと息をひそめているはずだ。
『このトシになってまで、「隠れんぼ」をするとは思わなかったぜ』
俺は、「隠れん坊」をしていた子供の頃の自分を思い出した。もう20年以上も前の話だが…幼い俺は隠れていると、決まって・かならずションベンを催した。たぶん、緊張のせいだろう。だから、長いこと隠れ続けていられなかったものだが…
『まだかよ』
でもその男は、なかなか立ち去らない。
『早くやれよ!』
俺はドキドキし、そしてイライラした。
たしかに、かなりの数の機械があるのだから、簡単なデーターを採るだけでも、それなりの手間と時間が必要だ。
(それに、だいたい「待つ時間」は、とても長く感じるものだ)。
『ン?』
さすがに尿意をおぼえたわけではないが、かなりの緊張状態にあった俺は、手に汗を握っている自分に気がついた。
『チッ!』
両の太モモで・両の手の平をぬぐい、コブシを握り直す。なにしろイザとなったら…『この男に、先にオネンネしてもらわなくてはならない』のだ。
今までの俺の人生で、こんなに「本気な状況」に置かれたことなど無いのだから、当然のことだろう。
でも・たぶん、極度の緊張は良くない。相手に気配を悟られることだって、あるはずだ。
「ふう~」
力みを取るため、静かに息を吐いていると…またまた、ガキの頃の出来事が浮かんできた。
『小学校の、何年生だったろう?』
家業が・日用雑貨品の販売と卸をしていた、「遊び友達」がいたのだが…彼の家の倉庫で遊んでいた時のことだ。俺たちは数人で、山と積まれた商品の入った段ボール箱を勝手に動かしては、「秘密基地」を作っていた。そこに、ダチの親父さんがやって来た。俺たちは、息をひそめた。「シークレット・ベース」の防備は完璧だったはずだ。でもアッサリ見破られてしまった俺たちは、大目玉を食うことになった。
『こんな騒々しい所で、人の気配に気づく奴なんていないさ』
俺はそう思い、作業ズボンの太モモで・ふたたび手を拭う。
(聴覚がマヒすると、周囲の気配を認識する能力は格段に低下する。騒音に満たされた場所では人の接近を察知できず、いきなり耳元で声をかけられビックリすることが、多々あるものだ)。
問題は、「コイツが俺の隠れている場所を、のぞき込まないか」ということだが…日常点検というものは、ただ単に「計器を確認すれば良い」というものではない。水漏れ・油漏れがないか、目視で確かめることだってあるし、毎日きいていれば、異音の有無などもわかるものだ。
今どきの、ましてや頑丈なのが取り柄の汎用機械。突然なんの前ぶれも無く壊れてしまうことなど、まずあり得ない。かならず何がしかの前兆や予兆があるものだ。そういったものを見落として機械を壊してしまうと、担当者は上からのお叱りを受けることになる。
(一方で…部品の経年劣化など、あまりにゆるやかな変化には慣れ切ってしまい、かえって気づくのが遅れることもある。そういった時こそ、俺たち「プロ」の出番だ)。
『ヨシ!』
機械にばかり気を取られていたその男は、頭上に垂れている安全帯の下を通り過ぎる。最初の関門は、無事通過したが…
『!』
続いて、俺が隠れている機械の前にやって来た。緊張は、最高潮に達する。なにしろ俺は、ヤツが見ているであろう計器盤の・鉄板一枚へだてた、すぐ後ろにいるのだから…。
『ゴクリ!』
静かな場所なら、ツバを飲み込む音だって聞こえそうな距離だ。
俺は拳を握りしめ、身構える。もしパネルのむこうから顔を出したら、問答無用で殴り倒さねばならないが…
『数値に異常でもあるんだろうか?』
ソイツはずいぶん長いこと、そこに止まっている。
『クソッ!』
実のところ、ものの数分にも満たなかったかもしれない。しかし、待たされるのが大嫌いな俺のこと…
(職人なんて案外、「サラリーマンができない人間」の集まりだ。「遅刻常習犯」なんて、ザラにいる。幸い「両刀使い」の俺には無縁なことだが…タイム・カードのある普通の会社なら、「遅刻3回で欠勤1」だ。それでなくとも、人の時間を無駄に浪費させるなんて…俺には「ゆるやかな殺人」としか思えない・憎むべき行為だ)。
『もうガマンの限界だ!』
集中力が途切れそうになった、そのときフッと…
『?』
計器盤の下に見えていた黒い安全靴が、歩みを進める。
「ふい~!」
突然の災難なんて、どこに転がっているかわかったものではない。
俺は安堵のため息を漏らす。
『お互い、ツイてたぜ』
圧縮機が大量の空気を吸っているので、負圧のかかった機械室。バタンと激しい音をたてて、鉄の扉が完全に閉まるのを見届けた俺は、ホッと胸をなで下ろす。
「よっしゃ!」
ひと息いれてるヒマはない。俺は、自分でみずからの身体を巻き上げる。ブラブラと安定しない状態で、チェーンを巻くのはひと苦労だったが…
「お待たせ」
俺はリカの待つ、レールの上にたどり着く。
「ずいぶん時間を食っちゃったわ。急ぎましょ」
彼女はうながすが…
「チョイ待ち」
俺は下に垂れていたチェーン・ブロックのチェーンを、たぐり寄せる。滑車を滑らせ、チェーン・ブロックごと引っ張って行くつもりだった。
「よし! さあ、行こうぜ」
俺が先に立つが…下からあおぎ見るのと・上から見下ろすのとでは、距離感にかなりの差がある。
「ヨッ…と」
俺たちは、細いレールの上をはいつくばって・こわごわと前進した。
目指すは、レールが真下まで到達している・壁際の通風口だ。
* *
「ふう!」
俺は息苦しさをおぼえる。酸素は足りているはずだ。それはたぶん、精神的なものだ。誰だって長いこと「はって進むのがやっと」という暗闇の土管の中にいれば、軽い『閉所恐怖症』『暗所恐怖症』の兆候を示すだろう。心臓が脈打っているのが、聴こえるほどだ。
「次を左よ」
うしろから、リカの指図が飛ぶ。
『はい・はい』
声には出さなかったが…
『わかりましたよ』
俺は心の中で、悪態をつく。
「その先、ふたつ目の分岐を右ね」
俺たちは、かすかな灯りを頼りに、四角く狭い空調ダクトの中を進んでいた。
淡い光を放つのは、充電式の小型「リチウム・イオン」のバッテリーを収めた、バンドで頭部に装着するライトだ。ダイヤルの範囲で、明るさを無段階に調節できる。電力の節約と・ダクトの隙間からの明かり漏れに用心して、俺のみ点灯し、光度も最弱にしてあった。
「彼が送ってくれたデーターを、インプットしてあるの」
ここに入るさいリカは、唯一あの清掃工場から持ち出した、小型の多機能電子手帳を取り出した。
『彼?』
妻帯者の俺が言うのも何だが…
『なんだか気に食わねえな』
しかし、電話やインターネットに接続できない機種は、秘密や機密を守るには最適だ。
(もちろん今どきの精密機器なので、ダイバーズ・ウォッチや水中カメラと同様、花粉やホコリ対策が施された完全密閉タイプだ)。
そのモニター画面には、この施設の見取り図が映っていた。
画像は、モードを切り換えれば俯瞰図・鳥瞰図で見ることもできるし…基準点から割り出した自分の位置を教えてくれる「慣性航法装置」も搭載していた。
(高価な最新式になれば、「三次元立体表示」で、全体像を浮き上がらせて表示することも可能だった。たとえば大型戦艦の艦内は、戦闘被害による浸水を最小限に食い止めるための隔壁により、上下左右に迷路のように入り組んでおり…さらに機密保持の観点から、ご丁寧な表示・標識も無い。それで冗談でなく、本気で迷子になる事があるそうだが…場所によっては、それに近い状態の地下都市。そんな環境下では、有効な道具だった)。
どちらにしろ、電波の発信・着信ができないダクトの中では、地図の役目しか果たさないが…でも、それだけあれば十分だ。
(もっとも「レーダー照射」と同様、電波なんて出したら、こちらの存在もバレかねない)。
「まだ着かないのか?」
俺はそろそろ、ウンザリしてきた。
「もうすぐよ」
リカは、まだ元気そうだ。
「そこには何があるんだい?」
こういった状況になると、あんがい女性のほうが忍耐力があるのかもしれない。
「アイツのコレクション」
神作と二人だったら、とっくにブチ切れていただろう。
「コレクション?」
やはり彼女と来たのは正解だった。
「そう。かなりアブないコレクション」
俺にはそれが何なのか、だいたいの見当がついた。
「なるほど。それで、それをどうするんだい?」
それをエサに、奴をおびき出そうって寸法だろうが…たしかに、生態系の上位に位置する者を誘い出すには、ソイツの好物でつるのが一番だし・多少は知恵のある相手なら、大切な物を蹂躙すればいいわけだ。
「どうもしないわ。最後には処分するつもりだけどね。まあ見てらっしゃい」
頑張ってくれ。応援するぜ。
「さて、そろそろだぜ」
俺たちが今はいっているのは、排気用ダクトだ。各部から送られてくる排空気が一つになって、最後は外部へ排出される。
「ここは元々、地上からの攻撃に備えて作られた物だから、下からの侵入には造りが甘い場所があるの」
前にもリカは、そんなことを言っていた。だから彼女の言う通り、ここをたどって行けば、内部のどこにでも行くことができそうだったが…
「少しは気をつかってるみたいね」
でも目的地のすぐ手前には、濾過装置付きのフィルターが設置されていた。この先にある有害な物質が、外に流れ出さないための物だろう。
「どうする?」
当初の計画では…このくらいの金網や金属メッシュ、スポンジ・フィルター程度なら、「形状保持ゴム」と「パワー・アシスト」があれば、簡単に・難なく突破できるはずだった。
しかし、ロクな道具が残っていない今となっては、とうていコジ開けることはできそうにない。
「仕方ないわ。正面から堂々と入りましょ」
アッサリ言ってくれるぜ。
「どうやって?」
ここまでの苦労は、いったい何だったんだよ!
