1.under Pressure
1.under Pressure
「ブウ~ン」
頭の真上で、低くうなる空調の音。「頭がつかえる」というほどではないが、手足を伸ばして「背伸び」をすることもできない、低い天井に…フトンをたたまなくては、生活空間を確保することもできない狭い部屋。
(もっとも、たたんだフトンをしまう押入れも無いが…現代の土地・住宅事情では、これが標準だ)。
無機質で無味乾燥なワン・ルームには、窓のひとつも無いが…唯一、奥の壁の中央には、窓枠をかたどった中に青山のポスター。入居した時から、貼ってある。
(金持ちは、時間帯に合わせ・太陽光の向きが変わる画像パネルを貼り、カーテンまで備えていたりするが…俺たちのような底辺層は、どこも似たようなものだった)。
「ふ~!」
部屋に戻って、手足を折り曲げなくては入れない・桶のように狭いユニット・バスの、湯船につかる。物ぐさな俺だが、仕事の後は、シャワーだけで済ます気にはなれない。今日は、試供品でもらった入浴剤を入れてみた。紙ヤスリで金属を磨いた時のような臭いがするし、ザラザラとした感触がある。何でも、シールド効果のある金属粉か何かが含まれているらしい。
「…ふぅ」
やっと一息ついた俺は、ぬるめの湯にひたりながら物思いにふけっていた。
『もし、世界中に残る洪水伝説のような天変地異が起こったら、いったいどこに逃げればいい?』
「空に?」
『しかし、航空機の数は限られているし、大荒れの風の中、ふたたび地面が現われるまで、飛び続けていられるだろうか?』
「海に?」
『船舶だって、全地表が何度も洗われるような大津波に遭遇したら、荒波にもまれる木の葉のようなものだ』
かつて地球は、「大氷河期」をむかえていた。20世紀の後半、二酸化炭素や大気汚染による「地球温暖化」が懸念されていたが…実はそれ以前に唱えられていたように、地球は「氷河期」の方向にむかっていた。
(結局のところ、地球の寒暖を左右する一番の原因は、一番の熱源たる太陽の活動だ。だから今にして思えば、「温室効果ガス」が、地球が冷えるのを防いでくれていたのかもしれないが…その当時、世界各地に大小さまざまな「ソーラー・パネル」が出現した。「地球温暖化」の対策としては、最適だっただろう。なにしろ、地表を温めるために使われていた太陽光線を、途中でさえぎって・そのエネルギーを奪ってしまうのだから。しかし太陽の活動は、地球が冷える方向にむかっていた。増え続けた電力需要を満たすため、パネルにおおわれ太陽エネルギーの届かなくなった地面は、「地球寒冷化」を促進させるのにも最適だった。今さら原発の再稼働を試みたところで、いったん廃れてしまった技術を復活させるには、それまでかかったのと「同じ手間と時間と費用」が必要だ。あわてふためいたところで、すでに手遅れだった)。
やがて…「大氷河時代」をむかえた地球は、両極に巨大な氷のかたまりがこびりついている状態になった。
(「北極圏」は南下・「南極圏」は北上していたが、「赤道」をはさんだ両側には、温暖な気候が広がっていたそうだし…海面の低下により、活用できる土地も増えていた。また、水が液体の状態で存在する地球の環境は、宇宙的に見ればきわめて特殊な状況だが…「永久凍土」も、それが恒久的なものとなれば、その上に家を建てて暮らすのが当たり前となっていた)。
そして…「全球凍結」化が懸念されていた矢先、今度はいきなり「極移動」が起きた。と言っても、地軸がかたむいたわけではない。
『大陸移動説』の根拠となる・地球の表面をあつかう『プレート・テクトニクス理論』から、さらに一歩踏み込んだ、地球の内部までを考慮に入れた『プルーム・テクトニクス理論』によれば…地球の内部は「マントル」と呼ばれる、軟らかい対流層が広がっているそうだ。たとえれば、リンゴのようなものだ。芯の部分が「核」。実のあたりが「マントル」。全体から見れば、硬い「地殻」は、リンゴの皮ほどしかない。
さらに地球は、太陽に対し23.4度かたむいて、「黄道」上の軌道面を周回し…なおかつ、『歳差運動』と言って、回るコマの回転軸がブレるように動く「首振り運動」をしている。
この2万5800年周期の「すりこぎ運動」が最大の傾斜になった時、「人類の歴史」はじまって以来の大惨事が発生した。
アンバランスな状態が極限まで達した時、真上と真下に氷の重りを載せた地表だけが、ズルッと動いてしまったのだ。実際の回転軸や「地磁気軸」はそのままだが、見かけ上の極が移動し、氷河や氷山が溶け、大津波が引き起こされた。
「氷山の一角」と言われるように、大部分が海中に没した物なら、水位の変化はほとんどない。
(むしろ「水」は、液体より個体の方が体積が増す、珍しい物質だ)。
問題は「氷河」や「永久凍土」など、陸地の上にある氷だった。