「ここには仲間がいるはずよ。わたしの父の助手だった人。捕まっていなければの話だけどね」
だったら最初っから、そうすれば良かったんじゃないか?
「さ、早く!」
リカは、そんな俺の心の嘆きなど、まったく意に介していないようだ。
『まあいいか。ここまで見つからずに、これたんだからな』
俺は腰のベルトから、充電式の小型ハンディー・ドリルを取り出す。
「キュルルルル~!」
ソイツを使って…そこから一番近い排気ダクトの吸い込み口の固定ボルトを、裏側からもみ落とし・鉄格子をコジ開ける。
「ヨッコラしょ!」
その出口は壁の上側・天井に接した所に位置しており、人一人がギリギリ出入りできる大きさだった。
「こっちよ」
はい降りた先には…病院を連想させる、白く清潔で・ツルツルした光沢のある床材を使った廊下が、延々と続いている。
その通路のすぐ先を右に曲がれば、目的の場所の入口があるはずだが…
『?』
壁に沿って、ソッとその角に近づいた時だ。コーナーを回って、突然、人影が現われる。
「なんだ、お前ら?」
上から下まで濃紺の制服に、徽章の入った制帽。腰に巻かれた白いベルト。両肩からは、夜間工事員が装着するような・黄色いテープ状の反射材を垂らした二人組。
『しまった!』
「いかにも警備員」といった風情のガードマン。二人は右腰に手を伸ばす。
「ヤロー!」
俺は手にしていた電気ドリルを、連続回転にして投げつける。
「逃げろ!」
そいつらが一瞬ひるんだスキに俺とリカは、いま出てきたダクトの前を素通りし、反対方向に走る。
飛び込むヒマはないし、そんな所に入ってしまえば、それこそ『袋のネズミ』だ。
「ダッ・ダッ・ダッ・ダッ…」
俺が先に立ち、閑散とした・人気の無い施設の中を、闇雲に走り抜ける。
「タン・タン・タン・タン…」
幸い、靴を履き替えたリカの足取りは軽やかだ。しかし…
『いったい、どうする?』
通路の左右に並ぶ扉。でも、20世紀の遺物…旧式な施設だからだろうか? 前近代的な、プッシュ・ボタンの暗証番号式のドア・ロック。
たが、こんな切羽詰まった状況では、開錠している余裕などない。
「ハッ! ハッ! ハッ…」
とにかく今は、走るだけだ。昨日と同様、簡単におもてには出たけど、やっとの思いで鍾乳洞から地中に戻ったように…中から外に出るのは、あんがい簡単だ。
(通路の途中に設けられた、それぞれの閂を出た所で振り返れば…反対側にはすべて、各扉に設置されているのと同じ、施錠解除器が備わっている)。
階段を駆け下り、右に左に。
『どこを・どう通ったのか?』
いちいち憶えていられないが…先へ進むに従い、いつのまにか薄暗く・ホコリっぽいコンクリートの壁や床になっていた。
「カン・カン・カン…」
サビた手すりの付いた・鉄床の狭い階段で床下に降り、そのまま真っすぐ走れば…突き当たりに、キー・ロックの付いた扉が見えた。
『ヤバい!』
ここで行き止まりだ。
『?』
と、その時、ドアが開いて人が出てくる。見おぼえのある、ホワイトの上下セパレートの作業服。
つい・さっき、機械室でやり過ごした男だ。
「ありがとよ!」
丸腰なのはわかっていた。結局この男には、こんな運命が待っていたのだろう。
「ドッスン!」
ソイツの胸を蹴り飛ばすようにして、中に侵入すると…そこは設備保全用の、備品庫も兼ねた場所なのだろう。万力の据え付けられた作業台や溶接用のボンベ・小物入れが並んだ棚を横目に、部屋を突っ切る。
室内の反対側にあった・ブ厚い鉄扉を押し開けて、次の間に出ると…
「ガッシャン! ガッシャン! ガッシャン…」
耳をつんざく轟音。
「チェッ! 振り出しに戻っちまったぜ」
そこは、先ほどの機械室の中二階。機械を見下ろすように、壁ぎわにグルッと張られた回廊だった。
『どうする?』
後ろからはドヤドヤと、追っ手の足音が響くが…反対側までは、かなりの距離だ。
『そうだ!』
俺は背後を振り返り、上を見上げる。ちょっと前に入って行ったダクトの入口に目をやると、チェーン・ブロックはあのままだが…
『マズ(い)!』
開けっぱなしの扉のむこうに、部屋の入口にまで迫ってきている一群が見える。
「一気に行こうぜ!」
俺は壁際の鉄骨の梁に手をかけ…天井近くのレールに掛けられたままの、チェーン・ブロックのチェーンを引っ張りおろす。
滑車が付いているので、勢いをつければレールを滑って行くはずだ。
「こっちだ!」
チェーン・ブロックは巻き取ると、フック側のチェーンのあまった分だけ「たるみ」ができる。リカにはブランコの「立ち漕ぎ」のような要領で、そこに足をかけさせ・両手でチェーンにつかまらせる。
俺は背中のハーネス型安全帯にフックをかけ、巻き取り側のチェーンをつかんで通路の柵の上に載り…
「やーっ!」
勢い良くチェーンを押し出し、空中に飛び出る。
「ガラ・ガラ・ガラ・ガラ…」
宙空を舞う俺は、まるで「ターザン」にでもなった気分だ。
しかし…最初はガラガラという手応えをさせて滑って行くが、だんだんと速度が落ちてきた。
『ダメっぽいな』
向こう岸までは、とうてい到達できそうにない。もっとも、始めからわかっていた事だが…
『そうだ!』
進行方向の下方には、きれいに一列に機器が並んでいる。
(レールやクレーンなどの・こういった設備は、機械の整備や移設用に設置されているのだから当然だ)。
部屋の中ほどに、ひときわ大きなレシプロ型空気圧縮機が立っている。
(この高さなら、ゆうに二階の屋根ほどはあるだろう)。
『アレだ!』
その真上に達した所で、俺はチェーンを握ったまま・下にズリ降りるように背伸びして、機械のてっぺんに足をかけ…
「火事場の馬鹿力」
リカをかつぐようにして降ろし、そこから下りはじめた時だった。
「パララララ…」
ほとんど機械室の騒音にかき消されそうだが、花火がはじけるような軽い音が聞こえる。
「ヤバッ!」
背広のフトコロにでも入る、小型の機関銃だろう。
(某国の大統領が、群衆の中から近距離狙撃された映像を見たことがあるが…襲撃事件の直後には、周囲を警護していたスーツ姿のセキュリティー・ポリス全員が、「イングラム」を手にしていたものだ)。
拳銃だって、小口径の物の発射音は、爆竹にもおよばないほどだが…
「カン・カン・カン…」
金属同士がこすれて、火花を散らす。
「キャッ!」
リカが軽く悲鳴を上げるが…最初の数発が頭上をかすめたところで、間一髪、機械の陰に入る。
『レシプロでよかったぜ』
この機種は、各所のバルブなど、手がかり・足がかりになる部品が、たくさん突き出していた。
なにしろ、二階ほどの高さから降りるわけだ。のっぺりとした造りのターボ型だったら、梯子や脚立が無くては、降りられなかったかもしれない。
「パララララ…」
「カン・カン・カン・カン…」
まだ集中砲火は続いていたが…地面に降りた俺たちは、機械を背にして・部屋のむこう側に見える大きな鉄の扉めがけて走る。
奴らが使っているのは、致命傷を与えるための武器ではなく、相手にキズを負わせ・制圧するための道具だ。威力は大したことはないし、至近距離で急所にでも当たらないかぎり、ケガ程度で済むだろう。それに、射程距離も短いはずだ。
(「ミリタリーおたく」の神作の影響で、そのくらいの知識なら持ち合わせていた)。
奴らも射程圏外に出てしまったことを悟ったようで、撃つのをやめて、俺たちを追いかけはじめたようだ。
「とうちゃく~」
左右にスライドする・大きな鋼鉄製のドア…と言うより門。