(たとえば、かつての南の極「南極大陸」には、3000メートルもの氷の層が載っており、氷下の地面を圧縮するほどだったという。それらの氷塊が全部溶けただけでも、70メーターほどの水位上昇が起こるという)。
地球は、その46億年の歴史の中で、「全球凍結」や「地磁気反転」同様、「ポール・シフト」ならぬ「地表移動」も何度か経験しているとの説がある。
(この説を採用すれば、『スノー・ボール・アース説』を採らなくても、全地球規模で広がる氷河の痕跡の説明がつくそうだ)。
一番最近では…と言っても、数千年から数万年前と、さまざまに語られているが…『ノアの洪水伝説』だとされるものだ。その頃は、「北アメリカ大陸」が北の極にあったと云う。もう一方の極は、不毛の砂漠地帯が広がる「ユーラシア大陸」の一部。
(「中国症候群」という表現がある。北アメリカの核施設で「炉心溶融」などのトラブルが起きると、「溶け出した核物質が地中を突き破り、反対側の中国まで穴が開いてしまう」という意味で…実際には、そこまでの被害はあり得ない事だが…「スリー・マイル島」の原子力発電所で事故が起き、懸念が現実となった。その言葉は、後に映画化された作品のタイトルにもなった)。
それで旧大陸とくらべ、新大陸(のうち、北側のアメリカ)には、サルや類人猿などの霊長類の化石が存在せず、現生種の数や古代の遺跡も少ないのだそうだ。さらに、そこを基準とすれば、有史以前の太古の遺構は、きれいな緯度・経度に並ぶと言う。
(つまり…現在の気候を元に、大昔の文明を推察するのは、おろかな事なのだ。ジャングルに埋もれた神殿は、地球が寒かった時期に…冬は雪に閉ざされるような土地や、高所・高地の天空の集落は、気温が高かった時代に栄えたものだ。それらの廃墟は、気候や気温の変動により、打ち棄棄てられた結果なのだ)。
今回の天変地異により、「北極海」と「南極大陸」が顔を出し、かわりに雪と氷におおわれた場所が出現した。
(たとえば氷浸けになっていた「マンモス」は、全身が毛におおわれていたこと・発見当時、極寒の地だった永久凍土から発掘されたため、想像図には雪景色の中に描かれることが多いが…残っていた胃の中の植物から、後に「温帯域に生息していただろう」と言われるようになった。ようするに…住んでいた場所が急に極地に移動し・急速に寒冷地化したため、氷の中に閉じ込められてしまったわけだ)。
姿を現わした「南極大陸」は現在、南半球の中緯度ですべてをさらしているが…かつての名で呼ばれ、未知の文明の遺物があらわになっていた。そして今では、ある意味・世界で一番ホットな地域になっている。
(最近では、「南極大陸」を失われた『アトランティス大陸』に・「東南アジア」から「タスマン海」一帯で海没したとされる「ジーランディア大陸」を『ムー大陸』に、それぞれ比定する説が浮上してきている)。
しかし一番の争点は、その文化の起源などの学術的な面ではなく、いたって政治的な点…「誰が領有するか?」という、所有権争いに端を発する・クダラない領土問題だった。もっともマトモな案は、前時代の取り決めにあったように、宇宙空間と同様、「誰の物でもない」=「公共のもの」という考え方だったが…手が届きにくい宇宙や・氷に閉ざされていた頃と違い、ハードルの下がった現在。その有効的な利用・活用方法など、黙って指をくわえている者などいなかった。その利権争いに、政治家ばかりでなく・野心ある有力民間人までもが、東奔西走していた。
(かつて南極に基地を置いていた某国は、あえてそこで出産・育児を行ったことがある。「南極の生まれ育ち」という事実が、領有権争いが生じた時に、有利に働くと考えたのだろう)。
だが、実のところ今の地球は…「氷河時代」に突入という、ただでさえ危機的状況に見舞われていたというのに、さらに追い討ちをかけるように「地軸移動」。そんな小事に、かまけている余裕はなかった。
(その筋の宗教家たちによると…聖典をひもとき…洪水がおさまるまで「40日と40夜」。あらたな極地に氷が張り、陸地が復活するまで「150日」などと喧伝している)。
しかし…そんな大災厄を経験しても、かなりの数の人類が生きのびた。大勢の人間が、「核シェルター」として造られた施設や、地下鉄・鍾乳洞などのエアー・ポケットに逃げ込んだからだ。
(「冷戦時代」から態勢を整えていたヨーロッパ地域などでは、想像以上の数が助かったと云い伝わる)。
たまたま俺の先祖は、その時、トンネル工事などに使う「シールド・マシン」を使って、『ゲリラ豪雨』などの・急な雨水を溜める「調整池」工事のため、大都市の駅前の地下に潜っていたそうだ。
(すでに完成なった上層部の地下街の下層には、人工照明を使った「もやし」や「きのこ」の栽培ばかりでなく、生鮮野菜や穀物の生産も行われていたらしい。20世紀の末頃から本格的に試みられていた、都市部のビルや地下内部での人工農法。「発光ダイオード照明」を使えば、色や光度の微調整ができるし・空調機器を備えた屋内なので、温・湿度の管理もやりやすい。気候や環境に左右される自然まかせの屋外農業と違い、すでに安定供給が確立されていた頃だ)。