ここにある、超大型の機械の搬出入にも利用されるのだろう。屋外に立つ・二階建ての一戸建て住宅だって、楽々と出し入れできる…それほどのサイズだ。
「スイッチ・オン!」
右横の壁にあるスイッチ・ボックスを開き、「開」のボタンを押すと、「ガコン!」と音を立てて・ゆっくりと開きはじめるが…重量だって、バカにならないほどあるだろう。開閉にも時間がかかる。
「まだかよ!」
リカをかばうように前に立たせていた俺は、なかなか開かない『天の岩戸』にイラついた。
「よし! 今だ」
横になれば通れるくらいに開いたところで、リカを押し出し・続いて俺も、カラダを押し込むようにして外に出るが…
『?』
立ち止まっているリカの背後に立つと…イヤな予感がする。とたんに…
「バン!」
一斉に、投光器の明かりが投げかけられる。
『なに?』
強烈な逆光線に、一瞬・視界を奪われるが…そこは、超巨大な「吸入管」の終点だった。
小型の飛行機なら飛ぶこともできるほどの直径があり、俺たちの背後の壁一面には、空気圧縮機へと続く無数の穴が、「ハチの巣」のように開いているはずだ。
(通常の空気穴は、その工作方法による理由から、ほとんどが円形だ。「シールド・マシン」と呼ばれるトンネル掘削機を使うからだが…超特大サイズの・自走する「穴開け機」だと思ってくれればいい。一番大きな物になると、一回で地下鉄・単線分の穴が掘れるが…これほどの規模の空間を、一発で開けられる機械などない。交差する連結路を造る時に用いられる工法を応用し、何回にもわけて・並走&往復でくり抜いたのだろう)。
眼が慣れてくると、この空洞の底は、道路なら・ゆうに7~8車線分はあるだろうか? 平坦になっている事がわかったが…
「チェッ! 万事休すだな」
俺は、リカの右側に並びかけながら、ため息まじりに語りかける。
「そのようね」
さすがの彼女も、覚悟を決めたようだ。
「この場で殺る気かな? それとも、後でナブリ殺しかな?」
前方をふさぐように・横むきに停められた2台の大型トレーラーの荷台には、4台の投光器が据えられて、すみずみまで・真昼以上の明るさで照らされている。
「おとなしく捕まれば…たぶんアナタは人体実験のモルモットにされて、わたしはアイツの慰み物になった後で、同じ運命でしょうね」
俺たちの前には、まぶしいほどの光を背に、銃器をかまえた大勢の人影が立っていた。
「そんなのはゴメンだな」
開ききった後方の扉の先にも…軽機関銃をかかえた連中が、列になっている。
「あたしだって」
俺は前後を見くらべながら…
「じゃひとまず、裏の穴にでも飛びこむか?」
でもそこは、すぐにエアー・コンプレッサーへの入口となり、行き止まりのはずだ。
巨大なピストンに押しつぶされるか・渦巻くスクリューに巻き込まれてミンチになるか・回転する翼で粉々になるか…あるいは、コイツらにハチの巣にされるかだ。
「それしかないようね」
最後の「悪アガキ」だってことくらい、わかっていた。
「先に死んだら、あの世で待ってるぜ。君が先なら、待っててくれよな」
奴らに一矢を報いることもできずに「御陀仏」じゃ悲しかったが…せめて俺は、リカより先に死にたかった。
『今まで、さんざんダマされたんだ』
俺は、リカから見えない右手で・短いバールを取り出し、しっかりと握る。
『一回くらい、いいよな』
「最後の最後」にウソをつくのは悪いと思ったが…彼女があの穴に飛び込んだら、連中にむかって行くつもりだった。
『最期くらい、女のためにカッコ良く死のう』
こんな状況じゃ、『俺の心の中までは読めないだろう』と思っていた。
「いつでもいいわよ」
そう思っていたのに…リカは、その返事とは裏腹に、俺の腰のベルトから小型のパイプ・レンチを抜き取った。
『?』
俺がリカの方に、視線を落とすと…
「死ぬときゃいっしょ…でしょ?」
彼女は、真剣な眼差しで見かえしてくる。
「フッ」
俺は軽く鼻を鳴らしてから…
「カッコイイ女だな」
そう言ってウインクする。
「じゃ行くか。戒名は『オダブツくん』にでもしといてくれ」
俺は、マジっぽいのは嫌いだった。
「中央突(破だ)」
最後に、そう言いかけた時だった。
「グワオオ〜ン!」
巨大な配管の奥の方で、轟音が轟く。
「?」
みな一斉に、そちらに視線を移す。
「なんだい、ありゃ?」
俺は音のする闇を見つめたまま、そうつぶやく。リカも、不思議そうな面持ちだ。
「グオオオオ~ン!」
その爆音は、どんどん大きくなってくる。何かが近づいて来るようだ。トンネルの中で反響し、耳の奥がかゆくなるほどの音量だ。
(本当にやかましい音を聞くと、そんなふうになるものだ)。
「ん?」
やがて淡い光が浮かび上がると、グングンと光度を増す。
「ガオオオ~ン!」
野獣の咆哮のような雄叫びを放ち・闇の中に輝く双眸が、急接近してくるのがわかった。
「バン!」
投光器の光が一斉に、闇にむかって放たれる。
「?」
俺は目を凝らす。暗闇を突き抜けて、天井のテッペンに貼りついた低く・黒い物体が、こちらにむかって移動してくるのが見えた。かなりの速度だ。
(「すでに絶滅した」と言われる『ゴキブリ』を連想させる姿だ)。
その物体は、小型飛行機などの侵入防止用に張られたネットの上をかいくぐる。まさか鋼鉄の天井の上をはってくるものなど、想像もしていなかったのだろう。
(このトンネルには…地震対策のためか…コンクリート内壁の表面に、ブ厚い鋼板が貼られているようだ)。
それで頂天のあたりは、素通しになっていた。
(ドローンは、屋外の監視・観察用には多用されていたが…狭くて電波障害のある地下の生活には、不向き・不要だった)。
隧道の中を満たした・つんざくような騒音と…(鉄板の継ぎ目のウネリを越えるたびに、何かが路面と接触しているのだろう)後ろに火花をまき散らしながら接近してくるその物体は、視認できる距離まで近づくと「それが何なのか」誰の目にも明らかだった。
でも、誰もが自分の目を疑っていた。誰も言葉が出ない。それでもリカは、それを何とか口にする。
「じ・自動車よ」
たしかに…天井に逆さまに貼りついて走ってくるソレは、自動車だった。
ただしソイツは、四つのタイヤがむき出しになった「フォーミュラー・カー」と呼ばれるタイプのレーシング・カーだ。「義理の父」の所で見たことがある。それは20世紀のマシンの復刻版だった。
「コイツは『グランド・エフェクト・カー』または『ウイング・カー』と呼ばれる物さ」
オヤジさんは、ゴールドのラインが入った漆黒のボディーを撫でながら、得意げに話しはじめる。
「風圧を利用して、ボディー内面で強烈な下向きの力を発生させる。つまりは、飛行機の逆だと思えばいい。理論的には、巨大な土管のような物があれば、その天井を逆さまになって走っても落ちないほどの『ダウン・フォース』…地面に押しつける力が働くと言われていたんだけどな」
オヤジさんは、身ぶり・手ぶりも交えて、俺や神作に解説してくれる。
「もちろん当時は、時速300キロのスピードで走り続けられるトンネルなんて無かったから、そんなことを試せた奴はいなかったわけさ」
そんなふうに語っていたが…
『セスナが飛べるほどのトンネルだ』
そのくらいの事は可能だろう。
(セスナなら、とっくに浮き上がっているスピードが出ているはずだ)。
「?」
ソイツは速度を落とすと同時に、配管の内周に沿って高度を下げはじめた。
誰もが、あっけにとられていた。これからどうなるのか、誰もが黙って見守っていた。
「あ!」
しかし減速をはじめたそのクルマは、パイプの円弧の下端から平地に移る所でバランスを崩す。
「キィ~」
鋼鉄の路面にタイヤをロックさせ、コントロールを失ったソイツは、回転をはじめ・クルクルときりもみ状態だ。
さらに…後ろ向きになったところで、リヤから浮き上がるように宙を舞い・ひっくり返る。
「ガリ・ガリ・ガリ…」
細かい部品が飛散し、頭部保護のための金属製のロール・バーが、鉄路にこすれて火花の尾を曳く。
『マズいぜ』
その先には、投光器を載せたトレーラーが横たわっている…が、しかし、車高の低いレーシング・カー。上下逆さまになったまま・軽く車台に接触しながらも、トレーラーの下をくぐり抜ける。
「猪の股くぐり」
切羽詰まったイノシシがとる、猟師が一番恐れる戦法だそうだが…
(読んで字のごとく…股下をくぐりながら、牙で股ぐらを突いていくこともある危険な行動だ)。
「うわ~!」
俺たちの目の前で列をなしていた連中は、叫び声を上げ・あわてて我に返って一斉に跳び退く。
「ザマーみろ!」
だが…腹を見せた格好では、ブレーキをかけることもできないし・抵抗の低い鉄板の上だ。ほとんど速度を落とすことなく、次は俺たちの眼前に迫ってくる。
「ヤバッ!」
リカを抱き抱えるようにして・左側に身を翻すと、鼻先をかすめ去ったソイツは、いま俺たちが出てきた鉄扉の中へと滑り込む。
「ガッシャ~ン!」
トビラが左右に開き切るのを・銃をかまえて待っていた連中が蹴散らされ、後方にあった棚などをなぎ倒し…一番手前の・背の低い箱形の機械に、右横からブチ当たるように突っ込んで・軽く跳ね返ったところで、やっと動きを止める。
『なるほど』
良く見れば…当時のカラーリングそのままの、漆黒のボディーにゴールドのラインや文字。オヤジさんの所で見たヤツだ。
(「スリー・ディメンション設計図」と材料さえあれば、あとは「3Dプリンター」にデーターを入力するだけだ。「金型」や「砂型」・「溶鉱炉」や「打ち出し機」が必要な『鋳造品』だって『鍛造品』だって、多軸の旋盤・ボール盤・フライス盤があれば、削り出しで模造可能だし…精確な図面があれば、ボルト1本から自製ができた。航空・宇宙規格の工作機械を使えば、バラバラに作ったパーツでも、ピタリと組み上がる。ただし、特殊なサイズのタイヤなど、本来の製法が再現できない物は、一部、独自の工夫をこらした工法で…金属製ホイールの上にゴムを溶着するなど…代替えした一品物を装着してある。実物大・実動の模型みたいな代物だが…20年近い歳月をかけて、組み立てたらしい)。
暗闇を照らしていた二眼は、座席の背後に立つロール・オーバー・バーの左右に、ガムテープぐるぐる巻きで固定された、2個のサーチ・ライトだ。
「やべ~やべ~。初期のグランド・エフェクトだから、スピンして後ろむきになって、揚力が発生しちまったんだな」
黄色に緑のラインの入った、模造品のフル・フェイス型ヘルメットをかぶったドライバーは、脱着式のハンドルを放り投げる。
「ダウン・フォース…最強だったから…最高速は伸びね~し」
逆さまなので、シート・ベルトをはずすのに手こずっているようだ。
「でも…20世紀のアルミ・モノコックだけど…けっこう丈夫だな」
本人はブツブツと、「独り言」を言ってるつもりなのだろうが…ヘルメットごしなのに、デカイ声は丸聞こえだ。
「ヨイショ~!」
やっとの思いで、車体とロール・バーのスキ間からはい出てきた運転手は、まっ黒の暗所迷彩の戦闘服に身をつつみ、「弁慶の七つ道具」よろしく…背中にV字に2本の筒を背負い、左肩にダッフル・バッグ、右手にマシン・ガンのような物を握ってドタドタと、こちらにやって来た。
「リーチ! 待たせたな。これで、やっと確率変動が揃ったってトコだぜ!」
俺たちの目前で頭陀袋を「ドサッ!」と地面に降ろし、ヘルメットを脱ぐ。
「あんまり遅いんでよ、なにかあったのかと思ってさ」
そのクルマの操縦席から降り立ったのは、「なんと」…と言うより「案の定」…顔一面を、グリース・ペイントで黒く塗った神作だった。
「ちょうどいいタイミングだったようだな」
あっけに取られていた俺は、何やらジャラジャラと・いろいろな物を携えた奴のその姿を見て…
「なんだよ、その格好は?」
やっと我に返る。
(神作のDVDコレクションにあった、旧人類のアクション映画の主人公のように…あれや・これやと色々な物を、カラダに巻きつけるなどして、装備している)。
「それに…アレは?」
コイツには、何か動きがあった時のバック・アップを頼んであったわけだが…まさかこういった行動に出るとは、予想も・期待もしていなかった。
「ああアイツは…オヤジさんの作業場あったヤツを、チョイと借りてきたのさ」
壁に貼りついていたので、センサーにも引っ掛からなかったわけだ。
「でも、どうしてオマエが?」
神作は、ダッフル・バッグをゴソゴソやりながら…
「ハナっから俺たちのこと疑ってかかってくるケーサツなんて、アテにはできね~だろ」
相棒は目撃事件の時のことを、いまだに根に持っているようだ。
(たしかに、誘拐や失踪事件でも、まず最初に尾行や監視がつくのは、届け出た近親者だったりするそうだが…残念なことに、そういった類いのケースで犯人逮捕にまでいたるのは、通報した本人の犯行である確率が高いのも事実だ)。
「それに、バックに政治家がいたんじゃな」
相棒は、海兵隊が使っているゴーグル型の保護メガネを着ける。
(サバゲーが趣味のコイツだが…「サバイバル・ゲーム」が好きな奴なんて、『右』でも『左』でも無い連中ばかりだ。だいたい本気で『その気』があるなら、「自衛軍」か「傭兵部隊」…あるいは、しかるべき組織の「突撃隊」や「親衛隊」に入隊すればいい。さしずめ、神作を筆頭としたその手の連中は…規律や規則などを毛嫌いする…誰にも束縛されない自由を求める「部外者」といった奴が多いものだ)。
「だから、自分たちだけでヤルことにしたのさ」
そう言うコイツは、以前、陸送の仕事をしていたこともある。
(今では車両を使う職業といえば、屋外を走る運送業がメインだ。邪魔な一般車が減り・障害物が少なくなったぶん、直線区間が多くなった地上の道路は、大型トラックでも200キロ近いスピードで飛ばし放題だ)。
だから、クルマの運転もお手の物だ。
(車体サイズの制約も減ったので、空力特性を考慮した…ひいては燃費の向上にもつながる、「かものはし」の嘴のような流線形のロング・ノーズに、「人魚」の尾ビレのようなロング・テールを持つ車両ばかりだ)。
奴がその仕事を辞めた理由は、花粉の「地吹雪」で発生した多重事故に巻き込まれて、大ケガをしたからだ。
(右足の脛に、えぐれたような傷アトがある。神経が死んでおり、「痛み」を感じないそうだ。いつだったか、そこに鋭利な工具が突き刺さり、気づかぬまま・血まみれになって作業を続けていたことがあるが…仕事を卸してくれている親会社にすれば、迷惑千万な話だ)。
「事後承諾だけど…異存は無いよな?」
神作は自分の取った行動に対して、俺とリカに承認を求めてくるが…
「はじめっから、そのつもりだったんだろ?」
じゃなけりゃ、この短時間で・ここまで準備することなど、不可能だ。
「まあな」
相棒は、ニヤリと返してくる。もちろんリカにも、不満は無いだろうが…
「?」
そんな時、目の前にいた連中が態勢を立て直し、銃をかまえる。
「BUSTERRRRR!!!」
とっさに躍り出た神作が叫ぶ。