ノアが鳥を放って、水が引いたことを察知したように…濁流の流入が止まったところで、地上に出る決心をしたようだ。
(「出口が見つからず、下へ下へと地下にむかった生存者の一団が、地底人になった」とか、『地球空洞説』といった都市伝説めいた話が、まことしやかにささやかれていたが…重機が揃っていたので、地上への出口を切り開くこともできた)。
だが…地表は荒れ放題。追い討ちをかけるように、破壊された世界中の原子力発電所から、大量の放射線が流出していた。
(21世紀になった頃を境に、原発の数は大幅に減っていたが…人智を越えた天災に、人類は成す術も無かった)。
やっとの思いで帰ってきた地上は、とても生活を営めるような環境ではなくなっていた。
(それに…建築資材など、資源はまったく無かった。とりあえずの住居を確保するには、縦穴を掘るか・山を削って横穴を穿つしかなかった)。
しかし…
『第一次世界大戦』の、いく重にも張り巡らされた長大な塹壕線。
『第二次世界大戦』で、「マジノ線」に築かれた仏軍の地下要塞。
『大東亜戦争』の、日本軍が硫黄島や沖縄で掘った地下坑道。
『朝鮮戦争』で、北朝鮮軍と中国軍が作った地下トンネル。
なんでも…敵の空襲や砲撃が始まると、信じられないような速さで「タコツボ」を掘れるそうだ。人間が生命の危機に瀕した時に発揮するパワーには、凄まじいものがあるのだろう。それで我が人類は、逼迫した状況下、可及的速やかに、地下に潜った。
(迫害された異教徒たちが隠れていたとされる・トルコの「カッパドキア」の地下迷路も、「すでにそこにあったものを流用しただけだ」という見解もある。案外それ以前、そんな状況に直面した・いつの時代かの人々が、必要に迫られて掘削したものかもしれない)。
もっとも…『太平洋戦争』末期、日本に投下された「原子爆弾」で焼け野原になった「ヒロシマ」「ナガサキ」は、「今後70年は、草木もはえない」と言われたそうだが、そんな年月を待たずとも、自然は息を吹き返した。
(現代の発電は、ほぼ100パーセントが「原子力」。もともと「化石燃料」が枯渇した時のために、核廃棄物処理の手間もコストも覚悟の上で開発されるようになった「核燃料」。今さら、石油や石炭・天然ガスの採掘・精製・運搬の再生を考えると、50年連続稼働できる原子力空母のように、核エネルギーを使ったほうが利口だった)。
大自然は、人間の都合や願望などおかまいなしに繁茂する。近ごろでは「花粉」の嵐が吹き荒れ、むしろそちらのほうが大問題だった。
「まったく、住みにくい世の中だぜ!」
フト我に返った俺は、首まで湯の中につかりながら、ふたたびそうつぶやく。
今の地球は、あらゆる植物たちが狂い出し、さかんに花粉をまき散らし始めていた。「ここ数年で、飛散する花粉の量は数兆倍にふくれ上がった」とささやかれた。
謎の山火事が、あいついだ。その原因は、「大気中に漂う花粉に静電気が飛び、引火するのではないか?」と言われていた。
(雪は正六角形の結晶を造るが、花粉を結晶化させ…一説には、「草や木の花と同じ正五角形を成す」と言う…安定状態にする技術が研究されていた)。
近年、急激に増え出した「ミステリー・サークル」は、「花粉と大気汚染が結びついたため」と言われた。「空気中に舞う金属粉や化学物質が、花粉と反応してプラズマが発生し、不思議な幾何学模様が出現する」と言うのだ。
(音波は…たとえば、水平に張られた太鼓の皮のような物の上にまかれた砂は、下から一定の音を当てると、音程ごとに決まった波紋を象る。偽造でない「ミステリー・サークル」は、その現象と同じ理屈だとの説がある。つまり、物質の四態目…固体・液体・気体、そして電子が遊離した「プラズマ体」は、「波長ごとに、独自の模様を持っているのではないか?」と言われていた)。
花粉と電磁波が遠因とされる、電波障害が起きていた。屋内空間の連絡網は、同一地下都市では有線がメインだったが…他の地下コミュニティーとの通信用には、超長波の無線が使われていた。感度を上げるため、出力は強化される一方。そんな悪循環に陥っていた。
(情報伝達の手段として大量に飛び交う電波。コンピューターが発する、多量の電磁波。また、さまざまな機械が運転される時に放つパルスが、目には見えないが、人体をも突き抜けて飛び回っている。それは…電子が光の進路を阻害するように…電波同士・あるいは花粉の層によって行く手をはばまれ、跳弾のように跳ね回っている。そしてそれは、人体…特に脳波に対して有害であるとされていた)。
その他、「第二のアトピー」と呼ばれる、火傷のような、ひどいただれを伴った皮膚病。衰弱した高齢者などは、呼吸困難になって死んでしまうこともあるような、激しい咳の出る喘息。それは、「ある植物の出す強烈な花粉によるもの」だとか、「もともと地底に棲んでいた新種のダニが原因である」との説など、さまざまな憶測が乱れ飛んでいたが…その出所は、いまだ闇の中だった。
(かつての人類が信じていた「未来永劫」なんて言葉が、いかに危ういバランスの上に成り立っていたのか…いやというほど、思い知らされたわけだ)。
過去に「花粉対策」として、よみがえり始めた森林の計画的伐採が行われた地域もあるが…切れば切るほど、植物たちの放つ花粉の量は増えていった。彼らは、無差別に切り倒される同胞の報復と種の保存のため、人類に反旗をひるがえしたのだ。逆説的に「植林し、数を増やせばよい」という案が、もっともマトモそうだったが…場所によっては、数十年に渡って放射能の雨が降り続いたせいか? それとも「酸性雨」のためか? 森林の多くが、消滅してしまってもいた。
今や地球上は、人間が無防備な状態で、まともに暮らせる状況ではなかった。誰もが屋外に出る時は、何がしかの対策をこうじていた。中には頭からスッポリと、電磁波を弾き・花粉の浸入を防ぐと言われる、宇宙飛行士か化学消防士・あるいは大昔の潜水夫のような、銀ピカの気密服を着用している者もいた。
そして他にも、そのための対策がはかどらない理由があった。
地球規模で見れば、地上のすべての物が、いったんはすべて洗い流されてしまったものの、徐々にではあるが、植生が戻ってきていたからだ。その植物たちが行う光合成によって生産された酸素により、破壊された「オゾン層」が回復にむかっていたし、大気中に舞う花粉が紫外線をカットしてくれていた。
(有害な光線の心配がなくなった現在では、採光のためもあり、積極的に太陽光線を室内に採り込もうとし、ごく一部の例外を除いて、UV遮断の窓ガラスは使われなくなっていた)。
また一方、世界のあちこちで、砂漠化が懸念される土地が増えてもいた。
局地的に見れば、森が無くなるということは、水が涸れ・土が乾き、ひいては蒸発する水分が無いため、雨も降らないということだ。そして大局的に眺めると、森林の大規模な消滅は、気候の激変にもつながる。
過去の「イギリス全土」や「イースター島」は、かつては深い森におおわれていたと伝わる。それが人間の無差別な伐採や公害により、多くの場所で、かろうじて地表に草が残るだけの土地となってしまったと云う。それと似たような地域が、各地に出現してしまったのだ。
(さらに、資源の枯渇した「イ島」では、果ては『食人』までが行われていたと言う)。
しかし強烈で大量の花粉のおかげで、土壌が完全に干上がって不毛の地になってしまう前に、とりあえずは草におおわれた草原の形態を保つことができていた。
それに食物の生育にも、大きな弊害は出ていなかった。自然界で採れた物だけを、そのまま食べていれば虫歯にならないのと同様、自然に暮らしている動物たちは、以前と変わらぬ営みを続けていた。
(20世紀の終わり頃から、硬い地盤を選んで内部がくり抜かれ、冷凍保存された現生動物の精子や卵子・植物の種子や胞子がおさめられたカプセル、さらには…さまざまな遺伝子を保存する設備が作られていた。そこから現在、いろいろな動植物たちが野に放たれているという。案外そういった施設が、『ノアの方舟』伝説となったのだろう)。
だが人類と、それに飼われているペットたちは…人間同様、虫歯や糖尿病、花粉症にまでなってしまうのだ…それほどまでに、自然から遠い存在になってしまったわけだ。
「自然がバランスを取り戻すには、何が必要なのか?」
さまざまな情報が入り乱れていたが、本当のところは何ひとつ、はっきりしていなかった。あの天変地異によって、すべてが狂ってしまったのだ。
「はたして地球が元の姿を取り戻すまで、いったいどれほどの年月が必要なのか?」
はっきりとした答えを出せる人間は、一人もいなかった。
でももう、限界まできていた。「愛玩動物が狂暴化し、人間に襲いかかる」という事件が日常化している一方で、狭い室内に閉じ込められた人類は、すっかり意気消沈していた。
「狭いところに押し込められていると、そのうちヤル気をなくし、文化は停滞どころか後退する」らしいが…生まれた時からこんな生活を続けている俺たちは、こんな環境にも、まあまあうまく順応しているつもりだ。
(「移民一世は母国語しか話せず・二世は両方・三世になると異国語しかしゃべれない」と言う。海外開発援助が即効性を持たないのも、そういったことが理由なのだろう。きっと意識の変革には、三世代は必要なのだ)。
いずれ人類は…すでに寿命の半分を過ぎた「太陽」の、50億年後の消滅とともに、「どこかへ移住しなくてはならない」そうだが…