「バス! バス! バス!」という低い圧縮空気の音を吐き出して、奴がかまえたマシン・ガン型エアー・ガンから、白色の無数の物体が飛んで行く。
「グッ!」
弾に当たった連中は、低いうめき声を漏らして、その場にうずくまる。
(そのスキに俺たち三人は、神作が乗ってきたクルマと機械の陰に移動する)。
「殺しちまったのかよ?」
絶滅したと喧伝されるゴキブリだが…以前、事務所の壁に現われたことがあった。
だが…その風貌や図体・サバゲー趣味に似つかわしくない、大の「虫嫌い」だった神作に見つかったソイツは、閉め切った部屋でヤツの集中砲火を浴びた。
後に残ったのは、こなごなに砕け散ったコックローチの本体と、弾の残骸だけだった。
「だいじょぶだって。エア圧最強だけど、強化BB弾くらいじゃ死にゃしね~って!」
3Dプリンターが普及した現代。ちょっとした物なら、自作するのが当たり前だ。
ましてやBB弾のようなマイナーな物は、自製しないと手に入らない。
「バス! バス! バス!」
「どうする?」
「バス! バス! バス!」
「3点バースト」で発砲していた神作は、合間にそう叫ぶ。
(「3点バースト」とは、ワン・アクションで3発ずつ発射する機構のことだ)。
『また外に逃げるべきか?』
俺は、ちょいと「及び腰」になっていた。
『でも、次の手間を考えたら…』
ふたたび・ここに戻ってくるのに、どれほどの苦労がともなうことか? だいたい…
『また、ここまでたどり着ける保証はない』
そんな事を、考えはじめた時だった。
「本丸を攻めましょう!」
そんな言葉に、俺は後ろのリカを振り返る。
『!』
彼女の瞳には、玉砕ではない・落ち着きの色が浮かんでいた。
『わかったよ』
神作にも、そんな意思が伝わったのだろう…
「機関銃じゃダメだな」
後方の敵には、施設の奥から・新たな応援が来たようだ。数を増した警備員の群れを見た相棒は、そう言って…
「こんどは、自称・機関砲だぜ!」
重そうな麻袋を二又に分けて、首から提げる。
その右手側の末端についたチューブを、ダッフル・バッグから取り出した黒いゴム状の物体につなぐ。
そして、もう片方を電気継手に接続すると、ソイツはみるみる筒状に変形した。
さらに背中のボンベから伸ばした耐圧ホースを、上部の高圧空気用連結具に差し込むと…
「今度のは、当たりどころが悪けりゃイッちまうぜ!」
相棒はそう言って、腰だめにかまえた筒のトリッガーを引く。
「ダン! ダン! ダン! ダン!」
エアー・ガンより低く重そうな空気音をさせて、先端から銀色に輝く物体が発射される。
「バッキン! ドスドス! ガッシャ~ン…」
神作がソイツをかまえると、クモの子を散らすように開いた一角にむけて、あえて的をはずした威嚇の一撃を加えると…弾が命中した機器はハデな音を立てて、ガラス製やプラスチック部品の破片が飛び散り・砕けた床のコンクリート片が砂塵を巻き上げる。
「ヒュ~ッ!」
神作は、悦に入った口笛を吹く。
「どっからこんなモン、出してきたんだよ?」
俺は、まぢかで放たれる・その発射音に、両耳を指でふさぎながら、デカイ声を上げる。
「な~に、お前が作ったアレの金属の配列に一定のパターンを持たせて、固体化した時に同じ形状を再現するようにしたのさ。あとはエアー・シリンダーを組み込んで、弾が撃てるようにしただけさ」
俺は、神作が手にしたソイツをマジマジと眺めながら…
「お前はホント日本人だよな」
そうつぶやく。
「なんだよ、それ?」
相棒は不服そうに怒鳴るが…どうやらその麻袋に入っているのは、コネクター側にはバッテリー・チューブ側は(自然落下式の自動給玉機の役目をするらしく)もちろん中身はパチンコ玉だろう。
「応用がうまいってことだよ」
俺は、奴らの発砲に首をすくめながら答える。
「それは褒め言葉かよ?」
相棒は振り向きざまに、今度は俺たちの背後…トンネル側にいた連中にむかって、タマを浴びせかける。
「きまってんだろ」
そう言う俺に神作は、先ほどまで自分が使っていた…数十キロの超高圧に耐えられるように改造した空気銃と・それにつながった中型消火器ほどの大きさのボンベを、渡してくれる。
BB弾が砕け散るほどに圧力を上げたエアー・ガン。いま見たように殺傷能力はないが、生身の人間・数人くらいなら制圧できるだろう。
「な~に、オヤジさんにも、ずいぶん手伝ってもらったけどな」
なるほど、良い考えだ。武器に限らず…むしろ「平和利用」できる・もっと日常的な様々なものに応用がきく。
『ここで死ななきゃ、一生食いっぱぐれはないな』
俺はそう思いながら、銃だけを上に突き出し・にじり寄ってきた坑道側の連中にむけて、半オートマチックでBB弾を左右にバラまくが…
「でもよ、そんなんでちゃんと精度でてるのかよ?」
いつも一言多いのが、俺の悪いところだ。
「平気だって。だいたい散弾銃やマシン・ガンが、どうして造られたのか考えてみろよ。『下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる』って言うだろ。たしょう精度が悪くたって、弾バラまいてりゃ当たるさ。ちょいと重てーけど、タマはパチンコ玉だしよ」
相棒はそう怒鳴りながら、第二波を送り込む。
「パチンコにサバゲー…お前は球遊びが好きだからな」
俺は独り言のようにつぶやきながら、さらにもう一回…今度は全オートで銃爪を引く。
「領収書は切ってもらえねーけど、元手は大してかかってないぜ」
斉射がひと段落した神作は、腰のホルスターから、金属製の銃身を持つ自動拳銃型モデル・ガンを取り出し…
「お前にゃコイツをやるよ」
銃把の方を俺にむけて、差し出してきた。
「それと…」
砲弾形をした砲金製の弾は一発。
(「砲金」とは、「大砲」が開発された時、砲身用に造られた「銅」と「錫」の合金だ)。
ズッシリと重く・グリップの部分には、一発分の超々高圧空気を封入した小型ボンベを内蔵しており…急所に命中すれば、大型動物の生命だって奪える代物だ。
「ただし…いま言ったように、CEPは期待しないでくれよ」
(「CEP」とは「サークル・エラー・プロバブル」=「円形半数必中界」と訳され、早い話が命中精度のことだ)。
つまり奴が言いたいのは…「一撃必中」を狙うのは「?」だという意味で、なおかつ一発しかないのだから、弾数でカバーするのも無理という事だ。
「二人とも早く!」
そんな俺たちに、リカが呼びかける。
『?』
連中は同士討ちをおそれてか、機械室側の正面はガラ開きになっていた。リカはそのスキを突いて、今きた方向に取って返す。
「どこに行くんだよ?」
神作は、うめく。
「こうなったら、さっきの部屋に行くしかないわ!」
* *
「ダン! ダン! ダン! ダン!」
パチンコ玉を放つ神作を先頭に、間にリカをはさんで俺たちは、敵陣の奥へとむかっていた。
「お前、こういうもの持たせると、まるで人が変わったみたいだな」
フェイス・ペイントの顔料が、汗でにじみ出した神作の横顔を見ると…眼はトロ~ンとして・口はポカ~ンと半開き。
相棒は、たとえばパチンコなどでもそうなのだが…何かに夢中になっている時に声をかけると、間の抜けた返事をする。
「ん~? そうか~」
「憤怒」や「激情」ではない。たぶん、その逆で…おそらく「瞑想」に近い「集中」だ。
でも、決闘で相手と対峙した剣士やガンマンは、案外こんな表情をしているものなのだろう。映画やドラマにあるように、感情むき出しでは、勝負は最初から見えている。
それに、保護眼鏡の奥に見える瞳は、みょうに生き生きとしている。それにしても…
『仕方ね~よな』
俺は殿をつとめていたのだが…どいつも・こいつも、意気地のない連中ばかりだった。ちょいと威嚇射撃しただけで、ひっこんでしまう。
どうせ安月給で、コキ使われているのだろう。正規の訓練を受けたわけでもなく、身体を張って戦う理由もない奴らばかりだった。
(たとえば「奴隷制」だ。鞭で強制的に働かせれば、丸儲けだと思うかもしれないが…ムチで打たなければ、誰も動こうとしないだけだ。だって、そうだろう。自ら腰を上げたところで、自分にとって得るものなど、何ひとつ無い。各人に自主的な労働意欲が湧かないので効率は上がらないし、必要最低限の生活条件なので3~40代で早死にしてしまう。進歩や成長を望まない「独裁政権の維持」だけが目的ならともかく、社会や経済など、国家全体の繁栄・発展にとっては、まったく不向きな制度だ)。
「やりがい」や「生きがい」も無く、ましてや「生死にかかわる」となれば、なおさらだろう。しかし…
「アッチャ~!」
難関はある。
下層部にいたころはフリー・パスだったし、出てくる時は開いていたが…最上階の一つ下。左の壁に・指紋か静脈認証用の施錠がある、非常扉が出てきた。
「こんなモン、ブッ飛ばしてやるさ!」
神作は、背中にしょっていた右側の一本を取り出し…
「バズーカ砲だぜ!」
得意満面だ。
(「バズーカ」とは、前人類文明で、アメリカのコメディアンが作ったオリジナル楽器。その後、軍隊が作った兵器の姿・形がにていたことから「バズーカ」の愛称で呼ばれるようになったそうだ)。
「コイツは、タマのほうに高圧エアーが入ってる」
撃鉄で薬莢に穴を開けると、圧縮空気で飛び出す仕組みだそうだ。
(空気だからと言って、あなどってはいけない。潜水艦からの魚雷やロケットの水中発射は、エアーで船体から押し出すわけだし…戦艦やトレーラーからの垂直発射ミサイルの打ち上げは、「冷間発射」方式と言って、船体や車体が焼け焦げないように、まず圧縮空気などの高圧ガスで浮き上がらせてから点火するのが主流だ)。
「後ろにいるなよ」
原理は「吹き矢」に近いが、無反動砲のように、後方へ噴射ガスを噴き出す。
それに…先端には、花火をほぐした火薬が、たっぷり入っているはずだ。
(「花火」とは言え、量が多ければ、その威力は相当なものになる。薬品用の小ぶりなプラスチック容器に、ぎっしり詰めて…そのくらいの量になると、ちょっとしたショックで暴発することがあるので、作業には細心の注意が必要だ…導火線をセットして、池の中に沈めて起爆させてみると、にぶい爆発音とともに、数メートルの水柱が立ち上がった。あわててその場から逃げ出したが…翌日のケーブル・ニュースで、「謎の爆発があった」と報じていた。もう『時効』だろうが…こいつは、俺と神作・二人だけの秘密だ)。
「カギがついてる物は、カギを壊せばいいのさ」
神作はそう言いながら、ソイツを右肩にかつぐ。
『なるほど単純な理屈だ』
だが「バズーカ」とは言っても、1メーターほどの長さの・両手で握ったほどのパイプを加工した物。
内壁を、エンジンのシリンダーの摺動部のようにボーリング仕上げし、引き金や照星など・各種の付属品を取り付けただけの、ただの筒だ。
(前後の開口部は、ラッパのように拡げてあるが)。
弾は、ロケット・ランチャーや榴弾砲の要領で飛翔する。
(パイプにスッポリ入るサイズの高圧ボンベに、手を加えた物だ)。
弾道が放物線を描くほどの飛距離になると、安定して・まっすぐ飛ばすために、施条の溝を彫ったり・弾体に展張式の羽根をつけたりなど、弾筋を制御するアレコレの仕掛けが必要になるが…この距離なら、大丈夫だろう。
「やるぜ!」
右の片膝を立てた体勢の、神作が叫ぶ。俺とリカは、後方に退いて・身をかがめる。
「バシューンッ!」
一気に噴き出す高圧エアーの音を響かせ、砲弾が飛び出る。
炸薬は…中身が何かバレない偽装の意味もあって…奴のお気に入りのコーヒーの、アルミ製のボトル缶に入っている。それを、推進エアーの入っているボンベの先に、後付けしてある。これなら信管が無くても、当たった衝撃で炸裂するだろう。
(先端には…キャップのネジ径にあわせた、金属のかたまりから削り出した円錐形の・無垢材の弾頭が、ネジ込んである)。
「ドッカ~ン!」
強烈な爆発音が鳴り渡り、黒い煙りにおおわれる。
(明治時代に戦われた『日露戦争』。日本海での海戦で、ニッポンの聯合艦隊は、ロシアの「バルチック艦隊」に対し大勝利を挙げた。それは、「下瀨技師」が発明した・視界をさえぎる黒煙の少ない「下瀨火薬」のおかげで、「連射ができたから」と云い伝わる。しかし事実は…ソレは推進薬でなく、爆薬に使用されていたのだそうだ。たしかに露西亜軍は、黒色火薬を用いていたようだが…日本軍の無煙火薬は、英国からの輸入品。どちらにしろ、俺たちが使っているのは、誰でも手に入れることが可能な市販の花火。不純物が多く含まれているのだから、黒くても仕方ない)。
「ジリ・ジリ・ジリ・ジリ…」
煙感応式の火災報知器が反応し、泡沫式消火装置の白い泡が・天井から撒き散らされる。
しかし、煙りが晴れると…どこにでもあるような・薄板を折り返しただけの防火扉のドまん中に、砲弾のサイズの穴が開いているだけだ。
「チッ!」
相棒は舌打ちする。
「もうチョイ左だな」
だが…先端に付いているのはコーヒー缶。照準器を補正したところで、まっすぐ飛ぶ保証はない。そこで神作は、対象物ににじり寄る。
「バシューンッ…ドッカ~ン!」
2発目は、ずいぶん左に寄ったが、まだ足りない。
「最後の一発だ。たのむぜ!」
神作はソイツに軽く接吻してから、装填する。そして、さらに数歩踏み込むと…
「そんなに近づいたら危ないわ!」
思わずリカが叫ぶが…
「まかせとけって!」
そう返しながら、引金を絞る。
「バシュン・ドッカ~ン!」
最後の1発の轟音が鳴り止むと、黒煙の中から…
「やったぜ!」
神作の叫ぶ声が聞こえる。煙りがひくと…ほぼ錠前のあたりに命中だ。
「野郎…」
もともと黒いフェイス・ペイントをしていた相棒だが…首スジの奥まで煤で黒くして、焦げ跡のついた防火扉を押し開く。
「手間かけやがって」
黒煙と白泡でドロドロになった俺たちは、さらに上を目指す。だが…
「こいつぁ~厄介だぜ」
神作もうなる。
「…」
俺も、無言で立ちつくしてしまう。
「どうする?」
最後の極めつけは、最後の階段を昇った先にあった。
幸い(?)、通常のドアの大きさだが…鋼鉄のブ厚い扉。把手や施錠装置も見当たらない一枚モノ。固く閉ざされた遮蔽板は、核攻撃にも耐えられる物だろうが…カギが無いぶん、かえって面倒だ。
「後ろを固めといてくれよ」
相棒はそう言って、背負っていた残りのもう一本を取り出す。サイズは、さきほどの「バズーカ」と同じくらいだが…丸い穴のあいた四角い筒。
「今度はまさか、レール・ガンじゃね~だろうな?」
その形から、だいたいの想像はつくのだが…
「大当たり~!」
「電磁レール砲」…略して「レール砲」とは、『運動エネルギー弾』の一種だ。
たとえば隕石など、わずかな質量でも、速度が上がれば運動エネルギーが加わり、とてつもない破壊力を生む。
(砲弾は、内側のレールに沿って導かれるので「レール・ガン」と呼ばれるのだが…それで外側は四角な形状になっているわけだ)。
「レール・ガン」は…プロペラ飛行機のスピードが上限になったために、ジェット・エンジンが開発されたように…火薬の威力が限界に達した時、それ以上の速度・飛距離と破壊力を求めて作られた。最大で「マッハ23」まで加速可能だ。