(「太陽」程度の中小規模の恒星の末期は、「赤色巨星」となって、「地球」の手前までの大きさに肥大するそうだ。だが…それ以前に、今後「太陽」は・その輝きを増し、「地球」が現在の軌道にとどまるかぎり、10億年後には「金星」のような高温の星になってしまうと言う。また、40億年後には、「大きな被害は無いだろう」と言われるものの…ただでは済まないであろう、お隣りの「アンドロメダ銀河」との衝突も控えている)。
何十・何百世代にも渡るであろう大航海。「娯楽や息抜き」の重要性を語る医者や学者もいるが…俺に言わせれば「生きる・生き続ける目的や目標が必要なんだよ」ということになる。
「まったく、住みにくい世の中だぜ!」
俺は息が詰まりそうだった。
* *
発光ダイオード・ライトの、冷たく淡い・青みがかった街灯。
(光の差さない地下の灯りには、電気がまったく必要ない自家発光を数十年続ける「トリチウム」という物質が使用され始め…電源が届かない通路や公共施設などでは、『トリチウム灯』が、まばゆい光を放っていた)。
照らされた街のドまん中には、非常用のエアーを溜めている、巨大な球形のタンク。全体は薄緑色で、何本もの・縦に伸びた支柱で支えられている。
(「原子蒸留炉」を使い、「塩酸」と「亜鉛」から「水素」を発生させ、「ウラン」と反応させると「三重水素」ができあがる。その生成物が「トリチウム」と「ポロニウム」。どちらも、まだまだ普及率は低いが…いずれ照明はすべて、電力節約にもなるトリチウムに取って代わられ・硬い石材を研磨する際に、「効率約500倍」という絶大な効果を発揮するポロニウムの使用によって、地下都市の開発速度に拍車がかかるばかりでなく、「食器などは、すべて石器になるだろう」と言われていた)。
天をあおげば、この一角全部をおおう、透明なアクリル製ドームに映った夜空。「プラネタリウム」とでも言いたいところだが、今では星空なんて、大気圏外にでも出なければ拝むことはできない。
(さまざまな種類の草木が・さまざまな時期に放つ花粉。たとえ冬の季節にあっても、「貿易風」に乗って反対側の半球から流れ込む花粉の量は、膨大なものだ。もう何十年も、人類は外界との交渉を、なかば断たれた生活を送っている)。
今や都市建設は、地下や海底にむかっていた。地上に巨大なドームや完全密閉のビルを建てるより、そっちの方が簡単だし・よっぽど安上がりだからだ。地盤の安定した地下・硬い岩盤の中には、奥へ奥へと都市が伸びていたし…火山の近くの洞穴には、地下温泉保養地なんてものもあった。
俺たちだって、普段は穴ぐら生活を余儀なくされているが…今宵はちょいとシャレて、最近できた「スカイ展望台」と呼ばれる所で(と言っても、地表の窪地に造られたものなのだが)ディナーというわけだ。
(かつての駅前地下街とデパ地下の名残りを利用した施設だが…ここの地下にだって、それと共に作られた大空洞が広がっているはずだ。「ゲリラ豪雨」のような急激な降雨があった場合に、大量の雨水をためる調整池だ)。
「男の人は、とくにこの人は仕方ないでしょ。だから毎回、ガマンしてヤラせてあげてるの」
ダダッ広いホールに、イスとテーブルが並べられただけの場所。喧騒が、天井のドームで跳ね返って木霊する。
「そりゃ大変だ。結婚なんかしたら、壊されちゃうな」
セミ・ロングのストレートの黒髪に、化粧っけの無い中肉中背。左隣りには俺の彼女…正確には、近ぢか結婚を控えた婚約者の「ユカ」と・俺のむかいに座る相棒は、そんな話をしている。
「フン!」
俺は二人を横目に、生野菜のサラダをパクついていた。
俺たちは三人ともTシャツにGパン。二人は白色無地だが…俺には『そんな物は、まるで下着』としか思えないので黒だ。周りを見回しても、スーツ姿がチラホラ見える以外は、だいたい似たり寄ったりだった。
「でもよ、男の生理をそこまでわかってくれるなら、上出来だよな」
酔いの回りはじめた相棒は、ニヤけた目つきで、ユカと並んで座る俺のほうに視線をむける。
俺たち三人は、たまたまだが同い年。仕事もひと通りこなせるようになって、それなりの責任を持たされるようになる年代だ。
「女のカラダは、そうできている。だから昔は商売にも使えたわけだ」
俺は、ブッきらぼうな返事をする。
英国の古典哲学者「アダム・スミス」先生はかつて、その著書『国富論』の中で、「商いをするのは人間だけだ」と語ったそうだが…「人類最古の商売」とされる「売春」は、サルの段階から見られるそうだ。
(オスが、手渡したバナナを食べているメスに、後ろから行為におよんでいる記録フィルムを見たことがある)。
『ベラベラしゃべるなよ』
つまり俺は、ちょいとテレていたわけだが…セックスを、おおっぴらに語れる時代だった。
でも最近では、この手の話題は流行らない。今やそれは、冗談や皮肉の対象でしかなかった。交尾しないことが当たり前となった「霊長類ヒト科」という動物のあいだでは、むしろその逆の現象が問題となっていた。