(原理は「電磁カタパルト」と同様、『フレミングの左手の法則』を応用したものだ。電磁コイルで磁界を作った所に、電流を流して発生した「ローレンツ力」で発射する)。
長さは、先ほどのバズーカほどだが…中には弾を導く・通電性のある鉄のレールが四本あり、その周りをモーターのコイルのように・電線が取り巻いている。
さらにその外側となる外殻は、電気を通さない陶器製の碍子でおおわれているので、中はほとんど空洞のロケット砲と違い、二回りほど太く・段違いの重量がある。
「でもよ、コイツを使うには、ちょいとばかし電気が足りね~んだよ」
神作は、あたりをキョロ・キョロしながら、そうこぼす。
「あった!」
右の横壁の・廊下のはずれの下方に「電源コンセント」。どこにだって、清掃のさいの掃除機や床磨き機のために、設置されているものだ。
「家庭用の100ボルトで足りるのかよ?」
俺は後方を見張りながら、皮肉ってやる。
「そんな時のために…」
神作が取り出したのは…正月の「おせち」でも入っていそうな、重箱風の三段重ね。
てっぺんは・CDかDVDの再生機のような、小型の「はずみ車式増幅機」。電源を入れると、プラスチック製の半透明の窓から、フライ・ホイールが回転を始めたのが見える。
(戦車や戦闘機に搭載可能な、小型レーザー砲が実用化されている現代だ。こんな小さな機械でも、取り込んだ電気を…3キロの重さの発射体を、「マッハ7」で投射する、「10メガ・ジュール」の電力まで…増幅して・蓄電し・放電する能力があった)。
下の二段は、固体蓄電池を使った「ES(エネルギー貯蔵機)」。
(高性能ドライ・バッテリーは、従来の電解液を使うウエット・タイプより、はるかに小型で軽量・取り扱いも簡便になり、効率も格段にアップする)。
そいつにエネルギーを充填している間…銃身の前後の二脚を立て・背後を壁につけて、発射の準備をする。
対象物に対して直角に当てるのが、最大力を集中できるのだが…多少の傾きは仕方ない。
(戦車の車体や砲搭が傾斜をつけて作られているのは、当たったタマの衝撃力をそらすために、そうなっている。同様に、対レーダー・ステルス仕様の戦闘機・戦艦・戦車などの外形が斜面を描いて構成されているのも、見えないレーダー波の反射を受信機に返さないためだ)。
最後に、背後から砲弾をセットするのだが…神作に手渡されたソイツは、片手に入る大きさでも・両の手が必要なほどに、ズシリと重い。
戦車の装甲を撃ち抜く「劣化ウラン弾」と違い、放射線などを放出する危険な物質ではないが…鉛よりも重い、特殊な合金だ。20世紀の末頃には存在し、たとえばレーシング・カーの『慣性ダンパー』の「重り」や、バランス・ウエイトに使われていたそうだ。
(軽くなりすぎてしまったマシンに、最低重量を満たすための「重し」として搭載された。それに、ギリギリまで切り詰められた車体の競技車両に、小さくて・重たい物質は最適だったことだろう。重量配分の調整にも用いられていたようだが…可動式の装置の物は、クラッシュの際に飛び出したら危険きわまりないので、規則で禁止されてしまったらしい)。
今では、洗濯機やフォークリフトのウエイト、機械の基礎・建築物の土台など、あえて重量が必要な場所に使われている、ごくありふれた金属だ。
「よっしゃ~!」
満充電を示す、緑のランプが点灯した。
「使い捨ての一発かぎりだ。うまくいってくれよ」
神作は重々しく、そいつを装填する。
本来、通常の電磁砲用の弾丸は、レールを保護し・砲身が再使用できるように、「装弾筒」と「電機子」から構成される鞘に入っている。砲口から飛び出した瞬間にはずれて、中身だけが飛翔するのだが…民間のお遊びレベル。そんな物は付いていない。
(レールには滑りを良くするために、ワックス程度は塗ってあるが…絶縁してしまったら「ローレンツ力」は働かない。本物は砲身保護のため、レールとの摩擦で発生した伝導性のあるガスで、弾体を滑らせる。たとえば、スケート靴がスイスイ滑るのは、刃の刃面の先端の摩擦で氷を溶かし、解けた氷の水の上に浮くようになるからだが…それと似たような理屈だ)。
「起動3秒前!」
神作の掛け声に合わせ、俺たち三人は、右脇の廊下に身を入れる。
「サン・ニー・イチ…」
相棒は、機械を運転させる時と同じ要領で、大声でカウント・ダウンを始める。
「はっしゃ~!」
俺とリカは、両手で両耳をふさぐ。
「ゴゴゴゴゴ~ン」
言葉では言い表わせない轟音を発し、閃光が走る…と同時に、通路の照明が一斉に落ちる。
「チュド~ン!」
闇の中で、命中音が響く。
即座に、頭のヘッド・ライトをつけるが…充満した煙りで、何も見えない。電気で飛ばすといっても、一瞬で音速の域まで加速するエネルギーはハンパない。摩擦力だけでも、火薬を使った砲弾を放つ時のような発煙がある。
「ゲホ・ゲホッ!」
何とも表現しにくい臭いの煙りに咳こみ、ソデで口をふさぎながら様子をうかがう。
過電流が流れ、漏電遮断器が落ちたのだろう。キャパシタは動きを止めているし…砲口に目をやると、先端は四つの面ごとに、花びらのように四つに開いている。
「やったぜ!」
ドアを照らしていた神作は、コブシを握る。
煙りが晴れると、扉はタマが当たった下方寄りで、上下に「く」の字に折れ曲がっている。
「行くぞ!」
相棒はカラダを横にして、トビラのスキマをくぐる。俺も後方に目を光らせながら、二人の後に続いた。
* *
「きやがれ腰抜けども!」
どうやら俺は、人を撃ち殺すことに、何のためらいも感じない人間のようだった。
(もっとも、当たっても死なないことが、わかっていたからかも知れないが)。
幸い、ちょいとタマをバラまいただけで、どいつも・こいつも我先にと逃げ出す始末だった。
誰もが、自分の身を投げ出してまでも守るものなど無かった。中には、俺たちの必死の形相を見ただけで、すくんでしまう者もいた。
しかし…持っている武器の威力や・量の絶対数は、奴らの方がはるかに上だ。
「パス! パス! パス!」
神作の持っていた空気銃が、空撃ちの音を立てる。
「チェッ! 打ち止めだぜ」
相棒は、ゴム状に戻ったカタマリを、奴らにむかって投げつける。
「めくら滅法撃ちまくるからだよ」
俺の弾数も、もう残りわずかだ。
「しょーがねーだろ!」
俺たちは、自分たちの置かれた状況も忘れて、くだらない言い争いをしていた。
「ふたりとも、いい加減にしてよ」
リカが諌めてくるが…とにかく俺たちは、目指す部屋の前にいた。ドアには、カード併用の暗証番号式のキー・ロックが設置されている。
「ピーッ!」
リカが、キーボード・スイッチのボタンを押して、スロットに偽造したカードをスライドさせるが…NG音を発して、赤いランプは緑に変わらない。
「データーが変更されてるわ」
リカは、入口をにらんでいる頭上のテレビ・カメラにむかって…
「あたしよ! 開けて!」
両手を頭の上で振りながら叫ぶ。
「アタマを下げろ! アブナイぜ」
俺は彼女をしゃがませる。
「開けてって…いったい誰がいるんだい?」
神作は両側ににらみを利かせながら、奴らが姿を見せると、拳銃型のエアー・ガンの音を響かせる。空砲だが、連中をひるませるには、それで十分だった。
「中に仲間がいるそうだ」
俺はリカの身をかばうようにして、タマを温存していた。
「まどろっこしい事してないで、ブチ壊しちまおうぜ!」