先の災厄で、ただでさえ総人口が数パーセントまで減ってしまったというのに、少子化傾向は「洋の東西南北」を問わずどんどん進み、今や極限状態をむかえていた。せっかく大厄を生き延びたというのに、「このままでは人類は、自然消滅してしまう」と言われていた。
(個体数がある程度以下になると、もう増えることはないと言う。たとえば「チーター」は、遺伝子的解析によると、すでに一度・絶滅寸前まで追い込まれたことがあるそうだ)。
「幸いなこと」と言えば…大昔の小説にあったような、爆発的な人口増加による食糧危機なんて、まったく心配ないことくらいだ。
でももし、こんな状態の人類を、ふたたび世界規模の天変地異が襲い、大多数の人間が息絶えてしまったら、どうなることだろう? たとえわずかな生存者があったとしても、今までの文化は、うまく後世に受け継がれることができず、文明はいったんそこで途絶えてしまうだろう。
そして新たな地球の現生人類は、俺たちが現在まで築き上げてきた文明の痕跡を発見し、「どうしてこんな物を作ることができたのだ?」と、頭を悩ませるに違いない。
(あの大洪水で半壊してしまった「大ピラミッド」。内部構造があらわになったおかげで、その建造方法が明らかになるかもしれないと言われている)。
「お前も早く、誰かいい相手みつけろよ。グズグズしてると、永遠の童貞だぜ」
俺は、相棒の「揚げ足」を取ろうとしたのだが…
「じゃ、誰か紹介してくれよ。その時のために、大切にバージンとっておいてるんだから」なんて、ぬかしやがる。
『なんてこった!』
俺はそう思ったが、ユカは「それが当たり前」とでもいった顔をして聞き流す。
男が『結婚したからには、とりあえず子供が欲しい』・女が『とりあえず結婚したい』と思う時代は、とっくに過ぎていた。
男が『とりあえず結婚しなくちゃ』・女が『結婚なんかしなくっても、とりあえず子供が欲しい』と思う世の中でもなくなっていた。
(性風俗産業などというものは、今ではほとんど成り立たなくなっている)。
「最近のガキは、ソロ活動もしないそうだぜ」
ユカと相棒が、そんな話をしている。「ソロ活動」とは、「オナニー」のことだ。
「自慰行為をしない子供たち」
最近、医学者や心理学者・教育者のあいだで取り沙汰されている、社会現象だそうだ。
『はあ~?』
思春期の子供の、少なくとも男の子の「バンド・ジョブ」は…もちろん、度を越したソレは問題だろうが…身体の正しい成長のためには、必要不可欠なものだったはずだ。ところが近ごろの男子ときたら、そんな事には、まったく興味も関心も示さないらしい。
『なんてこった!』
宗教が誕生して以来、性の乱れは罪悪とされてきたが…今どきそんなことを唱える人間は、皆無に等しい。有識者や政府機関は、むしろ「正しい営み」を奨励していたが、誰も耳を貸そうとはしなかった。当の本人たちですら、「人口減少」という当面の問題さえなければ、関心が無いのだから仕方ない。
戦争がさかんに行われていた時代には、「英雄、色を好む」という表現があったそうだ。それは強大な富や権力という背景ばかりでなく、強い精子は種を維持・保存しようとする本能の表われだったのだろう。
(もちろん同じく、雄の気を引くために着飾る精強な卵子だってあっただろう。一方で、男がスポーツなどで、異性の目があると一段と張り切るのは、「自分の遺伝子の優秀さをアピールするためだ」などという・個体優先的な考え方が一般的だが…『遺伝子優先説』というものがある。「遺伝子が、自分たちの維持・存続のために生物を創った」とする見方だ。この説をとれば、自己中心的なものの対極にある自己犠牲的精神も、簡単に説明がつくと言う)。
また、人口において「男や若者の占める割合が増えると、戦争が起こる」という説がある。今や男の数は、女性のそれを上回っていたし、人口の大量減少のせいもあり、若者の方が数的には多かったが…争いは起きなかった。対立する体制どころではなく、戦う相手がいなくなった現代では、皆が「イイ子ちゃん」だった。
(もっとも…もともと軍事・独裁国家だった所は、その戦略上の理由から、地下基地が充実していたため、多くの指導者層と軍備が生き残り、「虎視眈々と世界制覇を狙っている」という噂があった)。
男は「種馬」としての働きを忘れてしまっていたし、受け入れる側も、自分たちの役目を放棄している。このままでは人類は、この地球上から、本当に滅亡しかねなかった。
「でもさ、お前はいいよな、まったく。この仕事をするために生まれてきたようなもんだぜ」
相棒は点眼薬をさすために、天をあおぎながらモゴモゴと言う。ユカの前なので、お世辞を言ってるつもりなのだろうが…
『冗談じゃないぜ、こんな仕事』
俺たちの仕事は、今の地球では必要不可欠となった「空気濾過装置」と、その空気を各部に送り届けるための「空気圧縮機」の保守・点検だ。
小型の飛行機が中を飛ぶこともできるような、超巨大で極太のパイプ・ラインが、地下居住空間にむかって何本も伸びており、その奥には巨大な機械が何台もひかえている。
(特に、単独で地上にある建造物は…一軒に一台。すべてをまかなえるだけの設備が必要だった)。
もともとは、工場などで使われている空気圧縮機の、メンテナンスを請け負う会社に勤務していた俺たちだが…需要が増えたのを期に、下請けとして独立したわけだ。
機械がイカレてしまうと、死人が出るというほどではないが、多くの人間が花粉症の症状や、放射能汚染の潜在的恐怖に悩まされることになる。だから、絶対に食いっぱぐれのない仕事だった。
共同経営者の相棒は、その頃の同僚で名を「神作」と言う。
(先祖は「宮大工」。本人いわく「神様を作る仕事だった」と語っているが…仲間うちでは「罪作り」あるいは「トラブル・メーカー」と呼ばれている。ウソはつかない奴だが、コイツにかかると話が大きくなるのが悪いクセ。つまりは「ホラ吹き」というヤツなのだろうが、憎めない男だ)。
上背も横幅もあるガッチリした体型だが、狭い所の作業も、デカイ身体を折り曲げて難なくこなす。ただ、経験年数を積んで、決まりきった日常を無難にこなしてはいたが…技術的には、大したことはなかった。
(でも俺にしたって「自分たちで会社を動かしている」というのが面白いだけで、将来については「?」だ)。
趣味はパチンコとサバイバル・ゲーム。
(俺の勝手な推測だが…「ギャンブル好き」というのは、「育ち」や「環境」とは無縁で『生まれつき』のもの。だから「遺伝」はあるだろう。でもそれで『賭博』は、こんな世の中になっても存在しているのだ)。
お手製エアー・ガンを作るのも楽しみのひとつで、サバゲーのための体力作りは欠かさない。
(まずは生活必需品の供給体制の確立が優先されており、嗜好品やレジャーは後回しだったが…それも仕方ない。ただ、医療シミュレーション用の人体模型も作れる「スリー・ディメンション・プリンター」とつながった成型機を使えば、プラスチックやゴム・シリコンは言うにおよばず、金属製品ですら、どんな一品物でも作れたし…「多軸旋盤」があれば、かなりの精度の機械加工が可能だった)。
見かけによらず・手先が器用で、普段はお茶目な奴なのだが…いったん火を噴くと、もう止まらない。
「お前みたいのが増えると、また戦争が起こるぜ」
皆にそう言われていたが、たしかに敵にはまわしたくない男だった。
「ふぅ~!」
でも、毎日毎日・くる日もくる日も、同じようなことの繰り返しで、代わり映えしなかった。社会に必要とされ、食いっぱぐれのない仕事ほど、あんがい退屈なものだ。
「お前はきっと、腹の中に虫かってるんだよ。いい歳して、バクバク食っても太らないし」
神作は、パスタとピザを同時に口に放り込む俺にむかって、そう言ってくる。
「太らない体質は、生まれつきさ」
ここでも神作は、見かけによらずの「少食漢」だった。
「なんでも、人類が花粉症に悩まされるようになったのは、ギョウ虫とか回虫とかの寄生虫が、腹の中からいなくなってからなんだそうだ。もちろん、花粉の量が増えたってのが、一番の理由なんだろうけど…そいつらには免疫作用か何かがあるらしくて、わざわざ昔の標本ひっぱり出してきて、大マジメで研究してる学者がいるらしいぜ」
最近では、さまざまな病原菌などの細菌が、「超低温保存」という方法によって保管されている。
食べ物にしたって「採れたて・もぎたて」神話は、とっくの昔に崩壊していた。たとえば果物などは、この技術を応用して用いれば、内部での合成物質の作用が盛んになり、酸味が抜けて甘みが増す。
それがこんな時代でも、人類がそのむかし・繁栄の絶頂期にあった頃と変わらない食生活を送っていける理由だった。
そして、その解凍方法さえ確立されれば、「人体の冷凍保存もまぢか」とさえ言われていた。
(「瞬時に凍らせることができれば保存できる」と言われていたし、実際その手段はあった。なんでも、零下190度「液体空気」に触れさせ・カチカチに凍らせた金魚を、水に入れて「戻す」と、ふたたび泳ぎ出すんだそうだが…どんな気体でも、臨界温度以下に冷却して圧縮すれば液化する。「酸素」はマイナス118度・「窒素」はマイナス147度。もっとも液化しにくい「水素」がマイナス253度・「ヘリウム」が267度だ。難問は、「瞬時に元に戻す」手段だが…その解凍法としては、気圧の変化を応用する手法が研究されている。たとえば地上にあって「熱」というものは、大気の圧力によって保持されている。それで『地上気温』…地面から1.5メートルの温度…は、『気温減率』といって、高度が100メートル増して気圧が弱まるごとに、熱が拡散してしまい、0.6度の温度降下があるわけだ。つまり、標高が高い所では気温が下がり・摂氏100度以下でもお湯が沸くのは、大気で圧縮されていた熱が解放されるからで…人体は、いきなり大気圏外の真空・無重力状態に投げ出されると、まず血液が沸騰してしまうそうだ。だから、その微妙な温度変化の調節方法さえ克服できれば、瞬間的に解氷できるのではないかと言われていた)。