元々は、それ専用に作られた部屋ではないのだろう、特別頑丈な扉があるわけではなかった。
神作が「パワー・アシスト・デバイス」にスイッチを切り替えて、ドア・ノブに手をかけた時だった。
「カチン!」
施錠が解除される音が鳴る。
「?」
俺と相棒は顔を見合わせ、一瞬躊躇するが…
「早く!」
かまわずリカは、部屋に飛び込む。
「ドキュ~ン!」
「バキュ~ン!」
俺たちが中に入ると同時に、背後で弾丸が空を切る。
「カチャン!」
急いで内側からロックをかけ、振り返るとそこには…高価な成分分析器や遠心分離器などなどをバックに、白衣を羽織った青白い顔の・ヒョロ長い若い男が、息を切らして立っていた。「新世界プラント・サービス」のあの男と、イメージがオーバー・ラップする。
「所長! ご無事で…」
ソイツはリカの顔を見ると、そう言いながら両手で彼女の手を握りしめ…眼を潤ませはじめた。
『カンベンしてくれよ』
俺はそう思っていたが…でもコイツは、あの男と同様、無表情な連中と違い、瞳の奥に意思が感じられた。
『コイツは大丈夫そうだが…』
そう思わせるに足る・十分なモノを感じさせたが、一方でリカは…
「ああ良かった。あなたは捕まってなかったのね」
お気楽そうに、安堵の表情を見せている。
『心理学?』
いや、これは学問ではない。
『これがあるから、リカはリカなんだ』
それを越えた『なにか』。あえて文字にすれば…
「リーダーシップ!」
(人間はサル同様、「社会性の動物」なんだそうだ。けっきょく先頭に立つ人間には、『この人のためなら』と思わせるような、誠の「才能」や、純粋な「いちずさ」・上っ面だけでない「思いやり」など、その他もろもろ…が必要だ。単なる「年功序列」や、たまたまの「血筋」・不当な「財力」や、もちろん根拠の無い「高慢さ」だけでは、人は「真」には動かない生き物なんだろう)。
「ほかの人たちは?」
彼女は、あたりを警戒する気配も無い。
『肝っ玉すわってるぜ!』
(旧世界の「アメリカ合衆国」建国の父・初代大統領「ジョージ・ワシントン」氏は、『七月四日=独立記念日』当時の紛争が絶えなかった時期、先住民との戦いで…早い話、侵略戦争だが…「指揮官を倒そうと集中的に狙ったが、まったく当たらなかった」。そう酋長に言わしめるほどの、「強運の持ち主」と云い伝わる。『そこで倒されたら、それまでのこと』と割りきれるだけの「太っ腹」でなくては…そして生き残れるようでなければ、民心・民意は獲得できないのだろう)。
『まあ従者が二人も、おそばをかためているんだからな』
これは「自虐ネタ」だが…
「騒ぎを聞きつけて、みんな逃げ出しましたよ」
額に汗を浮かべているところを見ると、コイツは、どこか別の場所から急行して来たのだろう。
「忠誠心のカケラもない連中だな」
彼女の背後に立つ俺は、そう言ってけなすが…
『(ア)レ?」
フト気づく。
『イカレてるぜ!』
そんな単語とは『いちばん縁遠い』と思っていた俺が、そんな言葉を吐くなんて…
『完璧に感化されちまってるな』
自分で自分に、驚ろきだったが…とにかく俺はまだ、初対面のこの男を、完全に信用したわけではなかった。
「残っていたのは、私たちとつながりのある人たちではなかったので…」
どっちにしたって「トンズラこいた」連中は、ご主人様…つまりココの首領を、裏切ったわけだ。
(こんな俺だって、「先輩」や「年上」は、ひとまず・とりあえずは『尊重』するが…『尊敬とは、強制されてするもんじゃない』…そう思い・行動している。まあ、当然だろう)。
「私は、臆病者だったんです」
荒い息の残る「青二才」は、そう言って続ける。
「アタマの良い人ほど、目が覚めたかのように公然と批判を口にして、過激な行動に出たもので…仲間で残っているのは、私だけなんです」
なるほど、冤罪や洗脳・拉致の被害者は、自由の身になったばかりの最初の頃は、ビクビク・オドオドとしているものだが…ある日・突然、『自我』や『人権』を取り戻すのだろう。眼の色が変わり・意思が感じられるようになって、激憤を語りはじめるものだ。
「それにしても忠誠心! そんな言葉を聞くのは初めてです! でも…」
ソイツは、そう感嘆する。
「でも、それは…私たち全員が、所長にたいして抱いていた感情かもしれませんね」
その男は、そう言って硬い笑みを作る。
おそらくコイツも、「笑うこと」に慣れていないのだろう。そんなタイミングで…
「こんな物は引っ込めてよ」
リカはそう言って、俺が背後で構えていた拳銃型空気銃の銃身を下げさせる。
『フン!』
そこで俺は、彼女のヒップに股間の銃身をこすりつけながら…
「この男とも寝たのかよ?」
そう耳元でささやく。
コイツがリカの、「昔のいい人」ではなさそうだが…なんだかモヤモヤと、気に入らないものがあったからだ。
「あなたが、そんなゲスな男だったなんて…」
リカは右ヒジで俺の脇腹をコヅキながら、こちらを振り返るが…言葉がそこで止まってしまう。
下からジッと・俺の顔をのぞきこんだ彼女は…
「あなた、嫉妬してるのね?」
言下にそう断言する。
『シット?』
すぐには、言葉の意味が理解できなかったが…
「バ、バカ言うなよ。なんで俺が…」
俺は即座に否定したが…
「ちゃんと顔に書いてある」
彼女は眼を凝らすような表情で、こちらを見上げてくる。
『どんな顔だよ?』
俺は自分で意識していなかったが、精神分析医の彼女には、お見通しのようだ。
「今じゃイヌやネコだって、忠誠心や嫉妬の感情を失くしているっていうのに…そういうことに「焼き餅」を焼くなんて、やっぱり珍しい人だわ」
そうリカの解説が入るが…
『なるほど、これが「嫉妬」って感情か?』
でも確かに、そうかもしれない。
「でも残念ながらハズれ。彼とは同士…戦友ってトコね」
そう言う彼女は、チョット嬉しそうだ。
「妬いてるなんて、カワイイとこあるのね」
俺は返す言葉もなく、苦笑いしながら…
『こんな時に、喜んでる場合かよ』
そう思う俺の肩からリカは、提げていたマシンガン・タイプの空気銃を奪い取り、キビキビとした足取りで監視カメラの下にむかう。
「見てる? わたしが誰だかわかるでしょ」
リカは、カメラにむかって話しはじめる。
「やっとここまで、たどり着いたわ。あなたに復讐するためにね」
こちらからでは、彼女の表情を見ることはできない。
「大切なコレクションを台無しにされたくなかったら、人質を連れて、一人で来てちょうだい!」
リカは、奥から怪しい赤いまたたきを放つレンズにむかい、そう告げると…
「バス! バス! バス!」
エアー・ガンを、カメラにむけて連射した。
「ガシャ・ガッシャ~ン!」
レンズが砕け散る。
「…」
粉砕音がやみ、静寂が訪れるが…俺たちは、彼女の後ろ姿を見守ることしかできない。
「フッ」
銃口を上にむけたまま、しばらく立ちつくしていたリカは、フッと銃身を下げ、振り返ってこう言う。
「あとは、アイツが来るのを待つだけ。しばらく休みましょ」
そうだ俺は、昨夜からほとんど寝ていない。
『残業に…夜勤の手当も、もらわなくちゃな』
今までは無我夢中で忘れていたが、リカだって相当疲れているはずだ。
入口という入口の内側には、神作と青二才がバリケードを築いてくれていたし…おもてにいる意気地の無い連中のことなど、気にする必要はなさそうだ。
「フイ~ッ!」
俺とリカは、神作とその男に見張りを頼んで、ソファーの上に深々と腰掛ける。
『とにかくこれで、ひと段落』
少しは休息の余裕があるだろう。