「それが証拠に、昔ながらの原始的生活を実践している集団は、平気で外で暮らしてるそうだ。でも今じゃ、そういった害虫の類いは、この地球上からすべて絶滅しちまって、探すのも大変なんだそうだ。今ごろになって、後悔してるんだってよ」
20世紀の後半に、「天然痘」の撲滅宣言が出されたそうだが…それにしたって人間が、自分たちに都合の良いように、世界を造り変えてしまっただけだ。
しかし「風が吹けば桶屋がもうかる」方式ではないが…たとえば「人類が消滅した後で、次に繁栄する」と言われていたゴキブリにしたって、それが絶滅してしまったら、「どこに・どのような弊害が出るか?」わかったものではないはずだ。
(今では、遺伝子操作によって生まれた、子孫保存能力を持たないコックローチにより、従来の種族は完全に駆逐されてしまい、もうその姿を見ることはない。地下生活を余儀なくされた人間にとって、あの忌まわしい黒色と形の生き物との共存など、想像もつかないことだったからだ)。
その他にも…かつて猛獣と呼ばれたトラやライオンなどが、遺伝子組み換えによって小型化され、一般家庭に入っていた。牙を抜かれたケモノたちは愛玩動物として、今では犬や猫と一緒に暮らしていた。
(もっともイヌやネコだって、有史以前の人類によって、狼や山猫から創り変えられたものかもしれない)。
また毎年のように、ある特定の種類の昆虫や動植物の異常繁殖が、世界のあちこちで報じられていた。「天敵がいなくなったから」とか「種の保存・繁栄のため」などと言われていたが、その原因についての確かな報告は、一切なされていなかった。
(一方で、極端な減少をみせる生物もあったが…そちらの因果関係のほうが、さらに難解だった)。
しかし、過保護とオオカミという天敵の絶滅により、増えすぎてしまった鹿も、森林の減少により、自然と必要数に落ち着いていた。
(それは人間にしたところで、同じかもしれない。「無菌室育ち」の人類の「平均寿命」は飛躍的に伸び、最高齢はいまや150歳に届くかという域に達していたが…それがひいては「セックス・レスの遠因になっている」という、もっともらしい説もあった)。
残された「自然」は、一番の加害者であった「人類」という存在に、侵されることも・干渉されることも無く、それ本来の姿と働きを取り戻しつつあった。
そして猛獣と呼ばれる動物たちが、その生態系の頂点に君臨している場所では、人間が無防備で歩き回れる状態ではなくなっていた。
「やめてよ! 食べてるときに、そんな話」
ユカはスパゲッティーを飲み込みながら、そう叫ぶ。
「大丈夫だって。ユカには原始人がついてるんだから、もう虫だって…」
神作が、そこまで言いかけたところで…
「ヤ・メ・テちょうだい!」
ユカの制止が入るが…花粉症にもならなければ、花粉症と並ぶ「現代の二大疾病」と言われるアトピーにも縁がない。
(もっとも俺に言わせれば…俺のまわりで、ひどい花粉症やアトピーに悩んでいる奴は、好き嫌いが多い連中ばかりだから、「偏食にならざるをえない現在の食生活のせいだ」ということになるのだが)。
それに、頻繁に性行動を行う。そんな俺のアダ名は「原始人」。だが、それでもまあいい。ナゼって、俺の名前は「ゲン」だから。
「でもさ、お前が共同経営者で、ホント良かったよ」
なかば本気で怒り出したユカの様子を見て、相棒の神作は話題を変える。
「俺なんて、『朝立ち』しないことがバレちまってるだろ。だから生命保険は条件の悪いのしか入れないし、担保になるような物も持ってないから、借金だってできないしな」
『男として「朝立ち」もしないようでは、先が無い』という神話が、今の時代にもまかり通っていた。
『セックス・レスの原因は、本能が薄れているからだ』
俺はそう思っていたが…婚姻率がひと桁以下まで落ち込んだ現代。「男の朝立ち」は、社会的信用の大切な条件となっている。大多数の男どもがそうなってしまった現在では、多少は条件が緩和されたようだが…保険の加入や・借金の借入の際の申告書やアンケートに、「朝立ちの有無・および頻度」なんて項目もあった。
「まったく、住みにくい世の中だぜ!」
人類は今、戦争や飢餓の脅威にさらされることは無い。だいたい、そんな事を心配するほど、この地球上には人間が存在しなくなりつつあるし、争いごとを行えるだけの富も蓄えも無い。復活をとげつつある自然界とは裏腹に、人間界では、まったく逆の現象が起きている。
今の時代、男のペニスはションベンをするための道具・女の乳房はただの飾り物だった。




